2019年11月30日土曜日

2019.11.30 わが友に贈る

社会で奮闘する
わが地域の青年に
皆で温かな応援を!
後継の育成と成長こそ
広布拡大の原動力だ!

弟子檀那中への御状 P177
『定めて日蓮が弟子檀那流罪死罪一定ならん少しも之を驚くこと莫れ方方への強言申すに及ばず是併ながら而強毒之の故なり、日蓮庶幾せしむる所に候、各各用心有る可し少しも妻子眷属を憶うこと莫れ権威を恐るること莫れ、今度生死の縛を切つて仏果を遂げしめ給え』

【通解】
かならずや、日蓮をはじめ弟子・檀那が死罪や流罪になることであろう。すこしもそのことに驚いてはならない。諸方へ強い言葉で(諫状を)書き送ったことは言うまでもない。これも而強毒之(正法を信じない者に、強いて説いて仏縁を結ばせること)のためなのである。その結果については日蓮は覚悟している。
あなたがたも用心しておきなさい。少しでも妻子眷属のことを思って(臆病になっては)ならない。権威を恐れてはならない。いまこそ苦悩の人生を断ち切って、成仏を遂げるべきである。

名字の言 2回目の"入会記念日" 2019年11月30日
「私の"入会記念日"は二つあります」と、ある壮年部員が語っていた。一つ目は、文字通り入会した日。二つ目は、人のことを祈り始めた日、だという▼彼が言う"2回目の入会"までには随分と時間がかかった。信心する意味を見失い、活動から離れた時期もあった。やめてしまおうかと思う時も。だが、信心を勧めた先輩は関わり続けてくれた。共に信心の基本を学び、共に動き、共に祈ってくれた▼当時を振り返り、先輩は言った。「不安もあっただろうに、君は僕を信じ、一大決心をして入会してくれた。だから僕も一大決心して、君と一緒に成長していこうと決めたんだ」。"2回目の入会"を誰より喜んだのも先輩だった▼池田先生は男子部の第1部隊長の時、さまざまな事情で個人指導が行き届いていなかった新入会者や、思うように活動できていない部員に会うことに、弘教と同じくらい力を入れた。当時、先生は語っている。「一人ひとりを大事に面倒をみて、育てていく。それも大切な弘教です」▼"わが心の入会"は何度あってもいいのかもしれない。新しい自分に一歩成長できた日、新しい決意で信心に挑み始める日は、ともどもにたたえ合い、喜び合える記念日だ。その積み重ねが、揺るぎない幸福への軌道となる。(鉄)

寸鉄 2019年11月30日
広布に戦い続ける人が菩薩であり仏—恩師。共に若々しい心で今日も前進
SGIは異なる文化や背景の人を結ぶ役割果たす—博士。共生社会の指標
「貴賤上下をえらばず」御書。信心に肩書や立場は関係なし。率先の人に
暖房器具火災での死亡事故、5年で100人。7割が高齢者。共に注意呼び掛け
寒さが増す時季。無冠の友の皆様ありがとう!使命の道を呉々も無事故で

☆「教学部教授登用講座」のために 第2回 観心本尊抄
◇平和の世紀を築く人間主義の哲理
「教学部教授登用講座」(全3回)の第2回中継行事が、30日(土)、12月1日(日)に、全国各地の会館・会場で開催されます(日時・会場の詳細は各県・区ごとに決定)。ここでは、中継行事の中で学ぶ御書の御文と通解、池田先生の指導を掲載しました(学習の便宜を図るため、講座の中で取り上げる順に合わせて、御文の冒頭に番号を振ってあります)。受講者は、御書と教材(本紙面)、受講カードを持参し、中継行事に参加してください。

◇「観心本尊抄」について
「観心本尊抄」は、文永10年(1273年)4月25日、日蓮大聖人が52歳の時、流罪地の佐渡・一谷で御述作になり、下総国(現在の千葉県北部などの地域)の門下・富木常忍に送られた重書です。
大聖人は、文永8年(1271年)9月12日の竜の口の法難の後、約2年半の間、佐渡に流罪されました。
本抄では、まず、本門の本尊を信受し、南無妙法蓮華経の唱題に励むことが、末法における成仏の修行であるという「受持即観心」の法門が明かされます。
続いて、末法の衆生が成仏のために信受すべき本尊について述べられ、その本尊は本門の肝心である南無妙法蓮華経であり、地涌の菩薩によって弘められることが明かされます。
最後に、成仏の根本法である一念三千を知らない末法の衆生に対して、仏(久遠の釈尊)が大慈悲を起こし、一念三千の珠を包んだ妙法五字を授与されることを述べて、本抄を結ばれます。

◇御文1
『釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う、四大声聞の領解に云く「無上宝聚・不求自得」云云、我等が己心の声聞界なり、「我が如く等くして異なる事無し我が昔の所願の如き今は已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」、妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや』(御書246ページ15行目〜18行目、編年体御書536ページ8行目〜11行目)

◇通解1
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足している。私たちは、この妙法蓮華経の五字を受持すれば、おのずと釈尊の因果の功徳を譲り与えられるのである。
信解品で、須菩提・迦旃延・迦葉・目けん連の四大声聞が説法を聞いて理解して「この上ない宝の集まりを、求めずしておのずから得ることができた」と言っている。これは、私たちの己心の声聞界である。
方便品には「衆生を私(釈尊)のように等しくして異なることがないようにしたいと、私がその昔、願ったことが、今はすでに満足した。一切衆生を教化して、皆、仏道に入らせることができた」と述べられている。妙覚の位の釈尊は、私たちの血肉である。この仏の因果の功徳は、私たちの骨髄ではないだろうか。

★池田先生の指導から1
「受持即観心」という日蓮仏法の極意を明かされた御文です。
妙法蓮華経は、釈尊が久遠より積み重ねた成仏の原因である修行(因行)と、その結果として成就した福徳(果徳)を、全て具足する大法です。
それは、釈尊自身が妙法蓮華経によって仏になり、また、妙法蓮華経に基づいた法華経を説いているからです。釈尊のみならず一切の諸仏もそうです。妙法五字には、一切諸仏の仏因と仏果が具わっている。
続けて大聖人は、「我等此の五字を受持すれば」と仰せです。「我等」とは大聖人と門下であり、直結する末弟の私たちです。さらに、一切衆生、全民衆を包含するお言葉です。
そして、「自然に」——道理として「必ず」です。「誰でも」ということです。どんな人でも、必ず仏の境涯を開いていけるのです。
この妙法五字を受持して、自行化他の題目を唱え、実践していくならば、成仏の原因も結果も、そっくりそのまま、私たちに譲り与えられます。末法の凡夫が成仏する修行の原理を確立し、明かしてくださったのです。
発迹顕本された大聖人が、顕された御本尊は、この妙法五字の曼荼羅です。
戸田先生は、「文底よりこれを読めば『己心を観ずる』というのは御本尊を信ずることであり、『十法界を見る』というのは妙法を唱えることである」と拝しています。(中略)
深く信心を発して、妙法を唱える時、私たちが拝する御本尊の明鏡に照らされ、わが胸中の御本尊が涌現します。己心の仏界を見るのです。受持即観心の御本尊なればこそ、いかなる苦難も必ず乗り越えていける、いかなる苦悩も必ず解決していける、その偉大な力があるのです。(『人間革命の宗教』所収「民衆仏法(上)」)

◇御文2
『是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す末法の初に出で給わざる可きか、当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す。
問うて曰く仏の記文は云何答えて曰く「後の五百歳閻浮提に於て広宣流布せん」と、天台大師記して云く「後の五百歳遠く妙道に沾おわん」(中略)
此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し』(御書254ページ1行目〜9行目、編年体御書544ページ5行目〜15行目)

◇通解2
このような高貴な大菩薩が、釈迦仏、多宝仏、十方の分身諸仏という三仏に対して末法弘通を約束して、妙法蓮華経の五字を受持したのである。どうして末法の初めに出現されないことがあるだろうか。
まさに知るべきである。この地涌の菩薩の指導者である四菩薩は、折伏を現ずる時は賢王となって愚王を責め誡め、摂受を行ずる時は僧と成って正法を持ち広めるのである。
問うて言う。仏は未来についてどのように述べられているか。
答えて言う。法華経薬王品には「後の五百年に(この法華経を)閻浮提(全世界)において広宣流布するだろう」と説かれている。
この文について天台大師は『法華文句』に「後の五百年に、妙法が流布し、長遠に一切衆生がその功徳に潤うだろう」と記し、妙楽大師は『法華文句記』に「末法の初めにも、冥益がないわけではない」と記している。(中略)
(続く)伝教大師の(『法華秀句』の)釈に(末法の様子を)「闘諍の時(争いの絶えない時)」とあるのは、今起きている自界叛逆難・西海侵逼難の二難を指すのである。この(闘諍の)時に、地涌千界の菩薩が出現して、本門の釈尊を脇士とする一閻浮提第一の本尊を、この国に立てるのである。

★池田先生の指導から2
「観心本尊抄」では、地涌の菩薩が出現する「時」——それは、"末法の初め"であると仰せです。三毒強盛の五濁悪世であり、闘諍言訟の乱世です。
思想・宗教においては"我賢し"と我見が横行し、小が大を破るなどの転倒が続き、根本として尊敬すべき本尊が雑乱する。ゆえに、あるべき人間と社会の価値観が見失われ、精神の土台が崩れていく。この一番混迷した時代に、地涌の菩薩が現れ、いまだ真実に無知である末代幼稚の衆生に、「妙法蓮華経の五字」の大良薬を与えられるのです。
そして、御文の後段において、この地涌の菩薩の現実の振る舞いを「賢王」と「僧」の対比から明かされています。
とりわけ、地涌の菩薩が末法において「折伏を現ずる」時には、「賢王」すなわち「在家」の賢明なる指導者となって、荒れ狂う社会に出現すると仰せです。
「愚王を誡責」するとは、民衆を不幸にする権力者の誤りを正していくことです。今日でいえば、「賢王」とは、民衆の中で、人間を苦しめる根源悪と戦う賢者の一人一人です。
どこまでも謗法充満の悪世の中で仏法を弘通する、末代にわたっての大折伏行がいかに偉大な聖業であるかを教えられている、まことに甚深の御聖訓です。
末法の広宣流布とは、現実社会に生きる目覚めた民衆自身が、民衆の海の中で、目の前の一人の民衆の生命変革に挑んでいく以外にないとの大宣言であると拝されます。
いずれにせよ、「自他共の幸福」を築くための行動がなければ、地涌の菩薩ではありません。人間の苦悩と諸問題を解決し、その社会的使命を果たしてこそ、真の菩薩です。
現実の社会にあって、日常の人間生活にあって、仏法の生命尊厳の思想を浸透させていく「賢王」という人間主義の振る舞いは、具体的には、文化・教育・平和の次元に現れます。「文化の大地」を耕し、「教育の大光」を広げ、「平和の大道」を開いていくのです。絢爛たる人間革命の文化が創出されます。その中で人類の調和と共生の花を爛漫と咲かせていくのです。(『人間革命の宗教』所収「民衆仏法(下)」)

2019年11月29日金曜日

2019.11.29 わが友に贈る

詐欺に厳重注意!
性急な判断は禁物だ。
慌てず 焦らず
家族や周囲に相談を。
皆で声を掛け合おう!

寺泊御書 P951
『心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし』

【通解】
「志」を抱いて進む人達は、一処に集まって、法義を聴聞しなさい。

名字の言 「旅」の語源を知っていますか? 2019年11月29日
「旅」という日本語は「賜る」が転じたものではないか——そうつづったのは、民俗学者の柳田国男である(『定本柳田國男集第25巻』筑摩書房)▼かつて「たぶ(賜ぶ)」という動詞が用いられた時代があった。「品物や恩恵をいただく」等の意味だ。保存食も十分になかった頃の長旅では、行く先々で現地の人々から食べ物や宿泊場所などを与えてもらう、すなわち「賜びてもらう」のが一般的だった。それが、いつしか「旅」と呼ばれるようになったという説である▼そう考えると、人生を「旅」に例えることが多いのもうなずける。人は誰しも、一人では生きていけない。支え合い、与え合いながら、幸福という目的地を目指し、歩みを進めていくものだろう▼まして広布の旅路は、何代もかけて成し遂げていく長征だ。広宣流布大誓堂の北側広場に立つ歌碑には、「妙法の 広布の旅は 遠けれど 共に励まし とも共に征かなむ」と刻まれている。戸田先生が詠み、池田先生が記したものである▼万代にわたる広布の流れを確かなものとするには、後継の青年を励まし、育てる以外にない。「励まし」は「万」の「力」。今日の学会の世界的な発展は、師の激励と同志の奮闘の賜物にほかならない。共戦の旅路を、これからも。(之)

寸鉄 2019年11月29日
世界で充実の教学試験。求道の人材群が陸続と!哲学の深さが青年を糾合
一家和楽の信心を共に。親から子へ、子から孫へ着実な継承に未来あり!
宗教は体験する以外に分からない—先師。自身の"実験証明"の確信を語れ
流感は肺炎や脳症など、合併症の危険も。ワクチン接種等で早めの対策を
賃上げを実施した企業の割合、初の9割超。公明よ生活者支える政策さらに

☆2020年の活動 テーマ 「前進・人材の年」
明2020年は、5月3日に「池田大作先生の第3代会長就任60周年」、そして11月18日に「創価学会創立90周年」という大きな佳節を迎える。 

池田先生が会長に就任された1960年の年間テーマは「前進の年」であった。幾重にも意義深き節を刻む明年、皆で折伏・弘教に挑戦し、人材を拡大して、世界広布を大きく前進させてまいりたい。この強き決意を込めて、2020年はテーマを「前進・人材の年」と掲げ、諸活動を推進していく。

池田先生の戦いは、蒲田の二月闘争、札幌・夏の陣、大阪の戦い、山口開拓指導と、若き日から「前進また前進」の連続だった。文京支部で支部長代理として指揮を執った際の合言葉も「前進」だった。当時を振り返り、先生は「"この支部が前進しなければ、学会全体が前進しない"との確信に立ち、それこそ歌を口ずさむ思いで生き生きと戦った」と語られている。

私たちもまた「私の前進なくして、世界広布の前進はない」との確信に立ち、生き生きと戦っていきたい。

さらに先生は、文京支部のメンバー一人一人と会い、全力で励まし、電光石火で手を打たれた。その激励があったればこそ、全国が目を見張る、第一級の拡大の成果が残された。

「人材育成とは、まず自分が模範の人材に成長することである」との原点に立ち返り、今再び、"皆が前進""皆が人材"を合言葉に、わがブロック、わが地区、わが支部の広布を、一歩前進させてまいりたい。そして師弟の勝利が輝く、栄光の創立90周年を開きゆこう!

1、皆が前進! 折伏・弘教で「5・3」「11・18」を祝賀
「皆さんは、さまざまな悩み、苦しみと、日々格闘しながら、希望に燃えて折伏・弘教に奔走されている。ここに真実の人間の輝きがあり、これこそが地涌の菩薩の姿です。再び新しい決意で、私と共に前進しましょう!」(小説『新・人間革命』第30巻〈上〉「雄飛」の章)

◇折伏・弘教に積極果敢に挑戦し、拡大の結果で「5・3」「11・18」を祝賀しよう。
◇聖教新聞の拡大に挑もう。聖教拡大に挑戦するメンバーを増やしながら、「新規購読」「長期購読」も進めよう。

◇近隣・地域・職場に友好と信頼を広げ、"10人の本当の友人づくり"を目指そう。家族・親族との交流にも力を入れよう。そのために「友好デーの拡充や会合の回数減」「学会行事と地域行事の重なりを避けて日程調整」など工夫しよう。

◇「教学部任用試験(仏法入門)」で会友受験を進め、「地区2人以上の合格者」の輩出を目指そう。

◇「モバイルSTB」視聴運動を進めよう。「SOKAnet」や「インスタグラム」の学会公式チャンネルも活用し、学会理解を広げよう。

2、皆が人材! 励ましの拡大で盤石な創価城を構築
「皆が人材である。皆が使命の人である。皆が日蓮大聖人の直弟子である。(中略)真心からの激励が、友に希望を与え、勇気を与え、新しき前進の活力となっていくのである。伸一は、一人ひとりを、サーチライトで照らし出すように、"励ましの光を送ろう"と自らに言い聞かせ、この一年もまた、同志のなかに飛び込んでいく決意を固めていたのである」(同第16巻「入魂」の章)

◇「励まし週間」をはじめとして、リーダーは徹底して「訪問・激励」に動こう。一人一人の声に耳を傾け、全力で励ましを送り、広布拡大に挑戦する活動者の水かさを増そう。

◇「皆が信心を深める」「皆が主役」の歓喜あふれる座談会を開催しよう。多くの友人を招き、未入会家族の参加も促そう。

◇青年部・未来部の育成に力を入れよう。各方面・県で開催される「創価青年大会」を通じて、青年層の折伏・青年部の活動者増を各部一体で進めよう。「わが家庭」「わが地域」「わが組織」で協力して創価後継の人材を育み、「家族皆で会合参加」「家族皆で友好活動」を促進しよう。

◇「SOKAキッズフェスタ」「七五三記念勤行会」なども活用しながら、未来部・未就学世代の未入会メンバーの入会を応援しよう。

3、皆が研さん! 前進・人材の要諦は小説「新・人間革命」
「小説『新・人間革命』の完結を新しい出発として、創価の同志が『山本伸一』として立ち、友の幸福のために走り、間断なき不屈の行動をもって、自身の輝ける『人間革命』の歴史を綴られんことを、心から念願している」(同第30巻〈下〉「あとがき」)

◇小説『人間革命』(全12巻)『新・人間革命』(全30巻)の研さん・熟読に取り組もう。「聖教電子版」や「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」なども活用し、師弟の道を学び、自ら実践しながら、自分自身の人間革命に挑戦していこう。

◇御書根本に「教学の日」「教学試験」「教学講座」を通して、人間主義の仏法の研さんに力を入れ、「行学の二道」に挑戦する人材の増加を目指すとともに、破邪顕正の教宣活動も着実に進めよう。

2019年11月28日木曜日

2019.11.28 わが友に贈る

各地が新体制で出発。
正・副役職の団結こそ
勝利と発展の要だ。
満々たる生命力で
新時代を開きゆこう!

教行証御書 P1279
『一切は現証には如かず』

【通解】
一切は現証にすぎるものではない。

名字の言 2019年11月28日
新春の箱根駅伝へ、創価大学駅伝部の調整が進む。先日、1万メートル記録会でムイル選手が27分台、米満選手が自己ベストを30秒以上更新する28分30秒台に突入し、創大の日本人歴代記録を打ち立てた。3番手、4番手も29分10秒台で続き、新たに4人の選手が30分の壁を破った。いい緊張感がチーム内に満ちてきている▼本年2月に就任した創大の榎木監督は「箱根は特別。人生が変わる」と選手に訴える。監督自身も、箱根駅伝で4年連続の区間賞を獲得し、その後の競技人生を開いてきた▼そんな監督の座右の銘は「走姿顕心」。走る姿には、その人のさまざまな心、魂が表れる、という意。長距離走はごまかしが利かない。選手たちの記録更新が彼らの闘志の表れだと思うと、胸が熱くなる▼100メートル10秒の壁、1マイル(約1・6キロ)4分の壁——不可能とされた壁を破る一人が現れると、せきを切ったように更新する選手が続く。それが陸上競技の歴史だった。先月には参考記録ながら、ついにマラソン2時間の壁も破られた。歴史は繰り返されるに違いない▼仏法では「色心不二」を説く。自分にはできないと思う「心の壁」を壊せば、不可能も可能になる。我らも、自身の"人生の新記録"を目指して走りきろうではないか。(差)

寸鉄 2019年11月28日
「信の一字を詮と為す」御書。何があろうと題目第一。苦難の時こそ貫け
信越婦人部「誓いの日」。師弟の道、一筋に。太陽の母ありて人材山脈は隆々
宗門との決別は学会の歴史で最良の出来事—博士きょう「魂の独立記念日」
褒めることが子供の自己肯定感や自尊感情を育む—研究。励ましは万の力
CO2濃度が過去最高を更新。上昇止まらずと。国境超えて温暖化防止へ

☆2020年の年間主要行事
《本部行事》
�「創価学会の日」記念行事
5・3「創価学会の日」を記念する行事を、会館を使用して開催する。
�「創価学会創立記念日」の行事
11・18「創価学会創立記念日」の行事を、会館を使用して開催する。

《記念行事》
以下の記念日に、意義をとどめて行事を行う。
1・26「SGI(創価学会インタナショナル)の日」
3・16「広宣流布記念の日」
4・2「第2代会長戸田城聖先生命日」
5・19「創価学会常住御本尊記念日」
7・3「第2代会長戸田城聖先生出獄記念日」
8・24「第3代会長池田大作先生入信記念日」
9・8「原水爆禁止宣言の日」
10・2「世界平和の日」
11・18「初代会長牧口常三郎先生命日」

《各種行事》
�支部・地区総会の開催
「支部・地区総会」の開催の有無、開催期間、開催単位、内容等は、方面・県に一任する。
�女子部ロマン総会の開催
1月を中心に「女子部ロマン総会」を開催する。
�婦人部総会の開催
5月に「婦人部総会」をグループ単位で開催する。
�教学試験・教学講座の実施
2月に「教学部教授登用講座」「教学部教授講座」(全国中継行事)を行う。
6月に「教学部任用試験(仏法入門)」を実施する。

《勤行法要諸行事》
�「日蓮大聖人御聖誕の日」を記念して、方面または県・分県の中心会館で勤行会を開催する。(2月16日)
�「立宗の日」を記念して、方面または県・分県の中心会館で勤行会を開催する。(4月28日)
�「竜の口の法難の日」の意義をとどめ、記念勤行会を開催する。(9月12日)
�「日蓮大聖人御入滅の日」に滅不滅の意義から勤行会を開催する。(10月13日)
◇ 
�3月20日を中心に「春季彼岸勤行法要」、9月22日を中心に「秋季彼岸勤行法要」を県・分県の中心会館で実施する。(3月20日、9月22日)
�「諸精霊追善勤行法要」を県・分県の中心会館で実施する。(7月15日または8月15日)
�「世界平和祈念 戦没者追善勤行法要」を方面または県・分県の中心会館で実施する。(8月15日)
◇ 
�「新年勤行会」を全国の会館で開催する。(1月1日、2日)
�「成人の日」の記念勤行会を県・分県の中心会館で開催する。(1月13日)
�「七五三」の記念勤行会を県・分県の中心会館で開催する。(11月15日)
※阪神・淡路大震災「『阪神ルネサンスの日』勤行会」を関西で会館を使用して開催する。(1月17日)
※東日本大震災「福光勤行会」を東北で会館を使用して開催する。(3月11日)

《墓園での勤行法要》
○全国の墓園・納骨堂では、「日蓮大聖人御入滅の日」である13日に、毎月、勤行法要を実施する。また、牧口常三郎先生の命日(18日)、戸田城聖先生の命日(2日)に勤行法要を行う。
○春季・秋季彼岸勤行法要を行うとともに、「諸精霊追善勤行法要」(7月15日または8月15日)を実施する。

2019年11月27日水曜日

2019.11.27 わが友に贈る

尊き無冠の道を歩む
配達員の皆様に感謝!
寒さが一段と増す時期。
防寒等の対策を万全に
無理せず安全第一で!

報恩抄 P329
『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか』

【通解】
極楽での百年の修行の功徳は、汚れた、この国土での一日の修行の功徳に及ばない。正法・像法時代の二千年間の弘通は、末法の一時の弘通に劣るであろう。

名字の言 2019年11月27日
先日、行われた鹿児島総県・指宿圏の総会。男女青年部と共に"7人の少年少女部合唱団"が歌声を披露し、大きな拍手に包まれた。この晴れ舞台の陰には、2人の少女部員の"奮闘"があった▼昨年、彼女たちは鹿児島総県少年少女部の合唱祭へ。圏ごとにステージに立つが、指宿圏は彼女たち2人しかいなかったので、他の圏と一緒に歌った。2人は"来年は絶対に圏の合唱団として歌おう"と誓い合った▼早速、団員募集のポスターを作成。会館に張り出し、会合などで懸命に呼び掛けた。また圏の部員会を"王子王女プラザ"と銘打ち、企画も自分たちで工夫した。そのけなげな姿に壮年・婦人部も立ち上がった。本年、3回開催された"プラザ"は、少年少女部員のほか多くの未就学児や保護者、友人も参加し大盛況。そして来月の総県合唱祭には、9人の団員で、指宿圏として参加する予定だ▼「未来に羽ばたく使命を自覚するとき、才能の芽は、急速に伸びる」との池田先生の言葉を思う。子どもの心は本来、"伸びよう""成長しよう"という息吹に満ちている。それを信じ、待ち、粘り強く励ますのが大人たちの挑戦だ▼12月1日から未来部勝利月間が始まる。学会創立100周年の主役と共に、新たな前進を開始しよう。(誼)

寸鉄 2019年11月27日
会長は話を深く聞き取る対話で平和を推進—教授心の絆結ぶ極意はここに
本年の総仕上げへ全国の同志が驀進。「前進・人材の年」の勝利の本因を今
学会は世界で只一つ正法弘める折伏の団体—恩師誇りに胸張り堂々と語れ
「寒暖差疲労」に注意。軽い運動も有効。小さな積み重ねで健康人生を!
終にほろびざるは候はず—御書。今年も日顕宗は脱講者続出。陰々滅々と

☆総県長会議での原田会長の指導 2019年11月20日
◇皆が前進! 全員で折伏に挑戦
◇皆が人材! 訪問・激励に総力
一、東日本の広範囲にわたって甚大な被害をもたらした台風19号をはじめ、この下半期は台風や豪雨が相次ぎました。被災された皆さまに、心からのお見舞いを申し上げます。また、これまで全力で激励に当たってくださった皆さま、青年部の"かたし隊"など復旧・復興に尽力してくださっている皆さまに、厚く御礼を申し上げます。
私も神奈川・栃木・福島と、被災された方のもとへ足を運び、全力で激励させていただきました。そこには"必ずや信心で立ち上がり、断じて変毒為薬してみせる"と再起を誓う、崇高な姿が光っていました。これからも私たち創価家族は、一丸となって、一日も早い復旧・復興を、全力で祈ってまいりたい。

一、一昨日(16日)には世界の同志と共に開館記念勤行会を晴れやかに開催し、師弟凱歌の大言論城である「創価学会 世界聖教会館」が威風も堂々と完成いたしました。大変におめでとうございます!(拍手)
信濃町駅を降りてすぐの場所には、「総合案内センター」もオープンし、総本部に来館された方から、既に数多くの喜びの声をいただいています。
世界聖教会館の完成を聖教新聞の拡大で祝賀しようと、全国が一丸となって取り組んでいただいた結果、近年まれに見る部数の拡大で、栄光の「11・18」を迎えることができました。改めて、全国の同志の大奮闘に、心より御礼申し上げます。
本当に、ありがとうございました!(拍手)
池田先生は、9月28日、10月19日と、2度にわたり世界聖教会館を訪問され、勤行・唱題してくださり、魂魄をとどめてくださいました。1階入り口に設置された「聖教新聞 師弟凱歌の碑」には「立正安国と世界広布の大言論城たる此の地から、永久に師弟共戦の師子吼が放ちゆかれることを信ずるものである」と記してくださっています。
私たちは、これまでの池田先生のペンの大闘争に心からの感謝をささげるとともに、先生がつくり上げてくださった聖教新聞をさらに発展させながら、世界広布をより前進させゆく師弟共戦の師子吼を轟かせてまいりたい。
今、聖教新聞は大きく紙面が刷新され、内容も充実しています。聖教電子版もスタートし、「人間革命検索サービス」が開始されるとともに、「速報配信機能」も加わりました。
聖教新聞を熟読するとともに、これらも大いに活用していきたいと思います。

