2016年3月31日木曜日

2016.03.31 わが友に贈る

先手は勝利。
後手は敗北。
未来を見つめ
迅速に行動を!
敢然と活路を開け!

四条金吾殿御返事 P1121
『法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり、然れば日蓮賎身なれども教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来れり、此れを一言もそしらん人人は罪を無間に開き一字一句も供養せん人は無数の仏を供養するにもすぎたりと見えたり』

☆四季の語らい
"あの人は、もう山を越してしまった"と言われるような「過去の人」になってはならない。そのためには、いよいよ謙虚に学び、いよいよ真剣に成長し、いよいよ友情を結び、広げていくことを忘れないことだ。とともに、「ありがとう!」と、皆に声をかけていく感謝の人生でありたい。

☆今日のことば365 三月三十一日
子どもたちへの無関心は、放任に通じる。
親同士も声をかけあい、互いに子どもたちの成長を見守るように心がけたい。

☆今日のことば365 三月三十一日
純粋に、利害も捨て、名誉も捨てて進む、青年のみが、私は大好きだ。ここにのみ、建設の源泉がある。

☆仏法の教え 仏縁の拡大
〈Q〉下種について教えてください。
〈A〉あらゆる人の生命に具わっている仏性を輝かせていく"触発の実践"です。
『仏種は縁に従って起る是の故に一乗を説くなるべし』(高橋殿御返事、P1467)

仏法では、仏が衆生を成仏へと導く過程を、"稲などの種を下し、成熟させ、収穫する過程"に譬え、「下種・調熟・得脱」という段階があると説きます。
「下種」とは、人々に成仏の因となる妙法を説き聞かせること、「調熟」とは、成仏の因が衆生の生命のなかで育ち、成熟すること、「得脱」とは仏の境地を得ることをいいます。
本来、万人の生命に仏性が具わっていますが、ほとんどの場合、迷いの汚れに覆われています。
『仏種は縁によっておこるものです。それゆえに一乗の法(法華経)を説くのです』(P1467、通解)
妙法を説く「下種」によって、その仏の生命を発動させ、輝かせていく——。私たちの「下種」は、相手の仏性を開く触発の実践にほかなりません。
「人の心は、他者との触れ合いという『縁』によって、大きく変わることができる。足取り軽く、友のもとへ行こう! 語ろう! 動けば、何かが変わる。直接、会えば心が近づく。誠実に語れば、一歩、強い絆が生まれる。気どらず、気負わず、誠心誠意の対話で、友の心を開拓していけばよいのだ」(『随筆 幸福の大道』)

〈Q〉対話をしても理解せず、かえって反発する友人もいますが……。
〈A〉相手が幸福境涯を開く因となることは間違いありません。
『「以何令衆生・得入無上道」の御心のそこ順縁・逆縁の御ことのは已に本懐なれば暫くも持つ者も又本意にかないぬ』(持妙法華問答抄、P467)

私たちが、日々、読誦している法華経の自我偈の中に「以何令衆生 得入無上道」とあります。この一節について、日蓮大聖人は次のように教えられています。
「『なんとしても、衆生を無上道に入らしめ(速やかに仏身を成就させたい)』との御心の底、順縁・逆縁の者も共に救おうという御言葉は、まさに仏の本懐であるから、少しの間受持する者もまた本意にかなうのです」(P467、通解)
順縁とは、教えを聞いて従順に仏道に入ることを、逆縁とは、反発がかえって仏道への縁となることを意味します。
仏の願いは、順縁の人はもとより、逆縁を結んだ人をも救っていくことであり、私たちが持っている仏法には、一切衆生を救済する功力があるのです。
『法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり』(同552)
対話をしても理解を示さず、かえって反発する友人もいるかもしれませんが、相手の反応に一喜一憂する必要はありません。
一人一人の仏性を信じ抜いて、誠実にこの仏法の素晴らしさを語っていく。その心が、いつかは必ず、友の心に届き、幸福境涯を開く因になることは間違いありません。

〈Q〉仏法を語っていく勇気が、なかなか湧きません。
〈A〉挑戦すること自体が、仏の振る舞いにほかなりません。
『法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり』(四条金吾殿御返事、P1121)

法華経法師品に「能く竊かに一人の為にも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」(法華経P357)とあります。
私たちの仏法対話は、仏の使い(如来の使)として、仏の振る舞い(如来の事)を実践する尊い行為です。
『法華経を一字一句でも唱え、また、人にも語っていく人は教主釈尊の御使いです』(P1121、通解)
『(法華経の)一句でも人に語る人は、如来の使いであると説かれています』(P1448、通解)
勇気を奮い起こして目の前の一人に、ほんの少しだけ仏法の話をしたとしても、それは「仏の振る舞い」にほかならず、功徳は計り知れません。
私たちの仏法は、一人の人間の無限の可能性を説き、万人が何ものにも揺るがぬ幸福境涯を開いていける方途を教えています。ゆえに「下種」は、世間一般のいかなる善行よりも、人間として尊い行為なのです。
日蓮大聖人は、弟子たちに『力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし』(P1361)と呼び掛けられました。一人一人と仏法対話に挑戦していくことこそ、「教主釈尊の御使」の実践なのです。

〈智慧の扉〉 多生の縁
「袖振り合うも多生の縁」ということわざは、袖がちょっと触れ合った程度の関係でも、前世で結ばれた縁である、という意味で使われています。
「多生」とは多くの生を受けること、いくたびも生まれ変わることを言います。つまり、仏法では、永遠の昔から、無数の生死を繰り返してきたのが、私たちの生命であるととらえ、その過去世において結んだ"縁"が、今生において結実しているのだという意味です。
新たな出会いの多い年度の節目。さまざまな人との触れ合いも"過去世からの深い因縁があってのこと"と受け止め、大切にしていきたいものです。

2016年3月30日水曜日

2016.03.30 わが友に贈る

転入した友を
温かく迎えよう!
皆が大切な創価家族だ。
真心の励ましで
希望の前進を共に!

唱法華題目抄 P16
『法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず』

☆四季の語らい
自発の心は美しい。自発の心に福運の因もある。人に言われて、いやいやするよりも、自発・能動で動けば、福徳は加速度をつけて増していく。

☆今日のことば365 三月三十日
若き日の悲運を耐え抜いて、人の何倍も苦労を重ねた分、人の何倍も豊かな人生を送ることができる。

☆今日のことば365 三月三十日
社会には、勝つ人もいる。敗れる人もいる。運、不運は計りしれない。しかれども、勝っても、永久にその歓びは続くものではない。一時負けても、自覚のある人は、勝者以上に、より高く、広く、深く、将来の、偉大さを、築きゆけるものだ。永久に、敗れざる限り、次への一歩一歩の、勝利を確信して生きぬくことだ。

☆「御書活動者会」研鑽のために 4月度男子部 法蓮抄
『餓鬼は恒河を火と見る・人は水と見・天人は甘露と見る、水は一なれども果報にしたがって見るところ各別なり』(P1050)

◇通解
餓鬼は恒河(ガンジス河)を火と見、人は水、天人は甘露と見る。水は一つのものであるが、果報にしたがって見方はそれぞれ別なのである。

◇背景と大意
本抄は1275年(建治元年)、日蓮大聖人が54歳の時に身延で認められ、下総国葛飾郡曾谷郷(現在の千葉県市川市)の領主であった曾谷教信という門下に与えられたお手紙である。
曾谷教信は「竜の口の法難」「佐渡流罪」という最大の法難の渦中にあっても動揺することなく戦い抜いた。その信心を称賛された大聖人は、教信を「法蓮上人」と呼ばれている。
本抄は、教信が自分の父の十三回忌にあたり、御供養とともに、父の追善供養の時に読み上げる文を大聖人に送ったのを受け、その孝養の心をたたえ、種々、御指南されたものである。

◇解説
今回学ぶ御文の直前で、大聖人は『法華経の文字は皆生身の仏なり我等は肉眼なれば文字と見るなり』(P1050)と仰せである。
凡夫には文字としか見えないが、法華経・寿量品の自我偈の五百十字は、そのまま五百十の仏となって亡き父を訪ね助けるだろうと、大聖人は曾谷教信を大激励されている。
拝読御文では、涅槃経の経文から、渇きを癒やすはずのガンジス河(恒河)の水も、欲望に支配された餓鬼界の衆生には火に見えるとの例えを引用されている。
さらに、ガンジス河の水は、人間として平穏な心で見れば、そのまま水と見え、喜びに満ちた天人には甘露(=不死の飲料)に見える、と述べられている。
私たちが毎日、朝晩に読誦している自我偈。その一つ一つの文字は、凡夫にはただの文字にしか見えない。しかし、仏眼で見れば一文字一文字が仏なのである。
その見え方の違いは「果報」による。果報とは、過去世の行いによる「結果」と「報い」のこと。過去のさまざまな振る舞いは、全てが自身の生命に刻まれる。それが境涯の違いとなる。
だが、一人一人の境涯は変えていくことができる。『今法華経・寿量品を持つ人は諸仏の命を続ぐ人なり』(同P)と大聖人が仰せのように、凡夫であっても自行化他の仏道修行に励んでいくならば、仏の生命を涌現し、境涯を高めていけるのだ。
自身の境涯によって物事の見え方が変わる——それは多くの同志の実感でもある。
ある男子部員は職場の環境に悩み、"なぜ、自分ばかり仕事量が多いのか"と、不満を抱えながら仕事をしていた。
しかし、男子部の先輩から励ましを受け、"自分の心一つで環境は変えられる"と決意。勤行・唱題を実践し、学会活動にも挑戦する中で、"仕事が楽しい"と感じられるようになった。
彼を取り巻く職場の状況が、劇的に改善されたわけではない。変わったのは、彼の心である。彼は、仕事と学会活動の両立を真剣に考え、時間の使い方を工夫するようになった。また、多い仕事量も"自分が期待されている証しだ"と、前向きに捉え、仕事に取り組むようになった。

池田SGI会長は語っている。
「人生の目的は何か。それは『幸福』である。幸福の決め手は何か。それは『境涯』である。同じ環境にあっても、その人の境涯によって、幸福ともなり不幸ともなる。そして、信心とは、自身の境涯を限りなく広げ続けゆく『自己拡大作業』である。その根本は唱題である」
新年度の出発に際し、環境の変化に直面する人も多いだろう。慣れない人間関係など、思わぬ苦難に直面することもあるかもしれない。そんな時こそ、「自分が成長すれば必ず状況は変わる」との強き一念で御本尊に祈り、全てに挑戦していきたい。勝利への力は、わが胸中にあると確信して!

2016年3月29日火曜日

2016.03.29 わが友に贈る

広布の誓願を貫けば
苦難を恐れない心
魔性を打ち破る力が
わが生命に涌現する。
不退の心で大躍進を!

撰時抄 P265
『仏の御使として南無妙法蓮華経を流布せんとするを或は罵詈し或は悪口し或は流罪し或は打擲し弟子眷属等を種種の難にあわする人人いかでか安穏にては候べき』

☆四季の語らい
人を尊敬する人は、人からも尊敬される。人に慈愛を注ぐ人は、自分も人から守られる。環境とは、根本的には「自分の姿が映った」結果なのである。だれが、本当に偉い人か。確固たる哲学をもち、大地に足をつけ、誠実な対話で「人間と人間の連帯」をつくっていく。その人は偉大である。「民衆の中で揺るぎない信頼を得た人」が、偉い。

☆今日のことば365 三月二十九日
人生はまず、「どんな困難も乗り越えてみせる」「小さな自分の殻を破ってみせる」という気概をもつことだ。そこから、いつさいが開けていく。

☆今日のことば365 三月二十九日
君のとつとつとした
 真実の雄弁は
  誰人もほめることはないだろうが
 胸を打たずにはおかない

☆御書の解説 2016.03.26
Q どうやって地区の目標を立てればいいですか?
A 皆が決意できるよう、一緒に考え、励まそう

「地区リーダー」に任命された伊藤くん。目標を立てるにあたって……。
伊藤くん う〜ん、悩むなあ。
小林男子部本部長 どうしたんだい?
伊藤 先輩から、対話や人材拡大の「目標」を立てるように言われたんですけれど、仕事のノルマみたいになるから苦手なんですよね……。
小林 なるほどね。僕も地区リーダーになった時、そう思ったよ。
伊藤 小林さんもですか?
小林 でも、今は違うけどね。ねえ伊藤くん、対話拡大も人材拡大も、「何のために」やると思う?
伊藤 そりゃあ自分の人間革命のためとか、みんなの幸福のためとか、世界の平和のためとか……。
小林 そうだね。つまり広宣流布こそが学会活動の「目的」なんだ。それは日蓮大聖人の『願くは我が弟子等・大願ををこせ』(P1561)、『大願とは法華弘通なり』(P736)等の御遺命を受け継いだ、尊い実践でもある。
伊藤 確かに。
小林 その崇高な目的に向かって一人一人が進んでいくために、一つの到達点や指標として掲げるのが、拡大の「目標」なんだよ。
伊藤 「目的」と「目標」は違うんですね。
小林 御書には、『一丈の堀を越えられない者が、どうして十丈・二十丈もの堀を越えることができるだろうか』(P912、通解)と仰せだ。「人間革命」や「広宣流布」という大きな「堀」を越えるためには、一人への勇気の対話や、一人への渾身の励ましを避けては通れないだろう?
伊藤 確かに。それに地区の皆で一つ一つの堀を越えていけば、その中で達成感や、喜びも得られますよね。
小林 目標は与えられるものではなく、主体的に、自ら決めるものだよ。部員さんにも「その目標なら頑張れそうだ!」と元気になってもらえるように、一人一人に寄り添い、共に考え、励ましてあげてほしい。
伊藤 そのためにも、まず自分自身が決意して、目標に挑戦する姿を示していこうと思います。
小林 池田先生は「目標があること自体が発展の道であり、勝利への道につながる」とつづられている。さあ、喜び勇んで進もうよ。目標の達成に至るまでの人間革命のドラマや、共に戦う中で強くなる励ましの絆を、思い描きながら。

2016年3月28日月曜日

2016.03.27 わが友に贈る

地震の弱さに勝つ人が
真の勝利者だ。
わが目標へ向かって
一歩でも前進を!
新たな歴史をつくれ!

上野殿御返事 P1512
『もし此の事まことになり候はばわが大事とおもはん人人のせいし候、又おほきなる難来るべし、その時すでに此の事かなうべきにやとおぼしめしていよいよ強盛なるべし』

☆四季の語らい
誠実にまさる力はない。信頼と福徳が、そこに生まれる。信仰者とは、最高に誠実な人の異名である。

☆今日のことば365 三月二十七日
地上にひとつの太陽が昇れば、万物はエネルギーを受けることができる。
同じように、家族のなかで、自分が太陽となれば、その光で周囲を照らしていくことができる。

☆今日のことば365 三月二十七日
人間の奥行きと広がり、これを別の観方からいえば、その人の世界といい得るであろう。その人の持ち合わせている世界の境界線が、どれほどの奥行きと、広がりをもっているか----ここに人間の魅力の最も根本的な要因があるように思われるのである。

☆御書と歩む 第8回 人間王者の凱旋の道を!
『法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし、三類はすでにあり法華経の行者は誰なるらむ、求めて師とすべし一眼の亀の浮木に値うなるべし』(開目抄、P230)

◇通解
法華経の行者がいれば、必ず三類の怨敵が現れる。三類の怨敵は、すでにいる。法華経の行者は一体、誰だろうか。探し求めて師とすべきである。(法華経の行者に出会うことは)一眼の亀が浮木にあうようにまれなことである。

◇同志への指針
日蓮大聖人の仰せ通り、現代において、三類の強敵と戦い、難を受けてきたのは、誰か。創価の師弟である。創価学会しかない。
我らには、不惜身命を貫き通す誇りがある。正義の師弟の道に徹しているからこそ、一閻浮提広宣流布を成し遂げることができたのだ。
威風堂々と胸を張り、人間王者の凱旋の道を朗らかに歩み抜こう! 世界の友と!

2016.03.28 わが友に贈る

◇今週のことば
対話拡大の要諦は
「よく聴く」こと。
耳を傾ける誠実から
信頼と友情が広がる。
言論戦の賢者たれ!
2016年03月28日

兵衛志殿御書 P1095
『あはれ平の左衛門殿さがみ殿の日蓮をだに用いられて候いしかば、すぎにし蒙古国の朝使のくびはよも切せまいらせ候はじ、くやしくおはすらなん』

☆四季の語らい
「信義」には、あくまでも「信義」で応える。「真心」には、どこまでも「真心」で報いる。この「人間の道」が「仏法の道」である。

☆今日のことば365 三月二十八日
智慧は慈悲から生まれる。
慈悲は勇気から生まれる。
勇気が慈悲に通じ、さらに智慧に通ずるのだ。

☆今日のことば365 三月二十八日
優柔不断を 包容と錯覚してはならぬ
卓越した決断力が
 そこにあってこそ
  独自の光輝を発するからだ

☆新時代を創る 第10回 限界の壁を破るのが青年
先日(20日)、青年時代からよく通った懐かしい文京区内を車で回り、文京文化会館を視察した。また、この日、伸びゆく未来部の希望コンサートが同区内で行われていることも、うれしく伺った。
未来は青年で決まる。
戸田先生は叫ばれた。
「科学も、文化も、教育も、政治も、経済も、すべて人間の手に取り戻して、人類の幸福と平和の糧とすることだ。ここに創価学会が果たすべき使命がある。仏法の社会的行動がある」
この心のままに、青年部が日本中へ、アジアへ、世界へと大きく友情を広げている。本当に頼もしい。
時代を創るものは、常に青年の熱と力なのである。

青春時代は、失敗も財産だ。苦労が宝になる。うまくいかなくても、くよくよせず、また挑戦すればいい。「当たって砕けろ」の心意気で、勇気を持って、臆さずに挑むのだ。
何事も、思い切りやってみて、場数を踏めば、最初は素人でも、やがて達人になる。充実が生まれ、喜びが湧き上がる。限界の壁を破るのが、青年の特権だ。
変毒為薬の信心である。苦難からも価値を創造できる。苦労をいとわぬ広布の大闘争が、大功徳を生み、大境涯を開くのだ。
御書に『妙法蓮華経の五字を唱うる功徳莫大なり』(P13)と仰せである。一遍の題目を唱える功徳でも無量無辺である。全てに勝ちゆく根本は、題目しかない。題目をあげて、朗らかに、戦っていくことだ。

青年部は一人も残らず、地涌の菩薩だ。私は、そう確信して、若き陣列で世界平和の道なき道を開いた。
たとえ遠くとも、奮闘する同志がいれば、そのもとへ行こう! 「いつか」ではない。「今」を逃して、いつ行くのか!——こういう思いで全精魂を注いだ。
婦人部・壮年部の皆さんは、いずこにあっても、青年部をわが子のように、弟・妹と思って応援し励ましてくださっている。
会いに行く。一緒に祈る。一緒に動く。一緒に語る。その中で、人は育つ。新しい人材が躍り出てくる。
いよいよ対話拡大の春だ! 青年と共に、青年の心で飛び出そう! 永遠の歴史に残る大勝利の創価桜の道を開こうではないか。

2016.03.26 わが友に贈る

行動の春本番!
大きく動き語り
仏縁を広げよう。
絶対無事故を心掛け
有意義な一日一日に!

