交通安全を心掛けよう!
"ながら"運転の禁止や
制限速度の順守など
基本のルールを守ろう。
絶対無事故を第一に!
南条兵衛七郎殿御書 P1495
『これらをもつてしるべし善なれども大善をやぶる小善は悪道に堕つるなるべし』
【通解】
これらのことから、善い事であっても大善を破るような小善は悪道に堕ちることを知るべきである。
名字の言 陶芸家・河井寛次郎「生活からものを見よ!」 2020年9月20日
陶芸家の河井寛次郎は、東北地方を旅していた時、農村の子どもが履いているわらぐつを見て、その美しさに魅了されたという。手作りの質素なわらぐつ。特別な飾りもない。だが、わが子への親の愛情が輝いているように見えた▼「生活からものを見よ!」。寛次郎はそう提唱した。美しいものは、何も美術館や展覧会場にだけあるのではない。人々の暮らしの中にこそ、かけがえのない「美」があり、「喜び」がある。だから"知識や観念で頭でっかちにならず、庶民が生活する現場に飛び込もう"と(『手で考え足で思う』文化出版局)▼壮年部の先輩と一緒に訪問・激励に回った。マスクを着用し、玄関先で身体的距離を保っての語らい。一軒一軒、短い時間だったが、友の顔を見て声を聞くことで、心が洗われる思いがした▼帰り際、先輩がつぶやいていた。「やっぱり家庭訪問はいいなあ……。同志と対話すると、明日からまた頑張ろう、とやる気になる。自分の惰性も反省できる」▼家庭訪問だけではない。手紙や電話での語らい、SNSなどを活用した支部・地区の集い——コロナ禍にあっても、友に励ましを送ろうと、広布の現場には"自発の知恵"にあふれている。そこへ飛び込めば元気が出るし、勇気が湧く。心が磨かれる。(実)
寸鉄 2020年9月20日
青年を結集し学会の底力を天下に示すのだ—戸田先生。さあ総会まで7日
「心の固きに仮って神の守り則ち強し」御書。確信の題目に勝るものなし!
青年部体験談集が発売。現実の苦悩を変革できる仏法。ありのままに語れ
感染で健康診断受診者が3割減。持病悪化の危険増加と。自己判断は禁物
ネットの暗証番号は使い回し厳禁。流出で被害は広がる。人ごとと思わず
〈社説〉 2020・9・20 あす「国際平和デー」
◇草の根対話で反戦の連帯を!
あす21日は「国際平和デー」。"軍隊を持たない国"のコスタリカの発案により、1981年の国連総会で制定された。非暴力と世界の停戦の日として、国連が敵対行為の停止を世界に呼び掛ける日となっている。
また、ニューヨークの国連本部では、毎年この日に事務総長が「平和の鐘」を鳴らす特別記念行事が行われてきた。
この鐘は、実は"市民発"で、国連協会の宇和島支部長だった中川千代治氏が「平和への願いを込めて、世界の人々のコインで平和の鐘を造りたい」と51年の国連総会で作成を訴え、賛同した世界65カ国から集められた硬貨で鋳造し、54年に国連に寄贈されたものである。
創価学会の平和運動も"草の根発"である。池田先生の平和闘争に連なり、これまで世界24カ国39都市で170万人が見学した"核の脅威展"の開催や反戦出版、核廃絶への1000万人署名など多岐にわたる運動を実施してきた。
第2次世界大戦の終戦、また広島・長崎への原爆投下から75年の節目となる本年は、戸田城聖先生の「原水爆禁止宣言」発表の日である「9・8」の意義をとどめ、今月6日には学会青年部による「青年不戦サミット」が開催された。
オンラインで日本の各地と世界を結び、青年部の代表300人が参加。席上、イタリア、マレーシアの平和運動も報告された。
また、2014年にスタートした青年部の平和運動は「SOKAグローバルアクション2030——青年の行動と連帯の10年」と改められ、�核兵器廃絶と反戦の潮流の拡大�アジアの友好�SDGsの普及・推進——を柱に学会創立100周年を目指し、新たな平和運動の潮流として取り組んでいくこととなった。
こうした青年部の取り組みに対し、SGIと07年以来の国際パートナーである国際NGOのICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のベアトリス・フィン事務局長は「友情に根差したSGIとの緊密な連携が、核兵器禁止条約の実現、またノーベル平和賞の受賞につながった」と大きな信頼と称賛を寄せている。