◇絶対無事故の財務
一、いよいよ今月28日からは、財務納金が始まります。御聖訓に「供養し給ういづれも・いづれも功徳に・ならざるはなし」(御書1098ページ)と仰せの通り、総本部が着々と整備され、創立90周年、さらには100周年へと、世界広布が勢いを増す中で、それを支える財務の功徳は計り知れません。
世間では、架空請求のハガキやSNS・メールが届くなど、年々、詐欺事件が巧妙になっています。改めて確認すれば、振込用紙に記載された振込先が変わることはありませんし、財務を誰かが預かるようなことも決してありません。
絶対無事故で、福徳あふれる財務となるよう真剣に祈りながら、本年の総仕上げを飾っていきたい。

一、明年は池田先生の第3代会長就任60周年、そして学会創立90周年という輝かしい佳節であります。
この佳節を、「皆が前進!」「皆が人材!」を合言葉に、池田門下の弟子が総力を挙げて、「折伏」と「人材」の拡大で祝賀してまいりたい。
かつて池田先生は明確に語られました。
「私は、戸田先生を守るために、命をかけて戦ってきた。ある時は先生の事業を再建するために。そして、先生の願業である広宣流布を実現するために。青年時代から折伏をやり抜いた。拡大の指揮を執ってきた」
「人間、だれが一番、偉いのか。法のため、人のため、一生懸命に折伏をし、友の激励に歩く、その人が偉いのである」
さまざまな悩みや苦しみと格闘しながら折伏に奔走する中に、真実の人間の輝きがあります。「学会は、永遠に折伏の団体である」「折伏をする人こそが一番、偉く尊い」。この根本指針を再確認し、皆で大きく拡大に打って出たい。
本年は、上半期の全人脈への友好拡大、そして下半期の聖教拡大と、大きく仏縁を結び、種をまいていただきました。明年は、その種を、大切に育て続けながら、大きく花開かせていきたい。
聖教新聞の紙面だけでなく、VOD番組も充実し、SOKAnetやインスタグラムもあります。そして、創価家族の温かな座談会、同志の素晴らしい体験こそが、学会理解を深めることは間違いありません。まして、世界広布を現実のものとされてきた折伏の師匠である池田先生と共に戦える今この時こそ、広布拡大の絶好機であります。
池田先生が第3代会長に就任されて60周年となる「5・3」を、池田門下の弟子が一丸となって、折伏大前進の結果でお祝いしてまいりたい。「私が折伏に挑戦する」「私が折伏を実らせる」との決意で、本日より出発を切ってまいりましょう。

一、明年は「折伏の前進」とともに、「人材の拡大」にも総力を挙げてまいりたい。
先生はサーチライトで照らし出すように、励ましの光を送られてきました。まさに「皆が人材」との大確信で、真心の激励に徹してこそ、人材は育まれる。新しい人材が生まれなければ、広布の伸展もありません。
昨年より「励まし週間」を設定し、訪問・激励の強化に取り組んできました。「人材の年」と銘打ったからこそ、明年は、これまで以上に「励まし週間」を充実させ、訪問・激励を強化してまいりたい。
聖教新聞に好評連載の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は今月、第13巻を数えています。「励まし週間」スタートの際にも確認しましたが、第13巻「北斗」の章には「座談会を迎えるにあたっては、幹部が手分けをして、連絡、指導、激励にあたり、全員が参加できるように力を尽くしていくことが大事になります。座談会は、当日だけでなく、結集も含め、事前の準備によって決まってしまう」とあります。
「励まし週間」は「座談会の週」や「本部幹部会・中継行事」の前に設定されています。人材拡大の一つの指標は「座談会・本幹中継の参加者が増えたかどうか」です。
この点も踏まえ、私たちは改めて"リーダーの活動の眼目は一人と会うこと""会合と個人指導の比率は2対8を目標に"の指針を実践していきたい。
そして「創立90周年は、自分史上最高の訪問・激励ができた。その結果、盤石な人材の城が築けた」との歴史を、ともどもに打ち立てていきたい。

◇11・18から5・3へ
一、創価大学駅伝部が3年ぶり3回目の箱根駅伝の本選出場を決め、1月2日、先生の92歳の誕生日をお祝いしてくれます。おめでとうございます!
私たちも「折伏の前進」「人材の拡大」へ、勇んでスタートダッシュしてまいりたい。
池田先生は、「世界を照らす太陽の仏法」の中で、「生命尊厳の人間主義を、世界中の人々がいやまして求めています」「創立90周年へ、前進、前進、また前進していこうではありませんか!」と力強く呼び掛けてくださいました。
私自身、新たな決意で、新たな戦いを起こしてまいります。さあ、世界聖教会館完成の栄光燦たる「11・18」から、先生の会長就任60周年の「5・3」へ、「前進、前進、また前進」で、折伏の大波を起こしていこうではありませんか!(拍手)

2019年11月26日火曜日

2019.11.26 わが友に贈る

もっと強く!
もっと優しく!
大きな苦難を越えてこそ
大きな自分になれる。
そのための信心だ。

上野殿御消息 P1527
『是くの如く振舞うを賢人とも聖人とも云うべし、此の四の事あれば余の事にはよからねどもよき者なり、是くの如く四の得を振舞ふ人は外典三千巻をよまねども読みたる人となれり』

【通解】
このように振る舞う人を賢人とも聖人ともいう。この四徳があれば、他の事はよくなくても良き人なのである。このように四徳を修め行う人は、外典三千巻を読まなくても読んだ人となるのである。

名字の言 2019年11月26日
資産家の元に生まれたナイチンゲールは30代の時、豊かな生活から一転、過酷な看護の世界に飛び込んだ。赴任した戦地の兵舎病院では劣悪な環境、傲慢な軍医や将校からの冷遇、彼女の活躍に嫉妬する同僚の妨害といった"壁"に直面した▼だが、そうした不条理な状況をはね返し、苦しむ人に尽くし抜いた。後輩を励ます彼女の言葉がある。「あなた方は、進歩しつづけない限りは退歩していることになるのです。目的を高く掲げなさい」(薄井坦子他訳)。それは彼女の人生観にも重なる▼目の病と闘う男子部員は31歳で結婚。希望に満ちた日々を送っていた矢先、妻が余命1カ月のがんに。治療に専念しつつ、夫婦で祈りを深めた。妻は更賜寿命の実証を示し、霊山へ。亡くなる2週間前、妻は友人に弘教を実らせた▼失意の中、彼は視力までも奪われた。だが決意した。「自分は立ち止まっても、社会は動き、時代は進む。それでは後退だ。前に進もう」。彼はマラソンにも挑戦し始めた。めきめきと力をつけた今夏、国内最大の障がい者スポーツ大会で優勝。その日は亡き妻との5回目の結婚記念日だった▼伴走者である家族を心に抱いて彼は走り続ける。一歩一歩進むことが不屈の足跡になると確信し、信仰勝利のゴールを目指す。(城)

寸鉄 2019年11月26日
未来部が「E—1GP」。挑んだ皆が勝利者!次代を担う鳳雛こそ希望の光
山口女性の日。婦女一体の麗しき励ましの連帯!新時代の広布開拓史綴れ
「知恩報恩をいたすべし」御書。感謝の人は成長の人。君よ師弟の大道進め
世界の11〜17歳、8割が深刻な運動不足—調査。健康こそ第一。対策急げ
2割がコンタクトレンズを"ポイ捨て"。環境汚染の恐れも。正しく廃棄を

☆池田大作先生は創立89周年と世界聖教会館の開館を祝賀し、全国・全世界の同志に3首の和歌を詠み贈った。
池田先生の和歌

言論で
 勝ち征く師弟の
  創立日
 世界の聖教
  乱世に師子吼を

無冠なる
 友が城主の
  大城なれば
 幸の仏縁
  民衆の大地に

自他共に
 智慧と慈悲との
  聖火をば
 喜び掲げ
  正義の走者と

☆「創価学会 世界聖教会館」開館記念勤行会から原田会長のあいさつ(要旨) 2019年11月18日
◇師弟の闘魂を受け継ぎ 平和と正義の大潮流を
一、「創価学会 世界聖教会館」開館記念勤行会を65カ国・地域280人の同志と共に、晴れやかに開催することができました。誠におめでとうございます(大拍手)。

一、世界聖教会館には、池田先生も既に2度、ご訪問くださり、世界広布のますますの前進と言論戦の勝利を祈ってくださいました。

1階に設置された「聖教新聞 師弟凱歌の碑」につづられている通り、戸田先生が聖教新聞発刊の構想を示されたのは1950年8月24日。奇しくも池田先生が入信されて、ちょうど3年となる日でありました。

事業が暗礁に乗り上げた戸田先生は、この日、学会の理事長を辞任。事業について新聞記者に取材を受けた際、戸田先生は、言論の持つ大きな力を痛感されました。

明日をも知れぬ状況の中で、戸田先生はなお広布の未来を見据え、「学会も、いつか、新聞を持たなければならない。大作、よく考えておいてくれ」と、機関紙発刊の準備を池田先生に命じられたのです。

さらに、本日11月16日も、創価の未来を決する大切な師弟の語らいがあった日です。すなわち、戸田先生が池田先生に創価大学の設立構想を語られたのが、69年前のきょうなのです。

晩秋になっても、戸田先生の事業の状況が好転することはありませんでした。新聞創刊も大学創立も、こうした厳しい現実の真っただ中で構想されたのです。

その後、人生の厳冬ともいうべき時に、池田先生は阿修羅のごとく戦い、師匠を守り抜かれました。
その激闘によって「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)との御聖訓の通り、事業の整理は劇的に進み、翌春の51年4月20日、聖教新聞は産声を上げました。
その2週間後、戸田先生は第2代会長に就任。広宣流布への本格的な前進が開始されたのです。

一方、池田先生が創価大学の設立構想を正式に発表されたのは、第3代会長就任から、わずか4年後の64年。そして、そこから7年のうちに創価大学は開学をみたのであります。

一、かつて池田先生は語られました。
「(戸田)先生と私(池田先生)の二人きりのとき、先生は言われました。
『大作が、もしか会長になったら、何カ国ぐらいの国に広宣流布できるか』と。
当時の学会は、日本のことだけで精一杯でした。しかし、戸田先生は鋭く世界を展望しておられたのです。

私は答えました。
『必ず全世界に仏法を弘めます!』
『それは何カ国だ』
『100カ国以上に弘めていきます』
先生は涙ぐんでいました。私が言えば、必ず実行することは分かっておられましたから。

事業の失敗で苦境にあった師をお護りし、師の広布拡大の大願を成就させ、文化と教育の大構想も、すべて実現してきました。
師匠が喜び、安心し、勝利する——そのためには、どんなことでも成し遂げる。そういう弟子であったのです。これが本当の師弟の関係です」と。

本日、広宣流布の新たな言論城に、池田先生が恩師に誓った世界広布の人材が集結しました。この言論会館での集いこそ、池田先生の師弟勝利の実像であります。

だからこそ私どもは、最大の苦境の中で一切を変毒為薬し、恩師の大構想の一切を実現してこられた池田先生の闘争に続き、"師匠が喜び、安心し、勝利するために、どんなことでも成し遂げる"——この本当の師弟の闘魂を断固、受け継いでまいりたい。

広宣流布の根幹は、どこまでも言論闘争です。世界を平和へ、幸福へと導く、正義の言論の大潮流を、きょうから新たな決意で、ともどもに巻き起こしてまいりたい。

そして、池田先生に、喜び、安心していただける弟子の勝利を、これからの聖教紙上に、各国の機関紙・誌に、さらには万年の広布史に、厳然とつづりゆこうではありませんか(大拍手)。

2019年11月25日月曜日

2019.11.25 わが友に贈る

◇今週のことば
友の幸せを祈り
信心の体験を語る。
これこそ仏の聖業なり。
朗らかに大確信で
「未来までの仏種」を!
2019年11月25日

上野殿御返事 P1540
『この甲斐の国にも少少信ぜんと申す人人候へどもおぼろげならでは入れまいらせ候はぬにて候、なかなかしき人の信ずるやうにてなめりて候へば人の信心をもやぶりて候なり』

【通解】
この甲斐の国にも少々信じようとする人々はいるけれども、はっきりとしないうちは入信させないのである。なまじっか人が信心しているような格好をして、いいかげんなことをしたときには、人の信心も破ってしまうのである。

名字の言 2019年11月25日
本紙で連載中の「ライフウオッチ」。学会員の多彩なエピソードを軸に、識者へのインタビュー等を交えながら、「人生100年時代」の幸福論を考える企画に、毎回、多くの反響が寄せられる▼共通するのは登場人物への「共感」だ。"就職氷河期"世代の友がつづる人間革命のドラマに「"遠回りをしても、その分、全てを生かせる時が来る"と励まされた気がします」と。変わるきっかけになった同志の支えや池田先生の言葉に心を揺さぶられた、との感想もあった▼15年間の非正規雇用を経て正社員になった男子部員の信仰体験(先月13日付)には、「いわゆる"華々しい体験"だけでなく、もがき苦しむ場面にも焦点が当てられ、自分もこれでいいんだと自信が持てました」と▼スイスの哲人ヒルティは言った。「ひとを信じさせるものは経験である。自分も経験してみたいという願望と気分とを起こさせるものは、その経験をした人たちの証言である」(草間平作訳)。池田先生はこの言葉を紹介しつつ、信仰体験について「生命にわき上がる、その実感に勝る説得力は、どこにもない」と強調した▼もがきつつ同時代を生き抜く友の姿は、人の心に真っすぐ届く。その心の共振は、おのずと周囲に広がり、社会を変えていく。(仁)

寸鉄 2019年11月25日
インドから名誉博士号。「平和と調和目指す会長の対話こそ模範」学部長
哲学を基礎としている事が学会の強み—戸田先生常に御書を学ぶリズムを
勝利の暁とは新たな決意の時だ—首相。創立の月から清新な息吹で拡大へ
後回しにする人は時間に追われる—行動経済学。仕事も活動も先手必勝で
警察庁が高齢運転の相談電話を開設。「私は平気」と過信せず。活用上手に

☆ジャイプル・ナショナル大学「名誉博士号」授与式から池田先生の謝辞(代読) 2019年11月23日
一、光栄にも、悠久なる「精神の大国」から世界の未来を知性と希望の光で燦然と照らしゆかれる貴ジャイプル・ナショナル大学より、名誉博士の学位を授与賜りました。

良き市民として、良き国民として、社会貢献をたゆみなく続けゆく、わがインド創価学会の宝友たちと、この栄誉と喜びを、謹んで分かち合わせていただきます。誠にありがとうございます。

◇「ジャイプル」の名には「勝利」の意義が
一、「名は必ず体にいたる徳あり」といわれる通り、名前には不思議な力があります。

貴大学が、その名に冠しておられる、ラジャスタン州の州都「ジャイプル」には、「勝利」という深き意義が込められていると伺いました。

ジャイプルの天地は、世界文化遺産に登録された野外天文観測所ジャンタル・マンタルや宮殿シティ・パレス、ジャイプル市街など、幾多の壮麗な建造物が並び立つ、芸術と科学の都であります。

18世紀の偉大な改革者であり、科学者としても名高いジャイ・シング2世が建設した天文台は、当時の世界の学問を結集して、新たな時代を開かんとした先駆の知性による「勝利」の象徴といえましょう。

ジャイプルは、ネルー初代首相が「都市設計のモデルの一つ」とたたえた先進都市としても、よく知られ、商工業や金融の中心として目覚ましい大発展を遂げてこられました。

そして、この「勝利の都」にそびえる「勝利の学府」として、「勝利の人材群」を育成されてきたのが、まさに貴ジャイプル・ナショナル大学であられると、私は讃嘆したいのであります。

◇「勝利」を青年の薫陶の根幹に置いた牧口先生
実は、わが創価教育の師父である牧口常三郎先生も、「勝利」ということを、青年の薫陶の根幹に置いておりました。

生活も人生も、また社会も文明も、絶え間ない「勝負」の連続であります。現実に一つ一つ立ち現れる課題と、いかに戦い、苦難に屈せず、試練を勝ち越えていくか。
この「負けじ魂」と「勝利」へ前進する価値創造の英知を、一人一人の若き生命から引き出していくことを、牧口先生は目指していました。

先生が日本の軍部政府の弾圧で獄死して、この11月で75年となります。
先生は獄中の訊問でも、何ものにも負けずに人間として最高の理想を実現しゆく究極の勝利の力を示したのが、貴国インドの釈尊であることを、堂々と主張していたのであります。

◇「学び」「考え」「語り合う」力を強め 若き生命の創造性を解き放て
一、本日は、「勝利の学府」たる貴大学の理念と精神に学びながら、「勝利へのビジョン」を3点、確認させていただきたいと思うのであります。

第一に、「闊達なる学びから勝利の力が生まれる」ということであります。

貴大学は「学生中心の教育」を高らかに掲げ、「最高水準の学術的厳格さと活力」とともに、「生涯にわたる学びへの情熱」を育まれています。

そして、バクシ総長ご自身が「私は全ての人から学ぼうとしています」と語られ、日々、闊達なる対話を広げておられるのであります。

学生が自らの関心を生かして、さまざまなコースを横断的に学び、広々と開放された環境で才能を発揮できるように工夫されていることも、素晴らしい取り組みです。

◇仏教学者ロケッシュ・チャンドラ博士「考えることは人類の進歩の象徴」
再会を喜び合う池田先生とロケッシュ・チャンドラ博士(2008年3月、東京・八王子市の創価大学で)。これまで日印両国で6度の出会いを結んでいる
再会を喜び合う池田先生とロケッシュ・チャンドラ博士(2008年3月、東京・八王子市の創価大学で)。これまで日印両国で6度の出会いを結んでいる
インドを代表する仏教学者ロケッシュ・チャンドラ博士との語らいを私は思い起こします。

——「知性」を意味する英語の「マインド」は、サンスクリットで「考える」を意味する「マン」と語源が同じであり、その「マン」から「人間」を意味する「マヌシャ」という言葉ができた。すなわち「考える」ことはまさしく「人類の進歩の象徴」なのであると、大碩学の博士は示してくださいました。

IT(情報技術)が急速に進展する現代社会だからこそ、「学び」「考え」、そして「語り合う」という人間自身の本源的な力を一段と強め深めながら、いかなる人類の難局も勝ち開いていく若き生命の創造性を解き放っていきたいと、私は願う一人であります。

一、第二に、「人々への献身から勝利の光が広がる」ということであります。

貴大学のミッションには「地域と社会の、社会的・文化的・経済的ニーズへの奉仕」が謳い上げられ、人々の苦悩や痛みに寄り添いゆく殿堂として輝きを放っておられます。

市内の美化運動や、貧困に苦しむ子どもたちへのサポート、さらには医療分野に注力されていることにも、その尊き精神が脈打っております。

◇「ヴェーダ文化」の基本理念——「あらゆる人種・民族は一つの家族」
インドを代表する世界的な法律家にして、人権運動の闘士であるベッド・ナンダ博士との対談では、深遠な「インド思想」、また「ヴェーダ文化」が大きなテーマになりました。

そこには、「あらゆる人種・民族は一つの家族である」との基本的な理念があり、「貧困や無知、飢餓や病気など、世界のどこかで人間が苦しんでいるならば、共に苦しむ」という精神があります。

仏典では、釈尊が弟子たちに「歩みを行なえ、衆人の利益のために、衆人の安楽のために、世人に対する共感のために」(中村元訳『原始仏典』筑摩書房)と呼び掛けたと説かれております。

◇人間の尊厳と幸福に尽くす英才の育成を
私が創立した創価大学も、地域社会への貢献とともに、国連と世界の大学を結ぶ「国連アカデミック・インパクト」の一員として、「持続可能な開発目標(SDGs)」に取り組んでおります。身近な郷土から世界まで、一人一人の尊厳と幸福を願い、尽くしていく英才の育成と連帯にこそ、未来の勝利の光があるのではないでしょうか。

◇"執念"こそ人生と社会の勝利の要諦
一、第三に申し上げたいのは、「断じて諦めない執念から勝利が成就する」ということであります。

貴大学が飛躍的な発展を遂げた要因は、何か。

創立者であられるバクシ総長は「それは、途中で諦めずに、成し遂げようとするコミットメント(献身)の心があったからです。この心が、成長への大きな原動力となったのです」と語られています。

創立者として同じ苦労を重ねてきた私には、痛いほど胸に迫る一言です。

総長は、「『ネバー・ギブアップ』、そして『闘士であること』が私の哲学です」とも言われております。

万般にわたって、人生と社会の勝利の要諦は、この執念にこそあるといってよいでありましょう。

私たちが大切にしている「法華経」の一節にも、生命の真髄の力として「忍辱の大力 智慧の宝蔵あり 大慈悲を以て 法の如く世を化す」と記されております。
慈悲のあるところ、智慧は尽きることなく湧いてきます。そして忍耐のあるところ、勝利の道は必ず開かれるのであります。

◇太陽の如き青年が未来を照らす
一、ジャイプルの旧市街を走る大通りの東西には、堂々たる太陽門(スーラジポール)と月光門(チャンドポール)が屹立しております。生命を太陽の如く、月光の如く輝かせゆく青年たちが、貴大学から、そして貴国から、いやまして澎湃と躍り出て、そして人類の勝利を照らしゆかれることを、私は祈り、また確信してやみません。

結びに、貴ジャイプル・ナショナル大学の無窮のご繁栄と、ご臨席の方々のご健勝を心から念願し、私の謝辞とさせていただきます(大拍手)。

2019年11月24日日曜日

2019.11.24 わが友に贈る

「未来の果を
知らんと欲せば
其の現在の因を見よ」
栄光の人生を開くのは
今の決意と行動にあり!

椎地四郎殿御書 P1448
『末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし、火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや』

【通解】
末法には法華経の行者が必ず出現する。ただし大難が起こったならば、強盛の信心で、いよいよ喜んでいくのである。火に薪を加えれば、燃え盛らないことがあろうか。

名字の言 2019年11月24日
中等部員からうれしい連絡があった。先日の全日本合唱コンクール全国大会で、所属する中学校の合唱部が金賞に輝いたという▼彼は「最高のハーモニーを生み出したい」と願い、練習に励んできた。部員は"個性豊かな"メンバーばかり。うまくまとまらず、唇をかんだこともある。それでも唱題に挑戦し、努力を重ねた。全員が力を発揮し、一生の思い出を築けるように。金賞に輝いた瞬間、喜びとともに彼の胸を満たしたものは「最高の仲間」を得た実感であり、家族や地域の同志への感謝だった▼ハーモニーは「調和」と訳される。古代ギリシャの言葉「ハルモニア」が語源という。いにしえの人々は宇宙の星々がぶつかることなく、見事なリズムを保って運行している事実に驚嘆した。その調和の力を「ハルモニア」と呼んだといわれる▼仏法では、宇宙に調和をもたらす根源の法則を「南無妙法蓮華経」と説く。御書には「題目を唱える声は十方世界(大宇宙)で届かぬ所はない」(808ページ、通解)と仰せだ▼池田先生は祈りを"命と命を結ぶ同苦の労作業"と表現した。友の幸せを願う真剣な思いが題目の音声となった時、祈りはあらゆる障害を突破する。命と命が響き合う"和楽のハーモニー"を、わが地域に広げよう。(之)

寸鉄 2019年11月24日
会長の思想が浸透すれば社会は必ず変わる—総長語り広げる弟子の使命大
岩手支部結成の日。60周年の明年へ師弟共戦の心で拡大!希望開拓の旗手
力の結合はより偉大なるものを作り成す—詩人。我らは永遠に異体同心で
何人の友を励ませたか—これ組織発展の要。新任幹部は最前線へ勢いよく
言葉巧みに銀行カードや通帳預かる詐欺が横行。絶対渡すな。注意喚起を

☆第44回本部幹部会・SGI総会への池田先生のメッセージ
一、戸田先生は健気な母の宿命転換の体験を聞かれると、いつも、「大作、牧口先生にお聞かせしたいな」と言われました。また人知れず陰の労苦に徹する男女青年部の姿を見つけると、「牧口先生にお見せしたいな」と言われました。

師匠と弟子は常に一体であり、生死を超えて、永遠に不二であります。
牧口先生の荘厳なる殉教の朝から、まさに満75年の今日この日——。

全てを戦い勝って集い合った凱歌の創価家族のスクラムを、牧口先生も、戸田先生も、どれほどお喜びであるか。両先生の心を継ぐ日本全国、そして、世界65カ国・地域の「広宣流布の闘士」の皆さん、誠におめでとう! 本当にありがとう!(大拍手)

◇先師の勇気の訴え
一、御本仏は、「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」(御書1468ページ)と宣言されました。

宗教はもとより哲学・思想・科学等、万般にわたって、真と偽、正と邪、優と劣の価値を見極めていく指標が、この文証・理証・現証の「三証」に示されております。

創価学会は、大聖人の御精神に直結する師弟の言論闘争から出発しました。「創立」のその日は『創価教育学体系』の発刊日であり、以来、両先生は一貫して対話に、座談会に、執筆にと、信念の言論戦を繰り広げたのであります。

1941年の12月、太平洋戦争が勃発すると、邪宗門は直ちに戦争を賛美する文書を出しました。しかし牧口先生は、この月に発行した機関紙「価値創造」で、国家主義などによって民衆の生活が犠牲にされることは、絶対に誡めねばならないと、厳然たる論陣を展開しております。

先生は訴えました。
——妙法こそ、世界の人類が等しく渇望する「無上最大の生活法」であり、「成仏の法」である。この偉大な力を、我々同志の実験によって証明し、誰にもたやすく分かるようにするのだ。そして、その功徳を普く施して、一切衆生を無上最高の幸福へ至らしめるまで、前進していこうではないか、と。

それが、どれほど勇気ある主張であったか。この「価値創造」も、半年後には軍部政府から廃刊を命じられました。その翌年、牧口先生は戸田先生と共に投獄され、そして75年前の11月18日に獄死を遂げられたのです。

一、一国が残酷な戦争に暴走するただ中で、牧口先生は、「信心即生活」「仏法即社会」の実験証明を積み重ね、世界の平和へ、全人類の幸福へ、限りなく前進していくことを、命を賭して後継の弟子に、また未来の人材に託されました。

この殉教の先師の師子吼を胸に、私たちは、創立90周年「前進・人材の年」へ、自行化他の題目を唱え抜きながら、一人一人が自らの「人間革命」に挑戦し、功徳と福運の実証をいやまして生き生きと打ち立てていきたい。

体験・実証ほど、雄弁なものはありません。

今や世界語となった「ザダンカイ」を中心に、体験談を楽しく明るく語り合い、幸の仏縁を大いに結んで、悩める友、苦しむ友が「信心してよかった」「学会員になって幸せである」と笑顔を光らせる大歓喜のスクラムを、地域社会にも、地球社会にも、さらに広げていきたいと思うが、どうだろうか!(大拍手)

◇海外出版が2千点に
一、言葉には、心を蘇らせる力があります。人と人を結び合う力があります。

90年、アフリカの人道の獅子・マンデラ氏が獄中闘争を勝ち越えて来日された折、晴れわたる青空のもと、私は多くの青年たちと共に聖教新聞本社で熱烈に歓迎しました。

私たちとの語らいを、あの満面のマンデラ・スマイルを浮かべ、「今日ここで得た最大の"収穫"は英知の言葉です。勲章は、いつか壊れてしまうかもしれない。しかし、英知の言葉は不変です」と喜んでくださいました。

ついに誕生した世界聖教会館は、各国の姉妹紙誌とも心を一つに、力強く英知の言葉を発信し、人類へ希望と勇気を贈りゆく民衆の言論城であります。

いずこでも、完成を祝す聖教新聞の拡大、本当にありがとう!

そして創立日を前に、私の著作の海外出版が48言語で2000点を超えたことを、皆さんとご一緒に牧口先生・戸田先生に謹んで報告させていただきます(大拍手)。

牧口・戸田両先生がどちらも御書に線を引かれ、大切にされた一節があります。それは「よき師と・よき檀那(よき弟子)と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり」(同550ページ)との仰せであります。

妙法と共に広布の大誓願を貫く創価の師弟に、成就できない祈りはありません。人類に立ちはだかる大難も、地涌の世界市民による異体同心の団結で一つ一つ打ち払いながら、いよいよ大前進していこうではありませんか!

