台風が頻発する季節。
避難経路や備蓄品を
いま一度 確認しよう!
マスクや消毒液など
感染予防策も忘れずに。
四条金吾殿御返事 P1186
『貴辺も又かくのごとく敵はねらふらめども法華経の御信心強盛なれば大難もかねて消え候か、是につけても能く能く御信心あるべし』
【通解】
あなたもまた、この故事のように、敵は狙っているのだろうが、法華経の信心が強盛であるので、大難も、事の起こる前に消えたのであろうか。これにつけても、よくよく信心に励んでいきなさい。
名字の言 コロナ禍の中で転職活動に挑んだ50代の壮年 2020年9月3日
動画配信によって開催された東京・中野総区壮年部の集い。席上、体験発表した壮年が、長年勤めた会社から閉鎖の方針を告げられたのは昨秋のこと▼まさかの事態に動揺しつつも、壮年は先輩から激励を受け、かつてない信心の挑戦を開始。4カ月で100万遍の題目を唱えた。だがその直後、会社の閉鎖が正式に決まり、雇用契約を解除するとの通知が。"なぜ?"と一瞬、心は揺れた▼「祈りとして叶わざるなし」「全てに意味がある」。頭では理解していても、光の見えない現実が続くと、決意や確信が揺らぐことも。しかし壮年は歩みを止めなかった。50代後半での転職活動は、コロナ禍も重なり困難を極めたが、「『厳しい条件の中でも必ず実証を示します』と祈りに祈りました」。3カ月後、彼は願った通りの好待遇で転職を勝ち取った▼人生には思いもよらぬ出来事が起きる。むしろ順風満帆な時の方が少ないかもしれない。直面する苦難にどう向き合い、乗り越えていくか。その挑戦の中に真の幸福への道がある▼本紙8月30日付「四季の励まし」にこうあった。「信心の極意は『いよいよ』の心である。今の状況が良かろうが、悪かろうが、前へ、前へ!」。信仰とは、試練をもプラスに変えゆく、たゆみない「前進の力」である。(仁)
寸鉄 2020年9月3日
題目の功徳は十方の土のごとし—御書。無量無辺の福徳確信し決然と前へ
「スポーツ部」発足の日。弛みなき努力で勝利を!壁破る挑戦が皆の勇気に
親子の対話が多いと子の学習意欲高まる—専門家和楽の家庭が教育の基盤
2歳未満にはマスク推奨せず—厚労省。熱中症や窒息の恐れ。共通認識と
手指の消毒液の引火事故に注意。乾かないうちは火気を避ける—油断せず
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第17回 提婆達多品第十二
◇「提婆品」とは——この世で成仏できない存在はないことを示す
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第17回は、「提婆達多品第十二」です(前回は7月28日付。原則、月1回掲載)。
■大要
提婆品の前半で、釈尊は、悪人である提婆達多との過去の宿縁を語り、提婆の未来の成仏を明かします。
続いて後半では、竜女が人々の前で即身成仏の姿を現じてみせます。
このように悪人と女人の成仏が説かれ、法華経の功力の偉大さが示されています。それでは内容を追ってみましょう。
●シーン1
釈尊が、菩薩や天界・人界の衆生、そして四衆(出家・在家の男性と女性)に告げます。
「私は、はるか昔から常に怠ることなく『法華経』を求めてきた」
そして、過去世での出来事を語り始めます。
——私は常に大国の王となって、菩薩行を実践し、人民のために身命も惜しまずに尽くしていた。
「誰か大乗の教えを説く者はいないか。私はその者に尽くし抜こう」と、王位を捨て、太子に国を任せて、法を求めた時のことである。
一人の仙人が現れて、こう言った。
「私は大乗の教えである妙法蓮華経を持っている。私の言うとおりに修行するならば、法華経を説こう」
私は、この阿私仙人の言葉に、踊りださんばかりに歓喜した。そして、千年にわたって仙人に仕え、完璧に精進し、成仏することができた。