上野殿御返事 P1546
『臨終に南無妙法蓮華経と唱えさせ給いける事は一眼のかめの浮木の穴に入り天より下いとの大地のはりの穴に入るがごとし、あらふしぎふしぎ』

☆四季の語らい
何事も、見えない土台が大切である。植物の根っこは、目に見えないところで、全体を支え、守り、全体に活力を送り、栄えさせている。それだけではない。根っこは周囲の環境をも変える。自分が根を張ったその場所の「土壌」をも豊かにしていく。松の木などのように、硬い岩場でもくい込んで育っていく木がある。その根っこは、生長しゆく強い圧力で、少しずつ岩を砕いていく。
また根っこは、盛んに呼吸をして炭酸を出したり、酸を分泌して、溶けにくい鉄などの成分をも徐々に溶かしてしまう。そうやって硬い岩石をも突き崩し、土に変えていくのである。

☆今日のことば365 三月二十六日
恩を知り、恩に報いていくことが、人間の歩むべき道である。
親を愛し、親に心の底から感謝できるようになっていくことが、人間としての深まりであり、成長の証と言ってよい。
そのように人間として成長していってこそ、自らもよい親となり、和楽の家庭を築いていける。そうした心が、子育てにも大きな影響を与えていく。

☆今日のことば365 三月二十六日
たとえ苦手な科目があったとしても、自分の輝かしい未来を築くための勉強、財産だと思って、真剣に取り組んでいくことが大切です。

☆新時代を創る 第9回 さあ今日も使命の最前線へ
春季彼岸勤行法要に当たり、私も、ご尊家の亡くなられたご家族の方々、そして広宣流布に連なる全ての故人と先祖代々の追善回向を懇ろに行い、三世永遠にわたる安穏と福徳を心から祈念させていただいております。
御義口伝には『題目の光無間に至りて即身成仏せしむ』(P712)と仰せである。
全国の主要会館や墓地公園等で追善の祈りを捧げる意義も計り知れない。
日蓮仏法では「常彼岸」である。私たちは、日々の勤行でも追善回向を行っている。広布に走る無量無辺の大功徳を、一家眷属へ、一切衆生へと回らし向けていけるのである。

50年前(1966年)の3月、壮年部の結成式で、私は「勇気」の信心で戦おうと訴えた。翌日、その先頭に立って、南北アメリカへ広布旅に出発した。
軍事政権下のブラジルで、悪意や偏見にも、誠意を尽くして対話した。一人一人の青年を励まし、隣国アルゼンチンから駆け付けた同志も抱きかかえて迎えた。初訪問のペルーでも、けなげな地涌の友と不退の前進を約し合った。
その時に蒔いた黄金の種が、半世紀を経た今、幸福と勝利の大樹となって林立している。北米・南米でも、創価の平和・文化・教育の連帯は、揺るぎない信頼を勝ち得てきた。
大事なことは、勇敢に動くことだ。眼前の一人を大切にすることだ。確信を込めて語り切ることだ。

戸田先生は、苦難に挑む後継の友に語られた。
「永遠の生命から見れば、苦しい時期といっても、瞬間のようなものである。最後まで、しっかり頑張りきってごらん。必ず結果が出るよ」と。
師弟不二の祈りと戦いは無敵である。
日蓮大聖人は、『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ』(P1190)と仰せだ。
3・16を正義の拡大で勝ち飾った青年の師子の陣列も頼もしい限りである。
さあ、きょうも、使命の最前線へ! 互いの健闘を讃え、励まし合って前進しよう。
広布の旗を掲げて立ち上がれ! 粘り強く大勝利の人生を! 尊き同志を諸天よ護れ!と私は毎日、懸命に祈っている。

2016年3月25日金曜日

2016.03.25 わが友に贈る

どんな小さな約束も
誠実に果たそう!
その積み重ねが
大きな信頼を生む。
大事を成す力となる。

西山殿御返事 P1474
『いかにも御信心をば雪漆のごとくに御もち有るべく候』

☆四季の語らい
使命に目覚めよ。そこから、新しい時代、世紀の建設が始まる。使命に生きよ。そこに、最高に価値ある人生の創造が生まれる。わが使命を果たしゆくなかに、人間の人間たる深い生命の脈動が流れる。

☆今日のことば365 三月二十五日
大事なのは、忙しさに負けないこと。心が負けないことです。

☆今日のことば365 三月二十五日
独創的才能をもち、無限の英知をもつことができたとしても、身体が健康でなかったならば、その人生は無に帰してしまう。未来のどんな苦難にも耐えうる、怒濤を越え山をも抜くだけの身体を鍛えてもらいたい。

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 経王殿御返事�
◇本抄について
本抄は、文永10年(1273年)8月、日蓮大聖人が流罪先の佐渡・一谷から鎌倉の門下に宛てて送られたお手紙です。四条金吾宛てと伝えられてきましたが、詳細は不明です。この門下の娘・経王御前が病気を患いますが、本抄は、その報告に対する御返事です。

◇御文
『但し御信心によるべし、つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼうたるべし』

◇通解
ただし、信心によるのです。剣なども、進まない人のためには何の役にも立ちません。法華経(御本尊)の剣は、信心の強い人が用いてこそ、役に立つのです。まさに鬼に金棒なのです。

◇解説 勇気ある実践が不可能をも可能に
「但し御信心によるべし」——「信心」こそ、一切の勝利の源泉です。
本抄の前半で日蓮大聖人は、御本尊について、これまで誰も顕したことのない本尊であり、そして、御本尊に向かって題目を唱える時、いかなる病苦や障魔も打ち破ることができると教えられています。
そのうえで、こうした御本尊の偉大な功力を引き出すのは、御本尊を拝する人の信心であると述べられます。
このことについて大聖人は、剣を例に挙げながら「法華経(御本尊)の剣」は信心の強い人が用いてこそ役に立つと教えられています。
私たちは「法華経の剣」によって、不幸の根源である無明(=生命の根本的な迷い)を断ち切り、確かな幸福境涯を開いていくことができます。しかし、どんなに立派な剣でも、使う人が臆病であっては役に立ちません。
大聖人は、「法華経の剣」は「信心のけなげなる人」、つまり勇気ある信心の人が使ってこそ、鬼が金棒を持つように、より大きな力を発揮できると仰せです。
私たちの日々の信心の実践においても、勇気が肝心です。
目の前の課題や目標に向かって、「絶対に勝ってみせる!」との強盛な一念で御本尊に祈り抜き、勇気を奮い起こして行動する——この自らの信力、行力によって、御本尊の無量無辺の仏力、法力を引き出すことができるのです。
続いて大聖人は、御本尊について"日蓮の魂を墨に染め流して書き認めたものである"と仰せです。
大聖人は、竜の口の法難での発迹顕本の後、末法における万人成仏の道を開くための御本尊を顕されました。
大聖人は"日蓮の魂は南無妙法蓮華経以外のなにものでもない"と仰せです。御本尊は、妙法と一体の大聖人の生命そのものです。
私たちは、広宣流布を目指す信心を奮い起こして御本尊に題目を唱えていく時、仏の偉大な境涯を開くことができるのです。
この御本尊根本の信心を教えてくださったのが創価三代の師弟です。
池田SGI会長は、どこまでも御本尊根本の信心と「大聖人直結」「唱題根本」「御書根本」の実践で前進していくよう呼び掛けています。
広布誓願の祈りを根本に、仏縁を結ぶ対話に挑戦し、友情の絆を大きく広げていきましょう。

◇理解を深めよう 変毒為薬の仏法
拝読範囲に、『わざはひも転じて幸となるべし』(P1124)との仰せがあります。経王御前が病を患う中、日蓮大聖人は、こう仰せになって、病という災いを信心根本に幸福へと転換できることを教えられています。
仏法は「変毒為薬」を説きます。変毒為薬は、「毒を変じて薬と為す」と読みます。病気や生活苦などの苦しみを信心によって転換し、大功徳の生活を確立できることなどが、変毒為薬にあたります。
変毒為薬を可能とするのは、御本尊への強盛な信心です。
大聖人は冒頭の仰せに続けて、『心して信心を奮い起こして、この御本尊に祈念していきなさい。どのような願いでも、成就しないはずがありません』(P同、通解)と励まされています。
私たちも、厳しい宿命や試練に直面することがあるかもしれません。しかし、その時こそ信心を奮い起こして困難に立ち向かっていけば、宿命転換を果たして、確固たる幸福境涯を開いていくことができます。
池田SGI会長は、戸田第2代会長の次のような指導を紹介しています。
「大聖人の仏法は、逆境にある人が、幸せになる宗教なのだ。苦難にあった人ほど、それを乗り越えた時、すごい力が出るのだ」
悩み、苦しみがあっても必ず変毒為薬できることを確信し、広布の実践に励む中で御本尊根本の強盛な信心を築いていきましょう。

◇SGI会長の指針から
どんなに鋭い剣があっても、それを使う人が臆病であれば、何の役にも立たない。
大聖人は『法華経の剣は信心のけなげ(勇)なる人こそ用る事なれ』(P1124)と仰せになられた。
苦難に襲われたその時に、「勇敢な信心」「潔い信心」「勇猛な信心」「強盛な信心」があるかどうかだ。
(2008・12・29付、各部代表者会議でのスピーチ)

信心は、私たちの自行化他の実践の根幹です。また、人間革命、宿命転換の源泉であり、魔を破る利剣であり、立正安国・広宣流布の推進力です。これは、いかなる時代になっても変わりません。否、変わってはならない。絶対に失ってはならない創価学会の根本精神です。
(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第11巻、「日女御前御返事(御本尊相貌抄)」)

2016年3月24日木曜日

2016.03.24 わが友に贈る

季節の変わり目。
寒暖差に注意し
体調を崩さぬよう
聡明な生活を!
生き生きと健康第一で!

法華行者逢難事 P965
『各各我が弟子たらん者は深く此の由を存ぜよ設い身命に及ぶとも退転すること莫れ』

☆四季の語らい
人間の価値は、目に見える姿よりも、「魂の伊吹」が、どうかである。格好ではない。形だけの肩書でもない。信念である。その人の心がどうかである。行動がどうかである。

☆今日のことば365 三月二十四日
子どもは本来、伸びよう、成長しよう、という生命の勢いをもっている。何かのきっかけで、ぐんぐん伸びていくときの子どもの成長の速さは、まことに目覚ましい。
子育てとは、基本的には、この子どもの生命力の流れを正しく導き、成長をはばむものを取り除いてあげることではないだろうか。

☆今日のことば365 三月二十四日
公平な人になりたい。いや、陰の人、淋しい人、悲しんでいる人の味方でありたい。

☆御書の解説 「春季彼岸勤行法要」のために(2016年3月15日)
『法華経の題目をつねは・となへさせ給へば此の妙の文じ御つかひに変ぜさせ給い・或は文殊師利菩薩或は普賢菩薩或は上行菩薩或は不軽菩薩等とならせ給うなり、譬えばちんしがかがみのとりの・つねにつげしがごとく蘇武がめのきぬたのこえの・きこえしがごとく・さばせかいの事を冥途につげさせ給うらん、又妙の文字は花のこのみと・なるがごとく半月の満月となるがごとく変じて仏とならせ給う文字なり』(妙心尼御前御返事、P1484)

◇本抄について
本抄は身延におられた日蓮大聖人が、駿河(静岡県中央部)の妙心尼御前に送られたお手紙です。妙心尼が亡夫・高橋六郎兵衛の追善のために唱題に励んでいたことから、その信心をたたえられ、「妙」の一字の功徳を説かれています。
遺された妻の故人への思いや、この世に妻子を遺してきた故人の思いの両方を思いやられ、"生死を分けた世界を結ぶ絆は、南無妙法蓮華経以外にない"と教えられています。

◇「追善回向」の意義
日蓮大聖人は拝読御文で、妙心尼が常に唱えている「法華経の題目」こそ、冥土の亡き夫への使いとなるのだ、と教えられています。
大聖人は、「故人を思って南無妙法蓮華経と唱題すれば、『妙』の文字が使いとなって娑婆世界のことを告げ、故人の心を慰め、心を通わせていけるのです」と、大きく妙心尼を包み込まれています。
さらに、妙の文字は、花が実を結び、半月が満月となるように、必ず仏になると断言されています。
妙法には、いかなる距離や空間をも超えて、仏性を呼び覚ます力があります。南無妙法蓮華経と唱える響きは、宇宙に冥伏した死後の生命にも届きます。
また、過去の一切の諸仏・菩薩が妙法への信によって成仏の境涯を開いてきたように、私たち自身も地道な仏道修行で境涯を開き、絶大な功徳をわが身に具えることができます。その功徳を故人に回らし向けていくのが、「追善回向」です。
学会員は日々の勤行の中で必ず追善回向を行っています。大聖人が「自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし」(P1429)と仰せのように、追善回向の根幹は、私たち自身が御本尊を信じ、信心に励んでいくことにあります。
大聖人の御遺命である広宣流布へ行動しているのは学会員しかいません。そうした点では、私たちの日々の勤行・唱題こそ、故人に対する最高の追善回向なのです。

◇夫人への同苦と励まし
本抄は、妙心尼の夫・高橋六郎兵衛が亡くなって、ほどない時期に送られたお手紙だと推察されます。
妙心尼は、重病に倒れた夫を献身的に支えながら、日興上人を中心に弘教が進む駿河の地で、権力の迫害を恐れずに純粋な信心を貫きました。夫の闘病中、大聖人は幾度も夫妻に励ましのお手紙を送っています。
「このやまひは仏の御はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり」(P1480)との有名な一節も、その一つです。
大聖人は、夫の高橋殿が病気を契機に法華経への信仰心を起こしたことをたたえられ、その信心によって高橋殿の今世の罪障は消滅し、謗法の大悪も消えうせ、成仏は疑いないと、妙心尼を温かく激励されています。
また高橋殿が亡くなった後も、大聖人は本抄をはじめとしたお手紙を認め、悲嘆に暮れる妙心尼に励ましを送り続けられました。
ある時は、「昔から今に至るまで、親子の別れ、主従の別れとさまざまありますが、いずれもつらくない別れはありません。しかし、男と女の別れほどつらい別れはありません」(P1482、通解)と語り、2首の和歌を送られています。
その一つで大聖人は、「ちりしはな・をちしこのみも・さきむすぶ・いかにこ人の・返らざるらむ」(同P)と詠まれました。
「散った花、落ちた木の実も再び咲き結ぶのに、どうして死んだ人は帰らないのでしょうか」と、妙心尼の悲しみを代弁され、心に寄り添い、同苦された大聖人。この度重なる励ましによって、妙心尼は夫の死という悲しみにも負けず、信心根本に強く生き抜くことができたのでしょう。

◇SGI会長の指針から
日蓮大聖人は、御義口伝で明快に仰せになられている。
「今、日蓮と、その弟子たちが、亡くなられた聖霊を追善し、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱えるとき、題目の光が無間地獄にまで至って、即身成仏させる」(P712、通解)
この末法濁悪の現代世界にあって、大聖人の仰せ通りに、難を乗り越え、不惜身命で広宣流布に励んでいるのは、ただ創価学会の私たちだけである。
この私たちの唱える題目には、計り知れない大功力がある。それは、生きている人々はもちろん、亡くなった方々の生命にも厳然と通ずる。
その題目の光は、たとえ言語に絶する地獄の苦しみの生命であっても、赫々と照らして、必ず必ず即身成仏させることができると御断言なのである。
私たちの題目の響きには、それほどの力が込められているのだ。
御本仏の仰せは、絶対であられる。
この一点を大確信していくならば、いかに悲しい生死の別れがあろうとも、嘆きに沈むことはない。
生命は永遠である。三世にわたって、心を通わせていける。苦しみから救っていける。悲観や感傷をも超克しながら、「常楽我浄」の生命の旅を、ともに励まし、ともどもに歩んでまいりたい。(2008年9月26日付 秋季彼岸勤行法要でのスピーチ)

題目の力は、計り知れないほど大きい。私たちが唱える題目の"光明"は、全宇宙のすみずみにまで届き、無間地獄の境涯で苦しむ衆生をも照らし、即身成仏させていくのである。
「さじき女房御返事」には、「この功徳は、あなたの父母や祖父母、さらに無量無辺の衆生にも及んでいくでしょう」(P1231、通解)と仰せである。広布に生きる信心の偉大な功徳は、亡くなった人や、子孫末代にまでも伝わっていく。
真の追善は、妙法によるしかない。妙法の功力は、今世だけでなく、三世にわたって人々を救いきっていくからである。(『池田大作全集』第100巻)

2016年3月23日水曜日

2016.03.23 わが友に贈る

仏法は自身の使命を
開花させる原動力だ。
そのために 日々
心を磨きゆけ!
努力と挑戦を重ねよ!

御義口伝 P708
『南無妙法蓮華経の南無とは梵語妙法蓮華経は漢語なり梵漢共時に南無妙法蓮華経と云うなり』

☆四季の語らい
信念といっても、行動しなければ、結局は観念にすぎない。たゆみない行動によって、信念は、自分自身の血となり、肉となる。

☆今日のことば365 三月二十三日
意欲的に社会生活に参加している人は、年齢よりはるかに若々しい。また、ささいなことにも感謝の心をもてる人、人のために尽くそうとする人は、すがすがしく若々しい。

☆今日のことば365 三月二十三日
青春は人生の華である。若さの躍動であり、清純さの結晶である。激流のごとき熱情、未来をかける夢、絶対に妥協を許さぬ潔癖性----青春とはなんと魅力にあふれていることか。またなんと光輝に満ちみちていることか。限りなき未来を包む青春、一生は青春のなかにその花を開き、また生涯を飾りゆく基盤ができあがる。

☆御書と歩む 第7回 令法久住のバトンを託さん
『釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏菩薩・虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり』(諸法実相抄、P1360)

◇通解
釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏・諸菩薩が虚空会にあって、釈迦・多宝の二仏がうなずき合い、定められたのは別のことではない。ただ、ひとえに末法における令法久住のためである。

◇同志への指針
今、世界中で、青年が令法久住のバトンを受け継いでくれている。地涌の若人の躍動を、恩師もどれほどお喜びか。
三世十方の諸仏が集い来るのも、末法広宣流布を後継の人材に託すためである。
創価の師弟こそ、法華経の真髄の体現者だ。久遠の誓願に立ち返れば、無窮の力が湧く。さあ、共に尊敬し励まし合って、妙法の広布の旅路を進み征こうではないか!

2016.03.22 わが友に贈る

いかなる試練も
必ず乗り越えられる!
信仰とは不屈の力だ。
強情なる祈りで
わが胸に希望の旭日を!

