人を育てるには
「活躍の場をつくる」
「成長を祈り支える」
「皆で奮闘を称える」
一人一人が輝く舞台に!
四条金吾釈迦仏供養事 P1147
『殿は日蓮が功徳をたすけたる人なり悪人にやぶらるる事かたし、もしやの事あらば先生に法華経の行者をあだみたりけるが今生にむくふなるべし』
【通解】
あなたは日蓮が妙法を流布する功徳を助けた人であるから、悪人に害されることはまずないだろう。
もしこのようなことがあるならば、それは過去世に法華経の行者を憎んだ罪が今生の報いとして出ているのである。
名字の言 東日本大震災から9年半。福島の婦人部員の挑戦 2020年9月15日
災害に遭った子どもたちに、学習と体験活動の場を提供する放課後施設「コラボ・スクール」。東日本大震災を機に設立を構想した社会起業家の今村久美さんには当初、迷いがあったという。前例がない上、東京のヨソモノが考えたエゴなのではないか、と▼背中を押したのは現地の人の言葉だった。「あなたが信じることが、この先の正解にきっとなるから」と(『3.11を心に刻んで2020』岩波ブックレット)。同スクールは今、地域の8割の小中学生が利用する▼東日本大震災の折、福島の婦人部員は避難所で、発達障がい児がいる親戚家族と一緒になった。大声を発する子どもに、怒鳴りつける大人もいた。親戚家族は車中泊を強いられ、避難所を転々とした▼障がいに対する無理解に、親戚家族は孤独感を募らせた。婦人はこうした避難所生活の体験を紙芝居にまとめ、上演してきた。その反響は大きく、全国から上演の依頼が。コロナ禍の中断を経て、来月から活動を再開する。「誰もが"避難者"になり得る今の時代だからこそ伝えたい」▼「3・11」から9年半。一人一人が"正解の見えない問題"と向き合い、手探りで歩んできた。悩み苦しみながら、"負げでたまっか"と挑戦を重ねた日々は、きっと"未来を照らす光"になる。(閃)
寸鉄 2020年9月15日
「汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る」御書。求道の同志と共に挑戦の道を
「ドクター部の日」45周年慈悲の名医ありて庶民は安心。献身に皆で最敬礼
東北婦人部の日。試練の時こそ周囲に励ましを。福光の太陽は団結固く!
ウイルスを持ち込まない—家庭内感染防ぐ基本。帰宅したら"まず手洗い"
交通事故は薄暮時間帯に突出。早めの点灯、反射材の活用を。心に深き用心
〈社説〉 2020・9・13 15日は「ドクター部の日」
◇社会を照らす慈悲の体現者
「ウイルスが嫌うのは『人のやさしさ』」——政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会のメンバーで川崎市健康安全研究所の岡部信彦所長は、Webサイト「感染症・予防接種ナビ」で、こうコメントしている。氏は本紙インタビュー(8月29、30日付)にも登場した。
マスクの着用、フィジカルディスタンス(身体的距離)の確保、手洗い励行など感染症対策の根幹には、自身はもとより他人を感染させないという「利他の視点」がある。また、感染者らへの偏見、差別といった「心の感染」の深刻化を防ぐためにも、この視点は極めて重要だ。文部科学省は先月25日に、子どもや教職員、地域住民等を対象にした緊急のメッセージを発表。児童・生徒や学生に送られたものには、「思いやり」「励まし」「温かく」などの文言が記載されている。
"心身ともに有効なウイルス対策"の前提には、人間性を代表する資質ともいえる「優しさ」が欠かせない。
「ドクター部の日」の淵源となった1975年(昭和50年)9月15日の同部の総会で、池田大作先生は語った。
「他人の懊悩、苦しみを分かちもち、共に歩み、その苦を解決してこそ、初めて、本当の意味で、他を思いやったことになるといえます」「泥まみれの実践と、あふれる正義感、エネルギーに満ちあふれた生命であってこそ、初めて『優しさ』を、現実のものとすることができるといってよい」
