猛暑の中で奮闘する
大黒柱の壮年部よ
毎日ありがとう!
創価家族のために
健康で偉大な活躍を!
佐渡御書 P956
『魚は命を惜む故に池にすむに池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむしかれどもゑにばかされて釣をのむ鳥は木にすむ木のひきき事をおじて木の上枝にすむしかれどもゑにばかされて網にかかる、人も又是くの如し世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし』
◇希望の明日へ
人間は、いかなる権力、権威の奴隷になってもならない。それでは民衆は利用され、永遠に流転の悲劇となる。この悲劇を転換するために、日蓮大聖人は戦われた。国家権力と既成宗教の権威との連合に対して、ただお一人、つねに命におよぶ迫害のなか、真実の自由への闘争を続けられたのである。どんな権力、権威にも侵されない一個の人間の力、その絶対の証明を、大聖人はしてくださった。"人間の旗""勝利の旗"を打ち立ててくださった。
平2・1・28
☆女性に贈ることば 八月十四日
師との思い出をもつ人生は美しい。豊かである。師との思い出を大切に温め、師を誇りとし、師の理想を実現していく----そこに幸福な、人問としての通がある。
☆今日のことば 八月十四日
天才とは努力の異名である
努力なくして
何で力ある人が生まれようか
☆名誉会長と共に今日も広布へNo.031 永遠に常楽我浄の大道を
お盆に当たり、各地の墓地公園・主要会館で諸精霊追善勤行法要が厳粛に営まれている。
夏空に緑が美しい墓園には、今年も多くの皆様が訪れている。すがすがしい「三世永遠の安穏の園」で亡き人を偲び、妙法の祈りを捧げる。その真心を、故人も喜んでおられるに違いない。
私も、全国、全世界の亡くなられた学会員、また、ご家族、先祖代々の追善回向を懇ろに行わせていただいている。
日蓮大聖人は仰せである。
『目連尊者が法華経を信じられた大善は、目連尊者自身が仏になっただけでなく、目連尊者の父母も仏になられたのです。また上七代、下七代、上無量生、下無量生の父母たちまでも思いがけなく成仏されたのです』(P1430ページ、通解)
何があろうと、強い信心で立ち上がれば、一家も、一族も、先祖も、皆、必ず救い切っていける。題目の光は、全宇宙に届くのである。
仏とは、どこか遠くにいるのではない。戸田先生は大難の獄中で「仏とは生命なり」「われ地涌の菩薩なり」と覚知なされた。広布に戦う皆様ほど尊貴な人はいない。
大聖人は亡き門下について『生きておられた時は生の仏、今は死の仏。生死ともに仏です』(P1504、通解)と断言されている。
生命は永遠であり、生死は不二である。ゆえに、亡くなった家族も、わが胸に一体である。常に一緒である。またすぐに広布の庭に舞い戻る。妙法で結ばれた絆は永遠に切れない。
私たちは、生の時も死の時も、常楽我浄の生命の大道を共に前進していけるのだ。
◎きのうの文面、"お彼岸"ではなく"お盆"のミスでした(-.-)