◇今週のことば
地涌の青年の連帯こそ
世界平和の「柱」
生命尊厳の「眼目」
地球民族の「大船」なり。
若き熱と力の大結集を!
2020年9月13日
一谷入道御書 P1326
『此の法門を申し始めしより命をば法華経に奉り名をば十方世界の諸仏の浄土にながすべしと思い儲けしなり』
【通解】
この法門を申し始めてから、命を法華経に差し上げ、名を十方世界の諸仏の住所である浄土に流そうと覚悟していた。
名字の言 木工芸作家「傷を"木の個性"と捉えて」 2020年9月13日
足を踏み入れると、すがすがしい木の匂いに包まれる。創作活動50年となる木工芸作家の個展を訪ねた。歌う女性と音符、勇壮な桜島……。ケヤキやニガキなど、木の特徴を生かした作品群に目を奪われた▼以前は高品質の屋久杉を使用した作品が主だったが、創作を続ける中で、木と向き合う姿勢が変わったという。"材料に頼らず、見向きもされないような木を、この手で蘇生させたい"と▼一般的に亀裂や虫食いの穴がある木は、木工芸では不用とされる。だが作家は「そうした傷を"木の個性"と捉えています」。年2回の個展では、必ず新作を発表する。「素材が備える"個性"を、いかに"魅力"に転換していくか。毎回が自分への挑戦です」▼傷をマイナスと見れば、素材の価値はゼロになる。反対に、傷から"唯一無二の個性"を見いだすことができれば、その素材に新たな可能性が生まれる。物事の価値は捉え方によって大きく異なる。人生に通じる大切な視点だろう▼御聖訓に「苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」(御書1143ページ)と。苦しい時も楽しい時も、成長の好機と捉えて挑戦を重ねたい。その前進が自身の胸中に、どんな銘木にも負けない"信念の大木"を育んでいく。(誼)
寸鉄 2020年9月13日
「信心だけは命を懸けてやって悔いがない」恩師。創立90周年を私の勝利で
青年が夢抱く時、歴史は動く—作家。広布の理想胸に総会へ!あと2週間
東京富士美で日本の美を紹介する新展示。豊かな心育む芸術と対話の秋に
自転車通勤増で問われるマナー。信号停止や車道通行等、車両の意識持ち
孤独な高齢者は死亡率が高い—調査。仲良き絆は宝。我らは声を掛け合い
〈社説〉 2020・9・13 15日は「ドクター部の日」
◇社会を照らす慈悲の体現者
「ウイルスが嫌うのは『人のやさしさ』」——政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会のメンバーで川崎市健康安全研究所の岡部信彦所長は、Webサイト「感染症・予防接種ナビ」で、こうコメントしている。氏は本紙インタビュー(8月29、30日付)にも登場した。
マスクの着用、フィジカルディスタンス(身体的距離)の確保、手洗い励行など感染症対策の根幹には、自身はもとより他人を感染させないという「利他の視点」がある。また、感染者らへの偏見、差別といった「心の感染」の深刻化を防ぐためにも、この視点は極めて重要だ。文部科学省は先月25日に、子どもや教職員、地域住民等を対象にした緊急のメッセージを発表。児童・生徒や学生に送られたものには、「思いやり」「励まし」「温かく」などの文言が記載されている。
"心身ともに有効なウイルス対策"の前提には、人間性を代表する資質ともいえる「優しさ」が欠かせない。
「ドクター部の日」の淵源となった1975年(昭和50年)9月15日の同部の総会で、池田大作先生は語った。
「他人の懊悩、苦しみを分かちもち、共に歩み、その苦を解決してこそ、初めて、本当の意味で、他を思いやったことになるといえます」「泥まみれの実践と、あふれる正義感、エネルギーに満ちあふれた生命であってこそ、初めて『優しさ』を、現実のものとすることができるといってよい」
今、この師の言葉のままに、ドクター部の友は、慈悲の精神の体現者として社会をリードする。
ある青年医師は、感染症患者の治療に従事。朝は歩いて来院した軽症者が、昼には酸素吸入、夜には人工呼吸器が必要になるほど重症化する事例を目の当たりにした。創価青年医学者会議のメンバーでもある彼は、"救えるはずの命が救えない"ような事態は絶対に避けなくてはならないとの思いから、軽症・無症状者が療養するホテルへ、重症化の目安が分かるパルスオキシメーター(動脈血中酸素飽和度測定器)の配備の必要性を強く訴えた。結果、この声に公明党が迅速に動き、訴えから4日後には、厚生労働省が宿泊施設に適切な数を備え付けることを表明。これを受け、各自治体も積極的に配備に動きだした。7月24日付の読売新聞では、「装着させる自治体が増えている」と報じられた。
人々の生命と健康を守るため、困難の壁にも慈悲の心で立ち向かうドクター部の友。強き使命感を胸に、医療現場で日々、尊い尽力を重ねる"戦うドクター部"に、心からの感謝とエールを送り、友の無事・健勝を祈りたい。
☆小説「新・人間革命」学習のために 「中南米」編
◇新しき開拓の朝だ! 中南米のあの地、この地に 人間勝利の栄光の旗を!
