2020年9月6日日曜日

2020.09.06 わが友に贈る

御聖訓「百千万億倍・
御用心あるべし」
"自分だけは大丈夫"
との油断を排そう。
互いの声掛けが大事だ。

弥三郎殿御返事 P1451
『但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ是こそ勢多を渡せし所よ名を揚るか名をくだすかなり』

【通解】
ただひとえに思い切りなさい。今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、(弥三郎が)今まで生きながらえてきたのは、このことにあうためなのである。
この戦いこそ宇治川を渡すところであり、この戦いこそ勢多川を渡すところである。名をあげるか名をくだすかの境目である。

名字の言 創価大学文学部の教員が学生に薦める本・映画・音楽 2020年9月6日
この夏、創価大学文学部のウェブサイトでは、教員が学生に薦めたい本や映画、音楽を、短い言葉を添えて紹介してきた。その一覧が示唆に富む▼例えばヘルマン・ヘッセの『知と愛』。「ペストが流行する近世ドイツ。芸術を志す青年ゴルトムントは、愛する人々を喪うなかで『生』の意味を模索する。不安と恐怖にみちた時代に、生きる勇気を与えてくれます」。宮本輝編の『心に残る物語 日本文学秀作選 魂がふるえるとき』は「日本文学の優れた短編が16作品収録されています。『もっといろんな小説を読みたい!』と思わせてくれる名作ぞろいです」▼小説に限らず、漫画や映画の秀作もあれば、冤罪と戦った手記もあり。トルストイもあれば、古今の名曲、名演奏もあり。コロナ禍で時間はあるが、さまざまな悩みが押し寄せ、活字に触れるのもつらい、という人もいる。肩ひじ張らずに手を伸ばせば「文化の窓」は開く——そのことを伝えようと学生に寄り添う知恵が光る▼読書人口の減少がニュースになる一方、"耳で聴く読書"を楽しむ人も増えてきた。「環境」が変わっても、優れた作品に心躍り、心豊かになる「体験」は変わらない▼猛暑をしのげば、"文化の秋"。自他共の成長のために何ができるか、思索を深める好機である。(寅)

寸鉄 2020年9月6日
人生で大事なのは希望だ—戸田先生。立正安国の大理想胸に!共に励まし
白蓮グループが「11・18」へ祝賀期間。さあ今いる場所で!勝利の花と舞え
誠実な友ほど人生の偉大な宝はない—詩人。わが振舞で善友の連帯を拡大
北海道胆振東部地震から2年。越えられぬ難なし。皆様の不屈の前進こそ光
台風10号、暴風や大雨に最大級の警戒を—気象庁避難は早めに。甘く見ず

〈社説〉 2020・9・6 「新・人間革命」完結から2年 
◇"目の前の一人"に励ましの光を
池田先生が法悟空のペンネームでつづった小説『新・人間革命』。今月8日、連載が完結してから2年を刻む。全30巻の同書は、日蓮仏法の人間主義の思想を学ぶ"教科書"でもある。
特に本年、コロナ禍によって皆で集っての会合等が制限される中、『新・人間革命』は同志にとって大切な"希望の光""団結の要"となってきた。
韓国SGIは、同書の研さんを「前進1・2・3励まし運動」の一つの柱として掲げ、前進してきた。イギリスSGIは、"今こそ希望の哲学を深め合う時"と、「立正安国」の章が収録されている第4巻を中心に学習。また、ケニアSGIでは、毎週日曜日に、オンラインなどを活用して学びの輪を広げている。
同書には、「『国益』の追求から『人類益』の追求へ、『分断』から『融合』へ」(第14巻「智勇」の章)、「偏頗な生命観、人間観を排して、生命の尊厳に立ち返れ」(第4巻「立正安国」の章)といった指針をはじめ、コロナ禍で露呈した「利己」や「分断」といった課題を克服する道筋が示されている。
『新・人間革命』が人々の心を揺さぶるのは、そうした思想の根底に、一人を徹底して大切にする"人間主義の温かさ"が流れ通っているからであろう。
介護士として働く東京の男子部員は、山本伸一の「私に代わって、悩める人を、優しく、力強く、励ましていただきたい」(第11巻「開墾」の章)との万感の言葉に触れ、コロナ禍の不安で小さな殻に閉じこもっていた自身を反省。自分ができることを実践しようと、職場・地域で関わる一人一人の悩みに寄り添い、自他共の幸福を祈り続けてきた。
世界的な音楽家のアマラウ・ビエイラ氏は、『新・人間革命』について、池田先生の"目の前の一人を救い切る"思想と行動がつづられている点を指摘。「ますます混迷の度を増す社会の中で、これからも多くの人々に希望の光を送ることでしょう」と述べている。
『新・人間革命』をひもとくことは、わが胸中の師匠と対話することである。小説に込められた精神を継承することは、私たち後継の弟子の使命である。
池田先生は連載完結に当たって、こう寄せた。「小説『新・人間革命』の完結を新しい出発として、創価の同志が『山本伸一』として立ち、友の幸福のために走り、間断なき不屈の行動をもって、自身の輝ける『人間革命』の歴史を綴られんことを、心から念願している」
「9・8」は、弟子が師への誓いを新たに、広布に立ち上がる日である。一人一人が新生の「山本伸一」として、挑戦の一歩を踏み出そう。

