2020年9月8日火曜日

2020.09.08 わが友に贈る

平和の世紀の建設こそ
若人の使命だ。
生命尊厳の哲学を
時代精神へと高めゆく
草の根の挑戦を一段と!

善無畏三蔵抄 P890
『仮令強言なれども人をたすくれば実語軟語なるべし、設ひ軟語なれども人を損ずるは妄語強言なり、当世学匠等の法門は軟語実語と人人は思食したれども皆強言妄語なり、仏の本意たる法華経に背く故なるべし』

【通解】
たとえ、強い言葉であっても、人を救えば真実の言葉であり、柔らかい言葉である。たとえ、柔らかい言葉であっても、人を害すれば偽りの言葉であり、強言である。今の時代の学者たちの法門は、柔らかな言葉、真実の言葉であると人々は思っておられるけれども、みな強い言葉、偽りの言葉である。仏の本意である法華経に背いているからである。

名字の言 アメリカの教科書に掲載された婦人部員の被爆体験 2020年9月8日
「ヒマワリのような笑顔」と評判の快活な婦人がいる。75年前に広島で、母の胎内で被爆し、その2カ月後に生まれた▼紫斑病など後遺症との壮絶な闘いが続いた。就職、結婚など人生の節目に、どれほどつらい思いをしたことか。ある時は交際していた男性が「君に元気な子が産めるのか……」と言い、去っていった。悔しかった。苦しかった。だが彼女は学会に出合い、希望を見いだした。幸せな結婚をし、3人の子に恵まれた。そして「平和の語り部」になった▼ある留学生が婦人の体験を聞き、価値観を一変させた。「これまで母国が核兵器を持っていることが誇りでした。でも、それは恥なんだと気付きました。私も核の廃絶に尽くしたい」と。彼女の被爆体験はアメリカの大学生向け教科書にも掲載され、若者たちの心に訴え続けている▼人生を懸けて平和の道を開いてきた先輩方にお会いすると、大切なことを教えられる。宿命をも使命に変える信仰の尊さ、赤裸々な体験の持つ力……。人を差別することの罪深さも▼きょう、第2代会長・戸田城聖先生の「原水爆禁止宣言」発表から63周年を迎えた。恩師の遺訓を心肝に染め、平和創造への新たな挑戦を始めたい。道なきところに道をつくった草創の同志の心を継いで。(誠)

寸鉄 2020年9月8日
9・8ロシア初訪問の日。分断から協調へ—歴史開いた師の人間外交に続け
宮崎の日。試練に負けぬ太陽の民衆連帯。今こそ励ましの声強め団結固く
総埼玉が記念月間。新時代の広布開拓へ勇躍前進師弟の勝利の歴史つづれ
青年の心を揺さぶるのは青年の叫び—恩師。世界の友と心一つに対話拡大
チャイルドシート「使って良かった」8割。義務化20年。命守る為、必ず使用

〈社説〉 2020・9・7 あす原水爆禁止宣言発表の日
◇青年を先頭に核兵器なき世界を
世界で軍拡競争が始まりつつある——先月、都内で開かれた記者会見で、国連事務次長兼軍縮担当上級代表の中満泉氏は強い懸念を示した。核兵器を保有する全ての国が、核の近代化を一段と進めている状況などを受けて認識を述べたものだ。際限のない暴力の連鎖に、時代を向かわせてはならない。
 
あす8日は、戸田城聖先生が1957年に、「遺訓の第一」として「原水爆禁止宣言」を発表した日。核兵器は世界の民衆の生存の権利を脅かすものであり、"絶対悪"であると断じた同宣言は、生命尊厳の仏法思想に基づく学会の平和運動の原点となっている。
 
宣言が発表された当時、水爆実験をはじめ核軍拡競争が激化していた。大国が大量破壊兵器の開発に明け暮れる様子を目の当たりにした戸田先生は、宣言で、"核兵器を使用した者は極刑に"と、あえて強い言葉で、そうした動きを糾弾した。それは、核兵器使用の奥に存在している"自分の欲望を満たすためには、他者を殲滅しようとも構わない"という思想にくさびを打ち込むためであった。
 
