2013年10月31日木曜日

2013.10.31 わが友に贈る

身近な家族を大切に。
「ありがとう」と
感謝を言葉で表そう!
一家和楽の実現こそ
学会の永遠の指針だ。

四条金吾殿御返事 P1168
『又我が此の一門の中にも申しとをらせ給はざらん人人はかへりて失あるべし』

◇希望の明日へ
仏法では、小我から大我への、根源的生命変革の道が説かれている。人間の心には、宿業的ともいえる欲望、エゴが渦まいており、この欲望、エゴにとらわれた心によって生まれるものは、いがみあい、ねたみ、争いである。こうした生命を小我という。この生命を、慈悲と活力に満ちた宇宙大の心へと広げ、高めていく−−これが、大我の生命への転換である。一人一人が、この大我の生命に立ったとき、平和と安穏な人間社会の建設が可能となるのである。この生命の変革こそ、宗教、なかんずく仏法の役割だと思う。これまでも、幾度となく、数多くの人々の、平和実現への努力があった。しかし、その結実を見ないまま、世界は核兵器の出現等もあって、ますます平和から遠ざかっている。これも、外的、付随的な方法の改革は行われても、根本となる人間生命の変革が十分になされなかったがゆえである。
平1・3・6

☆女性に贈ることば 十月三十一日
一時の勝ち負けよりも大事なことは、何か。それは、「頑張ろう!戦いきろう!」という熱い情熱が燃えているかどうかです。

☆今日のことば 十月三十一日
趣味というものに理屈はない。必ずしもなんらかの自己の目的と合致しなければならないというのでもない。いうなれば、趣味とは、自分の世界ができることの喜びであり、それ自体が楽しみなのである。

☆我らの勝利の大道No.117 人生の舞 文化の光彩
◇人間結ぶ芸術の力
中国の国学大師・饒宗頤博士は、「第一級の作品」が持つ感化力に注目され、「勇気や希望を心に灯し、或いは清澄な心を引き出すのが、真の芸術といえましょう」と、私に語られた。
芸術は、人びとの魂を鼓舞する。心を豊かにし、前進への力を漲らせる。
たとえ言語や民族、歴史、風土の違いがあっても、芸術に国境はない。人間と人間を近づけ、心と心を結ぶ不思議な力がある。
私が民主音楽協会(民音)や東京富士美術館(富士美)を創立したのも、その一助となればとの思いからである。
当時は東西冷戦下−−。
"文化の力で世界を平和に!"という願いなど、夢物語だと笑う人もいた。
しかし私には、どこの国であろうと、そこに住んでいるのは、同じく平和を願う「人間」であるという確信があった。平和だから文化運動をするのではない。平和のために文化運動を断行するのだ。
私は青年に語ってきた。
「地味な作業かもしれないけれど、文化交流が一番の平和の近道なんだ」
ゆえに、人びとに一流の芸術を! 文化の力で平和の人間世紀を!


◇民音の創立50周年 東京富士美30周年
先日、創立五十周年の佳節を刻んだ民音の交流は、今や百五力国・地域に及ぶ。
開館三十周年を迎える東京富士美術館は、世界各国の美の名品を招来した展覧会を四十回以上、館蔵品による海外展も約二十力国・地域で三十数回にわたって開催してきた。
関係者をはじめ、献身的に支えてくださる皆様方への感謝は尽きない。
今秋、東京富士美術館では記念展として「光の賛歌印象派展」が始まった。
世界八力国の四十美術館からルノワールやモネなど巨匠の名作が一堂に会しての、いわば"幸福の光の競演"である。この美の園に多くの方々が集われ、新たな喜びの花が咲き薫っていくことが嬉しい。
また民音では、私が深き友情を結ぶブラジルの世界的ピアニスト、アマラウ・ビエイラ氏が来日コンサートを開かれる。ビエイラ氏は、創価の文化活動を、古代ギリシャの理想に通ずる「民衆のため、人間のため、後世のために、人類の財産を残す行動」と讃え、連帯してくださっている。

2013年10月30日水曜日

2013.10.30 わが友に贈る

勝つための人生だ。
勝つための信心だ。
同じ生きるならば
一日一日を悔いなく!
挑戦の自分史を綴れ!

聖愚問答抄上 P498
『世間のことわざにも一は万が母といへり』

◇希望の明日へ
一人一人が人間として最大に輝き、その"人間の光"で家庭を照らし、地域を照らし、社会を照らしていく。人間と人間の友情を、幾重にも結び、世界に希望の光を送っていく。この人間主義の大道を、さらに、にぎやかに愉快に進んでいきたい。
平5・2・28

☆女性に贈ることば 十月三十日
「あのうちが、こうだから」とか、「このうちは、ああしていた」と気にして、何か同じようでなければならないと考えるのは、愚かです。他人と比較しても、他人と同じにはなれないし、なる必要もない。それでは、にせものをつくります。形式をつくります。見栄っ張りをつくり、体裁をつくってしまう。

☆今日のことば 十月三十日
この社会、この世界は、決して、大人だけのものではないのだ。
次をゆずるべき少年青年達の社会であり、世界があることを真摯に自覚すべきである。

☆我らの勝利の大道No.117 人生の舞 文化の光彩
◇第一級の輝きに触れよ!

生命の
 明朗王の
  君なれば
 悲劇の友も
  喜劇に変えゆけ

人生は波瀾万丈の劇だ。
苦難の夜を越えれば、晴れわたる朝が来る。試練の風雪を耐え抜いてこそ、栄光の太陽は輝きわたる。
我らは、何があろうとも毅然と前を向き、断固として使命の舞台で舞う。
苦悩に沈む友には勇気を贈り、戦い疲れた友には安穏をもたらし、孤独に悩む友には希望を広げる。
持てる力を自他共に発揮しながら、大いなる勝利劇の主人公となって「人間はかくも偉大なり!」と謳い上げていくのだ。

日蓮大聖人は、『一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』(P970)と門下に厳命なされた。
安逸に流されても一生。激流と戦い切っても一生。
同じ生きるならば、悔いなく、最高の充実と誇りの人生を飾り、永遠に消えざる福運を残していきたい。
そのための信仰である。
私は、二十一歳の日記に、こう記した。
「詩想豊かな青年、感激と努力に生きる青年。その尊き青年の生涯こそ、芸術上の極致の生き方なりと表現したいものだ」
わが師・戸田城聖先生のもと、私は無上の青春の劇に全身全霊で挑み抜いた。
戸田先生は、断崖絶壁のような事業の窮地の中でさえも、私を徹して鍛え、学ばせてくださった。
「一流を見よ!」とは、一貫した師の薫陶である。
妙法は、大宇宙を貫く根本の大法だ。あらゆる次元において、厦々と尽きせぬ価値を創造できる「活の法門」なのである。
この一切を活かせる最高の哲学に若くして巡りあったからこそ、君よ、求めて一流に触れ、世界を舞台とする平和指導者に育ちゆけ、と期待されたのだ。
では、求めるべき一流とは何か。何をもって自身を高めていくのか−−。
恩師が常に凝視されていたのは、誠実に精魂を傾けた仕事かどうかという一点であった。世間の評判ではない。自分の仕事に誇りを持ち、何事もゆるがせにしない真剣さがあるかどうか。そこに一切の基準を置かれていた。
そして、青年に対して、「誠実に生きるのだ、尊い自己の使命を果たし抜け」と、真実一路の生き方を教えてくださったのである。
一流の文学を読む。
一流の音楽を聴く。
一流の絵画を観る。
一流の魂に触れる、その切磋琢磨によって、一流の人格も磨かれるのだ。
私と不二の青年部は、創価の平和と文化の大運動の中で、世界第一級の芸術もわが友としながら、心の宇宙を広げ、気宇壮大に前進していただきたい。

2013年10月29日火曜日

2013.10.29 わが友に贈る

広宣流布とは
励ましを広げることだ。
「幸せになってほしい!」
心の底からの言葉で
友の心を揺り動かせ!

松野殿御返事 P1386
『退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ、妙覚の山に走り登つて四方をきつと見るならばあら面白や法界寂光土にして瑠璃を以つて地とし金の繩を以つて八の道を界へり、天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり』

◇希望の明日へ
友の悩みをわが悩みとし、わが苦しみとして、祈っていく。苦しんでいる人の最大の味方となって抱きかかえていく。幸福になりきるまで励ましていく。この人間主義の行動にこそ、大聖人の仏法は生きている。
平5・1・27

☆女性に贈ることば 十月二十九日
同じ一生であるならば、喜んで生きたほうが得である。同じ行動をするなら、喜んで行動したほうが価値的である。愚痴や義務感で日々を灰色に覆うよりも、喜びを創り出していこうとする生き方のほうが、より創造的である。

☆今日のことば 十月二十九日
単なる自分のわがままから、次から次へと職を変えるということは、人生において大きなマイナスであるし、その仕事に生きがいを見いだしていけるかどうかは、なによりもまず自分の努力いかんによって決定されるということを知っていただきたいのである。
仕事は、自分がそのなかに飛びこみ、苦労していったときに初めてよろこびを見いだしていけるものである。

☆我らの勝利の大道No.116 広布の模範・離島部
◇使命の大地の柱に
文永八年(一二七一年)、大聖人は佐渡に御到着された直後に仰せである。
『命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也』(P955)
大難の真っ只中で掲げられた御本仏の「世界広宣流布」の大誓願に、有り難くも連なる我らである。その宿縁はあまりにも深く、福徳はあまりにも大きい。
わが島を−−
自他共の「和楽島」に!
幸福輝く「希望島」に!
「世界広布新時代」の前進を、わが使命の天地で新しい地涌の人材を呼び出しながら、仲良く力を合わせて開始しようではないか!

誉れある
 使命の島の
  柱たれ
 その名は三世に
  諸仏も讃えむ

2013年10月28日月曜日

2013.10.27 わが友に贈る

創価の集いは
地域に幸福と繁栄の
哲学を発信!
多くの友人と共に
希望の語らいを!

妙心尼御前御返事 P1480
『このやまひは仏の御はからひかそのゆへは浄名経涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり』

◇希望の明日へ
仏法は徹底して人間主義である。ゆえに学会は人間主義で世界を結んでいる。"強い者には強く、弱い者には優しく"あるのが、本当の人間である。それが学会精神である。
平4・10・2

☆女性に贈ることば 十月二十七日
青春時代、いくら華やかに虚栄を張っても、それだけでは結局、年をとって福運は消えてしまう。虚栄には幸福はない。
地道の中にこそ、幸福の道がある。

☆今日のことば 十月二十七日
いくら正しい意見だといっても、常に自分の主張だけを貫こうとすれば、人はなかなか聞くものではありません。いつも自分の意見ばかり押し通そうとする人と、ふだん、よく他の人の意見を聞く人とでは、どちらが本当に大事な時に説得力をもつことができるでしょうか。
協調性があり、他の人の意見もよく聞く人こそ、いざというとき、本当に主張しぬきたい意見が皆に聞き入れられるのです。

☆我らの勝利の大道No.116 広布の模範・離島部
◇「宝友(とも)」と生き抜く
本年の七月、聖教新聞の「地域紀行」では、北海道・奥尻島が掲載された。
二十年前に襲った、北海道南西沖地震。津波で壊滅状態となったあの日から、苦難を越え、復興を遂げた様子が報じられ、紙面を飾った友の誉れ高き笑顔が、島の勝利を物語っていた。
また、島根県・隠岐諸島の友からは、先月、「世界ジオパーク」に認定されたとの大きなニュースが届いた。
ジオパークとは、地質や地形が地球科学的価値を持つ自然公園のことを指す。
隠岐諸島の場合は、ユーラシア大陸と一体の時代、湖や深海の底の時代、火山活動で隆起した時代など、「七変化」ともいわれる多様な変遷を重ね、現在の島の形になったそうだ。
島の自然が、幾多の変化や試練を経てきたように、人びとの暮らしも様々である。離島ならではの悩みや苦労も多いに違いない。
海洋島嶼国・日本の有人島の数は四百十八島。その中で、わが離島部の友は、地涌の誇りを胸に、「我らの島に幸あれ」「わが郷土に繁栄あれ」と、誠実に地域に貢献してこられた。
ただ一人、あるいは数人で、旗を掲げて奮闘されている同志もおられる。
どんなに小さな地域も、"広宣流布の起点"となる偉大な使命と力をもつ。
私は固く確信していた。
「離島こそ広宣流布の先駆の天地なり」と。
その出発点は、何よりも「一人立つ」ことだ。
広布の誓願に燃えた一人がいれば、そこから新たな前進が始まる。正しき法を持った「一人立つ」勇者が、地域社会を明々と照らす希望の灯台となるのだ。
これが、「立正安国」の信心の方程式である。
まさしく、離島部の友は"創価の全権大使"との決意で、「執念の祈り」と「誠実の行動」に徹し、着実に、堅実に、理解の輪を広げてくれている。

今年の十月七日は、「離島部の日」三十五周年−−。
東日本大震災からの復興を進めている東北でも深き意義を込めた「離島代表者会議」が、宮城県の野々島で意気軒昂に行われた。
記念の会合は既に北海道や和歌山県(大島・串本友好の集い)で開かれ、今後、兵庫の家島で行われる。
さらに中部・岡山・広島・長崎では、離島サミットが開催されると伺っている。

2013.10.28 わが友に贈る

新たな建設の時。
リーダーは勇んで
組織の最前線へ!
友と語り、励まし
自ら波動を起こせ!

