2016年3月9日水曜日

2016.03.09 わが友に贈る

多彩な世代が集う
我らの座談会は
人間性輝く触発の広場!
にぎやかに 率直に
希望と歓喜の語らいを!

立正安国論 P31
『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か』

☆四季の語らい
人間のみが、人間を励ますことができる。人間のみが、人間の能力を最大限に引き出していける。人間のみが、人間を鍛えられる。人間のみが、人間を日覚めさせ、立ち上がらせることができる。

☆女性に贈ることば 三月九日
幸福というも、地獄というも、骨、自分自身の胸のなかにある。心のなかにある。

☆今日のことば365 三月九日
人生には反省も必要であろう。反省のない人に向上はあり得ない。だからといって、反省が自己嫌悪になっては無価値となる。それはあくまでも、明日への向上のためのものでなければならないのだ。

☆仏法の教え 貧女の一灯
◇大風にも負けない真心のともしび
ここは、むかしのインドのある国。王が住んでいる城の近くに、年老いた貧しい婦人が暮らしていました。
婦人は仏法を信じる心が強く、とても釈尊を尊敬していました。
「なにか釈尊にさしあげたい。でも……」
家には、ほとんど何もありません。着る物は、いま着ている服1枚しかありませんし、食べ物は、自分の食事だけで精いっぱいです。
そこで婦人は、町の広場に立って、道行く人に声をかけました。
「仕事をさせてください。洗濯でも、お裁縫でも、なんでもします」
ときおり足を止めて、「じゃ、洗濯を頼もうかね」という人、「破れた服を縫ってもらおうか」という人がいました。
婦人は、わずかな手間賃をたくわえて、釈尊への供養の品を買うつもりでした。

「なにか仕事をさせてください。洗濯でも……」
いつものように町の広場に立っていたら、たくさんの車が通ります。すべての荷台に大きなつぼが積んでありました。
「これは、なんでしょう?」
車の列を眺めていた男の人が答えました。
「ああ、なんでも王が釈尊にご供養するんだそうですよ。夜でも説法ができるように、麻の油を、お贈りするんだとか」
そのころ釈尊は、毎日、霊鷲山で説法をしていました。確かに、これだけの麻の油があれば、夜の暗い山の中でも、人々が師匠の顔を見ながら話を聞けるでしょう。
婦人は家に帰って、わずかなたくわえを手にして、油屋へ行きました。
「これで麻の油をください」
すると、お金を見た油屋の主人がいいました。
「少し足りないね」
「お願いします。釈尊に、ご供養するんです」
「うちも商売だからね」
婦人は、裁縫用に持っていたはさみで、長い髪を切って、「足りない分は、これで」と差し出しました。
主人は、渋い表情でつぼに半分だけ油を注ぎました。

その夜、霊鷲山では、麻の油を燃やして説法が行われました。王の供養した油は、盛んに燃え、婦人の供養した油は、ひっそり、ともっていました。
「ささやかな明かりだけど、少しでも釈尊のお役に立ちますように」
不意に強い風が吹きつけました。王の供養した油の火は次々に消えて、説法は終わりました。
次の朝、釈尊の弟子が、まだ燃えているともしびを見つけました。消そうとするのですが、消えません。
それどころか、まるで世界を照らそうとするかのように、ますます勢いよく燃え盛ります。みなが困惑していたら、釈尊がほほ笑んで言いました。
「このともしびには、供養してくれた婦人の真心が込められています。この真心によって、未来へ必ず素晴らしい境涯が開かれゆくことはまちがいありません。彼女は、たくさんの人を幸せにする、ほとけさまになるでしょう」

◇おうちの方へ
今回の物語は、阿闍世王授決経や根本説一切有部毘奈耶薬事巻第12等に説かれる説話で、「貧女の一灯」として知られています。
日蓮大聖人は「王日女殿御返事」で、『ある貧しい女の人が、自分の髪を売って、その代価で油を求め、仏にともしびを供養したところ、須弥山を吹き抜いた強風も、この女性が供養した火を消すことはできなかった』(P1263、趣旨)と仰せです。
同抄では、供養がささやかなものであったとしても、法を大切に思う真心に大きな福徳が薫ることを教えられています。
女性は貧しい身なりでしたが、釈尊への真心と誓願が輝いていました。その心によって、婦人が供養したともしびは大風に吹かれても消えることはなく燃え続けたのです。
私たちは「心こそ大切」であるとの信念で、信心を貫いていきたいものです。