リーダーは友の悩みに
徹して耳を傾けよ!
真剣に「聴く」ことが
最大の励ましとなる。
根本は同苦の精神だ。
上野殿御返事 P1512
『いつもの御事に候へばをどろかれずめづらしからぬやうにうちをぼへて候は凡夫の心なり』
◇希望の明日へ
山を登るには苦労がある。高山を登るには、より大きな労苦がある。しかし、登り切った時は、低いところの人よりも広々とした、雄大な境涯を味わうことができる。また、飛び立った飛行機から途中で飛び降りてしまっては退転であり、墜落する以外にない。学会員は、たとえ何があろうと、ひとたび決めた仏道修行の道を最後の最後まで、一人になっても貫き通す、勇気の人であってほしい。その本物の一人さえいれば、そこから、広宣流布の炎は、いくらでも燃え広がっていくからである。
平2・2・15
☆女性に贈ることば 四月五日
過去にとらわれるのではなく、「これから」「今から」「今日
から」−−と、つねに前に進んでいく強き一念を忘れまい。
☆今日のことば 四月五日
戦災に 残りて咲きし桜花
空は蒼空 落花紛々
その背景は 現実の廃墟
花仰がずして 民憐れなり
流浪の彼方 厳しや
親子の道
群居の波に開花あり
夜明けの彩色か 桜花
ああ複写あり この存在
権力人と 平和人
散る桜 残る桜も 散る桜 と
謳いし人あり
青春桜 幾百万
なぜ 散りゆくか 散りゆくか
南海遠しや 仇桜
爛漫未熟に 枝痛し
残りし友も いつの日か
心傷あり 理念界
諸行は無常か 常住か
それも知らずに 散りゆくか
散る桜 残る桜よ 永遠に
春に 嵐と 咲き薫れ
☆100文字の幸福抄
誰が見ていなくとも、一つ一つ積み上げる。
これは、人生の誇りであり、宝である。
自分の決めた道を、
営々黙々と歩む人が、
最後は勝つし、尊いのだ。
最後の最後に、自分の人生に
審判を下すのは、自分白身である。
☆我らの勝利の大道No.101 春爛漫 金の舞
◇「太陽の母」の誕生。
まもなく四月二日が巡り来る。ご自身が達観されていた通りに、桜の咲く頃に逝かれた、わが永遠の師匠・戸田先生の五十六回忌に当たる祥月命日である。
その師の慈愛に包まれるように、同じ「四・二」を結成の記念日とするのが、偉大な"常勝関西"の婦人部である。
六十年前(昭和二十八年)の四月二日、大阪の北区の同志宅に戸田先生をお迎えして、大阪の婦人部の結成式が行われたのだ。
この日、戸田先生は"一人ひとりが「太陽」の存在に!"と語られた。まさに、わが関西から、広宣流布の「太陽の母」のスクラムが誕生した日なのだ。
その三年後の昭和三十一年、大阪中を奔走する中、私か婦人部をはじめ、関西の友と拝した女性門下の日妙聖人への御書がある。
『冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり』(P1221)と。
「志をかさねる」──。このいよいよの信力・行力が、関西魂の真髄である。
翌三十二年の春四月、私は、"大楠公"にゆかりの四條畷の功労者のお宅で行われた座談会に出席した。
この折に私は、尊き地涌の同志に合掌する思いで、模造紙に大きく「不撓」と筆で認め、皆に語った。
「『不撓』とは、『たゆまず屈せず』という意味です。何かあっても屈しないことです。題目を唱え抜いて幸せになってください」
そして「正義は必ず最後は勝つのです」と宣言し、皆と楠木正成・正行父子の歌を歌ったのである。
「信心は、臆病にては叶うまじ」とは、関西の母たちの叫びである。
「正義は勝つ!」
「不携不屈で勝つ!」
「勇気の信心で勝つ!」
この確信と行動に、人生勝利の大道がある。「法華経の兵法」の要諦がある。
関西婦人部の「常勝の太陽」の心は、今、日本中、そして全世界の同志を赫々と照らしている。
なんと明るい前進か!
春だ。花咲く春だ。生命輝く春だ。希望の春、生き生きと伸びゆく春だ。
さあ、わが友よ、創価の生命の陽光を輝かせながら、足取りも軽やかに、勇んで打って出よう!
友情も
春爛漫の
金の舞