2020年11月11日水曜日

2020.11.10 わが友に贈る

薄暗い夕暮れ時や
夜間の交通事故に注意!
"ながら運転"の禁止や
早めのライト点灯など
安全への基本を怠らず。

日女御前御返事 P1249
『宝塔品の御時は多宝如来釈迦如来十方の諸仏一切の菩薩あつまらせ給いぬ、此の宝塔品はいづれのところにか只今ましますらんとかんがへ候へば、日女御前の御胸の間八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候』

【通解】
宝塔品の儀式には多宝如来・釈迦如来・十方の諸仏・一切の菩薩が集まったのである。その宝塔品が今、どこにあるかと考えてみるとそれは日女御前の胸中・八葉の心蓮華の中にこそあると日蓮はみるのである。

名字の言 「訪問激励」が教えてくれること 2020年11月10日
地域の友の訪問激励へ。よく知っているつもりの相手でも、じっくり対話すると、知らなかった面を教えられることが多い▼「楽天さん!」と皆から親しまれている、明るく快活な壮年を訪ねた時のこと。「実はね……」と体験を語ってくれた。昔、幼い娘を交通事故で失った。職場のリストラも経験した。幾つもの試練を乗り越えてきたゆえの"明るさ""快活さ"だったのだ▼脳出血の後遺症で車いす生活を送る壮年のお宅へも。すると、「病気になったおかげで"本当の病"に気付くことができた」と。親の代からの資産家で、かつては悠々自適の生活だった。地区の友が学会活動に誘っても、「もっと稼いでから来い」と悪態をつく始末▼毎晩のように遊び歩いた。そして、倒れた。その時、真っ先に駆け付け、親身に励ましてくれたのは、地区の友だった。初めて分かった。人の痛みが。同志の真心が。「自分の慢心とおごりこそが"本当の病"だったんです。この信心で、人に感謝し、尊敬できる自分になれました」。赤裸々な体験と含蓄ある言葉に感動した▼広布の最前線は、心の財を積める出会いにあふれている。徹底して"一人"のもとへ。誠実に、友の声に耳を傾けたい。語り合い、励まし合い、心を結び合いたい。(実)

寸鉄 2020年11月10日
差異超えて友情結ぶ学会と進みたい—識者。勇み対話へ!分断時代を変革
静岡県太陽の日。混迷の今こそ正義の同志が輝く時。励ましの光を社会へ
共戦の香川が「県の日」。我らは永遠に師と共に!新たな拡大史をここから
運命はおのが手で切り開くべきもの—文豪。宿命転換の仏法。強き一念で
就寝前に携帯に熱中する人、20代の4割超。安眠の妨げに。自分で規則決め

☆心に御書を 第85回 信仰の喜びを語りゆけ
<御文>
『経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く声仏事を為す之を名けて経と為すと』(御義口伝、708ページ)

<通解>
(南無妙法蓮華経の)経とは一切衆生の言語音声をいうのである。章安大師の釈には「声が仏の働きをする。これを名づけて経という」とある。

◇池田先生が贈る指針
声は力だ。声で仏の仕事ができる。若き地涌の丈夫が語れば、希望が生まれ勇気が漲る。仏縁が結ばれ連帯が広がる。
特に体験談ほど胸を打つ響きはない。話が上手でなくても、誠実に語る信仰の喜びは友の仏界の生命に届くのだ。
わが男子部よ、確信の声で"未来までの勝利の物語"を自他共に創り、伝えゆけ!

☆11月度座談会拝読御書 異体同心事
◇拝読御文
『日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし、譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ、此の一門も又かくのごとし』(御書全集1463ページ5行目〜7行目、編年体御書792ページ5行目〜7行目)

