大雨や土砂災害
河川の増水に厳重警戒!
配達員の皆さまも
安全を最優先で!
絶対無事故を祈ります。
経王殿御返事 P1124
『経王御前にはわざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき』
【通解】
経王御前には、災いも転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか。
名字の言 鹿児島・十島三島支部の友の新たな挑戦 2020年9月24日
鹿児島のはるか南の海上。口之島、中之島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、小宝島、宝島等からなる十島村。竹島、硫黄島、黒島等からなる三島村。この2村で構成される十島三島支部からの投稿が本紙9日付の声の欄に掲載され、感動が広がった▼日常的に集えないため、鹿児島市在住の支部長・婦人部長が船で各島に通い、活動を進めてきた。だがコロナ禍で渡航も自粛。ならばと支部長がオンライン協議会を提案。支部婦人部長も賛同し、スマホデビュー。先月、晴れて協議会が実現した▼ただ各島の事情もあり、参加者は多くはなかった。口之島の畜産農家のメンバー宅では、子牛が生まれる日に当たってしまった。参加はできなかったが、その日、子牛は無事に誕生し、皆ひと安心。黒毛和牛の名産地である同島では、牛の共同放牧を行っている。島の牛は、島の皆で育てる。その支え合う心が美しい▼5年前、小説『新・人間革命』第28巻「勝利島」の章で池田先生は、同地域の広布史をつづり、全ての島の地図が挿絵に描かれた。それが友の勇気と団結の源泉だ。「皆さんと協力し、コロナ禍の苦境も断じて乗り越えていきます」と友は誓う▼同支部では今月、オンライン座談会も開催するという。新しい風が南の島からも吹いている。(進)
寸鉄 2020年9月24日
地球的危機を越えるには「人間革命」しかない—共同会長。我らが先駆と
粘り強さがなければ本物には育たぬ—戸田先生。青年よ祈りと執念で勝て
笑顔の挨拶は人に安心感を与える—学者。一瞬の出会いも大切に。心込め
昨年の横断歩道事故、1万4千件。歩行者優先だ。皆で順守し犠牲なくそう
0歳児の胃腸炎ワクチン来月、無料に。公明が推進命守る政治を更に進めよ
〈社説〉 2020・9・24 人類がもつ「歌の力」
◇世界青年部歌を声高らかに
新型コロナの感染拡大や自然災害など、人類は数々の難局に直面している。
一人一人が、いかに逆境に負けず、前向きに生きていけるか。そして、自己中心主義に陥ることなく、協調して進んでいけるか——。
まさに今、個人における「希望の精神」と「利他の精神」を、いかに強めていくかが問われている。
その鍵を握るものの一つとして、「歌の力」に着目したい。
音楽学者のジョーゼフ・ジョルダーニア氏は、著書『人間はなぜ歌うのか?』で、「歌唱」の力こそが人類の進化に欠かせない要素であったと強調する。
私たちの祖先は、狩猟の際に、大きな声で歌い、獲物を威嚇していた。また、リズムに乗って声を合わせることで、各々の恐怖心を振り払い、自分自身を超えた大きな目的のために結束し、共に戦うことができたという。
「歌う」という行為は、古来、人類が連帯して苦難に挑む"根源的な実践"であった、といえるだろう。
創価学会の前進もまた、明るい歌声と共にあり続けてきた。
1960年、池田先生は初めて海外へ旅立った。北南米3カ国9都市を巡る中、行く先々で同志が歌っていたのは、数年前から日本全国で歌われるようになった学会歌「威風堂々の歌」である。
ブラジル・サンパウロの空港では、数十人のメンバーが先生の訪問を待っていた。その多くが、日本から移住し、農業に従事していた人たちである。日焼けした顔を輝かせ、2本の竿の間に張られた「威風堂々の歌」の歌詞を見ながら、習い覚えた歌を懸命に歌った。
世界広布の師弟のドラマも、学会歌の歌声と共に始まったのだ。
それから60年の時を刻む本年、このほど世界青年部歌「Eternal Journey with Sensei! 〜永遠の師弟旅〜」が発表された。
世界の青年たちがオンライン会議を重ね、思いを語り合う中で誕生したこの新学会歌は、まさに新たな広布伸展の"鼓動"にほかならない。
池田先生はつづっている。
「民衆の興隆のあるところには、必ず歌がある。歌には、人びとの理想があり、その歌を通して、団結も生まれる。だから、声高らかに歌を歌って、明るく、うんと陽気に、人生を楽しみながら、広宣流布を進めていくんだよ」
試練の時こそ、「歌の力」で心のスクラムを組んでいきたい。
世界青年部歌の「前へ前へ」とのメロディーを力強く響かせながら、新たな価値創造の扉を開こう。
☆小説「新・人間革命」学習のために 「アジア編」
◇雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん
小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は「アジア」編を掲載する。次回は「アフリカ・オセアニア」編を25日付2面に掲載の予定。挿絵は内田健一郎。
◇社会への貢献が仏法の正義を証明
<1976年(昭和51年)5月、韓国に、SGI韓国仏教会の前身である"仏教会"が発足。社会貢献への歩みが開始される>
御書には「智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」(御書1466ページ)と仰せである。つまり、社会を大事にして、社会のために貢献し、活躍していくことが仏法であり、その人が「智者」であるというのである。
韓国の同志は、この日蓮仏法の、また、創価学会の「真実」と「正義」を、なんとしても証明していかなければならないと思った。誤解が誤解のままであれば、「真実」は葬り去られてしまう。誤解を放置しておくことは、「正義」の死を意味する。