新池御書 P1439
『うれしきかな末法流布に生れあへる我等かなしきかな今度此の経を信ぜざる人人』

☆四季の語らい
いくら絶望的な状況に置かれようとも、我が強靭なる「信心」「信念」は変わらない。勇気は壊れない。自分自身は、断じて揺るがない。私には、信心がある!誇りがある!使命がある!希望がある!それが、我が「財産」である!−−そう叫びきって、生きて生き抜くのが、まことの信仰者である。

☆今日のことば365 三月二十二日
部屋を片付けないと「なんて、だらしのない子!」 と言う。言うたびに、そういう否定的な自画像が子どもに刷りこまれてしまう場合がある。むしろ、「あなたなら、きれいにできるよ」と励ましてあげたい。

☆今日のことば365 三月二十二日
第一にも確信
第二にも確信
第三にも確信をもって
朗らかに逞しく すべてを建設していこう

☆創大・短大の卒業式への創立者のメッセージ
きょうは、光栄にも、私が心から敬愛してやまないチョウドリ博士ご夫妻が、バングラデシュのファティマ次期駐日大使とご一緒に、卒業生を祝福してくださり、これほどうれしいことはありません。
また、多くのご来賓の先生方が温かく見守ってくださり、厚く厚く御礼を申し上げます。

◇民衆の熱願に断固と応えよ
それは、1975年の3月でありました。
創価大学の第1回卒業式の席上、1期生の友と、私は約束し合ったことがあります。
「創価大学の一会(連帯)は儼然として未だ散らず」との心で、生涯、共々に前進しようと。
40星霜を経て、今、母校を厳然と担い立ってくれている馬場学長、田代理事長、またアメリカ創価大学の羽吹学長も、1期生であります。
そして、この草創の先輩方に勝るとも劣らない大情熱と団結をもって、新時代の創大・短大の建設に取り組み、見事な歴史を刻んでくれたのが、きょう、誉れ高く巣立ちゆく、わが創大42期生の皆さんであり、わが短大30期生の皆さんです。
本当にありがとう!
本当におめでとう!
とともに、世界17カ国・地域から勇み集って、学び抜いてくれた英才の留学生の皆さん、また通信教育部の皆さん、さらに大学院の皆さんに、その気高き「学は光なり」の努力を讃えて、私たちは祝福の大拍手を送りたいのであります。
全魂で薫陶に当たってくださった先生方、職員の方々、また大学を、陰で支えてくださっている皆さま方、誠に誠にありがとうございます。
力強く発展を遂げているキャンパスを訪れるたびに、私が思い起こすのは、大学の設立に当たって、汗と涙の浄財で応援してくださった方々のことです。
質素な生活の中から、「21世紀の世界の平和を築くリーダーを育成するために協力したい。戦争などで、尋常小学校もまともに通えなかった自分たちの分まで、思う存分に学んでもらいたい」と、あまりにも尊い真心を寄せてくださいました。その民衆の熱願に断固とお応えしゆくのが、私たちの使命であり、責務であります。
皆さんのご家族も、どれほど深いお心で、お子さん方を大学へ送り出してくださったことか。
本日、晴れて授与される学位記を、後ほど、皆さんから、お父さん、お母さん方に、最大の感謝と報恩の決意を込めて捧げ、美しい人生の劇を留めていただきたいと思いますが、どうだろうか(賛同の大拍手)。

◇人類の幸福へ情熱燃やして
きょうは、愛する皆さんへのはなむけとして、三つの指針を贈らせていただきたい。
第一に、「創価の世界市民として、一生涯、平和の価値創造を!」ということであります。
本日、お迎えしたチョウドリ博士が、20代の新進気鋭の外交官として奮闘されていた時、母国バングラデシュの独立戦争が始まりました。
若き博士は、あまたの市民のかけがえのない命が犠牲となるのを目の当たりにされ、また危難から逃れてきた難民の方々に寄り添われながら、どれほど心をえぐられる思いであられたことか。博士は、この悲劇を原点として、常に苦難に晒されて貧困に喘ぐ民衆の側に立って、闘い抜いてこられました。
人類の議会たる国連を舞台に、不屈の勇気で、まさしく人生を賭して、民衆の幸福のため、「戦争の文化」を大転換する新たな「平和の文化」を創出してこられたのであります。
チョウドリ博士と私との対談集で、一つの焦点となった課題があります。
それは、多くの青年は、学生時代は平和への理想に燃えているが、社会に出て働くようになると、いつしか視野が狭くなり、世界市民たらんとの熱意を失ってしまう——というジレンマでした。
博士と私とは、だからこそ、青年たちの心に人類貢献への信念と情熱の炎を、生涯にわたり赤々と灯しゆく人間教育が必要であると、深く一致したのであります。
私が深く感銘するのは、博士がいつでも、いずこでも、自ら「平和の文化」を若々しく体現され、青年一人一人を全身全霊で激励されながら、世界市民を育成されていることです。
どうか、皆さんも、永遠の青年たるチョウドリ博士のごとく、創価の世界市民の旗を高らかに掲げていってください。
そして、後に無数に続く後輩のためにも、いよいよ勇敢に忍耐強く、平和の価値創造に挑んでいただきたいのであります。

◇正義を貫く人に
第二に申し上げたいことは、「苦難を勝ち越えて栄光の叙事詩を綴れ!」ということです。
チョウドリ博士の故郷であるバングラデシュは、偉大なる詩聖ラビンドラナート・タゴールが「黄金のベンガル」と謳い上げた、麗しく豊かな大地です。
不滅の栄光に包まれたタゴールも、その人生行路は、波瀾万丈の試練との闘争でありました。
若き日は、画一的な学校教育になじめず、いわゆる"優等生"とは程遠い存在でした。
また、詩人として活躍を始めてからは、相次ぐ最愛の肉親の死に直面しております。
さらに、自らが設立した大学の資金を捻出するために、言うに言われぬ労苦を重ねました。
そのなかで、新たな境涯を開き、時代を超え、国を超えて、人類の心に、勇気と希望の光を贈る珠玉の詩歌を紡ぎ出していったのであります。
タゴールは明言しました。
「人間は現在を超えてさらに成長するために、またまだ存在していないものになるために、働きそして苦労を重ねている。この苦労の中に人間の栄光がある」(美田稔訳『タゴール著作集 第八巻 人生論・社会論集』第三文明社)と。
正義を貫き、苦難に遭い、それでも屈せずに、なお前進し続けていく——。
その人こそが勝ち綴ることのできる、宇宙の究極の法則と融合する栄光の叙事詩があるのです。
現実社会の荒波へ船出しゆく皆さんに、私が22歳、恩師・戸田先生の事業の最悪の苦境にあって、自分を励まし書き留めた一節を贈りたい。
「社会は、遊戯場ではない。いかなる、社会でも、時代でも、耐え尽くせる、自己を作ろう」と。

◇今いる場所でベストを尽くせ
第三は、「自分が今いる舞台で歓喜の勝利劇を!」ということです。
かつて、実現は絶対に不可能であろうと言われた「対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)」の成立に、民間人の立場で大きな貢献を果たしたリーダーに、ジョディ・ウィリアムズさんがいます。
バイタリティーに溢れた彼女は語っていました。
「毎朝起きるたび、好奇心いっぱいに『今日はどんなことをして世界を変えようか』と自問しています」(アンゲリーカ・U・ロイッター、アンネ・リュッファー著、松野泰子、上浦倫人訳『ピース ウーマン ノーベル平和賞を受賞した12人の女性たち』)と。
昨年、アメリカ創価大学に来学された折にも、「この世界をより良くするため、行動を起こそう」と学生たちに熱いエールを贈ってくださいました。
どうか、皆さんも、今いる使命の舞台で、「世界をより良く変えてみせる」との気概を秘めつつ、眼前の課題に自分らしく挑戦していってください。
「自他共の幸福」のためにベストを尽くしながら、断じて、歓喜の勝利劇を飾っていただきたいのであります。
何があろうとも、創立者は、皆さんの味方です。
学生と創立者の絆は、最極の「水魚の交わり」であり、最強なる「異体同心」の連帯であります。
私は、皆さんの健康と幸福と勝利を、一生涯、祈り、永劫に見守り続けてまいります。
どこまでも共に希望の前進を続けゆく不二の命の皆さんに——

永遠に
 勝利の誓いの
  君と我
 生命の讃歌で
  地球を包まむ

と贈り、お祝いのメッセージといたします。
わが愛する卒業生、万歳! ご家族、万歳!

2016年3月21日月曜日

2016.03.21 わが友に贈る

◇今週のことば
進学・就職・転居など
新出発の友にエールを!
変化は好機到来なり。
人生は勝つためにある。
桜梅桃李で自分らしく!
2016年03月21日

減劫御書 P1466
『智者とは世間の法より外に仏法を行(おこなわ)ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり』

☆四季の語らい
一番、大変な時に、何を決意し、どう行動したか。これで人生は決まる。ここに人間の真価があり、偉さがある。

☆今日のことば365 三月二十一日
前へ! また断固として、前へ進むのだ! 眼前の現実に勇敢に挑みゆくのだ!
その人が、最高の勝利の人である。尊き女性なのである。
誰がなんと言おうが、誰人がなんと思おうが!

☆今日のことば365 三月二十一日
余裕ある行動
自信ある行動
そして 明朗なる行動たれ

☆創価学園卒業式 創立者のメッセージ
世界のどこよりも、明るく、清々しく、誇りも高き卒業、誠におめでとう!
私は全員と、がっちり心の固い握手を交わしながら、一切を見つめております。かくも見事に大成長してくれた、わが卒業生たち一人一人の栄光の未来に思いを馳せ、無限の夢と希望を広げております。
ご家族の皆様方にも、心よりお祝い申し上げます。誠におめでとうございます。

◇親孝行の決意を
いつもいつも、君たちと一緒に歌い上げてきた「負けじ魂ここにあり」の歌詞に、「進め 我が君 この道を」という一節があります。
胸を張って新たな一歩を踏み出す皆さんと共に、きょうは、我らの進む「この道」を、三点にわたって確認し合いたい。
第一に、「感謝の心光る学びの道」であります。
私たちの大切な友人に、オーストリアの女性リーダーで、ソプラノ歌手のサイフェルト博士がいます。博士は、今回、卒業する学園生の皆さんのことも、ずっと温かく見守り、ヨーロッパから祝福してくださっております。
博士はしみじみと語られておりました。「私がこれまで達成したことは、どれ一つとっても、自分一人で成し得たことではありません」と。
そして目の不自由な中、自分を育て上げ、歌を教えてくれた、ご両親をはじめ、自分を支えてくれている人たちの恩に、誠実に報いようとされています。
皆の心を打たずにはおかない、博士の妙なる歌声には、深く美しき感謝の響きが託されているのであります。
皆さんが晴れの卒業を迎えられたのも、苦労に苦労を重ねて学園に送り出してくださったお父さん、お母さんのおかげです。ご家族のおかげです。ここで、これまでの尽きせぬ感謝と、そして、これからのいよいよの親孝行の決意を込めて、お父さん、お母さんに大拍手を送りたいと思うが、皆さん、どうだろうか!
また日本一の学園生を立派に薫陶してくださった先生方、職員の方々、さらに陰に陽に学園を守ってくださっている皆様に、私からも厚く御礼を申し上げます。
「感謝」とは、人間性の真髄です。その心は、「学ぶ」という、同じく人間性の真髄と一体となって、人生を限りなく高めてくれる二つの翼であります。
東洋の大先哲は、なぜ学問をするのか、それは智慧を習い究めて、最高の人格を開き、恩ある人々を、皆、幸福に導いていくためであると示されております。勉学と人生の極意が、ここにあります。
もちろん、焦ることはありません。今は、じっくりと学び、力をつけて、根を張り、幹を鍛える時です。「じっとこらえて今に見よ」と、父母も、皆も仰ぎ見る、偉大な大樹と育って、民衆の大地に恩返しを果たしていただきたいのであります。

◇「一人」を大切に
第二に申し上げたい「この道」は、「友情讃歌の轟く平和の道」です。
先月、関西校を訪問された、中国・大連芸術学院の王賢俊理事長は、凜々しき学園生との出会いを喜ばれながら、語られておりました。
「平和への道は、まず、一人と一人との友情から始まります。一対一の友情をつくれば、世界は平和になると確信します」と。
私も同じ信念で、いずこの国に行っても、一対一の友情を結び広げてきました。
平和がどんなに遠くとも、嘆いているだけでは何も変わらない。一人の人を大切にし、一人の友をつくれば、そこから突破口を開き、平和の波動を起こせます。
わが創価学園には、「生命の尊厳」「人格の尊重」に則った、深き友情の伝統があります。君たちには、共々に崇高な誓いを果たしゆく一生涯の友がいます。
残念ながら、社会には、醜い悪意や嫉妬や嘘なども渦巻いています。ゆえに、誑かされても、惑わされてもならない。だからこそ、正義の青年は、断じて強く賢く鋭く、善良な人々の連帯を厳然と守り、拡大していかなければなりません。
どうか、君たち学園生は、心広々と世界の友と明るく友情讃歌を轟かせながら、「希望の光」「平和の光」で、地球を照らし、人類を結び合っていってください。創価の誉れの世界市民として、語学にも一段と自分らしく挑戦をお願いします。

◇何度でも挑戦!
第三の「この道」とは、「不屈の勇気に燃える勝利の道」です。
「カリブ海の真珠」と呼ばれるキューバを、私が訪れて今年で20年になります。かつて中国やロシアを初訪問した時と同じように、多くの反対がありましたが、私は、皆さんが続いてくれる未来の道を、あえて大胆に開いたのです。
このキューバの「独立の大英雄」ホセ・マルティは、19世紀の後半、皆さんと同じ年代で正義と人権を守る言論の大闘争に立ち上がりました。迫害を受ければ受けるほど、いやまして情熱を燃やして学び抜き、民衆の自由と尊厳を勝ち取るために、命を賭して歴史を転換していったのです。
このマルティは叫びました。「高きにしかと目を据えれば、イバラの道も、砂利の道も、旅人の心を乱すことはありません」(青木康征・柳沼孝一郎訳『ホセ・マルティ選集第2巻』)と。
使命が大きいゆえに、皆さんの前途には、幾多の苦難が立ちはだかるでしょう。時には、つまずいたり、倒れたり、迷ったりすることも、あるかもしれません。
しかし、君たちには、この学園で見定めた「王者の山」がある。「理想の峰」がある。「栄光の旗」がある。くじけず、へこたれず、あきらめず、良き学友たちと、支え合い、励まし合って、一歩また一歩、不屈の勇気で前進していただきたい。
人生は長い。勝負は途中では決まりません。目先のことで一喜一憂する必要もない。何があろうと、何度でも立ち上がって挑戦し、朗らかに執念の努力を貫き通した人が、必ず晴れ晴れと勝利の頂に到達できるのです。
私と君たちとは、ほぼ70歳の開きがある。世界平和への使命のバトンを私から受け継いで、21世紀の先頭に立って22世紀へと力走してくれる、正義の走者こそ、君たちです。どうか、私と不二の負けじ魂で、断固として「この道」を粘り強く勝ち進んでいってください。
愛する君たちに——

世紀をば
 託さむ後継の
  門出かな
 恐れず怯まず
  笑顔で勝ちゆけ
と贈ります。
わが宝の中の宝たる学園生、万歳! 本当におめでとう! 皆、元気で!

2016年3月20日日曜日

2016.03.20 わが友に贈る

どうすれば
皆が喜び安心するか。
日々祈り、心を砕け!
人間味あふれる
誠実のリーダーたれ!

御義口伝巻下 P762
『功徳とは六根清浄の果報なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり、されば妙法蓮華経の法の師と成つて大なる徳有るなり、功は幸と云う事なり又は悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり』

☆四季の語らい
「信念の人生」とは、正義のためならば、何と言われようが、どんな迫害を受けようが、屈しない人生である。「信念に生き抜いた人」が、最高の人格者である。不滅の価値、不滅の光を後世に残していける。

☆女性に贈ることば 三月二十日
家庭がつねに明るく健康であるためには、たゆまざる価値創造が必要だと思う。一曲の音楽が、家庭を楽しい音楽会場にもするし、子どもの描いた一枚の絵が、家庭を美しい展覧会場にもする。

☆今日のことば365 三月二十日
宗教は、単に個人の「心」の枠に閉じ込められたものではない。広く社会に流布した宗教は、それ自体、すでに社会の基盤を形成しているのだ。

☆全国で春季彼岸勤行法要
来る20日は「春分の日」、彼岸の中日にあたる。この日を中心に、「創価学会春季彼岸勤行法要」が全国の主要会館、墓地公園、納骨堂等で実施される。
法要では、厳粛に勤行・唱題し、広布の途上で亡くなられた全同志、家族・親族・友人・先祖の三世永遠にわたる福徳と安穏を祈念する。
仏教では、迷いに満ちた現実世界を「此岸」に、そして仏道修行によって得られる覚りの境涯を「彼岸」に譬える。
日蓮大聖人の仏法では、成仏の根源の法である南無妙法蓮華経を唱え、広布に生き抜くことで、この一生のうちに彼岸に到る、すなわち覚りの境涯を開くことができると教えている。
妙法を行ずる功徳・善根は、自身だけにとどまらない。そもそも「回向」とは、自身の功徳・善根を他者に「回らし向ける」ことである。
「御義口伝」に『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』(P712)とある。南無妙法蓮華経と唱える唱題こそ最高の追善回向である。
たとえ故人が生前に題目を唱える機会がなかったとしても、題目の功力は故人に届く。
片や、日顕宗の"塔婆を立てなければ追善回向にならない"などの主張は、御書のどこにもない全くの邪義である。
彼岸の時期、"寺に来ないと故人が成仏しない"などと迫って、供養を目当てに1人暮らしの創価学会員らを狙う日顕宗の輩は断じて許してはなるまい。供養する側にとっても、謗法への供養は堕地獄の因となる。
大聖人は、夫・南条兵衛七郎を亡くした上野尼御前に、仏法の眼から見れば亡き夫は霊山浄土で尼御前らを見守っていること、また妙法を持った亡き夫は生きている時は「生の仏」、亡くなってからは「死の仏」であり、生死共に仏であることを教え、励まされている(P1504、趣意)。
池田SGI会長は、東日本大震災から5年となる今月11日付の本紙の随筆でつづっている。
「亡くなった家族や友人の遺志を受け継ごうと、ひたぶるに御本尊に祈る中で、切れず離れず、生死を超えて共にあると、私たちは深く感じ取ることができる」と。
自他共の幸福のために、故人への最高の追善のために、広布の大道を進む自らの尊い使命を確信し、さらなる前進を誓い合いたい。

2016年3月19日土曜日

2016.03.19 わが友に贈る

「負けない人」に
最後の栄冠は輝く。
挑戦し続ける中に
充実の人生がある。
力強く信念の道を歩め!

