広布功労の多宝の同志を
皆で心から称えよう!
"幸福の達人"と共に
いよいよの心意気で
希望の歴史を朗らかに!
千日尼御前御返事 P1316
『譬えば一の師子に百子あり彼の百子諸の禽獣に犯さるるに一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる、法華経は師子王の如し一切の獣の頂きとす』
【通解】
譬えば、一匹の師子に百匹の子がいる。その百匹の子が諸の禽獣に犯されようとするとき、一匹の師子王が吼えれば百匹の子は力を得て、諸の禽獣は皆頭が七分にわれるのである。法華経は師子王のようなものであり、一切の獣の頂なのである。
名字の言 漫画家さいとう・たかを氏が語る「分業制」の強み 2020年11月19日
さいとう・たかを氏といえば、日本を代表する漫画家。50年以上、連載が続く『ゴルゴ13』をはじめ、作品を「分業制」で生み出していることでも知られている▼脚本は専門家に依頼。さいとう氏自身は構成と主人公の作画を手掛け、他の登場人物や背景の作画などは全て、プロダクションのスタッフが責任をもって行う。氏は「それぞれの才能を持ち寄ったほうがより完成度の高いものができる」と、分業の強みを語る▼だからこそ、氏は共に仕事をするスタッフのことをアシスタント(補佐、助手)とは呼ばない。「さいとうプロで働く人たちは共同制作者」「いわばプロとプロの関係」と、大きな信頼を寄せる(『鬼平流』宝島社)▼広布の前進もまた、それぞれが持ち味を発揮しながら進む共戦の歩み。正役職者と共に、副役職の友が力を発揮することが不可欠だ。副役職者は、活動の"補助"や"手伝い"をするのではない。一人一人が尊い使命を担い立つ地域広布の責任者である▼池田先生は「正役職と副役職とは不二の関係にある。心を合わせ、尊敬し合い、協力し合ってこそ、勝利の歯車の回転が生まれる」と述べている。創価の運動に、脇役はいない。皆が主役だ。一人一人の力が結集すれば、その勢いは倍加する。(値)
寸鉄 2020年11月19日
苦難の中でこそ真価発揮するのが学会の座談会—作家。生命潤すオアシス
山梨青年部の日。正義の対話広げる若き力。富士の如き堂々たる人材城を
行き詰まりには大信力を奮い起こせ—戸田先生。不屈の祈りで苦境を打開
コロナ禍で夫婦仲良くなったは悪化の3倍。会話の増加等で。感謝を声に
冬場の感染対策、要点は�寒くても換気�適度な湿度。3密避け油断なく
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第11回 訪問激励の大切さについて
広宣流布のために、一軒一軒、足を運び、誠実の対話を広げていく。その行動の中に、私たち自身の成長もあります。「一人」への励ましの大切さについて、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指導を紹介します(指導集187ページ、192ページから194ページまでを抜粋)。
●訪問激励の大切さについて
〈「一人」の幸せのために〉
一人を大切にするとは、その人のために、勇んで行動することだ。まず、直接会うことである。会う人が一人残らず幸福になるように、また、広宣流布の人材に育つように祈ることである。
(『池田大作全集』第133巻、「随筆 新・人間革命」)
〈人に尽くす行動に自己の向上が〉
時には"どうして、道理、真心が通じないのか"と、投げ出してしまいたい思いをすることもあるでしょう。しかし、大変であるからこそ仏道修行なんです。
人びとの幸せのために尽くす姿は、仏の使い以外の何ものでもありません。地涌の菩薩でなければ、決してできない尊い行動です。
忘れないでいただきたいことは、会員の皆さんがいて、その成長のために心を砕き、献身することによって、自己の向上があるということです。つまり、幹部にとって会員の皆さんは、すべて、人間革命、一生成仏へと導く善知識になると確信していただきたい。
(小説『新・人間革命』第26巻「奮迅」)
〈絶対に無駄はない〉
学会活動は、自分自身の幸福のためである。
動いた人が勝つ。妙法のために動いた分だけ、功徳につながる。その行動が本末究竟して、子孫にも福運を広げていく。これが仏法の因果である。法華経であり、日蓮大聖人の教えである。私も、これを信じてやってきた。(中略)
わが同志が、広宣流布のために、一軒一軒、友のもとへ足を運び、誠意をこめて仏法の正義を語る行動が、どれほど尊い振る舞いであるか。社会への偉大な貢献となるか。
信心に、絶対に無駄はない。広宣流布のための苦労は、自身の生命の大勲章となって輝く。
(本紙2007年8月30日付、北海道・東北・中部・北陸・信越合同研修会でのスピーチ)
〈あきらめずに、何度でも!〉
行動を起こしたら続けることだ。何度でも繰り返し、あきらめず徹して挑み抜いていくことだ。歴史上、この単純にして確固たる信念を持たずに、偉大な事業が成されたことは何一つとしてないだろう。
戸田先生は会長就任式で、「広宣流布」という民衆平和の大事業の遂行を、大空に翻る大旗のように明確に掲げられた。
すなわち、広宣流布は「一対一の膝づめの対話」で成し遂げられると訴えられたのである。どこまでも目の前の一人と向き合い、誠実な、親身な、粘り強い対話を積み重ねていくことだ。
「続ける、繰り返す」——そこに広宣流布の王道もある。
(『随筆 平和への大道』)