先月、行われた「全日本吹奏楽コンクール」で2年連続13度目の"日本一"に輝いた創価グロリア吹奏楽団。師への誓いと感謝を一音一音に託し、友を鼓舞した
先月、行われた「全日本吹奏楽コンクール」で2年連続13度目の"日本一"に輝いた創価グロリア吹奏楽団。師への誓いと感謝を一音一音に託し、友を鼓舞した
一、明年はSGIの結成45周年。グアムでの出発の会議で、世界の草創のリーダーに呼び掛けた言葉を再び申し上げて、私のメッセージといたします。

「今日から皆さんが何をするか——それが未来の世界を決するんです」と。

わが愛する創価家族に、健康あれ! 和楽あれ! 勝利あれ! そして、尊き全国各地、尊き世界各国に、福徳あれ! 安穏あれ! 栄光あれ!(大拍手)

2019年11月23日土曜日

2019.11.23 わが友に贈る

中継行事に携わる
全ての役員の皆さま
寒い中ありがとう!
風邪をひかないように。
陰の労苦に福徳は燦然!

高橋殿御返事 P1467
『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従つて起る是の故に一乗を説くなるべし』

【通解】
その国の仏法流布は、あなたにお任せする。仏種は縁によって起こる。その故に一乗(法華経)を説くのである。

名字の言 2019年11月23日
桜といえば春に咲き誇るソメイヨシノを思い浮かべるが、「四季桜」は春と秋に咲く。先日、総本部の四季桜が「11・18」を待っていたかのように淡い紅色の花を咲かせた▼「言葉の一語一語は、桜の花びら一枚一枚だと言っていい」と語ったのは詩人の大岡信である。爛漫と咲き誇る桜並木も素晴らしいが、一枚の桜の花びらも、いとおしく、美しい。言葉もまた、時に"真心の一言"が相手の胸を打つ▼フランス語で「贈り物」を意味する「カドー」はラテン語由来の言葉で、最初は「大文字」を意味したといわれる。「文字」を指していた単語が、「贈り物」へと変化していったことを通して、大岡は、贈り物と同様に、言葉もまた「心がこもっているかいないか」が大切と述べている(『ことばの力』花神社)▼日蓮大聖人は「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(御書563ページ)と仰せだ。「心」は見えない。その見えない心を相手に届ける最良の手段の一つが言葉であろう。真心の言葉は、人間の絆を結び、地域・社会を潤していく▼世界聖教会館に設置された「聖教新聞 師弟凱歌の碑」に「仏法の真実と正義を叫ぶ、雄渾なる言葉の力なくして、創価の前進はない」と。自身の心を磨き、友に勇気をともす言葉を紡いでいきたい。(澪)

寸鉄 2019年11月23日
「広宣流布は一対一の膝詰めの対話からだ」恩師。師と共に黄金史を綴る時
東京・品川の日。友の胸に燃える創価源流の誇り!皆で拡大の最高峰を登攀
江戸川の日。信心の横綱が対話の大旋風。庶民の奮闘ありて広布は前進!
火災に要注意。たこ足配線やコンセントの埃等の点検・清掃を。用心重ねて
働く喜び知る人は幸福な人。使命の場所で自分らしく。今日、勤労感謝の日

☆11・18「創価学会創立記念日」特集(下) インタビュー 田原総一朗さん
◇民衆運動としての創価学会
11・18「創価学会創立記念日」特集(下)その社会的役割などについて語ってもらった。

◇学会は人間を励ます共同体
——高度成長期の時代から創価学会に注目してこられました。

僕が創価学会を初めて取材したのは、東京オリンピックのあった1964年(昭和39年)です。
当時、学会は、まさに破竹の勢いで伸びていました。謗法払いの厳格さなどもあって、世間の風当たりが強かったにもかかわらず、拡大している。このすさまじい勢いの要因は一体、何だろう? それが取材の動機です。
あの時は、ある会社員の女子部の方を紹介してもらい、彼女を中心に取材をしました。なぜ学会員になったのか、なぜそんなに一生懸命なのかといろいろ聞きました。
どうして女性に取材をしたかというと、今もそうですが、日本では女性への根強い差別がある。女性は弱者です。だから学会の中で女性がどう扱われているかに興味があったし、女性が不満を持つような団体ならだめだろうと思ったからです。でも学会は違いました。

◇座談会の社会的な意義とは?
——座談会も取材されています。

僕が一番、関心があったのは座談会ですよ。何度も行きました。これが学会をどんどん発展させている要因だと思いましたね。
高度成長の時代、東京にいろんな地方の人がやって来る。大企業に入った人たちは労働組合もあるんだけど、そうじゃない人たちは組合もないし、友達もいない。だから孤立してしまう。そういう人たちを学会が受け入れ、励ましていったんです。
座談会は、だいたい20〜30人くらいの小さな集まりですよね。そこで、いろんな人が「信心して、こんなことがあった」とか「最初はうまくいかなかったけど、こうやって成功した」といった体験を、赤裸々にしゃべる。一種のコミュニティーです。何よりも、人と話し合うことができる。悩みの相談に乗ってくれる。こういう存在が大きいんです。
座談会に出ると気持ちが前向きになるんですね。学会の人って、皆さん、明るいですよ。とても素直で、ひねくれていない(笑い)。お題目をあげているから、すごく元気なんです。

◇宿命は変えられる
——座談会は"地域のオアシス"のような集いです。

今の日本社会で重要な問題の一つは、都会にコミュニティーがなくなってきていることです。だから、いわゆる「引きこもり」になってしまう人たちが増えている。300万人くらいいるんじゃないかともいわれています。
でも"下手に心を開いて人に話をすると、だまされるんじゃないか"と疑ってしまう。ところが、学会の座談会はそういう心配がいらない。何でも話せる。心から信頼できる相手がいる。これが大きいですね。
もう一つ、学会員を取材する中で「宿命転換」という考え方を知りました。死んでからじゃなくて、生きているうちに宿命を転換して、幸せになるという思想です。
人生、少なからぬ人たちが苦労している。貧乏だ。病気になる。仕事を失う。こうした悩みを乗り越えて、生きがいのある人生を送りたい。何のために生きているのかをつかみたい。信心することで、それを得ることができる。
しかも、そういうことを"上から目線"ではなく、座談会で皆が平等に語り合う。池田名誉会長も上からものを言うことは絶対にしない。これが学会の良さだと思う。

◇池田名誉会長への取材
——池田名誉会長に2度、取材されています。

大組織のリーダーだから、きっと近寄りがたい雰囲気で、理屈っぽいことを滔々と言われるんだろうと思っていたんです。
でも、実際にお会いすると、そんなことは一切なかった。偉ぶったところが全くなく、年下の僕の話をよく聞いてくれた。気が付いたら、僕ばかりが話していました。
この点は、パナソニックの松下幸之助さんやソニーの盛田昭夫さんなどとも共通しています。人の話を聞くのが非常にうまいんです。
僕は名誉会長に「なぜ創価学会に入ったんですか」と質問しました。
名誉会長は入信前、第2代の戸田会長(当時、理事長)の会合に参加します。戦後の本当に貧しかった時代です。
戸田会長は戦争中に国家神道に反対して不敬罪などの容疑で逮捕・投獄される。当時、政治・思想犯とされた人たちは、投獄されると転向する人も多かった。ところが戸田会長は、獄中で苦しい目に遭っても最後まで信念を貫き、転向しなかった。だから、この人の言うことなら信用できると思った、と言うんです。つまり、日蓮仏法の教義云々ではなく、戸田城聖という人物を信用して入信したんだ、と。
こうした率直な話に、僕は非常に感銘を受けました。名誉会長は、自分を良く見せようという下心がない。失礼な言い方かもしれませんが、本当に素直な方だと思います。

◇「三世の生命」はある?
三世の生命についても聞きました。多くの宗教では、前世があって、現世があって、来世があると説く。でも、前世も来世も見た人はいない。それなのに何で「ある」と言うんだ。証拠はないじゃないか、と。
そうしたら名誉会長は、分かりやすく、こう言われたんです。
「あるかどうかは、分かりません。でも、あると思った方がいい。来世がないと思って悪いことばかりして、もし、来世があったら大変だ。来世があると思って良いことをして、なかったとしても、いいじゃないですか」と。
なるほど、これは面白い。大事なのは生き方なんだと。理屈で僕をねじ伏せようなんて様子は、みじんもなかった。非常に好感を持ちましたね。
どうも世間では、学会員が名誉会長のことを教祖のように崇めている、と思っている人もいるようですが、全くそんなことはない。何でも本音で話せる、実に人間味のある方だなと、取材を通して強く感じました。

◇一人一人とのつながり
——学会にはこれまで、いくつもの試練がありました。

僕はね、言論・出版問題(1970年頃)の時などは、申し訳ないが、創価学会は潰れるんじゃないかと思いましたよ。でも、そうはならなかった。
その理由を探ろうと、婦人部の皆さんに話を聞きました。「なぜ、学会は潰れなかったんでしょう?」「なぜ、学会員は池田会長を信用するんでしょう?」と。
そうしたら、「池田先生は教祖でも、単なる指導者でもないんです」という。そして、口を揃えて「私と池田先生のつながりなんです」と答えるんです。
"池田先生は私たちを「一対一」で大事にしてくださる。その振る舞いを見れば、自分のことなど全く考えておらず、皆が幸せになるにはどう励ませばいいかしか考えていないことが分かる"と。
学会員一人一人が、リーダーとしての名誉会長じゃなくて、「私の池田先生」と捉えている。この答えが圧倒的に多かった。僕は改めて、「これは、すごいことだ」と思いました。だから、乗り越えられた。
「大阪の戦い」といわれる1956年(昭和31年)の参議院選挙もそうです。誰も勝てると思っていなかったのに勝っちゃった。なぜだろう?
あの時、名誉会長は大阪中を回り、一人一人に会って、一人一人と、どうやったら大阪が良くなるのかを語り合った。そして、一人一人が名誉会長を信じ、あんなに大きな輪になった。そして、予想を覆して勝利したんです。

◇世界で共感呼ぶ「宿命転換」の思想
——今、創価学会は世界宗教へと進み始めています。

創価学会では今、「他宗」という言葉を使うようになりましたね。これが大きいと思う。海外には当然、キリスト教やイスラム教などがある。名誉会長は他宗の人たちとも積極的に対話をし、友好を広げてこられました。
もう一つは「宿命転換」の思想が共感を呼んでいると思う。宿命は決まったものではなく、現世で転換できると教えている。これが世界で伸びている大きな要因でしょう。
それを広げるための座談会です。皆が心を開いて話をして、コミュニティーをつくる。"いろいろと失敗したけど、こうやったら、うまくいった"といった前向きな話が聞ける。すると"それなら自分にもできる"と、皆が人生に希望を持てるんです。これには、人種や言語の違いは関係ない。

◇青年の指標となる「新しい言葉」を
——今後の学会への期待をお願いします。

もうかつての「貧・病・争」はなくなりました。これからは、別の意味で難しい時代になります。人口が減る一方で、人が100歳以上生きる時代です。
そんな今の社会を日本人は「黄昏」だと思っている。たとえば経済も1989年(平成元年)、日本の企業が時価総額で世界のトップ50社の中に32社も入っていた。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ですよ。でも昨年、トップ50社の中で残っているのは1社だけ。あとは全部、落ちちゃった。中国にも韓国にも負けている。
僕はね、新しい時代には「新しい言葉」が必要だと思っています。黄昏だなんて思っちゃいけない。今こそ、100年、200年、持続可能な社会を築くためにどうすればいいか、ビジョンを示さなければいけない。
だから、学会には「新しい言葉」を発信してほしい。夢を持てるような言葉です。それが青年の指標になり、未来を創造する力になります。
人生100年時代には、生きる意味が問われます。人々がその答えを見いだすためにも宗教の力が重要です。僕は創価学会に、それを期待するのです。

たはら・そういちろう 1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学卒業後、岩波映画製作所を経て、東京12チャンネル(現テレビ東京)に入社。77年、フリーに。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」等でテレビジャーナリズムの新しい地平を開く。98年、城戸又一賞を受賞。著書に『日本の戦争』(小学館)、『日本人のための新「幸福論」』(三笠書房)、『ヒトは120歳まで生きられるのか』(文春新書)など多数。

2019年11月22日金曜日

2019.11.22 わが友に贈る

「法華経を持ち奉る処を
当詣道場と云うなり」
今いる場所こそ
わが人間革命の舞台だ。
地域で社会で輝く人に!

三沢抄 P1487
『仏法をがくする者は大地微塵よりをほけれどもまことに仏になる人は爪の上の土よりもすくなし』

【通解】
そもそも、仏法を学ぶ者は、大地微塵の数よりも多い。けれども、その中で、真に仏になる人は、爪の上に置いた土よりも少ない。

名字の言 2019年11月22日
本紙の11・18「創価学会創立記念日」特集で掲載された田原総一朗氏のインタビュー(17日付)。氏の率直かつ明快なコメントに、読者から多くの反響があった▼取材の折には、パナソニックの創業者・松下幸之助氏との思い出も語ってくれた。松下氏が新しい事業を始める際、田原氏に日本の政治・経済に対する所感を聞きたいと連絡があった▼松下氏は、田原氏より40歳年上。親子以上の年齢差がある田原氏の話に、松下氏は1時間ほど耳を傾けた。2日後にも再び田原氏を招き、話を聞いた。本田宗一郎氏や盛田昭夫氏など、数々の実業家を取材してきた田原氏は、「優れた経営者はいずれも、人の話をよく聞く」と実感を込めて語る▼衆知(多くの人々の知恵)を集める——これが松下氏の経営哲学だった。衆知を軽視するような経営は、いずれ行き詰まると自らを戒めていた。講演会での松下氏の言葉を思い出す。「全部がわが師である。どこでも私より偉い人ばかりがいる。私がいちばんあかん、そういう考えでやっているんです」▼対話の達人は例外なく聞き上手。「話を聞く」ことは、相手を理解する最良の手段であると同時に、謙虚に学び続ける姿勢の表れでもある。「話を聞く人」とは無限の「向上と成長の人」である。(嶺)

寸鉄 2019年11月22日
「日蓮さきがけしたり」御書。一人立つが仏法の魂。まず己が折伏に挑戦
山形支部結成の日。幸の理想郷築く勇者ここに!共戦の誇り胸に対話拡大
聖教を世界に読ませたい—恩師。電子版は201カ国へ。希望送る言論戦更に
「いい夫婦の日」。感謝の思いを言葉に。相手への尊敬と信頼が円満の秘訣
非人道的なAI兵器規制へ国連で協議。深刻な事態になる前に急ぎ対策を

☆11・18「創価学会創立記念日」特集(中) インタビュー 米ジョージ・メイソン大学名誉首席副学長 ピーター・スターンズ博士
◇対話こそ社会を変革する力
11・18「創価学会創立記念日」特集(中)は、米ジョージ・メイソン大学名誉首席副学長のピーター・スターンズ博士のインタビューを掲載する。135以上の編著書を持つ世界史の大家である博士は、池田大作先生の平和思想に感銘を受け、自らの歴史へのアプローチを大きく見直した。そうした経緯や「対話」の重要性、牧口常三郎先生の生涯を巡り、話を聞いた。(聞き手=萩本秀樹)
——混迷の世界を照らし、人々に希望をともすのは心通う「対話」である——創価学会は1930年の創立以来、この信念を掲げ、三代会長のリーダーシップのもと、平和の連帯を広げてきました。アメリカの池田国際対話センターでは、ジョージ・メイソン大学出版局と共同で英文学術書『対話を通じた平和構築——教育・人間変革・紛争解決』を出版し、博士がその編集に当たられました。

大変に興味深い経験となりました。学術書では対話について、�教育�個人の成長�紛争解決という三つの側面から多角的に論じていますが、非常に意欲的な試みであったといえます。
同書の序文の中で、私は、「Google Ngram Viewer」(注=あるキーワードが蔵書に出現する頻度を年代ごとに表示するグラフ)を用いて、「対話」という言葉がどの時代に、どれほど使用されていたのかを分析しました。すると、その頻度は平和への関心の大きさに左右されることが分かりました。
例えば、宗教改革後のヨーロッパでは、異なる宗教の間に橋を架けるべく対話への関心が一段と高まりました。一方で、こうした宗教間の取り組みが衰退し、帝国主義の時代を迎えると、その関心が著しく低下していたのです。
こうした変動に目を向けることで、改めて気付かされることがありました。それは、対話とは努力を要するものであるということです。自然発生的に生まれるのではなく、積極的につくり出していかねばならないものなのです。

——では、そうした対話を効果的に生み出し、促進していくにはどうしたらよいでしょうか。

二つの道があると思います。まず、差異や争いに向き合う上で、対話は暴力よりもはるかに優れた方途であると、繰り返し訴えていくことです。これは、精力的かつ理論的に、対話という概念を広めていくことであるといえます。
二つ目は既に述べたように、対話が用いられ、効果を発揮した過去の事例を提示していくことです。具体性をもって示すことで、観念論ではなく現実的なアプローチとして、対話の重要性を伝えることが可能です。
『対話を通じた平和構築』では、アフリカやアイルランドでの紛争、冷戦など、対話が国家間の緊張を緩和し、社会の変革に貢献した例を紹介しています。

——博士は2014年に『世界史における平和』と題する研究書を出版され、ジョージ・メイソン大学では同タイトルの授業をしておられます。その中で、歴史家として半世紀以上のキャリアを積んでこられた博士は"歴史とは戦争の繰り返しである"との通説を離れ、平和に焦点を当てて歴史を捉えられています。こうした変化に至った経緯を教えてください。

暴力ではなく、平和こそが"標準"である——この思想は、いまだ広く普及しているとはいえません。疑いもなく正しい事実であるにもかかわらず、です。
その背景には、特にアメリカ社会があまりにも頻繁に、戦争状態にあったことが挙げられます。そのため、今は争いがなくとも、またすぐに戦争が始まるであろうと人々は考えるのです。こうした危険な思考に対峙するための努力が、現代社会に求められています。
2010年、私は日本を訪れ、池田博士にジョージ・メイソン大学「名誉人文学博士号」を授与する機会に恵まれました。その折に見聞きした、創価学会が展開する平和運動に、大変に感銘を受けました。
そして、"どんな人も平和に貢献できる"との池田博士の主張に心動かされました。私も、そう強く確信する一人であるからです。
そして、そうした思想を広めるために何ができるだろうと考えました。私は歴史家であり、教育者ですので、研究や授業で、平和に光を当てた歴史観を提示することが、真っ先にできる貢献であると思ったのです。
池田博士の偉大さを改めて申し上げるならば、まず1点目は、数十年にもわたって示し続けた、平和へのエネルギーと責任の大きさです。これほどのスケールで平和に生涯をささげた人物は、非常にまれです。
2点目に、博士が多くの人と志を分かち合ってこられたことが挙げられます。それは自身の価値観を押し付けるのではなく、寛容、対話、相互理解といった普遍的な価値に基づく連帯です。
博士の偉業に触れ、歴史の焦点を変えることで私は、人類史には平和構築の成功例が多くちりばめられていることを、再確認することができました。
そうした事例に共通していたのは、立場や意見の違いを超え、"勝者"であろうとなかろうと、あらゆる人々を包括的に結びゆこうとする努力があったということです。

——平和構築のプロセスでは、政治家や権力者がその主体者であると思われがちですが、市民にしか果たせない役割とは何でしょうか。

実際に私が研究してきた平和構築の取り組みでも、その中心にいるのは政府レベルの人々である場合が多くありました。しかし特に19世紀以降、民衆運動が平和に貢献したさまざまな事例が見られるのも事実です。
こうした市民による運動は、紛争を平和的解決に導いた直接的な要因ではなかったかもしれません。しかし、平和的解決が社会に受け入れられるための「土壌づくり」をしたのです。
これが、市民による大きな貢献です。
そして、平和は"戦争と戦争の間の一時的な状態"ではなく、本来あるべき状態なのだという考えを普及することも市民が果たし得る役割です。こうした思想が社会の底流に流れることで、平和は実現可能であるとの確信が、育まれていくのだと思います。

——今月18日は、牧口常三郎初代会長の殉教から75年に当たります。戦時下の日本で、厳しい弾圧にも屈せず初代会長が貫いた平和の信念は、今日に受け継がれています。

牧口氏は平和と正義の理想を掲げ、それを自らの人生の基底部に据えることも、信念のために殉じることすらも恐れませんでした。こうした人物について学ぶたびに、粛然とした思いを抱きます。
当時の日本を、軍国主義とひとくくりに形容して語ることは簡単です。しかし実際は、軍国思想に当てはまらない人がいて、その人たちの叫びがありました。私たちは、そうした歴史を忘れてはいけないのです。
"戦争の英雄"は世に知られていますが、私たちはより声高に、"平和の英雄"の功績を語り広めなければなりません。牧口氏は、この"平和の英雄"の素晴らしいお一人です。
「世界史における平和」と題する私の授業では、ガンジーやマーチン・ルーサー・キングはもちろんのこと、創価学会の平和運動についても紹介しています。
そのほかに、インドのムガル帝国(16〜19世紀)の話なども織り交ぜています。多様な文化や慣習の例を紹介することで、平和の建設者とはある時、ある場所に突然現れたのではなく、さまざまな時代や社会に存在していたことを伝えられるからです。
平和を希求する上では、異なる人たちの間に「共通項」を見いだすことが重要です。そして、それを可能にするのは、日常における「寛容」の実践にほかなりません。
この寛容の実践は、グローバル化する今日にあっては、より不可欠なものとなります。
一方で、グローバル化によって物事が複雑に連関し合っているために、ともすれば人々が"無力さ"を感じやすいのが、現代の特徴であるともいえます。その点、"一人の偉大な変革が世界の変革を可能にする"との池田博士の「人間革命」の思想は、大きな光を放つと私は確信します。
博士が創立された池田国際対話センターもまた、多岐にわたる活動を展開しています。深い敬意を表するとともに、私自身も、センターでの交流をいつも楽しみにしています。

アメリカをはじめ世界は今、かつてない混乱の時代を迎えています。池田センターやSGIのように、「分断」ではなく「調和」と「共生」のビジョンを示し、行動する人々の存在は、かけがえのないものです。
より良い世界の建設を目指す皆さんの献身に感謝し、その重要な役割を果たし続けてくれることを切に願っています。

Peter Stearns 米ジョージ・メイソン大学名誉首席副学長。博士。ハーバード大学、同大学大学院で歴史学を専攻。シカゴ大学、カーネギーメロン大学などで教壇に立ち、『The Journal of Social History』誌の創刊を手掛けた。2000年にジョージ・メイソン大学教授に就任し、14年まで同大学首席副学長。社会史、世界史を中心に135を超える編著書がある。

2019年11月21日木曜日

2019.11.21 わが友に贈る

明年のスタートは
本年の総仕上げから。
異体同心の合言葉は
皆が前進! 皆が人材!
さあ先駆の第一歩を!

松野殿御返事 P1386
『受けがたき人身を得て適ま出家せる者も仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生なり、法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども法師となる義は一もなし法師と云う名字をぬすめる盗人なり、恥づべし恐るべし』

【通解】
受けがたい人身を得て、たまたま出家した者でも、仏法を学び謗法の者を責めないで、いたずらに遊び戯れて雑談のみに明かし暮す者は、法師の皮を著た畜生である。
法師という名を借りて、世を渡り、身を養っていても、法師としての意義はなに一つない。法師という名字を盗んだ盗人である。恥ずべきことであり、恐るべきことである。

名字の言 2019年11月21日
ワールド・ボクシング・スーパーシリーズで、バンタム級王者になった井上尚弥選手。プロでは19戦19勝(16KO)と無敗を誇る。この強さの秘密は、かつて"敗戦"と向き合ったことにあった▼アマチュア時代の彼は81戦75勝で「6敗」。その敗戦の一つが、18歳の時のロンドン五輪アジア予選である。格上相手とはいえ、自身のスタミナ切れは明白だった▼強くなりたい——考え抜いた末、「やらされている練習では勝てない」と思い至った。以来、練習はもちろん、日常生活でも意識を高く持ち続けるよう心掛けた。「意識しているものが、やがて自分の長所になる」。テレビを見る時なども、広げたタオルを足の指でたぐり寄せる訓練を続けた。そうした積み重ねから、爆発的な高速ステップが生まれた(『勝ちスイッチ』秀和システム)▼同じ行動でも、ただ漫然と行うのか、意識を持って主体的に取り組むのか。小さなことでも日々、積み重ねることで確かな成果が生まれる▼御書に「受くるは・やすく持つはかたし」(1136ページ)と。持続の信心の大切さとともに、「受くる」という受動的な姿勢から、「持つ」という主体的な生き方への転換を促されたとも拝せよう。皆が広布の主役として、自身の目標を勝ち取り、創立の月を飾ろう。(誼)

寸鉄 2019年11月21日
私の後に必ず青年が続く—先師。192カ国に後継の陣列。三代の偉業は燦然
御書「我が弟子等・大願ををこせ」。さあ創立の月から決意新たに広布開拓
汝の尊厳と同じく他人の尊厳を大切にせよ—詩人人の振舞に仏法の真価も
紛争なき未来へ挨拶から絆結ぼう—世界ハロー・デー。我らも今いる所で
後絶たぬ詐欺被害。急かす内容、うまい話は用心。まず冷静に。周囲に相談

☆11・18「創価学会創立記念日」特集(上) 初代会長・牧口先生の崇高な生涯
◇「死身弘法」こそ学会永遠の原点
初代会長・牧口常三郎先生の殉教から、11月18日で75年。創価の光彩は今、地球を照らしている。11・18「創価学会創立記念日」特集(上)では、学会永遠の原点である師弟の闘争を紹介する。
凍てつく校舎の一角。子どもたちのあかぎれた手を取り、優しく湯にひたして傷を癒やす——。
1893年(明治26年)、21歳の牧口先生は、北海道で教員生活の第一歩を踏み出した。尋常小学校の義務教育制が始まって、まだ数年。近代初等教育の黎明期にあって、慈愛に満ちた振る舞いは、人々の心に深く刻まれている。
「幸福が人生の目的であり、従って教育の目的でなければならぬ」(『牧口常三郎全集』第6巻、第三文明社、現代表記に改めた)
後にそう記した思いは、生涯を通じ、どんな境遇の人に対しても変わることはなかった。

◇「人道主義」の先駆け
28歳で北海道師範学校の教諭となった牧口先生は、その後、上京し、六つの小学校で校長を歴任する。牧口の名を広く世に知らしめたのは、1903年(同36年)の『人生地理学』の出版であった。
風土、地形、気候といった地理的現象と人間生活の関係を探究した同書は、40以上の新聞・雑誌に書評が掲載されている。後に「この書の出現によってわが国の地理学がその外貌を一変した」(社会学者の田辺寿利氏)と評されるなど、大きな話題を集めた。
中でも注目すべきは、同書が、日本において、世界市民や人道主義の理念を示した、先駆けの一つという点である。
日露戦争の前年、帝国主義が世界を席巻しつつある中で、先生は「人道的競争」を提唱。人類は、軍事的競争から、政治的競争、経済的競争を経て、人道的競争へ向かうべきであると訴えた。
この『人生地理学』出版の翌年から、牧口先生は中国人留学生のために設けられた弘文学院(のちに宏文学院)で地理学を教えている。講義は留学生の話題に。4年後には、同書の中国語訳『最新人生地理学』が上海で出版された。
日清戦争による中国人蔑視の風潮もあったが、牧口先生は彼らをこよなく愛した。かの文豪・魯迅も同校で学んでいる。
また牧口先生は、庶民のための女性教育の道を、いち早く開いた。
1900年代の初頭は、小学校を出た後、女学校で学ぶことのできる女性は、ごく少数だった。
その状況を憂い、牧口先生は女性のための通信教育を行う「大日本高等女学会」を創立(1905年)。自ら編集・発行人となって教材『高等女学講義』を刊行し、教育の機会を広く提供していく。
ある新聞評では"知識のみを学んで精神を忘却するような女学校より、女子の本分の自覚を促す、この講義録に学んだ方が幸福"(「九州日日新聞」)とも。最盛期、受講者は2万人にも上った。