新池御書 P1443
『有解無信とて法門をば解りて信心なき者は更に成仏すべからず、有信無解とて解はなくとも信心あるものは成仏すべし』

☆四季の語らい
「小事が大事」である。一番、身近なことが、一番、大切なのである。

☆女性に贈ることば 三月十九日
観念だけでは、真に人間を育てることはできません。実際に体を動かし、汗を流し、ともに泣き、ともに笑い−−そうした人間同士の打ちあいのなかでこそ、人は磨かれていくものです。

☆今日のことば365 三月十九日
物事がわけがわからなくなったときには、原点にもどって、素朴に素朴にと考えれば、意外と本質が明らかになるものです。それを入れ物の小さい頭で、溢れているのも気づかずに、更に詰め込んで考えようとするから、みんな問題の本質がどこかへ逃げていってしまうのだ。

☆ウズゲン工科教育大学「名誉博士号」授与式から SGI会長の謝辞
私は、今、詩心あふれる貴・キルギス共和国が生んだ20世紀の民衆詩人・トコムバエフ先生の至言を、しみじみと思い起こしております。
それは、「友情の法則に従い、我らは強靱となる。世界に、友情ほど確実なものは断じてない」という言葉であります。
私たちが、偉大な教育者であられるムルズブライモフ博士を創大祭・白鳥祭にお迎えしたのは、12年前の秋でありました。以来、博士と結んだ、かけがえのない黄金の友情は、いよいよ輝きを増しております。とともに、博士との友情によって、貴国の学術教育界との交流は一段と大きく開かれ、次代の世界市民の連帯を幾重にも広げることができたのであります。
このたびも博士は、若き英邁なアクマタリエフ学長、また、本学の誉れの卒業生である伊藤先生とご一緒に、新たな出会いを心広々と刻んでくださいました。
光栄にも、本日、シルクロードの要衝たるキルギス共和国に輝く知性の殿堂・ウズゲン工科教育大学より、私は最上に意義深き名誉博士の学位を賜りました。
この栄誉を、私は、わが不二の創大生、短大生をはじめ、全世界の創価後継の青年たちと一緒に、人類を結ぶ友情と平和のシルクロードを、さらに開きゆく決意を込めて、謹んで拝受させていただきます。誠に誠に、ありがとうございました。
尽きせぬ感謝を込めて、ここでは貴国の偉大な精神性に学びつつ、未来を照らす「人間教育」の指標を3点、確認させていただきたいと思います。

◇一歩を踏み出す
第一に、「きょうも学びの一歩を! 自身と人類の生命の潜在力を開発せよ」ということであります。
貴大学が屹立するウズゲンは、中世よりカラ・ハン朝の都として繁栄し、ロマン薫る偉大な文化を創出してこられました。
さらに、貴国で名高い、良質な米を産み出されていることでも知られております。
この悠久にして、豊穣なる「文明の十字路」にあって、青年の生命の大地を耕し、無窮の英知と創造力を引き出しておられるのが、貴・ウズゲン工科教育大学なのであります。
千年の昔、キルギスの大詩人・バラサグンは、「知恵とは、歓喜の中の歓喜なり。それは、行動によって、正義となり、幸福をもたらす」と謳い上げておりました。
尊敬してやまないムルズブライモフ博士は、まさしく、この歓喜あふれる「知恵」と「正義」と「幸福」の人間教育のスクラムを、若き日から、たゆまず拡大してこられたのであります。
博士は、ご自身の尊い尊い苦学の経験を踏まえられながら、温かく学生たちを支援し、力強く「生涯学習」のエールも送り続けておられます。
——一人一人がまだまだ「開発しきれていない潜在力」を秘めている。命ある限り、開かれた心で、いつでも何かを学んでいこうではないか、と。
生命を蹂躙する暴力が渦巻く現代世界にあって、学ぶことそれ自体が、自身と人類の生命を信じ、守り、いやまして尊厳ならしめていく挑戦であるといっても、決して過言ではありません。
ゆえに、私たちは、教師も学生も一体となり、世界の友と手を携えながら、きょうも、生き生きと張り切って、学びの一歩を踏み出していこうではありませんか!
第二に申し上げたいのは、「民衆と苦楽を共に! 正義の人材山脈を築きゆけ」という点であります。
私の大好きな貴国の箴言に、「魚の一生は湖と共に 勇者の一生は民衆と共に」とあります。
私が深く感銘するのは、貴大学で薫陶された英才たちが、愛する郷土をはじめ、社会でも、世界でも、民衆奉仕の活躍をなされていることです。
幾たびとなく語り合い、対談集を発刊した貴国の信念の大知性・アイトマートフ先生が語られていた一言が、私は忘れられません。
それは「才能とは責任感の異名なり」と。
大学では、何のために学ぶのか。
大学で身に付けた英知は、誰のために使うのか。
あくまでも、「民衆の幸福」のためであります。
この責任感に徹する時、真実の才能は行き詰まることなく、十全に発揮されるのでありましょう。
私が何よりもうれしいことは、わが創価教育の出身者が、毀誉褒貶の風などに紛動されることなく、それぞれの使命の道で、民衆と苦楽を共に断固として奮闘を貫いてくれていることであります。
共々に「正義の人材山脈」を築きゆく創価同窓の友に、私は、トコムバエフ先生の獅子吼を贈りたい。
すなわち「私は民衆の幸福を謳う、その幸福を守りゆくために! そして、敵の砲弾には、山となって立ちはだかり、精神の力によって、この民衆の幸福を守り抜くのだ」と。

◇忍耐は黄金なり
第三として、「不屈の勇気で前進を! 粘り強く勝利の峰を制覇せよ」と申し上げたい。
幾多の文明の栄枯盛衰を越えて、誇り高く生き抜いてこられたキルギスの民は「不屈の精神を具えた民族」と賞讃されています。
格言の宝庫たるキルギスには、「忍耐——それは黄金なり」とも、「正真正銘の人間であるならば、鋼鉄の如く強くあれ」ともあります。
ムルズブライモフ博士も、「強靱なる鋼鉄」という素晴らしい意義のお名前を持っておられます。
あの東日本大震災より5年、わが東北の友は、まさに「鋼鉄」の如く不屈の精神で、復興に進み抜いてこられました。
きょうは、東北から、わが大学に学び、希望の旭日の光を放ってくれている皆さんも出席してくれております。
本当にありがとう! 送り出してくださった、ご家族にもくれぐれもよろしくお伝えください。
アクマタリエフ学長は、常々、愛する学生たちに対して、「ひとたび始めたら恐れるな!」と励まされ、「あらゆる障害を乗り越えて、すべてを勝ち取れ!」と勇気づけておられます。
創価の負けじ魂とも響き合っております。
貴国の大空高く聳え立つ天山山脈の最高峰は、その名も「勝利峰」。「勝利の峰」であります。
我らは、友のため、父母のため、社会のため、そして、人類の未来のために、敬愛するキルギスの青年たちと共々に、断固として青春と人生の「勝利の峰」へ、邁進していこうではありませんか!
ウズゲンの天地には、貴国の伝説の大英雄・マナスの像が立ち、若人の前途を見守っています。
終わりに、世界の宝の叙事詩「マナス」の一節に、私たちの心意気を託させていただきます。
「前進する者は勝利する。
勇敢なる者は立ち止まってはならない。
勇敢なる者は断じて勝利するのだ。
勇敢なる者を勝利の喇叭が呼ぶ。
勇敢なる者を前進させよう!」と。
キルギス共和国、万歳! ウズゲン工科教育大学、万歳! と叫び、私の謝辞とさせていただきます。
チョン・ラフマット!(キルギス語で「誠にありがとうございました!」)

2016年3月18日金曜日

2016.03.18 わが友に贈る

「学は光」なり。
学び続ける人には
若々しい息吹がある。
精神の成長がある。
向上の歴史を綴れ!

弥三郎殿御返事 P1450
『心あらん人人は我等が為にと思食すべし、若し恩を知り心有る人人は二当らん杖には一は替わるべき事ぞかし、さこそ無からめ還って怨をなしなんどせらるる事は心得ず候』

☆四季の語らい
"壁"にぶつかった時こそ、「壁があるということは、その向こう側は大きく開けているということだ。今、やっと、ここまでたどりついたのだ」と、決意をいや増して進んでいきたい。

☆女性に贈ることば 三月十八日
岩にさえぎられた苗木は、まっすぐに伸びることはできない。かといって、温室で育てたものは、早く生長するが、風雪に対する抵抗力が弱いものである。
伸び伸びと、自由な空気のなかで、しかも、自然な試練のなかに、鍛えられていくことが、子どもにとつて幸せな道ではないだろうか。

☆今日のことば365 三月十八日
今日の目標は
 その日のうちに必ず達成することだ
それがまた
 明日の戦いへの勝利の因である

☆福光勤行会への名誉会長のメッセージ
東日本大震災から満5年に際し、私も、お亡くなりになられた全ての方々のご冥福を祈り、追善回向の勤行・唱題を懇ろに捧げさせていただきました。そして、被災なされた皆様、避難を余儀なくされている皆様の一日も早い復興と無事安穏を、深く御祈念いたしました。
この1827日、尊き皆様が一日また一日、どれほどの祈りで、どれほどの勇気で、どれほどの慈愛で、どれほどの忍耐で、共々に、言い知れぬ艱難辛苦を乗り越えてこられたことか。
一人一人が、自分にしかなし得ない奇跡のドラマをつづりながら、使命の舞台で不屈の光を放ってこられました。
まさに『妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり』(P947)との御金言を、現実に実証されてきた皆様を、日蓮大聖人が、もろ手をあげて御賞讃くださっているに違いありません。
大聖人は、仰せになられました。
『総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か』(P1337)と。
どうか、皆様は、この最も強く尊く深い異体同心の「励ましの絆」を、いやまして仲良く結んでいってください。
そして、広宣流布と立正安国の総仕上げを担い立つ「地涌の旗頭」として、自他共に笑顔と喜びと福徳満つる天地を、断固として築き、広げていただきたいのであります。
みちのくの我らは、いかなる苦難が立ちはだかろうとも、「苦楽ともに思い合せて」題目を唱え、「負げでたまっか!」と、いよいよ東北魂を燃やし、凱歌の人生を勝ち開いていこうではありませんか!
世界一、誇り高き東北家族に、世界一の幸福勝利の春よ、爛漫と来れ!
大切な大切な、東北の全同志の御健康と御多幸を、強盛に祈りつつ。

2016年3月17日木曜日

2016.03.16 わが友に贈る

「感謝の心」が
人間を偉大にする。
新舞台へ羽ばたく君よ
断じて報恩の道を!
凱歌の人生を歩みゆけ!

撰時抄 P265
『教主釈尊記して云く末代悪世に法華経を弘通するものを悪口罵詈等せん人は我を一劫が間あだせん者の罪にも百千万億倍すぎたるべしととかせ給へり』

☆四季の語らい
「いつか」ではない。「今」、この時を完全燃焼せずして、真の人生はありえない。先のばしせず、「今」、「ここ」で、自分の人生の意義を見つめ、考え、最も大切なことを実行しなければならない。心を燃やし、命を燃やして。そうでなければ「感動の人生」にはならない。

☆女性に贈ることば 三月十六日
師弟というのは、師匠に弟子が仕えきっていくことだ。弟子が力をつけ、立派になり、偉くなって、師匠にお応えするのだ。
そして師匠に勝利を報告するのだ。

☆今日のことば365 三月十六日
友情は、善悪共に通ずることも知らなくてはならない。悪友は得やすく、善友は得がたい。ほんとうの善友とは、ときに自分の欠陥や、誤りを、厳しく指摘してくれる人である。偽り親しむのは、かえって身を滅ぼす悪友である。

☆第1回東北青年音楽祭 SGI会長のメッセージ
◇東北に青春凱歌は轟けり
世界に希望の虹を懸けゆく東北青年音楽祭の開催、おめでとう!
今、私の心も、わが誉れの若き皆さんと一緒にあります。宮城、岩手、青森、秋田、山形、福島から、勇んで集った皆さんとスクラムを組み、共に希望の音楽を奏で、友情の歌を合唱し、勇気の舞を舞い、新たな出発の太鼓を共々に打ち鳴らしております。
厳寒のなか、必死に時間を工夫し、練習と人間革命の挑戦を重ねてきた出演者の皆さん、また、陰ですべてを支えてくれている役員の皆さん、本当にご苦労様です。
あの東日本大震災から5年——若き皆さんが、どれほど厳しく、苦しく、悲しい試練に立ち向かい、耐え抜いてきたことか。
どれほど、愛する郷土の未来を見つめて、祈り、戦い、尽くしてきたことか。
日本一と輝く希望の対話の拡大も、本当におめでとう!
大災害の打ち続く世に「立正安国」のために戦い抜かれた日蓮大聖人が、熱い涙を流されながら、皆さん一人一人の手を取り、労い、讃えておられるでありましょう。私は、全世界に向かって、東北に最高の宝の青年あり! この誇り高き若人を見てくれ給え! と叫びたい思いでいっぱいであります。
とともに、この青年たちを誰よりも温かく、こまやかに励まし、応援してくださっている、世界一の東北家族の母たち、父たちに、私は皆さんと最大の感謝を込めて万雷の大拍手をお贈りしたいと思いますが、どうでしょうか。
大聖人は、『蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり』(P1173)と宣言されました。「心の財」とは、何ものにも壊されない、何ものにも負けない、究極の生命の力です。この5年間、尊き尊き東北の友は、一日一日、その無限の生命の光を発揮してきました。
そして、いやまして、東北の若人が心の財を積みながら、人類が願ってやまない「生命尊厳の文明」の旗頭となって世界をリードしてくれる未来を、私は展望しております。いな、確信しております。
恩師・戸田先生も大好きだった、詩人の土井晩翠は、東北の青年のために金剛不壊の心を詠いました。
「嵐も雨も 叢雲も われには示す 明日の晴」(『曙光』金港堂、現代表記に改めた)と。
崇高な使命に生きゆく皆さんには、これからも苦難の嵐が立ちはだかるでしょう。しかし、今日のこの勇気の歌声と連帯を忘れずに、自分のため、人のため、郷土のため、不撓不屈の東北魂で、勝利に晴れわたる希望の明日を開いていってください。
地球社会に「人間の心の財はかくも偉大なり」と、「希望の光彩」を広げる東北の大復興を、私は、命の限り、祈り続けてまいります。
どうか、一人ももれなく、健康第一で! 朗らか王の青春たれ! 勉学でも、職場でも、地域でも断じて勝利者となって、笑顔の親孝行をお願いいたします。
結びに、

東北に
 青春凱歌は
  轟けり
 人材の城
  世界を照らせや

と贈り、私のメッセージといたします。
一番信頼する東北の青年に、幸福と栄光あれ! 愛する東北に、不滅の繁栄あれ!

2016.03.17 わが友に贈る

友情を広げよう!
新たな出会いが
自分を変える。
人生を豊かにする。
心を結ぶ語らいを!

佐渡御書 P959
『今謗法の酔さめて見れば酒に酔る者父母を打て悦しが酔さめて後歎しが如し歎けども甲斐なし此罪消がたし、何に況や過去の謗法の心中にそみけんをや』

☆四季の語らい
"人間として最も美しい姿"とは何か。それは、悩んでいる人、苦しんでいる人のために、自ら苦難に向かって突き進んでいく姿ではないだろうか。人の痛みをわが痛みとしていく。何があろうと引き下がることなく、あえて困難を引き受けていく。その人の姿はまことに美しい。

☆女性に贈ることば 三月十七日
学歴や財産は、それ自体、人生の目的ではない。ゆえに、そのことで人をうらやんだり、自分を卑下したりするのは愚かである。
貴女自身がすべての宝であることを忘れないで、毅然と生き抜くことだ。

☆今日のことば365 三月十七日
「人生とは、闘争の異名なり」と、叫んだ哲人がいる。まさしく、人生は、戦争の如く、厳しく、目まぐるしい感を抱く。何も知らなかった少年時代が、懐かしい。だが、一歩も、退くことは、許されぬ。

☆随筆永遠なれ創価の大城 第3回 響け「福光」の凱歌
◇「冬は必ず春」を我らが実証 東北の負けじ魂はいよいよ厳たり
あの未曽有の「東日本大震災」から、五年の節を迎えました。
私は、妻と共に、一段と強く深く、全ての犠牲者のご冥福を祈り、追善回向の題目を送ります。
ご家族や友人をはじめ縁深き方々を亡くされた悲しみを抱えながらも、不屈の心で苦難と戦い続けておられる皆様方に、真剣に題目を送ります。
仮設住宅や避難先で、また地元で、さらに新たな天地で、懸命に奮闘されている皆様方に、共戦の題目を送ります。
『題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし』(P808)と御書にあります。
この究極の希望の源泉たる題目を唱え響かせて、三世の同志と共々に金剛不壊の「心の財」を生命に積み上げ、断固と「福光」の未来を開いていってください。

◇風雪を耐え抜き
日蓮大聖人は、厳然と仰せくださった。
『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる』(P1253)
この不滅の御金言を賜ったのは、健気に信心を貫く一人の母である。
大聖人と一門への迫害が打ち続く風雪の渦中であった。師弟の道を歩み通した正義の夫は僅かな領地も奪われて、大聖人が佐渡流罪から赦免を勝ち取られる晴れ姿を見ずして逝去した。いかばかり悔しかったことか。
まさに厳寒の冬の境遇の下で、病の子どもらを抱きかかえて、必死に生き抜いてきた母である。
『法華経を信ずる人は冬のごとし』と言われた時、この母は、ああ、今の自分たち一家のことだと拝されたであろう。その冬の生命が、必ず「春」へ開くと、御本仏が断言なされたのである。
煩悩即菩提である。一番苦しんだ人こそ、一番幸福になる権利がある。
「冬は必ず春となる」——この御文を生命の底から最も深く拝し、人生の上に、また現実社会の上に、堂々と実証してこられたのは誰か。それこそ「わが偉大な東北の同志なり!」と、私は声を大にして叫びたい。
大聖人は、この母に対して、信念に生き切った夫君を讃嘆されながら、こう励まされている。
『大月輪の中か大日輪の中か天鏡をもって妻子の身を浮べて十二時に御らんあるらん』(P1254)と。
妙法で結ばれた家族は、生死を超えて「常楽我浄」の春を、一緒に勝ち開いていけるのだ。

◇生命の絆は永遠
災害や事故などによって、互いに結び合っていた人生が突然に「死」と「生」に引き裂かれてしまう。それは、何より辛く、悲しい別離だ。
肉親や近しい人の死は、生前には気づけなかった思いを湧き上がらせる。"もっとこうしていれば"と、振り返って涙が頬を伝う時もあろう。追憶は尽きることがない。
法華経寿量品には、「方便現涅槃(方便もて涅槃を現ず)」と、死もまた方便であると説かれる。生も死も同じ永遠の生命に具わる現れであり、生死は不二なのである。
永遠の生命観で捉えるならば、死によって「心の絆」「生命の絆」が切断されることは決してない。
亡くなった家族や友人の遺志を受け継ごうと、ひたぶるに御本尊に祈る中で、切れず離れず、生死を超えて共にあると、私たちは深く感じ取ることができる。寿命も、福運も、誓いも、全て受け継いでいく「後継者」なのである。
妙法は三世にわたって生命に凱歌を響かせゆく大法である。ゆえに「我ら東北家族の絆は永遠! 永劫に幸福勝利なり」と確信し合いたい。

