2016年3月4日金曜日

2016.03.04 わが友に贈る

今の課題は何か。
綿密な打ち合わせが
勝利への鍵だ!
活動の焦点を明確に
心を合わせて進め!

開目抄上 P192
『仏法を学せん人知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をいたすべし』

☆四季の語らい
波瀾万丈の苦労をしてこそ「人間」はできる。苦労もせず、思い通りにいけば、よいように思えるかもしれないが、結局は、傲慢で小さな人間になってしまうものだ。やりづらくとも、耐えて、努力し、乗り越えていく。その積み重ねのなかで「人格」はできる。

☆女性に贈ることば 三月四日
大切なことは、相手に同情する−−あわれむ−−ということではなくて、わかってあげることです。理解することです。人問は、自分のことをわかってくれる人がいる、それだけで生きる力がわいてくるものです。

☆今日のことば365 三月四日
最後の勝利者が
 真の勝利者というならば
  君の今日の労苦は
   栄光の第一歩と思うことだ

☆「御書活動者会」研鑽のために 3月度男子部 佐渡御書
『鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし』(P958)

◇通解
鉄は鍛え打てば剣となる。賢人・聖人は罵られて試されるものである。

◇背景と大意
本抄は、1272年(文永9年)3月、日蓮大聖人が佐渡・塚原で認められ、門下一同に与えられたお手紙である。
前年9月の「竜の口の法難」の後、大聖人は佐渡に流罪された。一方で、迫害の手は門下にも及び、弟子たちは投獄・所領没収などに処された。その中で、「大聖人が法華経の行者であるなら、なぜ大難に遭うのか」等の疑念を抱き、厳しい迫害を恐れて退転する者が続出したのである。
大聖人は、難に動揺する弟子たちを案じられ、文永9年2月に御自身が末法の御本仏であることを示された「開目抄」を門下一同に与えられた。本抄は「開目抄」の趣旨を要約して示された御抄とも拝される。
本抄で大聖人は、御自身が広布に戦い抜く誓いを示しながら、心ある門下が今こそ信心の団結を貫いて困難を乗り越えていくよう強調されている。

◇解説
法華経には、末法の法華経の行者に「三類の強敵」が現れ、「悪口罵詈(悪口をいわれ、罵られる)」「刀杖瓦石(刀や杖で打たれ、土塊や石を投げつけられる)」などの難が競い起こると説かれている。この経文の通り、日蓮大聖人には佐渡流罪をはじめとする数々の迫害が襲いかかった。
今回の拝読御文の前で、大聖人は不軽菩薩の「其罪畢已(其の罪は畢え已って)」の法理を通して、迫害に遭うのは"過去世からの罪業のゆえである"と仰せである。そして、その罪業を消滅し、幸福を勝ち取る宿命転換の方途を「鉄」の譬えを用いて示される。
鉄は高温の炎で熱され、何度も何度も打たれることによって不純物が取り除かれ、強じんな鋼となる。
同様に、法華経の行者も、信心根本に難に立ち向かうことによって、生命が鍛えられ、「宿命」を「使命」へと転ずることができると教えられている。
ゆえに、試練や逆境に直面した時こそ、自らを鍛える"最大のチャンス"と捉え、ますます信心を強盛にしていくことが肝要である。
また大聖人は、一つずつ現れるはずの大難が一時に集まり起こった理由について、強く法華経の敵を責めたからであると仰せである(P960、趣意)。民衆を不幸に陥れる誤った思想から目を背けず、徹底して破折されることで、あえて呼び起こした宿命を一挙に転換し、金剛不壊の御境涯を築かれたのである。
この大聖人の御闘争に寸分違わず、広宣流布の大願を起こし、あらゆる難を勝ち越えたのが創価三代の会長である。
また、仏意仏勅の創価学会には、"庶民を苦しめる悪とは、断じて戦い抜く"との破邪顕正の精神が、脈々と流れ通っている。
「烈々たる破折の魂、破邪顕正の精神こそ、日蓮大聖人の仏法の生命である。いかに時代が変わろうとも、この根幹は、いささかたりとも変わってはならない。ここに、学会精神の真髄がある」と池田SGI会長は語る。
私たち男子部も今、庶民をさげすむ軽はずみな風潮や愚劣なデマを見破りながら、一人一人が仏法の素晴らしさを語り抜く折伏行に挑戦している。その中で、相手から無理解の言葉や心ない批判を受けることもあるだろう。
しかし、それに屈せず、堂々と正義を語り抜く中に、自身の鍛えも、人間革命もある。
ゆえに「難こそ誉れ!」との精神で、対話拡大に果敢に挑戦し、何ものにも揺るがない確たる自己を築いていこう。