新たな発展の鍵は
新たな挑戦にある。
「やってみよう!」と
軽やかに一歩を踏み出し
共に未来を開きゆこう!
法蓮抄 P1046
『譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るる』
【通解】
竹の節を一つ破れば、他の節も次々に破れる。
名字の言 文筆家・室生犀星と詩人・萩原朔太郎の友情 2020年9月5日
文筆家の室生犀星は、詩人の萩原朔太郎と親交が深かった。だが両者は、趣味や性格はまるで正反対だった▼文章を巡り、夜通し議論を戦わせたこともあった。時に共感し、時に反発しつつ、互いを高め合った。室生は萩原を評する。「僕という人間を丁寧に考えていて、いつも新しい犀星論をしてくれる」(『新しい詩とその作り方』国書刊行会)。心通う語らいを通して、新たな自分の可能性に気付かせてくれる——友情の醍醐味だろう▼先日、新潟県佐渡市に住む青年が、福島県の男子部員の紹介で入会した。男子部員は高校時代の同級生。昨年末、仏法の話を聞いた当初は嫌悪感すら覚えたが、情熱を込めて語る姿が心に残った▼コロナ禍でもオンラインで、2人の語らいは続いた。男子部員は、看護師として悪戦苦闘する青年の話に耳を傾けた。懸命に励ましてくれる真心が、一歩を踏み出す勇気になった。入会記念勤行会の席上、青年は語った。「彼のように、自分だけでなく、他者の幸せのために行動できる人になりたい」▼御聖訓に「他人なれどもかたらひぬれば命にも替るぞかし」(御書1132ページ)と。人は人の中で磨かれる。社会が困難に直面する今こそ、自他共の生きる力を呼び覚ます"励ましの対話"を幾重にも広げよう。(閃)
寸鉄 2020年9月5日
広布に生き抜く志を持て—戸田先生。"師弟不二の祈り"が勝利の究極の力
総東京が「"励ましの絆"拡大季間」を勇み開始!青年部総会も総力で応援
「疑い無きを信と曰い明了なるを解と曰う」御書。魔に紛動されぬ勇者たれ
警官装い銀行カードを巧妙に預かり去る詐欺横行絶対に渡すな!厳重警戒
共同購入の国際枠組に日本も参加へ。公明の提言実る。命守る施策さらに
☆ONE GOSHO 日厳尼御前御返事
◇真剣な祈りが勝利を開く鍵
全世界の友が「世界青年部総会」(来月27日開催)を目指し、かつてない祈りと対話に挑んでいる。今回は、日蓮仏法の信仰の姿勢を学び、さらなる前進への追い風にしたい。
◇御文
『叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず、水すめば月うつる風ふけば木ゆるぐごとく・みなの御心は水のごとし信のよはきはにごるがごとし、信心の・いさぎよきはすめるがごとし、木は道理のごとし・風のゆるがすは経文をよむがごとし』(御書1262ページ)
◇通解
あなたの願いがかなうか、かなわないかは御信心によるのである。まったく日蓮のとがではない。水が澄めば月が映り、風が吹けば木が揺らぐようなものである。人の心は水のようなものであり、信心が弱いのは水が濁っているようなものである。信心が潔いのは水が澄んでいるようなものである。木は仏法の道理のようなものであり、風がその木を揺り動かすのは、ちょうど修行をして経文を読むようなものである。
◇背景
本抄は弘安3年(1280年)11月29日、日蓮大聖人が身延で記されたお手紙である。日厳尼が大聖人へ、御供養を添えて「立願の願書」を送ってきたことに対する御返事である。日厳尼について詳しいことは分かっていないが、強盛な信心を貫いていた女性門下である。
「立願の願書」とは、御本尊に願いを立てた書面のことで、大聖人に何か改まった願いがあったものと考えられる。それに対し大聖人は、信心の心構え、祈りの根本姿勢を指導されている。
◇解説
本抄の冒頭で大聖人は、日厳尼からの願書と御供養を御本尊に供え、祈念したことを伝え、「私に計り申すに及ばず候」と、自分勝手に御本尊の功徳を推し量ってはいけないと述べられている。続けて、「叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず」と、御本尊には無量無辺の功力が具わっており、その力を現実にあらわしていくのは、あくまでも自身の信仰の心構えによることを教えられている。
いわゆる「おすがり信仰」や「他力本願」ではなく、どこまでも主体的に、そして絶対の確信をもって御本尊に向かうという、祈りの基本姿勢を示されたと拝される。
次に、御本尊の功力を「月」に、自身の信心を「水」に例えられている。つまり、月影が映らない「濁った水」を「信心が弱い」状態に、月の影がきれいに映る「澄んだ水」を「信心の潔さ」として表現されている。
御本尊に相対する心の重要性を強調されているのだ。
私たちに当てはめるなら、「澄んだ水」のような信心とは、疑いなく祈る姿勢であり、素直な心で広布の実践に励むこと。反対に、「濁った水」のような信心とは、御本尊を疑う心であり、愚痴や文句を言いながら学会活動に受け身で臨んでいる姿といえる。
最後に大聖人は、仏法の道理を「木」に、「経文を読む」という実践を「風」に例えられている。
ここでいう「経文を読む」とは、勤行・唱題であり、御書の仰せのままに化他行に挑戦することである。「風」によって「木」が揺らぐように、御本尊の功力を引き出す鍵は、純真な信心とともに、果敢な仏道修行の実践にこそあるのだ。
さらに、深く心に刻みたいのは、強盛な信心で道理をも発動させ、勝利へ向かっていけるとの大聖人の大確信である。
かつて池田先生は、本抄を通して、こう語られた。
「真剣な祈りと行動の『風』を起こした時、『道理』の木を揺るがして、すべてを勝利の方向へ、幸福の方向へ、願い通りの方向へと転換していける。不可能に思えることをも可能にできるのである。『風』を起こすことである。『木』を揺るがすことである」
妙法には、不可能を可能にしていける偉大な力がある。
だからこそ、私たち学会員は困難に直面した時、「いかなる厳しい現実をも変革していく」という姿勢を貫けるのであり、そこに「諦めの心」は存在しないのだ。
コロナ禍で、かつてない逆境にある今こそ、池田門下の男子部が大信力を奮い起こし、あらゆる困難を吹き飛ばして、広布前進の旋風を巻き起こす時である。
いよいよ来月27日に迫った10・2「世界平和の日」60周年記念の「世界青年部総会」(オンラインで開催)へ、全世界の友と手を携え、さらなる真剣な祈りと対話拡大に挑み抜き、それぞれが大勝利した姿で喜々として集い合おうではないか!