人間生命の魔性ともいえる、その思想自体を直視し決別することなくして、一度、形になってしまった兵器を完全に消し去ることは難しい。核兵器との戦いは一面、この人間生命を変革する闘争であり、核兵器問題が誰にとっても他人事でない理由の一つもここにある。
 
先の会見で中満氏は、62年のキューバ危機の翌年に「部分的核実験禁止条約」が調印されたことを例に挙げ、安全保障環境が悪化していることは、核軍縮ができない理由にはならないと訴えた。目下「核兵器禁止条約」も、発効に必要な50カ国の批准にあと6カ国(6日現在)と迫った。現状を変える力は、市民社会、なかんずく私たち一人一人の意志だ。
 
現在のコロナ禍によって得た教訓が、日常の"かけがえのなさ"と地球規模の危機への備えであるならば、核兵器の存在ほど正反対のものはない。世界が新しい社会のビジョンを描いていく今こそ、人類を滅ぼしかねない兵器を持ち続けることは必要なのか改めて問いたい。
 
池田先生は2009年9月8日に発表した提言で「世界を分断し、破壊する象徴が核兵器であるならば、それに打ち勝つものは、希望を歴史創造の力へと鍛え上げる民衆の連帯しかない」と述べた。その中核を担うのは青年である。
 
今月6日には「青年不戦サミット」が開催され、今月27日には、10・2「世界平和の日」60周年を記念して「世界青年部総会」が行われる。青年を先頭に、不戦と恒久平和を築く民衆のスクラムを、いよいよ地球規模に広げていきたい。

☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第8回 山梨
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「山梨——生き甲斐あふれる友情の里」〈2014年6月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。秀麗な富士を仰ぐ甲斐国・山梨は、創価の師弟の魂が深く刻まれた天地。そこには、人間の温もりをたたえた伝統文化が息づき、「人は石垣 人は城」との団結の心が光っている。社会全体が大きな苦難に直面する今、地域の友との絆を一段と強めながら、悠然と「慈愛に生きる人生」を歩んでいきたい。富士のごとくに——。

幸せの
 不動の姿の
   富士の山

富士は動じない。いかなる烈風が吹き荒れようとも、悠然とそびえ立っています。その姿は、いつも無言のうちに励ましを送ってくれます。
山梨の友人たちと語り合ったことがあります。「富士を間近に仰ぎながら、人生の春夏秋冬を飾りゆけることは、なんと幸せでしょうか。世界中の人が羨ましく思うでしょう」と。
わが恩師・戸田城聖先生も、秀麗な富士が見守る河口湖や山中湖の畔で、青年たちと研修を行い、薫陶してくださいました。
「青年よ、富士のごとくあれ!」
——恩師のその一言には、万巻の書を凝縮させたような指針が含まれていました。
心に富士を抱いた青春は強い。
それは、尊敬する師匠また父母という不動の大山を、心から離さない人生に通ずるかもしれません。
私は山梨を訪れる折々に、富士と親しく対話する思いで、言い知れぬ敬愛と感謝を込めて、カメラを向けてきた一人です。

◇苦労は生命の財宝
〈山梨は「名水の里」として知られ、古くからの「交通の要衝」でもある。池田先生は、この自然豊かな天地に暮らす人々と、地域の魅力について語り合ったことを述懐し、"苦労こそ宝"との思いで、誠心誠意、社会に尽くしてきた友の姿を紹介する〉
 