◇[池田先生の指針から] 妙法こそすべてを結ぶ善の原理
大聖人は本抄で、妙法の力を現して悪と戦い、前進する大聖人の一門を「一善」と表現されています。
妙法こそ、すべてを結びつけて、いかなる悪をも滅していける「唯一の善の原理」だからです。
「分断は悪」「結合は善」です。
仏界の生命は、すべてのものが互いに結びつく宇宙の実相を悟った智慧で、現実を生きていく生命です。
仏とは、分断の悪にあえぐ人間たちが織り成す現実の中で、人間と人間を結びつけ、安国の理想実現に尽力しつつ、全人類の平和を目指していく価値創造の生命に他ならない。
ゆえに「悪は多けれども一善にかつ事なし」と仰せです。
善の太陽が昇れば、いかに深い悪の闇も、直ちに、そして必ず滅します。
「一善」とは、大聖人の一門のことです。
それは、大聖人の一門にこそ、障魔との戦いを恐れず、妙法という根本の善を弘通しぬく戦いに徹する決意と実践があるからです。
私たちは、法華経の理想を実現する広宣流布の戦いに生きています。
誰にどう批判されようと、「民衆の力」を解放し、「民衆の時代」を築くために、汗を流し、足を鉄板のようにして歩き、岩盤に爪を立てる思いで戦ってきたのは、創価学会だけです。その事実があるからこそ、世界からの賞讃が絶えないのです。
一面から言えば、私たちが築いてきた「異体同心」の哲学と実践は、今、世界で注目される段階になったともいえます。(中略)
「善」と「善」の連帯を築き上げていく、私たちの「異体同心」の実践を、世界が待望しています。どこまでも、威風堂々と前進し、勝利の歴史を築いていきましょう。(『希望の経典「御書」に学ぶ』第3巻)

◇一人一人が輝く麗しい団結を 尊い仏子を敬う
日蓮大聖人が広宣流布実現の最大の力として示されたのが、「異体同心の団結」です。
「異体」とは、それぞれの個性や特質が異なっていることです。
「同心」とは、志や目的を同じくすることです。
大聖人の仏法を実践する私たちにとって「異体同心」とは、互いの違いを認め合い、尊重し合いながら、広宣流布という大目的に向かって心を合わせることといえます。
一般的に団結とは、共通の目標を達成するための「手段」と考えられます。しかし、創価の「異体同心の団結」は、自他共の幸福を築く麗しい連帯であり、それ自体が広宣流布の「目標」ともいえます。
「団結しよう」と言うだけで、容易に団結することはできません。だからこそ、大切な広布の組織を守り、絆を結ぶ努力が欠かせません。
大聖人は、「法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり」(御書1382ページ)と仰せです。妙法を持つ同志は、皆が尊い仏子です。互いに尊敬し励まし合いながら、広布に前進することで、麗しい団結が築かれていくのです。
戸田先生は「異体同心の心は、信ずる心です。信仰が同じという意味です」と述べています。
つまり、単に仲が良いといった次元にとどまらず、お互いが妙法を根本とした不退の信心を持つことが、信心の団結においては重要なのです。
コロナ禍で生活様式が大きく変わろうとする今、一人一人の幸福を願う発露から、創意工夫を重ねて行学の実践に励む学会員の信心によってこそ、異体同心の団結が築かれるのです。

◇広布に心を定め
「異体同心」の反対が、「体同異心」です。
大聖人は、命に及ぶ迫害を何度も受けられ、その弾圧は門下にも及びました。迫害する者たちは「反大聖人」という点で結託しているように見えて、利害も思惑もバラバラの「体同異心」でした。
これに対し、少数であっても信心の団結があれば、「大事を成じて」「一定法華経ひろまりなん」と、打ち勝つことができると仰せです。
すなわち、広宣流布の伸展を決定づけるのは、人数の多少ではなく、広布に心を定め、心を一つにできるかどうかです。一人一人の持てる力が足し算ではなく、あたかも掛け合わされるように発揮されることで、前進の力は何倍にも増します。
その上で心すべきは、広宣流布は仏と魔との闘争であるということです。広布を阻もうとする魔の働きは、人々の心を分断させます。
だからこそ、「悪は多けれども一善にかつ事なし」との仰せを心肝に染めていくことが大切です。異体同心の仲良き団結で広布にまい進する限り、あらゆる障魔を打ち破り、必ず勝ち越えていけることを約束されています。
「一善」の勢力こそ大聖人一門であり、現代においては創価学会です。わが地域に善の連帯を広げ、学会創立90周年の「11・18」を晴れやかに迎えていきましょう。