2016年5月8日日曜日

2016.05.06 わが友に贈る

新聞休刊日

上野殿御返事 P1539
『大魔のつきたる者どもは一人をけうくんしをとしつればそれをひつかけにして多くの人をせめをとすなり』

☆四季の語らい
"自分がやらなければ、だれがやる"−−この責任と使命に立った人は強い。
これが、信仰の真髄である。

☆女性に贈ることば 五月六日
木も大きな花を咲かせ、皆の心を楽しませてくれる。
人間も、何か人のためにならねばならない。

☆今日のことば365 五月六日
ちょうど、人生は、マラソンのようなものである。はなばなしく、五千メートルまでトップを走っていても、倒れてしまっては意味がない。九千九百メートルまで一番で拍手を送られていても、そこで失格すれば負けである。最後まで走りつづけた人だけが、人生の勝利者といえる。一番、二番ということは問題ではなくて、ゴールを目ざして、最後までがんばりきることである。

☆人間革命の舞台 伊丹空港(大阪国際空港) 2016年4月18日
◇「常勝の空」へ舞い上がれ
兵庫県の伊丹市、大阪府の豊中・池田市にまたがる伊丹空港(大阪国際空港)。開港は1939年(昭和14年)で、年間旅客数は約1400万人を数える。
広布史にとっても、忘れることのできない舞台だ。
1カ月で1万1111世帯の弘教を成し遂げ、また、参院選・大阪地方区の勝利で、「"まさか"が実現」と世間を驚かせた「大阪の戦い」。この56年(同31年)の大金字塔から、今年で60周年を迎える。
その指揮を執ったのは、若き日の池田SGI会長(当時、青年部の室長)。8000人の同志と会って励ましたその姿に触れて、同志は、師弟の偉大な力、広布に生きる喜びを知った。頭で理解したのではない。命に刻み込んだ。ここに、関西の強さがある。
開票日の7月9日。室長は勝利を確認すると、午後、伊丹から戸田第2代会長の待つ東京へ飛び立った。
「飛行機が、空遠く消え去った時、その存在感は、巨大な柱のように思えた」と、見送った同志は述懐している。
この機中の模様が描かれるのが、小説『人間革命』第10巻「展望」の章。"雲海の着想"の場面である。室長は、勝利の余韻に浸る間もなく、広布を阻む障魔の嵐を予感していた。
その予感は的中した。そして弾圧の刃は、室長自身にも向かった。翌57年(同32年)の「大阪事件」。公職選挙法違反の容疑による全くの不当逮捕である。
7月3日。北海道にいた室長は、大阪府警の出頭要請を受け、羽田空港を経由して、伊丹空港に向かう。
羽田では、弟子の身を案じ、戸田会長が待っていた。「もしも、お前が死ぬようなことになったら、私も、すぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」。そして、できたばかりの自身の小説『人間革命』を手渡した。
伊丹への機中、小説を読み進めた池田室長。師が出獄した日も、この日と同じ「7月3日」であった。
後に詠んだ。
「出獄と 入獄の日に 師弟あり」
7月17日。2週間の勾留を解かれ、その足で向かったのも伊丹であった。「大阪大会」に出席する戸田会長を迎えるためである。
空港で、戸田会長は語った。「戦いは、これからだよ」「勝負は裁判だ」
恩師亡き後の62年(同37年)1月25日、SGI会長は大阪地裁の無罪判決を勝ち取る。この日もまた、伊丹空港から帰京した。
伊丹は、SGI会長にとって、対話の十字路ともなってきた。ここからしばしば世界平和旅に出発した。
75年(同50年)と78年(同53年)、同空港から中国へたつ際には、見送りに来た実業家の松下幸之助氏と語り合っている。
きょうも伊丹空港から飛び立つ翼——。そこに、関西の同志は、今再び「常勝の空」へ舞い上がらんとの誓いを重ねるのである。

※伊丹空港(大阪国際空港)をめぐる場面が描かれるのは、小説『人間革命』第10巻「展望」の章、同第11巻「大阪」の章など。