若き日の「誓い」は
一生涯の羅針盤となる。
今日という一日を原点に
新時代の師弟共戦の旅へ
勇敢に出発しよう!
御義口伝巻下 P781
『法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり』
【通解】
法華経を受持する所を「当詣道場」というのである。この娑婆世界を去って、極楽浄土等の他の国土へ行くことではない。
名字の言 松本清張氏が語った"作家の条件" 2020年9月27日
作家の松本清張氏が、取材で海外を訪れた時のこと。途中、目的地への飛行機が飛ばず、連日にわたって足止めされた▼ホテルで待機の日が続く。抱える連載が数本あるが、手元には原稿用紙がない。同行の編集者が機転を利かせ、ホテルに備え付けのレター用紙にマス目を引き、手作りの原稿用紙が完成した▼その束を手に松本氏の部屋へ。すると氏が振り返り、「きみ、作家の条件って、なんだと思う?」と。編集者の「才能でしょう」との答えに氏は言った。「ちがう。原稿用紙を置いた机の前に、どれくらい長くすわっていられるかというその忍耐力さ」。翌日も翌々日も、氏は部屋にこもり、じっと机に向かっていたという(『松本清張の世界』文春文庫)▼人生は予期せぬ出来事の連続ともいえる。苦境の打開に奔走していても、その場で足踏みをしているような、焦燥感に駆られることもある。しかし、どんな長編小説も一枚一枚の原稿の積み重ねであるように、挑戦の一歩一歩が、未来を着実に開いていく▼御聖訓に「未来までの・ものがたりなに事か・これにすぎ候べき」(御書1086ページ)と。悩みや苦しみにも、"負けない"と歯を食いしばって前進する"わが勝利の物語"の一ページを、きょうもつづり残したい。(価)
寸鉄 2020年9月27日
きょう世界青年部総会。広布の息吹をわが地域の後継にも!最後まで応援
苦しい事があっても明朗であれ—戸田先生。強き楽観主義に勝利の突破口
熊本女性の日。婦女一体で励ましの連帯を拡大!火の国の同志は不撓不屈
流感患者は昨年の千分の一。対策が奏功とも。引き続きマスク着用、手洗い
強盗被害急増。点検・宅配等装い家に侵入と。ドアチェーン活用等、隙なく
〈社説〉 2020・9・27 あす「世界聖教会館」訪問1周年
希望と勇気を 読者のもとへ!
昨年の9月28日、池田先生ご夫妻が竣工間もない世界聖教会館を初訪問した。あすは、訪問から1周年の佳節となる。
また同日は、1970年(昭和45年)に、かつての聖教新聞本社屋が落成した日でもある。約50年の歳月を経て結ばれた"二つの9月28日"について池田先生は、随筆の中でつづった。
「半世紀を経た今、再び新たな人間革命の心で、新たな前進の『希望』と新たな前進の『勇気』を送っていきたい」
続く11月12日には「聖教電子版」がスタート。世界同時進行の広布伸展を伝える体制が整った。そして11月18日に合わせ、世界聖教会館が開館したのである。
この時は、新型コロナウイルスの世界的大流行など思いも寄らなかった。もしも世界聖教会館の完成が数カ月でもずれていたら、本社の移転作業等もままならなかった。全国、全世界の同志の深い祈りに包まれて、聖教新聞は、コロナ禍との闘いに挑むことができたのである。
日蓮大聖人は「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(御書31ページ)と、社会の繁栄、平和への貢献が仏法者の使命であることを叫ばれた。
また「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(同1598ページ)と仰せの通り、仏法は、「人のため」に行動する時、自分自身の生命の泉も蘇生していくことを教えている。
感染症の拡大によって、あらゆることが分断の危機にさらされた。その中にあって、利己主義を乗り越え、「利他の精神」で支え合っていくための哲学と実践を、聖教新聞は日々、発信してきた。
とりわけ、青年部の代表と医学者とのオンライン会議の模様を紹介した記事や、識者のインタビュー、体験記事を通して、試練を生き抜くための視点を提供する企画「危機の時代を生きる」は、読者から好評を得た。「世界の友は今」と題した連載は、コロナ禍と闘いつつ、粘り強く広布の歩みを進める海外メンバーの姿を克明に伝えてきた。
この間、未曽有の苦難にも耐え、朗らかに配達を続けてくださった「無冠の友」の皆さま、さらに通信員、新聞長をはじめ、本紙を支える関係者の皆さまに心からの敬意と感謝をささげたい。
50年前の「9・28」の歴史に言及した小説『新・人間革命』第14巻「大河」の章で先生は、"私も、皆の先頭に立って戦おう。広宣流布という言論戦の砦たる聖教新聞に、生涯、一通信員、一記者のつもりで、原稿を書いて書いて、書きまくろう"と万感の思いをしたためた。
今なお変わらぬ師の決意と行動に学び、新たな希望と勇気を届ける紙面作りに全力で取り組んでまいりたい。
☆3代会長就任60周年記念 広布史アルバム 第3回 昭和35年5月
◇私は進む! 私は戦う!
全生命
賭して 指揮執る
時 来り
広宣流布の
陣頭 我なり
〈1960年(昭和35年)5月3日、第3代会長就任のその日、池田先生は詠んだ。
この歌の決意のままに、先生は就任5日後の5月8日に関西総支部幹部会に出席したのをはじめ、旭日の勢いで各地を回り、同年末までに全方面を訪れている。
先生は行く先々で、メンバーの輪の中に飛び込んだ。
どこまでも会員を大切に——その行動は、就任当初から一貫して変わらない。
池田先生は、会長就任50年となる2010年のスピーチでこう振り返った〉
50年前の昭和35年5月6日。第3代会長に就任して、初めて関西へ向かう前、私は日記に書いた。
「一人ひとりに、親しく接しよう。一人ひとりと語り、論じ、そして、生涯、苦楽を共にしてもらおう。これが私の信条だ。
私は進む。私は戦う。私は苦しむ。
如来の使い、大衆の味方の誉れ高き、無冠の勇者として」
愛する同志を仏のごとく大切にし、自分が犠牲となって苦しんでいく。この一念で戦い続けたゆえに、この50年の、奇跡の大発展がある。
学会は、庶民の王者の集まりだ。
広布へ戦う人こそが最も偉大である。
その人を「軽んじてはならない」「蔑んではならない」と、大聖人は厳命された(御書342ページ、趣意)。
誰に対しても、恐れる必要などない。皆、同じ人間である。我らは胸を張って正義を叫び、新しい時代を開きたい。
「この旗は、折伏の旗印です」「しっかり戦ってください!」——関西総支部幹部会の席上、真剣なまなざしで支部旗を授与する池田先生(1960年〈昭和35年〉5月8日、大阪府立体育会館で)。会長就任後、初の地方指導は、同志と苦楽を共にした関西からスタートした。教学の研鑽などに力を入れ、幸福の連帯で人材の大城を築いていこうと訴えた。
鶴見・京浜・横浜の3支部合同幹部会(同年5月17日、神奈川・川崎市内で)。鶴見方面は、恩師の事業が最も苦境にあった時期に、池田先生が奮闘した地。先生は当時を述懐しつつ、苦難の時に信心を貫く重要性を強調し、師子王の心で前進しようと呼び掛けた。
北海道総支部幹部会終了後、会場に入れなかった同志を激励(同年5月22日、札幌市内で)。幹部会では、「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(御書1132ページ)の御文を拝し、強い信心で題目を唱え切って宿命転換をと望んだ。