2016年3月15日火曜日

2016.03.15 わが友に贈る

「迅速な行動」
「誠実な対応」
ここにリーダーの
責任感が表れる。
人間主義の名将たれ!

十字御書 P1492
『今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ、此れをもつてをもうに今又法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし』

☆四季の語らい
人を育てるには、一人ひとりに焦点を合わせた激励と指導が大事になります。たとえば、草木にしても、太陽さえ輝いていれば、すべての草木が育つとは限りません。日陰になって、光を遮られている木もあれば、害虫に侵されていることもあるかもしれない。、あるいは、養分が不足している場合もある。そうした一つ一つの事態に的確に対処し、手入れを重ねてこそ、草木は育つものです。

☆女性に贈ることば 三月十五日
子どもは、いつか、独り立ちしていかなくてはならない。
「子どもを『幸福にすること』と『甘やかすこと』を混同してはいけない」とはフランスの思想家ルソーの言葉です。
子どもを幸福にするために大切なのは、どんな試練にあっても、それに負けない強さと勇気を育んでいくことではないでしょうか。

☆今日のことば365 三月十五日
絶望といい、不幸といい、それをそうと決めるのは、所詮、その人の心のしわざである。してみれば、希望というものは、まず自分自身の悲哀を克服したところに生まれるものだ。

☆仏法の教え 「抜苦与楽」の実践
励ましは"万の力"——。座談会に参加したり、メンバーの家を訪ねたりして、皆さんと懇談をする中でそう実感する。唱題行の功徳が無量無辺であることはいうまでもない。だが、惰性に陥ったり、困難を前にめげたりすることなく、常に求道の心を燃やし続けられるのは、切磋琢磨し合う同志の存在があるからだ。いわば、「一人一人の真剣な祈り」と「慈愛に満ちた励まし」が見事な相乗効果を生むことで、学会の庭に信心の功徳が大きく広がっているといえよう。ここでは、学会員が実践している「抜苦与楽」について考察したい。

◇闘病中の母に届いた伯父からの"お祝い"
「2度目の大病、おめでとう!」
1月に入院したばかりの母のもとに届いた、伯父からの手紙の書きだしの一節に、私は面食らった。だが、母は、実兄からの手紙を何度も読み返し、その中で悲嘆の涙が誓いの涙に変わっていった。見舞いに訪れる友人にこの手紙を見せながら"絶対に負けないから"と語るまでになったのだ。
——11年前に「くも膜下出血」を患ったものの、8時間に及ぶ開頭手術、リハビリを経て、趣味の写真で個展を開くまでに回復した母。その母が元日の朝に突然、不調を訴え、左半身がまひ状態に。病院で調べたところ「血栓性脳梗塞」を起こしていることが分かった。「左半身の機能障害が残ることを覚悟してください」との医師の言葉に目の前が真っ暗になった。ましてや母のショックはいかばかりか。その母の心を蘇生させたのが、伯父の手紙だった。
草創の関西で、男子部として弘教の先頭に立つなど、広布一筋に生き抜いてきた伯父は「難が競い起こるのは、法華経の行者の証明」が口ぐせ。その伯父の"お祝いの言葉"には「必ず一緒に乗り越えよう」との慈愛がにじんでいた。
伯父の激励に誓いを新たにした母は、先月半ばにリハビリ病院に転院。全く動かなかった左手の指先が動くようになり、歩行訓練を始めるなど、少しずつ快方に向かっている。
これまで何度も『病によりて道心はをこり候なり』(P1480)との御金言を拝してきたが、母と伯父の姿を通して、この一節に込められた日蓮大聖人の「励ましの精神」をあらためて学んだ思いである。

◇『一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦』
仏法に説かれる「慈悲」。この言葉は、サンスクリット(古代インドの文章語)では、他者に利益や安楽を与える慈しみを意味する「マイトリー」と、他者の苦に同情し、救済しようとする思いやりをあらわす「カルナー」からできている。
「大智度論」では、この「慈悲」について、「慈」とは一切衆生に楽を与えること(与楽)であり、「悲」とは、一切衆生の苦を抜くこと(抜苦)であると述べている。
災害や飢饉・疫病などが相次ぎ、混迷した鎌倉時代にあって、苦悩の民衆を救わんと、釈尊以来の仏法の根本精神ともいえる「抜苦与楽」の実践に立ち上がられたのが、御本仏・日蓮大聖人である。
『一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし』(P587)
あらゆる人の苦悩に同苦し、力強い励ましを送るところに、日蓮仏法の魂がある。ここでいう「同苦」とは、上から見下ろす哀れみでもなければ、表層的な同情に終始することでもない。悩み苦しむ友に徹して寄り添い、その上で、相手が自分自身の力で立ち上がり、ともどもに前進できるようになるまで関わり続けていく地道な挑戦である。
『一念三千は抜苦与楽なり』(P773)
仏法では、「一念三千」すなわち、あらゆる人に地獄界から仏界までの十界の生命が本然的に具わっており、一念を変革することで自身に内在する仏の生命を涌現していけると説く。
自身の一念を変革するところから相手の生命を変え、相手の置かれた環境をも変えていく。また、友の幸せを真剣に祈り、励まし続ける中で、自分自身の境涯も大きく開いていく。
『自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり』(P761)
「抜苦与楽」の実践は、そのまま「自他共の歓喜」「自他共の幸福の実現」へとつながっていく。この尊い行動を自らの姿をもって教えてくださったのが創価の三代会長であり、なかんずく池田先生である。

