2013年10月13日日曜日

2013.10.12 わが友に贈る

会合運営に携わる
全ての役員に感謝!
どうか無事故第一で。
学会厳護の使命に
無量の功徳は輝く!

御義口伝巻上 P716
『衆生に此の機有つて仏を感ず故に名けて因と為す、仏機を承けて而も応ず故に名けて縁となす、是を出世の本意と為す』

◇希望の明日へ
真の宗教は、また、本来の仏法の精神は、「人間主義」であり、「平和主義」「文化主義」である。いかなる権威・権力にも屈せず、人間が人間として、堂々と胸を掛って生きていくことを教えるのである。その力と知恵を民衆に与えるのである。
平2・8・21

☆女性に贈ることば 十月十二日
何があっても、「私は太陽なんだ!」と悠然と生きることだ。
もちろん、曇りの日もある。しかし、曇っていても、太陽はその厚い雲の上で変わらずに輝いている。苦しい時も、心の輝きを失ってはならない。

☆今日のことば 十月十二日
人間に心情を語ることにかけては、音楽ほど真正直なものはないだろう。嘘をつこうにも嘘のつきようはない。言語もいらない。論理を追う必要もない。理解しようなどと身がまえる愚かさを、さらさら必要としない。耳を澄ましていれば、わが心のなかの楽器は自然と共鳴するのだ。

☆生命の光母の歌 第1章 出会いの曲、ウィーンの調べ

池田 以前にお会いした折も、言われていましたね。
「人生はあまりにも短い。"何か"を残さねばならない」と。
今も変わらず若々しい心で、謙虚にそして真剣に人生の価値を探求し、創造される姿勢に感動します。
私はローマの哲人セネカが友人(ルキリウス)に贈った言葉を思い出しました。
「物事を先送りしていれば、人生はそのあいたに過ぎてしまう。この世に何一つとして、ルキリウス、自分の所有物だと言えるものはないんだ。時間だけなのだよ、これぞ自分のものと言えるのは」 「これこそ、どんなに感謝してもし足りないほど値打ちのある唯一つのものなのに」 (中野孝次著『セネカ現代人への手紙』岩波書店)
何のために、どのように、時間を使うか。そこに、その人の生き方が表れます。

サイフェルト ええ。そして、一定の年齢に達した時、つまり私にとっての最近の数年間における関心事は、いわゆる「死への準備」を整えることです。
わが人生に、あと、どれほどの時間が残っているか、誰にも分かりません。
だからこそ、時間は大切であり、かけがえのないものとなるのです。

池田 仏法では、『臨終只今にあり』(P1337)との覚悟で、今の一瞬一瞬を大切にし、一日一日を真剣に生き切り、最高の価値を創造していく道を教えています。
いかに財産があっても、立場があっても、それが人生の確かな充実になるとは限らない。むしろ、虚像となってしまう場合が、あまりにも多い。
ですから、いかなる目的を持ち、いかなる哲学を持って、人のため、社会のために尽くしていくかが大事になるのではないでしょうか。

サイフェルト 私自身がそうした深い人生を生きているかどうかは分かりません。ただ、「他者のために自分を使いたい」という強い気持ちがあるのは確かです。

池田 尊いお心です。仏法で説く「菩薩」の精神に通じます。
さて、私はこれまで3度、貴国を訪問しました。芸術の香気あふれるウィーンの街が大好きです。世界の人々の憧れでもあります。
貴国の作家ツヴァイクは、多くの民族と文化が融合するウィーンを、"素晴らしく交響曲化された都市""自然と溶け合っている町"と讃え、市民が愛したブルク劇場を"大宇宙を映し出す小宇宙"と形容しました。
また「真のウィーン人」とは"文化に対する愛、芸術への感覚を持ち合わせている人"とも綴っています。〈原田義人訳『昨日の世界I』〉。
この先哲の洞察は、今もそのまま当てはまるのではないでしょうか。
アメリカのニューヨーク、スイスのジュネーブとともに国連機関が置かれるウィーンは、国際的な平和交流の舞台でもあり、音楽を愛好する世界市民の都と光っています。

サイフェルト そうかもしれません。ウィーンは文化的にも揺るぎない地位を築いています。
ウィーン・オペラは芸術的水準が非常に高いといえます。コンサートも、"どこに行ったらいいか分からない"と言っても過言ではないほど、たくさん催されています(笑い)。外国の方々が気に入りやすいと思います。

池田 サイフェルトさんにとって、生まれ育ったウィーンはどのような街なのでしょうか。

サイフェルト 私は生粋の"ウィーンっ子"です。母はドイツ人ですが、父はウィーンの出身です。
観光事業という点から見れば、今日のウィーンは世界有数の都市であるといえます。単に私の意見を申し上げているのではなく、何かで読んだことを記憶しています。

池田 行事の合間に地元の方に、有名なウィーンの森の一角、ヘレン渓谷を案内していただいたことも懐かしいです。
しんとした静けさに包まれ、わきを流れる小川には"歌"があり、そよ風には"詩"がありました。1981年の5月のことです。濃淡ある美しい緑に、心が洗われるようでした。
滞在中には、ハイリゲンシュタットにあるベートーベンゆかりの家も訪れ、近くの丘から、ドナウ川とウィーン市街を一望しました。