◇戸田先生との出会い
1920年(大正9年)、牧口先生は三笠尋常小学校、同夜学校の校長に就任する。
同校は、壊れた窓ガラスを厚紙で塞ぐような資金の乏しい学校であり、800人が3部に分かれて授業を受けていた。牧口先生は家族と校内の官舎に暮らし、子どもたちのために精魂を注ぐ。
おなかをすかせた子には、身銭を切って豆餅などを用意。弁当を持参できない児童のために、学校としてパンやみそ汁を無料で提供していく。その様子は新聞などでも紹介され、牧口先生の"米シカゴ郊外の貧民学校で行われている「ペニーランチ」を参考にした"との談話も掲載されている。
さらに先生は、子を学校に通わせず、労働を優先させる家庭へ何度も足を運び、登校を促した。
この年、北海道から上京していた戸田先生が牧口先生の自宅を訪ね、こう訴えた。「私を採用してください。私はどんな劣等生でも必ず優等生にしてみせます」
牧口先生、48歳。戸田先生、19歳。子どもの可能性を信じ抜く、運命的な師弟の出会いであった。
戸田先生は牧口先生の教育理論を実践する場として、私塾・時習学館を開設。教材をまとめた『推理式指導算術』は、100万部のロングセラーとなった。

◇「価値を創造することだ」
この師弟の出会いから10年後の1930年(昭和5年)2月。
ある夜、牧口先生と戸田先生は時習学館の一室で、火鉢を囲み、深夜まで語らいを続けた。
寸暇を惜しみ、牧口先生が書きためてきた思索の紙片は、膨大な量となっていた。
自らの教育学を世に問いたいと語る師に、戸田先生は尋ねた。
「牧口先生の教育学は、何が目的ですか」
「それは、価値を創造することだ」
「では先生、創価教育、と決めましょう」
出版に向け、戸田先生は原稿の編集や資金の準備を申し出た。
重複を避けながら紙片の一枚一枚を体系的に整理し、牧口先生の幾度もの推敲を経て、『創価教育学体系』第1巻が完成。奥付には創価学会の前身である「創価教育学会」の名が記された。
発刊日である11月18日が、のちに創価学会創立記念日となる。

◇1944年11月18日 「不惜身命」の大精神
牧口先生が日蓮大聖人の仏法と出あったのは、1928年(昭和3年)。戸田先生も、その後、入信に至っている。
当初、教育者の集いとして始まった創価教育学会の活動は、やがて、日蓮仏法の実践に基づき、各人の幸福と社会の繁栄を目指すものへと発展。牧口先生は一人一人との対話を重視し、折伏のための座談会に力を尽くす。
北は北海道から南は九州へ。新幹線も飛行機もない時代である。約10日で北海道をほぼ1周したこともあった。41年(同16年)5月からの2年間だけでも、実に240回を超える座談会に出席したことが明らかになっている。
しかもそれは、行く先々に特高警察が付いて回る中での弘教だった。治安維持法の改正(41年3月)により、座談会は思想犯などを取り締まる特高の監視下に。国家や神社に話が及ぶや、「中止!」の連呼。だが牧口先生は刑事に「よく来た。こっちへいらっしゃい」と声を掛け、「新来者が来ているよ」と、場を和やかにと努めた。

◇迫害を見下ろして
日ごとに軍靴の音は高まり、日本は国家神道を精神的支柱に太平洋戦争に突入する(41年12月)。
迫害を覚悟の上で牧口先生が弘教に歩く一方、宗門は当局から目を付けられることを恐れ、戦争協力の道をひた走る。
勤行の御観念文を天皇と国家神道を賛嘆する内容に改変し、御書全集の発刊を禁止。さらに「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」(御書974ページ)など、御文を14カ所も削除し、迎合を重ねていく。
43年(同18年)6月27日、宗門は牧口先生、戸田先生らを呼び付け、「神札を受けてはどうか」と勧める。だが牧口先生は、「承服いたしかねます。神札は絶対に受けません」と言下に否定。この直後、権力の魔性が牙をむいた。
2日後の29日に学会幹部が連行されるが、牧口先生は微動だにせず、逮捕者の家族を激励。7月1日には青年を入信に導き、幹部会に出席。当初の予定通り、伊豆の下田方面へ対話に向かう。
伊豆は大聖人が流罪された法難の地。牧口先生は72歳という高齢をものともせず、翌2日から5日まで弘教に歩き、6日の朝、特高刑事に同行を求められた。
下田署まで約5キロもの夏の長路を、袴姿の先生が、まるで刑事を従えるかのように歩いて出頭した。
容疑は、治安維持法違反ならびに不敬罪である。別れ際、会員に託した言葉は「戸田君によろしく」。その戸田先生もまた、この日の朝、東京で検挙されていた。

◇獄中での勝利宣言
取り調べは苛烈を極めた。逮捕者の大半が収入を断たれ、家族は「国賊」と罵られた。最後まで信念を貫いたのは、牧口先生と戸田先生の二人のみである。
だが牧口先生は逮捕を"諫暁の好機"と捉え、取り調べで国家神道の誤りを指摘。旧内務省の資料「特高月報」には、権力の横暴に一歩も引くことのない先生の発言が、克明に残っている。
およそ2カ月半の尋問の末、牧口先生は警視庁から巣鴨の東京拘置所へ。暗く冷たい独房での獄中闘争は、約420日に及んだ。しかし、先生は泰然自若として家族に手紙を送っている。
「災難と云ふても、大聖人様の九牛の一毛(=ほんのわずか)です」
「大聖人様の佐渡の御苦しみをしのぶと何でもありません」と、
大聖人を一切の基準とした。
逝去の1カ月前、家族に宛てた最後の手紙には、こうあった。
「(大聖人の仏法を)数千人に実証したのを見て、自分ながら驚いている。これ故、三障四魔が紛起するのは当然で、経文通りです」
命に迫る法難を、「経文通り」と悠然と見下ろす大境涯——これが牧口先生の絶筆となった。
この"勝利宣言"から1カ月後となる44年(同19年)11月18日、奇しくも学会創立の日の朝、牧口先生は崇高な生涯を閉じた。

◇一切の悲願を実現
戸田先生が牧口先生の死を獄中で知ったのは、その2カ月後。45年(同20年)7月3日に出獄し、学会再建に一人立つ戸田先生を、一心に支えたのが池田先生であった。
戸田先生の願業である75万世帯の折伏、牧口先生が念願とした創価教育の学舎の創立をはじめ、両先生の一切の悲願を実現。学会は192カ国・地域に広がり、世界宗教へと飛躍を遂げたのである。
池田先生は随筆に記している。
「創価のすべての門弟が、広宣流布への『不惜身命』『死身弘法』の魂を、わが生命に厳粛に燃え上がらせゆく原点の日——それが、十一月十八日である」

2019年11月20日水曜日

2019.11.20 わが友に贈る

一日の命の尊さは
全宇宙の財宝にも勝る。
今日という日を悔いなく
喜び勇んで生きよう!
大情熱を燃やして!

十八円満抄 P1367
『予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき所詮時時念念に南無妙法蓮華経と唱うべし』

【通解】
総じて日蓮の弟子等は日蓮と同じく正理を修行すべきである。たとえ智者・学匠の身となっても、地獄に墜ちては何の役にもたたない。
所詮、時々・念々に南無妙法蓮華経と唱えるべきである。

名字の言 2019年11月20日
札幌の「大通公園」は元々、公園ではなかった。建設が計画されたのは1869年(明治2年)。今年で150年となる▼その名が示すように、最初は何もない大きな通りで、火事の延焼を防ぐための空き地として位置づけられていた。食料が不足した戦時中は、ジャガイモなどの菜園に。戦後は進駐軍に接収され、野球場やテニスコートに。雪捨て場となった時期もある▼皆で芝生や花壇を設け、人々の憩いの場に——今に続く「公園」へと整備が進んでいた頃、そのすぐそばの地を中心に、学会史に輝く広布拡大が進められた。1955年8月、池田先生の陣頭指揮で全国一の弘教を遂げた「札幌・夏の陣」だ▼先生は友が運転するスクーターの後ろに乗り、市内の座談会場を駆け巡った。走行中、小声で題目を唱える先生に、友は「運転は確かですから、ご安心ください」と。先生は「出会う人が、皆、仏法に縁できるよう祈っているんですよ」と応えた▼元々、誰も気にも留めなかった大通公園。ここを発着点に、東京五輪のマラソンと競歩が実施される方向で検討中だ。不屈の挑戦に、世界中がエールを送る平和の祭典。"世界が憧れる理想郷に"と祈り走ったあの夏から65年後の同じ夏、同じ天地で希望の号砲が鳴る。(鉄)

寸鉄 2019年11月20日
「金は大火にも焼けず」御書。我らに黄金の信仰。貫けば人生に恐れなし!
宮城「県の日」。不屈の友が励ましの対話を拡大。新世紀の光は大東北から
全国の「新聞長」に感謝。社会に正義と希望広げる言論の闘士。福徳は燦然
例年より早く流感が流行期に。手洗い・嗽を励行。ワクチン接種で感染防げ
国連「世界子どもの日」。皆が未来の宝。創価家族の温かな慈愛の中で育成

☆みんなで学ぶ教学 第2回 信心の目的(中)
◇唱題で仏の生命を開こう
今回の「みんなで学ぶ教学」のテーマは、前回に続いて「信心の目的」です。今回、取り上げるのは「一生成仏」。「仏」について考えるとともに、幸福境涯を築く実践を学びましょう。さて、新会員のカツヤさんが、地区座談会に参加した後、支部長のユタカさんに感想を話しているようです。

カツヤ 同級生だったマサオくんが、学会員だったとは驚きました。10年前の彼は、人前で堂々と話せるような性格じゃなかったんですよ。

ユタカ マサオくんは5年前に発心したんだ。今では男子部の地区リーダーとして頑張っていて、周囲からも信頼されているよ。

カツヤ 先月、入会したばかりの僕でも、彼のように変わっていけますか?

ユタカ 大丈夫! 私たちが信奉する日蓮大聖人の仏法では、"あらゆる人が仏になれる"と断言されている。必ず変わっていけるよ。

カツヤ 「ホトケ」と言われても……。

ユタカ 「仏」と聞くと、荘厳な「仏像」や、亡くなった方を連想する人が多いからね。でも、本来は私たち一人一人の生命に内在する仏性を表しているんだよ。
朝晩の勤行で読誦する「法華経」には、万人成仏の法が説かれている。凡夫、つまり普通の人がその身のままで、しかも今世で成仏できることが明かされているんだ。

カツヤ 支部長は学者ですか!?

ユタカ そんなに驚いた?(笑) 一緒に教学を学んでいけば、カツヤくんも分かるようになるよ。先ほど話した成仏観について、大聖人は、「一生成仏」という言葉で示してくださっているんだ。文字通り、この一生のうちに成仏すること。とても大切だから、ぜひ覚えてほしいな。

カツヤ 今の悩みから解放されたいから覚えます!

ユタカ "悩みから解放されたい"か……。よしっ、まずは「絶対的幸福」と「相対的幸福」を知ることから始めようか。
相対的幸福とは、金銭や物の豊かさ、社会的地位の高さなど、物質的に充足したり、欲望が満たされたりすることで得られる幸福のことだよ。でも、人間の欲望には際限がないことを考えれば、この幸福は長続きするかな?

カツヤ いや、状況が変われば消えてしまうかもしれません。

ユタカ そうだね。これに対して、絶対的幸福とは、欲望にとらわれることのない、生命から湧き起こる充実感を指すよ。どんな悩みがあっても、"生きていること自体が楽しい"——そういう境涯こそ、仏の境涯といえるんだ。

カツヤ なるほど。悩みをなくすのではなく、悩みにどう向き合い、乗り越えていくかが大切なんですね。では、具体的にどうすればいいのですか?

ユタカ 「一生成仏抄」を拝してみよう。御書384ページの4行目から、「深く信心を起こす」大切さが記されているよね。御本尊に向かって祈る時、「必ず○○するぞ」といった強い意志を持つ姿勢が大切なんだよ。漠然とした祈りではいけないともいえるね。
大聖人は、続けて「持続の信心」を訴えられているんだ。鏡を譬えとして、映りの悪い鏡も磨き続ければ、くっきり全てのものをよく映すことができる——同じように、人間の生命もたゆみなく"磨く"ことで、真実の悟りの生命と現れることを仰せになっているんだよ。
つまり、どんな人にも悟りの生命が具わっており、仏界を現す"生命の変革"が可能であることを断言されているんだ。

カツヤ 僕でも変わっていける、幸せになれる、という意味がよく分かりました。

ユタカ 仏とは、私たち人間を離れた存在ではないから、カツヤくんらしく悩みに向き合う中で、信心を実践していけば必ず幸せの道を歩んでいけるからね。
大聖人は、成仏の「成」を「開く義なり」(御書753ページ)と仰せだよ。私たちの生命に具わる仏の生命を現実に開いていけるのが、創価学会の信仰なんだ。マサオくんのように、以前からは思いもよらないほど変わった——こうした体験を通して、気が付けば、人のため、社会のために行動できる自身に成長していけるのが、この仏法の魅力なんだ!

2019年11月19日火曜日

2019.11.19 わが友に贈る

波浪は障害にあうごとに
その頑固の度を増す。
困難・試練こそが
人間を鍛え 強くする。
不退の心で進みゆこう!

祈祷抄 P1345
『あやしの畜生なんども恩をば報ずる事に候ぞかし、かりと申す鳥あり必ず母の死なんとする時孝をなす、狐は塚を跡にせず畜生猶此くの如し況や人類をや』

【通解】
卑しい畜生であっても、恩を報ずるものである。かりという鳥は、母が死のうとする時は必ず孝行をする。狐は死ぬ時には塚に足を向けない。畜生でさえこのようである。まして人間は言うまでもないことである。

名字の言 2019年11月19日
画家の壮年部員と語らい、絵を描く心構えを伺った。壮年いわく、画像データや写真資料を参考にはしても、それに頼り過ぎた作品は、見る人の心に響かない。骨身を惜しまずに「実物を見に行くこと」が何より大事という▼例えば、描く花の構図を、しなやかな枝、青く茂る葉、彩り豊かな大輪と決める。それでも実際は、構図から外れた所には地面から伸びる茎があり、また地中には根が張り巡らされていると想像できる。「花は花びらだけでは咲けません。同様に物事には目に見えない"背景"があると、現場で見て感じる。これが大事です」▼その話に、ある地方新聞の社長がしみじみと語った言葉を思い出す。「新聞が衰退し始めるのは、記者が現場に行かなくなった時です」。いつの時代も"現場"にこそ、伝えるべき真実があることは変わらない▼今月12日から「聖教電子版」がスタートした。拡充された機能の中でも、読者に喜ばれている一つが動画「SEIKYO MOVIE」。映像は現場に足を運ばなくては取材できない。まさに臨場感あふれるニュースだ▼現場主義は「民衆と共に」を不動の信念とする人間主義でもある。本紙は広布の現場の躍動感を伝える「人間の機関紙」として、今後も前進していく。(代)

寸鉄 2019年11月19日
世界聖教会館開館の喜び溢れた幹部会。師と共に正義の師子吼をと心新た
山梨青年部の日。富士を仰ぐ君よ!新会館建設の槌音とともに拡大史綴れ
教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来れり—御書誉れの天地で勝利の劇を
空き巣被害多し。外出時は施錠。短時間なら点灯など不在知られぬ工夫も
公明が幼保無償化の実態調査。耳傾けこまやかな手を更に。未来の宝守れ

☆創価学園「英知の日」への池田先生のメッセージ 2019年11月17日
◇「学びの道」継ぐ 青春の挑戦王たれ!
一、巡り来る11月18日は、私たち「創価教育」の「原点の日」であります。
この日は、創始者である牧口常三郎先生が、平和と人道の信念を貫き通して、軍部政府の不当な弾圧によって獄死された日でもあります。今年で75年。牧口先生は悲願であった「創価の学びや」で凜々しく成長する皆さん方の晴れ姿こそ、何よりの喜びとされるでしょう。先生の会心の笑顔が胸に迫ります。
牧口先生は、幼き日から青春時代、さらに最晩年まで一生涯、学んで学んで、学び抜かれました。きょうは、その偉大なご生涯を偲びつつ、先生が開き示してくださった三つの「学びの道」を、皆で受け継いでいきたいと思うのです。

◇読書は希望の力
一、第一に「学びの道」は朗らかな「希望の道」なり、ということであります。
新潟県柏崎市の荒浜(現在)に誕生した牧口先生は、幼くして実の父母と別れて、逆境の中で成長していきます。家の仕事の手伝いをせねばならず、小学校に思うように通えない日もありました。でも、そういう時は、仲の良い友だちに授業の内容を砂浜に書いてもらって教わりました。どんな境遇でも、学ぼうという情熱を燃やし、たくましく前へ前へ進んでいったのです。共に学ぶ仲間とは、朗らかに一生涯の友情を結んでいきました。
13歳の頃、北海道へ渡り、警察署で給仕として働きながら、暇があれば、本を開き、一心不乱に勉強していきます。「勉強給仕」と呼ばれるほど尊い努力の日々は4年間。今の中学生・高校生の年代に当たります。
そして、その姿に心を打たれた人たちからの支援に応え、学校の先生を養成する師範学校へ進学を勝ち取っていったのです。
牧口先生には、いつ、いずこにあっても、一緒にいる大切な親友がいました。それは「本」です。「読書」こそを、「希望の力」とされたのです。
女性教育の先駆者でもあった先生は、日本で最初の少女雑誌を編集された折、苦労して学ぶ乙女たちを激励して呼び掛けました。
"我らは書物のおかげで、いながらにして世界万国の人々と話をすることもでき、また千年前の人の教えも受けることができます"と。
そして良書という、楽しく面白く、しかも親切に真実の力になってくれる親友を、生涯、そばから離さないようにしようと、訴えておられました。
ですから、わが学園の読書の伝統を、牧口先生はさぞかしたたえてくださっているでしょう。今、皆さんが時間を工夫して読み進める一冊一冊が、心の天空を広げ、英知の大地を耕し、創造力の大海原を豊かにしてくれるのです。

◇勇気の一歩を!
一、第二に「学びの道」は不屈の「勇気の道」なり、ということであります。
日本の軍国主義が吹き荒れる時代にも、牧口先生は民衆の大地に飛び込んで、苦悩の庶民を励ましながら、生命尊厳の平和の哲学を互いに学ぶ対話を広げていかれました。人間が人間として学び合い、励まし合い、高め合う権利は、誰人たりとも奪うことはできません。先生は迫害の牢獄でも、悠然と、たゆまず読書に励み、最後の最後まで、断じて哲学の探究をやめなかったのであります。
この偉大な牧口先生に続く創価の青年にとって、学ぶことは即、正義の戦いです。ゆえに、苦しみながら、悩みながら、もがきながらでいい。自分らしく学びの一歩を、日々、踏み出していく。この勇気を忘れないでいただきたいのです。
第三に「学びの道」は世界市民の「連帯の道」なり、ということであります。
牧口先生は、若き日から、地球全体の自然環境、人類全体の生活文化を研究され、「世界市民」の教育に先駆けて取り組まれました。小学校の校長として、直径2メートルもの大きな地球儀を教材に、児童の心を世界に広げたこともあります。さらに、自らも激務の中で生き生きと英語の習得に挑まれていました。
私の師匠・戸田城聖先生の「地球民族主義」というビジョンも、この牧口先生から継承されたものです。
創価の大理想を断固と実現し、両先生の偉大さを世界中に宣揚すると決めて、私は戦い続けてきました。学園の創立者として皆さんの先頭に立って、世界市民が学び合う平和・文化・教育の大連帯を築き上げてきました。一切は、弟子で決まる。後継の勝利こそ、先人の勝利だからです。

◇「負けじ魂」で進め
一、世界の知性との対談集も、トインビー博士をはじめ80点に及びます。
その一人、中国教育学会名誉会長の顧明遠先生の言葉が思い起こされます。
「この瞬間も大きく変化している社会において、ただ学ぶということだけが、新しい創造を生み、不敗の地(決して敗れないという天地)に立つことができるのです」と。
これから皆さんは、ますます変化のスピードが激しくなる時代に直面します。だからこそ、「さあ何でも来い!」と立ち向かい、勇敢に学び抜いてください。悔しい失敗や敗北からさえも学んでみせるという「負けじ魂」で、大胆かつ聡明に前進していただきたい。「常勝不敗の英知の大城」で学ぶ旭日の学園生は、どんな闇も晴らして、新たな価値創造の暁を告げてくれたまえ!
牧口先生、戸田先生とご一緒に、私はいつも、奇しき縁で結ばれた、わが命の学園生を一人一人、見守っています。皆、健康第一で、青春の挑戦王たれ!(大拍手)

2019年11月18日月曜日

2019.11.18 わが友に贈る

◇今週のことば
全てに大勝利の11・18
世界中の同志に深謝!
「大願とは法華弘通なり」
伸びゆく青年が先頭に
新たな地涌の拡大を!
2019年11月18日

諸法実相抄 P1359
『たえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ、諸天は供養をいたすべきぞかたにかけせなかにをふべきぞ大善根の者にてあるぞ』

【通解】
(三類の強敵による大難に)耐えて、妙法を弘める人を、釈迦仏は必ずや衣で覆い守ってくださるであろう。諸天は必ず、その人に供養するであろう。また肩にかけ、背中に負って守るであろう。その人こそ、大善根の人である。

名字の言2019年11月18日
パリの新聞に連載されたアレクサンドル・デュマの小説『モンテ・クリスト伯』。日本では明治時代、ジャーナリストの黒岩涙香が創刊した新聞に、「巌窟王」の題名で連載され、人気を博した▼周囲の陰謀によって、孤島の牢獄に捕らわれた主人公の青年が、14年の投獄を経て、冤罪に陥れた者への復讐を果たす物語。その逆転劇を可能にしたのが、獄中での老神父との出会いである。万般の学問を学び、財宝まで譲り受けた感謝を、青年はいかなる時も忘れなかった▼この「巌窟王」を戸田先生は愛し、青年にも学ばせた。自ら筆を執り、聖教新聞の創刊号から連載が始まった小説『人間革命』の主人公の名は「巌九十翁」。戸田先生の生涯は、獄死された牧口先生の正義を宣揚しようとする「巌窟王」の誓いに貫かれていた▼牧口先生の三回忌法要の折、戸田先生は師匠への深い感謝を語った。「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました」。この言葉を、池田先生は「学会の師弟論の真髄」と述べている▼創価の三代会長は、いずれも権力の魔性と戦い、投獄された。この歴史こそ学会が永遠に誇るべき原点である。きょう創立の日。三代会長への報恩を誓い、「信心の巌窟王」と立ち上がろう。(芯)

寸鉄 2019年11月18日
栄光の11・18創立記念日。さあ明年の90周年の峰へ世界の友と朗らかに前進
広布に尽くすことが最高にして永遠の誉れ—恩師信心根本の人こそ勝利者
「専門部の日」。活躍光る一騎当千の大英雄。職場・地域で実証の旗高らかに
温暖化は感染症等増やし子供の健康を直撃—研究対策加速へ民衆の声結集
大卒の就職内定、来春も高水準を維持と。公明が若者支援更にリードせよ

☆心に御書を 第9回 広布は「一人」から始まる
『妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし』(種種御振舞御書、910ページ)

◇〈通解〉
妙法蓮華経の五字が、末法の初めに全世界に弘まっていく瑞相として、日蓮が先駆けしたのである。わが一門の者たちは、二陣、三陣と続いて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教をも超えていくのだ。

◇〈池田先生が贈る指針〉
御本仏の大確信に連なり、壮大な一閻浮提広布の道を開いたのが、創価の師弟である。迦葉・阿難も、天台・伝教も讃えているに違いない。
末法万年を思えば、これからが勝負である。従藍而青の後継を、いよいよ「二陣三陣」と呼び出していこう!
時に適った地涌の菩薩の陸続たる出現は、一人一人の対話力で決まる。

☆学会創立四十六周年の記念式典
「牧口先生が獄舎にあって、ご老体の身で、殉教の瞬間まで、壮絶無比なる戦いをされたのは、全部、今日の私たちのためであります。その精神の継承なくして広宣流布はない。私も、牧口先生、戸田先生の志を受け継ぎ、わが生命を広布に捧げ抜いてまいります」
師弟ありてこそ、創価の広宣流布の永遠なる大道がある。

2019年11月17日日曜日

2019.11.17 わが友に贈る

若い人を励ませば
自分も若wかしくなる。
青年と共に成長し
青年の息吹で進む。
そこに栄えの道が!

