いかなる宿命の嵐にも
断じて負けるな!
「今が変毒為薬の時」と
強盛に題目を唱えよ。
祈りに勝る力なし!
上野殿後家尼御返事 P1504
『夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はずただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふこれにまよふを凡夫と云う』
◇希望の明日へ
個人を尊ぶ人権闘争−−そこに仏法の"心"がある。大乗仏典には、ある在家の婦人が、釈尊に次のような誓願を立てる話が説かれている。"私は、孤独の人、拘禁され自由を奪われた人、病気に悩む人、災難に苦しむ人、貧困の人を見たならば、決して見捨てない。必ず、その人々を安穏にし、豊かにして、苦しみから救っていく"−−と。この誓願に象徴されるように、仏法は、抑圧され、差別されて苦しんでいる人間の救済をこそ目的とした。そこには、現代に通じる優れた人権感覚があり人権紺争があったのである。
平5・6・4
☆女性に贈ることば 十月四日
老いを、単に死に至るまでの衰えの時期とみるのか、それとも、人生の完成に向けての総仕上げの時ととらえるのか。同じ時間を過ごしても、人生の豊かさは天と地の違いがある。まっ赤な夕陽のような荘厳な生命を燃やしゆくことだ。
☆今日のことば 十月四日
花鳥風月−−大自然の美しさに、恵まれているわが国だが、四季のなかでも、秋は、また格別だ。特に夜がいい。一日の仕事を終え、一息いれながら、ふと眺める、さえた月に、忘れられていた自然を再発見し、そのなかにいる自分をあらためて見直してみることがある。
☆学園抄第9回 語学の翼
◇英語は「度胸」
「南アフリカの人種問題を解決したいんです」
開校した年の1968年(昭和43年)12月21日、東京・創価学園の栄光寮。創立者・池田名誉会長との懇談会で生徒が質問した。法律、農業、工業……。南アフリカのため何を勉強すべきか。
創立者は明快だった。
「語学を勉強しなさい」
"Can you speak English?" (英語は話せる?)
突然の創立者の英語。
"No..."と戸惑う生徒。
「大きなビルを造るには、深く掘らなくてはならない。基礎です。その基礎を固く造るというのが、今の段階では語学なんです」
創立者は折々に、語学の大切さを訴え、アドバイスを送ってきた。
「これからは英語が話せて当たり前の時代」
「語学は自分自身の世界を広くするんだ」
「英語は『度胸』だよ」
時には、自身の経験をありのままに語る。
−−イギリス・ロンドンで"20世紀最大の歴史家"アーノルド・J・トインビー博士と2年目の対談を行った73年5月。博士の招待で外食をした。場所は会員制クラブ。紳士専用の部屋で2人きり。
「英語のあまりできない私は、本当に困りました。『ああ、もっと英語を勉強しておけばよかった』と心から悔やみました」
戦時中の青春時代。敵性語とされた英語は学べなかった。悔しい思いを学園生にさせたくない。
2003年4月8日、創立者は東京校で入学式に出席。関西校と中継で結び、東西の新入生を祝福する。
"Winter is over. Spring nas come. The sun is shining brightly! Congratulations. Freshmen! Do your best!"
(冬は去り、春めぐり来て、太陽は輝く! 新入生、おめでとう! みんな頑張れ!)
スピーチを英語で始めた。
「21世紀の地球を担いゆく皆さんに、『花の世界市民のパスポート』を渡したい。それは語学である」
「皆さんには、人類全体を平和に統合しゆく尊き使命がある。その大いなる翼こそ、語学力なのである」
one! Two! Three! Four!..
黒板の数字を英語で読み上げる、かわいい声。1980年4月9日、東京創価小学校。5年生が同校初の英語授業を受けていた。
"Hello!"
教室の後方から声。振り向くと、ほほ笑む創立者がいる。
"Hello!"
一瞬の驚きの後、明るいあいさつが返ってきた。創立者は黒板に向かい、チョークを走らせる。何を書かれるのかなあ? 輝く児童の瞳。
"How do you like Soka shougakkou?" (創価小学校は、どうですか?)
筆記体の英文だった。
教員が記した"It is a very nice school." (とても素晴らしい学校です)との回答に、創立者が線を引く。
「皆、語学をしっかり身に付けて、将来は海外へ行けるようにね!」
池田先生と英語を勉強できた! 児童の自信になった。