会合を陰で支える
尊き役員の尽力に感謝!
無事故の運営ありて
広布の集いは朗らか。
冥の照覧は厳然だ!
蓮盛抄 P153
『仏は文字に依つて衆生を度し給うなり』
◇希望の明日へ
苦難のなかで開いた喜びは深い。順調で、何の苦労もなく手に入れた喜びは、泡のように、はかない。幻のようなものだ。たとえば、人がわずかと思うようなお金でも、苦労して蓄えた人にとって、その価値は大きい。尊いお金である。心がこもっている。「心こそ大切」 である。
平6・1・20
☆女性に贈ることば 四月十九日
家庭ではよき娘となり、職場では、皆に慕われ、信頼される存在となって光っていくことだ。
☆今日のことば 四月十九日
独創性は、まず、徹底的な模倣から生まれるものであるかもしれない。しかし世間では、模倣だけで終わってしまう人が大半です。その人の人生は、結局、安逸と惰性に流されていく結果となります。
☆本部幹部会で紹介された名誉会長の揮毫
5月3日「創価学会の日」「創価学会母の日」を祝賀する「新時代第65回本部幹部会」の席上、池田名誉会長が認めた二つの書が紹介された。
一つは、墨痕鮮やかな「五月三日山」。
脇書には、名誉会長が第3代会長を辞任した直後の「昭和五十四年五月三日」の日付が記されている。
当時、名誉会長は、師弟の絆を断とうとする嵐の中、神奈川文化会館を中心に、「正義」と「共戦」の魂で、新たな世界広宣流布への雄渾の指揮を執っていた。
創価の師弟の心に、「五月三日」の「広宣流布の誓願」が何ものにも揺るがない山のごとくそびえ立つ──不動の大山そのものであった名誉会長が、厳然と悠然と書き留めたものである。
もう一つは「天も晴れ/心も躍る/創価の日/元初の誓いは/いやまし光りぬ」(同左)の和歌である。
昭和54年(1979年)から5年後の同59年に認められた。
事業の苦境にあった恩師・戸田第2代会長を名誉会長が守り抜き二戸田会長の就任式を迎えたのが昭和26年5月3日。
以来、名誉会長は毎年の5月3日「創価学会の日」が巡り来るたびに、元初の誓いをいやまし光らせ、広布前進の波を起こしてきた。
第三代会長辞任の直後から始めた功労者宅の訪問は、この昭和59年、500軒になろうとしていた。
一軒また一軒と同志のもとに足を運び、一人また一人と友を励まし抜きながら、時を創り、時を開いていったのである。
名誉会長は詠んだ。
「おお 我らの五月三日よ!/君も あなたも/万歳を叫ぼうではないか。/自分自身の勝利、万歳!/全同志の勝利、万歳!/師弟不二の勝利、万歳! と」
「五月三日の生命は/永遠に朗らかに/永遠に前進する!/永遠に勝利また勝利だ!」
今こそ師と共に、晴れ渡る5月3日の生命で、断固たる大前進を開始する時である。