小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は「中南米」編を掲載する。次回は「欧州」編を11日付2面に掲載の予定。挿絵は内田健一郎。
◇地涌の菩薩の使命果たす人生を!
<1965年(昭和40年)8月、伸一はメキシコ支部長のラウロ・イワダテと懇談。「メキシコが大好きになった」と語る彼に訴える>
「自分のいるところが好きにならなければ、そこで、使命を果たし抜いていくことはできません。いやだなという思いがあれば、どこかへ行きたい、日本へ帰りたい、という心が働き、すぐに逃げ腰になってしまい、本当の仕事はできないものです。自分が、そこを好きになれる"良さ"を見つけることから、価値の創造は始まっていくといえます。
(中略)戸田先生が夢にまで見られたメキシコを、私は大発展させたいんです。三年後には、オリンピックがありますが、それまでに、盤石な広宣流布の基盤を築きましょう。イワダテさん、時は"今"ですよ。
あなたがメキシコに渡って四十年。それは、なんのための歳月であったか。仏法の眼から見れば、すべて、メキシコの広布に立ち上がる準備期間だったんです。
いよいよ、これからが人生の本舞台です。やりましょう! 戦いましょう! メキシコに真実の幸福の風を起こすために」
イワダテは、頬を紅潮させて頷いた。(中略)
「イワダテさん、人の一生には限りがあります。その限りある人生をなんのために使うかです。自分の小さな幸福を追い求めるのも人生です。しかし、あなたには、メキシコの広宣流布に生き、この国の人びとを幸福にしていく使命がある。御書に照らして考えるならば、あなたは、そのために、地涌の菩薩として出現したんです。どうか、メキシコの民衆の、幸福と平和のパイオニアとして、また、リーダーとして、生涯、広宣流布に生き抜いてください」
(第10巻「幸風」の章、158〜160、163ページ)
◇最も苦労した人が誰よりも幸せに
<74年(同49年)3月、学会への誤解があり、ビザが発行されず、伸一のブラジル訪問は中止となる。翌月、ブラジル理事長の斎木安弘は、アメリカのサンディエゴに滞在中の伸一を訪ね、現地の様子を伝える>
斎木は、喜々として報告した。
「先生のブラジルへのご訪問がなくなったことをメンバーに伝えました時には、皆、悔し涙にむせびました。しかし、『先生がいらっしゃらないからといって、泣いているような弱虫でどうする! 私たちの手で、文化祭を大成功させるのだ。それでこそ真の弟子じゃないか!』と語り合いました。
そして、みんなが"先生、見ていてください"との思いで、懸命に挑戦しました。
文化祭は大成功でした。出席した各界の来賓も、感動し、学会への理解を深めております。また、みんなが、あらゆる機会に、学会の正義と真実を、勇気をもって語り抜いてきました。そうしたなかで、オザスコ市のように、市をあげて先生の平和行動を賞讃するケースも出てまいりました」
伸一は、斎木の顔を見つめて言った。
「みんな、さぞかし悔しかっただろう。辛かっただろう……。しかし、そのなかで立ち上がった。ブラジルはきっと大発展するよ。二十一世紀の"世界広布の雄"となることは間違いない!」
経文には「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231ページ)とある。
今、いかなる決意で、どう行動しているのか——それによって、未来の結果は決定づけられていくのだ。
誰よりも労苦を背負いながら、黙々と広宣流布のために戦う。その人こそ、誰よりも強く、誰よりも幸せになり、誰よりも栄光をつかむのだ。それが、因果の理法である。
