いよいよの信心こそ
学会精神の真髄だ。
「さあ今日から!」
「自分の殻を破ろう!」
その一念が勝利を開く。
兄弟抄 P1088
『始は信じてありしかども世間のをそろしさにすつる人人かずをしらず』
【通解】
はじめは信じていたのに、世間の迫害が恐ろしくて、信心を捨てた人は数知れない。
名字の言 陰で尽くす人に心からの感謝を 2020年9月25日
日蓮大聖人が門下にしたためられた手紙は、御供養に対する礼状が多い。手紙の冒頭で、寄せられた御供養の品々を列記されては門下に感謝し、その純粋な志のまま、信心を貫くよう励まされている▼同志と御書を研さんした時のこと。便利な流通手段のない鎌倉時代に、幾度も御供養を届けた門下の真心と、実際に運んだ使いの者に話題が及んだ。その際、新入会の壮年が一言。「使者たちも、それはそれは素晴らしい仕事をしましたね」。その場の皆が"確かにその通りだ"とうなずいた▼以前、遠い離島に住む婦人の読者からはがきを頂いた。そこには紙面の感想のほか、病に負けない自身の決意がつづられていた。"元気になってほしい"と思いつつ、返信した▼しばらくして、再び便りが来た。今は病を完治させ、はつらつと島の広布に走っているとのこと。思えば、はるかな地に暮らす同志と、書面で心通わせることができたのも、郵便に携わる多くの存在があったからだ▼誰かのおかげで成り立つ物事を、"当たり前"と思ってしまえば、陰で尽くしてくれた人の存在を察知することはできない。たとえ直接会わなくても、そうした人たちへの感謝を忘れないために、"心のサーチライト"を磨き続ける日々でありたい。(白)
寸鉄 2020年9月25日
青年部総会へ世界の友が総力。歴史的集いへ、皆で最後まで激励の声掛けを
「今既に時来れり」御書。後継よ力強く走り抜け!時を逃さぬ人こそ勝利者
「声は第二の顔」作家。相手を思う真剣な言葉は必ず心に届く。祈り込め
寒暖差激しく。体調管理の鍵は賢い食事・睡眠。手洗い・嗽も緩みなく。
在宅確認する電話の後で家に押し掛ける「アポ電」強盗多発。共に厳重警戒
〈社説〉 2020・9・25 恩師の「青年訓」から69年
◇師弟一体の闘争で勝利劇を!
世界青年部総会まで、あと2日。世界の青年が今、"広布の誓火"を赤々と燃やしながら、各地で対話と結集に奔走している。オンライン空間で、世界の友が一堂に会する歴史的な集い。一人でも多くの青年部・未来部の友と、広布後継の誓いの出発を切る総会としたい。
「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」
この鮮烈な一節から始まる「青年訓」を戸田先生が執筆したのは、69年前の1951年(昭和26年)9月28日。「青年訓」は、2カ月前に結成されたばかりの男女青年部、なかんずく班長に贈られた。その一人が、若き池田先生だった。
先生はかつて、随筆に当時の真情をつづっている。
"広布の主体者は我なり。この「青年訓」は自分にいただいた指針だ!"
"戸田先生からお預かりした、わが班員を、自分以上の人材に成長させよう! 池田班を、2倍、3倍、10倍と拡大していくのだ!"
