「ありがとう!」と
口に出せば元気いなる。
耳に入れば勇気がわく。
心を込めて伝えよう!
周囲を照らす太陽たれ!
教機時国抄 P438
『謗法の者に向つては一向に法華経を説くべし毒鼓の縁と成さんが為なり』
【通解】
謗法の者に対しては、ひたすら法華経を説くべきです。それは毒鼓の縁を結ぶためなのです。
〈名字の言〉 2019年11月7日
少女が、おもちゃ箱の鍵をなくしてしまった。中には"宝物"が入っているという。母親が、涙ぐむわが子と共に家中をくまなく捜す▼しばらくして「あった!」と少女が声を上げた。鍵穴に鍵を差し込み、扉を開くと、そこには、おもちゃの首飾りや指輪が。両手に持つと、少女はにっこりほほ笑んだ▼その晩、親子して御本尊の前に座った時、母親が鍵を捜した様子を振り返りつつ言った。「私たちの心の中にも、実は宝物があるんだよ。その宝箱を開く鍵がお題目なの」。何か感じるところがあったのだろう。少女の唱題の声に、いつになく力がこもった▼今月の座談会拝読御書に「妙とは、開くということである。世間の例えで言えば、財宝を積んである蔵も、鍵がなければ開くことはできない」(943ページ、通解)とある。仏という存在を"人間を超えたもの"と思っていた人々に、日蓮大聖人は、仏性という最高の宝が万人の生命に備わることを示された。その宝を開く鍵こそ南無妙法蓮華経の題目にほかならない▼"祈りとは諦めない勇気"と池田先生はつづった。自分の可能性を諦めない。自他共の胸中に無限の宝があると信じて疑わない。御本尊への祈りを手放さない限り、未来を開くチャンスは私たちの手の中にある。(之)
〈寸鉄〉 2019年11月7日
「人のために火をともせば・我がまへあきらか」御書。友の励まし、今日も
東京婦人部の日。朗らかに幸の連帯を拡大。本陣の母達ありて広布は躍動
東京・大田「正義の日」。師弟源流の地から人材は澎湃と。模範の前進更に
勇気ある信心の人こそが一番、偉大である—恩師。師子王の心で堂々と語れ
サイバー攻撃が巧妙化。パスワードの使い回し注意。不審メールも開くな
☆負けじ魂ここにあり わが生命の学園生 第23回 東京校 2000〜02年度
◇人生は「勇敢な人」が勝つ。
◇勇気は勝利。臆病は敗北。
◇断固として前へ進みゆけ!
2001年——それは、創価学園生と全卒業生が指標とし、成長を約し合ってきた21世紀の幕開けの年である。
この年の5月3日には、カリフォルニア州オレンジ郡にアメリカ創価大学(SUA)が開学。学園の開校から30年余り。新たな世紀を迎えて、創価教育の光は世界に燦然と輝き始めていた。
◇
「『教育の世紀』の開幕にあたって、何よりもまず、『心の強い人材』を育てたい。これが、超一流の教育者でもある総長と、私の一致した願いであります」
2001年3月16日、21世紀最初の卒業式で創立者・池田先生は、ロシア・モスクワ大学のサドーヴニチィ総長との対談に触れつつ、語った。
この日、先生がスピーチで強調したのは「師弟の精神」だった。ナチスと戦ったノーベル賞作家のカミュと師匠グルニエのドラマを紹介し、自身も先師・牧口先生と恩師・戸田先生の偉大さを世界に宣揚してきたことを述懐した。
「弟子で、一切が決まる。弟子がどうかで、師匠の偉大さが決まるのです」
「『師弟』とは、『師匠』が決めるものではない。弟子が、自分自身で選び取り、自分自身で決めるものなのです」
そして、先生は壇上で卒業生の代表を激励。3年間・6年間の奮闘をたたえ、全員で万歳を。真心あふれる振る舞いに、学園生は胸を熱くした。
先生は、最後に和歌を詠み贈った。
この世にて
師弟に勝る
ものはなし
君よ忘るな
勝利の絆を
卒業生の中には、2カ月後に開学するSUAに合格した人もいた。先生は、その誉れのパイオニアたちにエールを送った。
「1期生が大事です。道を開くのが1期生です。いろいろな困難があるでしょう。経済的に大変な人もいるかもしれない。しかし、負けてはいけない。アメリカで偉大なる人生を開いてほしい。私は、第1期生を、一生涯、見守っていく決心です」
昼間秀幸さん(高校31期)も、SUAに進学した一人。SUAの合否を待つ不安な日々を送っていた高校3年の秋、先生から「英知は 人生の栄光の源!」と揮毫された紙が贈られ、生涯、学び抜く決意を固めた。
大学3年次、語学の壁にぶつかり、自信を失いかけていた時には「アメリカ創大 第一期生万歳! 秀幸君 父ははを大切に!」と書かれた書籍が届いた。常に応援してくれている創立者の存在が、励みになった。
昼間さんは晴れてSUAを卒業し、名門・米ペンシルベニア大学大学院の合格も勝ち取る。
だが修士号を取得後、進学した別の大学院の経営が不況のあおりで悪化し、博士課程を途中で断念せざるを得ない状況に。さらに、アメリカで仕事が見つからないという苦難にも直面した。それでも学園時代の決意が、自らの進むべき道を示してくれた。
現在は、SUA2期の妻と共に米ブリッジウォーター大学に勤務。大学の長期休暇には環境保護のNPO(非営利団体)で働く。「学園時代、池田先生の提言を読み、環境問題解決に携わりたいと願ってきました」。創立者との青春の原点が、昼間さんの前進の力になっている。