◇一歩また一歩と
若き日、学の都・仙台に留学した中国の文豪・魯迅は綴っている。
「『人生』という長い道のり」にあって「分れ道」や「行きどまり」にぶつかる時がある。
その時にどうするか。
「私は、泣きもしなければ引返しもしません」と魯迅は言うのである。
断じて「踏み越えて行きます。いばらの中でもかまわない」と。
震災五年——。被災された方々には、困難や矛盾をはらんだ「分れ道」や、「もう、これ以上進めない」と天を仰ぐような「行きどまり」の連続であったに違いない。
「震災から五年」とは、「震災が始まって五年にすぎません」と表現した友がいる。時間の進み方は皆が違う。暦に合わせて、悲しみや苦しみが薄れるわけではない。
それでも、わが同志は、一歩また一歩と、自らの歩幅で「福光」への歩みを重ねられた。勇気を奮い起こして、いばらを踏み越え、能忍の前進を続けられた。
私は、一人ひとりの肩を抱き、握手を交わす思いで最大に讃えたい。

◇庶民の王者たち
信心とは無限の希望であり、最強の勇気だ。
深い闇に夜明けの光を求めるように、未曽有の大苦難の日々にあって、あの母が、あの父が、必死に御本尊に向かい、『御書』を開いた。
御文はただの文字ではなかった。日蓮大聖人の師子吼であり、慈愛の肉声であった。一節一節を大聖人と対話するように拝し、命に刻んできた。
『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし(中略)つたな(拙)き者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし』(P234)
この御文を拝しては、今が「まことの時」だと思い定め、「負げでたまっか!」と頭を上げ、地域を陽光の笑顔で照らす母がいる。
御聖訓には、『夫れ木をうえ候には大風吹き候へども つよ(強)きすけ(扶)をかひ(介)ぬれば・たうれず』(P1468)とも仰せである。
ゆえに我らは互いに支え支えられながら、生き抜いていくのだと、一人また一人、一軒また一軒、粘り強く激励に歩き続ける父がいる。その中で、正義の"五勇士"の連帯も大きく広がっている。
なんと尊き"如説修行の父母たち"か!
『難来るを以て安楽』(P750)と立ち向かう。その覚悟に、大聖人と同じ仏の生命が涌現するのだ。
それは、命にも及ぶ大難の中を、「師子王の心」で民衆救済の大闘争に走り抜かれた御本仏に直結する生命である。
我らの東北には、三世の諸仏の御賞讃に包まれゆく、地涌の旗頭たる「庶民の王者」が無数におられるのだ。

◇青年は勝った!
新生の
 人材 永久に
  東北城

三月六日の日曜日、宮城・利府町の大舞台に、東北六県の若人をはじめ七千人が集い、春を呼ぶが如く第一回「東北青年音楽祭」が行われた。
青年部・未来部による福光の凱歌と希望の調べ——その歓喜と感動は、私のもとまで明るく晴れ晴れと轟いてきた。
皆それぞれの使命の場所で奮闘し、そして日本一の希望の拡大を見事に果たしての祭典である。
その陰には、どれほど慈愛の父母たちの祈りと支えと温かな励ましがあったことか。
あの友、この友へと「励ましの絆」を広げ、「共に立ち上がろう」と勇んで関わり、働きかけずにおられないのが、東北の創価家族である。
あらゆる苦難を変毒為薬し、大東北は勝った!
宮城。岩手。青森。秋田。山形。そして、福島——全東北の皆の心が一つになって、フィナーレを飾ったのは、青年部有志が作詞した「希望の光彩」であった。
「いかなる時も 壊されない/心の財 師と共に/我らが果たす 青葉の誓い/希望の光彩 未来へと」
悲哀の闇を乗り越え、新時代の夜明けを開いた、君たち、貴女たちの姿よ、歌声よ!
若き君たちの「生命の讃歌」は、亡きご家族や同志の生命をも包み込んでいくに違いない。
それは、法華経の会座で、妙音菩薩が娑婆世界に舞い来り、「天の曲」「天の歌」を奏で、末法広宣流布を誓う人びとを鼓舞した如く、福光の未来を大歓喜で晴らしゆく「希望の光彩」なのだ。

◇人間復興の旗手
今月、いよいよ仙台で「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」が開幕する。
レオナルドは、鳥の飛翔について「翼を開いて逆風をそれにとらえ、それによって高く上昇する」と洞察していた。
生命には、逆風に敢然と立ち向かう、不屈の力がある。試練を転じて、飛翔する力がある。
過酷なる運命の烈風に晒された一人が、みちのくの負けじ魂で、人間革命の翼を広げる英姿が、地域に社会に、どんなに勇気を贈りゆくことか。
一人の「生命の宝塔」の限りない尊厳性に、万人が眼を開く。そこに「立正安国」の出発点もある。
新生・東北の皆様こそ、新たな「生命尊厳の文明」を創り開く、人間復興の希望の旗手なのである。
今、東北ルネサンスの太陽は昇った!
東北の春は、創価の春だ。人間勝利の春だ! 桜梅桃李の生命の花よ、民衆連帯の人材の花よ、爛漫と咲き薫れ!

2016年3月15日火曜日

2016.03.15 わが友に贈る

「迅速な行動」
「誠実な対応」
ここにリーダーの
責任感が表れる。
人間主義の名将たれ!

十字御書 P1492
『今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ、此れをもつてをもうに今又法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし』

☆四季の語らい
人を育てるには、一人ひとりに焦点を合わせた激励と指導が大事になります。たとえば、草木にしても、太陽さえ輝いていれば、すべての草木が育つとは限りません。日陰になって、光を遮られている木もあれば、害虫に侵されていることもあるかもしれない。、あるいは、養分が不足している場合もある。そうした一つ一つの事態に的確に対処し、手入れを重ねてこそ、草木は育つものです。

☆女性に贈ることば 三月十五日
子どもは、いつか、独り立ちしていかなくてはならない。
「子どもを『幸福にすること』と『甘やかすこと』を混同してはいけない」とはフランスの思想家ルソーの言葉です。
子どもを幸福にするために大切なのは、どんな試練にあっても、それに負けない強さと勇気を育んでいくことではないでしょうか。

☆今日のことば365 三月十五日
絶望といい、不幸といい、それをそうと決めるのは、所詮、その人の心のしわざである。してみれば、希望というものは、まず自分自身の悲哀を克服したところに生まれるものだ。

☆仏法の教え 「抜苦与楽」の実践
励ましは"万の力"——。座談会に参加したり、メンバーの家を訪ねたりして、皆さんと懇談をする中でそう実感する。唱題行の功徳が無量無辺であることはいうまでもない。だが、惰性に陥ったり、困難を前にめげたりすることなく、常に求道の心を燃やし続けられるのは、切磋琢磨し合う同志の存在があるからだ。いわば、「一人一人の真剣な祈り」と「慈愛に満ちた励まし」が見事な相乗効果を生むことで、学会の庭に信心の功徳が大きく広がっているといえよう。ここでは、学会員が実践している「抜苦与楽」について考察したい。

◇闘病中の母に届いた伯父からの"お祝い"
「2度目の大病、おめでとう!」
1月に入院したばかりの母のもとに届いた、伯父からの手紙の書きだしの一節に、私は面食らった。だが、母は、実兄からの手紙を何度も読み返し、その中で悲嘆の涙が誓いの涙に変わっていった。見舞いに訪れる友人にこの手紙を見せながら"絶対に負けないから"と語るまでになったのだ。
——11年前に「くも膜下出血」を患ったものの、8時間に及ぶ開頭手術、リハビリを経て、趣味の写真で個展を開くまでに回復した母。その母が元日の朝に突然、不調を訴え、左半身がまひ状態に。病院で調べたところ「血栓性脳梗塞」を起こしていることが分かった。「左半身の機能障害が残ることを覚悟してください」との医師の言葉に目の前が真っ暗になった。ましてや母のショックはいかばかりか。その母の心を蘇生させたのが、伯父の手紙だった。
草創の関西で、男子部として弘教の先頭に立つなど、広布一筋に生き抜いてきた伯父は「難が競い起こるのは、法華経の行者の証明」が口ぐせ。その伯父の"お祝いの言葉"には「必ず一緒に乗り越えよう」との慈愛がにじんでいた。
伯父の激励に誓いを新たにした母は、先月半ばにリハビリ病院に転院。全く動かなかった左手の指先が動くようになり、歩行訓練を始めるなど、少しずつ快方に向かっている。
これまで何度も『病によりて道心はをこり候なり』(P1480)との御金言を拝してきたが、母と伯父の姿を通して、この一節に込められた日蓮大聖人の「励ましの精神」をあらためて学んだ思いである。

◇『一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦』
仏法に説かれる「慈悲」。この言葉は、サンスクリット(古代インドの文章語)では、他者に利益や安楽を与える慈しみを意味する「マイトリー」と、他者の苦に同情し、救済しようとする思いやりをあらわす「カルナー」からできている。
「大智度論」では、この「慈悲」について、「慈」とは一切衆生に楽を与えること(与楽)であり、「悲」とは、一切衆生の苦を抜くこと(抜苦)であると述べている。
災害や飢饉・疫病などが相次ぎ、混迷した鎌倉時代にあって、苦悩の民衆を救わんと、釈尊以来の仏法の根本精神ともいえる「抜苦与楽」の実践に立ち上がられたのが、御本仏・日蓮大聖人である。
『一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし』(P587)
あらゆる人の苦悩に同苦し、力強い励ましを送るところに、日蓮仏法の魂がある。ここでいう「同苦」とは、上から見下ろす哀れみでもなければ、表層的な同情に終始することでもない。悩み苦しむ友に徹して寄り添い、その上で、相手が自分自身の力で立ち上がり、ともどもに前進できるようになるまで関わり続けていく地道な挑戦である。
『一念三千は抜苦与楽なり』(P773)
仏法では、「一念三千」すなわち、あらゆる人に地獄界から仏界までの十界の生命が本然的に具わっており、一念を変革することで自身に内在する仏の生命を涌現していけると説く。
自身の一念を変革するところから相手の生命を変え、相手の置かれた環境をも変えていく。また、友の幸せを真剣に祈り、励まし続ける中で、自分自身の境涯も大きく開いていく。
『自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり』(P761)
「抜苦与楽」の実践は、そのまま「自他共の歓喜」「自他共の幸福の実現」へとつながっていく。この尊い行動を自らの姿をもって教えてくださったのが創価の三代会長であり、なかんずく池田先生である。

◇永遠に忘れられない徳島の同志への激励
私たち徳島の同志にとって、永遠に忘れることのできない師匠の激励行。それは、宗門の黒い鉄鎖を断ち切り、正義の反転攻勢を開始された、1981年(昭和56年)11月の四国指導である。
9日に徳島空港に降り立たれた先生は、直ちに徳島講堂に駆け付け、悪侶の醜い謀略に苦しんできた同志を励まし、「春が来た」「熱原の三烈士」などをピアノ演奏してくださった。
先生は、翌日も徳島講堂での勤行会に出席され、休む間もなく香川の四国研修道場へ。10日に行われた記念撮影の際、先生は、私の祖母に「おばあちゃん、お久しぶりですね」と温かな声を掛け、祖母と母の手を握ってくださった。わが家の原点であり、母は、この時の先生の手のぬくもりを思い出しながら、きょうも病魔と闘っている。
四国青年部と共に「紅の歌」を作られた先生は「徳島も歌を作ってはどうか」と提案。有志が急ぎ作成した歌詞を池田先生が推敲してくださり、徳島県愛唱歌「愛する徳島」が誕生した。
「功徳の舞いは 徳島に」
「五万の同志に 歓喜あり」
「いざや徳島 いざや立て」
坊主による学会攻撃の嵐の中、歯を食いしばって耐え忍んだ徳島の学会員。そのけなげな信心をたたえ、一緒に立ち上がろうと呼び掛けられる師の慈愛を知った同志の胸に歓喜の波動が広がった。そして、今度は自分自身が師の心をわが心として"周囲を希望で照らす灯台"になろうと、悩める友を励ましてきたのだ。

◇創価の花園に爛漫と咲き薫る功徳の花々
同志の「抜苦与楽」の実践によって、蘇生したメンバーは数知れない。
漁師の家に嫁ぎ、自閉性障がいの息子を育てる婦人に、試練が襲ったのは15年前のこと。夫が操業中に事故で亡くなったのだ。婦人の心を癒やしたのは、同志の励ましだった。「今こそ、広布に生き抜いてきたご主人の分も祈り、頑張る時。みんなでお題目を送るから」との言葉を胸に立ち上がった。息子は絵画の分野で才能を発揮し、毎年のように個展を開催し、地元紙などにも取り上げられた。
"学校ではいつもひとりぼっち。本だけが友達だった"という女子高等部員の転機は、未来部の担当者の「ゲーテの本を読んでいるなんてすごい!」との言葉だった。「自分のことを認めてくれている人がいる」。そう感じた彼女は会合に参加するようになり、現在、女子部の輪の中で生き生きと学会活動に励んでいる。
幼いころに両親が離婚し、すさんだ青春時代を送っていた青年は、自分の将来を親身になって心配してくれる学会員にこれまで閉ざしていた心の扉を開き、勤行に挑戦。生活にかつてない充実感を感じるようになり、自ら進んで入会した。
学会員の家庭に生まれ育ったものの、定職に就くこともなく無気力に陥っていた男子部員は、先輩に誘われて「創価青年大会」に参加。同世代の仲間の姿に「自分もあんなふうに輝きたい」と決意し、仏法対話に挑戦。弘教を実らせた彼は語った。「これまでは、他人の人生など考えたこともありませんでした。それが、あの人にもこの人にも幸せになってほしいと本気で思える自分に変わったのです」。祈っていた就職も勝ち取った。
「抜苦与楽」の地道な戦いによって立ち上がった友が、今度は、自ら「抜苦与楽」の実践に取り組んでいく——。歓喜の連鎖によって、今、創価の花園に功徳と歓喜の花々が爛漫と咲き薫っている。
徳島指導、そして県愛唱歌「愛する徳島」誕生から35周年の佳節を刻む本年、目の前の友を励ます実践の積み重ねで、人間主義の連帯を大きく広げていきたい。

◎キルギス共和国のウズゲン工科教育大学からSGI会長に名誉博士号(366番目)

2016年3月14日月曜日

2016.03.14 わが友に贈る

◇今週のことば
縦藍而青の3・16だ!
大願に生きる「情熱」
壁を破る「勇気」
歴史を創る「連帯」
創価の青年力を社会へ!
2016年03月14日

兄弟抄 P1084
『なにとなくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人にわらはれさせ給うなよ』

☆四季の語らい
「怒ること」と「叱ること」は違う。愛情をもって、母親が我が子を叱るように、教員が生徒を伸ばそうと叱るように、「励ましの心」で叱る。これは人間的な励ましであり、優しい心、温かい心である。それに対し、怒りには憎しみがある。自分の感情にまかせて怒るのは、魔性の心と言わねばならない。

☆女性に贈ることば 三月十四日
勇んで労苦を引き受け、友と同苦し、人びとに、社会に、奉任しゆく人生であれ!
大きく悩んだ牢光きし郵猷が郎がる。

☆今日のことば365 三月十四日
文明は権力 武力を用いず
幸せへ民衆を化す運動である

☆〜新会員のための仏法入門〜 第23回 三証
◇功徳に満ちた実証を示そう!
世界には数多くの宗教があり、その教義もさまざまです。どの教えが人々を幸福にするすぐれた教えなのか——。宗教の優劣を判定する"物差し"が、今回学ぶ「三証」です。具体的には「文証」「理証」「現証」の三つで、「証」とは証拠のことです。

◇御書の随所で経文を引用
「文証」とは、その宗教の教義が、よりどころとなる経文、聖典の上ではっきりとした裏付けをもっているかどうか、ということです。
日蓮大聖人は『経文に明ならんを用いよ文証無からんをば捨てよとなり』(P482)と、経文上に明確な根拠のある教義を用いるべきであり、経典によらない教えを用いてはならないと戒められています。文証に基づかない教義は、所詮、己義(自分勝手な考え、教え)にすぎません。
『文証無き者は悉く是れ邪偽・彼の外道に同じ』(P148)
『若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是の人は是れ魔の眷属なり』(P152)
大聖人は文証の大切さについて御書の随所で強調され、法理を説かれる際にも多くの経文を引用されています。
そして、創価学会は、創立以来、御本仏・日蓮大聖人の御金言である「御書」を根本に仏法を実践しています。

◇現実生活を変えられるか
「理証」とは、その宗教の教義や主張が道理にかなっているかどうか、ということです。
御書には『仏法と申すは道理なり』(P1169)とあります。仏法はどこまでも道理を重んじるのであり、道理に外れた主張は用いるべきではありません。
「現証」とは、その宗教の教義に基づいて信仰を実践して、現実生活の上で結果が現れるかどうか、ということです。
宗教とは、観念的なものではなく、人々の生活や人生、さらには社会に必ず大きな影響を与えます。ゆえに、その信仰を実践することで、現実に一人一人の人生に、さらには社会にどのような影響を与えたかで、その宗教の勝劣浅深を判断していくべきです。
以上のように、大聖人は、「文証」「理証」「現証」という三つの基準をもって正法を判定するべきであるとされました。この三証のうち、どれか一つが欠けても、正しい宗教とはいえません。
薬に譬えていえば、文証は成分表や効能書きにあたり、理証は薬が効く確かな理由にあたり、現証は実際に服用して体が回復するという明確な結果にあたります。

◇「現証に付て事を切らん」
大聖人は『日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず』(P1468)と仰せです。ここで「道理」とは理証のことであり、「証文」とは文証のことです。
この御文に明らかなとおり、大聖人が最も重視されたのが、現証です。
文永8年(1271年)夏に大干ばつ(長期間の日照り)が起こった時、真言律宗の極楽寺良観が祈雨(雨乞い)をすることを聞かれた大聖人は"もし良観が7日のうちに雨を降らせたなら、自分が良観の弟子になる。もし雨が降らなければ、良観が法華経に帰伏せよ"と申し入れをされました。
結果は、7日間雨は一滴も降らず、良観はさらに7日の延長を申し入れましたが、雨が降らないばかりか暴風が吹くというありさまで、良観の大敗北に終わりました。
「現証に付て事を切らん」(同349ページ)——大聖人はまさに現証をもって宗教の正邪を明確にされたのです。
創価学会もまた、牧口常三郎初代会長が「道理も証文ももちろん大事だが、論より証拠で、生活の中に功徳の実証を示すことが、それ以上に大事である」と語っているとおり、何よりも現証を重視してきました。
御書根本の実践を重ねる中で、目前の苦難を乗り越え、勝利の姿をもって信仰の現証を示した同志は数知れません。
強盛な信心を根本に自身の課題に挑戦し、功徳に満ちた勝利の実証を示すこと自体が、日蓮仏法の正しさの証明にほかならないのです。

2016年3月13日日曜日

2016.03.13 わが友に贈る

受身の姿勢では
本当の力は出ない。
強盛なる祈りから
一日のスタートを!
わが一念を定めよ!