上野殿後家尼御返事 P1505
『法華経の法門をきくにつけてなをなを信心をはげむをまことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりもなをそむればいよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきはいよいよあをきがごとし』

◇今週のことば
任用試験の受験者は
世界広布新時代の主役!
「行学たへなば
仏法はあるべからず」
共に学び 共々に成長を!
2013年10月28日

◇希望の明日へ
人間以上の人間はいない。皆、人間である。ゆえに、人間として光る以外にない。生まれた時も、死ぬ時も、皆、裸である。地位や名声、財産などでわが身を飾っても、それだけでは一時の幻影に過ぎない。一個の人間として偉大かどうか−−ここに焦点を定めて生きる人生が一流なのである。
平4・11・1

☆女性に贈ることば 十月二十八日
小さい頃から、子どもの傾向というものを賢明に見極めていくことです。そうすれば、大きくなって反抗するような時期を迎えたとしても、動じないですむ。

☆今日のことば 十月二十八日
自惚れは、未来の前進を不明確にし、
暗黒へ梶を取っていくようなものである。

☆我らの勝利の大道No.116 広布の模範・離島部
◇大福運の根っこを
この「離島部の日」は一九七八年(昭和五十三年)の十月七日、離島の友が学会本部に集い、第一回総会を行ったことが淵源である。
求道の友が全国約百二十の島々から、遠路を厭わず海を越えて参集された。
北海道の礼文島や利尻島、東京の伊豆大島、八丈島、関西の淡路島、中国・四国の因島、周防大島、伯方島、小豆島、直島、九州の壱岐・対馬、五島列島、奄美大島、沖永良部島、トカラ列島、沖縄の久米島や石垣島、宮古島などで奮闘する、尊き同志の方々であられた。
まさに『道のとをきに心ざしのあらわるるにや』(P1223)と、大聖人が讃えられた通りの方々であった。潮に磨かれた精悍な顔、太陽のように明るい顔を、にっこり、ほころばせていた。
私は総会の最後に御金言を拝した。
『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ』(P234)
大聖人が厳寒の佐渡で認められ、創価の師弟が生命に刻んできた「開目抄」の一節である。いかなる苦難があろうが、我らは不動の信念で進むのだ。不退の正義を共に貫くのだ。
「子孫末代までの大福運の根っこを!」−−私の呼び掛けに呼応し、参加者はそれぞれの島で、美事な根っこを築いてくださった。今、広布の大樹が、あの島この島に、大きく揺るぎなく成長している。

総会の最前列に、伊豆諸島の三宅島から参加した壮年がいた。三宅島初の支部長であった。
一九五五年(昭和三十年)に夫婦揃って入会。郷里の三宅島で地域広布に尽力してこられた。
草創期、学会への偏見は根強かった。弘教に歩けば、水を掛けられ、塩をまかれた。「何を企んでいるんだ」と罵声を浴びせられたこともあったという。
しかし夫妻は朗らかに答えた。「私たちは、島の宿命転換と人びとの幸福のために戦っているんです」
御聖訓には、『心の一法より国土世間も出来する事なり』(P563)と仰せである。
大事なのは「心」だ。
広布に戦う「魂」だ。
自分が変われば周囲が変わる。周囲が変われば世界が変わる。「心の一法」の在り方で、全てを変えていくことができるのだ。
混迷の闇か深いほど、仏法の智慧は光り、誠実と勇気の振る舞いが光る。
ご主人は支部長として奮闘する傍ら、島の教育委員長や消防団長等も務めた。誠心誠意の行動の積み重ねから、学会への信頼も広がっていったのである。
二〇〇〇年(平成十二年)八月の三宅島の大噴火で、島の人びとの生活は一変した。四年半にわたる全島避難を余儀なくされた。
この間、首都圏をはじめ全国に避難された友は励まし合い、支え合ってきた。いずこでも、同志の温かさが大きな力になった。
困難に断じて屈しない負けじ魂で、三宅島の友は「広宣流布のモデルケース」を築いてくださった。
夫妻は共に八十歳を迎える今も、学会精神に燃えておられる。ご自宅を個人会館としても提供してくださり、感謝に堪えない。

2013.10.26 わが友に贈る

自然災害への
備えを万全に!
単身の高齢者等には
普段から声掛けを!
地域の絆が重要だ。

御義口伝巻上 P733
『転輪聖王出現の時の輪宝とは我等が吐く所の言語音声なり此の音声の輪宝とは南無妙法蓮華経なり』

◇希望の明日へ
仏教に差別はいっさいない。仏教の示した法は、万人に、現実の其っただ中で、あまねく、知恵と勇気を与えるものである。医師にも患者にも、経営者にも被雇用者にも、そして国王にも一庶民にも通じゆく−−まさに平等の法である。
平4・4・10

☆女性に贈ることば 十月二十六日
人に尽くそうと決め、勇気を出して行動を開始した時、もっと強い自分になれる。人間としての器が、もつと大きくなる。

☆今日のことば 十月二十六日
人が一生の間に体験することは、まことに限られたものである。だが、読書によって、他人の経験を自分の経験として体験することは、人生の深さと世間の広さをまざまざと知ることだといってよい。

☆我らの勝利の大道No.116 広布の模範・離島部
台風二十六号による深刻な豪雨災害に、胸を痛めております。被災された皆様、ご関係の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
伊豆大島では甚大な土砂災害が起こり、多くの方々が亡くなられました。行方不明者の捜索活動も懸命に続けられています。
茨城県等、八丈島、青ケ島等でも被害がありました。各地の農業にも影響が出ています。被災地の復旧を深く祈念しております。
私たちには、金剛不壊の「心の財」があります。示挑不屈の強き信心で、必ず変毒為薬していけるのです。
私は、亡くなられた方々のご冥福を衷心より祈るとともに、いやまして真剣に題目を送り続けます。

◇島を起点に世界へ
明年の学会のテーマは、
「世界広布新時代 開幕の年」と発表された。
ここでは、あらためて
「顕仏未来記」を拝したい。
日蓮大聖人が示された「未来記」とは何か。
それは「仏法西還」すなわち妙法の「世界広宣流布」の成就に他ならない。
本抄の冒頭に引かれた法華経に云ぐ、「後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」(御書五〇五ページ)と。
そして大聖人は、『仏法必ず東土の日本より出づべきなり』(P508)と仰せになられた。
太陽が東から昇って地上を照らす如く、大仏法が世界を照らす時が必ず来る。
大聖人は、この大宣言を佐渡の島で、『今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり』(P509)という流難の境遇の中、一閻浮提へ、末法万年の人類のために放たれたのである。
この大願に直結して死身弘法の戦いを起こしたのが創価の師弟である。
一九六〇年(昭和三十五年)の十月、世界広布の第一歩を踏み出した私の最初の訪問地は、アメリカ・ハワイのオアフ島であった。
それに先立つ七月、パスポートを携えて初めて訪れたのは、復帰前の沖縄本島である。またアジア最初の座談会を行ったのは、翌年の一月、香港島であった。
さらに、一九七五年(同五十年)一月、SGI(創価学会インタナショナル)が発足した天地は、グアム島である。世界広布への大航海は、不思議にも「島」から始まうたのである。
そして今、世界の島国、また島々でも、地涌の同志が、希望のスクラムを組んで、力強く活動に励んでおられる。島の広布も、"世界同時進行"である。

宝友(とも)ありて
 我らの島は
  宝島

2013年10月25日金曜日

2013.10.25 わが友に贈る

任用試験に挑む友を
全力で応援しよう!
共に語り、学び
行動する中でこそ
不退の人材は育つ!

上野殿御返事 P1557
『とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず信心をすすめ給いて過去の父母等をすくわせ給へ』

◇希望の明日へ
いかなる社会にあっても、いかなる時代になろうとも、どこまでも人間が根本−−これが歴史の正道である。仏法の正しき精神もここにある。膨大な経典も、すべて"人間のために"説かれた。御本尊も、すべての人間が等しく最高の幸福境涯を満喫しゆくために大聖人が建立してくださった。そうした仏法の根本目的を離れ、人間を手段化していく宗派、聖職者は"人類の敵"である。もとより大聖人の仏法の正統とは、まったく無関係なのである。
平4・1・5

☆女性に贈ることば 十月二十五日
教育は、「共育(共に育つ)」です。
子どもは不思議です。子どもには、まぶしい生命の輝きがある。子どもの元気な姿を見れば、大人も元気になる。
にぎやかな子どもの声があるところ、そこには希望がある。
平和がある。生きる喜びがわいてくる。

☆今日のことば 十月二十五日
歌は心で聴くものだ。そうすれば、その歌の精神が明瞭にわかるだろう。聴く心がなければ、言葉はわかっても、その歌の精神はわかるはずがない。

◎台風27号に注意を(^.^)/~~~

2013年10月24日木曜日

2013.10.23 わが友に贈る

報告への対応
 友への励ましは
 時を逃さずに!
 反応の速さに
 誠意と責任感が表れる。

四条金吾殿御返事 P1163
『あなかしこあなかしこ御よりあひあるべからず、よるは用心きびしく夜廻の殿原かたらいて用ひ常にはよりあはるべし今度御内をだにもいだされずば十に九は内のものねらひなむかまへてきたなきしにすべからず』

◇希望の明日へ
仏法は、一切衆生に本来具わっている仏性を問かしめ、自覚させ、成仏させることが目的である。なかんずく、法華経は、救うべき衆生に、何の差別も設けないのである。平等を否定するのは、法華経の否定である。
平3・9・23

☆女性に贈ることば 十月二十三日
伸びようとしている人は美しい。人生という旅は、足を止めてしまえば、そこが終点である。
生きているかぎり、より高く、より深く、広い何かを求めて、進歩していきたい。

☆今日のことば 十月二十三日
親子の愛、夫婦の愛、恋人同士の愛、友愛等----さまざまな愛があろうが、そのなかに流れゆくものは、いつも生命の暖かいふれあいなのだ。

☆学園抄第10回 情熱の汗
健康祭で創立者は"勝てなかった人"を励ましてきた。
87年9月23日の第6回。創立者賞400メートルでライバルに敗れた選手。ゴールで天を仰いだ。創立者から後日、その姿を撮った写真が届いた。彼は翌年から2連覇する。
90年10月20日の第9回。マラソン最下位の選手に創立者は、本部席で叩いていた「関西常勝太鼓」をプレゼント。
「"ビリ"の人がいるから一等がいるんだ」と、優しく包み込む。
「きょうの競技で敗れても、人生の幸福のレースで先頭に立てばよい」
「『強き体』『強き心』『強き頭脳』−−皆さんは、学園時代に、この三つの基礎をしっかりと培っていただきたい」
健康祭の直後に関西校を訪問し、「友好交歓会」で激励することも続いた。
ある時は中国の文豪・魯迅の言葉を引いてスピーチ。
遅れても走り抜く人と、それを笑わずに見守る人こそ、中国の将来を担う人だ−−。
「大切なのは、"前へ進んでいこう"というパッション−−『情熱』である」
ある時はこう呼び掛けた。
「『最も難しい勝利』とは何か。それは、『自分に勝つ』こと以外にない」
85年のマラソンで胸章を贈られた生徒は弁護士を志す。だが司法試験は失敗続き。難関を突破していく仲間たち。
自分は"最後のランナー"絶対に諦めへん!
あのゴールから20年後、ついに合格を果たした。

今月4日、中学の大会で行われた創立者賞・女子マラソン。選手が次々とゴールする。全員が走り終えたかに見えた時、役員が慌ただしくなった。
まだ1人、戻ってない!。
静まる会場。不安げにゲートへ走る生徒たち。
「最後のランナーが帰ってきました!」
足を引きずっていた。すぐに生徒2人が両腕を支えた。赤、黄、青、白、緑、5色の梯団の旗をなびかせ、応援の生徒たちが伴走する。
もう少しや!
ラスト!。
ゴールの瞬間、抱擁の輪が広がった。待っていたのは、マラソンをともに走り、汗と涙で光る笑顔の仲間たちだった。

◎また、日にちを間違えてしまった(-.-)

2013年10月23日水曜日

2013.10.24 わが友に贈る

「御みやづかいを
法華経とをぼしめせ」
わが使命の職場こそ
人間錬磨の道場なり。
誠実と努力で勝て!

上野殿後家尼御返事 P1506
『いかにもいかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給うべし、古徳のことばにも心地を九識にもち修行をば六識にせよとをしへ給うことわりにもや候らん』

◇希望の明日へ
平等こそ、人類すべてが認める普遍の価値である。いわんや最高に平等の仏法の世界に差別をもち込むのは、反仏法であり、反人類であり、時代逆行である。
平3・12・15

☆女性に贈ることば 十月二十四日
誠実にかなうものはない。誠実さがないところに、愛情もない。論理も包容力も、ユーモアもなくなる。笑顔も、知恵もなくなる。
誠実が、人びとの心を動かす。誠実が、人生の勝利のカギである。

☆今日のことば 十月二十四日
職場には、だいたい三様の人がいる。絶対にいなくてはならない人、いてもいなくてもよい人、いないほうがよい人。それは仕事の種類で決まるものではない。人によって決まってくるのである。

☆学園抄第10回 情熱の汗
◇粘り強く努力を
東京の創価中学・高校では今月5日と6日、にぎやかに学園祭が開かれた。
各クラスが制作物や映像、出し物を企画。学年展示では、わが子の学習成果や作品に保護者が目を細めた。
学園祭は、文化系団体の発表の場でもある。
中学には、生徒が発見してメディアでも報道された"四重の人工虹"や、日本一の創価雄弁会のディベートなどを見つめる来場者。中央体育館には、書道、写真、美術作品等を観賞する人々。
学園中が活気にあふれた。

かつて東京校で秋に行われていた「鳳友祭」。創立者は記念の集いや模擬店のほか、各展示にも向かった。
1976年(昭和51年)11月3日の第4回。体育館を回る創立者が書道部のもとへ。
「見事な筆の運びだね」
「生きてるね!」
力作を丹念に愛でる。
「僕もこれぐらい書ければいいんだけど」とほほ笑む。
ある作品に足を止めた。
「一枚の鏡」
母や戦場に行った長兄と創立者との、思い出の品のことである。母を大切にする心、平和を願う心を受け継ぐ決意のこもる4文字だった。
「ここにある作品を美術館で展示してあげたいね!」
後日、各団体の作品を美術館で展覧。誇りになった。
第5回(78年11月2日)では創立者が生物教室を訪れた。
「見せてもらうよ」
マウスを用いた洗剤の毒性の実験、カブトエビの生態、郷土・小平市の緑の実態調査……。生物部員が解説する。
川を模した水生昆虫の展示。「これはトビケラです」「カワゲラです」。石を裏返して楽しげに語る生徒。その姿に笑顔が広がる。
「研究には、清らかな信条が大事だね」と創立者。
実証でお応えしよう! 書道部も生物部も奮起。ともに後年、権威ある全国学芸科学コンクールで最優秀の金賞に輝いた。
両部は、中国で活動する篆刻家、日本の書道展で審査員を務める書家、NASA(アメリカ航空宇宙局)で働く研究者、大学教授など、実力ある人材を輩出している。

今月、東京と関西の小学校、札幌の幼稚園でも運動会・競技大会が開催された。
10日には東西の各校を中継で結ぶ「情熱の日」記念集会。創立者のメッセージが読み上げられた。
「人生の戦いは、長いマラソンです。大事なことは、粘り強く、根気強く、情熱の炎を消さず、努力を貫き通せるかどうか、これで勝負は決まっていくのです」
いざ、人生のマラソンへ!
学園生は創立者のもとからスタートしていく。

2013年10月22日火曜日

2013.10.22 わが友に贈る

家庭と地域で奮闘する
ヤング・ミセスに
心からの感謝と賞讃を!
どうか健康第一で。
幸福の大道を共に!

