2016年3月24日木曜日

2016.03.24 わが友に贈る

季節の変わり目。
寒暖差に注意し
体調を崩さぬよう
聡明な生活を!
生き生きと健康第一で!

法華行者逢難事 P965
『各各我が弟子たらん者は深く此の由を存ぜよ設い身命に及ぶとも退転すること莫れ』

☆四季の語らい
人間の価値は、目に見える姿よりも、「魂の伊吹」が、どうかである。格好ではない。形だけの肩書でもない。信念である。その人の心がどうかである。行動がどうかである。

☆今日のことば365 三月二十四日
子どもは本来、伸びよう、成長しよう、という生命の勢いをもっている。何かのきっかけで、ぐんぐん伸びていくときの子どもの成長の速さは、まことに目覚ましい。
子育てとは、基本的には、この子どもの生命力の流れを正しく導き、成長をはばむものを取り除いてあげることではないだろうか。

☆今日のことば365 三月二十四日
公平な人になりたい。いや、陰の人、淋しい人、悲しんでいる人の味方でありたい。

☆御書の解説 「春季彼岸勤行法要」のために(2016年3月15日)
『法華経の題目をつねは・となへさせ給へば此の妙の文じ御つかひに変ぜさせ給い・或は文殊師利菩薩或は普賢菩薩或は上行菩薩或は不軽菩薩等とならせ給うなり、譬えばちんしがかがみのとりの・つねにつげしがごとく蘇武がめのきぬたのこえの・きこえしがごとく・さばせかいの事を冥途につげさせ給うらん、又妙の文字は花のこのみと・なるがごとく半月の満月となるがごとく変じて仏とならせ給う文字なり』(妙心尼御前御返事、P1484)

◇本抄について
本抄は身延におられた日蓮大聖人が、駿河(静岡県中央部)の妙心尼御前に送られたお手紙です。妙心尼が亡夫・高橋六郎兵衛の追善のために唱題に励んでいたことから、その信心をたたえられ、「妙」の一字の功徳を説かれています。
遺された妻の故人への思いや、この世に妻子を遺してきた故人の思いの両方を思いやられ、"生死を分けた世界を結ぶ絆は、南無妙法蓮華経以外にない"と教えられています。

◇「追善回向」の意義
日蓮大聖人は拝読御文で、妙心尼が常に唱えている「法華経の題目」こそ、冥土の亡き夫への使いとなるのだ、と教えられています。
大聖人は、「故人を思って南無妙法蓮華経と唱題すれば、『妙』の文字が使いとなって娑婆世界のことを告げ、故人の心を慰め、心を通わせていけるのです」と、大きく妙心尼を包み込まれています。
さらに、妙の文字は、花が実を結び、半月が満月となるように、必ず仏になると断言されています。
妙法には、いかなる距離や空間をも超えて、仏性を呼び覚ます力があります。南無妙法蓮華経と唱える響きは、宇宙に冥伏した死後の生命にも届きます。
また、過去の一切の諸仏・菩薩が妙法への信によって成仏の境涯を開いてきたように、私たち自身も地道な仏道修行で境涯を開き、絶大な功徳をわが身に具えることができます。その功徳を故人に回らし向けていくのが、「追善回向」です。
学会員は日々の勤行の中で必ず追善回向を行っています。大聖人が「自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし」(P1429)と仰せのように、追善回向の根幹は、私たち自身が御本尊を信じ、信心に励んでいくことにあります。
大聖人の御遺命である広宣流布へ行動しているのは学会員しかいません。そうした点では、私たちの日々の勤行・唱題こそ、故人に対する最高の追善回向なのです。

◇夫人への同苦と励まし
本抄は、妙心尼の夫・高橋六郎兵衛が亡くなって、ほどない時期に送られたお手紙だと推察されます。
妙心尼は、重病に倒れた夫を献身的に支えながら、日興上人を中心に弘教が進む駿河の地で、権力の迫害を恐れずに純粋な信心を貫きました。夫の闘病中、大聖人は幾度も夫妻に励ましのお手紙を送っています。
「このやまひは仏の御はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり」(P1480)との有名な一節も、その一つです。
大聖人は、夫の高橋殿が病気を契機に法華経への信仰心を起こしたことをたたえられ、その信心によって高橋殿の今世の罪障は消滅し、謗法の大悪も消えうせ、成仏は疑いないと、妙心尼を温かく激励されています。
また高橋殿が亡くなった後も、大聖人は本抄をはじめとしたお手紙を認め、悲嘆に暮れる妙心尼に励ましを送り続けられました。
ある時は、「昔から今に至るまで、親子の別れ、主従の別れとさまざまありますが、いずれもつらくない別れはありません。しかし、男と女の別れほどつらい別れはありません」(P1482、通解)と語り、2首の和歌を送られています。
その一つで大聖人は、「ちりしはな・をちしこのみも・さきむすぶ・いかにこ人の・返らざるらむ」(同P)と詠まれました。
「散った花、落ちた木の実も再び咲き結ぶのに、どうして死んだ人は帰らないのでしょうか」と、妙心尼の悲しみを代弁され、心に寄り添い、同苦された大聖人。この度重なる励ましによって、妙心尼は夫の死という悲しみにも負けず、信心根本に強く生き抜くことができたのでしょう。

◇SGI会長の指針から
日蓮大聖人は、御義口伝で明快に仰せになられている。
「今、日蓮と、その弟子たちが、亡くなられた聖霊を追善し、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱えるとき、題目の光が無間地獄にまで至って、即身成仏させる」(P712、通解)
この末法濁悪の現代世界にあって、大聖人の仰せ通りに、難を乗り越え、不惜身命で広宣流布に励んでいるのは、ただ創価学会の私たちだけである。
この私たちの唱える題目には、計り知れない大功力がある。それは、生きている人々はもちろん、亡くなった方々の生命にも厳然と通ずる。
その題目の光は、たとえ言語に絶する地獄の苦しみの生命であっても、赫々と照らして、必ず必ず即身成仏させることができると御断言なのである。
私たちの題目の響きには、それほどの力が込められているのだ。
御本仏の仰せは、絶対であられる。
この一点を大確信していくならば、いかに悲しい生死の別れがあろうとも、嘆きに沈むことはない。
生命は永遠である。三世にわたって、心を通わせていける。苦しみから救っていける。悲観や感傷をも超克しながら、「常楽我浄」の生命の旅を、ともに励まし、ともどもに歩んでまいりたい。(2008年9月26日付 秋季彼岸勤行法要でのスピーチ)

題目の力は、計り知れないほど大きい。私たちが唱える題目の"光明"は、全宇宙のすみずみにまで届き、無間地獄の境涯で苦しむ衆生をも照らし、即身成仏させていくのである。
「さじき女房御返事」には、「この功徳は、あなたの父母や祖父母、さらに無量無辺の衆生にも及んでいくでしょう」(P1231、通解)と仰せである。広布に生きる信心の偉大な功徳は、亡くなった人や、子孫末代にまでも伝わっていく。
真の追善は、妙法によるしかない。妙法の功力は、今世だけでなく、三世にわたって人々を救いきっていくからである。(『池田大作全集』第100巻)