古い友人を大切に!
新たな友情を結べ!
真心を尽くし
仏縁を広げた分だけ
わが生命は磨かれる。
減劫御書 P1466
『殷の代の濁りて民のわづらいしを大公望出世して殷の紂が頚を切りて民のなげきをやめ、二世王が民の口ににがかりし張良出でて代ををさめ民の口をあまくせし、此等は仏法已前なれども教主釈尊の御使として民をたすけしなり、外経の人人はしらざりしかども彼等の人人の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり』
◇希望の明日へ
「人生は六十から」と言う。仏法では百二十歳までの長寿を説くが、その意味では、六十歳は折り返し点であり、人生の第二期へのスタートである。
平2・10・24
☆女性に贈ることば 四月二十七日
平凡なるよき市民、よき隣人として、誰からも信頼され、荒れすさんだ友の心を浄化していく、地域、職場の良心となってほしい。
☆今日のことば 四月二十七日
なんといっても大事なことは、幅広く、本を読み、人生の正しい生き方を、知ることです。小説でも、伝記でも、けっこうです。あるいは、思想、哲学の書でも、いいと思います。自分が、読みたいと思う本、友だちや、先生が、すすめてくれる本を、どしどし読むのです。
☆大白蓮華巻頭言 5月号「わが街は人間共和の宝土なり」
「どんな人であっても、話し合ってみるべきだ」とは、ローマクラブのホフライトネル名誉会長の信条である。それは、なぜか。語り合えば、「必ず、その人の中に『宝』を発見できる」からだ。
対話は、人間への希望と信頼の源泉である。
法華経に登場する不軽菩薩は、万人の生命に具わる「仏性」という最極の宝を礼拝して、たゆまずに語りかけていく。たとえ、増上慢の衆生から反発されても、断じて屈しない。決してあきらめない。
この「人間尊敬」の不屈の対話こそ、法華経の修行の真髄である。それを、そのまま現代社会で、たくましく快活に、粘り強く実践しているのが、我ら創価学会なのだ。
日蓮大聖人は、他者を敬う不軽菩薩の振る舞いを『鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり』(P769)と明かされている。
まさに礼拝する思いで、真心を尽くして語っても、通じない時がある。しかし、生命の奥深くでは、相手の仏性もまた、私たちの仏性を礼拝しているのだ。
ゆえに、一時の反応がどうあれ、勇敢に誠実に語っていけば、仏縁が結ばれ、必ず花開く時が来る。
わが師・戸田城聖先生は、よく同志に言われた。
「世を見渡せば、ただの一軒、ただの一人も悩みなきものはない。願望なき人間もいない。その心の中心にふれ、皆の仏性を呼び起こして、社会をより良く変えていくのが、立正安国の対話である」と。
晴ればれと
走れや語れや
この人生
宝の友を
多くつくりて
大聖人は『此の人(上行菩薩)末法に出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中・国ごと人ごとに弘むべし』(P1239)と仰せである。
地涌の菩薩は、不幸が渦巻く娑婆世界から絶対に離れない。現実の真っ只中に飛び込み、眼前の一人一人と共に悩み、一つ一つの課題に立ち向かっていく。
その繰り返しの中で、「生命尊厳」の大哲学を打ち立て、皆で励まし合いながら、いかなる災難にも負けない、幸福と和楽の宝土を築いていくのだ。
来る年も来る年も、たゆまず、この地域と社会への貢献に徹する多宝の方々たちは、何と神々しい生命か。
神奈川の草創の母は、広宣流布の大闘争の先頭に立って、経済苦も家族の病苦も勝ち越えてこられた。
この尊き母は、人生の最終章まで語っておられた。
「命ある限り、地涌の菩薩の本懐を遂げていきます。すべての人を幸せにしたい。このことを、私は祈り抜いています。ゆえに、何も怖いものなどありません。妙法と共に勝ちゆく私の命の輝きを見よ! この一念で、勝利の種を蒔き続けていきます」
この母が大切に持ち歩いた交友録のノートは、娘さんに受け継がれ、友好の花を今も咲かせている。
日本全国、さらに世界百九十二力国・地域のいずこの街にも、「信頼の柱」「正義の眼目」「安心の大船」と仰がれる創価の宝友が光っているではないか。
さあ、生き生きと若々しく、希望の対話を広げ、我らの宝土に人間共和の勝鬨を轟かせよう!