2016年5月8日日曜日

2016.05.07 わが友に贈る

友のために尽くす
祈りと行動の中に
負けじ魂の真髄は
最大に発揮される!
励ましの連帯を広げよ!

南条殿御返事 P1578
『釈迦仏は我を無量の珍宝を以て億劫の間供養せんよりは末代の法華経の行者を一日なりとも供養せん功徳は百千万億倍過ぐべしとこそ説かせ給いて候』

☆四季の語らい
人を育成するには、大きな責任をもたせ、実際にやらせてみることが大切である。人は責任を自覚し、真剣になることによって、力を増すものである。また、現実に物事に取り組むことで、机上の計画では予想もしなかった事態や、困難に直面することもある。そうした体験が、真実の力を培う、貴重な財産となる。

☆女性に贈ることば 五月七日
お金や栄誉を得ることよりも、人間としていちばん大事なのは、学ぶことです。
いくら有名人でも、学ぶ心のない人は尊敬できません。一生涯、学び続ける−−−その人を尊敬すべきです。

☆今日のことば365 五月七日
幸福は、外からやってくるものと思いこんではいけない。特に青春時代には、そのような追随主義や消極性、あるいは付和雷同の人であってはいけない。自らを革命し、さらに、自分の境遇を改革しきっていこうという積極主義とその勇気なくしては、悩みを切り開くことはできないのである。

☆本紙創刊65周年を記念 無冠の友へのメッセージ
「聖教新聞」さながら「無冠の友」、「無冠の友」さながら「聖教新聞」——これが、私の偽らざる真情であります。
幾多の障魔の風雪を越えて、人間主義の言論城たる聖教新聞は、晴れ晴れと創刊65周年の佳節を飾ることができました。
これも、ひとえに、わが「無冠の友」の皆さま方の偉大なる奮闘あればこそです。創価の言論闘争の最大の功労者であられる皆さま方に、私は心から深謝の意をささげたいのであります。誠に誠に、ありがとうございます。

聖教新聞は、恩師・戸田城聖先生の最大の苦境を突破する中で、誕生しました。
当時の日記をひもとくと、先生のご自宅での企画会に勇んで参加した23歳の私は、こうつづっております。
「日本一、世界一の大新聞に発展せしむる事を心に期す。広宣流布への火蓋は遂にきられた。決戦に挑む態勢は準備完了——」
聖教の創刊日・4月20日は、戸田先生の第2代会長就任の13日前のことです。それは、世界と未来を見つめて、「平和」「文化」「教育」の民衆の大行進へ打って出る、師弟の出発の暁鐘となりました。
そして、この生命覚醒の暁鐘を、毎日毎朝、たゆまず高らかに打ち鳴らしてくださっているのが、他の誰でもない、「無冠の友」の皆さま方なのです。
日蓮大聖人は、佐渡流罪の渦中、ご自身を支える門下へ、「是れ偏に法華経の文字の各の御身に入り替らせ給いて御助けあるとこそ覚ゆれ」(御書1132ページ)と感謝なされました。
「法華経の文字」が生命に入って、御本仏のお心のままに広宣流布を推進する働きをする——わが「無冠の友」を讃えられる仰せとも、私には拝されてならないのであります。

聖教新聞が週3回刊から日刊になって翌年の1966年(昭和41年)7月1日、私の発案で生まれたのが、本紙「無冠」であります。
「無冠」とは、「無冠の王」の意義であります。
発刊を祝した一文に、「『無冠』とは配達員各位の境涯を象徴するものといっても過言ではない」と、私は記しました。さらに、「吾、地涌の菩薩なり。言論界の王者なり」との信念と勇気と希望をもって生き抜いていこう、と強く念願しました。
私たちの本来の姿は「地涌の菩薩」であります。末法の衆生を幸福にして、平和の楽土を築くという広宣流布の聖業を果たすため、あえて苦悩渦巻く、この乱世に出現してきた誓願の同志です。
なかんずく、わが配達員の皆さま方こそ、最も誇り高き広布の先駆王であります。妙法の言論王の一人一人であります。
仏法では、「無学」という言葉も、学を究め、煩悩を断じ尽くして、もはや学ぶべきものが無くなった仏の大境涯のことを言います。
それと同じように、「無冠」の王とは、まさしく権力や財宝や名声といった虚栄の「冠」を悠然と見下ろして、最高無上にして永遠に色あせぬ、正義と人格と福徳の「冠」が輝きわたる生命の王者のことなのであります。