そのおかげで今、私は法華経を説くことができているのだ——。
釈尊は、比丘(出家の男性)に告げます。
「過去世での王は、私のことであり、その時の仙人とは、今の提婆達多である。
提婆達多が善知識であるから、私は覚りを得て、今、多くの衆生を導くことができるのだ」
さらに四衆に告げます。
「提婆達多は未来に天王如来という仏に成り、天道という国で、多くの衆生に法華経を説くであろう」
このように、悪人代表である提婆達多の未来の成仏が明かされます。
●シーン2
多宝仏に仕えている智積菩薩が、本土に帰ろうとします。
釈尊は、智積菩薩に告げます。
「ちょっと待ちなさい。文殊師利菩薩と、語り合ってから帰ってはどうだろうか」
その時、文殊師利菩薩が蓮華の台に乗って、大海の中にある娑竭羅竜宮から現れます。そして、釈迦・多宝の所に行き、あいさつしてから智積菩薩のもとへ向かいます。
智積菩薩は、文殊師利菩薩に「あなたは、竜宮でどれくらいの衆生を教え導いてきたのか」と聞きます。
「多すぎて数えることもできない」と答え、それを証明するかのように海から無数の菩薩が現れます。そして「海の中で、ただ常に法華経のみを説いてきた」と語ります。
智積菩薩は聞きます。
「法華経は甚深の教えである。衆生が精進し、法華経を修行したなら、速やかに仏になることができるのか、できないのか」
文殊師利菩薩は、法華経の功力の証明として、自身が教え導いた娑竭羅竜王の娘・竜女について語ります。
「この竜女は、年こそまだ8歳だが、智慧もすぐれ、法華経を信じ、修行にも励み、人々の幸せを願う慈悲深い心を持ち、正しい覚りを得ている」
智積菩薩が疑います。
「成仏するためには、長い間、修行を積むことが必要不可欠なのだから、竜女が短期間で、覚りを得られるわけがないではないか」
するとその時、竜女が現れます。
「私が成仏したことは、ただ仏だけが知っておられます。私は大乗の教え(法華経)で、苦しみ悩んでいる衆生を救います」と宣言します。
こんどは釈尊の弟子である舎利弗が疑問を呈します。
「それは信じられない。女性の身は穢れており、覚りを得られるはずがない。女性の身には五障(梵天王・帝釈・魔王・転輪聖王・仏の五つに成れない)があり、どうして女性の身で速やかに成仏できるであろうか」
そうした疑念を払うように、竜女が聴衆の前で、即身成仏の姿を現して見せます。
そして竜女は、衆生救済の誓願のとおりに、一切衆生のために妙法を説きます。その姿を見た娑婆世界の多くの衆生は大歓喜し、尊敬を表して礼をしました。
さらに、聴衆たちは、不退の境涯を得たり、菩提心を起こしたりしたのです。
このように「提婆達多品」では、成仏は、ほど遠いとされていた、悪人と女人の成仏を明かすことで、万人成仏を可能にする法華経の偉大な功力をたたえているのです。
■変成男子
竜女が聴衆の眼前で、即身成仏の姿を見せる時、「変成男子(変じて男子と成って)」(法華経409ページ)と、いったん、男性の姿に変わったと記されています。
この箇所について、女性の身のままでは成仏できないという差別が存在しているとの意見もあります。
池田先生は「変成男子は、舎利弗をはじめ、成仏は男性に限られると思い込んでいた人々に対して、竜女が成仏したことを、分かりやすく示すための方便にすぎないでしょう。男性にならなければ成仏できないという意味ではないのです」と語っています。
「御義口伝」に「舎利弗竜女が成仏と思うが僻事なり、我が成仏ぞと観ぜよと責めたるなり」(御書747ページ)とある通り、女性の尊厳が示されてこそ、男性の尊厳、そして万人の尊厳も明らかになるのです。
さらに先生は、次のようにも教えられています。