松野殿女房御返事 P1395
『法華経は初は信ずる様なれども後遂る事かたし、譬へば水の風にうごき花の色の露に移るが如し、何として今までは持たせ給うぞ是偏へに前生の功力の上釈迦仏の護り給うか、たのもししたのもしし』

◇希望の明日へ
日蓮大聖人は、四条金吾に与えられたお手紙(「三種財宝御書」)で次のように仰せられている。『不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ』(P274)−−不軽菩薩が人を敬ったのはいったいどういうことか。教主釈尊が、この世に出現された根本目的は、人間としての振る舞いを教えるところにあったのである−−と。要は、仏教とは人間への尊敬を根源的に教えた宗教である、との御指南と拝せよう。その核心が法華経である、と。また反対に人間を軽侮(軽んじ、あなどる)し、仏道修行を妨げようとするのは魔の働きであり、法華経の敵となる。ゆえに、仏と魔との戦い、広宣流布の戦いは、一次元からいえば、人間を尊敬する者と、人間を軽賤する者との勝負である。また「人間を、仏性をもった存在として礼拝する者」と、「人間を手段化し、"ロボット"のようにしようとする者」との闘争である。
平3・7・10

☆女性に贈ることば 十月二十二日
すべての努力は、人生の宝です。勝利の宝であり、幸福の宝です。

☆今日のことば 十月二十二日
岩に、さえぎられた苗木は、まっすぐに伸びることはできない。かといって、温室で育てられたものは、はやく生長するが、風雪に対する抵抗力が弱いものである。伸び伸びと、自由な空気のなかで、しかも、自然な試練のなかに、きたえられていくことが、本人にとって、最も幸せな道ではないだろうか。

☆学園抄第10回 情熱の汗
◇「真剣」は美しい
前身の創価女子学園の開校3年目、1975年(昭和50年)10月10日に行われた第1回健康祭。6日の前夜祭に、創立者・池田名誉会長が出席した。
応援合戦、玉入れ、リレー……。楽しくも真剣。最後は愛唱歌「星に誓います」
を歌い、踊った。
創立者は巣立ちゆくI期生を前に、卒業生のグループの名を「蛍会」と発表。
"娘"の幸福を願った。
「私は21世紀に一切の勝利をかけております。その21世紀に向かって頑張ってほしい」
「学園っ子に絶望という二字があってはなりません」
健康祭は関西校の伝統行事となった。男女共学に移行した82年から、新たに第1回として開かれた。

「おめでとう! 来たよ!」
グラウンドへ続く、長い上り坂を歩いてきた創立者。大歓声が起きたのは85年10月10日、第4回健康祭である。
創立者は本部席で熱戦に拍手を送り、カメラを構えた。
創立者賞レース・女子マラソンの時。
「私が"鉄砲"をやろう」
さっと前へ進み出て、ピストルを掲げた。
よーい、パン!。
創立者の号砲で一斉にスタート。その後の男子マラソンでもピストルを放った。
やがて選手が息を切らしてグラウンドに帰ってきた。ピストルを手に迎える創立者。ゴールするたび、パン! パン! 白煙が上がる。撃った後、ふらっと倒れる仕草。ユーモアに笑いが広がった。
走り終えた男子生徒たちが喝采を浴びる。しかし。
まだ1人、戻ってない!
中学2年生だった。脇腹が痛み、序盤から遅れた。長い一人旅。苦しい。でも、先生のところに帰るんや! 遠くからピストル音が聞こえるなか、黙々と走った。
会場では、皆が心配そうに入り口を見つめている。
「最後のランナーが戻ってまいりました!」
アナウンスに沸き立つ。走者は左手で腹を押さえ、懸命に右腕を振っていた。各梯団の旗を持つ生徒が一緒に走る。小さな体に集まる声援。
ファイト!
重い足。だが止まらない。
踏ん張れ!
第4コーナーを回り、ついにゴールテープを切った。待っていたのは、両腕をVの字に挙げて2丁のピストルを放つ、笑顔の創立者たった。
「胸章をあげよう!」
頬が赤い最終走者のゼッケンに、自身の白バラの胸章を付ける。
「本当によく頑張ったね」
振り続けた彼の右手を、がっちりと握った。
閉会式。創立者は台に勢いよく上り、語り始めた。
「勝った人も負けた人も、本当にご苦労さま」
「『真剣』という姿がどれほど美しいか、また、青春の光をたたえた、すばらしき姿に深い感銘を覚えました。英知と情熱に満ちた、諸君の成長の姿を見るとき、未来へ私の胸は躍ります」
立つたままのスピーチ。この日、体調は決して優れなかった。だが生徒たちに一切、そぶりを見せない。
その事実を学園生が知り、創立者の思いに心を打たれるのは、後のことである。

2013年10月21日月曜日

2013.10.21 わが友に贈る

新しい試みで
新しい開拓を!
常に向上し続ける
生命への変革こそ
仏法の真髄だ!

松野殿女房御返事 P1394
『女人の御身としてかかる濁世末代に法華経を供養しましませば、梵王も天眼を以て御覧じ帝釈は掌を合わせてをがませ給ひ地神は御足をいただきて喜び釈迦仏は霊山より御手をのべて御頂をなでさせ給うらん』

◇今週のことば
配達は即「広布」なり。
配達は即「福徳」なり。
無冠の友に心から感謝を。
健康・無事故を祈ります。
我らは聖教を力に前進!
2013年10月21日

◇希望の明日へ
今、世界が必要としているのはヒューマニズムである。あらゆる利害、イデオロギー、不信感等を超え、"人間のため"にどう心を合わせ、行動していけるか。仏法は、そのヒューマニズムの真髄を教えている。創価学会の運動は、この人道主義の潮流を世界に広げていくものでもある。
平3・6・18

☆女性に贈ることば 十月二十一日
背伸びをすることなく、つくろうことなく、しかし決して怯むことなく、その場その場で自分のもてる力を、誠実に真剣に出しきっていく。その人こそ、平凡に見えて、豊かな知恵の人であろう。

☆今日のことば 十月二十一日
若いのだ 進もう
 一直線に 吾が道を
若いのだ 働こう
 天より与えられし ものを作る思いで
若いのだ 勇気を出せ
 師の下に戦うは 総てが 善に通ずるを確信して
若いのだ 快活であれ
 負けても 勝っても 苦しくとも 淋しくとも

☆学園抄第10回 情熱の汗
10月の交野は、色も音も秋に染まっていく。
さわさわとなびく金の稲穂。緑の木々は黄や紅をまとい始める。草むらからはコロコロと虫の声。そして涼やかな風が運ぶ大声援−−。
学園の10・10「情熱の日」を記念する関西創価中学校と高校の競技大会が、それぞれ4日と5日に開催された。
学年を超えて梯団(チーム)に分かれ、競い合う。
「頑張れ!」
「一番で帰ってこいよ!」
競技も応援も全力。勝てば躍り上がり、負ければ悔しがる。バトンを落として涙ぐむ友達の肩を優しく抱く。グラウンド整備や用具運び等、各部門員が動き回る。救護役員は祈るように見守る。
大縄跳びの「みんなでジャンプ」や「梯団対抗リレー」など、かつての「健康祭」から続く種目もある。
「借り道楽」「学園の(飲)みだおれ」……。ユニークな競技の"珍プレー"に保護者の笑いが絶えない。
緊張に包まれたのは、予選通過者による「創立者賞レース」。80メートル、200メートル、グラウンドを飛び出すマラソンで"学園最速"を決める。
5日、高校の閉会式前。グラウンド中央で赤、黄、青の3梯団の旗が揺れる。そのもとで全員が肩を組み、ミュージカル『レーミゼラブル』の「民衆の歌」を英語で歌う。
「池田先生! 関西は絶対に負けません!」
決意の声が秋空に響いた。

◇「真剣」は美しい
前身の創価女子学園の開校3年目、1975年(昭和50年)10月10日に行われた第1回健康祭。6日の前夜祭に、創立者・池田名誉会長が出席した。
応援合戦、玉入れ、リレー……。楽しくも真剣。最後は愛唱歌「星に誓います」
を歌い、踊った。
創立者は巣立ちゆくI期生を前に、卒業生のグループの名を「蛍会」と発表。
"娘"の幸福を願った。
「私は21世紀に一切の勝利をかけております。その21世紀に向かって頑張ってほしい」
「学園っ子に絶望という二字があってはなりません」
健康祭は関西校の伝統行事となった。男女共学に移行した82年から、新たに第1回として開かれた。

2013年10月20日日曜日

2013.10.20 わが友に贈る

良き出会いは
自身の殻を破り
互いの成長を生む。
一期一会の心で
善縁を広げゆけ!

諸法実相抄 P1361
『一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへてあひかまへて信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし』

◇希望の明日へ
仏法は本来、最高の人間学でもある。どこまでも人間に光を当て、人間の尊厳を説ききっている。しかし、正法の世界にあっても、法を奉ずる人が人間に奉仕するという、本来の慈悲の実践を怠るとき、人間を利用する権威、権力の魔性のとりこになるスキができる。それでは、もはや法減に向かってしまう。ゆえに、本来の"人間のため"という原点につねに戻り、そこから出発する戦いが必要となる。その戦いは、世界に真の「人権の世紀」「人間性の世紀」を開く運動となっていくのである。
平3・4・12

☆女性に贈ることば 十月二十日
人ではない。自分である。自分が成長すれば周囲も変わる。
自分を見つめず、何を論じ何を行っても、無責任であるし、大きな価値は生めないであろう。

☆今日のことば 十月二十日
スポーツには、ルールがきちんと定められており、そのルールにのっとって、フェア・プレーすることが要求されます。ルールを守ること、卑怯な行動をとらないこと、チームのなかで自分の役目を果たすこと、互いの弱点をカバーし合い、助け合っていくこと、これらは、あらゆる社会生活に共通する重要な精神だと思います。

☆本部幹部会で紹介された名誉会長の指針
一、きょうは、日本の中国方面の青年部総会、おめでとう!
中国青年部は、日本一の大折伏を見事に成し遂げられた。心から祝福申し上げたい。
きょう9月5日は、昭和31年(1956年)、私が戸田先生から中国方面の広宣流布の開拓を託された、記念の日である。
当時は、躍進する学会をねたみ、ねらう権力の魔性がうごめいていた。そのなかで、戸田先生は私に、「日本の重大な要衝である中国で、折伏・拡大の旋。風を巻き起こしてこい!」と厳命されたのである。
28歳の私は、即座に「わかりました」とお答えした。広宣流布の大師匠の願いは、弟子として絶対に虚妄にすることはできない。私は、雄大な中国の天地を駆けめぐった。
ずっと広宣流布が進まなかった山口県で、4ヵ月で約10倍に大飛躍する弘教を成し遂げたのは、楽しい思い出である。中国の草創の同志も、皆、本当に懐かしい。兄弟・家族以上の存在である。
ともあれ、中国青年部の立派な大成長が、私は本当にうれしい。
一、先ほど、私は中国・陝西省の雕塑院の先生方から、かけがえのない文化と芸術の宝を拝受させていただいた。この大レリーフに、どれほど優れた芸術の粋が凝結していることか。そして、どれほど深い友情と真心が結晶していることか。心より尊敬申し上げる趙建勲院長はじめ偉大なる芸術家の先生方に、心より感謝申し上げたい。
贈っていただいたレリーフには"人民の母"と慕われた�穎超先生の優しく、生き生きとしたお姿が刻まれている。
�先生は、私ども夫婦を、わが子のように慈しんでくださった。
もったいなくも、私ども夫婦が、若き日の周恩来総理とご自身の姿と二重写しになるともおっしゃってくださった。
�穎超先生は、15歳で革命に立ち上がってから、88歳の最期の日まで、いかなる立場になっても、「心は一歩も退かない」と行動を貫いてこられた。
人民への奉仕に、また世界への平和外交に、そして後輩の育成に、全身全霊を尽くされた、尊い方である。

◇唇が破れようと私は叫び続ける
一、周総理が亡くなるや、四人組は、ますます横暴に権力をふるい、民衆への圧迫を強めた。
四人組−−それは、総理をはじめ革命の同志たちが、心血を注いで築き上げた新中国を乗っ取り、ほしいままに支配しようとした黒い野望の連中であった。それに対して、�穎超先生はご逮捕や投獄さえも覚悟のうえで、敢然と応戦していかれた。
�先生は、誇り高く語っておられた。
「唇が破れようとも、舌が焦げようとも、私は叫ぶことをやめません」「困難を前にして、頭を垂れず、一歩も退かず、強く剛毅である人間は、必ずや勝利を勝ち取ることができるのです」
この信念のままに、�先生は、一人また一人と語り合い、皆を奮い立たせ、団結させていった。
�先生の戦いに呼応して、決起したのが、正義に燃える青年たちであった。
周総理夫妻が若き日に戦った天津では、洋服工場の青年が、こぞって立ち上がった。
彼らは、禁じられた追悼集会を、恐れなく開いた。そして、周総理の遺志を受け継ぐ決意をつづり、皆で作った真心の「綿入れ(防寒服)」と一緒に、�穎超先生に送り届けたのである。
そこには、こう記されていた。
「全中国の青年は、皆、敬愛する貴女のそばにおります」
「貴女とともに断固として戦い抜いてまいります!」
�先生は、この青年たちの勇気を何よりも大切にされ、重要な場には、その綿入れを着て臨まれたという。
悪の四人組が電撃的に逮捕されたのは、周総理の逝去から9ヵ月後のことであった。
何ものにも負けぬ、人民の母の正義の一念ありて、邪悪は、厳然と打ち倒されたのである。
決定した信念をもった女性の力が、いかに偉大か。民を憂う、一人の老いたる母の強き心が、ついに勝利したのである。

◇友情結び平和のシルクロードを
一、海外のSGIの皆さま! 本当に、よくお見えになられた。
広宣流布の道なき道を開きゆく偉大な功績は、仏法史に不滅である。私は一生涯、忘れない。心から感謝申し上げたい。
アメリカの詩人ロングフェローは言った。
「音楽は人類普遍の言語である」
その通りである。
だからこそ私は、皆が反対するなか、自力で工面して楽器を贈り、音楽隊を結成し、鼓笛隊を誕生させた。40年以上も前のことである。
今日の世界的な大発展を、当時、だれが思い描いたであろうか。
テロや暴力が渦巻く混沌の時代だからこそ、人類の心を融合させ、平和の秩序を創り出す音楽の力は、いやまして重要になってきている。
思えば、険西省を一つの起点とする、いにしえのシルクロードは、「絹の道」であると同時に、「音楽の道」であ句「芸術の道」であった。
私たちは、さらなる文化・教育の交流で「永遠の友情」を世界に結びながら、新たな「平和のシルクロード」を幾重にも広げてまいりたい。
一、大聖人は、青年門下に叫ばれた。
『願わくは、わが弟子たちよ、大願を起こせ』(P1561、通解)
大願とは何か。
人間として、青年として、最も大きな願い−−それは「世界平和」ではないだろうか。国境を超え、全ての民衆が幸福になることである。
一人きりになって、自分を偽り、ただ安逸をむさぼるだけの人生でいいのか。悔いはないか。
ならば君よ、大願を起こせ!
大いなる希望をもて! 理想をもて!
皆さんは、それをもっていますか?〈「ハイ!」と力強い返事が〉
大聖人は、『大願とは法華弘通なり』(P736)と仰せである。
平和のため、幸福のために、世界の連帯を築くためには、人間主義しか道はない。広宣流布しか道はないのである。
わが青年部の闘士の皆さん! 私は、この55年間、戦いに戦った。前進また前進した。広布を阻もうとする敵から、あらゆる攻撃を受けた。しかし、ここまで55年間、追撃の手をゆるめずにきた。
今度は諸君の番である。邪悪への追撃を絶対にゆるめることなく、破邪顕正の大言論戦に勇敢に総決起する−−きょうを、その出発の日にしていただきたい。
一、自分自身に生き抜くことだ。
今が、どんなに大変であっても、たいしたことはないのだ。自分自身が強くなれば。
たとえ今、経済的に厳しくても、努力さえ忘れなければ、時がくれば、必要なお金は自然にできるものだ。
どんな苦しいことも、あとになってみれば、全部、夢の中の出来事のようなものである。
何があっても、生きて生きて生き抜くことだ。自分らしく、自分の歴史を堂々と築くことだ。人を恨んだり、焼きもちを焼く必要などない。私たちには、世界最高の御本尊がある。無量の宝を、自在に引き出していけるのである。
どうか、愛する青年部の君だちよ! 愉快に、心から愉快に、断固たる信念をもちながら、わが使命の舞台で戦い抜いていただきたい。
終わりに、「中日友好の宝」「創価の宝」をお贈りくださった中国の先生方に、全員を代表して、つつしんで感謝申し上げ、私のスピーチを結びたい。
謝謝!