"私たちが実際に何をなし、どれだけ社会に貢献できるかだ。その行動のなかに、学会の正しさを証明する道がある"
こう考えたメンバーは、各地域で、自主的に、また、地道に、社会貢献の歩みを開始していったのである。(中略)
社会奉仕の諸活動に勇んで参画し、田植えや刈り入れを手伝う「農村助け合い運動」や、自然保護運動に取り組んでいった。
さらに、一九九〇年代に入ると、メンバーは、大規模な「国土大清掃運動」を展開していったのである。
このほか、教育や福祉にも光をあて、学校への「良書贈呈運動」や、社会的に恵まれない人びとへの奉仕活動も進められた。
仏法の人間主義に基づく韓国の"仏教会"のこうした地道な努力は、着実に信頼の輪を韓国社会に広げていった。
(第8巻「激流」の章、367〜369ページ)
◇「幸福の花園」は自身の胸中にある
<63年(同38年)1月、香港支部大会で婦人部の陳鮑美蘭は山本伸一に出会う。戦争に翻弄され、広東省や台湾を転々とし、香港にやってきた彼女に伸一は語る>
「幸福への決め手は、何があっても、負けることのない精神の強さ、価値を創造していく智慧、そして、喜びと希望にあふれた、豊かな心をつくり上げていくことにあります」
そして、(中略)「香港を幸福の花園に」と呼びかけたのである。
美蘭はハッとした。彼女は、どこに行けば幸福になれるのかを考え続けてきた。
しかし、生まれた日本をはじめ、台湾にも、広東にも、安住の地はなかった。
伸一の話は、その幸福がどこにあるかを、明確に示していた。
"幸福は、私自身のなかにあるのだ! どんな逆境にも負けない強い心を、価値を創造していける豊かな心をつくる以外にない。
そして、皆が自分を変え、人間革命していくならば、社会の平和を実現することができる。
必ず、この仏法をもって、香港を幸福の花園にしよう"(中略)
美蘭は、メンバーのために、日本での講習会をはじめ、さまざまな機会に通訳として奮闘した。さらに、香港の機関紙「黎明聖報」の発刊が決まると、御書や学会の指導の翻訳を引き受けてきたのである。
彼女は、しみじみと思うのであった。
"激動の歴史に弄ばれてきたように思える自分の人生も、決して無駄ではなかった。
日本語を学び、戦争の恐ろしさを体験してきた私には、香港の人びとの平和と幸福のために、大聖人の仏法を伝える使命がある。
私の半生は、そのためにあったのだ"
(第18巻「飛躍」の章、390〜391ページ)
◇一人一人が「広布の大河」の一滴に
<79年(同54年)2月、全インドから集った約40人のメンバーに伸一は訴えた>
「十八年前、初めてインドを訪問した折のことが、昨日のように思われます。その時は、誰一人、メンバーであるインドの方とお会いすることはなかった。
しかし、私は思いました。強く決意しました。
"仏教が誕生した意義あるインドに、地涌の菩薩が出現しないわけがない。また、必ず出現させなければならない!"
以来、インドの地に、数多の同志が誕生することを、日々、真剣に祈ってまいりました。そして、今日ここに、広宣流布の使命に生きようとする約四十人の代表が、喜々として集われた。まさに大聖人が仰せの『地涌の義』です。これほど嬉しいことはありません。皆さん方は、地涌の同志であり、宿縁深い"兄弟"であり、"姉妹"であるとの自覚で、インドの人びとのために、どこまでも仲良く、共に成長していっていただきたい。今や世界の数多くの国に、創価の友がおります。(中略)
その世界の同志は、仏教発祥のインドに注目し、貴国の未来に期待を寄せ、心から声援を送っております。あの雄大にして悠久なるガンジス川の流れも、一滴の水から始まる。同じように皆さんは、インド広布の大河をつくる、源流の一滴、一滴となる方々です。洋々たる未来を信じて前進していっていただきたい。二十年、三十年、五十年後をめざして、広布のガンジスの流れを開いていこうではありませんか!」(中略)
ガンジスの一滴に——それは、インドの同志の誓いとなり、合言葉となっていった。
(第29巻「源流」の章、388〜390ページ)
◇永遠なる広布開く師弟不二の共戦
<2000年(平成12年)11月、シンガポールとオーストラリアの合同最高会議に出席した伸一は、シンガポールが「獅子の都」を意味することから、仏法で説く「師子」について述べる>
「仏法では、仏を『師子』と呼び、仏の説法を『師子吼』という。大聖人は、『師子』には『師弟』の意義があると説かれている。
仏という師匠と共に生き抜くならば、弟子すなわち衆生もまた、師匠と同じ偉大な境涯になれるのを教えたのが法華経なんです」
一般的にも、師弟の関係は、高き精神性をもつ、人間だけがつくりえる特権といえる。
芸術の世界にも、教育の世界にも、職人の技の世界にも、自らを高めゆかんとするところには、必ず師弟の世界がある。
伸一は、青年たちに力説した。
「『人生の師』をもつことは、『生き方の規範』をもつことであり、なかでも、師弟が共に、人類の幸福と平和の大理想に生き抜く姿ほど、すばらしい世界はありません。この師弟不二の共戦こそが、広宣流布を永遠ならしめる生命線です。そして、広布の流れを、末法万年を潤す大河にするかどうかは、すべて後継の弟子によって決まります。
戸田先生は、よく言われていた。『伸一がいれば、心配ない!』『君がいれば、安心だ!』と。私も今、師子の道を歩む皆さんがいれば、世界広布は盤石である、安心であると、強く確信しています」(中略)
「勇気は、誰でも平等にもっています。勇気は、幸福という無尽蔵の宝の扉を開くカギです。(中略)
どうか皆さんは、勇気を取り出し、胸中の臆病を打ち破ってください。そこに人生を勝利する要因があります」
(第30巻<下>「誓願」の章、421〜423ページ)