四条金吾殿御返事 P1163
『一生はゆめの上明日をごせずいかなる乞食にはなるとも法華経にきずをつけ給うべからず』

☆四季の語らい
一対一の「草の根の語らい」−−それは、まことに地味である。しかし、それこそが、「人と人とのつながり」をつくっていく。人の心を変え、意見を変えていく。この粘り強い民衆の対話の繰り返しが、時代を底流で変えていくのである。

☆女性に贈ることば 三月十三日
こうすれば、どう見られるか、どうなるか−−そういうことだけを考えて、人によく思われるように、うまく泳いでいく。それは楽なように見えて、あまりにもわびしい生き方である。状況に翻弄され、なんの価値も残さず、時代とともに色あせていく人生であってはならない。
わが人生は、自分自身への最高の贈り物なのである。

☆今日のことば365 三月十三日
自分は死を恐れない
 という人を聞くが
  私は そんな人間になりたくない
死を恐れるが故に
 生きることへの歓びが深まり
  野蛮と文明との 分岐点があるからだ

☆御書と歩む 第6回 広布の丈夫よ 勇んで進め!
『人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ』(崇峻天皇御書、1173ページ)

◇通解
人間に生まれることは難しく、爪の上の土のようにまれである。人間がその身を全うするのは難しく、草の上の露のようにはかない。120歳まで長生きしても悪い評判を残して終わってしまうよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である。

◇同志への指針
壮年門下の四条金吾に贈られた、厳愛の指針である。
「名をあげる」とは、世間の名声などではない。妙法流布に勇敢なる闘争の歴史を残すことだ。「あの人がいたからこそ」と同志の心に刻まれゆく、誠実と励ましの名将として、戦い勝つことだ。
受け難き人身を得た我らだ。壮年部結成50周年の節——広布の「黄金柱」として、堂々たる大前進を共々に!

2016年3月12日土曜日

2016.03.12 わが友に贈る

一人のために!
一人を大切に!
これが学会精神だ。
悩める友に寄り添い
今日も真心の激励を!

一生成仏抄 P384
『此の旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず、故に経文には「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑有る事無けん」とのべたり、努努不審をなすべからず』

☆四季の語らい
知性ある人は、何か行動する。運動をする。社会のため、人類のため、未来のために。権力と戦わぬ「行動なき知性」は、本物ではない。真の知性の人とは、信念の人であり、勇気の人である。

☆女性に贈ることば 三日十二日
女性の場合、決して、いわゆる青春時代のみが花なのではない。若い時代にどんなに華やかであっても、その幸福は浅いものだし、また一生続く保証もない。
長い目で見た時には、心にしっかりした芯をもっている人は、時とともに、輝いていくものだ。

☆今日のことば365 三月十二日
人の悪口、批判……。
する場合もある。される場合もある。
互いに人格を尊重していくべきだ。常に自己を磨くことだ。
自己を磨くことを忘れての悪口は、批判は、互いに愚かである。

☆新時代を創る 第8回 朗らかに広宣の華と舞え
日蓮大聖人は、門下に女の子が生まれたと聞かれ、『春の野に華の開けるが如し』(P1110)と祝福なされた。
いずこであれ、妙法を唱え広める女性は、試練の冬を勝ち越え、希望の春を呼び、喜びの華を咲かせる。
友のため、社会のため、広布のために、祈り、動き、語る全国の婦人部・女子部の皆様方に、御本仏の御賞讃はいかばかりか。
3月3日は女子の幸せを願うひな祭りであり、「大阪婦人部の日」「先駆九州女性の日」でもあった。
晴れわたるこの日、広布の門を開く全女性に健康と幸福と勝利あれと念じつつ、妻と共に創価女子会館へ向かった。会館の前で、女子部のリーダーたちの清々しい決意を伺い、何よりもうれしかった。

昭和33年(1958年)の3月——。
戸田先生に、何度となく「広宣流布は私たちがやります」との誓いを込めて、力強い歌声をお聞かせしたことが思い出される。
未来は青年の腕にある。後継の若き力によってこそ大事業は成就するのだ。
この6日には、宮城・岩手・青森・秋田・山形・福島の地涌の友が集い、「東北青年音楽祭」が行われる。東日本大震災から5年——不屈の勇気の凱歌で、「希望の光彩」を世界へ未来へ輝かせゆく祭典だ。
大東北の尊き父母たちも厳寒の中、全国模範の聖教新聞の拡大を成し遂げて、わが青年たちを熱く応援してくれている。
あまりにも健気な若人たち一人一人と、心の握手を固く交わす思いで、私は大成功を祈りたい。

忘れ得ぬ3月16日、広宣流布の記念式典で、戸田先生は厳然と宣言された。
創価学会は、宗教界の王者なり!——と。
恩師の師子吼を胸に、勇気凜々、朗らかに進もう!
創価の我らが行くところ、皆の心に太陽が昇る。わが使命の本舞台で舞い、歓喜の歌を轟かせるのだ。

2016.03.11 わが友に贈る

我ら創価家族には
変毒為薬の信心がある。
「悲哀」を「勇気」に
「宿命」を「使命」に
自他共の幸福を開け!

開目抄上 P187
『金光明経に云く一切世間所有の善論皆此の経に因る、若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり』

☆四季の語らい
大事なのは、励ましである。励ましの声である。仏典には、「声仏事を為す」と仰せである。現実に生きゆく人々に、希望と勇気を送るのは、真心からの「励ましの声」である。

☆女性に贈ることば 三月十一日
自己の成長を願わず、目先の楽しみだけを追い求める人生の、どこが幸福であろうか。
「成長しよう」と努力する女性は、人生のどんな時をも、最高に輝かせていける。

☆今日のことば365 三月十一日
夢を実現し、理想を達成するために、最も大事なことは、自己との厳しい対決に勝っていくことである。つまり、自分が今やらねばならぬことに、全能力、全情熱を、傾けていくことこそ、未来に生きる人生の、真実偉大な姿なのである。

☆韓国・京畿道「名誉道民証」授与式から SGI会長の謝辞
敬愛してやまぬ大韓民国の中枢にして、最大の自治体である貴・京畿道は、悠久の歴史と伝統を誇る「文化の都」であります。
とともに、最先端の科学技術を全世界に発信されゆく「経済の心臓部」であります。
そして、「グローバル・インスピレーション、世界の中の京畿道」とのスローガンにふさわしく、共生と革新と創造力の息吹を地球社会へ送られる「平和の宝土」なのであります。
本日ここに、人類の未来を照らす「希望の天地」京畿道より、最高に意義深き「名誉道民」の称号を賜りました。この栄誉を、本講堂と全国192の中継会場におられる、誉れも高き韓国SGIの皆さま方と共々に拝受させていただけますことは、私の何よりの喜びであります。
わが韓国の宝友こそ、世界192カ国・地域の同志にとって、良き市民、良き国民、良き世界市民として、社会貢献の最高の模範を示してくださっているからです。
南景弼知事をはじめ先生方のご高配に、心より御礼を申し上げます。誠に誠にありがとうございます。

◇善なる交流こそ
思えば、貴国のレオナルド・ダ・ヴィンチと謳われる、19世紀の大思想家・丁若鏞先生も、京畿道のご出身でありました。
丁先生は、東アジアが共有する古典『論語』の英知に触れつつ、論及されております。
「まじわるをよくすれば、すなわち孝たり、弟たり、友たり、慈たり、忠たり、信たり、睦たり、婣たり」
「吾が道は何する者ぞや。そのまじわるにおいて善を為すにすぎず」(『与猶堂全書』)と。
人と人との間に生ずる関係性において、善なる交流を結べば、必ず、そこから幾重にも豊かな価値を創造していくことができる――この簡潔にして明晰なる卓見は、現代の複雑な諸課題を打開する智慧の鍵として、いよいよ光を放っております。
家庭においても、地域社会においても、ひいては国際関係においても、一対一の誠実なる人間の結合を粘り強く創り上げていくところから、希望が生まれ、信頼が広がり、平和が築かれるのではないでしょうか。
世界は、今、国家間の課題や閉塞を打ち破るために、地域と地域、地域と民間団体が、国境を越えて、グローバルに手を携えていく時代となりました。いな、そこにこそ、地道でありながら確実なる、平和創出の波があります。
その潮流の先頭に立って、東アジアの新時代を、力強く牽引されているのが、若き英邁な指導者・南景弼知事であられます。
「グッドモーニング京畿」のモットーを掲げ、民衆の中に飛び込みゆく姿には、午前8時の太陽のごときバイタリティーと希望がみなぎっている――そう、私の友人が感嘆しておりました。
志半ばで急逝された父君の清廉潔白な理想を継いで、南知事が政界に進出されたのは、30代前半のことと伺っております。以来、誠心誠意、信念の対話を尽くしながら、道民の幸福を最優先する「生活の政治」を貫いてこられたのであります。

◇京畿道と日本
貴・京畿道とは、日本の神奈川県も長年にわたって、交流を重ねてきました。また、南知事は、昨秋、愛知県とも「友好交流および相互協力」の協約を結ばれております。
さらに、いにしえ、高句麗の人々が先進の文化を携えて定住された埼玉県の日高市にも足を運ばれ、韓日の友情を温める交流の集いに参加されました。
その意味におきまして、私は、本日の光栄を、縁深き神奈川、愛知、埼玉をはじめ、日本の友とも分かち合わせていただきたいのであります。
文化大恩の「兄の国」たる貴国との友好は、私にとりまして、幼き日に父から、そして、青春の日に恩師から託された、人生の大いなる宿願であります。
今、うれしいことに、韓日両国を基軸として、「平和」と「文化」と「教育」の民衆のスクラムを、アジアに世界に、盤石に広げることができました。
私の妻が、貴国の友人から教えていただいた、貴・京畿道で歌い継がれてきた素晴らしい子守唄があります。そこには――

高くおなりよ
山よりも
深くおなりよ
海よりも
ねんねん よい子よ
おころりよ

――(『朝鮮童謡選』金素雲訳編)と。
なんと温かく、なんと賢く、なんと偉大なオモニ(母)の祈りが込められていることでしょうか。
この尊きオモニたちの願いに応えゆく、山よりも高く、海よりも深い世界市民の大連帯を、私も誇り高き京畿道の一員として、尊敬申し上げる南知事はじめ、敬愛する皆さま方とご一緒に、一段と勇敢に拡大しゆくことを、ここにお約束申し上げます。
その決意を込めて、貴国の児童教育の先駆者・方定煥先生の励ましを申し述べさせていただきます。
すなわち、「勇気だ。持っている勇気と同じ分しか喜びは来ない。勇気だ! 旭日のごとく、降り注ぐほどの勇気だ」と。
終わりに――
わが心のふるさと、貴・京畿道に無窮の繁栄あれ! 人類の平和の黄金柱たる大韓民国に永遠の栄光あれ! 和楽あれ! 勝利あれ! と祈り、叫んで、私の御礼のご挨拶とさせていただきます。
テダニ・カムサハムニダ!(誠に、ありがとうございました!)

2016年3月10日木曜日

2016.03.10 わが友に贈る

御書根本こそ
正しき人生の軌道だ。
大聖人直結の
創価の誉れも高く
行学の二道を歩み抜け!

法蓮抄 P1050
『今法華経寿量品を持つ人は諸仏の命を続ぐ人なり、我が得道なりし経を持つ人を捨て給う仏あるべしや、若し此れを捨て給はば仏還つて我が身を捨て給うなるべし』

☆四季の語らい
日本語の「励まし」は、「励む」ようにさせることである。「励む」は、「激しく」気持ちを立ち向かわせること、とも言われる。「励ましの人」は、「勇気」という宝石を惜しみなく人々に与え、行くところすべてを明るい花園に変える。これほど素晴らしい人生はない。

☆女性に贈ることば 三月十日
生きることは戦いである。人生は、自分自身との戦いである。負ければ、この人生を存分に生きたとの喜びはない。悔いと苦悩と不幸を残すだけである。
私は、私らしく勝ったと、自分に胸を張れる人生でありたい。

☆今日のことば365 三月十日
瞬間々々 時は流れる
過去 現在 未来へと----
創造と建設
敗退と惰性
その人 その国に
さまざまな運命 歴史を
渦巻きながら----

☆四季の励まし きょう壮年部結成50周年 不撓の黄金柱たれ
わが壮年部が意気軒昂であれば、
婦人部が喜んでくださる。
青年部も快活に続く。
未来部も強く元気に育つ。
地域も社会も刮目する。
「黄金柱」とは、
一切を黄金に変えゆく柱だ。
大変であるほど、題目だ。
この無敵の師子吼で
雄渾なる大生命力を発揮し、
断じて勝ち抜くのだ。

たとえ年齢を重ねても、
元気のない声ではいけない。
生き生きと語るのだ。
壮年部は、凱旋将軍のごとく
胸を張って、朗らかに進もう!
青年と一緒に、
全力をあげて戦おう!
その人こそが、若い生命になる。
その人が幸福なのである。

だれが見ていようといまいと、
自ら決めた人生の道を、
いよいよ勢いを増しながら、
荘厳なる完成へと生き抜いていく。
信心と人格のうえでも、
社会人としても、
あらゆる面で一歩も退くことなく、
向上の坂をたくましく
上り続けていく。
そこに価値ある
"壮年"の生き方がある。

私と最も長く、
今世の人生を共にしてきた、
わが戦友の壮年部よ!
宿縁深く、共戦譜を綴りゆく
真金の君たちよ!
金が朽ちないように、
何があろうが、
厳然と庶民を愛し、護り、
輝かせゆく「黄金柱」たれ!
その尊き生涯を、
これからも私と共に、
同志と共に、
広宣流布の大願の実現に
尽くそうではないか!

2016年3月9日水曜日

2016.03.09 わが友に贈る

多彩な世代が集う
我らの座談会は
人間性輝く触発の広場!
にぎやかに 率直に
希望と歓喜の語らいを!

立正安国論 P31
『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か』

☆四季の語らい
人間のみが、人間を励ますことができる。人間のみが、人間の能力を最大限に引き出していける。人間のみが、人間を鍛えられる。人間のみが、人間を日覚めさせ、立ち上がらせることができる。

☆女性に贈ることば 三月九日
幸福というも、地獄というも、骨、自分自身の胸のなかにある。心のなかにある。

☆今日のことば365 三月九日
人生には反省も必要であろう。反省のない人に向上はあり得ない。だからといって、反省が自己嫌悪になっては無価値となる。それはあくまでも、明日への向上のためのものでなければならないのだ。

☆仏法の教え 貧女の一灯
◇大風にも負けない真心のともしび
ここは、むかしのインドのある国。王が住んでいる城の近くに、年老いた貧しい婦人が暮らしていました。
婦人は仏法を信じる心が強く、とても釈尊を尊敬していました。
「なにか釈尊にさしあげたい。でも……」
家には、ほとんど何もありません。着る物は、いま着ている服1枚しかありませんし、食べ物は、自分の食事だけで精いっぱいです。
そこで婦人は、町の広場に立って、道行く人に声をかけました。
「仕事をさせてください。洗濯でも、お裁縫でも、なんでもします」
ときおり足を止めて、「じゃ、洗濯を頼もうかね」という人、「破れた服を縫ってもらおうか」という人がいました。
婦人は、わずかな手間賃をたくわえて、釈尊への供養の品を買うつもりでした。

「なにか仕事をさせてください。洗濯でも……」
いつものように町の広場に立っていたら、たくさんの車が通ります。すべての荷台に大きなつぼが積んでありました。
「これは、なんでしょう?」
車の列を眺めていた男の人が答えました。
「ああ、なんでも王が釈尊にご供養するんだそうですよ。夜でも説法ができるように、麻の油を、お贈りするんだとか」
そのころ釈尊は、毎日、霊鷲山で説法をしていました。確かに、これだけの麻の油があれば、夜の暗い山の中でも、人々が師匠の顔を見ながら話を聞けるでしょう。
婦人は家に帰って、わずかなたくわえを手にして、油屋へ行きました。
「これで麻の油をください」
すると、お金を見た油屋の主人がいいました。
「少し足りないね」
「お願いします。釈尊に、ご供養するんです」
「うちも商売だからね」
婦人は、裁縫用に持っていたはさみで、長い髪を切って、「足りない分は、これで」と差し出しました。
主人は、渋い表情でつぼに半分だけ油を注ぎました。

その夜、霊鷲山では、麻の油を燃やして説法が行われました。王の供養した油は、盛んに燃え、婦人の供養した油は、ひっそり、ともっていました。
「ささやかな明かりだけど、少しでも釈尊のお役に立ちますように」
不意に強い風が吹きつけました。王の供養した油の火は次々に消えて、説法は終わりました。
次の朝、釈尊の弟子が、まだ燃えているともしびを見つけました。消そうとするのですが、消えません。
それどころか、まるで世界を照らそうとするかのように、ますます勢いよく燃え盛ります。みなが困惑していたら、釈尊がほほ笑んで言いました。
「このともしびには、供養してくれた婦人の真心が込められています。この真心によって、未来へ必ず素晴らしい境涯が開かれゆくことはまちがいありません。彼女は、たくさんの人を幸せにする、ほとけさまになるでしょう」

◇おうちの方へ
今回の物語は、阿闍世王授決経や根本説一切有部毘奈耶薬事巻第12等に説かれる説話で、「貧女の一灯」として知られています。
日蓮大聖人は「王日女殿御返事」で、『ある貧しい女の人が、自分の髪を売って、その代価で油を求め、仏にともしびを供養したところ、須弥山を吹き抜いた強風も、この女性が供養した火を消すことはできなかった』(P1263、趣旨)と仰せです。
同抄では、供養がささやかなものであったとしても、法を大切に思う真心に大きな福徳が薫ることを教えられています。
女性は貧しい身なりでしたが、釈尊への真心と誓願が輝いていました。その心によって、婦人が供養したともしびは大風に吹かれても消えることはなく燃え続けたのです。
私たちは「心こそ大切」であるとの信念で、信心を貫いていきたいものです。

2016年3月8日火曜日

2016.03.08 わが友に贈る

広布拡大を牽引する
青年部よ 頑張れ!
皆で真心のエールを。
創価家族の団結こそ
人材を育てる原動力だ!

御義口伝巻上 P716
『我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり』

☆四季の語らい
病気の人というのは、葛藤しているものです。自問自答というか、いつも自分の中で苦しみながら会話を戦わせている。その苦しい胸中を「聞いてあげる」ことは、それ自体が「抜苦」になります。「抜苦与楽(苦を抜き、楽を与える)」の抜苦です。それも、本当に親身になって聞いてあげる。その温かい「心」が、病を癒す力にもなるのではないでしょうか。

☆女性に贈ることば 三月八日
雨が降ろうが、風が吹こうが、寒さにふるえようが、または傷つき敗れても、家庭に帰って、母の温かい生命に触れさえすれば、心身の傷は癒える。

☆今日のことば365 三月八日
ほんとうの世界平和は、政治家同士が、結ぶ条約、経済人同士の提携によって、もたらされるのではない。生命と生命との間に結ばれた、信頼のきずなによってこそ、実現されるものだ。

☆牙城会指導集「師子王の誓い」 池田SGI会長が巻頭の辞
城あればこそ、民衆を護れる。
城あればこそ、人材は育つ。
城あればこそ、地域は栄える。
城あればこそ、正義は勝つ。
わが創価の若き城主たる牙城会の晴れの結成45周年、誠におめでとう!