2013年10月19日土曜日

2013.10.19 わが友に贈る

会合に参加できない
メンバーにこそ
足を運んで語らいを!
じっくり耳を傾けよ。
全員が使命ある人材だ!

上野殿御返事 P1577
『仏の説いての給はく火に入りてやけぬ者はありとも大水に入りてぬれぬものはありとも大山は空へとぶとも大海は天へあがるとも末代悪世に入れば須臾の問も法華経は信じがたき事にて候ぞ』

◇希望の明日へ
仏法は平等が一つの"生命線"である。なかんずく日蓮大聖人の仏法は"一切衆生平等"を明かされた大法である。その根本精神は、いかなる迫害があろうとも守らねばならない。これが、大聖人の御心にかなう道である。
平3・4・2

☆女性に贈ることば 十月十九日
声は鏡であり、その人の境涯が、くつきりと映し出される。
声ひとつで、人びとに希望を与え、納得と安心を広げ、正義を奮い起こしていくことができる。

☆今日のことば 十月十九日
人間誰しも
 悩みは一生にわたってあるものだ
ただ その悩みをいかに転換させ
 人生をして向上にむかわしめてゆくかが
  大事な起点であるといっていい

☆勝利の人間学第40回 かつてない新しい道を開け
◇信心光るリーダーたれ
広宣流布のために戦っている人が、一番偉い人である。役職の上下ではない。一番大変な中で、一番苦労して、頑張っている人が、一番尊い人であることを忘れまい。
御書にも、法華経にも、その人への讃嘆が満ち溢れているではないか。リーダーは、戦う人を大事にし、最敬礼していくのだ。その誠実な振る舞いに、信心は光る。
学歴でもなければ、肩書でもない。リーダーに信心があれば、広宣流布の組織は必ず栄えさせていける。自らが懸命に戦う姿を見て、皆がついてくる。

◇自らの成長が前進の力
リーダーの成長こそが組織の前進となる。
ゆえにリーダーは、どこまでも率先垂範の行動の人であっていただきたい。
行動の中に、喜びがある。
戦いの中に、人間革命がある。
勇んで勤行・唱題に励み、一つ一つ課題に挑んで、一歩一歩、自身を革命していくのだ。

『月月・日日につよ(強)り給ヘ』(P1190)との御聖訓を拝し、かつてない新しい道を、張り切って、切り開いてもらいたい。

◇わが地域から新時代を
わが地域の広宣流布をどうするか、どう発展させるか−−これ以上に尊い悩みはない。そこを離れては、空論である。観念である。
結論から言えば、祈って工夫することだ。自分が責任をもち、皆と力を合わせながら、執念をもって戦い続けることだ。
「自分の戦場で勝ってみせる」と決めて、題目を唱え、悩み、苦しみながらも、わが地域の広宣流布を前進させていく−−その人が英雄である。その人を諸天は厳然と守る。
全世界で青年が生き生きと前進している。すごい時代が来た。青年部は、皆、明るく朗らかに、地域を、社会を照らしていくのだ。
栄光の創立記念日、そして「世界広布新時代 開幕の年」へ、わが地域から「希望の旭日」を、勝ち昇らせよ!

2013年10月18日金曜日

2013.10.18 わが友に贈る

時代の変化に
敏感に反応せよ!
「相変わらず」は敗北。
真剣な祈りと思索で
常に先手を打て!

生死一大事血脈 P1337
『悦ばしい哉一仏二仏に非ず百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事歓喜の感涙押え難し』

◇希望の明日へ
悪しき権力の奴隷になってはならない。服従してはならない。人間が人間らしい魂で自由を謳歌し生きていく−−ここに人間主義がある。一人一人が、人間の自由を脅かす、世の悪の動きに対しては、断じて屈してはならない。悪との妥協は、人間性の放棄であり、心の敗北である。
平3・3・18

☆女性に贈ることば 十月十八日
誰が見ていようと、見ていまいと、つねに人間として正しい行動を貫いている。いっさい恥じるところがない。ゆえに心は青空の如く晴れ晴れとし、悠々としていられる。
これこそ、優れた人物に共通する楽しみであり、また誇りである。

☆今日のことば 十月十八日
あまり若い時にあさましい恋愛をするのは私には賛成できません。恋は一生に一度、命がけですればよいのだ。情熱は、牛のよだれのようにだらだらと流すものではありません。

☆名誉会長と共に 今日も広布へNo.039 自分が変われ 行動を起こせ
いよいよ、教学の秋、人材育成の秋本番だ。
今、新しい英知と情熱の若人が陸続と集い、生き生きと立ち上がってくれている。
未来は明るい。見事な発展だ。これはどの喜びはない。
これからも、この素晴らしい若き地涌のスクラムが、いよいよ広かっていくことが、私の何よりの希望です。
草創の青年たちと一緒に拝した「百六箇抄」には、『法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し』(P856)と仰せです。
儚く移ろう世間の風潮など毅然と見おろし、皆さんは、世界第一の生命哲学を、真剣に学び、語り、実践していく世界第一の人生の道を歩んでいるのです。その誇りに胸を張ってもらいたい。

戸田先生は、「折伏すれば信用が残る」と言われた。
友の幸福を祈り、妙法を語ることは、人間として最高の振る舞いである。
私は、広布に走る一人一人と握手を交わし、最大に賞讃申し上げたい気持ちだ。
人のために生きれば、大きな自分になっていける。
新しい人を温かく応援しながら、功労の友を心から讃嘆していくことだ。

大事なことは、まず行動を起こすことだ。
同志と励まし合いながら、自分らしく、一歩一歩と具体的に前進する。そこに自分を変え、人を変え、社会を変えていく智慧が生まれ、必ず新たな希望の活路が開かれていくものです。
君たちよ、断じて、今いるところで勝ち、広宣流布で勝ち、一人ももれなく、人生の大勝利者となってくれたまえ!

2013年10月17日木曜日

2013.10.16 わが友に贈る

後輩を自分よりも
優れた人材に!
そう決めて祈ろう。
若き力を伸ばす人が
未来を築く功労者だ!

祈祷抄 P1351
『かかるなげきの庭にても法華経の敵をば舌をきるべきよし座につらなるまじきよしののしり侍りき』

◇希望の明日へ
皆、同じ人間である。尊厳なる人間である。それ以上でも、以下でもない。しかし宗教上の独善的なエリート意識は、この当たり前の道理をも見えなくしてしまう。キリスト教の聖職者は、自分たちを神と民衆との中間に立つ者として、民衆、平凡な人間よりも上位にあると錯覚してしまった。これは、ある意味で、一神教の教義そのものがもつ危険性に由来すると、よく言われる。これに対し、仏法は一切衆生に仏性、仏界を認める。悪とは断固、戦うことは当然として、不軽菩薩のごとく、人々の仏性を礼拝しゆくのが、仏教の根本精神である。ゆえに、仏教史上、魔女狩り、異端狩りのような歴史はなかった。無力な信徒を、問答無用に処分するような考え方や行為は、絶対に仏教ではない。いわんや日蓮大聖人の仏法の世界では、大慈大悲の御本仏への反逆となろう。仏法は、どこまでも人間尊重であり、磨かれた人格によってこそ、社会の人々に法の偉大さも伝えていくことができるのである。
平3・1・18

☆女性に贈ることば 十月十六日
すべてに喜びを見いだしていくことだ。自分が喜べば、周囲も、さわやかになる。笑顔が広がる。価値が生まれる。

☆今日のことば 十月十六日
大事な時に、人々の善悪が、わかるものだ。大事な、事件の時に、立派な、態度でありたい。

☆生命の光母の歌 第1章 出会いの曲、ウィーンの調べ
池田SGI会長 サイフェルト博士との初めての出会いは、東京でお迎えした時(1989年7月10日)でしたね。

サイフェルト博士 そうです。当時、私はオーストリア文部省で海外担当の文部次官として働いていました。
ある日、私はウィーン在住の日本人ピアニストと一緒に仕事をする機会がありました。彼女の友人である創価学会の方々を通じて、初めて池田会長と仏法のことを知ったのです。
そしてSGIの方々との交流が始まりました。その中のメンバーの一人がヨシオ・ナカムラさん(現・オーストリアSGI参与)です。彼らと話すうちに、会長と私の人生観が似ていることに気がつきました。
すると、それを察したのか、次の日には文部省の私の机の上に大きな紙袋があり、中にはドイツ語で出版された会長の全ての書籍が入っていたのです。
私は会長の書籍を一気に読破しました。そして、"自分はもう一人ではない! 同じような思考を持つ人がいたのだ"ということを感じ取ったのです。
私が描いていた人生の実像が非常に明快になった瞬間でした。
それは、輪廻やカルマ(業)といった概念で、自分の中に当たり前のようにあったものだったのです。
実は東京で私たち夫婦が会見場に到着した時、玄関に立っておられた方が池田会長とは気づきませんでした。それまで、お目にかかったことがなかったものですから。
一人の紳士の前を車で通り過ぎたのですが、誰かに"レントゲン"のような達眼で見透かされている気がしたのです。それが会長でした(笑い)。

池田 あの日のことは、私もよく覚えています。オーストリアと曰本の修好120周年の佳節でした。
サイフェルト博士は、両国の交流推進を強く希望され、「大事なことは、交流を通して、多くの人々が互いに『人間として理解し合う』ことです」と強調しておられましたね。全く同感です。
あれから二十数年が経ちましたが、文化交流、教育交流が、ますます大事になっています。
これだけグローバル化され、情報化社会になっても、肝心の人間と人間の「顔」の見える交流が追いつかない。ゆえに摩擦が生まれ、衝突が起きやすくなってしまった。心の絆の大切さが、多くの人々から指摘されるゆえんです。

2013年10月16日水曜日

2013.10.17 わが友に贈る

「一つ心なれば
必ず事を成ず」
同志の絆と団結が
学会発展の原動力だ。
異体同心で進みゆけ!

千日尼御返事 P1318
『豊後房に申し候べし既に法門日本国にひろまりて候、北陸道をば豊後房なびくべきに学生ならでは叶うべからず九月十五日已前にいそぎいそぎまいるべし』

◇希望の明日へ
だれ人も平等の権利をもつ人間である。その尊厳さに何の差別もない。ゆえに、何があろうとも絶対に卑屈になってはならない。うつむいてはならない。誇りと自信をもって、輝く瞳を上げ、堂々と生きぬく人が幸福者である。
平3・3・16

☆女性に贈ることば 十月十七日
どんなに絶体絶命の危機にあっても、最後の最後まで「希望はある」と信ずることだ。胸中にある希望は無限だからである。

☆今日のことば 十月十七日
宇宙自然の運行は、複雑微妙である。しかし、ごまかしのない確たるものであることも事実である。その本質をどれだけ的確に洞察し、人間生活をより実り多きものにするか。そして、人間の歴史が営々として築きあげてきた知識の遺産のいずれが正しく、いずれが間違っているか----その判別の作業は、困難だが重要なことではないだろうか。

☆生命の光母の歌 第1章 出会いの曲、ウィーンの調べ
サイフェルト 忘れてはならないのは、2011年に日本を襲った大地震(東日本大震災)です。本当に恐ろしい出来事でした。東北の被災地で起こっていること、特に福島のことに対して、心を痛めていない人は誰もいません。
私たちは、日本の皆さまがいまだに生死に関わるような試練と戦っておられることに、祈る思いでエールをお送りしたいのです。

池田 あの震災の直後、サイフェルト博士のインタビュー記事が掲載されました。
ご主人を亡くされた体験を通し、「人生には、とても多くの苦しみがつきもの」であり、「人はその苦しみに打ち勝つことができる、打ち勝たなくてはいけない」と語られたお言葉は、多くの友の心を奮い立たせるものでありました。
この「生と死」をめぐっては、また回をあらためて取り上げたいと思いますが、博士との最初の出会いからの、私たちの語らいの主要テーマでしたね。

サイフェルト 本当にそうでした。最初の会見は、当初の予定では20分ほどの懇談で終了するはずでしたが、気がつけば2時間に及んでいました。
しかしその時、私にとってはある意味、"再会"のように感じられました。過去世からの縁で結ばれていたと言っても、過言ではありません。そして池田会長ご夫妻にお会いするたびに、温かな真心が伝わってきました。
私は思うのです。対話において最も大切なのは、「魂の共鳴」であると。つまり、お互いの精神の中に互いを認め合ったり、受け入れたりできる安心感や信頼感です。

池田 おっしゃる通りですね。さまざまな差異を超えて、同じ人間として、各界・国内外の人々と交流を重ねてこられたサイフェルト博士ならではの含蓄のある言葉です。
それはまた、私の強い実感でもあります。東西の対立が続いていた1974年9月、私はモスクワ大学の招へいをいただき、初めてソ連(当時)を訪れました。民間人の立場から、日ソ友好の道を少しでも拡大するためです。
訪問の前に日本国内で巻き起こった、「宗教否定の国に何しに行くのか」などの批判の声に、私は迷わず答えました。
「そこに人開かいるから行くのです」と。
その信念から、教育関係者はもとより、市井の人々とも交流を重ねました。10日間の訪問の最終日に、コスイギン首相との会見がありました。
「あなたの根本的なイデオロギーは何ですか」と問う首相に、私は間髪をいれず答えました。
「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です」
首相は、「この思想を私たちソ連も実現すべきです」と真剣な表情で語っていました。
会見では、当時、冷え切った関係にあった中ソ間の融和、核軍縮も話題になりました。日ソの相互理解へ、幅広い民間・文化交流を展望したのです。
コスイギン首相とは、その翌年にもお会いしました。
首相が亡くなられた後にはご家族を弔問し、令嬢のリュドミーラ・グビシャーニさんから、首相の思い出を伺いました。
ともあれ、他者への尊敬を根底にした語らいを! 生命尊厳の道を見つめる対話を!
そこに魂の共鳴もあります。
真の友情は、国境を越えて、世代を超えて、輝きわたります。
私たちの対談も、まだ始まったばかりです。存分に語り合いましょう!
平和のために!
文化のために!

