2016年5月1日日曜日

2016.05.01 わが友に贈る

理想に生きる人は
いつも若々しい。
清流のごとき信心で
今日も新たな挑戦を!
栄光の自分史を綴れ!

妙密上人御消息 P1240
『此等の経文は日蓮日本国に生ぜずんば但仏の御言のみ有りて其の義空しかるべし、譬へば花さき菓みならず雷なりて雨ふらざらんが如し』

☆四季の語らい
リーダーは、生き生きとした探求心で、常に学んでいくことである。リーダー自らが、瑞々しく学んでゆくところに、触発が生まれる。新しい発想が広がる。前進の息吹が漲る。知ったかぶりをしたり、わかったつもりでいるのではなく、万般にわたって自ら学び、人々を啓発していくことが大事である。

☆女性に贈ることば 五月一日
日々新たにして日に日に新たなり−
今日も生まれ変わった生命の息吹で
全力で走りゆくことだ
今日の満足と、明日への飛躍と

☆今日のことば365 五月一日
民衆の声ほど 強きものはない
民衆の怒りほど 恐ろしきものはない
民衆の叫びほど 正しきものはない

☆大白蓮華巻頭言 2016年5月号 地涌の若人と常勝歓喜の舞を!
いかなる試練の時代、いかなる苦難の社会にも、生命尊厳の希望の哲理を掲げ、正義のため、民衆のため、平和のため、喜び勇んで戦おうではないか!
時を超え、国を超えて、「法華経」が呼びかけてやまない、この魂のメッセージに応えて立ち上がった「地涌の菩薩」の群像こそ、わが創価学会である。
日蓮大聖人の仰せの如く、一問浮擬が打ち乱れる闘じょうの只中で、牧口常三郎先生、戸田城聖先生は、身命を賭して広宣流布の道を開いてくださった。
両先生が最大に信じ期待されたのは、青年である。
青年にこそ、強く正しく清らかな地涌の生命が躍動するからだ。創価の師弟が広げてきた「歓喜踊躍」の青春の舞は、今やこの地球を包み始めている。
地涌の若人の涌出は、待つものではない。先頭に立って呼び出すのだ。一緒に戦い、育て鍛えるのだ。
思えば、大聖人御自らが、こよなく青年を慈しまれ、相次ぐ法難の中で、薫陶し、鍛錬なされていた。
ある年の五月三日、若き南条時光へのお手紙には、「大事だと思っている人たちが信心を制止し、大難が来る時がある。その時こそ、まさに諸天の守護が厳然と現れると確信し、いよいよ強盛に信心に励んでいきなさい」(P1512、趣意)と仰せである。
吹き荒れる烈風に怯まず、勇敢に思い切って広布の大願に挑みゆく若人の色心には、妙法と一体不二の無限のエネルギーが漲るのだ。その正義の丈夫たち、乙女たちを、仏天は必ずや守らずにはおかない。

六十年前、愛する関西の天地で、私は、いまだ入会まもない青年たちと、新たな民衆勝利の歴史を開きゆかんと、未聞の拡大に挑戦していった。
私はリーダーに語った。「一人の百歩前進も尊いが、それ以上に百人の一歩前進こそ大切だ。そのためにも、一人一人の名前を思い浮かべて祈ろう」と。
この時、共に奮闘した兵庫の青年は、口下手に悩み、夜遅く郵便ポストを相手に対話の練習を重ねた。
そうした誠実な努力を私は讃えた。「一人の青年にここまで」という学会の励ましに涙した彼は、恩返しの心で一生涯、後輩を大切に励まし抜いてくれた。
「信心で人生が変わる−−この溢れんばかりの歓喜で活動して、結果が出ないわけがありません」と。
「広宣流布」「立正安国」は、人間群に飛び込み、現実の社会を変えていく大闘争である。その行動の中で、一人一人の「人間革命」の歓喜の劇が広がる。
女子部の友が研鑽する華陽会御書三十編の一つ、一生成仏抄には、「皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり」(P383)と記される。
仏道修行は人の何倍も忙しく苦労も多い。心ない悪口を浴びせられることも、人知れず悔し涙を流すこともある。しかし、だからこそ、無量無辺の「心の財」が積まれ、福徳は計り知れないのだ。
創価の民衆運動は、金剛不壊の信念を持つ地涌の人材を、社会へ世界へ未来へ送り出す大地である。
さあ、若人と共に、若人の心で、常勝歓喜の舞を!

わが胸に
 広布の炎は
  烈々と
 地滴の誓いを
  青年と果たさむ