(第19巻「陽光」の章、233〜234ページ)
◇知恵と努力で「不屈の勝利王」たれ
<93年(平成5年)2月、伸一はアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで、集った友に語る>
「ひとたび太陽が東天に昇れば、その大光は遍く全世界を照らす。同様に日本に聖誕された大聖人の『太陽の仏法』は、全地球の全民衆を赫々と照らし、妙法の大慈悲の光を注いでいきます。そして、この大聖人の仏法の世界性、普遍性を見事に証明してくださっているのが、アルゼンチンの皆様の活躍です。(中略)
アルゼンチンのことわざに『太陽は皆のために昇る』とあります。
(中略)大聖人は『皆のために』——末法万年のすべての民衆のために、大法を説き残された。信仰しているか、信仰していないかによって、人間を偏狭に差別するものでは決してありません。どうか皆様は、心広々と、太陽のように明るく、アルゼンチンの全国土、全民衆に希望の光彩を送っていただきたい。
(中略)人生は、悩みとの戦いです。大事なことは、自分にのしかかる、さまざまな苦悩や問題を、いかに解決していくかです。『悩み』を越えた向こう側にある『勝利』に向かって、知恵を絞り、努力を重ねることです。もし、こんな悩みがなければ——と現実を離れ、夢を見ているだけの生き方は、敗北です。どうすれば、今の課題を乗り越え、価値と勝利に変えていけるか——常に、その前向きな努力をなす人が『勝つ人』なんです。
自分の一念が、そのまま人生となる——この真理を、見事なる勝利の劇で証明する『名優』であっていただきたい。また、周囲にも『自信』をもたせる『励ましの人』であっていただきたい」
伸一は、アルゼンチンの同志が一人も漏れなく「不屈の勝利王」であってほしかった。
(第30巻<下>「誓願」の章、366〜368ページ)
◇アンデス越えたり 我は勝ちたり
<93年(平成5年)2月、伸一は海外50カ国・地域目となるチリを初訪問。広布旅を振り返る>
思えば、どの国も、一つ、また一つと、全精魂を注いで歴史の扉を開く、真剣勝負の広布旅であった。
戸田城聖は、第二代会長に就任した翌一九五二年(昭和二十七年)の正月、「いざ往かん 月氏の果まで 妙法を 拡むる旅に 心勇みて」と詠んだ。(中略)
しかし、恩師は、一度も海外に出ることはなかった。伸一は、戸田の言葉を遺言として生命に刻み、師に代わって世界を回り、「太陽の仏法」を伝えてきた。
(中略)その海外訪問も、このチリの地で、いよいよ五十番目となるのだ。
彼の脳裏に和歌が浮かんだ。
「荘厳な 金色に包まれ 白雪の アンデス越えたり 我は勝ちたり」(中略)
チリSGI総会で伸一は、チリの各地で活動に励む同志の労苦を思いながら、「逆境に負けずに頑張り抜いてこられた皆様には、アンデスの山並みのごとく、限りなく功徳が積まれていくことは絶対に間違いない」と賞讃した。
さらに、このチリで、海外訪問は五十カ国・地域となったことを伝えた。三十三年前、富士の高嶺を仰ぎつつ、世界平和への旅を開始して以来、五大州を駆け巡ってきた。そして、日本とは地球のほぼ反対側にあり、「チリ富士」といわれるオソルノ山がそびえるチリを訪れたのである。伸一は、烈々たる気迫で呼びかけた。
「戸田先生は、さぞかし喜んでくださっているにちがいない。しかし、いよいよ、これからが本番です。常に皆様を胸中に描き、日々、共に行動している思いで、全世界を、楽しく朗らかに、駆け巡ってまいりたい!」
(第30巻<下>「誓願」の章、382〜383、386ページ)