サイフェルト ええ、喜んで!

◎台風26号に最大の注意と警戒を!、我は今日は休みかな!(^^)!

2013年10月15日火曜日

2013.10.15 わが友に贈る

新聞休刊日

太田入道殿御返事 P1010
『世尊大悲導師阿闍世王のために月愛三昧に入りたもう三昧に入り已つて大光明を放つ其の光り清凉にして往いて王の身を照すに身の瘡即ち愈えぬ』

◇希望の明日へ
法華経には、現代の間を照らすヒューマニズムの精髄が、脈打っている。それは、生命の本源的自由、人間の尊厳、苦悩を癒し幸福へと導く慈悲である。そして、男女の平等をはじめ一切衆生の平等を説く。世界のいかなる国々の人も、いかなる職業の人であったとしても、人間として、すべて平等である。
平2・10・14

☆女性に贈ることば 十月十五日
本当の幸福は−−自分自身の魂のなかにある。
決意の魂、勇気の魂、人びとに尽くす魂のなかにある。

☆今日のことば 十月十五日
私は 日和見の評論を
 決してしたくない
人間共通の悩みを共にしながら
 勇気ある提言を
  貫き通したいのだ

☆生命の光母の歌 第1章 出会いの曲、ウィーンの調べ
サイフェルト 実は、父は私が音楽の道に進むことには反対でした。それは、母もそうでしたが、生活の安定という面から、子どもが自分だちと同じ音楽の道を歩むことを望んでいなかったのです。
ですから大学では、哲学と古代言語を専攻することになり、その後は行政という社会貢献の道を選択しました。
1976年に父が他界し、"ついに私自身の音楽を始めるべき時がきた"と感じたのです。
それでも、まだ母の反対はありましたが、歌の師ともいうべき教授にめぐり合い、その方のおかけで舞台に立って声楽を披露できるまでに育てていただいたのです。

池田 よく分かりました。博士のご活躍は、ご両親の願いを幾重にも実現するものです。ご両親もきっと喜んでおられるでしょう。
そして今もなお、サイフェルト博士は、青少年教育をはじめ、ますますお元気に社会貢献の活動に取り組まれています。

サイフェルト 私が創立したヨーロッパ青年文化協会では、多彩な活動を行っています。
例えば、才能ある青少年のためにコンサートを企画したり、海外の団体と協力して、若い音楽家や高校のオーケストラ、合唱団を、オーストリアやヨーロッパ諸国に招へいし、国内の学校などで演奏会を催すこともあります。
また10年前には、ルーマニアで路上孤児のための施設を開設しました。私にとって非常に大きな課題です。貧困等で子育てができなくなった親が、わが子を置き去りにするという状況が、特にルーマニアで憂慮すべき問題として浮上してきたのです。
路上孤児のまま成長すると、犯罪に手を染めるようになり、もはや社会の一員となることは難しく、彼らを救い出すことは困難になります。
友人からその実態を聞きつけた私は、ルーマニアの福祉関係者と連携を取り、子どもたちに必要なもの全てを用意し、心ある人たちによって寄付されたバスで現地まで運びました。

池田 崇高な行動です。心から敬意を表します。
ルーマニアは、私も30年前(1983年)に訪れた、忘れ得ぬ天地です。社会主義体制の崩壊後も、困難な時代が続いてきたことは伺っています。近年、SGIの支部も誕生し、希望と励ましの絆を広げながら、社会に貢献しております。
時代の混迷は、青少年に大きな影を落とします。
その青少年に手を差し伸べることは、何よりも大切なことです。

サイフェルト ええ。施設にはまだまだ援助が必要な状況ですが、10年たった今、少しずつ成果が出ています。
まず年長の子どもたちは全員、学校に通っています。その中の一人の少女は、大学入学資格試験で優秀な成績を収め、国の奨学金を得て医学部に入りました。なんと素晴らしいことでしょうか!
子どもたちの幸福の実現こそ、私の一番の生きがいであり、使命であると思っています。

池田 胸に迫るエピソードです。わが創価の原点もまた「教育」です。
牧口常三郎初代会長は、軍国主義の時代に「教育は子どもの幸福のためにある」と主張し、独創的な『創価教育学体系』を著しました。
第2代の戸田城聖会長もまた教育者でした。
お二人は軍部政府の弾圧で投獄され、牧口会長は獄死しています。
第3代の私は、平和と民衆の幸福を願った両先生の構想を実現するために、世界に創価教育のネットワークを築いてきました。
先日も、この5月にSUA(アメリカ創価大学)を卒業した若き英才から、うれしい報告がありました。
彼はメキシコ系移民の出身です。経済的に大変な状況の中、SUAの奨学金制度を活用して学びに学び抜き、全米屈指の教育NPO(民間非営利団体)への就職を勝ち取ったのです。「教育を受けられない子どもたちの力になりたい」と今、大いなる理想に燃えて新しい挑戦を開始しています。
子どもたちの人権が守られ、幸福になる権利が保障される社会になってこそ、世界の平和の道は開かれます。
この対談ではそうした点にも触れつつ、これからの青少年教育のあり方についても意見交換していきたい。そう決意しています。


◎日曜日に地域との交流を深めようと、小金原連合町会大運動会に参加しました。でも地元の町会は、古くからの人と他地域からの新参組との"温度差"があり、これを埋める努力と創意工夫をしていかねば!と痛感しました('_')

2013年10月14日月曜日

2013.10.14 わが友に贈る

組織の発展は
人材の総合力で決まる。
いかなる立場であれ
主体者の決意で立て!
常に挑戦の心を!

聖人御難事 P1190
『日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人多宝十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人但日蓮一人なり』

◇今週のことば
我ら創価の座談は
地域の心のオアシスだ。
新来の友や未来の宝に
生きる力と喜びを!
そこから勝利の劇が!
2013年10月14日

◇希望の明日へ
仏法は、平等と慈悲が根本である。権力をもちながら、しかもその権力をふるわない−−これが、本当の人間主義であり、人道主義の道である。また、仏法のいき方とも軌を一にする。
平2・10・4

☆女性に贈ることば 十月十四日
働くこと、子を育てること、妻であること。また娘であること、地域の一員であること、学ぶこと−−それらが互いにぶつかりあい、悩みながらも、なおすべてを自分の成長の糧にしようと心が定まった時、初めて、女性は一個の太陽になれる。

☆今日のことば 十月十四日
私には、菊つくりの経験はない。しかし丹精こめて、見事な大輪を咲かせる心境は理解できるような気がする。
私にとって最大の楽しみは、手塩にかけた青年たちが、立派に成長していくのを見守ることだ。

☆生命の光母の歌 第1章 出会いの曲、ウィーンの調べ
池田SGI会長 サイフェルト博士は「女性の世紀」の颯爽たる旗手です。
高名なソプラノ歌手であると同時に、オーストリアの文部次官を務められ、長さにわたって文化行政のスペシャリストとして活躍してこられました。
お父さまが音楽家であられた影響はもちろんのこと、社会の安穏と人々の幸福に尽くす生き方は、多分にご家庭で身につけ、ご両親から受け継がれた部分が大きいと拝察します。
「人に尽くす」ことを、ある時は言葉で、またある時は無言のうちに、その姿で伝えゆくようなご家庭であったのではないでしょうか。

サイフェルト博士 私にとって芸術は、人生そのものです。父はクラシックの音楽家で、私たちは実際に、家ではクラシック作品ばかりを演奏していました。父が声楽の教授だったので、本当にたくさんの楽曲を一緒に楽しみました。
守られた少女時代でしたが、普通とは違うものでした。私は両親が全盲という状況の中で生まれました。二人は本当に一生懸命、私を育ててくれました。
私たちは一心同体でした。それはまるで馬車を引く馬のようであり、目の見える先頭の馬に、2頭の盲目の馬が引っ張られながら、お互いのためにできることをしたのです。家族が一体となって、あらゆる出来事に当たっていたわけです。

池田 ご苦労は察するに余りあります。幼い頃からご両親の"目"となり"杖"ともなられ、お二人の手を引いて街を歩かれたサイフェルト博士に、お父さまとお母さまは深く感謝しておられたに違いありません。

サイフェルト ありがとうございます。
でも当時は、そんなことを考えもしなかったのです。
私は孤独な子どもたったといえます。というのも、同年代の子どもだちとはあまり接点がなく、あったとしても私のことを理解できなかったと思います。
それでも、父から音楽を学ぶことができ、非常に恵まれた幼少期であったといえますし、それが当時の私の人生の全てであったわけです。
もちろん、音楽に生涯を捧げた父の人生も困難なものでした。父はオルガニスト(オルガンの演奏家)として、墓地で葬送の演奏をしていました。
そこで私が亡くなった人を最初に見たのは、5歳の時でした。それ以来、「なぜ人は死ぬのか」「死後は何かあるのか」などと、死について考えをめぐらすようになったのです。
池田会長の幼少期には、何かそうしたことがありましたか。

池田 そうですね。小学生の頃、学校の帰り道、トラックに積んだ鉄材が崩れ、職人さんが挟まれてしまった大きな事故を目の当たりにしたことがあります。その痛ましい場面は、脳裏に刻みつけられています。
また、私自身、幼少より体が弱かったことから、小学校時代、寝汗をびっしょりかいてうなされながら、「人間は死んだらどうなるんだろう」と考えていたことを覚えています。この病気との闘い、生死の問題への探究は青春時代も続いていきました。
ところで、博士は、大学では音楽ではなく哲学を専攻されていますね。

2013年10月13日日曜日

2013.10.13 わが友に贈る

さあ広布新時代へ!
勇気・感謝・誠実で
対話の渦を起こせ。
創価の青年力を結集し
希望の未来を開け!

五人所破抄 P1613
『西天の仏法東漸の時既に梵音を飜じて倭漢に伝うるが如く本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し』

◇希望の明日へ
今、人類の眼は、"人間自身"へと向かい始めた。その人間の「内なる生命」に、旭日の輝く天空のごとき大境涯が、かぎりなく、また永遠に広がっていることを、仏法は示している。学会は、この哲理を胸に抱きながら、一人の人間が、どれほど尊厳であるか、どれほど高貴であるか、どれほど強轍であるかを、この人生において証明しぬいていきたい。
平2・9・5

☆女性に贈ることば 十月十三日
聡明な自分自身を築いていただきたい。社会にあって、「あの人は、さすがだ」と言われる人格をつくることです。皆と協調し、皆をリードし、皆から尊敬される人生を歩んでいってほしい。

☆今日のことば 十月十三日
私が、どう苦しんでいようと、病んでいようと、国が破れようと、太陽はつねに輝いていた。私の心の底には、踏まれても、押されても希望の芽がすくすくと伸びていた。希望とは、一人の人間における太陽のようなものかもしれない。

☆生命の光母の歌 第1章 出会いの曲、ウィーンの調べ
サイフェルト そうでしたか!
日本の桜の季節は素晴らしいですが、ウィーンは、会長が散策された春も、そして秋も、素晴らしいです。特にクリスマスの時期は、とても素敵なのです!
私は各国の大臣の公式訪問の準備をずっと手掛けてきましたから、ウィーンのことは熟知しています。皆さん、ぜひウィーンへお越しになってください!

池田 そう言っていただくと、読者の心も弾むことでしょう。今、日本からウィーンへは直行便も飛んでいます。
四季折々に美しいウィーンの森のそばに、私どもSGIのオーストリア文化センターはあります。ハプスブルク家の最後の皇女エリザベートが住んだ由緒ある歴史的建造物であり、サイフェルト博士にも幾度となく訪問いただいております。
その国の独自の文化や歴史を最大に尊重していくのがSGIの基本精神です。
多様性を大切にしてこそ人間性が豊かに開花し、人間が真に人間らしく生きられる社会が築かれていくと信じるからです。
昨年(2012年)6月に行われたオーストリアSGIの集いにも、わざわざ足を運んでくださり、あらためて御礼を申し上げます。
ウィーンの市立公園でサイフェルト博士がSGIの友と一緒にカメラに納まった写真を、私たちは夫婦で喜びをもつて聖教新聞紙上で拝見しました。
あの公園は、私にとっても思い出深き場所なのです。
1992年、光栄にも「オーストリア科学・芸術名誉十字章勲一等」を拝受しました。博士からは、真心あふれるスピーチもいただきました。その式典の直後、メンバーと記念撮影したのが、この市立公園なのです。

サイフェルト よく存じ上げております。ウィーンには素晴らしい"創価の人々"がいらっしゃいます。私はこれまで、婦人部の皆さんをはじめ、多くの方々と友情を結んできました。
実は、イギリスのタブロー・コート総合文化センターにも一度お邪魔したことがあります。自分で調べて連絡をとり、電車に乗って一人で行ったのです。
本当に素敵な建物でした。急な訪問にもかかわらず、スタッフの皆さんが温かく迎え入れてくださいました。まるで自分の家に戻ったような感覚にさえ包まれました。
私にとってSGIは、どこの国や地域であろうと、自宅に帰ったような居心地の良さを感じるのです。なぜなら、SGIは私の"精神の故郷"だからです。

池田 うれしいお言葉です。"精神の故郷"とは、言うなれば「家族」でありましょう。
心通う家族と共に過ごすひとときや、故郷に帰る喜びは、何よりも大きいものです。
私どもが今、進めている運動も、互いの生命に尊極の仏性を見いたし、対話によって心と心の絆を強め、広げていくものです。

サイフェルト 創価学会の皆さまとの出会いは、常にとても心温まる、真心のこもった深い触れ合いでした。本当に私の人生が変わったので、非常にありがたいと思っています。
もっとSGIが発展すること−−これが私の願いです。なぜなら、今ほど人々が確かな哲学を求めている時代はないからです。

池田 温かなご理解、ありがとうございます。
私どもの信奉する日蓮大聖人は、『人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし』(P1598)と言われております。
こうした共生の心、共生の哲学が、ますます大事になってきています。"自分さえよければいい"という利己主義がはびこれは、地球は痩せ細るばかりです。
自分が幸せになろうと思えば、まず自らの地域を安穏にしなければならない−−この「自他不二」の心が未来を豊かにします。
何より、私たちSGIは、平和と友情と幸福の縮図であると確信しています。だからこそ、この創価の希望のスクラムをさらに広げられるよう、努力していきたいと思っております。

サイフェルト そう念願します!
私たちにとって大事なのは、"人間とは、どうあるべきか"について、明確な答えを持つことです。これは、私がいつも周囲の人々に語っていることでもあります。
ですから私は、SGIに期待を寄せているのです。

2013.10.12 わが友に贈る

会合運営に携わる
全ての役員に感謝!
どうか無事故第一で。
学会厳護の使命に
無量の功徳は輝く!

