さわやかな挨拶
笑顔の声掛けが
近隣友好の第一歩。
わが振る舞いを通し
地域に人間の絆を拡大!
御義口伝巻上 P751
『此の本法を受持するは信の一字なり、元品の無明を対治する利剣は信の一字なり』
◇希望の明日へ
恩師の戸田第二代会長は、「さまざまな悪があるが、人間を殺すことだけは絶対にあってはならないことだ」とつねづね語っていた。仏法は絶対的に殺を否定した思想である。「立正安国論」に『彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには』(P24)と仰せである。この教えは、人々の幸福のためには、苦しみのもととなる"一凶"を禁ずる以外にない、というものである。そこで、非暴力社会、非殺人世界の実現という立場からあえて言えば、"一凶"とは殺にほかならない。ともかく、いかなる人、いかなる権力にも、人を殺す権利はない。いかなる理由があれ、絶対に殺人を犯させない。この確固たる原則なくして、真の人間性に根ざした平和社会の建設の可能性は開けないのである。ゆえに、創価学会は死刑に対して絶対反対の立場をとっている。
平1・12・13
☆女性に贈ることば 九月十七日
先哲の教えに「親に何か良い物を差しあげようと思っても何もないときは、一日に二度三度と笑顔を見せてあげなさい」とある。この人問学の精髄を、生活の劇のなかで賢く朗らかに実践していきたい。
☆今日のことば 九月十七日
個人は、外から侵されることのない権利をもつと同時に、その結合体を維持し、より豊かなものへ、楽しいものへと高めていくために責任を持たなければならない。責任ないし義務のない権利は、権利としても成り立たないものである。
☆我らの勝利の大道No.114 偉大なり 創価の青年力
題目を唱え、広宣流布に励みゆく我らの生命それ自体が、南無妙法蓮華経の当体である。我らは久遠より、この末法濁世に大法弘通しゆくことを、自ら誓った「地涌の菩薩」なのだ。
昭和三十一年十月から始まった山口開拓闘争でも、全国から同志が駆け付け、私と一緒に戦ってくれた。
なかなか対話が実らず、悪戦苦闘の友も多かった。
私は心から励ました。
「折伏は必ずできます。民衆を救うために、ここに来たのではありませんか。わが使命を悔いなく楽しく果たしゆこうよ!」
皆、この誇りと確信に立って、生まれ変わった決意で、臆さず堂々と、仏法を語っていった。その歓喜のドラマの連鎖が、延べ二十二日間という短期決戦で、当初の世帯数の約十倍もの拡大を勝ち開いたのだ。
◇強気で悠々と前進
オーストリアの詩人リルケは言った。
「永遠を感じる者はあらゆる不安を超越している」
今、若者を取り巻く世情は大変に厳しい。自信をもてずに悩んでいる友が、かわいそうでならない。
その中で、永遠なる妙法を持ち、自他共の幸福の道を開かんと誠実に生き抜く青年部の諸君は、どれほど尊い、同世代の希望と勇気の光源になることか。
自行化他にわたって妙法弘通に生きる青春が、生命に不滅の勝利の力を現し、無量の福徳を積むことは、絶対に間違いないのだ。
君よ! 貴女よ!
断じて負けるな!
強気で悠々と、人間王者の対話を広げゆけ!
本門の青年部の新出発に際し、私は「諸法実相抄」の一節を贈りたい。
『力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし』(P1361)