後輩を自分よりも
優れた人材に!
そう決めて祈ろう。
若き力を伸ばす人が
未来を築く功労者だ!
祈祷抄 P1351
『かかるなげきの庭にても法華経の敵をば舌をきるべきよし座につらなるまじきよしののしり侍りき』
◇希望の明日へ
皆、同じ人間である。尊厳なる人間である。それ以上でも、以下でもない。しかし宗教上の独善的なエリート意識は、この当たり前の道理をも見えなくしてしまう。キリスト教の聖職者は、自分たちを神と民衆との中間に立つ者として、民衆、平凡な人間よりも上位にあると錯覚してしまった。これは、ある意味で、一神教の教義そのものがもつ危険性に由来すると、よく言われる。これに対し、仏法は一切衆生に仏性、仏界を認める。悪とは断固、戦うことは当然として、不軽菩薩のごとく、人々の仏性を礼拝しゆくのが、仏教の根本精神である。ゆえに、仏教史上、魔女狩り、異端狩りのような歴史はなかった。無力な信徒を、問答無用に処分するような考え方や行為は、絶対に仏教ではない。いわんや日蓮大聖人の仏法の世界では、大慈大悲の御本仏への反逆となろう。仏法は、どこまでも人間尊重であり、磨かれた人格によってこそ、社会の人々に法の偉大さも伝えていくことができるのである。
平3・1・18
☆女性に贈ることば 十月十六日
すべてに喜びを見いだしていくことだ。自分が喜べば、周囲も、さわやかになる。笑顔が広がる。価値が生まれる。
☆今日のことば 十月十六日
大事な時に、人々の善悪が、わかるものだ。大事な、事件の時に、立派な、態度でありたい。
☆生命の光母の歌 第1章 出会いの曲、ウィーンの調べ
池田SGI会長 サイフェルト博士との初めての出会いは、東京でお迎えした時(1989年7月10日)でしたね。
サイフェルト博士 そうです。当時、私はオーストリア文部省で海外担当の文部次官として働いていました。
ある日、私はウィーン在住の日本人ピアニストと一緒に仕事をする機会がありました。彼女の友人である創価学会の方々を通じて、初めて池田会長と仏法のことを知ったのです。
そしてSGIの方々との交流が始まりました。その中のメンバーの一人がヨシオ・ナカムラさん(現・オーストリアSGI参与)です。彼らと話すうちに、会長と私の人生観が似ていることに気がつきました。
すると、それを察したのか、次の日には文部省の私の机の上に大きな紙袋があり、中にはドイツ語で出版された会長の全ての書籍が入っていたのです。
私は会長の書籍を一気に読破しました。そして、"自分はもう一人ではない! 同じような思考を持つ人がいたのだ"ということを感じ取ったのです。
私が描いていた人生の実像が非常に明快になった瞬間でした。
それは、輪廻やカルマ(業)といった概念で、自分の中に当たり前のようにあったものだったのです。
実は東京で私たち夫婦が会見場に到着した時、玄関に立っておられた方が池田会長とは気づきませんでした。それまで、お目にかかったことがなかったものですから。
一人の紳士の前を車で通り過ぎたのですが、誰かに"レントゲン"のような達眼で見透かされている気がしたのです。それが会長でした(笑い)。
池田 あの日のことは、私もよく覚えています。オーストリアと曰本の修好120周年の佳節でした。
サイフェルト博士は、両国の交流推進を強く希望され、「大事なことは、交流を通して、多くの人々が互いに『人間として理解し合う』ことです」と強調しておられましたね。全く同感です。
あれから二十数年が経ちましたが、文化交流、教育交流が、ますます大事になっています。
これだけグローバル化され、情報化社会になっても、肝心の人間と人間の「顔」の見える交流が追いつかない。ゆえに摩擦が生まれ、衝突が起きやすくなってしまった。心の絆の大切さが、多くの人々から指摘されるゆえんです。