御義口伝巻上 P716
『衆生に此の機有つて仏を感ず故に名けて因と為す、仏機を承けて而も応ず故に名けて縁となす、是を出世の本意と為す』

◇希望の明日へ
真の宗教は、また、本来の仏法の精神は、「人間主義」であり、「平和主義」「文化主義」である。いかなる権威・権力にも屈せず、人間が人間として、堂々と胸を掛って生きていくことを教えるのである。その力と知恵を民衆に与えるのである。
平2・8・21

☆女性に贈ることば 十月十二日
何があっても、「私は太陽なんだ!」と悠然と生きることだ。
もちろん、曇りの日もある。しかし、曇っていても、太陽はその厚い雲の上で変わらずに輝いている。苦しい時も、心の輝きを失ってはならない。

☆今日のことば 十月十二日
人間に心情を語ることにかけては、音楽ほど真正直なものはないだろう。嘘をつこうにも嘘のつきようはない。言語もいらない。論理を追う必要もない。理解しようなどと身がまえる愚かさを、さらさら必要としない。耳を澄ましていれば、わが心のなかの楽器は自然と共鳴するのだ。

☆生命の光母の歌 第1章 出会いの曲、ウィーンの調べ

池田 以前にお会いした折も、言われていましたね。
「人生はあまりにも短い。"何か"を残さねばならない」と。
今も変わらず若々しい心で、謙虚にそして真剣に人生の価値を探求し、創造される姿勢に感動します。
私はローマの哲人セネカが友人(ルキリウス)に贈った言葉を思い出しました。
「物事を先送りしていれば、人生はそのあいたに過ぎてしまう。この世に何一つとして、ルキリウス、自分の所有物だと言えるものはないんだ。時間だけなのだよ、これぞ自分のものと言えるのは」 「これこそ、どんなに感謝してもし足りないほど値打ちのある唯一つのものなのに」 (中野孝次著『セネカ現代人への手紙』岩波書店)
何のために、どのように、時間を使うか。そこに、その人の生き方が表れます。

サイフェルト ええ。そして、一定の年齢に達した時、つまり私にとっての最近の数年間における関心事は、いわゆる「死への準備」を整えることです。
わが人生に、あと、どれほどの時間が残っているか、誰にも分かりません。
だからこそ、時間は大切であり、かけがえのないものとなるのです。

池田 仏法では、『臨終只今にあり』(P1337)との覚悟で、今の一瞬一瞬を大切にし、一日一日を真剣に生き切り、最高の価値を創造していく道を教えています。
いかに財産があっても、立場があっても、それが人生の確かな充実になるとは限らない。むしろ、虚像となってしまう場合が、あまりにも多い。
ですから、いかなる目的を持ち、いかなる哲学を持って、人のため、社会のために尽くしていくかが大事になるのではないでしょうか。

サイフェルト 私自身がそうした深い人生を生きているかどうかは分かりません。ただ、「他者のために自分を使いたい」という強い気持ちがあるのは確かです。

池田 尊いお心です。仏法で説く「菩薩」の精神に通じます。
さて、私はこれまで3度、貴国を訪問しました。芸術の香気あふれるウィーンの街が大好きです。世界の人々の憧れでもあります。
貴国の作家ツヴァイクは、多くの民族と文化が融合するウィーンを、"素晴らしく交響曲化された都市""自然と溶け合っている町"と讃え、市民が愛したブルク劇場を"大宇宙を映し出す小宇宙"と形容しました。
また「真のウィーン人」とは"文化に対する愛、芸術への感覚を持ち合わせている人"とも綴っています。〈原田義人訳『昨日の世界I』〉。
この先哲の洞察は、今もそのまま当てはまるのではないでしょうか。
アメリカのニューヨーク、スイスのジュネーブとともに国連機関が置かれるウィーンは、国際的な平和交流の舞台でもあり、音楽を愛好する世界市民の都と光っています。

サイフェルト そうかもしれません。ウィーンは文化的にも揺るぎない地位を築いています。
ウィーン・オペラは芸術的水準が非常に高いといえます。コンサートも、"どこに行ったらいいか分からない"と言っても過言ではないほど、たくさん催されています(笑い)。外国の方々が気に入りやすいと思います。

池田 サイフェルトさんにとって、生まれ育ったウィーンはどのような街なのでしょうか。

サイフェルト 私は生粋の"ウィーンっ子"です。母はドイツ人ですが、父はウィーンの出身です。
観光事業という点から見れば、今日のウィーンは世界有数の都市であるといえます。単に私の意見を申し上げているのではなく、何かで読んだことを記憶しています。

池田 行事の合間に地元の方に、有名なウィーンの森の一角、ヘレン渓谷を案内していただいたことも懐かしいです。
しんとした静けさに包まれ、わきを流れる小川には"歌"があり、そよ風には"詩"がありました。1981年の5月のことです。濃淡ある美しい緑に、心が洗われるようでした。
滞在中には、ハイリゲンシュタットにあるベートーベンゆかりの家も訪れ、近くの丘から、ドナウ川とウィーン市街を一望しました。

2013年10月11日金曜日

2013.10.11 わが友に贈る

新任のリーダーよ!
生まれ変わった決意で
歴史を創れ!
皆の心を動かすのは
率先と真剣の行動だ!

阿仏房御書 P1304
『今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房此れより外の才覚無益なり』

◇希望の明日へ
今、世界には、民主の潮が流れ始めている。この歴史の方向は、多少の逆流はあったとしても、大筋では変わらないであろう。人間が根本である、人間を第一義とすべきである、と人類は、やっと目覚め始めた。大事なことは、そうした民主と改革の最終的な成功のカギが、どこにあるのかである。それは、どこまで"民主的人格"を、"民主的人間群"を生み出せるかにかかっている。広布の未来も、同様である。
平1・9・24

☆女性に贈ることば 十月十一日
人は生き方を通して、後世まで語り継がれる。その意味では、偉大な人生は、いつまでも生き続けるといってよい。

☆今日のことば 十月十一日
青春時代は、ビルディングでいえば、土台づくりの時期である。それなりの境遇にあって、甘やかされず、甘えず、苦労を財産としてゆく情熱がなければならないと思う。ともかく基礎づくりの時代に、その人生の基礎を、深く、強く構築しておかなければ、いかなる高層の建物が出来あがっても、厳しい社会の嵐に崩壊させられるか、あるいは自身のなかより、朽ち滅びてゆくかであろう。

☆生命の光母の歌 第1章 出会いの曲、ウィーンの調べ
池田SGI会長 グーテンターク!(こんにちは!)
文化は国境を越え、人と人との間に「心の橋」を架けていきます。
音楽は、言語の違いを超えて、人々に「歓喜の共鳴」を広げます。
激動の時代にあって、偉大な「文化の大使」 「音楽の使者」として世界で活躍してこられたサイフェルト博士と、文化と人生、平和をめぐる新たな対談の機会を得、これほどの喜びはありません。

サイフェルト博士 池田会長、私も本当にうれしいです!
この時を心待ちにしていました。
自由間達な意見交換ができればと思っております。私たちの考え方には、共通項がたくさんあるのですから!

池田 サイフェルト博士は、オーストリアや日本をはじめSGIの同志に、何度も美しい歌声を披露してくださいました。
また、忘れ得ぬ夫君のラルフ・ウンカルト博士とご一緒に、私たち夫婦も度々お目にかかり、友誼を結んでくることができました。
1992年6月、ウィーンを訪問した折には、わざわざ空港で迎えていただき、その真心は永遠に忘れられません。
この対談も、陽光に緑が映える芸術の都ウィーンの公園で、コーヒーとザッハトルテ(オーストリアのチョコレートケーキ)を味わいながら、ゆったりと語らうように進めていきましょう。
博士が語られる全てが、特に多くの母たち、女性たちへの大いなる励ましとなることは間違いありません。

サイフェルト ありがとうございます。
でも、私からすれば、激励するという立場には当たらないと思います。
もちろん、少しでも多くの女性たちの力になればと願っていますが、今回の対談はむしろ私自身にとっての励ましです。
当たり前の日常にあって、まだまだやり残していることがあるのではないか−−自問自答を続ける中で迎えた待望の機会だからです。

2013年10月10日木曜日

2013.10.10 わが友に贈る

悩める友に勇気を!
一人が立ち上がれば
二人・三人は必ず続く。
広宣流布とは
励ましの連鎖だ!

四条金吾殿御返事 P1186
『貴辺も又かくのごとく敵はねらふらめども法華経の御信心強盛なれば大難もかねて消え候か、是につけても能く能く御信心あるべし』

◇希望の明日へ
学会は、仏法を基調とした「人間主義」「平和主義」の団体である。そして、「人間への奉仕」「全人類への責献」のために戦い続けている。その誇りと栄誉を絶対に失ってはならない。どこまでも「人間主義」「平和主義」の旗を高く掲げながら、わが信念と使命の道を堂々と進んでいきたい。
平2・8・2

☆女性に贈ることば 十月十日
目標に到達するには、一歩また一歩と粘り強く積み重ねていくしかありません。
その間、目に見えるような成果があがらない時もある。しかし、努力を重ねて、ある一定のレベルに達すると、一気に目の前が開けていく。ちょうど山の峰を越えた時、急に眼前が開けるように。そこまでが我慢のしどころです。

☆今日のことば 十月十日
目ほど不思議なものはない。言葉の通じない動物でさえ、目では、ものを言っている。まして、人間の目は「心の窓」ともいわれ、心のなかを語ってくれる。口先では時に心にもないことを言っても目だけはごまかせないものである。

☆名誉会長と共に今日も広布へNo.038 縁した友に大誠実の対話を
晴れやかな総本部の竣工、おめでとう! すごい学会になった。すごい人材が育った。私は本当にうれしい。布陣を整え、さらなる発展へのバトンタッチを頼みます。
これまで頑張ってくれた友は、後継を自分以上に育て、守り支え、一緒に光っていくことを、無上の誇りとしていただきたい。戦う心は一歩も退いてはなりません。
新たな使命に立つ友は、燃え上がる学会精神を受け継いで、生き生きと、伸び伸びと、わが誓願の国土で、広宣流布をこれだけ成し遂げたという歴史を残していただきたい。
立場がどうあれ、皆、自信を持ち、勇気を持って、「三世永遠の勝利のために、これで良し」と言い切れる指揮を執っていくことだ。

御書に『仏になる法華経を耳に触れるならば、これを種として必ず仏になる』(P552、通解)と仰せである。
縁した人、身近な人に、大誠実で語るのだ。私も、徹して折伏をやりきってきた。
戸田先生は、一対一の仏法対話を実践する友を、最大に褒め讃えられた。
「折伏を行ずる学会員は、大聖人の御仕事をしているのだ。御本尊が、強靭な生命力と無量の大福運を下さらないわけがない」
折伏の人は、御本仏の代理なのだから、あらゆる菩薩が友となり、梵天帝釈など無数の諸天善神が来り仕える。魔や鬼神は近寄れない。
尊き折伏の座にあっては、決して臆してはならない。
楽しく、自信満々と、そして忍耐強く、この大仏法を語り抜いていくことだ。
偉大な使命を担う一人一人の活躍を、健康を、勝利を、私は祈り、見守っている。

2013年10月9日水曜日

2013.10.09 わが友に贈る

暴風雨や土砂災害
河川の増水などに
最大の警戒を!
配達員の皆さまは
無事故・安全第一で!

種種御振舞御書 P917
『釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり』

◇希望の明日へ
何をさしおいても、人々を救うために行動していく−−この人道主義の生き方こそ、仏法者の道であり、真の人間としての道といえよう。また、学会員は、人々を生命の根底から救い、絶対の幸福境涯を確立させていける妙法を信じ、日々行動している。人々の宿命の鉄鎖を解き放ち、苦悩と不幸の闇を晴らしていく信仰活動には、人道主義の根本の生き方がある。そして法のため、人々のために尽くした行動は、必ずや自身の生命を飾る無量の福運となって輝いていくのである。
平1・6・26

☆女性に贈ることば 十月九日
親の恩は深い。親を苦しませたり、悲しませたりしてはならない。親を喜ばせ、楽しませてあげよう、と努力できる人は大人である。その努力はまた、自分自身の勝利に直結していく。

☆今日のことば 十月九日
浅はかな
 感情の人生を生きるよりも
自分らしく
 ひとつの深い理由と
  信念のために生きゆく
 青春であってもらいたい

☆池田国際対話センター設立20周年記念セミナーへのメッセージ
本日は、各分野を代表される傑出した学識者の先生をはじめ、素晴らしき英知のリーダー方がお集まりくださり、誠に誠にありがとうございます。
お懐かしい、また忘れ得ぬ多くの友人の皆さま方にご列席をいただき、これほどうれしいことはありません。
本来であれば、私も馳せ参じて、直接、尽きせぬ感謝をお伝えしたい思いでいっぱいであります。今、私の心も、世界の知性の首都たるボストン近郊のケンブリッジに、皆さまと共にあります。
20世紀から21世紀への大転換の20年、わがセンターは、「地球市民のネットワークの要たれ」「『文明の対話』の懸け橋たれ」「『生命の世紀』を照らす灯台たれ」との遠大なモットーを掲げて、一歩また一歩と前進をしてまいりました。
世界の多彩な文化や思想を結び、新たな価値を創造しゆく「対話のセンター」として、教育界・学術界に寄与してこられたのも、ひとえに、ここにおられる諸先生方のご支援・ご協力の賜であり、あらためて厚く御礼を申し上けます。
また、私が深く信頼してやまない優秀なスタッフをはじめ、常日頃より、センターを温かく見守り、支えてくださっている全ての皆さま方に深謝申し上げます。

◇人類のために
発展しゆく、わがセンターの姿を、そして、きょうのこの晴れの集いを、ぜひとも、ご覧いただきたかつたと思う先哲の一人が、イギリスの歴史家アーノルド・トインビー博士であります。
40年前(1973年)の5月19日−−。
ロンドンの博士のご自宅にて、2年越しで続けてきた対談の最終日のことを、私は鮮烈に思い起こします。
ちょうど、この日、ニュースでは、当時のソ連共産党のブレジネフ書記長が西ドイツを訪問し、ブラント首相と会談したことが大きく報じられていました。その話題に及んだ時、トインビー博士は毅然と語られたのであります。
「政治家同士の対談に比べ、私たちの対談は地味かもしれません。しかし、私たちの語らいは、後世の人類のためのものです。このような対話こそが、永遠の平和の道をつくるのです」と。
深い信念に満ちた凛乎とした声の響きを、私は忘れることができません。
対談を終える際、博士は私の手を握りしめながら言われました。
「私は、対話こそが、世界の諸文明、諸民族、諸宗教の融和に、極めて大きな役割を果たすものと思います。人類全体を結束させていくために、若いあなたは、このような対話を、さらに広げていってください。ロシア人とも、アメリカ人とも、中国人とも……」
この時、トインビー博士は84歳。私は45歳。
博士は慈父の如く、若い私に、人類の未来を開く「文明の対話」「民族の対話」「宗教の対話」のバトンを託してくださったのだと感じ取りました。

