「一つ心なれば
必ず事を成ず」
同志の絆と団結が
学会発展の原動力だ。
異体同心で進みゆけ!
千日尼御返事 P1318
『豊後房に申し候べし既に法門日本国にひろまりて候、北陸道をば豊後房なびくべきに学生ならでは叶うべからず九月十五日已前にいそぎいそぎまいるべし』
◇希望の明日へ
だれ人も平等の権利をもつ人間である。その尊厳さに何の差別もない。ゆえに、何があろうとも絶対に卑屈になってはならない。うつむいてはならない。誇りと自信をもって、輝く瞳を上げ、堂々と生きぬく人が幸福者である。
平3・3・16
☆女性に贈ることば 十月十七日
どんなに絶体絶命の危機にあっても、最後の最後まで「希望はある」と信ずることだ。胸中にある希望は無限だからである。
☆今日のことば 十月十七日
宇宙自然の運行は、複雑微妙である。しかし、ごまかしのない確たるものであることも事実である。その本質をどれだけ的確に洞察し、人間生活をより実り多きものにするか。そして、人間の歴史が営々として築きあげてきた知識の遺産のいずれが正しく、いずれが間違っているか----その判別の作業は、困難だが重要なことではないだろうか。
☆生命の光母の歌 第1章 出会いの曲、ウィーンの調べ
サイフェルト 忘れてはならないのは、2011年に日本を襲った大地震(東日本大震災)です。本当に恐ろしい出来事でした。東北の被災地で起こっていること、特に福島のことに対して、心を痛めていない人は誰もいません。
私たちは、日本の皆さまがいまだに生死に関わるような試練と戦っておられることに、祈る思いでエールをお送りしたいのです。
池田 あの震災の直後、サイフェルト博士のインタビュー記事が掲載されました。
ご主人を亡くされた体験を通し、「人生には、とても多くの苦しみがつきもの」であり、「人はその苦しみに打ち勝つことができる、打ち勝たなくてはいけない」と語られたお言葉は、多くの友の心を奮い立たせるものでありました。
この「生と死」をめぐっては、また回をあらためて取り上げたいと思いますが、博士との最初の出会いからの、私たちの語らいの主要テーマでしたね。
サイフェルト 本当にそうでした。最初の会見は、当初の予定では20分ほどの懇談で終了するはずでしたが、気がつけば2時間に及んでいました。
しかしその時、私にとってはある意味、"再会"のように感じられました。過去世からの縁で結ばれていたと言っても、過言ではありません。そして池田会長ご夫妻にお会いするたびに、温かな真心が伝わってきました。
私は思うのです。対話において最も大切なのは、「魂の共鳴」であると。つまり、お互いの精神の中に互いを認め合ったり、受け入れたりできる安心感や信頼感です。
池田 おっしゃる通りですね。さまざまな差異を超えて、同じ人間として、各界・国内外の人々と交流を重ねてこられたサイフェルト博士ならではの含蓄のある言葉です。
それはまた、私の強い実感でもあります。東西の対立が続いていた1974年9月、私はモスクワ大学の招へいをいただき、初めてソ連(当時)を訪れました。民間人の立場から、日ソ友好の道を少しでも拡大するためです。
訪問の前に日本国内で巻き起こった、「宗教否定の国に何しに行くのか」などの批判の声に、私は迷わず答えました。
「そこに人開かいるから行くのです」と。
その信念から、教育関係者はもとより、市井の人々とも交流を重ねました。10日間の訪問の最終日に、コスイギン首相との会見がありました。
「あなたの根本的なイデオロギーは何ですか」と問う首相に、私は間髪をいれず答えました。
「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です」
首相は、「この思想を私たちソ連も実現すべきです」と真剣な表情で語っていました。
会見では、当時、冷え切った関係にあった中ソ間の融和、核軍縮も話題になりました。日ソの相互理解へ、幅広い民間・文化交流を展望したのです。
コスイギン首相とは、その翌年にもお会いしました。
首相が亡くなられた後にはご家族を弔問し、令嬢のリュドミーラ・グビシャーニさんから、首相の思い出を伺いました。
ともあれ、他者への尊敬を根底にした語らいを! 生命尊厳の道を見つめる対話を!
そこに魂の共鳴もあります。
真の友情は、国境を越えて、世代を超えて、輝きわたります。
私たちの対談も、まだ始まったばかりです。存分に語り合いましょう!
平和のために!
文化のために!
サイフェルト ええ、喜んで!
◎台風26号に最大の注意と警戒を!、我は今日は休みかな!(^^)!