2013年9月1日日曜日

2013.09.01 わが友に贈る

人生は常に向上だ。
具体的な目標は
心に張りを生む。
日に日に新たに
成長の節を刻もう!

千日尼御前御返事 P1316
『一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる、法華経は師子王の如し一切の獣の頂きとす』

◇希望の明日へ
仏法は本来、中道主義を貫いている。学問と実践、実生活と信仰、理論と行動−−そうしたどちらにも偏らない中道を歩む。それは"全人格性"でもあり、非暴力の漸進主義をも含んでいる。「道のまんなか」というよりも、人間としてのトータル (総合的)な向上の道を断固として歩むということである。中道の"中"とは「(道に)中(あた)る」と読む。この人間としての根本の道、中道を踏みはずせば、信仰は狂信や形式に陥ってしまう。人間性も歪んでしまう。良識の人から見れば、こうした姿はとても納得できるものではない。
平5・3・27

☆女性に贈ることば 九月一日
人びとよりも早く、朝の大気を吸いながら、幸福と平和を願い行動しゆく人の姿は、尊く荘厳である。

☆今日のことば 九月一日
よく"自分には趣味がない"という人がいる。それは趣味がないのではない。厳密にいえば、自分の趣味に気づき、それを楽しんでいく、心のゆとりがないからではあるまいか。
私は、あなたらしい、ささやかな趣味をもてと願っている。きっとそれは、生活の憩いのオアシスとして、いや、人生のオアシスとして、ここに美しい生命の緑をもたらしていくにちがいない。

☆大白蓮華巻頭言9月号「この世で果たさん使命あり」
大いなる人生には大いなる悩みがある。大いなる悩みがあるからこそ、大いなる境涯が開かれるのだ。
ロシアの魂の巨人トルストイが、行き詰まった時に、心がけていたことがある。それは、「自分は何のために生きているのかを思い出すこと」である。そうやって、常に自分自身の原点に立ち返ることで、苦悩を見下ろし、乗り越えてきたというのである。
トルストイは、「人間は本来の使命に目覚めた時、あらゆる悩みを解決できる」と結論している。
人は誰もが、それぞれに、かけがえのない使命を持って生まれ出でた。その使命を深く自覚できれば、それだけ心は深くなる。その使命に強く徹すれば、それだけ生命は強くなるのだ。
有名な「諸法実相抄」には、『いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか』(P1360)と仰せである。
この日蓮大聖人の仏意のまま、広宣流布の大使命に不退の誓願で立ち上がったのが、創価の師弟である。
わが師・戸田城聖先生は、軍国主義の弾圧による法難の獄中にあって、「仏とは生命なり」と覚知され、「われ地涌の菩薩なり」と師子吼なされた。
戦争の魔性によって命が蹊順され尽くした濁世に、先生は究極の「生命尊厳」「人間革命」の哲理を掲げられた。そして、荒れ果てた大地から、一人また一人、地涌の菩薩を呼び出していかれたのだ。

広宣の
 幸の花々
  勝ち誇れ
 地涌の同志が
  祈り進みて

先生は、苛酷な現実と戦う庶民を励まし続けた。
「我々は妙法を弘めるために、わざわざ苦労多き姿で生まれてきた地涌の菩薩だ。肚を決めれば、必ず心の底から勝ったと言える日が来るんだよ」
妙法と一体の地涌の生命には、恐れるものはない。いかなる宿命も使命に変えて、自分らしく人間革命の舞を喜び舞いながら、悩み苦しむ友どちに、無限の希望と勇気と自信を送っていけるのだ。
根室海峡を臨む天地で戦う北海広布の母がいる。夫に先立たれ、最愛の子息も不慮の事故で失った。
それでも、けなげな母は断じて負けなかった。
♪地よりか涌きたる 我なれば 我なれば
 この世で果たさん 使命あり……
「人間革命の歌」を胸に響かせ、広大な天地を聖教新聞の配達に走り、美事なる信頼と仏縁を広げてこられたのだ。五人の娘さんも立派に成長された。
「苦難のおかげで、最高の使命に目覚めることができました。報恩の心で、もっともっと妙法を弘めたい。折伏こそ幸福の源泉です」と微笑まれる。
こうした尊き母たちの祈りに包まれて、新たなる「大法弘通慈折広宣流布」の天の時が到来した。
法華経には、地涌の菩薩の一人一人が率いる巻属はガンジス河の砂の如く量り知れないと説かれる。
久遠からの宿縁の友が躍り出てこないわけがない。
今こそ、我らの確信の声で呼び起こし、今世の大使命を共々に悔いなく果たしゆこうではないか!