思えば、1966年3月、本紙「無冠」の発刊に先駆けて、私が訪れた南米のブラジルでは、軍事政権のもと、根も葉もない中傷や偏見が渦巻いていました。私も、地元の言論界に創価の真実を語り、誤解を解く努力を重ねました。
しかし、軍政の圧迫は長く続きました。次にブラジルの土を踏むまでには、実に18年の歳月を要したのです。
その苦難の時代に友の心を支えた力は、新聞でした。前年に創刊されていた機関紙が、私の訪伯の翌月、「ブラジル・セイキョウ」の名で新出発しました。ブラジルに続いて訪れたペルーでも、「ペルー・セイキョウ」が誕生します。さらに、この年は、香港でも「黎明聖報」がスタートしています。
いずれも、「無冠」とともに、今年50周年を晴れ晴れと迎えました。

小さな苗木も、一年また一年と年輪を刻めば、立派な大樹と育ちます。世界各国の機関紙も、見事な発展を遂げています。今やブラジルSGIは、国家からも、社会からも、最大に賞讃され、信頼される団体となり、これほど誇らしいことはありません。苦労したところが強くなる。忍耐強く前進し抜いたところに、不滅の城が出来上がる。これが仏法の厳然たる因果の理法です。
忘れ得ぬブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁も語られていました。
「どんなに不正な迫害があろうと、来るべき世紀に、高い精神的秩序を創造しゆく、使命をもった人間たちの勇気を打ちくだくことはできません」と。
我らの聖教魂とも相通じます。まさに、不屈の勇気から溢れ出た同苦する励ましと慈愛の言葉こそが、人々の心を温め、生きる力を贈りゆくのではないでしょうか。
偉大な言論勝利の歴史を世界の同志と刻んでこられた「無冠の友」の皆さま方の尊き歩みは、いかなる宿命も使命に変え、自他共の幸福を創り広げゆく「広布即栄光」の大叙事詩に他なりません。

昨年の11月29日、新・東北文化会館の定礎式の折、配達員を代表して、この日の聖教新聞を埋納された偉大な広布の母上は、一家の試練を毅然と勝ち越えてこられました。現在は、娘さんも嫁ぎ先で無冠の大道を歩み始めている、と感銘深く伺いました。
御書に『陰徳あれば陽報あり』(P1178)と仰せの通り、「無冠」の使命に生きる果報は計り知れません。親から子へ、先輩から後輩へ、この広布の黄金のバトンを受け継ぎ、担いゆく大功徳は、自身のみならず一家眷属、そして地域や社会をも照らす光源となることは、断じて間違いありません。
年度始めの4月は、進学や就職、転居など、多くの人が動く時期です。配達も、転出先や転入元との連絡、新しい購読者への応対など、とりわけ、ご苦労も重なっていることでしょう。皆さまの大誠実を尽くす心遣いによって、信頼が生まれ、共感が広がり、一つ、また一つと友好の道が開かれていきます。
配達する人を見ていて、新聞を取りたくなった!——こうした、あまりにも尊く、あまりにもうれしい声が、たくさん寄せられています。皆さまの生き生きとした爽やかな振る舞いこそが、人間主義の拡大につながっています。
私と妻は、かけがえのない宝の皆さまのご健康と絶対無事故を、毎日、真剣に祈り抜いています。どうか、聡明に工夫をされ、できる限り早く休まれて、疲れをためないようにお願いいたします。
最も信頼してやまない「無冠の友」の皆さま、これからも、共に、共々に、そして楽しくにぎやかに、我らが勝利の光道を大前進してまいりましょう!