◇不信から信頼ヘ
私は「行動」の人間です。博士との約束を果たすためにも、仏法者として、いな一人の民衆代表、青年代表として、東西の冷戦下にあって、中国へ、ソ連へ、新たな対話の旅を開始しました。
戦争と暴力の20世紀を生きた一人として、私か祈るのは、ただ平和、ただただ世界の平和であります。
五大州を巡り、敵視から共感へ、憎悪から理解へ、不信から信頼への転換を願い、ひたすらに対話を重ねてきました。
いかなる国であれ、いかなる立場にあれ、人間は人間です。
共に「生老病死」という根源的な苦悩に立ち向かいゆく仲間であります。等しく生命の内奥に最極の「善性」を抱いた、かけがえのない宝の存在であります。同じ時代に、平和を願う「母」という大地から生まれ出でた地球民族の一員なのであります。
胸襟を開いて、率直に語り、誠実に耳を傾けていけば、魂と魂の共鳴音を奏でられないわけがありません。
心広々と、それぞれの差異から学び合えば、互いの人生をどれほど大きく豊かに高めていくことができるでしょうか。
対話こそ、平和と共生への価値を創造しゆく源泉であります。この「対話」の持つ偉大なる可能性への確信こそ、わがセンターの理念の柱であり、永遠の原点なのであります。

◇「橋」を架ける
できることならば、きょうの集いにもお越しいただきたかった、もう一人の先哲は、経済学の巨人ジョン・ガルブレイス博士であります。
20年前の9月、ハーバード大学で、私が「21世紀文明と大乗仏教」と題して講演を行った際にも、ユーモアを交え、誠に温かな講評をしてくださいました。
博士とは、その後も対談を重ね、「21世紀をどのような時代にしていくべきか」をめぐって、「『殺』ということがなくなる時代」「人々が『この世界で生きていくのが楽しい』と言える時代」というビジョンを語り合ったことが蘇ります。
生命の尊厳を謳い上げた仏法では、真実の喜びとは、自他共に「智慧」と「慈悲」があることをいうと示されております。
その喜びの連帯を広げ、「殺」のない、生きていくのが楽しい世界を創りゆく力もまた、「勇気ある対話」でありましょう。
一、ともあれ、「暴力」か「対話」か−−。東西冷戦が終結した後も、世界の各地では、今なお熾烈な紛争が続き、憎悪と暴力の連鎖が続いております。
だからこそ、私たちは「対話」を決して手放してはなりません。
断固たる「対話の選択」こそ、「平和の選択」となり、必ずや人類の「生への選択」に通じていくと、私は信じます。
きょうはうれしいことに、未来を託す若き英才たちも集ってくれています。
このセンターを舞台に、異なる文化、異なる宗教、異なる学問分野に橋を架けゆく対話が、さらに若々しく、縦横無尽に繰り広げられる新たな10年、20年を思う時、私の胸は高鳴ります。
そうした対話の一つ一つが、これからの千年紀を生きる人類の汲めども尽きぬ共生の思想の泉となり、新しき生命のルネサンスの希望の光源となりゆくことを、心から念願してやみません。
最後に、本日、ご列席を賜りました、全ての皆さま方のますますのご健勝とご長寿、そして、ご一家のさらなるご繁栄をお祈りし、私のお祝いのメッセージとさせていただきます。誠に誠に、ありがとうございました。

2013年10月8日火曜日

2013.10.08 わが友に贈る

仏法即社会だ。
わが町の繁栄を祈り
発展に尽くす中に
広宣流布の前進がある。
地域の希望の柱たれ!

上野殿御消息 P1528
『法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり、我が心には報ずると思はねども此の経の力にて報ずるなり』

◇希望の明日へ
政治も経済も、学問も宗教も、社会のいっさいの営みは人間から出発し、人間に帰着する。また当然、そうでなければならない。しかしあまりにも、しばしば、目的であるはずの人間が手段となりはてているのが現実である。その転倒を、本来の人間中心の理想に戻し、新たなる社会の建設をしていかねばならない。
平1・4・4

☆女性に贈ることば 十月八日
子どもには、思い出をたくさんつくってあげることです。
子どもたちのために、私は手品をすることもあるし、ピアノを弾くこともある。すべて、なんらかの思い出をつくってあげたいとの気持ちなのです。
幼き日のよき思い出は、一生を支える力となるからです。

☆今日のことば 十月八日
今日の問題は、何か
今日の一日の使命を果たすことだ
今日の使命とは 何ぞ
自己の境遇にて戦うことなり
その戦いとは 如何
自己を発揮し 全力を尽くして進むことだ

☆勝利の人間学第39回 「変毒為薬」の信心
◇試練を境涯開く好機に
人生の道は平坦ではない。深い悲しみの日もある。大きな苦しみの時もある。いわんや偉大な使命に挑む青年に、難は必然である。
しかし、悲しみが深ければ深いほど、苦しみが大きければ大きいほど、それを勝ち越えた時の喜びは、何ものにも勝る。私たちには、「変毒為薬(毒を変じて薬と為す)」の信心があるではないか。
日蓮大聖人は、『わざばひ(禍)も転じて幸となるべし』(P1124)と仰せである。
悩んだこと、苦労したことも、全部、いい方向へ転じることができる。必ず必ず幸福の方向へ、人間革命の方向へ、成仏の方向へと、もっていけるのだ。あとになれば、分かる。
仏法には、何一つ無駄はない。試練の時こそ、境涯を開き、功徳を積むチャンスなのだ。

◇困難な時こそ題目第一で
困難な時こそ、強き楽観主義で進むのだ。嘆いていても何も変わらない。後ろを振り返っても何も進まない。まず題目だ。題目の中に一切が含まれている。
人生は、どこまでいっても戦いである。
ゆえに「絶対に勝つ」と決めて祈るのだ。
信心は限りない希望であり、自信である。
たとえ地獄のような苦悩の渦中にあっても、寂光土へ変えていけるのが題目の力である。何があっても信心で立ち上がっていくのだ。

◇総本部と共に人材の城を
今の苦闘は、君たち自身の生命を、金剛不壊の城と鍛え上げる盤石な土台となる。
策や要領ではなく、すべてを御本尊に任せ、勇敢に粘り強く戦い抜いていただきたい。
世界の同志が待ちに待っていた総本部が、今秋、威風堂々と完成する。
一閻浮提広宣流布の未来のために、わが青年部に贈リゆく宝城である。世界の青年学会の新時代が、いよいよ始まった。
わが学会は、永遠に人材を育て、人材で勝ち、人材で平和と幸福の道を開くのだ。
君たちが一切の主役である。それぞれの誓願の天地に、堂々たる「人材の城」を築いてくれ給え!

◎最近、休止状態からのWANの繋がりが悪く、送信できないことがままありました。プロでもこの有様ですから、一般の人は大変ですよね(-_-メ)

2013年10月7日月曜日

2013.10.07 わが友に贈る

「師弟相違せば
なに事も成べからず」
学会は永遠に
師弟を根本に前進!
そこに常勝の軌道が!

観心本尊抄 P254
『天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか』

◇今週のことば
「進まざるは退転」だ。
いよいよ強盛に
わが地域へ新風を!
わが後輩へ励ましを!
新時代を我らの団結で!
2013年10月07日

◇希望の明日へ
人間はいっさい、平等である。社会的な差別など微塵もあってはならない。権力者であるから偉いのでもなければ、庶民であるから低く見るのでもない。これが仏法の、根本精神である。これをゆるがせにして、ことさらに立場の上下をいい、権威を振りかざす輩は、仏法の根本に違背する者である。
昭63・9・7

☆女性に贈ることば 十月七日
素晴らしい恋愛は、実は、誠実で成熟した、「自立した個人」と「自立した個人」の間にしか生まれない。自分を磨くことが大切なのです。

☆今日のことば 十月七日
多数派の意見が、必ずしも優れているといえない。少数者の意見にも、よいものがある。ゆえに、少数者の、意見を大事にし、よく聞かなければいけない。

☆名誉会長と共に 今日も広布へNo.037 困難が自分を強く鍛える
後継の宝であり、学会の未来を決する青年たちが、世界中で皆の先頭に立ち、折伏精神に燃えて戦ってくれている。これほど、うれしいことはありません。
日蓮大聖人は『強敵を伏して始て力士をしる』(P957)と仰せです。
すなわち、″強敵を倒してこそ、はじめて、強い力を持つ勇者であることが証明される″と言われるのです。
乱世であるがゆえに、皆さんの日々は、さまざまな障害が立ちはだかり、忍耐と闘争の連続かもしれない。
しかし、強敵があればあるほど、自分自身を強く鍛えることができる。
困難の中で、人のため、社会のため、広宣流布のために戦い抜くことは、最高の青春の道を歩んでいることだと、胸を張ってもらいたい。
妙法と共に、同志と共に。私と共に、勇敢に正義のスクラムを広げながら、よき青年学会を創ろう!
聡明に、健康で、無事故の前進を頼みます。
勝ちまくれ!

大難と戦われた佐渡の地で、大聖人は未来を確信し、厳然と師子吼された。
『皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや』(P1360)
それぞれの天地で、どこまでも一人を大切に、一人を励まし、一人を育て、自らの今世の省属を、内外に呼び起こして、己が誓願の人生を堂々と歩んでいってください。
力強く、共々に、世界広布の大行進を開始しよう!

◎明年のテーマは「世界広布新時代 開幕の年」凄いね!(^^)!

2013年10月6日日曜日

2013.10.06 わが友に贈る

リーダーは
友の悩みに耳を傾け
温かな励ましを!
一対一の人間の絆こそ
学会の生命線だ!

四条金吾殿女房御返事 P1135
『但し信心のよはきものをば法華経を持つ女人なれどもすつるとみえて候』

◇希望の明日へ
一切衆生の生命に尊厳なる仏性を見いだす仏法は、いわば他者の生命への尊敬を通じて、人権の実現を目指している。ゆえに自身の権利の主張にとどまらず、他者の人権のために行動することを促している。それは、義務ではない。自らの崇高なる使命に生きゆかんとする誓願である。
平5・9・29

☆女性に贈ることば 十月六日
誰か一人でもいい、信頼して何でも話せるよき相談相手をもつことが大切だ。客観的に見てくれて、自分のことを思ってくれる人のアドバイスに耳を傾けたほうが賢明である。

☆今日のことば 十月六日
人を見る訓練というものは、長い人生の間に、ある程度は自然にできてゆくものかもしれない。裏切られたり、足をさらわれたり、ひどいめにあって、人を見る目も肥えていくが、このような小説を深く読んで、人物に対する目を開くことば大いに役立つものだ。

☆御書とともに�第12回 師弟不二の祈りで勝て
『だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし』(四条金吾殿御返事、P1151)

◇通解
檀那(弟子)と師匠とが心を同じくしない祈りは、水の土で火を焚くようなもので、叶うわけがない。

◇同志への指針
この世で、師弟の絆ほど美しいものはない。強いものはない。
私の心には、いつも広布に戦う恩師がいる。瞬時も離れず師匠と対話している。後継の青年が、人生と社会で勝利することこそ、師の最大の喜びである。
広宣流布の大願は、師弟の祈りで成就する。学会は、永遠に師弟不二に徹して、広布の大道を断固と勝ち開いていくのだ。

2013.10.05 わが友に贈る

火災に厳重注意を!
たこ足配線や
可燃物の放置は厳禁。
点検と声掛けで
事故を未然に防げ!

本因妙抄 P874
『彼の天台大師には三千人の弟子ありて章安一人朗然なり、伝教大師は三千人の衆徒を置く義真已後は其れ無きが如し、今以て此くの如し数輩の弟子有りと雖も疑心無く正義を伝うる者は希にして一二の小石の如し』

◇希望の明日へ
人権が確立されなければ、すべては砂上の楼閣である。真実の民主主義も平和も建設できない。人権は全世界で共通の課題である。また、仏法の極理も、人権の最大の尊重にある。
平5・6・4

☆女性に贈ることば 十月五日
強くなれば、悲しみさえも栄養になる。苦悩が自分を深めてくれる。自分が押しっぶされそうな苦しみの底で、跡めて、人生と生命の真髄が、心に染み通ってくる。だから、苦しんだからこそ、生きなければならない。前へ前へ進むのである。

☆今日のことば 十月五日
千里の道も一歩からである。その道を確実に前へ歩んで征く人は強い。今、何里まで来たかと振り返った時に、その途を歩んだことに喜びを見いだすことができる。

☆学園抄第9回 語学の翼
◇この子の国へ!
世界平和旅を重ねる創立者。訪問した国の絵はがきなどを学園生に贈り、世界への夢を育んできた。
大阪の創価女子学園(当時)には人形を届けた。フランス人形は、学園の「園」の字から「園子ちゃん」と命名。ロシアの人形「モス子ちゃん」や、アメリカ、中国、アフリカの人形も贈った。
1976年(昭和51年)2月14日、女子学園で代表生徒との茶会が開かれた。
生徒がたてた茶を味わう創立者。自ら作法を教える。
「教養が大事だよ。一つのことで一流なのも大切だけど、いろんなことを知ることも大事。それが教養なんだ」
話は海外歴訪にも及ぶ。
「日本は、まだロシア語の通訳が少ないんだ」
代表参加者は、茶会の様子を同級生たちに伝えた。
それを聞いた、ある高校1年生。「ロシア語」が胸に響いた。何か語学をマスターしたいと考えていた。そうだ、ロシア語にしよう!
校内に飾られていた「モス子ちゃん」を見るたび、"この子の国に行くんだ"と決意し、勉学に励む。創大時代には、創立者とロシアに行く機会があった。
「皆に好かれるようになるんだよ。皆から慕われるようになりなさい」
創立者から教わった国際交流の基本を貫く。モスクワの放送局でアナウンサー、翻訳者を務めた。哲学の博士号も取得。日本屈指のロシア語同時通訳者となった。

77年4月14日。イギリスのラジオ局の記者が、取材で女子学園を訪れた。
海外在住経験があり、英語を使える高校2年生がいた。記者に指名され、矢継ぎ早の問いに何とか答えた。
しかし、創立者のこと、学園のこと、うまく英語で伝えられない。悔しかった。
「将来、必ずイギリスに行きます。創立者の通訳になります!」
目を真っ赤に腫らし、思わず決意を□にしていた。
その年、父親のイギリス転勤が決まる。だが残り1年の学園生活。皆と卒業したい。決心がつかなかった。
翌年1月24日、状況を聞いた創立者に声を掛けられた。
「行くの?」
「……はい……」
なんて答えればいいか。心の迷いが小さな声に表れる。
「えっ? 行くの?」
「……はい……」
三度、創立者の声。
「行くの?」
「……はい、行きます!」
「じゃあ、行きなさい!」
将来は自分で決めるもの。その背中を池田先生が押してくださったんだ……。
「私、通訳になります」
「そうか、期待してるよ!」
ロンドン大学を経て、証券会社や国際投資銀行で活躍。後年、政府要人の会見を担当するなど、トップクラスの英語通訳に。
やがて2人は、創立者のロシア語、英語通訳となる。創立者は「学園生だね!」と喜んだ。
97年11月、ゴルバチョフ元ソ連大統領夫妻と創立者夫妻が関西校を訪問。夢を叶えた2人も創立者と、思い出の母校に帰った。

今月の関西校の英語キャンプ。中学・高校では1年生が留学生と交流した。
グループごとのキャンパスツアー。万葉図書館で留学生が青い目の人形を指さした。
"So cute!" (かわいい!)
学園生が説明する。
"This is MOSUKOchan. Ikeda Sensei presented this. She is from Moscow." (「モス子ちゃん」です。池田先生が下さったものです。モスクワから来たんです)
留学生は生徒に尋ねた。
"Why are you studying English?" (なぜ英語を勉強してるの?)
"Because Ikeda Sensei always tells us to become global citizens!" (池田先生がいつも私たちに「世界市民たれ」と語られるからです!)
"Great! Do your best!" (素晴らしい。頑張って!)
創立者を同じくする学園生と創大留学生。世界へ羽ばたくことを約束した。

2013.10.04 わが友に贈る

いかなる宿命の嵐にも
断じて負けるな!
「今が変毒為薬の時」と
強盛に題目を唱えよ。
祈りに勝る力なし!