☆明日を照らす テーマ:祈りから始める
勝利のために、まず強き祈りから始める。そして粘り強く、忍耐強く、祈り抜き、祈り切る。この常勝の方程式を、深く胸に刻んでいくことである。強き信心の一念と行動で、乗り越えられない山はない——かつて池田先生は語られました。
いまだ明るい兆しの見えない社会にあって、経済苦、病苦など、自身の宿命と向き合っている人もいます。
今回の「明日を照らす」は、「11・18」へ、勢いよくスタートするために「祈りから始める」をテーマに学んでいきましょう。

四条金吾殿御返事
『真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり』(御書1170ページ)

◇満々たる生命力で前進!
【通解】真実に、あらゆる人々の色心の留難をとどめ、打ち勝つ秘術は、ただ南無妙法蓮華経なのである。
     ◇
コロナ禍で、だれもが大なり小なり、悩みや不安を抱えていることでしょう。だからこそ、私たちは、満々たる生命力で、苦難に立ち向かっていくのです。
日蓮大聖人は、色心の留難、つまり物理的・精神的な苦難に立ち向かう生命力の源泉こそ、南無妙法蓮華経であると教えられています。
四条金吾に送られた本抄で大聖人は、「唯南無妙法蓮華経」と、他の戦略などに頼るのではなく、妙法こそが、仏法の秘術であり、それによってしか留難の解決はないと御断言なのです。
金吾への他の御書では、「ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず、賢人・聖人も此の事はのがれず」(1143ページ)と、だれもが苦難を避けられないのであり、苦悩に心がとらわれてしまってはならないと教えられています。
つまり、幸福とは「悩みがなくなる」ことではなく、「悩みに負けない生命力」を持つことにほかならないのです。
また金吾に、「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(同ページ)と、祈りによってこそ、安楽な境涯を開くことができると教えられています。
何かあると、目の前の悩みや不安にとらわれ、解決の方法を考えてしまいがちです。これでは、せっかくの「秘術」も発揮されません。大事なことは、祈りから始め、自身に具わる仏の智慧、慈悲、勇気を湧き出していくことです。
御本尊の前で、祈りからスタートできる——私たちにとって、これ以外の秘術も、喜びもないのです。満々たる生命力で、一切を宿命転換していきましょう。

道妙禅門御書
『祈祷に於ては顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の祈祷有りと雖も只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候』(御書1242ページ)

◇願いは必ず成就する
【通解】祈りとその結果には顕祈顕応、顕祈冥応、冥祈冥応、冥祈顕応の四種があるが、ただ肝心なことは、この法華経の信心をされるならば、現在および未来の所願は満たされるであろうということである。
     ◇
願いは必ず満たされる!
日蓮大聖人の大確信の励ましが、門下の苦悩する胸中に、希望と勇気の太陽を昇らせたことでしょう。お手紙を頂いた道妙禅門は、大聖人に自身の父親の病気平癒をお願いしたようです。冒頭、病気平癒の祈念を約束され、疑うこと無く強盛な信心を貫くよう励まされています。
本抄では、祈りと功徳の現れ方について、「顕祈顕応」「顕祈冥応」「冥祈冥応」「冥祈顕応」の四つがあることを教えられています。「顕祈」とは、具体的な願いを込めた祈り。「冥祈」は、常日頃のたゆまぬ唱題の実践に当たるといえます。
それらの祈りに対して、「顕応」とは具体的に功徳が現れることです。「冥応」とは、気が付かないうちに、自然と生命が浄化され、境涯が深化していくことです。つまり、祈りは、必ず功徳となって現れることを示されているのです。
だからこそ、「只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候」と、信心に励めば、現世と来世の願いが必ず満たされると御断言なのです。
さらに本抄で、法華経の「魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る」「病即消滅して不老不死ならん」の文を引き、これらの金言を疑ってはならないと教えられています。強き祈りは、病を消滅させ、魔民さえも広布の味方へと変えていきます。
さあ、さまざまな苦悩や願いを、"祈る力"に変えて、「所願満足」の人生を力強く歩んでいきましょう。

☆対話のツボ 【問い】祈る時間があるなら、もっと努力した方がいいのでは……。
祈りに対するイメージは、人によってまちまちです。
仕事で成果を上げようとしたり、勉強で結果を出そうとしている人にとってみれば、祈っている時間がもったいないと感じてしまうこともあるでしょう。
ではなぜ、学会の同志は、時間をつくって、真剣に祈るのでしょうか。
その理由は、それが一番、価値的だからです。具体的には、祈ることによって、今まで以上に仕事や勉強への意欲が湧きます。そうすれば、祈る時間を差し引いても、いままで以上の成果が上がっていくことでしょう。また、もう限界だと諦めようとした時に、もう一歩、努力できる力となります。さらに、新たなひらめきがあったり、自分の改善点が見つかることもあります。
日蓮大聖人の仏法は、もちろん"祈っていればなんとかなる"という宗教ではありません。祈りによって、自分に具わる力を最大限に発揮させ、同じ努力であっても、その結果を何倍にもしていくことができるのです。祈りと努力の両輪で、願いに向かって最短距離で進むことができるのです。何より、自分の力を存分に発揮することで、自他共の幸福、平和に貢献していくこともできます。
こうした具体的な変化以上に、祈ることによって生命を清らかに、そして強靱にしていくことができるのです。祈りで生命を強くした人は、いかなる苦難も、楽しんで乗り越えていくことができます。これこそが、祈りの偉大な功徳なのです。