今、この師の言葉のままに、ドクター部の友は、慈悲の精神の体現者として社会をリードする。
ある青年医師は、感染症患者の治療に従事。朝は歩いて来院した軽症者が、昼には酸素吸入、夜には人工呼吸器が必要になるほど重症化する事例を目の当たりにした。創価青年医学者会議のメンバーでもある彼は、"救えるはずの命が救えない"ような事態は絶対に避けなくてはならないとの思いから、軽症・無症状者が療養するホテルへ、重症化の目安が分かるパルスオキシメーター(動脈血中酸素飽和度測定器)の配備の必要性を強く訴えた。結果、この声に公明党が迅速に動き、訴えから4日後には、厚生労働省が宿泊施設に適切な数を備え付けることを表明。これを受け、各自治体も積極的に配備に動きだした。7月24日付の読売新聞では、「装着させる自治体が増えている」と報じられた。
人々の生命と健康を守るため、困難の壁にも慈悲の心で立ち向かうドクター部の友。強き使命感を胸に、医療現場で日々、尊い尽力を重ねる"戦うドクター部"に、心からの感謝とエールを送り、友の無事・健勝を祈りたい。
☆心に御書を 第71回 恩師の遺訓を時代精神に
〈御文〉
『世の人疑い有らば委細の事は弟子に之を問え』(顕仏未来記、509ページ)
〈通解〉
世間の人よ、私の言葉に疑いがあるならば、詳しいことは私の弟子に聞きなさい。
〈池田先生が贈る指針〉
御本仏は佐渡流罪の只中、「仏法西還・一閻浮提広布」「立正安国」を弟子に託された。この御遺命を現代において実現してきたのが、創価の師弟である。
恩師は世界の民衆の生存の権利を脅かす魔性に挑み、核兵器廃絶を青年への遺訓とされた。生命尊厳の思想を時代精神とし、平和の大連帯で不屈の挑戦を限りなく!
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 可延定業書 2020年9月12日
◇行学に励む宝の日々を
今月は、「可延定業書」を学びます。
池田先生は、本抄を拝してつづられました。
「生命はそれ自体、限りなく尊い。一日でも生きるならば、その一日というのは、譬えて言えば『千万両の金』『三千界の財』以上に、尊い価値を持つ。一日生きれば無量の価値がある。(中略)生命の尊厳を知ることこそが、仏法の真髄なのです。ゆえに法華経を信ずる人は、尊厳なる生命を一日でも長く生き抜いていくことです」
日蓮大聖人が病と闘う門下に示された信心の要諦を学び、師と共に、輝く「生命の世紀」を前進していきましょう!(拝読範囲は本抄全編です)
◇本抄について
本抄は、下総国葛飾郡若宮(現在の千葉県市川市)に住む富木常忍の妻・富木尼御前に送られたお手紙です。
富木尼御前は、日蓮大聖人の門下の中心的な存在であった夫を懸命に支え、自らの病とも闘っていました。
本抄で大聖人は、妙法によって病を癒やし、寿命をも延ばすことができると示し、御自身の母の体験を通して尼御前を励まされます。
さらに、医術に優れた四条金吾の治療を受けるよう勧められるとともに、広布のために生き抜く一日の功徳は計り知れないことを述べ、最後に尼御前の回復を祈念することを約束して本抄を結ばれます。
◇御文
『一日の命は三千界の財にもすぎて候なり先ず御志をみみへさせ給うべし、法華経の第七の巻に三千大千世界の財を供養するよりも手の一指を焼きて仏・法華経に供養せよと・とかれて候はこれなり、命は三千にもすぎて候・而も齢もいまだ・たけさせ給はず、而して法華経にあわせ給いぬ一日もいきてをはせば功徳つもるべし、あらをしの命や・をしの命や』(御書986ページ11行目〜14行目)
◇通解
一日の命はこの宇宙すべての財にもまさっているのです。まず、志を身で示していきなさい。法華経の第七の巻に「この宇宙すべての財を供養するよりも、手の指一本を焼いて、仏、法華経に供養しなさい」と、説かれているのは、このことです。命は全宇宙にも超えて素晴らしいのです。