四条金吾殿御返事 P1143
『遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千自受用身の仏にあらずや、法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし』

【通解】
遊楽とは、われわれの色法と心法、依報と正報が、ともに一念三千の当体であり、自受用身(みずから広大な法の楽しみを受け用いる身)の仏であるということではなかろうか。(したがって)法華経を持つ以外に遊楽はない。

名字の言 2019年11月17日
一本の木を見るために、彫刻界の巨匠・平櫛田中の美術館(東京都小平市)に足を運んだ。入り口付近に置かれた直径約2メートル、重さ5・5トンのクスノキは圧倒的な存在感があった▼107歳まで生きた田中。この美術館は彼が晩年の10年間を過ごした旧宅が基になっている。彼の畢生の大作といえば、現在、国立劇場に展示されている「鏡獅子」。歌舞伎俳優の六代目尾上菊五郎をモデルに、完成まで22年を要した、高さ2メートル余りの木造彫刻だ。美術館のクスノキは、これに匹敵する作品を彫るために用意した原木という▼この木を調達した時、田中はすでに100歳だった。巨木は作品の素材という以上に、創作を通して自分自身を鍛え上げる"戦いの舞台"だったのかもしれない。重ねた長い歳月を礎とし、「今」に真剣勝負で臨んでいく生き方を垣間見た▼あす18日に学会は創立89周年を刻む。創立の精神を確認する日であるとともに、師と共に明90周年へ向かう「出発の日」でもある▼田中は「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」と書にしたためた。使命の道を突き進む「時」は、"いつか"ではなく"今"。その道を歩み抜くのは、ほかでもない"自分自身"。明「前進・人材の年」の意義にも重なる。(白)

寸鉄 2019年11月17日
創価学園で「英知の日」の記念行事。庶民守る大樹と育て。創立の精神胸に
思い込みのブレーキを破れば無限の力が—文豪。今日より明日と一念強く
困った時には近隣と助け合いたい—6割。絆結ぶ普段の挨拶・声掛けが鍵
家族の日。感謝し尊敬し合う心が一家和楽を築く土台。わが振る舞いから
公明ありて福祉は政治の主流に—評論家。永遠に大衆と共に!結党55周年

☆池田先生の謝辞(代読)——長春師範大学「名誉教授」称号授与式から 2019年11月14日
◇地球に幸福平和繁栄の花を!
一、このたびは「教育の世紀」の都にそびえる、学問探究と人格育成の大城たる貴・長春師範大学より、誠に尊き名誉教授の称号を賜りました。
心より厚く御礼申し上げます。
貴大学の素晴らしき校歌を、皆さまとご一緒に歌う思いで、私も今、胸に響かせております。

「堅固なる基礎ありて
広き建築 初めてその輝きを増す
時代の庭師ありて
蕾は初めて 精彩なる花を咲かせる」と。

若き生命の栄光の大建設のためには、喜んで「基礎」となり、幸福の大開花のためには、勇んで「庭師」となる。
この誇り高き教育の真髄を、100年を超えて厳然と貫き通してこられたのが、貴大学であられます。
教育を生涯の事業と定めてきた私も、今日より、この貴大学の誉れある連帯に謹んで連ならせていただきます。誠に誠に、ありがとうございました。

◇常に「原点」に立ち返れ そこに人生と社会の蘇生の力
一、ここで私は、脈々と受け継がれてきた、貴・長春師範大学の崇高なる精神、すなわち「長師精神」から、地球社会の明日を照らす三つの心を学ばせていただきたい。
その第一は、「原点を忘れない心」であります。
現在、貴大学の先生方、学生方が制作し、熱演される舞台が、反響を呼んでいると伺いました。
そのテーマは、まさしく「原点」であります。
1920年代の激動の時代に、革命に生きた貴大学の先人を描く歴史劇であり、「師たる者は道を伝える」との長春師範の気概が込められています。
人生も、社会も、常に「原点」に立ち返るところに、みずみずしい蘇生があり、今再びの希望の前進が始まります。貴国との変わらぬ友好を信条とする私たちの「原点」は、いにしえからの計り知れない文化の大恩であります。
さらにまた、忘恩非道にも、日本の軍国主義が言語に絶する惨禍をもたらしてしまったにもかかわらず、ここ長春では、戦後、親を失った幾千人もの幼児たちが慈愛深く育まれた恩義も、決して忘れることはできません。

◇教育の目的は若人の幸福にあり
貴大学の劇「原点」の舞台では、冒頭に「経師は遇い易く、人師は遇い難し」との古典の名句が語られます。私も命に刻んできました。小学校時代の恩師の最晩年に、尽きせぬ深謝の思いで、この至言を記してささげたことも、懐かしい思い出であります。
「経師」——知識を伝える教師にとどまらず、「人師」——正しき人間の道、豊かな生命の道を伝えゆく教育者たれ。IT(情報技術)が急速に発展する時代だからこそ、ここに見失ってはならない「人間教育」の原点があるのではないでしょうか。
わが創価教育の創始者であり、平和の信念に殉じた牧口常三郎先生も、教育の目的は、教育を受ける若人の幸福にありと宣言し、「知識の切り売りや注入」ではなくして、自ら「知識の宝庫を開く」智慧の鍵を授けることと教えられました。
実力と人間性を兼ね備えた「人師」を育成されゆく貴大学と共々に、幸福と平和の価値を創造しゆく人間教育の道を、私たちもさらにまい進しゆく決心であります。

◇生き生きと学び 民衆への奉仕を
一、第二に、学び続ける心です。
貴大学は校訓に、「学問に果てなく 行動は師として模範たれ」と掲げられています。
思えば、人民の父・周恩来総理もまた、徹底して学び続ける指導者でありました。若き日から「活動と学習は切り離すことができない」(『周恩来選集(1926年〜1949年)』日本語版≪周恩来選集≫翻訳室訳、東方書店)と、常に学ばれながら、たゆみなく人民への奉仕を積み重ねてこられたのであります。
総理として、長春はじめ吉林省を訪問された折にも、銀行や自動車工場、撮影所など行くところ向かうところで現場の声に耳を傾けられ、村落では民族の風俗習慣を尊重されるなど、一貫して民衆と共に学び、民衆への尊敬の振る舞いを示されました。
実は私が周総理とお会いした翌1975年の春、創価大学にお迎えした、新中国最初の日本への国費留学生の英才たちも、その多くの方がここ長春の出身でした。
異国の地で、まさに開拓者として真剣に大情熱を燃やして学問に取り組む姿を、私は思い起こすのであります。その向学の気高き青春に、今、貴国をはじめ世界の幾多の留学生たちが続いてくれています。
生き生きと学び、自他共に高めゆくことが、良き教育者たる大前提なり——貴大学の師範育成の伝統が、世代を重ねるごとに、百花繚乱の人材の園を開かれゆくことを、私は確信してやみません。

◇一人また一人と 生命の燭光点せ
一、そして第三に、生命の燭光を点しゆく心です。
貴大学は、歴史文化学院を拠点として、多くの民族が共生する中国東北地域の民族文化の研究に先進的な挑戦をされております。

校歌には——
「生命の燭光点し
前進の方向を明るく照らす 長師人
民族の希望を点し 人生の夢を解き放ち
懸命の努力
大地の桃李を芳しめ 光を実現せしめる」と歌い上げられております。
多様な民衆一人ひとりに寄り添い、その可能性を引き出しながら、生命の燭光を点しゆく労作業が、社会に、世界に、どれほどの価値を生むことでしょうか。
さらに貴大学では、本年、女性の教員や学生が学識修養を培うための女子書院を設立され、女性たちの生命の燭光が、より一段と光彩を増しております。
私と妻が忘れ得ぬ出会いを結ばせていただいた�穎超先生は、女性教育の先駆者でありました。

◇人民の母・�穎超夫人「我々が信念を固めれば困難は乗り越えられる」
�先生は、「教育は人生の根本であると共に、全民族の文化的素養を高める重要な一環でもあります」と語られていました。
地球的課題が山積する現代世界にあって、平和で持続可能な未来を築くためには、あらゆる差異を超えた、多彩な人材の育成と連帯が、ますます求められております。それは容易ならざる道でありましょう。
�先生は、毅然と言い切られました。「何を為すにしても、困難にぶつかるのは必至です。しかし我々が決心をくだし、信念を固めさえすれば、困難は乗り越えられるのです」と。
まもなく、長春の地は晩秋から、氷点下の厳しい冬を迎えられます。しかし、「冬は必ず春となる」であります。凍てついた冬を勝ち越えるからこそ、いずこにもまして爛漫と花咲き香る春を飾られます。
光栄にも、このほど、私の名前まで付していただき、新たな研究所が設立されました。この長春の天地から、一人また一人と生命の燭光を点しながら、地球民族に「幸福の花」「平和の花」「繁栄の花」を咲かせゆく、人間教育、人間文化の春が広がりゆくことを、私は終生、祈り抜いてまいります。
結びに貴・長春師範大学の万古長春の栄光と、貴大学の同窓生をはじめ、全ての関係者の皆さまの限りない健勝を心より祈念申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。謝謝!(中国語で「ありがとうございました!」)(大拍手)

2019年11月16日土曜日

2019.11.16 わが友に贈る

いつも笑顔で温かく!
誰人にも優しい言葉を!
豊かな人間性の中に
信心の発露はある。
境涯革命の一歩を共に!

同生同名御書 P1114
『石を珠といへども珠とならず珠を石といへども石とならず』

【通解】
石を珠と言っても、珠とはならない。珠を石と言っても、石とはならない。

名字の言 2019年11月16日
先日、新潟県の柏崎市立博物館を訪れた。市の偉人コーナーに、初代会長の牧口常三郎先生が紹介されていた▼大著『人生地理学』を著したこと、戸田城聖先生(第2代会長)と出会ったこと、1930年に『創価教育学体系』を出版し、創価教育学会(後の創価学会)を創立したこと、信念を貫いて獄死したことなどが記され、「炎の殉教者」である、と▼アジアの人々と交流する時、とりわけ牧口先生の殉教の精神の重みを痛感する。フィリピンの"独立の父"リサール博士の名を冠した国際平和賞の第1号が池田先生に贈られた時のこと(98年)。戦争中、日本軍に蹂躙された国が、なぜ日本人の池田先生を選んだのか——▼「私たちは創価学会の歴史を知っています。歴代の会長が軍国主義と命懸けで戦った歴史を。それが決定的でした。この平和の流れを世界へ広げているのが池田博士です」(リサール協会のサリアール氏)。創価の平和の連帯は今、192カ国・地域に広がる▼明後18日は牧口先生の殉教75年。学会は世界宗教として力強く飛翔している。だが、どんなに時代が移っても、変わってはいけないものがある。それは「精神」である。創立の原点、三代会長の死身弘法の精神に立つ限り、広布に行き詰まりはない。(川)

寸鉄 2019年11月16日
SGIの利他の精神こそ新時代を拓く鍵—識者。自他共の尊厳輝く社会へ
熊本支部結成の日。火の国に聳える広布の人材城青年を先頭に先駆の拡大
師弟の人生ほど崇高で尊いものはない—戸田先生創価三代の魂を受け継げ
先を目指す人には新しい地平線が見える—作家。創立90周年へ希望の前進
国連の「国際寛容デー」。差異を尊重し合う世界の構築へ。草の根の対話で

☆四季の励まし 創立の月 世界の友と希望の前進 2019年11月10日
世界のSGIの同志が
広宣流布の真剣な実践に
立ち上がっていくことが
できたのは、なぜか。
それは、牧口先生、
戸田先生という創価の師が
日蓮大聖人の
御精神のままに、
不惜身命・死身弘法で
広宣流布のために戦い、
それを私たちに
教えてくださったからだ。
広宣流布のために
苦労したことは、
すべて三世永遠にわたる
一家眷属の福運になる。

法華経の方便品には
「如我等無異」——
「我が如く等しくして
異なること無からしめん」
とある。
全民衆を、自分と同じ
境涯にまで高めたい。
それが仏の誓願である。 
その心を、わが心として
不二の道を進んでいけば、
仏と不二の境涯になる。
それが法華経の真髄だ。
その真髄を体現したのが、
創価学会である。
わが身をなげうって、
不幸の人、貧しい人、
苦しむ人を救っていく。
これが学会の魂である。

「こんなに
幸せになれるなんて」——
私の誇りは、
わが愛する同志には、
このような人生の実感を
味わってきた方々が
日本中、世界中にいる
ということである。
経済苦、病苦、
人間関係の苦悩、
自身の性格の悩み等々、
宿命と苦悩の闇を
乗り越えてきた幸福博士が
大勢いらっしゃる。
いかなる苦難も
幸福に転じていける
大法が妙法である。
最も不幸に苦しんだ人が
最高に幸福な人になるのが
仏法である。

自他共の幸福を築きゆく、
正しき人生の道を
前進しよう!
地域の同志と、
仲良く朗らかに、
励まし合いながら!
世界の同志と、
希望のスクラムも固く!

2019年11月15日金曜日

2019.11.15 わが友に贈る

御聖訓「仏の如く
互に敬うべし」
皆が主役の座談会。
一人一人の挑戦を称え
幸福と和楽の大行進を!

南条殿御返事 P1578
『法妙なるが故に人貴し人貴きが故に所尊しと申すは是なり』

【通解】
法が妙であるがゆえに、その法を持った人は貴い。人が貴いがゆえに、その人がいる所も尊い。

名字の言 2019年11月15日
 作家の武者小路実篤は長年、毎日のように書をしたため、絵を描いた。ただ、なかなか上達しなかったという。スケッチブックに、こんな自作評を記している。「デッサンは実にへたなり 勉強するつもり」(山口瞳「私の好きな」)▼謙遜を含んだ言葉だろうが、"不得手なものは不得手"と素直に認め、精進を重ねた実篤の、飾らない人柄が伝わってくる。日本を代表する文豪は、見えや体裁を気にする人ではなかった▼「こんなに元気が出る世界があったんですね!」。座談会に参加した青年が喜々として語っていた。老若男女、さまざまな職業や立場の人が集い、学び合う。成功談だけでなく、失敗談さえ明るく語り、励まし合う。人間味あふれる学会の温かさに感動し、青年は入会を希望した▼仏法では「無作」の生き方を大切にする。飾らず、繕わず、ありのままの姿で切磋琢磨するからこそ"本物の人間力"が磨かれる。その人間錬磨の最高の場が、今や世界中で開かれている「ザダンカイ」であり、日々の学会活動だ▼実篤が書いている。「色と云ふものはお互に助けあって美しくなるものだよ。人間と同じことだよ……どの色もいきなければ」(『武者小路實篤全集6』小学館)。団結こそ人生勝利への力である。(誠)

寸鉄 2019年11月15日
世界各地で進む教学研鑽確固たる哲学持つ賢者は強し。若師子よ繙け、学べ
地域部の日。師弟共戦で迎えた結成45年。大誠実で開拓続ける友、万歳!
「たすくる者強ければたうれず」御書。真心の祈りと励ましこそ希望の源泉
社会改革の道は只一つ、君が善良になる事—文豪我らは人間革命の大道を
蝶の仲間の4割が急減、生息環境の保全急務と。社会一体の取り組み急げ

☆ワールドトゥデイ 世界の今 歴史と文化の国・ポルトガル 2019年11月8日
◇"臆病の岬"を越える勇気
日本の約4分の1の国土に17の世界遺産があるポルトガルは、歴史と文化に彩られた国だ。日本が最初に出あった欧州の国であり、16世紀に鉄砲が伝来した。近年は日本人観光客も増えている。このポルトガルを池田大作先生が初訪問したのは54年前。本年は同国SGI(創価学会インタナショナル)が法人として認可されて10周年に当たる。池田先生の足跡が刻まれた首都リスボンと、その郊外を訪ね、同国広布の今を追った。(記事=西賢一、写真=中谷伸幸)

ゴトゴトと揺れながら走る市電。迷路のように続く石畳の路地。立ち並ぶ赤い屋根の家からは庶民的な雰囲気が漂い、そこで暮らす人々の息遣いが聞こえてくる。古き良きリスボンの街は、素朴で、不思議な魅力を醸し出していた。

その一角にあるポルトガル文化会館からテージョ川に沿って西へ進むと、巨大な建造物が姿を現す。エンリケ航海王子の没後500年を記念して造られた「発見のモニュメント」。1965年10月27日、ポルトガルに第一歩をしるした池田先生も訪れた場所だ。
大西洋に面し、大航海時代をリードしたポルトガル。この国を、世界に開かれた海洋国家へと発展させたのは、「海」という未知の領域に飛び込み、東洋に至る新航路を発見した、先人たちの「勇気」だった。
先生は"大航海"を成功させた同国の歴史を踏まえつつ、同行の友に訴えた。「広布の新航路を開くのは勇気だ。自身の心の"臆病の岬"を越えることだ」
当時、現地に学会員は一人もいなかった。だが、先生の深き祈りに呼びいだされるように、後に一人の日本人女性が核となり、広布の船出を開始。青年世代を中心に大きく弘教が進み、現在は大西洋上のアゾレス諸島やマデイラ諸島にもメンバーが誕生している。

◇一人の百歩より百人の一歩を
1965年の訪問の折、池田先生はリスボン郊外にも足を延ばしている。視察したのはケルース宮殿。"小ベルサイユ"と称される18世紀の建造物である。
それから半世紀以上が過ぎ、この地域にも支部が発足。「先生が来られたことが私たちの誇り!」と、地元のコスタ・オエステ支部の友は声を揃える。
「コスタ・オエステ」とは、ポルトガル語で「西海岸」の意。大西洋側の複数の都市が広布の舞台だ。町の景観が世界遺産のシントラ、修道院で有名なマフラ、そこから北へ100キロ以上離れたレイリアなど、活動エリアは広大。ケルース宮殿も支部内にある。
支部のメンバーは100人を超え、9割は婦人部・女子部。大半が活動者だという。出身地も多彩。欧州系、南米系、アフリカ系の同志が所属し、各国の知恵や工夫に学びながら皆で仲良く活動に励む。支部長のアンドレ・デジデリオさんはブラジル、女子部部長のブレンダ・アギラールさんはメキシコの出身だ。
2地区8グループの同支部。この1年で6人の新会員が加わり、新たに14人が支部、地区、グループのリーダーに任命されるなど、弘教と人材育成で同国広布をけん引する。
この勢いは、どのようにして生まれたのか。支部婦人部長のソニア・ラマーリョさんは「相手を信じて対話を重ねてきたからです」と言い切る。
「私が発心したように"あの人もこの人も必ず一緒に活動できる時が来る"と信じて祈り、関わり続けています。仏法は人と人、心と心を結ぶ哲学ですから」
さらに「私は少し張り切り過ぎるところがあるので(笑い)、一歩下がって、新しい人をもり立てようと心掛けています」とも。自らが「一人」立ち、目の前の「一人」を励まし、次の「一人」を信頼する——。一人を大切にする学会精神は世界共通である。

ラマーリョさんは、重量挙げ女子の元ポルトガル代表。97年に友人の紹介で入会した。ポルトガルは国民の9割がカトリック。それまでは学会の存在すら知らなかった。
兄弟の薬物依存、一家離散……。苦難の真っただ中で仏法に巡り合った。「本当に悲惨でした。だけど、そんな私でも変わることができたんです」
仕事と育児で多忙を極めながらも、ラマーリョさんは敢然と宿命に立ち向かった。信心して分かったのは「自分が太陽と輝けば、全てが輝くこと」。経済苦にも負けず、4人の子どもたちを立派に育て上げた。うち1人は兄の子だという。長年の悩みの種だった両親や兄弟との関係も改善。不可能を可能にする御本尊の功力を知り、5人の家族・親族が入会している。
そんな彼女の喜びは、自身に仏法を紹介してくれた友人の次男ジェウフェル・ガルシアさん(男子部部長)と同じ支部で活動できるようになったこと。「小学生だった彼が勤行を教えてくれたんです」とほほ笑む。
支部のモットーは「ポルトガル一の幸福支部に!」そして「一人の百歩前進より百人の一歩前進を!」。
それを象徴するように、先月13日夜には、池田先生の初訪問54周年を記念する座談会がシントラで開催され、会場に入りきれないほどの人々が詰め掛けた。
司会は男子部。彼が口にする、芝居のセリフのように洗練された一言一言が、参加者の気持ちを高める。仕事でインターネット番組を手掛けるデジデリオ支部長は記念映像を作成。全員で視聴し、誓いを新たにした。
その一方、10月の広布史をクイズ形式で学ぶコーナーでは、婦人部の友がユーモアを挟み、会合を盛り上げる。「今日は何の日か分かりますか?……私の孫が生まれた日です!」。知るよしもない答えに皆、拍手し、大爆笑。この後も、会友による体験発表や、会場提供者のファティマ・デジデリオさんの誕生日を祝うバースデーソングの合唱などがあり、座談会は時がたつのを忘れるほど、明るく楽しい集いとなった。
この日、ある友は語っていた。「私たちの集まりは、はたから見れば小さいものかもしれません。でも、その使命は誰も想像がつかないほど、果てしなく大きい——先生はこの広宣流布というロマンに生きる喜びをポルトガルにまで届けてくださいました。だからこそ、これからは師匠に何かしてもらうのではなく、弟子の手で世界広布を成し遂げる! そう決意しています」
かつて恩師・戸田先生は呼び掛けた。「大航海時代を開いたポルトガル人の勇気に学べ!」と。
新航路発見から500年。ポルトガルの同志には、当時の先駆者たちに勝るとも劣らない、"臆病の岬"を越えゆく勇気が、凜々とみなぎっている。

2019年11月14日木曜日

2019.11.14 わが友に贈る

「努力の風」によって
「栄光の旗」は翻る。
ゆえに焦らず 弛まず
今日なすべき課題に
全力で挑みゆこう!

妙法尼御前御返事 P1404
『かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべし』

【通解】
賢い者も愚かな者も、老いた者も若い者も、いつどうなるか分からないのが世の常である。それゆえ、まず臨終のことを習って、後に他のことを習おう。

名字の言 2019年11月14日
 「ここには、時代が希求する教育の理想像があります」。先日、鹿児島県薩摩川内市で行われた教育本部の「県人間教育実践報告大会」で、来賓が語っていた▼大会では、積極的な声掛けで生徒の自主性を育む中学校教諭、英語教育に携わって50年の元高校教諭らが登壇。情熱を胸に、教育現場で奮闘する姿に共感が広がった▼小学校の特別支援教育を担当する婦人部員が報告したのは、母子家庭で育つ、知的障がいと自閉症の傾向がある児童との関わり。彼女は、児童の不安を和らげるため、初めての行動は必ず"予習"を。耳鼻科健診の前には、スプーンを代用して「口に冷たいものが入ります」と語り掛けて慣れさせた。また母親との信頼関係を築こうと、交わした連絡帳は5年間で15冊に。「いっしょに悩んでいきましょう」。ノートにつづられた言葉に"一人も置き去りにしない"との心が脈打つ▼「皆さまの手で今日的な教育理論を構築していっていただきたい」——1984年(昭和59年)、池田先生の提案によってスタートした「教育実践記録運動」。35周年の本年、事例数は13万件を突破した▼多様な教育現場での実践例の蓄積は、一人一人の教育力の向上にとどまらず、「教育のための社会」を築きゆく、確かな指標となる。(誼)

寸鉄 2019年11月14日
会長は対話を基調に平和の哲理広げた希有な存在—総長。共生世紀の指標
「紅の歌」誕生の日。若き君よ師弟勝利の先駆を!紅に燃える広布の情熱で
「悩みを断ち切る利剣は題目と折伏」戸田先生。創立の月、悔いなく挑戦
世界糖尿病デー。主な因は暴飲暴食や運動不足。祈りを根本に賢く見直し
秋の火災予防運動。煙草・暖房・こんろ・電気コードが火の元に。指さし確認

☆私がつくる平和の文化 第11回 生命の尊重
◇インタビュー 難民を助ける会理事長 長有紀枝さん
「私がつくる平和の文化」第11回のテーマは「生命の尊重」。登場していただくのは、特定非営利活動法人「難民を助ける会」の長有紀枝理事長です。難民支援の経験を通して、全ての人の生命が尊重される世界を築くために、私たちが心掛けるべきことは何かを語ってもらいました。(構成=小野顕一、歌橋智也)

私にとって1990年代の旧ユーゴ紛争での難民支援が、NGO活動、そして、研究者としての原点です。
旧ユーゴは六つの共和国で構成されていましたが、独立を巡って戦火が広がり、大変な数の難民が出ました。私は91年から現地で難民の支援に携わりました。
難民キャンプでいつも感じるのは、支援活動の「限界」と「可能性」です。人手や資金の制約もあり、助けられる人よりも、助けられない人の方が圧倒的に多い。求められたことに応えることより、断ることの方が圧倒的に多い。つまり「限界」だらけです。
一方で「可能性」もあります。障がい者や難病の患者など、誰からも救いの手が届いていない人たちが必ずいて、私たちのような小さな団体でも、できることが必ずあります。また、政治や宗教などが絡まない日本人だからこそ、果たせる役割もあるのです。
理不尽な状況の中で、人間の強さを感じる場面に出あってきました。よくお母さんが、わが子のことになると力が出るといいますよね。人間って不思議だなと思うんです。難民の中でもそういう方々と出会いました。
本当につらい状況で、自分のことで精いっぱいのはずなのに、同じような境遇に置かれている他者への想像力が働き、力が出るのです。自分だけのことだったら諦めるけれど、苦しむ人たちのために自分を犠牲にしてでも声を上げる。私はそこに、人間の強さを感じます。
難民支援の現場では、人を助けるためには、自分の命を守らなければなりません。そして、自分の命が大切だと思えることが、他の人の命も同じように大切にできる出発点だと思います。
平気で他人を傷つける人は、自分の命を大切にされた実感がないのではないかと思います。もし子どもの頃から、誰かに抱き締められ、愛情を注がれていたら、その体験がどこかに残っているはずです。そういう中で育っていない人は、命の尊さを実感できないかもしれませんが、それが伝わるような関わり方をしていくしかないと思う。

●「諦めない一人」に
先日、大学生から相談を受けました。世界では不条理なこと、非人道的なことが繰り返されている。それを断ち切るために自分も何かしたいけれど、何もできないのがもどかしい、と。
この学生に私は、「一人の人間にできることは限界がある」と申し上げました。自分一人で何かしようと意気込んでも、大半のことは達成できませんから、「ああ、だめだった」と諦めてしまう。
しかし一方で、世界の大半のことは、一人の人間の力から始まったのも事実です。「諦めない一人」がいたから、いろんなことが変わってきたのです。
だから自分の力を過大評価しない一方、過小評価や卑下もしてはいけない。120%の力で一瞬で燃え尽きるよりも、"細く長く"でも続けるほうが、世界を変える力になるということを伝えたかったのです。
リーダーが大きな仕事をして世の中が変わることは、もちろんあります。でも、その人が未来永劫存在するわけではない。世界を変えるというのは、一時的なことではなく、永続的な営みによって、もたらされるものです。だから自分を"永続的な営みの一部"と位置づけられる人が、実は強い人で、組織や世界を変えていけるのだと思います。
"社会の歯車になんかなりたくない"と、私も学生の頃は思っていました。ですが、地雷除去活動中の事故で右手右足を失ったクリス・ムーンさんというイギリスの地雷問題の活動家の言葉を聞いて、考えが変わりました。"こんな体の僕でも、地雷の廃絶という大きな歯車の中で仕事ができることがうれしいんだ"と。それを聞いてハッとしたんです。確かに私たちは歯車の一部かもしれない。でも歯車だからこそ物事が動かせると。
「たかが一人、されど一人」です。自分の立ち位置を客観的に受け入れながら、できることをやってバトンを渡し、連綿と続けていく。そういう人たちの集まりが、世界に変革を起こすのです。私は創価学会の方々も、そうした思いで日々、他者のために行動されていると思います。

●「得」ではなく「徳」を
今、世の中の判断基準が「損か得か」になっている気がします。では、人としてあるべき生き方とは何なのか。
私は「得」ではなく「徳」のある生き方が必要ではないかと思います。それも、人が困難に直面する中で見せた勇気とか希望に、私たちは心を打たれます。どんな立場の人でも、お金がなくても、病気で動けなくても、示すことができるそうした生き方の輝きは、必ず伝染するし、影響力は大きいと思う。
徳のある生き方をするためにも、他者とつながる「心のスイッチ」を切らないでほしいのです。
スイッチを切る=「私には関係ない」と思った瞬間に、全てのつながりはシャットアウトされます。反対に、スイッチを入れる=「関係ないとは思わない」のであれば、その時々にできることはあるし、あるいは、いつか、何かができる。できることが必ずあるはずです。
「平和の定義って何?」と聞かれたら、私は「明日の予定を立てられること」と答えます。地雷原の周辺に住んでいる子たちに、大人になった自分の絵を描いてごらんと言ったら、足のない絵を描くんです。その子たちにとって大人になるとは、足がなくなることなのです。そういう苦難に思いをはせ、生き方を変えることも「平和の文化」だと思います。
将来の計画を立て、未来を創造することは、実はすごい"特権"です。でもその貴重さには、なかなか気付けません。誰もがこの"特権"を持てるようにするためにも、「心のスイッチ」を切らずにいただきたいと思うのです。

【特定非営利活動法人 難民を助ける会(AAR Japan)】1979年11月にインドシナ難民を支援するために相馬雪香(尾崎行雄の三女)の呼び掛けで設立。今年で40周年。国連に公認・登録された国際NGOとして、現在、世界15カ国で活動し、紛争や災害などでの緊急人道支援、障がい者支援、地雷対策、感染症対策、啓発・教育活動等を推進する。97年にはAARが主要メンバーである「地雷禁止国際キャンペーン」がノーベル平和賞を共同受賞した。

おさ・ゆきえ 東京都生まれ。早稲田大学卒。同大学院修士課程修了。2007年、東京大学大学院総合文化研究科「人間の安全保障」プログラム博士課程修了(博士)。旧ユーゴの難民支援、地雷禁止国際キャンペーンの地雷廃絶活動等に携わり、08年からAAR理事長。09年から立教大学大学院教授。著書に『入門 人間の安全保障』(中公新書)、『スレブレニツァ あるジェノサイドをめぐる考察』(東信堂)等がある。

★池田先生の指針から
大空よりも大きなものがある。それは私の生命である。
大海原よりも深いものがある。それはあなたの生命である。
全宇宙のあらゆる宝よりも尊いものがある。
それは私たちの生命である。
(池田大作「平和を! 平和を! そこに幸福が生まれる」から)

〈体験〉命は何物にも代えがたく尊い 18年の介護を経て
母親の介護を通して「命」と向き合ってきた女性に取材しました。

東京・武蔵村山市の阿部たみ子さん。母が79歳の時、リウマチで1人暮らしが難しくなり、同居生活が始まった。やがて車いすが欠かせなくなり、介護が必要に。夫や娘と話し合い、「わが家は"楽しい介護"でいこう!」と決めた。
一日中、家にいる母に、少しでも楽しく過ごしてもらおうと、指人形でコミュニケーションを取るなど、笑顔が絶えないように工夫を重ねた。優しく穏やかな母は、「ありがとう。幸せだよ」と、いつも笑ってくれた。
しかし、年月を重ねるうち、いつまで続くか分からない介護に阿部さんはストレスを感じていった。トイレ介助の後に、ため息をつく自分。さらには、母をデイサービスへと見送った後の解放感——。阿部さんは自己嫌悪に陥っていく。
そんなある日、"自分を許せない人は、人も許せない。ありのままの自分を肯定しよう"との言葉を目にし、阿部さんは自分に素直になろうと決めた。
気分が優れない時は「怒っちゃったらごめんね」と伝えた。母にも"我慢しないで"と伝え、正直な気持ちを聞くように心掛けた。
さらにリウマチが進み、母の指が不自由になると、リハビリを兼ねて、母との交換ノートを作った。
「お母さんのおかげで、私も生きているんだよ」「お母さんの回復力はすごいって、お医者さんが褒めてたよ」など、母が喜ぶ言葉をたくさん書いた。
母は、不自由になった手で一生懸命に「たみ子と暮らせて、幸せ」と、返事をくれた。お互い、面と向かうと言えないこともあり、うれしさが込み上げた。
亡くなる直前、母はつづってくれた。「こんな良い娘はいないよ」。上手に書こうと、何度も書き直した跡があった。母と阿部さんのかけがえのない"生命のノート"になった。
2015年9月1日、母は97歳で息を引き取った。安らかな臨終の相だった。多くの葛藤はあった。しかし、18年間の歩みは、まさに"宝の日々"だった。
「『人は、若くて、健康で、何かができるから価値があるのではなく、命それ自体が、何物にも代えがたく尊い。そして、命それ自体に、生老病死の苦しみを乗り越える力が備わっている』。そのことを、母は自身の生き方を通して教えてくれました」
母に学んだ生命の素晴らしさを胸に、阿部さんは今日も友のもとへ足を運ぶ。

2019年11月13日水曜日

2019.11.13 わが友に贈る

やらされていると思うか
自らやるとぇついするか。
微妙な一念の違いで
結果は大きく変わる。
喜び勇んで使命の道を!