◇大空を見つめて
2001年7月11日、創価大学の本部棟の食堂に、学園生の代表が集った。池田先生を囲んだ寮生・下宿生らの会食会である。席上、先生に学園生から7・17「栄光の日」に向けた愛唱歌の歌詞などが手渡された。
寮生を代表して先生に記念品を贈呈したのは、小林哲男さん(高校32期)。「池田先生が『皆が世界の指導者になるために、ナイフとフォークの使い方を教えたいんだ』と言われていたことを覚えています」
小林さんは、創大に進学後、英語と中国語の習得に励んだ。学園生の未来のために、"後悔は、英語を勉強できなかったこと"と、語学の重要性を訴え続けてきた先生に応えるためだ。大学4年次には中国に留学も。しかし、卒業後は、なかなか就職先が見つからなかった。
思い切って再び中国に渡り、現地の人材派遣会社に登録。広東省にある日系の電子部品メーカーで働くことになった。12年からベトナムに駐在。現在は工場の副責任者として奮闘する。
慣れない海外での生活。つらい時には、池田先生が学園生に向けてつづった長編詩「大空を見つめて」を読み返し、自らを奮い立たせた。そこには、1979年に栄光寮を訪問した際の真情が込められている。「散らかし放題の部屋もあった/だが/みな わが子だ/みな 元気だった/みな 若獅子であった/何よりも/師弟の道を熟知している/彼らであった/本当に会えることが嬉しかった」
今ではベトナム語を駆使し、現地の人々と心を通わせることができるようになった。
「得意先の人が工場を視察に来た折に、会食をすることもあります。学園時代に先生が仰った通りになりました」
◇勝負はこれから
第32回卒業式(2002年3月16日)に、金井節子さん(高校32期)は、複雑な気持ちで参加していた。志望する大学に合格できず、浪人が決まっていたからだ。
池田先生は、当初予定されていたスケジュールを変更して式典に出席。スピーチでは、難関大学に合格した学園生の奮闘などをたたえつつ、さらに言葉を継いだ。
「また来年、ふたたび、志望校に挑戦する仲間も多いと思います。人生は長い。勝負はこれからです。『断固として立ち上がれ! 勇敢に前へ進め!』と、私は、励ましのエールを送りたいのであります。人生は、『勇敢な人』が勝ちます。勇気は勝利です。臆病は敗北です。私は、諸君の勝利を、一生涯、祈り続けてまいります」
金井さんは、当時の心境をこう振り返る。「私には、先生が場内後方に座る私に向かって語り掛けてくださったように思えました。いつか必ず、勝利の報告をしようと決意しました」
金井さんは翌年、創大へ。将来の進路を模索する中、父と同じ建築家を志すことに。通信教育などで学びながら設計会社でアルバイトをし、結婚を機にスペインに渡った。世界的な建築家を多く輩出するスペインで、奨学金を得て大学院を修了。現在、欧州最大のサッカースタジアム「カンプノウ」の増改築の設計監理に携わる。2児の母としても奔走する日々だ。
金井さんはスペインに行ってから知った。1983年の自身の誕生日に、池田先生がスペインを訪問していたことを——。
「先生との不思議な縁で、今ここにいるんだと確信します。恩返しの心で、使命の花を咲かせます」
◇何かで「博士」に
"校歌を歌おう!"
2003年1月15日、学園の卒業生大会で、池田先生は呼び掛けた(創価女子短期大学の白鳥体育館)。
♪草木は萌ゆる
武蔵野の……
池田先生は、声を限りに歌う学園生の輪の中に入った。
肩をたたき、頬をなで、固い握手を交わす。命に焼き付けるように、一人一人の顔をじっと見つめる。
スピーチの中で先生は、各地の偉人の言葉を紹介した。イギリスの詩人ロバート・バーンズ、アメリカ公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング博士、ロシアの文豪ゴーリキー、フランスの文豪ロマン・ロラン、中国の周恩来総理——。
そして、世界の指導者へと育ちゆく期待を込めて学園生に語った。「皆さんは、未来の人である。また学園生の舞台は、全世界である。世界に視野を広げ、友情を広げゆく、世界市民に育っていただきたい」
秋山浩美さん(高校33期)は、SUAへの進学を決め、大会に参加していた。
SUAで国際関係などを学んだ後は、英リーズ大学で修士課程を修了。米ジョージ・メイソン大学の博士課程に進んだ。「何かで博士に」。胸には学園卒業式での誓いが燃えていた。
その道のりは長かった。途中で研究分野を変更し、自身の力不足を痛感するほどの壁にも直面した。苦学の末、念願の政治学博士号を取得したのは本年5月。博士課程に進んで10年後の勝利だった。
現在、非常勤講師としてアメリカで教壇に立つ秋山さん。挑戦のドラマはこれからも続く。
◇
第33回卒業式(2003年3月16日)で池田先生は、学園生に「それぞれの進む道で、『博士』と呼ばれる第一人者をめざしてほしい」と呼び掛けた。
希望を忘れない「希望博士」に。ご両親も健康にしていく「健康博士」に。幸福になるために苦労し戦う「幸福博士」に。最高の友人に囲まれた「友情博士」に。世界一美しい親子の姿の「親孝行博士」に——と。
今、「勝利博士」のスクラムは、全世界に広がる壮大なネットワークになっている。