「女性は成仏できないなどと言うなら、それは一念三千ではありえない。一念三千を否定するならば、自分自身の成仏もない。ゆえに、竜女の成仏は、全女性の成仏を表すだけでなく、じつは男性の成仏をも表しているのです。女性の成仏を否定する男性は、自分の成仏を否定しているのです」
「だれもが『性得の宝珠(仏性)』をもっている。一切衆生が平等に『宝珠』を生命にもっているのです。そう見るのが十界互具であり、一念三千であり、法華経です」
法華経、そして大聖人の仏法には、差別を超越した、平等の哲理と精神が脈打っているのです。
【『法華経の智慧』から】 自身の生命を鍛え、浄める
「あらゆる人を成仏させるのだ」というのが法華経の心です。人々にとって法門以上に切実なのは、自分が成仏できるかどうかということです。
提婆品は、まさにその問題に端的に答えを示している。釈尊の殺害を図り、教団を分裂させた極悪人の提婆達多。また世間から差別されてきた女性であり、そのうえ、畜生の身である竜女。この二人は当時の常識からすれば、成仏から最も遠いと考えられていた存在でしょう。
その提婆と竜女でさえも成仏できると説くことは、この世で成仏できない存在はないということを示しています。提婆と竜女の成仏という具体例を通して、そのことが、観念ではなく実感として、人々に受け止められたと言えるでしょう。
◇
成仏するには「内なる悪」に勝利しきらなければならない。具体的には「外なる悪」と戦い、勝たねばならない。悪と戦うことによって、生命が鍛えられ、浄められ、成仏するのです。極悪と戦うから、極善になるのです。自分の生命を鍛え、成仏させてくれるという本質論から見たときには、その極悪も師匠とさえ言えるのです。(普及版<中>「提婆達多品」)
☆第3代会長就任60周年記念 広布史アルバム� 北陸の友の「誓いの8月」
◇勝利が労苦を宝にする
〈1984年(昭和59年)8月24日、前日に富山入りした池田先生は、当初の予定を変更し、北陸青年部と懇談の場を持った。この日は、先生の入信記念日でもあった。
北陸は、戸田先生の故郷である。その師弟有縁の天地で広布に駆ける青年たちに、池田先生は戸田先生の言葉を通して訴えた〉
恩師は、よく言われた。
「どんなに辛いこと、苦しいこと、悲しいことがあっても、時がたてば、"なぜ、あんなものに苦しんだのだろうか"と思うものだ」
私は、この教えを通し、青年たちに指導した。
"現在、どれほどの苦難に直面していても、絶対に挫けてはならない。諦めてはならない。断じて、断じて負けてはならない!"と。
苦労しながら戦った分だけ偉大な自分を創造できる。
途中がどんなに苦しく、辛くとも、粘り抜いて、今日を勝て! そして、最後を勝て!
勝てば、いっさいの労苦は黄金の宝に変わる。
〈池田先生は、2日後の26日、石川で開かれた「第1回北陸平和文化祭」へ。開始前、競技場を一周し、北陸の全同志の奮闘を心からたたえた。グランドフィナーレでは、全出演者による北陸の歌「ああ誓願の歌」の大合唱が轟いた〉
私が北陸の歌「ああ誓願の歌」を贈ったのは、一九七八年(昭和53年)であった。その六年後、「第一回北陸平和文化祭」で、「ああ誓願の歌」の大合唱は圧巻であった。
「この歌声が聞きたかったのだ!」と、私は何よりも嬉しかった。初代、二代、三代と貫き通してきた創価の「勇気」を、そのまま受け継いだ北陸の友の心の響きが凝結していたからだ。
「誓願」を果たすためには、「勇気」がいる。その勇気の究極の源泉こそが、創価の師弟の精神なのである。
御聖訓には仰せである。
「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ」(御書1589ページ)
わが北陸の同志に、「師子王の心」が燃え上がっている限り、創価の「勝利の旭日」は永遠に輝きわたるのだ。