生死一大事血脈 P1337
『悦ばしい哉一仏二仏に非ず百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事歓喜の感涙押え難し』

【通解】
よろこばしいことに、一仏二仏ではなく、また百仏二百仏ではなく千仏まで来迎し手を取ってくださるとは歓喜の涙、押えがたいことである。

名字の言 2019年11月13日
 先月、インドで開かれた教学研修会。各部の代表が参加した御書講義のほかに、創価班や白蓮グループなど、行事運営や会館警備に当たるメンバーを対象とした講義が行われた▼研修では、こうしたグループの使命について、御書や小説『新・人間革命』を通して学び深めた。皆、普段は研修会の運営を陰で支える側で、自らが講義の参加者となることは少ない。平日の開催だったが満員の会場は求道の熱気に満ちていた▼ある創価班の友が語っていた。「この会合に参加するために、全力で仕事に取り組んできました。次から次へと新しい業務が舞い込んできたのですが、"もう研修は始まっている"との思いで、全てやり切って講義に集うことができました。きょうの歓喜と誓いを胸に、新たな前進を開始していきます」▼会場となったのは9月に落成したばかりの新「本部」。壮麗な外壁は陽光に輝き、玄関ロビーの横では、池に浮かんだ色鮮やかなハスの花々が来館者を迎える。仏教源流の国の宝城は、同志の美しき心によって、さらに輝きを増していた▼日本でも多くの友が日々、行事運営や会館警備などに尽力している。多忙な中での献身に心からの感謝をささげたい。学会厳護の「陰の戦い」もまた世界同時進行である。(駿)

寸鉄
2019年11月13日
「創立の月」飾る座談会。信仰体験と決意を闊達に語り合う触発の会座に!
徳島の日。魁光る人材城。新たな拡大の波起こせ!地域に対話の花を爛漫と
青年の成長なくして未来は開けない—恩師。学会活動で心の財宝積みゆけ
会館周辺での違法駐車・喫煙・立ち話は厳禁。良識の振る舞いが仏法の精髄
台風被害、政府の対策に公明の主張が多数反映。復旧加速へさらに総力を

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 崇峻天皇御書(上)(三種財宝御書) 2019年11月9日
◇心を磨き、福運を広げよう どんな時も「誠実第一」に
今月から2回にわたり、「崇峻天皇御書」を学びます。
池田先生は、本抄の講義の中でつづっています。
「『心』こそ、人生の最高の『財宝』です。それは、『心』の中に、偉大な可能性と無上の尊極性が具わっているからです。『心』は、いくらでも広がります。また、いくらでも深められます。そして、いくらでも強くなります。(中略)人生をよりよく生きるために、内なる心の世界をどう広げゆくか。いかに心を鍛え、『心の財』を積んでいくか。そのために妙法があるのです」
弟子の"真の勝利"のため、日蓮大聖人が示された「心の財第一」の指針を学んでいきましょう。(拝読範囲は、御書1170ページ冒頭〜1173ページ16行目です)

◇本抄について
本抄は、建治3年(1277年)9月、日蓮大聖人が身延で認められ、四条金吾に与えられました。
本抄が送られる以前、金吾は、主君の江間氏を折伏したことで疎まれるようになり、同僚の讒言(事実無根の訴え)を信じた江間氏から"法華経の信仰を捨てなければ、所領を没収する"と迫られます。
しかし、金吾は迷わず信心を選び、同時に、大聖人の御指導通り、誠実な振る舞いを貫きました。
そうした中、江間氏が病に倒れ、医術の心得のある金吾が治療に当たることになり、信頼回復の機会が訪れます。本抄は、その報告に対する御返事です。
大聖人は本抄で、大事な時だからこそ油断してはならないと示され、仏法者として目指すべき賢人の生き方を教えられています。

◇御文
『人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ、中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ、穴賢・穴賢、蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし』(御書1173ページ13行目〜16行目)

◇通解
人間として生を受けることはまれであり、爪の上に乗った土のようにごく少ない。人間として命を持ち続けることは難しく、草の上の露のようにはかない。百二十歳まで生きて名を汚して死ぬよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切です。
「中務三郎左衛門尉(四条金吾)は、主君に仕えることにおいても、仏法に尽くすことにおいても、世間における心掛けにおいても、大変に素晴らしい」と鎌倉の人びとの口にうたわれていきなさい。
「蔵の財」よりも「身の財」がすぐれている。「身の財」よりも「心の財」が第一である。この手紙をご覧になってからは、「心の財」を積んでいきなさい。

◇解説
苦境の中で戦う四条金吾に、大聖人は掲げた御文の冒頭、人として生まれ、生きることは「爪の上の土」のように稀であり、「草の上の露」のように、はかないと述べられます。人生の一瞬一瞬はかけがえのないものであり、だからこそ、「名をあげる」生き方が大切だと仰せです。
ここで仰せの「名をあげる」とは、単に社会的に偉くなったり、有名になったりすることではありません。
大聖人は続く御文で、"主君に仕えることにおいても、仏法に尽くすことにおいても、世間に対する心掛けにおいても、人々から素晴らしいと、たたえられる人になっていきなさい"と述べられます。どんな立場にあっても、誠実第一で周囲の人々から信頼されることが、仏法者として目指すべき"勝利の姿"であることを教えられています。
私たちの立場で拝すれば、自らの無限の可能性を開く「人間革命の信心」を根本に、今いる場所で努力と挑戦を重ねる生き方が、縁する人に信頼を広げていくのです。
大聖人はさらに、人生における重要な価値基準を示されます。それが「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」との一節です。
「蔵の財」とは、お金や土地などの財産のこと。「身の財」とは、健康や才能、身に付けた技術のことです。
そして「心の財」とは、生命に積んだ福徳、また、心の豊かさです。
大聖人はこの三つの中で、「心の財」こそ最高の宝であり、それを積むことが人生の根本目的であると述べられています。信心によって磨いた心、築いた豊かな生命の境涯があってはじめて、蔵の財・身の財も生かされます。
広布のため、自他共の幸福のためにと、勇んで行学に励む中で、幸福勝利の人生を開く、最高の「心の財」を、限りなく積み、輝かせていけるのです。
「福運無限詩」——池田先生は、女子部への期待を、かつて認めた書に寄せてつづりました。
「小さな、また地道な『心の財』の積み重ねこそが、無限の福運と広がります」
華陽姉妹と共に福智の青春を歩み、栄光の「11・18」を荘厳していきましょう。

◇池田先生の講義から
人間として生きるすべての局面において、仏性の輝きを放つときこそ、真の勝利であるということです。(中略)
周囲から「よかりけり」と賞讃されることは、仏法者としての「人間性の力」以外の何ものでもありません。
「心の財」の力があるがゆえに、人々から信頼され、模範の存在として高い評価を得る。仏性が人間性の輝きとして現れ、その素晴らしさが、信心をしていない人々の心をも打っていく。「あの人は、どこか違う。輝いているものを持っている」という信用を得ることが、仏法の確かな実証です。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第4巻)
◇ ◆ ◇
「心の財」とは、私たちで言えば、広宣流布のための誓願を持つことです。これ以上の「心の財」はありません。また、広宣流布の「心の財」を積んだ人は、最高の無上道の人生を歩むことができる。(『御書の世界』第3巻)

研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第4巻(聖教新聞社)
○…『創価学会永遠の五指針』(同)

2019年11月12日火曜日

2019.11.12 わが友に贈る

慌ただしいからこそ
日々の目標を掲げ
信行学の基本に徹しよう。
職場や地域の変革も
「私の一歩前進」から!

さじき女房御返事 P1231
たとへばはるの野の千里ばかりにくさのみちて候はんにすこしの豆ばかりの火をくさひとつにはなちたれば一時に無量無辺の火となる

【通解】
たとえば春の野が千里ほどにも広がって草が生い茂っている所に、豆粒ほどの小さな火を一つの草に放てば、それはたちまちに燃え広がって無量無辺の火となります。

名字の言 2019年11月12日
 慶応義塾大学の塾長も務めた経済学者の小泉信三は、戦時中、出征する息子・信吉に手紙を書いた。「僕は若し生れ替って妻を択べといわれたら、幾度でも君のお母様を択ぶ。同様に、若しもわが子を択ぶということが出来るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。人の子として両親にこう言わせるより以上の孝行はない」(『海軍主計大尉小泉信吉』文春文庫)▼この文章には"何ものも私たち家族の絆を断ち切ることはできない"という愛情と信念、そして"わが子として生まれてくれた"ことへの感謝と喜びがあふれている▼ある朝、多宝会の婦人部員は孫娘に言われた。「おばあちゃん、寝言でお題目を唱えてたよ」。孫娘の笑顔に婦人は目を潤ませ、ほほ笑み返した。内臓疾患を抱えていた孫娘。それは同じ病を持つ父からの遺伝性だと医師に言われた▼当初、婦人は、孫娘の父である息子を"丈夫に産んであげられなかった"と自分を責めた。だが祈る中で、思いは"息子と孫は身を賭して、私に題目の偉大さを教えてくれている"という感謝に変わった。祈りはかない、今は皆が元気に過ごしている▼妙法は宿業を切る"利剣"であり、本物の価値と幸福とは何かを映す"鏡"である。それらを磨く唱題行に励む日々でありたい。(城)

寸鉄 2019年11月12日
「仏になるみちは善知識にはすぎず」御書。同志と絆固く。励まし合い前進
女子部の日。華陽姉妹の活躍こそ世界広布の光。さあ朗らかに勝利の門を
生命を強く清くするのが信心—先師。何があろうと弛まず。その人が勝つ
信頼できる媒体—1位は新聞。本紙は希望の論調益々。支える読者のため
「あおり運転」を免許取り消しの方針に—警察庁。悪質行為を許さぬ社会へ

☆心に御書を 第8回 「いよいよ」の信心で立て
『いよいよ道心堅固にして今度・仏になり給へ』(四条金吾殿御返事、1184ページ)

◇通解
いよいよ求道心を堅固にして、今生に成仏を期していきなさい。

◇池田先生が贈る指針
「地涌の義」の通り、今、新たなリーダーが陸続と躍り出ている。
友の幸福を祈れば、境涯は大きく広がる。広布に走れば、宿命転換が加速する。全てが自他共に「心の財」を積みゆく仏への道である。
さあ、勇んで最前線へ! 先輩も後輩も支え合い、「いよいよ」の求道の心で、清新なる拡大の波動を起こすのだ。

☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 2019年11月9日
〈教えて〉 ありのまま祈るとは、どういうことですか?

〈御文〉 苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ(四条金吾殿御返事、1143ページ)

〈通解〉 苦を苦と覚り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。

〈山本会長は御本尊に向かう姿勢について尋ねられ、次のように語った〉
「苦しい時、悲しい時、辛い時には、子どもが母の腕に身を投げ出し、すがりつくように、『御本尊様!』と言って、無心にぶつかっていけばいいんです。御本尊は、なんでも聞いてくださる。思いのたけを打ち明けるように、対話するように、唱題を重ねていくんです。(中略)
御書には、『朝朝・仏と共に起き夕夕仏と共に臥し……』(737ページ)と仰せですが、題目を唱え抜いている人は、常に御本仏と一緒です。それも今世だけでなく、死後も、御本仏が、諸天・諸仏が守ってくださる。
だから、生命の底から安堵できるし、何も恐れる必要がない。悠々と、人生を楽しみながら、生き抜いていけばいいんです。
題目は、苦悩を歓喜に変えます。さらに、歓喜を大歓喜に変えます。ゆえに、嬉しい時も、悲しい時も、善きにつけ、悪しきにつけ、何があっても、ただひたすら、題目を唱え抜いていくことです。これが幸福の直道です」(『新・人間革命』第11巻「開墾」の章)

2019年11月11日月曜日

2019.11.11 わが友に贈る

新聞休刊日

御義口伝巻下 P762
『功徳とは六根清浄の果報なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり、されば妙法蓮華経の法の師と成つて大なる徳有るなり、功は幸と云う事なり又は悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり』

【通解】
功徳とは六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)にそなわった煩悩が払い落とされて清らかになった姿です。結局、日蓮とその門下が南無妙法蓮華経と唱えれば六根清浄となるのです。したがって、妙法蓮華経の法を自行化他に行ずるところの師となって大きな功徳があるのです。
功徳の「功」とは幸いということです。また悪を滅することを「功」といい、善を生ずることを「徳」というのです。最高の功徳とは即身成仏であり、六根清浄なのです。

☆11月度座談会拝読御書 法華経題目抄
◇成仏の大境涯を開きゆこう!

◇拝読御文
『妙と申す事は開と云う事なり世間に財を積める蔵に鑰なければ開く事かたし開かざれば蔵の内の財を見ず』御書全集 943ページ12行目〜13行目

◇キーワード� 妙法の功徳は絶大
"法華経の意味も分からず、一生の間に一遍の題目を唱えただけでも、成仏の軌道に入れるか"
"その通り。入れる"
本抄の冒頭、日蓮大聖人は自ら問いを立てられ、たとえ一遍の題目であっても、無量の功徳力があると御断言です。お手紙を読んだ門下は、安心して信心に励めたことでしょう。
その上で、大聖人は、「法華経の題目は八万聖教の肝心一切諸仏の眼目なり」(御書940ページ)と記されています。
法華経の題目こそが、一切の仏の説法の根幹です。題目は、あらゆる衆生を成仏させる一法であると明かされています。
この根源の功力を開くには、何が必要なのでしょうか。
大聖人は本抄で、「成仏の軌道に入る根本は信である」(同ページ、趣意)と、妙法に功力があるといっても、その力を開き現せるかどうかは、「信」にかかっていると仰せです。
本抄では「無解有信」(仏法の法門に理解はないが信心はある)、「有解無信」(仏法の法門に理解があるが信心はない)について触れられています。
法門を理解することよりも、信心を深め、強めていくことが大切なのです。自分の生命が変わることが根本です。
ゆえに、強盛な信心を奮い立たせ、地道に唱題を実践し抜いていくことが、成仏の軌道、つまり行き詰まることのない、幸福と勝利の人生を真っすぐに歩んでいくことになるのです。

◇キーワード� 自身に具わる仏性
拝読御文は、妙法の「妙」の一字が持つ深い意義について示された一節です。
ここでは「妙と申す事は開と云う事なり」(御書943ページ)と、「開の義」について述べられています。
蔵の中の財宝とは、自分自身に具わる仏性のことです。それも特定の人だけでなく、一人ももれなく、誰もが仏性を具えています。
この万人が具える宝蔵を開くことができれば、誰もが仏になることができます。つまり万人成仏が可能になるのです。そのための鍵が、妙法なのです。
その上で、「開かざれば蔵の内の財を見ず」(同ページ)と仰せの通り、現実の我が身に仏の生命を体現しなければ、いくら仏性があるといっても意味がありません。
自分自身に具わる仏性を涌現させ、自身が人間革命していくことが、わが生命を開くことにほかなりません。一人一人が現実の生活の中で、仏性を涌現させていくことで、仏法は「生きた宗教」となるのです。
また、唱題を根本に、仏界の生命を涌現させた一人が、生き生きと仏法を弘め、他の人の仏性を涌現させていくことで、広宣流布も、立正安国も現実のものとなるのです。
広宣流布とは、自分だけでなく、他人の仏性をも開き顕す、"自他共の人間革命の連帯"を広げゆくことなのです。

★池田先生の指針から/苦しい時こそ題目
御本尊は「功徳聚(功徳の集まり)」ともいわれます。その尽きることのない功力を引き出していく要諦は、自身の強盛な信心です。本抄(=法華経題目抄)に「夫れ仏道に入る根本は信をもて本とす」(御書940ページ)と仰せの通りです。真剣にして、地道な唱題の実践の中で、無限の功徳が現れるのです。題目を唱えれば、生命力が湧き、勇気が湧いてきます。
「苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」(同1143ページ)です。苦しい時こそ題目。行き詰まったら題目です。
戸田先生は、折々に語られていました。
「御本尊への強い願いは、必ず通ずる。それには、条件が三つある。一つ、題目。二つ、題目。三つ、題目である」
「題目の力は偉大である。苦しい業を感ずる生命が、あたかも美しい花園に遊ぶがごとき、安らかな夢のごとき状態に変化するのである」
「題目は、真剣勝負で祈れば、必ず功徳となって現れる。真剣に祈れば、雑念は消え、広布の戦いで勝つことに集中できるようになるのだ」
「負けてたまるものか! と、腹を決めるのだ。題目をあげにあげて戦うのだ。根本は題目だ。祈りである」
一人ひとりが広宣流布に生き、幸福になる直道を戸田先生が教えてくださったのです。

「妙と申す事は開と云う事なり」との御文は、「開の義」です。法華経こそが、仏教の大目的である一切衆生の成仏の道を開く、唯一の経典であると明かされています。
妙法には、九界の現実の人間生命に秘められた仏界という胸中の宝蔵を開き、万人の生命を躍動させていく力があります。法華経が説かれる以前の諸経では、仏の究極の覚りである妙法という財宝を納めた「蔵」は閉ざされたままでした。蔵があるように見えても、その中身の財宝を見た人はいなかったのです。
万人成仏を明かす法華経が説かれることによって、初めて諸経の蔵が開き、釈尊が真に説きたかった妙法という「財」が現れました。(中略)さまざまな経典で、仏という偉大な人格や、広大な仏の覚りが説かれていますが、本当の意味でその教えが万人に開かれていなければ、何の利益もありません。
実際に、私たち自身の人生が変わり、現実の生活の中に仏と同じ尊極の境涯が現れなければ、仏教の真価は発揮されません。当時の仏教信仰は、自分の外に「偉大な仏」を置いて、その仏の功力を頼むだけの信仰です。大聖人の時代に流布していた「念仏の題目」は、まさにその典型です。これに対して、「法華経の題目」とは、自身の生命に具わる宇宙大の妙法の力を顕現し、成仏の大境涯を開いていくための題目です。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第20巻)

2019年11月10日日曜日

2019.11.10 わが友に贈る

◇今週のことば
「一」は「万」の母なり。
一人の尊き体験が
歓喜と希望を広げる。
創立祝賀の座談会から
幸の仏縁の万波を!
2019年11月10日

王舎城事 P1138
『御勘気を二度までかほりすでに頚となりしかどもついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん』

【通解】
(日蓮は)流罪を二度までもこうむり、すでに頸の座にもついたけれども、ついに恐れず信仰を貫き通したので、今では日本国の人々も「日蓮の言うことが道理かもしれない」という人もあることであろう。

〈名字の言〉 2019年11月10日
福岡県朝倉市で農業を営む婦人の体験を伺った。2年前、九州豪雨で被災。出荷目前だった大量の農作物がだめになり、農機具も失った▼ぼうぜんとする婦人のもとに、同志が駆け付けた。「大丈夫、皆がついとるばい」。皆も大変だろうに、私のためにここまで——胸が熱くなった。"私には師と同志がいる。信心がある。絶対に負けない"。心に不屈の灯がともった▼昨夏の豪雨で、再び婦人の畑は冠水。だがその顔に悲嘆の色はなかった。片付けの合間を見ては、近隣の友を励まして歩く。「わが事だけ考えとったら心が沈む。人に勇気を送れば、私も元気になるけん」。今、婦人が育てる無農薬野菜は"被災前より味が良くなった"と直売所で人気を呼ぶほか、福岡市内のラーメン店が、わざわざ買い付けに来るまでに▼困難に直面した時、自分一人の殻に閉じこもると、行き詰まってしまう場合がある。自分が苦しいときこそ、あえて打って出て、悩める友を励ましていく。相手に送った希望の言葉は、自分の心をも奮い立たせ、生きる力を生み出していく▼「私たちには、世界を新しくする力が、世界を活気づける希望の力がある!」と池田先生。悩んでいる友を置き去りにしない。その行動の中に自他共の幸福と勝利が輝く。(駕)

〈寸鉄〉 2019年11月10日
「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」御書。誠実・努力で勝て。ここに広布
静岡県太陽の日。地域に励ましの光を!友の奮闘ありて創価の正義は燦然
香川が県の日、師弟の日。共戦の誇りに燃えて模範の拡大。志国の電源地よ
人間は語ることで自分を完成させる—哲人。対話こそ自他共の幸福の道と
感染症が流行する時季。予防の鍵は手洗い。指先や手首等の洗い残しなく

☆新時代を築く 人間の中へ! 励ましの光を 2019年11月5日
青年ほど、強いものはない。青年ほど、頼もしいものはない。
地涌の青年が一人立ち上がれば、正義の勝利の旭日は決然と昇るのだ。
太陽の仏法のスクラムを拡大しゆく11・5「男子部の日」おめでとう! 皆の成長こそ、私の喜びだ。
恩師に誓った広布の精鋭10万人の結集を成し遂げたのは、1961年。舞台は国立競技場であった。そのスタジアムが生まれ変わり明年、東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となる。平和の祭典とともに、創価の若き世界市民も、新しい勝利の歴史を刻むのだ。
今、男子部は、皆が「前進」、皆が「人材」との心意気で先駆している。「創価班の日」記念の総会、「牙城会」の師弟厳護総会、そして各方面の男子部大会が開かれる。いずこでも新しい力が躍動し、青年が青年を呼ぶ感動のドラマが生まれている。
* * *
11・12「女子部の日」も、妻と心から祝福したい。「白蓮グループ」の前進のなんと清々しいことか。御義口伝には「我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり」(御書716ページ)と説かれる。
華陽の乙女は、一人ももれなく、最も尊貴なる妙法蓮華経の当体である。
苦悩渦巻く社会にあって凜と胸を張り、希望と友情の花園を明るく朗らかに広げてほしい。
そこにこそ、「幸福の光」「平和の文化の光」が輝きわたるからだ。
戸田先生は教えられた。
「世界の広宣流布と言っても、その根本は一対一の対話と座談会以外にはない。生活に根を張り、社会に信頼を広げ、民衆の中に飛び込んでいくのだ」
人間の中へ——一人と会い、一人を心から励ます。共に信心の歓喜に燃えて立ち上がる。ここに変わらざる広布拡大の方程式がある。
思えば、牧口先生は、軍部政府による弾圧にも怯まず、一人の青年の両親への弘教のために、福島県へ足を運ばれた。
中核となる金の人材を見出し、育てよ——これが、今年、殉教75年となる牧口先生の師子吼であった。
先師の魂魄が留められた福島の宝友たちは、私が大阪事件で戦っている時も、いわきを中心に大奮闘してくれた。永遠に忘れ得ぬ共戦譜である。
今も、福島をはじめ、台風や大雨に被災された各地で、わが同志は復興へ懸命に献身してくれている。
御本仏・日蓮大聖人が、「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」(同329ページ)と、全てを御照覧であられるに違いない。
* * *
我ら創価家族には、青年が育っている。青年が続いている。ゆえに恐れるものは何もない。
青春の無限の旭光とともに、一日また一日を勝ち抜き、未来を照らしゆくのだ。

2019年11月9日土曜日

2019.11.09 わが友に贈る

急な気温の変化に注意。
風邪をひかないよう
防寒・手洗い。うがい等
自分の予防を大切に。
健康こそ躍進の力だ!

