どうすれば
皆が喜び安心するか。
日々祈り、心を砕け!
人間味あふれる
誠実のリーダーたれ!
御義口伝巻下 P762
『功徳とは六根清浄の果報なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり、されば妙法蓮華経の法の師と成つて大なる徳有るなり、功は幸と云う事なり又は悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり』
☆四季の語らい
「信念の人生」とは、正義のためならば、何と言われようが、どんな迫害を受けようが、屈しない人生である。「信念に生き抜いた人」が、最高の人格者である。不滅の価値、不滅の光を後世に残していける。
☆女性に贈ることば 三月二十日
家庭がつねに明るく健康であるためには、たゆまざる価値創造が必要だと思う。一曲の音楽が、家庭を楽しい音楽会場にもするし、子どもの描いた一枚の絵が、家庭を美しい展覧会場にもする。
☆今日のことば365 三月二十日
宗教は、単に個人の「心」の枠に閉じ込められたものではない。広く社会に流布した宗教は、それ自体、すでに社会の基盤を形成しているのだ。
☆全国で春季彼岸勤行法要
来る20日は「春分の日」、彼岸の中日にあたる。この日を中心に、「創価学会春季彼岸勤行法要」が全国の主要会館、墓地公園、納骨堂等で実施される。
法要では、厳粛に勤行・唱題し、広布の途上で亡くなられた全同志、家族・親族・友人・先祖の三世永遠にわたる福徳と安穏を祈念する。
仏教では、迷いに満ちた現実世界を「此岸」に、そして仏道修行によって得られる覚りの境涯を「彼岸」に譬える。
日蓮大聖人の仏法では、成仏の根源の法である南無妙法蓮華経を唱え、広布に生き抜くことで、この一生のうちに彼岸に到る、すなわち覚りの境涯を開くことができると教えている。
妙法を行ずる功徳・善根は、自身だけにとどまらない。そもそも「回向」とは、自身の功徳・善根を他者に「回らし向ける」ことである。
「御義口伝」に『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』(P712)とある。南無妙法蓮華経と唱える唱題こそ最高の追善回向である。
たとえ故人が生前に題目を唱える機会がなかったとしても、題目の功力は故人に届く。
片や、日顕宗の"塔婆を立てなければ追善回向にならない"などの主張は、御書のどこにもない全くの邪義である。
彼岸の時期、"寺に来ないと故人が成仏しない"などと迫って、供養を目当てに1人暮らしの創価学会員らを狙う日顕宗の輩は断じて許してはなるまい。供養する側にとっても、謗法への供養は堕地獄の因となる。
大聖人は、夫・南条兵衛七郎を亡くした上野尼御前に、仏法の眼から見れば亡き夫は霊山浄土で尼御前らを見守っていること、また妙法を持った亡き夫は生きている時は「生の仏」、亡くなってからは「死の仏」であり、生死共に仏であることを教え、励まされている(P1504、趣意)。
池田SGI会長は、東日本大震災から5年となる今月11日付の本紙の随筆でつづっている。
「亡くなった家族や友人の遺志を受け継ごうと、ひたぶるに御本尊に祈る中で、切れず離れず、生死を超えて共にあると、私たちは深く感じ取ることができる」と。
自他共の幸福のために、故人への最高の追善のために、広布の大道を進む自らの尊い使命を確信し、さらなる前進を誓い合いたい。