池田先生は「『自他共の幸福』を祈り、友情の対話と社会への貢献を積み重ねることこそが、最も地道でありながら、最も確実な世界平和への直道なのだ」と「随筆」でつづっている。
今月27日には、池田先生が初の海外歴訪へ出発した10・2「世界平和の日」60周年を記念する「世界青年部総会」が開催される。
この日を目指して世界の青年部は、それぞれの誓いを胸に、信頼と友情を大きく広げる対話を展開している。
反戦平和への着実なる連帯を築く意義ある総会となることを期待したい。
☆第3代会長就任60周年記念 師弟凱歌の記憶 第15回「冷戦の氷を溶かした初訪ソ」
9月8日は、戸田城聖先生が原水爆禁止宣言を発表した日(1957年)であり、池田大作先生が日中国交正常化提言を発表した日(68年)である。
そして1974年9月8日、池田先生はソ連(当時)への第一歩をしるした。それは、東西冷戦下の社会主義陣営の旗頭であり、「鉄のカーテン」で覆われた国に、平和と友好の橋を架けるための挑戦であった。
宗教指導者がなぜソ連に行くのか——反対の声は多かった。出発前、そうした意見を伝えた財界人に、先生は答えた。「そこに、人間がいるからです」「そこにいるのは、平和を願う、同じ人間ではないですか」
イデオロギーなど、一切の先入観を捨て去って、まず「人間」として心を開き、語り合うことだ。これが先生の信念だった。
宗教指導者がなぜソ連に来るのか——懸念と不安は、迎えるソ連側も同じだった。
だが、池田先生が秋晴れのモスクワ・シェレメチェボ空港に降り立った瞬間、心配は消え去った。
モスクワ大学のホフロフ総長はじめ、出迎えた人々に先生は語り掛けた。「しっかり勉強して帰りますので、生徒と思って教えてください」。ぱっと笑顔が広がる。空港のターミナルビルへ向かうバスの中で、早速、和やかな語らいが始まった。
滞在中、先生は招へい元のモスクワ大学をはじめ文化省、ソ連対文連等を訪問。宗教都市ザゴルスク(現セルギエフ・パッサード)やレニングラード(現サンクトペテルブルク)まで足を延ばした。精力的に友好行事をこなしながら、青年や市井の人々の中に飛び込んでいった。
談笑していたモスクワ大学の学生、バレエや手芸などに励む子どもたち、宿泊先のホテルで、先生の階を担当していた婦人——。
そうした振る舞いに、ソ連の人々は魅了されていった。「つまり、『スケール』がちがうことを私たちは感じたのだ」(モスクワ大学のトローピン元副総長)
ノーベル賞作家のショーロホフ氏と16日に会見。最終日の17日には、クレムリンでコスイギン首相と会談した。日本人は、ソ連は怖い国という印象を持っています——先生は率直に語った。「政治や経済の分野だけでは、真の友好はありえません。文化交流こそ、最も大切になってきます」
鋭い眼光で見つめていた首相の顔色が、みるみる変わっていく。
首相は尋ねた。「あなたの根本的なイデオロギーはなんですか」
先生が即答した。「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です」
首相は応じた。「池田会長の思想を、私は高く評価します。その思想を、私たちソ連も、実現すべきであると思います」
こうした実りある語らいの中、先生は、当時、厳しい中ソ対立の渦中にあった首相から「中国を攻撃するつもりはありません」「(中国に)伝えてくださって結構です」との発言を引き出した。同年12月に訪中した際、先生は中国首脳にこの発言を伝え、緊張緩和に貢献することになる。
会談は1時間半にも及んだ。首相は会談後、招へいの実質的責任者だった共産党国際部のイワン・コワレンコ氏に言ったという。「こういう優れた日本人をどこで見つけてきたのですか」
帰宅後も、令嬢のグビシャーニさんに「今日は非凡で、非常に興味深い日本人に会ってきた」と話している。
翌75年5月、先生と再会した首相は語り掛けた。「この語らいを待っていました!」「時間をつくり出しました」「ぜひとも必要な時間であったからです」
初訪ソから46年。モスクワ大学と創価大学の交流をはじめ、平和・文化・教育交流の水かさは増し、池田先生が架けた「虹の橋」を渡って、多くの後継の人材が育った。
冷戦の硬い氷を溶かした初訪問の10日間——その時、池田先生が「一人の人間」としてともした友情の灯は、今も熱いままである。