上野殿後家尼御返事 P1504
『夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はずただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふこれにまよふを凡夫と云う』

◇希望の明日へ
個人を尊ぶ人権闘争−−そこに仏法の"心"がある。大乗仏典には、ある在家の婦人が、釈尊に次のような誓願を立てる話が説かれている。"私は、孤独の人、拘禁され自由を奪われた人、病気に悩む人、災難に苦しむ人、貧困の人を見たならば、決して見捨てない。必ず、その人々を安穏にし、豊かにして、苦しみから救っていく"−−と。この誓願に象徴されるように、仏法は、抑圧され、差別されて苦しんでいる人間の救済をこそ目的とした。そこには、現代に通じる優れた人権感覚があり人権紺争があったのである。
平5・6・4

☆女性に贈ることば 十月四日
老いを、単に死に至るまでの衰えの時期とみるのか、それとも、人生の完成に向けての総仕上げの時ととらえるのか。同じ時間を過ごしても、人生の豊かさは天と地の違いがある。まっ赤な夕陽のような荘厳な生命を燃やしゆくことだ。

☆今日のことば 十月四日
花鳥風月−−大自然の美しさに、恵まれているわが国だが、四季のなかでも、秋は、また格別だ。特に夜がいい。一日の仕事を終え、一息いれながら、ふと眺める、さえた月に、忘れられていた自然を再発見し、そのなかにいる自分をあらためて見直してみることがある。

☆学園抄第9回 語学の翼
◇英語は「度胸」
「南アフリカの人種問題を解決したいんです」
開校した年の1968年(昭和43年)12月21日、東京・創価学園の栄光寮。創立者・池田名誉会長との懇談会で生徒が質問した。法律、農業、工業……。南アフリカのため何を勉強すべきか。
創立者は明快だった。
「語学を勉強しなさい」
"Can you speak English?" (英語は話せる?)
突然の創立者の英語。
"No..."と戸惑う生徒。
「大きなビルを造るには、深く掘らなくてはならない。基礎です。その基礎を固く造るというのが、今の段階では語学なんです」

創立者は折々に、語学の大切さを訴え、アドバイスを送ってきた。
「これからは英語が話せて当たり前の時代」
「語学は自分自身の世界を広くするんだ」
「英語は『度胸』だよ」
時には、自身の経験をありのままに語る。
−−イギリス・ロンドンで"20世紀最大の歴史家"アーノルド・J・トインビー博士と2年目の対談を行った73年5月。博士の招待で外食をした。場所は会員制クラブ。紳士専用の部屋で2人きり。
「英語のあまりできない私は、本当に困りました。『ああ、もっと英語を勉強しておけばよかった』と心から悔やみました」
戦時中の青春時代。敵性語とされた英語は学べなかった。悔しい思いを学園生にさせたくない。
2003年4月8日、創立者は東京校で入学式に出席。関西校と中継で結び、東西の新入生を祝福する。
"Winter is over. Spring nas come. The sun is shining brightly! Congratulations. Freshmen! Do your best!"
(冬は去り、春めぐり来て、太陽は輝く! 新入生、おめでとう!  みんな頑張れ!)
スピーチを英語で始めた。
「21世紀の地球を担いゆく皆さんに、『花の世界市民のパスポート』を渡したい。それは語学である」
「皆さんには、人類全体を平和に統合しゆく尊き使命がある。その大いなる翼こそ、語学力なのである」

one! Two! Three! Four!..
黒板の数字を英語で読み上げる、かわいい声。1980年4月9日、東京創価小学校。5年生が同校初の英語授業を受けていた。
"Hello!"
教室の後方から声。振り向くと、ほほ笑む創立者がいる。
"Hello!"
一瞬の驚きの後、明るいあいさつが返ってきた。創立者は黒板に向かい、チョークを走らせる。何を書かれるのかなあ? 輝く児童の瞳。
"How do you like Soka shougakkou?" (創価小学校は、どうですか?)
筆記体の英文だった。
教員が記した"It is a very nice school." (とても素晴らしい学校です)との回答に、創立者が線を引く。
「皆、語学をしっかり身に付けて、将来は海外へ行けるようにね!」
池田先生と英語を勉強できた! 児童の自信になった。

2013.10.03 わが友に贈る

会合の成否は
中心者の一念で決まる。
万全の準備と祈りで
「来て良かった」と
皆が喜ぶ集いに!

強仁状御返事 P184
『身命を仏神の宝前に捨棄して刀剣武家の責を恐れず昼は国主に奏し夜は弟子等に語る』

◇希望の明日へ
日本は、技術や経済の面で傲っていても、人権感覚と人権哲学は、極めて貧しい。その貧しさへの自覚すら薄いのが現状である。人権を守るべき指導的立場の多くの人たちが、かえって人権を揉潤している。ただ利害、ただ自国のため−−これでは世界に信頼されるはずがない。日本は「人権大国」をめざすべきであり、人類のために尽くす生き方を定着させねばならない。「人間革命」「精神革命」そして「教育革命」を行うしか、未来は開けない。
平5・5・28

☆女性に贈ることば 十月三日
苦労を避けてはならない。断じて悩みに勝たなければならない。自分の宝は自分でつくる以外にない。
自分自身が自分自身で「よかった」「勝った」と言える人生の価値を創ることだ。その人が栄光の人、勝利の人である。

☆今日のことば 十月三日
人間の網膜に映った単なる、事実が、ことごとく真実を語っているとは限らない。いや、真実をゆがめ、真実を嘘にすることもあろう。ここが、大事なところだと思う。

☆学園抄第9回 語学の翼
"What's vour favorite Japanese food?" (好きな日本料理は何ですか?)
児童がメモを読み上げた。少し、たどたどしい。
ニコツとうなずく留学生。
"I like sushi!" (お寿司が好きです!)
通じた! 目をキラキラさせた児童は続ける。
"I like takoyaki!" (僕はたこやきが好きです!)
今月7日と8日、関西創価学園で「英語キャンプ」が行われた。創価大学で学ぶ留学生か同学園を訪問。学園生が英語だけで交流し、語学の楽しさを体験する。
初日の朝は、小学校で5年生と留学生が触れ合った。各クラス、小グループで自己紹介。児童が留学生の手を取り、校内を回る。事前に教わった英文で説明していく。
"This is Cosmo room. We learn how to use computers here." (ここはコスモルームです。ここでコンピューターの使い方を勉強します)
身振り手振りを交え、学校生活について質問する留学生。児童は英単語をつないで懸命に答える。昼食のころにはニックネームで呼び合い、すっかり友達になっていた。
児童の感想。
「留学生は、うまくしゃべれない私を、はげましてくれました。世界にはこんなに優しい人がいる。その人々を守るためにも、絶対に戦争をしてはならないと思いました」

語学学習に力を入れる東西の創価学園。多くの外国人講師を擁している。
中学・高校は、少人数の授業などで話す量と聞く量を増やす。英文書籍の多読に挑戦し、語学専用コンピューター室も活用。創大留学生や海外の学校との交流もある。
中学では、英検2級(高校卒業程度)の合格者が相次ぐ。卒業までに4割から5割以上が準2級(高校中級程度)に。9割超の生徒が3級(中学卒業程度)以上となる。
高校では、英語能力テスト「TOEIC」に向けた講座などを実施。海外に住んだ経験がなくても900点以上を取る生徒がいる。
英語ディベートでは毎年のように全国大会へ。哲学、化学などの国際オリンピックでも日本代表を輩出した。
また、中国語、スペイン語、韓国語、ロシア語等に触れることができ、各種コンテストで入賞している。
小学校でも全学年で英語の授業。外国人講師らと楽しみながら、語学に親しむ。

2013年10月2日水曜日

2013.10.02 わが友に贈る

友の心に植えられた
幸福の種は
必ず最後に花開く!
きょうも勇敢に
「下種仏法」の実践を!

妙密上人御消息 P1239
『此の人末法に出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中(うち)国ごと人ごとに弘むべし』

◇希望の明日へ
人権は、現代、そして二十一世紀の焦点の課題である。いっさいが人権に集約される。後は枝葉である。人権なくして平和はない。真の幸福も、良き政治もないのである。
平5・5・28

☆女性に贈ることば 十月二日
新たな歴史は一人の挑戦から始まる。偉大な勝利は一人の戦いから始まる。
状況を嘆いたり、人任せにしてばかりいては、何も変わらない。自分が変われば、その分、世界が変わる。

☆今日のことば 十月二日
悠久の大宇宙のなかに生きる自己の無限の可能性を確信して、たゆまず自己を開発していく。それこそ、人間の存在を無限に開く、最も意義ある人生といえましょう。

☆大白蓮華巻頭言10月号「一人が変わる! 一人から変わる!」
最も深い苦悩の闇から立ち上がった人間の魂が、最も明るい星シリウスの如く輝きわたる地球を!
これは、ブラジルの天文学者モウラン博士と語り合った夢である。
いかに時代が進展しようとも、「生老病死」という人生の本源的な苦しみは、決して変わらない。
悩みのない人など、どこにもいないであろう。皆それぞれに、何らかの宿命との戦いがある。
しかし、どんな悲嘆であれ、どんな絶望であれ、断じて打ち破る希望の光が、わが生命にはある。
その光を、一人が勇気をもって輝かせ、そして、二人、三人、百人と光を増して、世界まで照らし晴らす道を教えてくださっだのが、日蓮仏法である。
御聖訓には、『今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり、所謂地獄の一人・餓鬼の一人・乃至九界の一人を仏になせば一切衆生・皆仏になるべきことはり顕る』(P1046)と説かれる。
誰人も必ず仏になれる。仏の生命を勝ち開ける。
国籍も、民族も、境遇も、一切の差異を超えて、「平等大慧」の妙法には、一人の例外もない。
一切衆生、すなわち全人類に、これほど広々と開かれた大哲理があろうか。
題目の音律とともに一人の生命が蘇る。その一人から、家庭も、地域も、社会も蘇生していくのだ。
この「人間革命」の喜びの波動を、我ら創価の師弟は、世界百九十二力国・地域へ広げてきた。

閻浮提
 慈折広布の
  大願を
 断固 果たさむ
  我らの誉れよ

大聖人は、『総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』(P1337)と仰せになられた。
この御金言の通り、世界中の同志が信じ合い、励まし合い、皆で幸福と平和を勝ち取っていく奇跡の連帯こそ、SGIなのだ。
アフリカのトーゴで、慈愛の産婦人科医として幾多の生命を守り育みながら、広布の一粒種となって戦ってきた母がいる。夫の大病や自身の死産など、打ち続く試練も、祈り勝ち越え、友を励ましてきた。
「信心の一番の功徳は、勇気です。何も怖くなくなったことです」と、太陽の微笑みを浮かべる。
「アフリカを『希望の大陸』と輝かせるために、題目を唱える人を一人でも増やしていきたい」−−こうした草創の母たち、父たちの願いに応え、二十一世紀の大陸で後継の若人が続々と躍り出て、広大な天地を走り語り、地涌のスクラムを拡大している。
今、地球のいずこでも、創価の青年の真剣な、確信漲る対話の声が、いよいよ高鳴る時代に入った。
わが師・戸田先生の言葉が思い起こされる。
「牧口先生は民衆の中に飛び込み、地道に座談会を重ねて、一人一人の苦悩の打開に力を注がれた。これが、学会の誇り高き栄光の歴史なのだよ」
一人が変わる。一人から変わる。この最も確実な広宣流布の王道へ、今日も心勇んで挑戦したい。

2013年10月1日火曜日

2013.10.01 わが友に贈る

目立たなくとも
広布のために奮闘する
尊き同志がいる。
偉大な陰の労苦を
リーダーは讃えよ!

治病大小権実違目 P998
『結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし』

◇希望の明日へ
だれもが夢を見、夢を実現する権利がある。しかし、他人の夢を踏みにじり、その犠牲の上に自分の幸福を築く権利はだれにもない。そうした差別、暴力が目の前で行われていたら、許してはならない。戦わねばならない。
『主婦の友』平5・1月号

☆女性に贈ることば 十月一日
一個の人間が、一生に経験することにはかぎりがある。しかし、読書によって、ほかの人が経験したことを、自分のものとすることができる。人生の深さ、世間の広さを知り、人間を洞察し、社会を見る目を養うことができると言ってよい。

☆今日のことば 十月一日
さあ 待望の秋だ
読み書き
そして すべてに必ず一歩一歩
前進しよう

☆我らの勝利の大道No.115 御書根本の勇将たれ
◇探究と実践が両輪
我らの信心の目的とは、自分自身の無限なる「人間革命」と共に、全人類の平和と幸福という、壮大なる「広宣流布」の推進だ。
大聖人は、その実現への根本的な生命の軌道を、明確に示してくださった。
『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず』(P1361)と。
「行」とは、広布への祈りであり、拡大への勇気の行動である。
「学」とは、御書の研鎖であり、自他共に絶え間なき教学の深化である。
「自分の思想がいかに重要で真理をふくんでいるか確信していれば、情熱がおのずからわきおこる」とは、ドイツの哲学者ショーペンハウアーの信念である。
私は誉れの門下たちに、最極の宝の中の宝である「行学」の魂を託したい。
大聖人は、『法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し』(P416)と仰せである。
大仏法の探究者たちよ、一生涯、人生勝利の大哲学者たれ!
妙法の実践者だちよ、一人も残らず、幸福栄冠の大博士に!

偉大なる
 行学二道の
  勇者をば
 大聖人は
  讃え守らむ