恩師・戸田城聖先生は「城」という一文字を格別に大事になされた。青年時代には「城外」と名乗り、大難を勝ち越えて出獄した後は「城聖」と称された。
戦時中の弾圧は、創価教育学会を壊滅させ、先師・牧口常三郎先生を獄死せしめた。戸田先生は、その権力の魔性に敢然と挑み、もはや何ものにも屈しない難攻不落の城を築きゆかんとされたといってよい。
その恩師から、私は「大城」の雅号を頂いた。「城」の一文字に込められた記別に、私は「厳護」「拡大」「勝利」をもってお応えした。そして、そのまま、直系の「牙城会」に託してきたのである。君たちが不二の心で受け継いでくれていることが、無上の喜びであり、誇りである。

それは、1980年(昭和55年)8月31日、愛弟子たちが赤誠で開催してくれた第1回の牙城会柔剣道大会の折であった。
私も観戦した剣道の決勝戦で惜敗し、準優勝となった東北健児がいた。当時は剣道4段。のちに7段まで精進を重ねた丈夫である。私は、ずっと見守ってきた。「信念」「努力」「忍耐」——この牙城会の指針を体した彼は、10年後、監督の立場で東北の後輩たちを率いて、柔剣道大会に臨んだ。そして、執念の優勝を堂々と果たした。妙法を根本として、文字通り「十年一剣を磨く」という感動のドラマを刻んだのである。何よりも、人知れず、地道に堅実に、牙城会の使命に徹し抜いた青春の歴史は、17星霜となる。
その後、彼は、東日本大震災に際して、東北のリーダーとして、救援に復興に師子奮迅の戦いを繰り広げてくれた。今も、東北天地を駆け巡る日々だ。
「唱題根本」「絶対無事故」「時間厳守」「誠実な応対」「正確な連絡」——「牙城会で受け切った薫陶の全てが力となって生きています。一つも無駄はありません」と爽快に微笑み、あとに続く友を励ましている。
「冥の照覧」輝く牙城英雄の群像が、私の胸奥には無数に躍動して離れない。

今、信濃町の広宣流布大誓堂には、日々、日本全国、さらに世界五大州から、尊き求道の同志が集い、誓願の勤行会が行われている。
大誓堂の北側と南側に、それぞれ立ち並ぶ8本の柱は、日蓮大聖人が「最上第一の相伝」となされた法華経の「当起遠迎、当如敬仏(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)」(創価学会版法華経677ページ)の「八字」を象徴している。
この大精神で、大誓堂をはじめとする各会館で、私に代わって、同志を敬い迎えてくれているのが、牙城会の友である。
広宣流布の法城は、牙城会の君たちと一体である。
「法城さながら牙城会」であり、「牙城会さながら法城」なのだ。
そのあまりにも凜々しき振る舞いに感動したという報告が、私のもとには日本中、世界中から届く。
ブラジルSGIでも、1300人を超える牙城の勇者が、日々、仕事と学会活動の両立に励み、弘教に先駆するとともに、会館厳護の任についてくれている。
あの国でも、この国でも、牙城会の奮闘は、涙が出るほど嬉しく、頼もしい。
あらゆる人の生命に仏性を見いだし、その尊厳を輝かせゆく仏法の人間主義が、若き創価の世界市民の連帯によって時代精神へ高まる時、人類史は音を立てて、平和と共生へ転換しゆくことを、私は確信してやまないのだ。

牙城会の「牙」は、師子王の牙に他ならない。
日蓮大聖人は、「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(御書1190ページ)と仰せになられた。
ゆえに、広布と人生のいかなる試練に直面しようとも、決して恐れてはならない。退いてはならない。断じて勝つ。信心で勝つ。そう一念を定めて、誓願の題目の師子吼を轟かせるのだ。
恩師は言われた。
「魔が強いからこそ、勝てるのだ。信心が毅然として、そのうえで、魔が強いということは、必ず勝てるという証拠なのである。要は、自分自身の信心の決心にかかっている」と。
どうか、牙城会の誉れも高く、正義の牙を、勇気の牙を、英知の牙を鋭く研ぎ澄まし、雄々しく戦い抜いてくれ給え! そして、断固として勝って、わが家庭の城も、わが仕事の城も、わが地域の城も、歓喜と栄光に輝かせてくれ給え!
ともあれ、牙城会の成長が、学会の発展である。牙城会の勝利が、創価の勝利である。
家族を大切に! 友人を大切に! 社会を大切に! 賢者として、健康第一で絶対無事故の前進を、今日も朗らかに頼む。
世界の王者たる牙城会の君たち、万歳!

君と我
 共に師子王
  恐れなく
 勝って護れや
  創価の大城をば

2016年2月1日「牙城会結成記念日」を祝して

2016年3月7日月曜日

2016.03.07 わが友に贈る

◇今週のことば
全世界の希望と輝く
東北の負けじ魂に続け!
「妙とは蘇生の儀なり」
不屈の学会精神で
社会に勇気の復光を!
2016年03月07日

四条金吾殿御返事 P1186
『敵と申す者はわすれさせてねらふものなり、是より後に若やの御旅には御馬をおしましませ給ふべからず、よき馬にのらせ給へ』

☆四季の語らい
歴史とは、新しい一歩一歩の積み重ねである。遥かな未来も「今」という一瞬から始まる。「今」が旅立ちの第一歩となる。永遠なる平和絵巻を織りなすには、胸中に勇気の太陽を輝かせ、希望の虹を描いて「今」を勝つことだ。

☆女性に贈ることば 三月七日
強くあれ!
強くなれ!
希望は未来の勝利の旭日
幸福は自分自身の権利なり

☆今日のことば365 三月七日
諸君は今、はなばなしいことはできないかもしれない。コツコツ勉強しなさい。遊んでもいい。何をやってもいい。青年らしく少年らしく、自由奔放にやっていけばいい。

☆自分でできる高血圧対策! 第22回 白血病�
◇急性骨髄性白血病(AML)
「白血病」の四つの大きなタイプの中で、最も割合の多いのが、「急性骨髄性白血病(AML)」です。
骨髄の中の幼若な白血球である「骨髄芽球」が、がん化し、急速に増える病気です。
正常な血液細胞が減少することで、動悸や息切れなどの貧血症状のほか、細菌やウイルスへの免疫力が低下し、感染症を合併したりします。
また、血小板の減少により、皮下出血などの症状が現れます。
幅広い年代で発症しますが、高齢者に多い病気です。
血液検査で白血病を疑われた時は、骨髄検査(骨髄穿刺)などを行います。
たいていの場合は、腰の横にある腸骨に穴を開け、そこから骨髄を採取して詳しく調べ、その後の治療方針を決定します。

【治療】
〈寛解導入療法〉
基本は、他のがんのような手術や放射線治療は行わず、薬物療法(化学療法)を行います。
急性白血病では、複数の抗がん剤を併用した強力な治療が必要で、薬剤によって体内の白血病細胞を減らします。
最初の段階の治療は「寛解導入療法」といい、「シタラビン」と「イダルビシン」の2剤が用いられることが多いです。
治療は1週間程度で、骨髄中の白血病細胞がほとんどなくなる状態(5%以下)を目指します。この状態を「完全寛解」といいます。
〈寛解後療法〉
寛解になったからといって治療を中止すると、体内に残っている白血病細胞が再び増殖し、再発してしまいます。
従って、「寛解後療法」として、さらに抗がん剤による治療を行い、残っている白血病細胞をさらに減少させます。
「寛解後療法」が終了したら、外来での経過観察となります。

〈造血幹細胞移植〉
抗がん剤による治療で効果が得られない場合、あるいは寛解状態になっても再発の危険性が高い場合、あるいは再発してしまった場合などは、「同種造血幹細胞移植」を検討します。
血液のもととなる造血幹細胞をドナーから提供を受ける治療法です。
「骨髄移植」という言葉のほうがなじみがあるかもしれませんが、造血幹細胞は「骨髄」「末梢血」「臍帯血」から採取することができますので、これらをまとめて「造血幹細胞移植」といいます。
移植のためには「HLA型」の検査が必要です。
これは、白血球の血液型で細かく分類されており、患者さんとドナーさんで一致しないと移植ができなかったのですが、最近はHLA型の合わない移植方法も開発されています。
移植前には白血病細胞を完全に撲滅させるために、大量の抗がん剤の投与や全身放射線照射などの治療を行いますので、高齢の患者さんや内臓に障害のある患者さんには行うことができなかったのですが、使用する抗がん剤や放射線の量を減らす「ミニ移植」の開発によって70歳前後の高齢者でも移植が受けられるようになっています。
また、「急性骨髄性白血病」の一つのタイプである「急性前骨髄球性白血病」では、ほとんどの場合で特徴的な染色体異常が見られます。
「全トランス型レチノイン酸」を成分とする「ベサノイド」という薬を使った「分化誘導療法」で、8割以上の方が完全寛解となる治療効果が得られています。

◇急性リンパ性白血病(ALL)
成人では「急性骨髄性白血病(AML)」の方が「急性リンパ性白血病(ALL)」よりも多いのですが、小児では「ALL」が多く、「小児ALL」は化学療法によって根治できる可能性が高いので、しっかりと治療を受けてください。

【治療】
〈寛解導入療法〉
「ALL」も「AML」と同じように化学療法を行いますが、「AML」と比較すると治療期間が長くなります。
多剤を併用し、「寛解導入療法」では「エンドキサン」「オンコビン」「ダウノルビシン」「Lアスパラギナーゼ」「プレドニゾロン」などが一般的に使用されます。

〈寛解後療法〉
「寛解導入療法」の後は、さらに抗がん剤による「寛解後療法」を行って、体内に残っている白血病細胞の減少を目指しますが、再発の危険性が高いと判断された場合には、なるべく早期に「造血幹細胞移植」を検討します。
また、「ALL」では、「慢性骨髄性白血病(CML)」と同じように、通常は見られない「フィラデルフィア染色体」が見つかり、この染色体に由来する「BCR—ABL遺伝子」という異常な遺伝子が認められる場合もあります。
その場合は、分子標的薬である「イマチニブ」などの「チロシンキナーゼ阻害薬」が、高い効果を発揮します。

◇社会復帰も可能
治療法や薬の進歩はとても早く、かつては治療ができなかった病気が治癒できるようになった例も数多くあります。
特に「白血病」は、薬物治療の効果が高く、多くの方が「完全寛解」の状態を得て、社会復帰をされています。
決して治らない病気ではないのです。
大事なことは正しく診断して、正しい治療を行うことです。
基本的な治療法などについて述べてきましたが、病状や年齢などによって、さまざまな治療法がありますので、主治医ときちんと相談し、しっかりと病気に向き合っていくことが大切です。
現在は治療の副作用を軽減して、生活の質(QOL)を改善しようとする取り組みも進んでいます。

2016年3月6日日曜日

2016.03.06 わが友に贈る

苦しい時こそ
「原点」に返れ!
師弟の誓いに生きる時
無限の力が湧き上がる。
共に凱歌の人生を!

上野殿御消息 P1527
『生落されて乳をのむ事一百八十余石三年が間は父母の膝に遊び人となりて仏教を信ずれば先づ此の父と母との恩を報ずべし』

☆四季の語らい
人の話を聞ける人は、その分、自分に「ゆとり」がある人です。その「ゆとり」自体が健康の証明であり、健康のエネルギーなのです。詰を聞いてあげるだけで、相手の心が軽くなる場合もあります。

☆女性に贈ることば 三月六日
正義に生きる女性の魂ほど、尊く強く美しく、不滅のものはない。

☆今日のことば365 三月六日
獅子は猛獣に立ち向かっても、蟻の子一匹に向かっても、変わることなく猛然と三歩前進しては一歩退き、しかる後に決然と満身の力で獲物に襲いかかっていくという。それは絶対に過つことがない動作だ。

☆自分でできる高血圧対策! 第21回 低温やけど
まだまだ寒い、この季節。就寝時に電気毛布や湯たんぽを使用している人もいるでしょう。
そんな方々に注意していただきたいのが「低温やけど」です。
通常のやけどと違って激痛はありませんので、気が付いた時には、すでに重症化していることがよくあります。
「低温やけど」は、体温よりも少し高めのものに長い時間触れていることで起こります。皮膚の深部で炎症を起こしている状態ですので、表面上は軽症に見えますが、回復には時間がかかる場合が多いです。
特に、高齢者や乳児、他の疾患で体が自由に動かせない方は注意が必要です。
痛みが続くような場合は、すぐに医療機関を受診するようにしてください。
カイロを使う場合は、肌に直接、触れないようにします。また、湯たんぽや電気毛布などは、寝る前までの使用にし、就寝時は体から離したり、スイッチを切るようにしましょう。

2016年3月5日土曜日

2016.03.05 わが友に贈る

他者に尽くす行動が
わが生命を豊かにする!
友の悩みに同苦し
歓喜を分かち合う
創価の世界を広げよう!

南条殿女房御返事 P1547
『女人は嫉妬かさなれば毒蛇となる。法華経供養の功徳かさならばあに竜女があとをつがざらん』

☆四季の語らい
苦しい環境であっても、そこで歯をくいしばって頑張る人は、人が見つけられない「財産」を自分のものにできる。反対に、弱い人は、どんなに「恵まれた環境」でも、「自分をダメにする環境」にしてしまう。ヨーロッパには、「難破船には、どんな風も逆風になる」という、ことわざがある。

☆女性に贈ることば 三月五日
命にはかぎりがある。だからこそ、何に命を使うかが重要です。
人間を育てることは、最高に尊いことではないだろうか。

☆今日のことば365 三月五日
友よ 強く雄々しく立てよ
僕が信ずる 君が心を
苦しい仕事 深夜の勉強
これも修行だ 苦は楽し
君が信念 情熱を
仏は じっとみているぞ

友よ 負けるな希望を高く
僕が信ずる 君が心を
努力 努力 また努力

あの日の誓い忘れるな
君の意気と若さとで
断じて進め あくまでも

友よ 忘るな微笑を
僕が信ずる 君が心を
清らかに 夢みつつ
進みゆく君が心の美しさ
ああ わが友よ強く
君が友よ

☆自分でできる高血圧対策! 第20回 睡眠について
皆さんもご存じかと思いますが、睡眠には「レム睡眠(浅い睡眠)」と「ノンレム睡眠(深い睡眠)」があります。
入眠直後には「ノンレム睡眠」が現れて大脳が休息をとります。
そして、一晩の睡眠の後半には、夢を見る睡眠段階である「レム睡眠」が増えて自律神経系が休息をとります。
「ノンレム睡眠」と「レム睡眠」が現れるサイクルは約90分です。
従って、2サイクルの3時間、あるいは3サイクルの4時間半あれば、脳の休息は賄えると考えられています。
しかし、高血圧の人は、夜に眠れないと訴えることが少なくありません。
通常、睡眠中は自律神経の一つである副交感神経が働いて心拍数が減り、血管が広がるので血圧は下がります。
ですから高血圧を改善するためには十分な睡眠をとることが大切なのです。
このため高血圧の人の不眠は、健康な人の不眠よりも困った問題をはらんでいるといえます。
また、心身の疲れがとれないとストレスがたまったり、体調を崩したりしてしまいます。
ちなみに、ここでいう十分な睡眠とは、質の高い睡眠という意味です。
不眠を訴える人は、寝る前に精神的に興奮することをしている場合が多いようです。
例えば、テレビのスポーツ中継を見て興奮してしまった場合などです。
また、テレビやパソコンなどの明るい光を見ている人も、覚醒中枢のスイッチがオンの状態なので、なかなか入眠モードになれません。
よく眠るには、日中は体を動かすこと、そして寝る1時間ほど前には、軽いストレッチ体操などをしてからシャワーを浴びたりすると精神的にもリラックスできるでしょう。
寝室の照明の照度を落とし、静かな音楽を聴くなどして穏やかに過ごすのがいいと思います。
就寝前のお酒は、少量ならリラックスの効果がありますが、量が多くなるとアルコールの作用で睡眠の質が低下し、かえって寝付けなかったり、睡眠が浅くて何度も目が覚めてしまったりしますから、ほどほどにしましょう。
特に、体内にアルコールが残っている時に睡眠薬を服用すると、その前後の出来事を全く覚えていないという「逆行性健忘」になることが多く、時には異常行動を引き起こすこともあるようですので、注意が必要です。
次回は、高血圧の人の適度な運動についてお話をしましょう。

2016年3月4日金曜日

2016.03.04 わが友に贈る

今の課題は何か。
綿密な打ち合わせが
勝利への鍵だ!
活動の焦点を明確に
心を合わせて進め!