先生は当時、戸田先生が顧問を務める会社で営業部長の重責を担っていた。帰宅は連日、深夜。微熱にさいなまれ、体調は芳しくない日々だった。会合に出られない日が続くと、「池田は退転だよ!」と言い放つ幹部までいた。
しかし、池田班長の広布の大情熱が、決して消えることはなかった。
"どんなに苦しくとも、つらくとも、必ず勝ってみせる!"——常にはがきと便箋を持ち歩き、寸暇を惜しんで友への激励のペンを走らせた。祈りで智慧を湧かせ、工夫を重ねながら、個人指導や折伏に走り抜いた。
部員10人で出発した池田班は、半年で3倍以上に拡大。22ある班の中、全男子部員の約1割を占める大班に発展した。
その原動力は、何であったか。
池田先生は述懐している。「私にとっては、師弟一体で戦うことが、師の『青年訓』を身で読むことであった」と。
「師弟一体の闘争」——ここにこそ、青年の熱と力を呼び起こす源泉がある。師との誓いを、断じて果たさずにはおかないという真剣勝負の闘争の中で、無限の力と智慧が開花するのだ。
「青年訓」に、広宣流布の運動は「衆生を愛さなくてはならぬ戦い」「仏の慈悲の境地を会得する、人間革命の戦い」ともつづられている。
一人を大切にし、苦悩を分かち合い、次々と広布への誓いの火をともしゆく挑戦は、全て自身の人間革命と、未来の飛躍への糧となる。
若き池田先生の闘争に学び、徹底して友に励ましを送りゆこう。青年が一人立つ時、新たな勝利の劇が始まる。
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 生死と向き合う 挑み、勝つことが人生 2020年9月15日
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導選集『幸福と平和を創る智慧』(以下、「指導選集」)の指導を掲載する。今回は「生死と向き合う」をテーマに、神奈川県の壮年に話を聞いた。
◇御文
『今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』(御義口伝、750ページ)
◇通解
いま日蓮と門下が妙法蓮華経を修行するのに、難が襲ってくることをもって、安楽であると心得るべきである。
◇2人の幼子を遺して
17年前の1月、新保貴史さん(58)=栄区総合長=の妻・美香さんは、霊山へ旅立った。その1年後、池田先生から激励の和歌が届いた。
「荒れ狂う/怒涛に挑みて/偉大なる/我らの勝利は/晴れ晴れ来たらむ」
◇
美香さんが「乳がん」を宣告されたのは、2人目の娘が生まれて1年後のことだった。
「妻は当時34歳。娘は3歳と1歳で、子育ても人生もこれからという時。あまりの現実に、がくぜんとしました。ともかく絶対に病魔を打ち破ってみせると、夫婦で祈りました」
やがて、手術で腫瘍を摘出することができ、平穏な日常を取り戻した。ところが手術から3年後、がんが再発した。
「腫瘍は、どんどん転移していって。それでも妻は常に前向きでしたが、病気の進行とともに出歩くことも難しくなっていきました」
"自分が強くならなくては"。新保さんは懸命に御本尊に向かい続けた。
再発から3年が過ぎた2003年1月22日、美香さんはとうとう集中治療室へ。
付き添った新保さんは、病室で横たわる美香さんと一緒に題目を唱えた。美香さんの声が途切れた後も、新保さんは祈り続けた。必ずよくなる。そう信じて。
翌23日の明け方、そのまま美香さんは眠るように息を引き取った。1週間前に40歳の誕生日を祝ったばかりだった。
帰りの車中、心が乱れ、涙があふれた。
帰宅した新保さんは、小学生の2人の娘に、しぼり出すように言った。「お母さん、亡くなったよ」。大声で泣きだした娘たちをぎゅっと抱き締め、一緒に泣いた。
葬儀を終えると、日常に戻された。
"自分一人で、2人の娘を育て上げることができるのか"との不安が込み上げた。
光明を見いだそうと御書をひもとく中、胸に突き刺さったのが、「難来るを以て安楽と意得可きなり」(御書750ページ)との一節だったという。
「"いつまでも悲しみに浸っているわけにはいかない。負けるものか"って、御文を命の中に入れました。祈って目の前の"怒涛"に挑んでいく。もうこれしかなかったですから」