しかも、尼御前は、お年もまだそれほどとってはいらっしゃいません。そのうえ、法華経に巡り合われました。一日でも長く生きていらっしゃれば、それだけ功徳も積もるでしょう。ああ、惜しく、大切な命です。
◇[解説]病と闘う門下への励まし
日蓮大聖人は本抄で、病と闘う富木尼御前に渾身の励ましを送られています。
題号にある「定業」の「業」とは、身や心や口(言葉)による行いのことです。それらが原因となり、未来にさまざまな報いが結果として現れます。そして「定業」とは、報いの内容や現れる時期が決まっていて、通常はその報いを受けることが避けられない業であり、本抄では特に「寿命」の意味で用いられています。
大聖人はまず、妙法の功力は寿命をも延ばすことができると示され、御自身が病気平癒を祈られた母が、寿命を4年延ばしたことを通して、"今こそ法華経の信心を奮い起こしなさい"と尼御前を励まされます。さらに、医術に優れた四条金吾の治療を受けるよう勧められました。
本抄では「命というものは、この身の中で一番尊い宝です」(御書986ページ、通解)、「一日の命は、この宇宙の全ての財にもまさっているのです」(同ページ、通解)、「命は全宇宙にも超えて素晴らしいのです」(同ページ、通解)と、幾度も「生命の尊さ」を教えられています。
尼御前は当時、重い症状の病気を患っていたようです。ともすると、"この病はもう治らないのではないか"と弱気になっていたかもしれません。
妙法は、生命の「生き抜く力」「治す力」を引き出す大良薬です。しかし、その力を引き出すのは、自らの「病魔と闘う心」であり、「生命力」です。大聖人が幾度も生命の尊さを強調されたのは、尼御前に病と闘う勇気を湧きたたせ、"生き抜く意志"を呼び起こされるためと拝されます。
そして掲げた御文では、身をもって法華経に供養することは、全宇宙の財を供養するよりも尊いことであると教えられています。
ゆえに、仏法を持つ尼御前は、"一日また一日と生き抜く中で、計り知れない功徳を積んでいる"——大聖人はこう述べられて、尼御前の生命が何よりも尊い宝であることを示し、心から励まされました。
"身をもって法華経に供養する"とは、私たちの実践で言えば、題目を唱えること、仏法を語ること、同志に尽くすことなどに当たります。広布に生きる私たちは、一日一日の中で、計り知れない福徳を積んでいるのです。
「生命尊厳」の哲理を掲げ、行学に励む宝の日々を前進し、希望と幸福のスクラムを広げていきましょう。
★池田先生の講義から
「病魔」「死魔」を打ち破る根本の力が、妙法です。
「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」(御書1124ページ)です。大事なのは、「戦う心」と「最高の治療」、そして「生命力」です。なかんずく、心を強めるのも、最高の治療を生かしていくのも、生命力をわきたたせるのも、唱題が根幹です。(中略)
題目を唱え、広宣流布に邁進する「一日」が、どれほど尊いか。
師と心をあわせ、創価学会とともに、妙法の永遠の楽土を築きゆく「一日」が、どれほど素晴らしいか。(『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻)
◇ ◆ ◇
21世紀を「生命の世紀」に! そして「健康の世紀」「長寿の世紀」に!
その模範と輝く創価の「宝の中の宝」の同志が、かけがえのない「一日」「一日」を見事に生き抜き、勝ち抜いて、無量無辺の価値を創造していかれますように!
それが、私と妻の毎日の、そして生涯、永遠にわたる、全生命を込めての祈りなのです。(同)
研さんのために
○…『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻(聖教新聞社)
〇…『創価学会永遠の五指針』(同)