開目抄上 P192
『仏法を学せん人知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をいたすべし』

☆四季の語らい
波瀾万丈の苦労をしてこそ「人間」はできる。苦労もせず、思い通りにいけば、よいように思えるかもしれないが、結局は、傲慢で小さな人間になってしまうものだ。やりづらくとも、耐えて、努力し、乗り越えていく。その積み重ねのなかで「人格」はできる。

☆女性に贈ることば 三月四日
大切なことは、相手に同情する−−あわれむ−−ということではなくて、わかってあげることです。理解することです。人問は、自分のことをわかってくれる人がいる、それだけで生きる力がわいてくるものです。

☆今日のことば365 三月四日
最後の勝利者が
 真の勝利者というならば
  君の今日の労苦は
   栄光の第一歩と思うことだ

☆「御書活動者会」研鑽のために 3月度男子部 佐渡御書
『鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし』(P958)

◇通解
鉄は鍛え打てば剣となる。賢人・聖人は罵られて試されるものである。

◇背景と大意
本抄は、1272年(文永9年)3月、日蓮大聖人が佐渡・塚原で認められ、門下一同に与えられたお手紙である。
前年9月の「竜の口の法難」の後、大聖人は佐渡に流罪された。一方で、迫害の手は門下にも及び、弟子たちは投獄・所領没収などに処された。その中で、「大聖人が法華経の行者であるなら、なぜ大難に遭うのか」等の疑念を抱き、厳しい迫害を恐れて退転する者が続出したのである。
大聖人は、難に動揺する弟子たちを案じられ、文永9年2月に御自身が末法の御本仏であることを示された「開目抄」を門下一同に与えられた。本抄は「開目抄」の趣旨を要約して示された御抄とも拝される。
本抄で大聖人は、御自身が広布に戦い抜く誓いを示しながら、心ある門下が今こそ信心の団結を貫いて困難を乗り越えていくよう強調されている。

◇解説
法華経には、末法の法華経の行者に「三類の強敵」が現れ、「悪口罵詈(悪口をいわれ、罵られる)」「刀杖瓦石(刀や杖で打たれ、土塊や石を投げつけられる)」などの難が競い起こると説かれている。この経文の通り、日蓮大聖人には佐渡流罪をはじめとする数々の迫害が襲いかかった。
今回の拝読御文の前で、大聖人は不軽菩薩の「其罪畢已(其の罪は畢え已って)」の法理を通して、迫害に遭うのは"過去世からの罪業のゆえである"と仰せである。そして、その罪業を消滅し、幸福を勝ち取る宿命転換の方途を「鉄」の譬えを用いて示される。
鉄は高温の炎で熱され、何度も何度も打たれることによって不純物が取り除かれ、強じんな鋼となる。
同様に、法華経の行者も、信心根本に難に立ち向かうことによって、生命が鍛えられ、「宿命」を「使命」へと転ずることができると教えられている。
ゆえに、試練や逆境に直面した時こそ、自らを鍛える"最大のチャンス"と捉え、ますます信心を強盛にしていくことが肝要である。
また大聖人は、一つずつ現れるはずの大難が一時に集まり起こった理由について、強く法華経の敵を責めたからであると仰せである(P960、趣意)。民衆を不幸に陥れる誤った思想から目を背けず、徹底して破折されることで、あえて呼び起こした宿命を一挙に転換し、金剛不壊の御境涯を築かれたのである。
この大聖人の御闘争に寸分違わず、広宣流布の大願を起こし、あらゆる難を勝ち越えたのが創価三代の会長である。
また、仏意仏勅の創価学会には、"庶民を苦しめる悪とは、断じて戦い抜く"との破邪顕正の精神が、脈々と流れ通っている。
「烈々たる破折の魂、破邪顕正の精神こそ、日蓮大聖人の仏法の生命である。いかに時代が変わろうとも、この根幹は、いささかたりとも変わってはならない。ここに、学会精神の真髄がある」と池田SGI会長は語る。
私たち男子部も今、庶民をさげすむ軽はずみな風潮や愚劣なデマを見破りながら、一人一人が仏法の素晴らしさを語り抜く折伏行に挑戦している。その中で、相手から無理解の言葉や心ない批判を受けることもあるだろう。
しかし、それに屈せず、堂々と正義を語り抜く中に、自身の鍛えも、人間革命もある。
ゆえに「難こそ誉れ!」との精神で、対話拡大に果敢に挑戦し、何ものにも揺るがない確たる自己を築いていこう。

2016年3月3日木曜日

2016.03.03 わが友に贈る

会合の無事故・成功は
陰の尽力あればこそ。
寒い中、多忙な中
中継行事を支える
全役員に心から感謝!

如説修行抄 P504
『されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んで有る可しと知り給へ、されば釈尊御入滅の後二千余年が間に如説修行の行者は釈尊天台伝教の三人はさてをき候ぬ、末法に入つては日蓮並びに弟子檀那等是なり、我等を如説修行の者といはずば釈尊天台伝教等の三人も如説修行の人なるべからず』

☆四季の語らい
「民衆とともに歩み」「民衆の側に立つ」ことを、無上の誇りとする。この心に立つ人は強い。権力者だから偉いのか。政治家だから、有名人だから偉いのか。断じて、そうではない。名声など、幻のようなものである。

☆女性に贈ることば 三月三日
躾や教育に、こうでなければならないという決めつけは禁物である。
「桜梅桃李」−−桜は桜、梅は梅の言葉通りに、それぞれの子どもの長所を伸ばし、特性に合った生き方を選ばせてあげられるような環境を、できるかぎり用意してあげたいものである。

☆今日のことば365 三月三日
美しい女性の本質は、個性よりにじみ出た品格にある。また、言葉をかえると、清楚な化粧と、心豊かな価値創造に富む教養をそなえた女性に最大の美を感ずる。

☆生活に生きる仏教 痛みから見る肉体と心の関係
「いたいのいたいのとんでいけー!」。お母さんのその一言で本当に痛みが取れた。そんな経験はありませんか。痛みとは痛覚とも表現できるように、人が持つ感覚の一つです。
また、タンスの角に足の小指をぶつけた時、その瞬間、激痛が走り、呼吸が荒くなって脂汗が浮かび、なぜか怒りの気持ちが起こって誰かに悪態をついてしまいます。
このように、痛みは感覚だけにとどまらず、感情や精神に影響を及ぼし、不安や恐怖、苦痛を引き起こします。
1979年(昭和54年)に国際疼痛学会で、「痛みは、実質的または潜在的な組織損傷に結びつく、あるいはこのような損傷を表す言葉を使って述べられる不快な感覚・情動(感情の動き)体験」と定義されました。「疼痛」とは、ずきずきうずくような痛みを意味します。
痛みを伝える感覚神経は、例えば皮膚の表面から脊髄へ、さらに脳へと達し、大脳皮質の感覚野で初めて痛みが認識されます。ここからさらに、大脳の記憶や感情を司る部分に神経が伸びていて、感情が表れます。

◇危険を伝える警告の役割も
さて、痛みの「定義」に従って痛みを見ると、大きく三つに分けることができます。
「第1の痛み」に急性疼痛が挙げられ、これは実際に体の一部が損傷して痛みが起こるのですが、傷が治癒すると痛みもなくなります。こうした痛みは、「正常な痛み」です。異常があるから痛いわけですから「正常な痛み」とは、おかしな言い方ですが、「必要な痛み」と言い換えられるかもしれません。
これは、例えば"これ以上、動くと損傷が広がって命に関わるぞ"、あるいは"これ以上、長い時間、お湯に手をつければ、やけどするぞ"など、危険な状態にあることを伝える警告信号です。
「第2の痛み」は慢性疼痛であり、長期間持続する痛みです。
原因がなくなっても、なお持続する「異常な痛み」です。特に代表的なのは神経因性疼痛といわれるもので、痛みを伝える神経そのものが障害を受けて過敏な状態になります。このような過度の痛みが長期間持続すると、うつ病等の原因になります。
最後の「第3の痛み」は心因性の疼痛です。これは、痛みを伴うような身体的な要因がないのに痛みがある状態であり、心理的な要素が原因になっていると考えられます。

◇不安や恐怖は悪化させる要因に
神経因性疼痛や心因性疼痛は、持続的で病的な痛みを特徴としており、精神的苦痛となって社会生活に悪影響を及ぼします。
また、慢性疼痛は、その痛みが不安や恐怖を大きくし、それがさらに痛みを持続させるという悪循環に陥ってしまいます。
しかし、人は反対に感情によって痛みを抑制するシステムも持っています。あるときは心が痛みを増幅し、あるときは同じ心が痛みを軽減するのです。
ここで、慢性疼痛の軽減につながるのは、前向きな気持ちや、痛みは制御できるという考え、また喜びやリラックスのほか、家族や友人との関わり等が挙げられます。
逆に、不安や諦め、抑うつ感や恐怖、怒り、孤独は、痛みを増幅します。
例えば、"痛みをゼロにしなければならない"といった強迫観念や、"痛みが強くなったらどうしよう"という不安は、かえって痛みを意識させて、痛みを悪化させます。
むしろ、"痛みがあっても生活できるから大丈夫""体が痛いおかげで健康のありがたさが分かった"、あるいは"痛みは必ずコントロールできる"といった前向きな捉え方をする方が、痛みの軽減に結びつくと考えられます。近年、この精神面からのアプローチが注目され、「認知行動療法」として痛みの治療に取り入れられています。
痛みの身体的な感覚の側面から精神的な感情の側面に注目されるようになった大きなきっかけは、13年前に発表された研究でした。それは、精神的な苦痛を受けるだけで、体に痛みを受けた時と同じ脳の部位に反応が見られるというものでした。
脳科学から見れば、感情も脳内の電気信号の伝達として理解される、いわば物理的な現象といえるのかもしれません。しかし、心は感情だけでなく意識や無意識を含んだもっと大きな概念であり、その心を物理的な側面だけで捉えることはできません。

◇希望あふれる人生の源泉
こうした見方に立つ時、痛みを通して見た肉体と心の関係は、仏法の説く「色心不二」に通じるものです。
ここで色心不二とは、一般的には色法(物質・肉体面の働き)と心法(心の働き)が別々のものとして捉えられるのですが、仏法の法理から見れば、両者が生命それ自体において一体であることをいいます。
普通、肉体と心が影響し合っていると理解されても、肉体と精神は基本的には分けて考えられます。しかし仏法は、生命の根源的なあり方として、色心不二と説くのです。
体と心が影響を及ぼし合うという観点からすると、頑固な痛みと付き合っていく上で大切になるのは、先ほども触れたように、前向き、積極的な気持ちで生きること、また家族や友人と関わることになるでしょう。
痛みは、人生の苦しみを形作る大きな要素であることは言うまでもありません。
しかし、生老病死をはじめとする人生の苦悩を解決するのが仏法です。あらゆる生命と宇宙を貫く根本法にのっとって生きる時、人はどんな苦悩をも乗り越えられることを、仏法は教えています。
日蓮大聖人は『南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや』(P1124)と仰せです。百獣の王である師子がほえれば、あらゆる獣が恐れ、おののきます。南無妙法蓮華経を持つ人は、この師子と同じように、どんな病苦や苦難にも屈することなく、乗り越えていくことができるのです。
もちろん、痛みと上手に付き合う上で、医療の力は欠かせません。そのうえで、大聖人の仰せのように、仏法は希望あふれる前向きな生き方の源泉となります。痛みに苦しめられない生き方を実現する上で、信仰は大きな意義を持つのです。

◇コラム 「地獄の苦みぱっときへて」
腰痛など、慢性的な痛みを伴う疾患を抱える人は少なくありません。
仏法は、三世の生命観の上から、今世でさまざまな苦しみに遭うのは、過去からの宿業の報いであると捉えます。しかし、それは人間を宿業で縛り付けることを意味するのではありません。
むしろその反対に、未来にまで受けていかなくてはならない、宿業の報いによる苦しみを、妙法を持つことによって今世で軽く受けて消滅させることができます。
このことを日蓮大聖人は、『先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱっときへて』(P1000)と仰せになっています。妙法を持つことで、宿業の報いによる苦悩に決して左右されない生き方を実現することができるのです。
病気による痛み、苦しみは本当につらいものです。しかし、仏法を持って、人のため社会のためという大いなる目的に生きる中で、苦悩をも乗り越える、人生の喜びや生きがい、充実を得ることができるのです。

2016年3月2日水曜日

2016.03.02 わが友に贈る

悩みがあるから
成長できる。
苦難があるから
強くなれる。
わが境涯を勝ち開け!

御講聞書 P833
『法華経の行者は蓮華の泥水に染まざるが如し、但だ唯一大事の南無妙法蓮華経を弘通するを本とせり』

☆四季の語らい
信念に生きる人は強い。信念に生きる人は人格が光る。善悪を、きちっと見極めることができる。まっすぐに軌道を進んでいける。その人は、たとえ、ひとたびは負けたように見えても、最後は人間としての勝利者と輝く。

☆女性に贈ることば 三月二日
母は、わが家の太陽である。いな、世界の太陽である。
いかに暗く厳しい状況になっても、母がいれば、笑顔満開の光が消えることはない。

☆今日のことば365 三月二日
家庭の平和は、千金に勝る。一国の指導者というものは、家庭の幸福を築き、与えてゆくものでなくては、その資格はない。

☆世界広布新時代第16回本部幹部会 SGI会長のメッセージ
この1月、幾重にも思い出深き埼玉文化会館を、妻と訪問できました。
皆の真心で荘厳された創価の会館は、それぞれの国土を勝ち栄えさせてゆく、友情と和楽の城であり、哲学と文化の城です。安穏と福運の城であり、正義と人材の城です。
本日は、「広布の旗」翻る、愛する埼玉の法城に、大関東をはじめ、日本全国と世界の異体同心の友が集い合いました。
私と妻の心は、きょうも、ここ埼玉文化会館にあります。関東の各会館の皆さん方とも、心は一つです。
晴れがましい関東総会、また、意気軒昂の全国壮年部幹部会、さらに、団結みなぎる本部幹部会、誠におめでとう!(大拍手)
尊き研修のカナダ・ニュージーランドの皆さん、ペルー・パラグアイの皆さん、ヨーロッパ青年部の皆さん、台湾の皆さん、マレーシアの皆さん、そして韓国の皆さん、ありがとう! 本当にありがとう!

◇「3・16」を前に
あの忘れ得ぬ「3・16」の広宣流布の後継の儀式を前にして、恩師・戸田城聖先生が、しみじみと拝されていた一節があります。
それは「御義口伝」に記された『霊山一会儼然未散』(P757)という文です。法華経が説かれた霊鷲山の会座は、いまなお厳然として散らず、永遠に常住しているとの意義であります。
戸田先生は戦時中の法難の牢獄で、その極理を覚知され、そして、日蓮大聖人が宣言なされた「地涌の義」を現実の上に現し、生涯の願業である75万世帯に及ぶ陣列を呼び出されたのです。
戸田先生は言われました。
——わが学会員は皆、霊山一会に共にいた誓願の同志であり、家族である。この久遠の会座は、生死を超えて、未来永遠にわたって続いていく。
我らは、地涌の菩薩として、どこまでも共々に、娑婆世界で立正安国を推し進め、一閻浮提の広宣流布を成し遂げていくのだ、と——。
広宣流布のために、労をいとわず「一歩」を踏み出す地道な行動が、どれほど大きく希望の道を開くか。
立正安国のために、勇気を出して「一人」と語り合う地道な対話が、どれほど深く幸福の仏縁を結ぶか。
以前、埼玉の全婦人部の皆さんから、発心光る署名アルバムを届けていただいた折、私は御宝前にお供えして題目を唱え、色紙に書き贈りました。
「地道乃 人生に 最高の幸あり」と。
今、埼玉文化会館の恩師記念室に展示されています。
創価の最前線の母たち、また父たちほど、法のため、友のため、社会のため、来る日も来る日も、コツコツ、コツコツと尽くしている方々が、一体、どこにいるでしょうか。
不軽菩薩が悪口罵詈にも屈せず、どんな人にも仏の命があると語りかけた如く、わが同志は何があっても、あきらめず、へこたれず、法華経の最極の仏道修行に徹し抜いている。地道だから、決して揺るがない。断じて負けない。これが、学会の強さであり、深さです。
東日本大震災より5年——。
この創価の負けじ魂の真髄を示し切って、心の復興を果たしている大東北の誇り高き凱歌の友に、皆で大拍手を送ろうではありませんか!(大拍手)

◇妙法の種を
御聖訓には、『然どもいまだこりず候 法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり』(P1056)と仰せであります。
闘諍言訟の末法であるゆえに、時代は乱れ、濁っている。荒れ果てた衆生の「心の大地」を蘇生させることができるのは、大聖人の正統の我らしかいません。
いよいよ「いまだこりず候」と、祈りに祈り、動きに動き、語りに語り、「妙法の種」を蒔いて、そして、身近な地域社会にも、壮大な地球社会にも、「幸福の花」「人材の花」「平和と文化と教育の花」を、爛漫と咲かせゆこうではありませんか!
法華経の「霊山一会」とは、あらゆる差異を超え、久遠元初の誓いで結ばれた、仲睦まじく、清く楽しい究極の世界市民の大連帯です。
すなわち、最高に晴れ晴れとした「人類共和」の我ら創価家族の世界です。
その中心に輝く「太陽の婦人部」の皆さん、また「共戦の壮年部」の皆さん、そして、「後継の青年部・未来部」の皆さんの健康と栄光を心から祈りつつ、記念の和歌を贈ります。

常勝の
 旗をば胸に
  三世まで
 共に進まむ
  楽土を築きて

どうか、皆さん、お元気で! 一生懸命に題目を送ります。

2016年3月1日火曜日

2016.03.01 わが友に贈る

さあ 躍動の3月だ。
みずみずしい精神で
足取り軽く前進を!
希望送る語らいで
笑顔の花を咲かせよう!

異体同心事 P1463
『一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし、百人千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず』

異体同心事 P1463
『一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし、百人千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず』

☆四季の語らい
人間は「真理」を求めて旅をしなければならない。その「真理」とは、実は、因っている人、弱い立場の人を助ける「慈愛の行動」のなかにある。高尚な「知識」のなかにあるのではない。どんなに知識があっても、観念の遊戯や、民衆への軽蔑があるならば、その人は「真理」から一番遠いところにいるのです。

☆女性に贈ることば 三月一日
若い時に安逸を余り、苦労しないのは、不幸な青春である。
自分では自由なつもりでいて、結局、最後は不自由な敗北者となってしまう。
苦労すべき時に苦労し、勉強すべき時に勉強するのが、幸福な青春である。それが、一生涯の幸福の礎となる。

☆今日のことば365 三月一日
いかなる場合でも積極的に発言すべきである。そう明にして要をえた言々は、黄金であり沈黙は銀である。

☆大白蓮華巻頭言 2016年3月号 丈夫よ「この道」勝ち抜け!
我ら壮年部は、一九六六年(昭和四十一年)三月、婦人部、青年部に遅るること十五年にして誕生した。
思えば、法華経の会座に最後に馳せ参じたのは、普賢菩薩である。普賢は遅れを取り戻す如く、末法に法華経の行者を守護することを、真剣に誓った。
その熱誠を、仏はことのほか喜ばれたのである。
壮年部の結成に当たって、私たちは約し合った。
「壮年部は、各部のなかの一つの部ではない。各部の調和をとり、責任をもって、学会を、会員を、守る。創価の城を支えゆく、黄金柱になるのだ」と。
この誓いのままに、妙法の名将たちは奮い立った。
私と共に、広宣流布の責任を担い、支部で、地区で、ブロックで、同志を励まし、守り抜いてくれた。
学会が、諸難ありとも、微動だにせず、大発展を遂げてきたのは、まさしく「黄金柱」たる壮年が、いずこの地にも雄々しく吃立しているからである。
いかなる社会と人生の烈風が吹き荒れようとも、歯を食いしばって厳然と、創価の城を支えてくれた尊き父たちのことを、どうして忘れられようか。
日蓮大聖人は、『天・地・人を貰きて少しも傾かざるを王とは名けたり』(P1422)と仰せである。
大宇宙をも包みゆく、壮大な「一念三千」の法理を行ずる我らだ。権力によらず、財力にもよらず、ただ一人の男として生命の本源の底力を発揮し、生老病死の苦悩に応戦して、創価家族を牽引するのだ。
無名無冠なれど、最も誇り高き人間王者である。
恩師・戸田城聖先生は「王者の中の大王者」の道を進み抜かれた。先生は悠然と語られている。
「私は、かりに地獄に堕ちたとしても平気だよ。
その時は、地獄の衆生を折伏して寂光土とするんだ。
男が臆せば男ではない。どんな苦労も仏の力に変えられる。三障四魔が強いのは、むしろ信心で、必ず勝てるという証しなんだ。人生は強気でいけ!」と。
創価の王者に恐れはない。遽巡もない。気取りもなければ、威張りもない。ありのままの人間味で、庶民と共に、庶民のために、毀誉褒股など豪快に笑い飛ばして戦う。現実社会の只中で、法華経の兵法を掲げて大闘争を続ける。そして、後継の宝の若人を慈しみ、自分以上の大人材へと育てゆくのだ。

丈夫よ
 この適勝ち抜け
  友のため
 王者の戦を
  堂々飾れや