仕事、子育て、学会活動……現実は格闘の連続だった。そんな中、池田先生から激励の和歌が届く。弟子を思う師の慈愛。新保さんは目頭を拭った。ふつふつと勇気が湧いた。心の中の悲哀を塗りつぶすように、御本尊に向かった。
娘たちには、母親の分まで愛情を注ごう。そう決めて、どんなに忙しくても時間をこじ開け、授業参観などの学校行事には積極的に参加した。何より、同居していた義父母や義姉家族の存在は、大きな支えだった。
思春期の娘たちとの関わり方に、人知れず悩んだこともあったというが、「妻ならどうするかと考えながら、精いっぱい向き合いました」。
そんな新保さんの姿は、娘たちの目にどう映っただろう。
昨春、医学部を卒業し、医師としての一歩を踏み出した長女・香織さん=女子部員。「大変だったはずなのに、私たちにはそんな顔を全く見せず、いつもニコニコしていました。お父さん、すごいなって思います」
次女・美幸さん=女子部本部長=は、「私が悩んだ時、一番の相談相手になってくれるのが父なんです」と明るく笑う。現在、機械装置メーカーで働きながら、母の分までと朗らかに広布に励む。
新保さん自身、学会では常に広布の最前線で奮闘。勤め先の国際輸送業会社では役員を務めるなど、信頼の実証を示す。
「"難こそ安楽"。それだけを信じて前に進んできました。毎日が"怒涛"でした。でも振り返ってみると、全てが祈った通りに開けました。苦闘の日々があったから、今がある。私はこれからも"怒涛"に挑み続けます」
新保さんの2人の娘、香織さんと美幸さんは、よく地域の婦人部員から「昔、あなたたちのお母さんに励まされたのよ」と、母の話を聞くそうだ。
香織さんは話す。
「闘病中も、よく皆を笑わせていたお母さん。誰からも好かれていました」
美幸さんは、「私も母のように、周囲を明るく照らす存在になれたら」と、心情を語る。
心優しく育った2人の娘に、新保さんは思わず、在りし日の美香さんの姿を重ねる。
「妻を亡くした悲しみが癒えることはありません。ですが、そこにとどまってもいません。今こうして私たち家族が笑顔でいる様子を、きっと妻も、笑って見つめてくれているでしょう」
池田先生は語っている。
「仏教の本質は、いたずらな悲観主義、厭世観でもなければ、根拠のない楽天主義でもない。人生の苦を直視し、そこから逃避するのでなく、むしろ徹底的に取り組んだ末に到達した、生の歓喜の思想だといってもよい。
苦しみから逃避して、真実の喜びはない。人が目をそむけ、逃避しようとしている苦しみを如実に知見し、それに勇敢に挑戦し乗り越えてこそ初めて、金剛不壊の、つきることなき歓喜が込み上げてくるのです」
「妙法に結ばれた生命は、生死を超えて、ともどもに、たがいに、励まし合い、護り合い、導き合って、絶対の幸福と勝利の軌道を進んでいくのである。
妙法の世界には悲嘆もなければ、悲観もない。妙法を行ずる家族は、何があっても『常楽我浄』の月光に包まれていく。そして、その足跡が、あとに続く人々に、計り知れない希望と勇気を送っていくのである」(「指導選集」第1部下巻)
家族で挑んだ6年間の闘病生活。そして、心の中の美香さんと歩んできた17年の歳月。それは今、希望へと続く勝利の足跡と輝いている。
[教学コンパス]
身近な人との死別による悲嘆を支える「グリーフケア」への関心が高まっている。「グリーフ」とは、大切な人を喪失した深い悲しみのこと。特に家族を失うつらさは、筆舌に尽くし難い。
上智大学グリーフケア研究所所長の島薗進氏は、「グリーフケアが求められる時代とは、悲嘆を分かち合うことの困難が強く実感される時代でもある」と述べる(『グリーフケアの時代』弘文堂)。社会と個人の多様化が背景にある。
仏法で説く「慈悲」の精神。「慈」は「友愛」を意味するサンスクリット語の「マイトリー」から訳され、「悲」は「悲しみを共にする」ことを指す「カルナー」などから訳される。友の苦悩に同苦し、励まし合っていく。これこそが慈悲の精神であり、真実の友情であると仏法は示す。
試練の渦中にある友に寄り添い、温かな友情を結んでいくことが、今ほど求められている時代はないだろう。"あなたは一人じゃない"——その思いを一人でも多くの人に届ける実践に、慈悲は脈打つ。(優)