勝つための人生だ。
勝つための信心だ。
同じ生きるならば
一日一日を悔いなく!
挑戦の自分史を綴れ!
聖愚問答抄上 P498
『世間のことわざにも一は万が母といへり』
◇希望の明日へ
一人一人が人間として最大に輝き、その"人間の光"で家庭を照らし、地域を照らし、社会を照らしていく。人間と人間の友情を、幾重にも結び、世界に希望の光を送っていく。この人間主義の大道を、さらに、にぎやかに愉快に進んでいきたい。
平5・2・28
☆女性に贈ることば 十月三十日
「あのうちが、こうだから」とか、「このうちは、ああしていた」と気にして、何か同じようでなければならないと考えるのは、愚かです。他人と比較しても、他人と同じにはなれないし、なる必要もない。それでは、にせものをつくります。形式をつくります。見栄っ張りをつくり、体裁をつくってしまう。
☆今日のことば 十月三十日
この社会、この世界は、決して、大人だけのものではないのだ。
次をゆずるべき少年青年達の社会であり、世界があることを真摯に自覚すべきである。
☆我らの勝利の大道No.117 人生の舞 文化の光彩
◇第一級の輝きに触れよ!
生命の
明朗王の
君なれば
悲劇の友も
喜劇に変えゆけ
人生は波瀾万丈の劇だ。
苦難の夜を越えれば、晴れわたる朝が来る。試練の風雪を耐え抜いてこそ、栄光の太陽は輝きわたる。
我らは、何があろうとも毅然と前を向き、断固として使命の舞台で舞う。
苦悩に沈む友には勇気を贈り、戦い疲れた友には安穏をもたらし、孤独に悩む友には希望を広げる。
持てる力を自他共に発揮しながら、大いなる勝利劇の主人公となって「人間はかくも偉大なり!」と謳い上げていくのだ。
日蓮大聖人は、『一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』(P970)と門下に厳命なされた。
安逸に流されても一生。激流と戦い切っても一生。
同じ生きるならば、悔いなく、最高の充実と誇りの人生を飾り、永遠に消えざる福運を残していきたい。
そのための信仰である。
私は、二十一歳の日記に、こう記した。
「詩想豊かな青年、感激と努力に生きる青年。その尊き青年の生涯こそ、芸術上の極致の生き方なりと表現したいものだ」
わが師・戸田城聖先生のもと、私は無上の青春の劇に全身全霊で挑み抜いた。
戸田先生は、断崖絶壁のような事業の窮地の中でさえも、私を徹して鍛え、学ばせてくださった。
「一流を見よ!」とは、一貫した師の薫陶である。
妙法は、大宇宙を貫く根本の大法だ。あらゆる次元において、厦々と尽きせぬ価値を創造できる「活の法門」なのである。
この一切を活かせる最高の哲学に若くして巡りあったからこそ、君よ、求めて一流に触れ、世界を舞台とする平和指導者に育ちゆけ、と期待されたのだ。
では、求めるべき一流とは何か。何をもって自身を高めていくのか−−。
恩師が常に凝視されていたのは、誠実に精魂を傾けた仕事かどうかという一点であった。世間の評判ではない。自分の仕事に誇りを持ち、何事もゆるがせにしない真剣さがあるかどうか。そこに一切の基準を置かれていた。
そして、青年に対して、「誠実に生きるのだ、尊い自己の使命を果たし抜け」と、真実一路の生き方を教えてくださったのである。
一流の文学を読む。
一流の音楽を聴く。
一流の絵画を観る。
一流の魂に触れる、その切磋琢磨によって、一流の人格も磨かれるのだ。
私と不二の青年部は、創価の平和と文化の大運動の中で、世界第一級の芸術もわが友としながら、心の宇宙を広げ、気宇壮大に前進していただきたい。