兄弟抄 P1087
『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ』

【通解】
仏法を持ち、行解が進んできたときには、三障四魔が紛然として競い起こる。だが三障四魔に決して随ってはならない。畏れてはならない。これに随うならば、まさに人を悪道に向かわせる。これを畏れるならば、正法を修行することを妨げる。

〈名字の言〉 2019年11月9日
「ベルリンの壁」崩壊から、きょうで30年。市民が歓喜に沸く当時の映像はよく知られているが、実は壁が築かれ始めた時も、喜ぶ人は多かったという▼東ベルリンから西ベルリンへの住民の流出を防ぐため、特に東側の人々は、西側との「分断」を望んだ。「何百万もの国民が賛成していた」「これで邪魔がなくなる、東側が平穏になり、しっかりと再建に従事できる」「ようやく自分たちの問題を自由に話し合えるようになった」と(クリストファー・ヒルトン著、鈴木主税訳『ベルリンの壁の物語』原書房)▼池田先生がベルリンを初訪問したのは、壁の建設が始まったわずか56日後。東西陣営の対立が激しくなり、壁を歓迎する人が多い中で、「30年後には、きっと、このベルリンの壁は取り払われているだろう……」と語った言葉は、どれほど先見的で、強い決意が込められたものだったか▼「民族、思想、宗教等の違いによる差別や抑圧。そして、それをよしとしてしまう人間の心——そこに生命に潜む魔性がある」と先生は述べている。「その魔性と戦っていくことこそ、仏法者の使命にほかならない」▼人と人がつながれば、どれほど偉大な力になるか——私たちが地域で進める友情の対話には、世界を変えるのと同じ意義がある。(鉄)

〈寸鉄〉 2019年11月9日
師子の子は鍛えれば鍛えるほど逞しく—戸田先生従藍而青の青年が前進!
御聖訓「一文・一句なれども耳にふるる者は既に仏に」。語り抜く功徳は厳然
可能性は常に目の前にある—賢帝。いつか、どこかではなく今いる所で勝て
高額報酬謳う闇バイトがSNSで横行。軽い心で人生は破滅。皆で注意を
復興庁の設置期限を10年延長へ。希望の春を必ず。公明党よ現場の声を形に

☆勇気の旗高く 池田先生と山口 2019年11月4日
◇"草の根"の戦いが一番尊い
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は山口県を掲載する。

◇臆病に打ち勝て
広布史に輝く「山口開拓指導」は、1956年(昭和31年)10月から翌年1月まで行われた。池田先生の訪問は3回、合計22日間である。
この闘争の意義について、先生は繰り返し言及し、世界中の同志がその精神を学んできた。2005年(平成17年)の随筆では、自身の臆病の心に打ち勝つ大切さがつづられている。

あの明治維新の火ぶたを切った山口県。
歴代の日本の総理が多く出た山口県。
ゆえに今後も、日本の重要な地位を占めていくであろう山口県——。その山口から、地涌の菩薩たる広宣流布の闘士が陸続と躍り出ないはずは絶対にない!
つぶさに現状を把握されると、戸田先生は断を下された。
「中国が一番遅れている。大作、お前が行って、指導・折伏の旋風を起こせ!」
「はい。やらせていただきます!」
一瞬の呼吸であった。

日蓮仏法は「下種仏法」であり、学会は「折伏」の尊き団体である。
勇敢にして、誠実に語り抜いた分だけ、自他の生命に満足と幸福の花が咲き薫っていくのだ。
いかに悪口を浴びようが、中傷されようが、折伏を実践する人が最も偉いのだ。これは、大聖人が断言されている。
「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」(御書552ページ)
強いて、仏法の正義を訴えていくのである。相手の反応がどうあれ、妙法に縁させることが大事なのだ。
そして、「強いて」語るためには、何よりもまず、自分の臆病な心、弱い心を打ち破らねばならない。そうであってこそ、勇気をもって、悠然と楽しく対話ができる。
その結実は、真心と執念で決まる。
折伏が実らず旅館に戻った同志を励まし、私は言った。
「もう一度、その人の所へ、明るい顔をして、師子の心をもって、行ってきなさい!」
またも肩を落として戻った同志に、再び私は言った。
「では、もう一度、行ってき給え! これが、本当の仏道修行だ」
決定の一念で、再び対話に臨んだ同志の顔は、あまりにも尊く、喜び勇んでいた。三度目に、頑強に反対していた相手が、「信心します」と叫んだのである。
試されているのは、常に自分の心だ。相手を絶対に救うのだという、広い慈愛、忍耐強き勇気という、本気の決意があれば、いかなる人でも心を動かしていけるのだ。

◇「会う」ことから
山口開拓指導では、あまたの人材が躍り出た。その「人材育成の要諦」について、先生は随筆で「会う」ことを強調した。

私は決断していた。断じて山口県を蘇生させてみせる!
歴史に残る、広宣流布の人脈を作ってみせる! と。
会って、語る。
会って、悩みを聞く。
会って、励ます。
会って、指導する。
会って、共に祈り、御書を拝する。
直接会えなくとも、手紙等で、会ったと同じだけの誠実を尽くし切っていく。
私は、喜び勇んで、体当たりで毎日毎日を走りながら、飛びながら、勝利のために、建設のために、乱舞していった。
そして、「縁した方々を、皆、偉大な広宣流布の大闘士に育成していくのだ!」と、歓喜踊躍して、苦しみを楽しみに変えながらの人生を、自分の身で創っていった。

1994年(平成6年)11月26日、山口文化会館で行われた総会では、山口開拓指導が、"草の根の民衆運動"であったことを力説した。

「草の根の戦い」は、現実に根を張っているゆえに地味である。たいへんである。つらいことや、ときには、つまらなく思うこともあるかもしれない。
しかし、「草の根」の戦いがいちばん強く、いちばん尊いのである。これをやりぬいているから、学会は強い。学会は負けない。
「民衆に根ざす」「民衆を大事にする」——ここにしか永遠の勝利はないことを、きょうは強く語っておきたい。
あの昭和三十一年(一九五六年)の山口開拓指導の勝利も、まさにその点にあった。
当時、私は二十八歳。この会場にも二十八歳の方がおられると思う。
すぐさま第一線の友の中に飛び込んでいった。まだ学会員もわずかであり、家族の反対の中で信心されている方も少なくなかった。
私は皆さまと一緒に勤行した。一緒に御書を学び、一緒に弘教に励み、一緒に歴史を刻んでいった。
皆、仏子である。上下などない。あってはならない。
社会でも、立場が上になると、人間まで偉くなったように錯覚し、人を見くだす人がいる。とくに日本に、そうした封建的な傾向が強いようだ。
しかし学会は、そうではない。人間と人間、同志と同志の、美しき共和の世界なのである。

◇師弟不二の闘争
1999年(平成11年)10月24日、東京牧口記念会館で開催された第7回「山口総県記念幹部会」。席上、先生は山口の同志に「人間革命」の闘争を呼び掛けた。

自分の小さな「エゴ」を中心とするのでなく、宇宙の根本の「法則」にのっとって、命を燃やし、人々のため、社会のために行動していくとき、わが「生命の鏡」は磨かれ、光っていきます。
妙法という「鏡」には、大宇宙の森羅万象の不思議さが映り、それぞれの本然の実相が、ありのままに映っていく。また過去も、現在も、未来も、瞬間瞬間、如々としてきたり、律動しゆく「因果の理法」も、ありありと映る。
さらに、万物が語る言葉が、その声なき声までが絶妙に映し出されていく——仏法の真髄は、そう説いております。ゆえに、妙法を根本に、みずからの「生命の明鏡」を、心を、日々、おこたらず磨きあげていく「人間革命」こそが不可欠になってくるのであります。

私は、二十八歳の若き日に、愛する山口県の大地で同志とともに「開拓闘争」の歴史をつづりました。なぜ、あれほどの歴史を残せたのか?
それも、「この瞬間は二度とない」という決心で戦ったからであります。
山口の基盤は、私が「師弟不二の闘争」でつくったのであります。
私は勝った。だれの追随も許さない歴史をつくりました。いずこにおいても。
皆さんも、何でもいい、「さすがだ!」と言われる歴史をつくっていただきたい。
勝てば爽快である。楽しい。胸を張れる。負ければ悲しい。ばかにされる。
「勝つ」ための信心であり、人生であります。

先生はかつて、山口の友に「あまりにも 縁もふかき 山口の 三世に残る 栄冠 待つらむ」と詠み贈った。師が青春時代を駆けた思い出の天地・山口。先生は、万感の期待を寄せている。

激戦、また激戦の日々であった。中傷批判の嵐の真っ只中を、私は一段と決意深く、前進の指揮を執った。
先生に喜んでもらいたい。勝利を報告したい。これのみが、弟子の道であるからだ。
ああ、懐かしき山口闘争!
私は勝った。この舞台にあっても、師弟は不二として勝った。
わが弟子よ! 君も、断じて何ものにも負けるな!
「正義の拡大」のために、勝って、勝って、勝ちまくってくれ給え!

2019年11月8日金曜日

2019.11.08 わが友に贈る

使命のない人はいない。
宿命に立ち向かう同志
会合に出られない友に
励ましの光を届けよう!
温かな訪問・激励を!

法蓮抄 P1050
『今の法華経の文字は皆生身の仏なり我等は肉眼なれば文字と見るなり、たとへば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見天人は甘露と見る』

【通解】
今の法華経の文字は皆生身の仏である。我らは肉眼なので文字と見るのである。例えば餓鬼は恒河を火と見、人は水と見、天人は甘露と見るのである。

〈名字の言〉 2019年11月8日
「池田先生に会ってみたいですか?」。インド創価学会のリーダーが新入会の婦人に問い掛けた。「ええ、ぜひ」との答えにリーダーは笑顔で言った。「小説『新・人間革命』を読めばすぐにお会いできますよ」▼婦人は夢中で小説のページをめくった。当時は母親の病や娘の交通事故などで苦しい日々。"宿命を使命に転じて、一人立て"(第19巻「虹の舞」の章)との山本伸一の言葉が目に留まり、心に光が差した。彼女は"必ず宿命を勝ち越えて、池田先生にお応えしよう"と誓った▼常に小説を携え、友の激励に歩いた。祈りを根本に行動する中、母は回復し、娘のけがも完治。婦人は晴れやかに語る。「場所は遠く離れていても、私の心は池田先生のすぐ近くにあります。小説を開くたび、先生に励ましてもらえるのですから!」▼4年間で2倍に拡大したインド創価学会。その原動力は『新・人間革命』を通して結ばれた、師弟の強き絆にある。読むだけでなく、一人一人が"今週の指導"を小説から選び、自身の生活の場で実践する。その中で師弟の魂が生き生きと脈動していく▼小説『新・人間革命』を開けば、読むたびに新たな発見があり、人生を勝ち開く励ましがある。「私が山本伸一」との自覚で今日も新たな挑戦を。(叶)

〈寸鉄〉 2019年11月8日
「11・18」まであと10日。目標の完遂へ勢いよく!さあ栄光の頂へ全速前進
奈良の日。万葉の天地を照らす歓喜の連帯。団結固く常勝の「永遠の都」を
会場提供の皆様に感謝。近隣・ご家族に配慮深く。地域の宝城を皆で支えよ
「出世の本懐は人の振舞」御書。青年よ大誠実の人たれ!創価の全権大使と
暖房器具、使用前に総点検。断線や埃、古い灯油等に注意。「前前の用心」で

☆ワールド トゥデイ 世界の今 大西洋に浮かぶ島国・カボベルデ 2019年10月31日
◇この地にも仲良き地涌の連帯が
日本から約1万4000キロ離れたカボベルデ共和国は、大西洋に浮かぶ小さな島国である。美しいビーチが広がり、欧州の人々などに人気の観光地として知られる。この国に妙法の灯がともったのは、今から18年前。現在は歴史的、経済的に結び付きの強いポルトガルと共に活動に取り組んでいる。今月、ポルトガルSGI(創価学会インタナショナル)の友を取材するため、同国の首都リスボンへ。そこで、カボベルデで奮闘するメンバーがいると聞き、現地に向かった。(記事=西賢一、写真=中谷伸幸)

今や、あの国にも、この地にも、我らの友人がいる。同志がいる——その実感が、歓喜が、一段と強く、大きくなった。
日本からリスボンまで約16時間。そこから、さらに4時間——カボベルデは、大西洋上にある大小18の島で構成される国。面積は滋賀県とほぼ同じである。
15世紀にポルトガル人によって発見されたとされる島々は、1975年までポルトガル領だった。そのため、両国間の交流は活発で、直行便も飛んでいる。SGIの活動もポルトガルがサポート。年に数回、同国SGIの幹部が現地を訪れ、激励に当たっている。
このカボベルデに最初の学会員が誕生したのは、2001年12月。新世紀の到来とともに、一人のカボベルデ人女性がポルトガルで入会したのだ。その報告を聞いた池田先生は、この月の本部幹部会で、新入会者が婦人部、紹介者がポルトガル女子部であることに言及。「女性の世紀」の象徴とたたえ、喝采を送った。
国の連絡責任者で、婦人部のソフィ・テヴェンさんは言う。「カボベルデは今も女性が主役です。地涌のスクラムは九つある有人島のうち、四つの島へと広がりました。皆、仲が良く、とても元気です!」

◇師と共に! わが使命は広宣流布
テ/ヴェンさんはフランスの出身。父に続き、1980年から信心を始めた。生まれつき目に障がいがあり、16歳で左目の視力を失う。だが、全盲になる危機を唱題で乗り越え、海外で働きながら、行く先々で学会活動に励んできた。89年には欧州で池田先生との出会いを刻んでいる。

カボベルデに来たのは6年前。以来、ここを使命の天地と定め、自宅のあるサント・アンタン島とサン・ヴィセンテ島を行き来しながら、サル島、サンティアゴ島の同志の激励にも力を注ぐ。立ち上げた観光業も順調で、経済革命を果たすこともできた。
そんなテヴェンさんと共に、最初の目的地であるサル島を訪ねたのは、今月10、11日のこと。ポルトガルの首都リスボンから空路で移動する。
ちなみに日本との時差は、ポルトガルが8時間(夏時間=取材時)、カボベルデが10時間である。
サル島の女性メンバーは、社会での実証が光る。
ジャックリーヌ・シルバさんは弁護士。信心して念願だった個人事務所を開くことができた。生まれ育ったベルギーで学会活動に駆けてきたヴェロニック・ハナンさんは、スパの経営責任者。2児の母でもある。
会計士のニコレッタ・ダ・ルーシュさんは家族でホテルを営む傍ら、自ら起業。海外で歌った経験を持つ歌手のシルビア・メディナさんは、一緒に活動を始めた亡き夫の分もと、広布に走る。さらには、観光コンサルタントとして活躍するアナ・マリア・カルバーリョさんなど、その顔ぶれは多彩だ。
彼女たちは、ほとんどが新会員。入会後、特に全員が実感しているのが「内面の変化」だという。
島の中心者であるシルバさんは語っていた。
「題目は私に"信じる力"を与えてくれました。それは何事も"諦めなければ必ずできる"という確信です。皆が仏法を実践し、幸せの道を歩めるように、多くの人を励ましていきたい。それが私の誓いです」

11/日午後には、次の訪問地であるサン・ヴィセンテ島へ。ここは4島の中で最も会員数が多く、座談会が定期開催されている。
この日の座談会場は、壮年部のアントニオ・タバレスさん宅。プロのダンサーだった彼は、ポルトガルで信心の土台を築いた。長年、母国の発展に尽くしたいと祈る中、当時の教育大臣から「国立文化センターの館長になってくれないか」との話が。仏法への確信を胸に帰国し、カボベルデの芸術振興に貢献する。
そのタバレスさんを折伏したのは、妻のミリアン・シーマスさん。宿命転換の体験を語り、これまで多くの友を信心に導いてきた。「私は池田先生と広宣流布をするために生まれてきた——そう思っています。題目はまるで"磁石"のよう。祈ると、対話する人が次から次に現れてくるんですから」と声を弾ませる。
座談会は集合住宅の2階にある夫妻の家で、午後7時からスタート。少し緊張した表情の新来者も参加している。勤行・唱題の後、皆で自己紹介。池田先生の指導を確認し合い、自由発言のコーナーへ。それぞれが信仰で得た"私の勝利"について語っていく。
中でも共感を呼んだのは、テレビ局で働くマチルド・ディアスさんの体験だった。ジャーナリストである彼女は、自身の感情に振り回され、人と衝突することが多かった。しかし"いつも笑顔で"との池田先生の言葉に触れ、仏法者としての振る舞いを大切にしようと決意。少しずつ、自らが持つ生命の傾向性と向き合えるようになり、支えてくれる同僚に感謝する心が生まれた。「"自分が変われば環境が変わる"との仏法の素晴らしさを感じられたこと。それが"私の勝利"です」と語ると、参加者から賛同の拍手が送られた。
会場には、カボベルデの一粒種であるマリア・フェルナンダ・ヴィエイラさん(婦人部)と、音楽家で海外ツアーから戻ったジェラール・メンデスさん(壮年部)の姿もあった。
現在、島議会の議会長や島の副知事等を務めるヴィエイラさん。実は彼女にとって、メンデスさんは"信心の父"に当たる。彼はかつて住んでいた欧州で83年に入会。友人であるヴィエイラさんを最初に折伏し、後に信心するきっかけを作った人物だったのだ。
久しぶりの再会を喜び合う多忙な二人。終始、和やかな雰囲気に包まれた創価家族の集いは、メンデスさんのオリジナルソングの演奏と、学会歌「今日も元気で」の大合唱で締めくくられた。
メンデスさんの曲のテーマは"人をつなぐ"。「今日も元気で」は広布の心意気を表現した師弟の調べだ。
今、この時、この場所で、仏法に巡り合い、縁深き同志と共に「師弟の絆」を結ぶことができた——。使命の人生を生きる誇りが、音色となり、歌声となって響き渡る。新来者もすっかり溶け込み、「ぜひまた参加したい」と、興奮した面持ちで感想を口にした。
前日、数年ぶりに本格的な"恵みの雨"が降り注いだからだろうか。窓から外を眺めると、ひときわ鮮やかな月が顔を出していた。その煌々たる光は、カボベルデの未来を照らす"希望の輝き"にも見えた。

2019年11月7日木曜日

2019.11.07 わが友に贈る

「ありがとう!」と
口に出せば元気いなる。
耳に入れば勇気がわく。
心を込めて伝えよう!
周囲を照らす太陽たれ!

教機時国抄 P438
『謗法の者に向つては一向に法華経を説くべし毒鼓の縁と成さんが為なり』

【通解】
謗法の者に対しては、ひたすら法華経を説くべきです。それは毒鼓の縁を結ぶためなのです。

〈名字の言〉 2019年11月7日
少女が、おもちゃ箱の鍵をなくしてしまった。中には"宝物"が入っているという。母親が、涙ぐむわが子と共に家中をくまなく捜す▼しばらくして「あった!」と少女が声を上げた。鍵穴に鍵を差し込み、扉を開くと、そこには、おもちゃの首飾りや指輪が。両手に持つと、少女はにっこりほほ笑んだ▼その晩、親子して御本尊の前に座った時、母親が鍵を捜した様子を振り返りつつ言った。「私たちの心の中にも、実は宝物があるんだよ。その宝箱を開く鍵がお題目なの」。何か感じるところがあったのだろう。少女の唱題の声に、いつになく力がこもった▼今月の座談会拝読御書に「妙とは、開くということである。世間の例えで言えば、財宝を積んである蔵も、鍵がなければ開くことはできない」(943ページ、通解)とある。仏という存在を"人間を超えたもの"と思っていた人々に、日蓮大聖人は、仏性という最高の宝が万人の生命に備わることを示された。その宝を開く鍵こそ南無妙法蓮華経の題目にほかならない▼"祈りとは諦めない勇気"と池田先生はつづった。自分の可能性を諦めない。自他共の胸中に無限の宝があると信じて疑わない。御本尊への祈りを手放さない限り、未来を開くチャンスは私たちの手の中にある。(之)

〈寸鉄〉 2019年11月7日
「人のために火をともせば・我がまへあきらか」御書。友の励まし、今日も
東京婦人部の日。朗らかに幸の連帯を拡大。本陣の母達ありて広布は躍動
東京・大田「正義の日」。師弟源流の地から人材は澎湃と。模範の前進更に
勇気ある信心の人こそが一番、偉大である—恩師。師子王の心で堂々と語れ
サイバー攻撃が巧妙化。パスワードの使い回し注意。不審メールも開くな

☆負けじ魂ここにあり わが生命の学園生 第23回 東京校 2000〜02年度
◇人生は「勇敢な人」が勝つ。
◇勇気は勝利。臆病は敗北。
◇断固として前へ進みゆけ!
2001年——それは、創価学園生と全卒業生が指標とし、成長を約し合ってきた21世紀の幕開けの年である。
この年の5月3日には、カリフォルニア州オレンジ郡にアメリカ創価大学(SUA)が開学。学園の開校から30年余り。新たな世紀を迎えて、創価教育の光は世界に燦然と輝き始めていた。

「『教育の世紀』の開幕にあたって、何よりもまず、『心の強い人材』を育てたい。これが、超一流の教育者でもある総長と、私の一致した願いであります」
2001年3月16日、21世紀最初の卒業式で創立者・池田先生は、ロシア・モスクワ大学のサドーヴニチィ総長との対談に触れつつ、語った。
この日、先生がスピーチで強調したのは「師弟の精神」だった。ナチスと戦ったノーベル賞作家のカミュと師匠グルニエのドラマを紹介し、自身も先師・牧口先生と恩師・戸田先生の偉大さを世界に宣揚してきたことを述懐した。
「弟子で、一切が決まる。弟子がどうかで、師匠の偉大さが決まるのです」
「『師弟』とは、『師匠』が決めるものではない。弟子が、自分自身で選び取り、自分自身で決めるものなのです」
そして、先生は壇上で卒業生の代表を激励。3年間・6年間の奮闘をたたえ、全員で万歳を。真心あふれる振る舞いに、学園生は胸を熱くした。
先生は、最後に和歌を詠み贈った。

この世にて
 師弟に勝る
  ものはなし
 君よ忘るな
  勝利の絆を

卒業生の中には、2カ月後に開学するSUAに合格した人もいた。先生は、その誉れのパイオニアたちにエールを送った。
「1期生が大事です。道を開くのが1期生です。いろいろな困難があるでしょう。経済的に大変な人もいるかもしれない。しかし、負けてはいけない。アメリカで偉大なる人生を開いてほしい。私は、第1期生を、一生涯、見守っていく決心です」
昼間秀幸さん(高校31期)も、SUAに進学した一人。SUAの合否を待つ不安な日々を送っていた高校3年の秋、先生から「英知は 人生の栄光の源!」と揮毫された紙が贈られ、生涯、学び抜く決意を固めた。
大学3年次、語学の壁にぶつかり、自信を失いかけていた時には「アメリカ創大 第一期生万歳! 秀幸君 父ははを大切に!」と書かれた書籍が届いた。常に応援してくれている創立者の存在が、励みになった。
昼間さんは晴れてSUAを卒業し、名門・米ペンシルベニア大学大学院の合格も勝ち取る。
だが修士号を取得後、進学した別の大学院の経営が不況のあおりで悪化し、博士課程を途中で断念せざるを得ない状況に。さらに、アメリカで仕事が見つからないという苦難にも直面した。それでも学園時代の決意が、自らの進むべき道を示してくれた。
現在は、SUA2期の妻と共に米ブリッジウォーター大学に勤務。大学の長期休暇には環境保護のNPO(非営利団体)で働く。「学園時代、池田先生の提言を読み、環境問題解決に携わりたいと願ってきました」。創立者との青春の原点が、昼間さんの前進の力になっている。

◇大空を見つめて
2001年7月11日、創価大学の本部棟の食堂に、学園生の代表が集った。池田先生を囲んだ寮生・下宿生らの会食会である。席上、先生に学園生から7・17「栄光の日」に向けた愛唱歌の歌詞などが手渡された。
寮生を代表して先生に記念品を贈呈したのは、小林哲男さん(高校32期)。「池田先生が『皆が世界の指導者になるために、ナイフとフォークの使い方を教えたいんだ』と言われていたことを覚えています」
小林さんは、創大に進学後、英語と中国語の習得に励んだ。学園生の未来のために、"後悔は、英語を勉強できなかったこと"と、語学の重要性を訴え続けてきた先生に応えるためだ。大学4年次には中国に留学も。しかし、卒業後は、なかなか就職先が見つからなかった。
思い切って再び中国に渡り、現地の人材派遣会社に登録。広東省にある日系の電子部品メーカーで働くことになった。12年からベトナムに駐在。現在は工場の副責任者として奮闘する。
慣れない海外での生活。つらい時には、池田先生が学園生に向けてつづった長編詩「大空を見つめて」を読み返し、自らを奮い立たせた。そこには、1979年に栄光寮を訪問した際の真情が込められている。「散らかし放題の部屋もあった/だが/みな わが子だ/みな 元気だった/みな 若獅子であった/何よりも/師弟の道を熟知している/彼らであった/本当に会えることが嬉しかった」
今ではベトナム語を駆使し、現地の人々と心を通わせることができるようになった。
「得意先の人が工場を視察に来た折に、会食をすることもあります。学園時代に先生が仰った通りになりました」

◇勝負はこれから
第32回卒業式(2002年3月16日)に、金井節子さん(高校32期)は、複雑な気持ちで参加していた。志望する大学に合格できず、浪人が決まっていたからだ。
池田先生は、当初予定されていたスケジュールを変更して式典に出席。スピーチでは、難関大学に合格した学園生の奮闘などをたたえつつ、さらに言葉を継いだ。
「また来年、ふたたび、志望校に挑戦する仲間も多いと思います。人生は長い。勝負はこれからです。『断固として立ち上がれ! 勇敢に前へ進め!』と、私は、励ましのエールを送りたいのであります。人生は、『勇敢な人』が勝ちます。勇気は勝利です。臆病は敗北です。私は、諸君の勝利を、一生涯、祈り続けてまいります」
金井さんは、当時の心境をこう振り返る。「私には、先生が場内後方に座る私に向かって語り掛けてくださったように思えました。いつか必ず、勝利の報告をしようと決意しました」
金井さんは翌年、創大へ。将来の進路を模索する中、父と同じ建築家を志すことに。通信教育などで学びながら設計会社でアルバイトをし、結婚を機にスペインに渡った。世界的な建築家を多く輩出するスペインで、奨学金を得て大学院を修了。現在、欧州最大のサッカースタジアム「カンプノウ」の増改築の設計監理に携わる。2児の母としても奔走する日々だ。
金井さんはスペインに行ってから知った。1983年の自身の誕生日に、池田先生がスペインを訪問していたことを——。
「先生との不思議な縁で、今ここにいるんだと確信します。恩返しの心で、使命の花を咲かせます」

◇何かで「博士」に
"校歌を歌おう!"
2003年1月15日、学園の卒業生大会で、池田先生は呼び掛けた(創価女子短期大学の白鳥体育館)。
♪草木は萌ゆる
 武蔵野の……
池田先生は、声を限りに歌う学園生の輪の中に入った。
肩をたたき、頬をなで、固い握手を交わす。命に焼き付けるように、一人一人の顔をじっと見つめる。
スピーチの中で先生は、各地の偉人の言葉を紹介した。イギリスの詩人ロバート・バーンズ、アメリカ公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング博士、ロシアの文豪ゴーリキー、フランスの文豪ロマン・ロラン、中国の周恩来総理——。
そして、世界の指導者へと育ちゆく期待を込めて学園生に語った。「皆さんは、未来の人である。また学園生の舞台は、全世界である。世界に視野を広げ、友情を広げゆく、世界市民に育っていただきたい」
秋山浩美さん(高校33期)は、SUAへの進学を決め、大会に参加していた。
SUAで国際関係などを学んだ後は、英リーズ大学で修士課程を修了。米ジョージ・メイソン大学の博士課程に進んだ。「何かで博士に」。胸には学園卒業式での誓いが燃えていた。
その道のりは長かった。途中で研究分野を変更し、自身の力不足を痛感するほどの壁にも直面した。苦学の末、念願の政治学博士号を取得したのは本年5月。博士課程に進んで10年後の勝利だった。
現在、非常勤講師としてアメリカで教壇に立つ秋山さん。挑戦のドラマはこれからも続く。

第33回卒業式(2003年3月16日)で池田先生は、学園生に「それぞれの進む道で、『博士』と呼ばれる第一人者をめざしてほしい」と呼び掛けた。
希望を忘れない「希望博士」に。ご両親も健康にしていく「健康博士」に。幸福になるために苦労し戦う「幸福博士」に。最高の友人に囲まれた「友情博士」に。世界一美しい親子の姿の「親孝行博士」に——と。
今、「勝利博士」のスクラムは、全世界に広がる壮大なネットワークになっている。

2019年11月6日水曜日

2019.11.06 わが友に贈る

「継続」は力なり。
地道な一歩一歩が
飛躍への原動力だ!
自らの目標に向かって
粘り強く進みゆこう!