◇永遠に忘れられない徳島の同志への激励
私たち徳島の同志にとって、永遠に忘れることのできない師匠の激励行。それは、宗門の黒い鉄鎖を断ち切り、正義の反転攻勢を開始された、1981年(昭和56年)11月の四国指導である。
9日に徳島空港に降り立たれた先生は、直ちに徳島講堂に駆け付け、悪侶の醜い謀略に苦しんできた同志を励まし、「春が来た」「熱原の三烈士」などをピアノ演奏してくださった。
先生は、翌日も徳島講堂での勤行会に出席され、休む間もなく香川の四国研修道場へ。10日に行われた記念撮影の際、先生は、私の祖母に「おばあちゃん、お久しぶりですね」と温かな声を掛け、祖母と母の手を握ってくださった。わが家の原点であり、母は、この時の先生の手のぬくもりを思い出しながら、きょうも病魔と闘っている。
四国青年部と共に「紅の歌」を作られた先生は「徳島も歌を作ってはどうか」と提案。有志が急ぎ作成した歌詞を池田先生が推敲してくださり、徳島県愛唱歌「愛する徳島」が誕生した。
「功徳の舞いは 徳島に」
「五万の同志に 歓喜あり」
「いざや徳島 いざや立て」
坊主による学会攻撃の嵐の中、歯を食いしばって耐え忍んだ徳島の学会員。そのけなげな信心をたたえ、一緒に立ち上がろうと呼び掛けられる師の慈愛を知った同志の胸に歓喜の波動が広がった。そして、今度は自分自身が師の心をわが心として"周囲を希望で照らす灯台"になろうと、悩める友を励ましてきたのだ。

◇創価の花園に爛漫と咲き薫る功徳の花々
同志の「抜苦与楽」の実践によって、蘇生したメンバーは数知れない。
漁師の家に嫁ぎ、自閉性障がいの息子を育てる婦人に、試練が襲ったのは15年前のこと。夫が操業中に事故で亡くなったのだ。婦人の心を癒やしたのは、同志の励ましだった。「今こそ、広布に生き抜いてきたご主人の分も祈り、頑張る時。みんなでお題目を送るから」との言葉を胸に立ち上がった。息子は絵画の分野で才能を発揮し、毎年のように個展を開催し、地元紙などにも取り上げられた。
"学校ではいつもひとりぼっち。本だけが友達だった"という女子高等部員の転機は、未来部の担当者の「ゲーテの本を読んでいるなんてすごい!」との言葉だった。「自分のことを認めてくれている人がいる」。そう感じた彼女は会合に参加するようになり、現在、女子部の輪の中で生き生きと学会活動に励んでいる。
幼いころに両親が離婚し、すさんだ青春時代を送っていた青年は、自分の将来を親身になって心配してくれる学会員にこれまで閉ざしていた心の扉を開き、勤行に挑戦。生活にかつてない充実感を感じるようになり、自ら進んで入会した。
学会員の家庭に生まれ育ったものの、定職に就くこともなく無気力に陥っていた男子部員は、先輩に誘われて「創価青年大会」に参加。同世代の仲間の姿に「自分もあんなふうに輝きたい」と決意し、仏法対話に挑戦。弘教を実らせた彼は語った。「これまでは、他人の人生など考えたこともありませんでした。それが、あの人にもこの人にも幸せになってほしいと本気で思える自分に変わったのです」。祈っていた就職も勝ち取った。
「抜苦与楽」の地道な戦いによって立ち上がった友が、今度は、自ら「抜苦与楽」の実践に取り組んでいく——。歓喜の連鎖によって、今、創価の花園に功徳と歓喜の花々が爛漫と咲き薫っている。
徳島指導、そして県愛唱歌「愛する徳島」誕生から35周年の佳節を刻む本年、目の前の友を励ます実践の積み重ねで、人間主義の連帯を大きく広げていきたい。

◎キルギス共和国のウズゲン工科教育大学からSGI会長に名誉博士号(366番目)