お国自慢を尋ねるなかで、地元の友が異口同音に誇りとしていたのは、山梨の「文化力」です。
歴史を振り返っても、古来、学ぶ気風が盛んで、江戸時代、徽典館をはじめとする学舎や塾には、武家も庶民も共に通い、当時の身分制度を超えた向学の輪が培われていました。また、歌舞伎や俳諧の集いなども興隆し、皆が一緒に楽しみ、文化の喜びを分かち合ったといいます。
笛吹市出身の俳人・飯田蛇笏は「人温」すなわち「人間の心にのみ存するところのあたゝかさ」を強調していました。「人を思い、人を愁い、人を親しみ、人を嘆ずる」ことこそ、詩情あふれる文化の源泉であるとしたのです。
山梨の文化には、何とも言えない人間の温もりが湛えられていると言ってよいでしょう。
私の妻の友人は、小さな頃に母を亡くし、父も病に倒れ、働きながら弟妹たちの面倒を見てきました。職場の人間関係等、悩みは尽きませんでした。
しかし、良き友とのスクラムのなかで、「自分は不幸だ」と思う愚痴の心を、きっぱり断ち切ろうと決めました。
「苦労こそ自分の持ち味であり、生命の財宝ではないか。それを発揮して、もっと悩んでいる人たちを励まそう!」と。
ガタガタの自転車に乗ってデコボコ道を歌声も高らかに、また、わが子を背負って歩きに歩いて、友のもとへと駆けつけました。その行動の日々を通して、笑い声の絶えない幸福の家庭、和楽の地域を、創り、広げてきたのです。
共感し合い、励まし合って、目の前の課題を一つ一つ勝ち越えていく仲よき絆こそ、「平和の文化」の美しき花づなでありましょう。
大月市生まれの文豪・山本周五郎は、「どんな状態になっても人間はひとりではなく、いつも人間どうしの相互関係でつながれている」と語っていました。
とりわけ、文豪が光を当てたのは、「縁の下の力持ち」となって皆を支えている存在です。「人眼につかぬところに働いている人々の心労を想え」との信念であったのです。
いずこの世界にあっても、陰で皆のために尽くしている尊い人材がいます。その労苦を知り、その人に感謝し、讃えていくことこそ、真の文化の心ではないでしょうか。

◇人のために動く
〈池田先生は、山梨の「人のために動く」心の美しさを最大に称賛。活字文化への貢献など、山梨の特色に触れつつ、子どもたちを慈しみ、地域の人々を家族のように大切にする生き方をと望んだ〉
山梨には、たくさんの日本一があります。
日本一の収穫量を誇るブドウ、モモ、スモモなどの果物の栽培には、来る日も来る日も、多くの女性の献身が込められています。
山梨は人口百万人あたりの図書館数でも日本一です。学校では朝の時間に行う「朝読」、家庭でも親子による「家読」を進め、絆が強まっているといいます。
思えば、朗らかな「赤毛のアン」の物語の訳者として有名な、甲府出身の村岡花子さんは、"父母も、子どもも一緒になって楽しむ書物を、愛する母国の家庭に献げたい"と願い続け、敗戦後の暗い社会でも喜びの物語を届けてきました。
村岡さんは最愛の子を失われています。しかし、その最も深い悲しみと向き合うなかで、見いだしたものがあります。
「一度燃やされた貴い母性の火を、感傷の涙で消し去ろうとは決して思いません。高く、高く、その炬火(たいまつ=編集部注)をかかげて、世にある人の子たちのために、道を照らすことこそ私の願いであります」と。
瞳輝く子どもたちに、希望の大空へと飛翔する翼を贈りたい。一生の幸福の土台となる、最高の精神の滋養を贈りたい。その母の願いが、時代を超えて、心を打つ希望の言葉を紡いできたのです。
かつて山中湖にほど近い場所で、麗しい母子連れと出会い、その幼い二人のお子さんに童話の本をプレゼントしたことがあります。
お母さんは、その後、甲府市で地域貢献のボランティア活動に多く取り組むとともに、「読み聞かせ」の活動も開始しました。
やがて原因不明で予後不良の病に罹り、"いつまで生きられるのか?"という不安と闘いながらも、「どんなことがあっても、子どもたちのために読み聞かせを続ける」と、いっそう活動に励んできました。
そして、このお母さんは、「命ある限り、使命に生き抜き、子どもたちの心にもっともっと夢と希望と勇気を育んでいきたい」と力強く語られていました。
地域の子どもたちを我が子のごとく、地域の友を我が家族のごとく大切に——慈愛に生きる人生は、皆に慕われる母なる富士であり、勝利の最高峰なのです。

嵐にも
 厳と泰然
  富士の山
 君もかくあれ
  我もかくある

(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第1巻所収)