諸法実相抄 P1361
『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし』

【通解】
行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はなくなってしまう。自分も実践し、人にも教え、勧めていきなさい。
行学は信心から起こるのである。力があるならば、一文一句であっても人に語っていきなさい。

〈名字の言〉 2019年11月6日
南アフリカではかつて、ラグビーは「白人のスポーツ」だった。「緑と黄金」色のジャージーと、「スプリングボクス」という代表の愛称は、黒人にとってアパルトヘイト(人種隔離政策)の象徴だった▼マンデラ大統領の誕生後、国内ではチームカラーと愛称の変更が叫ばれた。変更に反対したのはマンデラ大統領。"チームカラーと愛称は白人の誇り。それを否定することは新たな差別を生むことになる"——それが大統領の考えだった▼今回のW杯は、南アの優勝で幕を閉じた。代表チームで初の黒人主将となったシヤ・コリシ選手は語った。「さまざまな背景、人種が一つになって優勝できた。一つになれば目標を達成できると示せた」▼差別は人間の心に巣くうものであり、いつの時代にも存在する。だが、それは決して克服できないものではない。1995年から続く、ラグビー南ア代表の歩みは"人種や文化などの差異を、人類は必ず乗り越えることができる"という確かなメッセージである▼マンデラ大統領らの手によって、南ア代表は人類融和の象徴となった。種をまいても、芽が出るとは限らない。だが、まかなければ何も始まらない。実りの時が必ず来ると信じ、一人一人の心に平和の種をまいていきたい。(燦)

〈寸鉄〉 2019年11月6日
幹部はまず自分が変わる事だ—恩師。さあ友の中へ。充実の励まし週間を
福島・いわきの友が奮闘。不屈の東北魂で底力を!勝って復旧・復興を前に
四国の日。魁光る正義の炎は赤々と!創立90年へ拡大の暁鐘を打て鳴らせ
人に与える喜びは自分に返ってくる—哲人。自他共の幸開く誉れの菩薩道
小中学生の約9割が近視と。スマホの使い過ぎに注意。親子で規則決めて

☆世界に魂を 心に翼を 民音が開いた文化の地平 第19回 世界バレエ・シリーズの金字塔(上)
◇「ここから隆盛が始まった」
今から半世紀以上前、まだ創立間もない民音の公演が、「夢のような出来事」と列島を沸かせた。
1966年から足かけ12年。東西の名門バレエ団を次々に招聘し、来日を実現させた「世界バレエ・シリーズ」(全193回公演)である。
海外の名だたるオーケストラやバレエ団、歌劇場の来日公演で舞台制作を手掛け、数々の民音公演にも尽力してきた広渡勲氏(昭和音楽大学客員教授)は、こう証言する。
「今では当たり前かもしれませんが、ダンサーや舞台装置をはじめ、団の全てを呼ぶ"引っ越し公演"を軌道に乗せたのは民音です。当時、バレリーナが単独で踊るイメージが強かったバレエを、舞台を含む総合芸術として広く紹介した。"バレエといえばソ連"という時代に、西側の国からも、そうそうたるバレエ団を招いた。戦後、日本のバレエの隆盛は、ここから始まったのです」
◇ ◆ ◇
横浜港の一角。船を待つ数十人の人だかりから歓声が上がった。
66年9月7日。ソ連のノボシビルスク・バレエ団を乗せた客船「バイカル号」が入港し、団員が港に降り立つ。総勢100人。振り袖に身を包んだ役員が花束を手渡すと、団の総支配人が笑顔で応えた。
「今回の公演を誇りに思っています。ベストを尽くして皆さんの期待に応えたい。日本とソ連の交流に役立てるよう頑張ります」
広大なロシアの中心、西シベリアに位置するノボシビルスクは、モスクワ、サンクトペテルブルクに次ぐ第3の都市。第2次世界大戦中、同国の文化を保護するため、バレエやオペラが同都市に集められた。終戦直後にノボシビルスク・バレエ団が誕生し、ソ連を代表するバレエ団の一つに数えられていた。
来日したのは、T・ジミナー、R・クルペーニナといった人民芸術家ら、超一流の顔ぶれ。衣装や大小の道具も、ソ連随一の規模を誇るノボシビルスク劇場の一切が、そっくり運ばれてきた。同団にとっても、初の大掛かりな海外ツアーである。
演目は、チャイコフスキーの名曲に彩られた「白鳥の湖」をはじめ、最高峰の技術を駆使した「海賊」、民族舞踊をふんだんに盛り込んだ鉱山の女王の恋物語「石の花」など。
舞台装置があまりに大きく、「上演は夢」とまでいわれた演目も再現され、「ソビエトのバレエを完全な形で観ることができる」と、バレエ界はノボシビルスク一色となった。
◇ ◆ ◇
なぜ創立直後の民音に、こうした一大プロジェクトが可能だったか。
世界バレエ・シリーズは、日本バレエの振興に尽力した、ある人物との語らいから生まれた。
創立者・池田先生は、民音が始動した60年代、各国を歴訪する中で、一流の芸術団体を日本に呼ぶために奮闘していた。地理的な制約などにより、本物の西洋芸術に触れる機会が限られていた時代である。
先生はバレエ・シリーズが始まる前年の65年10月にイタリアへ。同行した民音の秋谷専任理事(当時)がミラノのスカラ座に赴き、"ぜひ日本で公演を"と交渉した。パリにも足を運び、現地の音楽団体と将来の交流について意見を交換している。
"世界一流の芸術を日本へ"との構想に共鳴したのが、同じ頃に東京バレエ団を創立し、バレエ界の発展に心血を注ぐ佐々木忠次氏だった。
当時、日本のバレエは「バレエ教室の延長上」の域を出ず、「舞台芸術としてのバレエ」とは、ほど遠いものだった。バレエ界の革新には本場の感動と迫力が欠かせない。
佐々木氏に"世界のバレエ団を日本に呼んでいきたい"と相談を持ち掛けると、氏は各国のバレエ団の名を挙げ、「シベリアにも素晴らしいバレエ団がある」。日本ではまだ知られていないノボシビルスク・バレエ団の招聘を提案し、零下40度にもなる冬のシベリアに飛び、自ら来日交渉に当たった。
氏は、一般大衆こそがバレエ界の後援者、審判者として発展のカギを握っていると強調。民音を「唯一の光明源」とたたえ、「今こそバレエ界の力を結集」と呼び掛けている。(「月刊みんおん」65年4月号)
民音の熱意と、佐々木氏の"志"が意気投合し、歴史を画するバレエ・シリーズが産声を上げた。
◇ ◆ ◇
軽やかな跳躍、しなやかな手の動きは、湖水に浮かぶ白鳥そのもの。観客を瞬く間に詩情の世界へ誘う。
ノボシビルスク・バレエ団の来日公演は、上野の東京文化会館を皮切りに、大阪、福岡、京都など、27ステージで大喝采を浴びた。前売り券は飛ぶように売れ、東京公演に北海道から申し込みがあったほど。どの地でも嵐のような拍手が起こり、何度もカーテンコールが繰り返された。
本場の舞台を目にした感動は、それぞれの心に焼き付いて離れない。
福岡在住の澤千恵佳さんは「軍艦島」で知られる長崎・端島の出身。
ある日、母が「2泊3日でバレエを観に行く」と言い出し、澤さんは驚いた。ノボシビルスク・バレエ団の福岡公演である。「バレエって、泊まりがけで行くほど素晴らしいものなんだ」と幼心に思った。
やがて澤さんも、最寄りの長崎市での民音公演に足を運ぶように。しかし、フィナーレの前に会場を出ないと、島に戻る最終便に間に合わないため、何度も残念な思いをしてきた。後年、民音のバレエ公演を終演まで見届けることができ、「あの感激は忘れられません」と振り返る。
東京・江戸川の大江敏夫さんは、板金職人として芸術とは無縁の生活を送ってきた。第2次世界大戦の末期、中立条約を破り、一方的に攻め込んできたソ連に良い印象はない。
「鉄のカーテン」に覆われた"異国の文化"だったが、気付けば手が赤くなるほど拍手を送っていた。
"池田先生が伝えたかったのは、この感動だったのか!"——長年のわだかまりが解け、以来、地道な文化交流に尽くしてきた。
このノボシビルスク・バレエ団を筆頭に、先生は世界バレエ・シリーズに毎回のように足を運び、芸術家らに心からの感謝を伝えている。
74年にはソ連に招待され、ボリショイ劇場でバレエを鑑賞。6回の訪ソの中で、全ソ民族舞踊アンサンブルやモスクワ児童音楽劇場の来日公演を実現するなど、同国を代表する芸術団体を招聘し、交流は今に続く。
先生は"人類共通の宝である最高の音楽芸術を民衆の手に届くものに——この願いが民音創立の原点である"と後に綴っている。同シリーズの成功へ尽力を惜しまなかった。

◇ ◆ ◇
海外からバレエ団を招聘する一方で、民音は、日本のバレエ団の公演にも力を尽くす。
64年に発足した東京バレエ団の公演は、やがて年50回を超え、地方会場でも数多く行われた。
この64年は、東京オリンピックが開かれ、東海道新幹線が開通した年。経済大国へと急速な発展を遂げる中、舞踊家の育成は遅れたままだった。
海外招聘とともに、日本中にバレエ芸術を届け、本格的なバレエを育む——民音は、国内外の両面からバレエに光を注いだ。
当時、同団でプリマバレリーナとして活躍していた鈴木光代氏は、民音公演における観衆の熱意が、ひときわ思い出深いという。
北は小樽や室蘭、南は別府や延岡など、大都市以外の公演も活況だった。会場によっては舞台が狭く、演出の調整を余儀なくされた。
初めてバレエを観る人も多い。仕事着での来場者も目に付いた。鈴木氏は「ここで拍手をもらえるというタイミングに拍手がなく、気落ちしたこともありました」と懐かしむ。
翌年、同じ都市で再演した折、拍手のタイミングが見事にそろっていたことに、胸を熱くした。
実はこの時、氏は母を介護しながら舞台に臨んでいた。介護は14年に及んでいる。"いつ舞台で倒れても本望だ"——その熱意を受け止めてくれる観客の存在がうれしかった。
民音主催の東京バレエ団公演は、通算400回以上に及ぶ。
学校コンサートの第1回では、同団の公演が開催される(北海道士別市)など、次世代にも光を届けた。
◇ ◆ ◇
「それまで日本には観客がいなかった。"三角形の一角"が欠けていたんです」と、広渡氏は総括する。
「劇場芸術は、出演者、観客、劇場の三つが三角形となって、初めて成立するものです。良い観客がいないと芸術家は育たない。真剣に応援してくれる観客が不可欠です。客層も民音から始まり、一般へと広がっていきました。やがて政府の支援なども始まりましたが、民音の取り組みは時代を画する出来事でした」
66年のノボシビルスク・バレエ団に次いで、翌67年には"鬼才"モーリス・ベジャール率いるベルギー国立20世紀バレエ団が来日。
東西最高峰の競演が、日本のバレエ界に新時代の到来を告げる。

2019年11月5日火曜日

2019.11.05 わが友に贈る

勇気がない人はいない。
出していないだけだ。
できない理由を
並べ立てるより前に
まず行動する勇者たれ!

閻浮提中御書 P1589
『願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ、過去遠遠劫より已来日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕せ師子は値いがたかるべし』

【通解】
願わくは日蓮の弟子等は師子王の子となって、群狐に笑われることがあってはならない。過去遠々劫以来、日蓮のように、身命を捨てて強敵の過ちを顕しなさい。師子はあい難いのである。

〈名字の言〉 2019年11月5日
埼玉で開かれた座談会の「一人一言コーナー」。地区部長が手作りの大きな"マイク"を取り出すと、会場が一気になごむ。参加者は順番に回し、近況を語った▼これは、アルミホイルやラップの芯で地区部長が未来部員と一緒に作ったもので、名付けて「幸せのマイク」。いつもは発言を遠慮する人も、マイクを手に笑顔で話していたのが印象的だった▼体験発表、御書講義、学会歌の合唱、未来部や青年部のコーナー——充実した座談会のために準備すべきことは多い。内容や進め方など工夫したいことや改善したい点もあろう。しかし、"皆に喜んでもらいたい""皆に元気になってもらいたい"という心は、必ず伝わっていく▼池田先生は、座談会での先師の振る舞いを紹介している。「牧口先生は座談会となれば、自分が真っ先に行かれた。1人が来ると、その1人とじっくり語り合う。2人目が来れば2人と、3人来れば3人と語り合う。そうやって懇切丁寧に希望の人間学を話していかれた」。どこまでも"一人"のために——これが三代会長の心である▼「大白蓮華」今月号の巻頭言に「前進・人材の年は、新たなザダンカイ革命から出発だ!」と。準備する人も、参加する人も、皆が新たな心で創立の月の座談会に臨もう。(道)

〈寸鉄〉 2019年11月5日
難が大きい分、人を救う大境涯が開かれる—恩師「冬は必ず春」の実証を
男子部の日。広布の未来は君達の挑戦と成長に。闘魂燃やし正義を語れ!
御書「法華経は闇夜の月のごとし」。確信に満ちた"太陽の励まし"を同志に
レジ袋、来年夏から有料と。環境保護は意識の変革が不可欠。取組を皆で
国連・世界津波の日。防災への備えを再確認。震災の教訓を全員が命に刻み

☆ウズベキスタン国立大学「名誉博士号」授与式から 池田先生の謝辞 2019年11月1日
◇民衆と共に! 希望の未来の開拓を
◇全世界をわが心に見いだせ
◇対話と友情の根本は「生命への信頼」

一、貴国が誇るシルクロードの民衆詩人ナワイーは、呼び掛けました。
「東も西も、わが内におさめよ。全世界を、わが心に見いだせ」と。
500年の歳月を超えて、この大詩人のエールに応えゆく世界市民の学府が、わが創価大学であります。
貴国からお贈りいただいたナワイーの像も、きょうは、故郷からの知性の来学を、ことのほか喜び、見守っているように思われてなりません。
「源遠ければ流ながし」であります。
思えば、「創価教育の父」であり、「世界市民教育の先駆者」であった牧口常三郎先生が、1903年に発刊の大著『人生地理学』で、悠遠なる人類文明発祥の天地の一つとして注目していたのが、大河アムダリア川とシルダリア川の流域でありました。
この両大河に抱かれ育まれた貴国のオアシス都市タシケントに、中央アジア最古の大学として誕生した最高峰の名門こそ、貴ミルゾ・ウルグベク記念ウズベキスタン国立大学であります。
中央アジアの国々に、実に100を超える学術機関の創設をもたらしてこられた偉大な「教育の源流」でもあられます。
この11月で、牧口先生が平和と人道の信念に殉じて、満75年となります。
本日ここに、貴大学から賜りました最高の栄誉を、創価の源である先師に捧げさせていただけることは、私にとりまして、また、後継の世界市民一同にとりまして、この上ない光栄であり、何よりの励ましであります。
誠に誠に、ありがとうございました。

◇創造的知性の錬磨
一、マラヒモフ総長は誇らかに宣言されております。「私たちの未来は大学にある」と。
ここで、貴国と貴大学の歴史に学びつつ、大学が起点となって目指すべき未来の指標を3点、確認し合いたいと思います。
第一に、「創造的知性の活力みなぎる未来」であります。
貴大学は、15世紀の大教育者にして、先進的な大指導者であったウルグベクの名前を冠しておられます。
ウルグベクは、当時、世界最高水準の天文台をサマルカンドに建設し、画期的な天文表を完成させた第一級の天文学者、数学者でもありました。
無窮の大宇宙を探究するとともに、小宇宙たる人間自身の無限の英知を自他共に開発していった先哲であります。
私が対談したトインビー博士は、このウルグベクを高く評価するとともに、同時代のジャーミーとナワイーの師弟などの功績にも光を当て、この時代、この地域に、「知的活力の爆発」が見られたと刮目されておりました。
そして、この「知的活力」を現代に蘇らせてこられたのが、まさしく貴大学なのであります。
貴大学では、1918年の創立の年に、いち早く大学新聞が発刊されました。
創刊の日は「4月20日」で、くしくも私自身が発刊に携わった聖教新聞と同じ日付であります。
この新聞「国民大学」には、貴大学の理念の一つとして、「各人が人生で直面する全ての問題を解決できるよう支援する」と明快に示されていました。
まさしく、その通り、創立より100年、第2次世界大戦等の試練を幾つも乗り越え、人生と社会のあらゆる難問に立ち向かう創造的知性を錬磨してこられたのであります。
牧口先生も、「創価教育」の意義として、社会の波乱に打ち勝ち、いかなる方面にでも、活路を開拓して前進していく人材を育てたいと願ってやみませんでした。
AI(人工知能)の進展が加速する現代だからこそ、若き創価の世界市民は、一切を人間の幸福と社会の繁栄、そして人類の平和のために生かし、リードしていく創造的知性を、いやまして鋭くたくましく、磨き鍛え上げていっていただきたいのであります。

◇「最良の人物」とは
一、第二に申し上げたいのは、「民衆の勇気と希望あふれる未来」であります。
「最良の人物」とは、どのような存在であるか。
ナワイーの師であるジャーミーの洞察は明快でありました。
それは「民衆のために困難にも負けない人」であるというのであります。
弟子ナワイーもまた「他の人々に同苦して初めて、汝は人間となることができる」との信条を貫きました。そして、これは、わが敬愛するクジーエフ博士が父君から受け継いで大切にしてこられた精神なのであります。
半世紀ほど前、貴国の首都タシケントが大地震に見舞われた折、貴大学の学生たちは、市民と力を合わせて、がれきの撤去に尊い汗を流しました。
「揺れても負けない」と書いたプラカードを掲げ、大変であればあるほど笑顔で励まし合い、助け合った様子が、当時の女子学生の回想で感動的につづられております。
今、打ち続く台風や大雨で大きな被害が出た日本各地の被災地で、わが創価の友たちは懸命に奮闘を続けています。
その健康と安穏、そして復興を、私は真剣に祈る毎日です。
ここにお越しくださった作家のアグザム先生も、貴大学の誉れの卒業生であられます。
民衆の中に善と人間性への希望を見いだされ、暴力に屈しない人間主義の闘争、また精神の自由をうたい上げてこられました。その名作は、広く世界で愛読されております。
私の大好きな貴国のことわざに、「民衆と共に歩む先に幸福あり。民衆を離れた先に破滅あり」とあります。貴国の先生方と手を携えて、私たちは、どこまでも民衆と共に、民衆の中で、民衆の勇気と希望あふれる未来を創り開いていきたいと思うのであります。

◇生命を慈しむ心
一、第三に、「人類の友情と信頼光る平和な未来を」と申し上げたい。
私の恩師・戸田城聖先生は、戦後いち早く、「地球民族主義」の理念を提唱しました。
全ての人には最極の尊厳なる生命が具わっている。あらゆる差異を超えて、この生命への信頼を失わずに、私たちは、地球という星に同じ人間として対話を重ね、友情を結び広げていくのだと、私たち青年に教えられたのです。
その意味において忘れてならないことは、生命を慈しみ、平和を願ってやまない母たちの祈り、女性たちの智慧こそを、希望の光源としていくことでありましょう。
総長のご夫人は、慈愛の医師として多くの生命を守り、救ってこられました。
貴国の格言に「良き女性は常に春のようだ」とあるごとく、生命尊厳の太陽の母たち・女性たちを最大に大切にして、平和の春を、この地球に広げていこうではありませんか!
最後に、私が、創価大学をはじめ、人材育成に励む人間教育の全ての同志たちと分かち合いたい、総長の信条があります。
すなわち、「教師にとって最高の喜びとは何か。それは、教え子が自分を超えたと実感できることである」と。
敬愛してやまない貴国の永遠のご隆昌と、貴大学の永遠のご繁栄を心よりお祈り申し上げ、私の御礼といたします。
カッタ・ラフマット!(ウズベク語で「ありがとうございました!」)(大拍手)

2019年11月4日月曜日

2019.11.04 わが友に贈る

◇今週のことば
妙法は「活の訪問」だ。
どんな苦労も体験も
全てを必ず活かせる。
我らの「創立の月」を
勇敢なる挑戦で飾ろう!
2019年11月4日

撰時抄 P287
『大慢のものは敵に随うというこのことわりなり』

【通解】
大傲慢をきわめるものは、逆に敵に従わなければならないというのが道理である。

〈名字の言〉 2019年11月4日
"奇跡の7本指ピアニスト"と呼ばれる西川悟平さんは、右手5本の指と、左手の親指・人差し指で演奏する▼気鋭のピアニストとしてアメリカで活躍していた19年前、両手の指が硬直し始めた。病名は「局所性ジストニア」。医師から「一生、ピアノは弾けない」と宣告される。絶望していたある日、幼稚園での音楽指導を頼まれた▼わずかに動く指で「きらきら星」を弾き始める。すると、子どもたちが目を輝かせて歌いだした。その姿に打たれ、"自分にできる音楽をやろう"と決めた。血のにじむ練習を重ね、独自の奏法を編み出した。「解決不可能だと思われる問題にも必ず出口はある」。そう気付いた時、道が開けた。音楽活動がメディアで紹介され、欧州でもデビュー。カーネギーホールでソロ公演を果たした(『7本指のピアニスト』朝日新聞出版)▼人生、思いもよらない試練に見舞われることがある。だが"不運"ではなく、"新しい人生の出発"と捉えれば"試練"の意味は劇的に変わる。知恵と力が湧き、価値創造の扉が開く▼作家セルバンテスは言った。「闇が深いほど光が明るくなるように、苦しみが募るほど強くなるのがほんとうの希望」(荻内勝之訳)と。人生勝利の鍵は、たくましき楽観主義である。(朋)

〈寸鉄〉 2019年11月4日
「能く能く心をきたはせ給うにや」御書。生命錬磨の直道は広布の大闘争に
同苦—これ励ましの要。リーダーは友の話に耳を傾けよ。名将は聞き上手
人々の心に平和の砦を—ユネスコ憲章の日。不戦の連帯を我らの対話で!
節電へ「ウォームビズ」を推進。室温20度が目安。賢く工夫し地球環境守れ
ネット上の人権侵害は7年で3倍。拡散すれば悪に加担。鋭く見抜く目を

☆虹を懸ける 池田先生とブラジリア 2019年10月27日
◇学会活動こそ最高の幸福道
南米ブラジルの首都ブラジリア。計画都市のモデルとして区画整理された美しい街並みは、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。本年は、池田先生のブラジリア初訪問から35周年。師匠と共に、幸福の人生を開いてきた友を紹介する。

陽光に照らされ、木々の緑が輝いていた。1984年2月23日、池田先生ご夫妻が、ブラジリアの代表600人と公園で記念撮影を行った。
66年以来、18年ぶり3度目となる先生の訪伯。ブラジリアへは、初の訪問である。
午後2時50分、先生は公園に到着すると、同志の輪の中へ。皆の後ろにいた鼓笛隊と音楽隊を見つけ、「前にいらっしゃい」と優しく手招きした。
記念撮影の後、軽快なサンバの演奏が披露された。先生は笑顔で呼び掛けた。
「ありがとう。皆さんの元気なお姿を見て、本当にうれしい。これからも、良き市民として、また良き社会人として成長し、これ以上に幸せな人生はない、という人生を生ききってください」
その言葉に、メンバーから「エ・ピケ、エ・ピケ、エ・ピケ、ピケ、ピケ!」と、感謝と誓いを込めた歓声が沸き起こる。先生は一人一人の目を見つめ、握手を交わした。
この記念撮影を機に、ブラジリア広布は加速していく。

◇同志に尽くす
鼓笛隊の一員として、記念撮影に参加したエウダ・オリベイラ・アウベスさん(分圏婦人部長)。「初めて池田先生とお会いしました。父親のような温かさを感じ、胸がいっぱいになりました」と述懐する。
幼少期から引っ込み思案な性格だった。16歳の時、両親が離婚。母と弟の3人で暮らした。同じ頃、人と会うことがつらくなり、人混みの中にいると呼吸が苦しくなったり、めまいを起こしたりすることもあった。「当時は原因が分かりませんでしたが、今思えば、パニック障害だったのだと思います」
心配し、足しげく家に通ってくれた幼なじみが、ブラジルSGIのメンバーだった。何度も座談会に誘われて断りきれず、"一度だけなら"と会合へ参加した。「初めて御本尊を拝し、題目を聞いた時、何とも言えない晴れやかな気持ちになったんです」
帰宅後、その感動を家族に伝えると、母も以前、座談会に行ったことがあり、しかもSGIに好感を抱いているという。2人で勤行・唱題を開始。81年5月、一緒に入会した。
程なくして、アウベスさんは鼓笛隊に入った。だが状況はすぐに好転したわけではない。健康への不安は消えず、練習にはいつも母が付き添った。
高校卒業後、定職に就けず、家に閉じこもる日々。"自分を変えたい"と懸命に題目を唱えた。徐々に前向きな気持ちになり、4カ月後、一人で練習に行けるように。念願だった就職も果たした。
先生との出会いを刻む頃は、社会の第一線で働くようになっていた。メンバーを包み込むように励ます師の姿に、自分も人のために尽くせるようになろうと決めた。
ブラジリアの女子部長などを務め、婦人部でもリーダーとして活躍。「自分が苦しんだ分、人の痛みが分かるようになりました」
先生の振る舞いを胸に刻み、同志の幸福のために全力を注ぐ。

◇師との記念撮影
池田先生のブラジリア滞在は1984年2月21日から23日までの3日間。この間、先生はフィゲイレド大統領をはじめ、外相や教育・文化相など政府の要人と相次ぎ会談した。
ブラジリアの同志は、先生の滞在期間中、自主的に集まり、諸行事の大成功を祈り続けていた。
リツコ・ナカヨシさん(総合方面婦人部総合長)は振り返る。「ブラジリアには会館がなかったため、青年部を中心に個人会場に集まり、真剣に唱題を重ねていました。仕事や学校を終えてから駆け付ける人も多く、題目の声が途絶えることはありませんでした」
その様子を聞いた先生は、少しでも同志を励ましたいと、当初は予定になかった記念撮影を提案した。
連絡を受けたメンバーは喜びに沸いた。そして急きょ、行われたのが、23日の記念撮影だった。
その折、先生は、いつの日かブラジリアに会館が建つことを念願した。
「先生の希望あふれる言葉に、皆が奮い立ちました」と語るナカヨシさん。鹿児島県出身の彼女は57年、家族と共にブラジル北部のベレンに渡った。一家で米や野菜の栽培を始めたが、思うようにいかなかった。
心機一転、ブラジリアへ転居。しかし、家が火事に見舞われるなど試練は続いた。
そんな時、近隣の友人から信心を勧められ、62年8月に実践を始める。
生活は貧しく、車もない。毎週開かれる座談会には、家族6人で1時間ほど歩いて通ったという。
その後、農家を諦め、家族で小さな青果店を開いた。ナカヨシさんは夜間大学に通いながら、店を手伝った。
73年に結婚。4人の子宝に恵まれた。84年の記念撮影には、子どもの手を引いて駆け付けた。
ナカヨシさんは師の励ましを支えに、仕事も、育児も、学会活動も、一歩も引かず挑戦。現在はスーパーマーケットの経営者となり、経済革命を成し遂げた。長年、ブラジリアの婦人部長を務め、友の激励に走り抜いてきた。
96年12月、ブラジリアの中心部にほど近い大使館街の隣接地に、念願だったブラジリア文化会館が落成した。
ナカヨシさんは胸を張る。「美しい白亜の会館は私たちの誇りです。自分自身の名前のように、皆と"仲良く"前進し、地域に希望の連帯を広げます」

◇後継の人材を
マリア・ダ・パス・オサムラさん(総合方面婦人部総合長)も、池田先生との記念撮影が"人生最高の誇り"となっている。
1977年に入会し、81年10月、壮年部員だった陽一さんと日本で結婚。夫婦でブラジル広布に尽くそうと決意を固めた。
渡伯する前、夫妻は池田先生と出会いを刻む。結婚の報告をすると、先生は喜び、「君たちのことは絶対に忘れないよ。ずっと一緒に戦っていくんだよ」と。陽一さんに「良きブラジル市民になっていきなさい」とエールを送った。
オサムラさんが結婚したのは39歳。卵巣のう腫を患っていたが、どうしても子どもが欲しかった。夫婦で祈る中、妊娠の兆候が。しかし喜びもつかの間、妊娠3カ月で流産——。
悲しみに沈む中で、師の励ましを思い返した。今こそ夫婦で乗り越えようと、懸命に唱題を重ね、学会活動に奔走した。
84年の記念撮影。師と再会した時、オサムラさんのおなかには新しい生命が。夫婦で"子どもを広布後継の人材に育てよう"と誓い合った。
5カ月後、42歳で長男を出産。翌年には、次男も誕生した。
だが、オサムラさんを試練が襲った。91年1月、夫が脳卒中で倒れ、急逝したのだ。
「長男の光一は6歳、次男の健治は5歳でした。女手一つで子どもを育てるのは想像以上に大変でしたが、亡き夫との誓いを果たそうと、ただただ成長を祈り続けました」
仕事をしながら、宿命転換を懸け、広布拡大に挑んだ。
96年にはブラジリアの婦人部長に。これまで個人で30世帯を超える弘教を達成。本年4月にも御本尊流布を成し遂げた。
息子たちは母の背中を見て、師を求める心を学んだ。兄弟ともに、ブラジルの大学を卒業した後、日本の創価大学大学院を修了した。
現在、兄弟は東京・八王子市に住み、長男の光一さんは区男子部主任部長、次男の健治さんは男子部大学校2期生として活躍。本年、それぞれ弘教を実らせた。
オサムラさんは声を弾ませる。「池田先生の激励のおかげで、私はこんなに幸せになりました。生涯、先生と共に、広布の道を歩んでいきます」

35年前の先生の励ましを原点に、ブラジリアの天地に根を張り、人間革命の功徳と実証の花を咲かせてきた同志たち。その「人間革命」即「社会貢献」の師弟の勝利を寿ぐかのように、ブラジリア連邦区から1998年7月、池田先生ご夫妻に「名誉市民証」が贈られている。その就任式で、先生は「この栄誉を、広宣流布への前進を大勝利させた全同志に捧げたい!」と。さらに、こう訴えた。
「私どもは、果たすべき『使命』が明確になっている。『広宣流布』という、全人類を幸福にする『最高の仕事』がある。この使命の道で苦労しながら、学会活動に励めることは、最高に『幸福』なのである」
師弟の絆で結ばれたブラジリアの同志の心には、歓喜の花が満開に咲き薫っている。