座談会の参加者を
「仏を敬うが如く」
最敬礼で迎えよう!
一人を徹して大切に!
それが学会の心だ。
乙御前御消息 P1220
『法華経は女人の御ためには暗きにともしび海に船おそろしき所にはまほりとなるべきよしちかはせ給へり』
◇希望の明日へ
偉人には嵐がつきものである。英雄には必ず悲劇性が伴う。その非凡さのゆえに、低俗な人々とサイクルが合わない。抜きん出た高さのゆえに、強い風がつねに吹き荒れる。
平3・5・5
☆女性に贈ることば 四月十日
努力という短い言葉のなかに、勝利と栄光が光っている。
☆今日のことば 四月十日
生涯をかけて
私は 私の仕事を通して
高名な建築家よりも見事な
無名の人生の
建築をしてみたいのだ
☆学園抄 第1回 桜の園
◇誓いに生き抜く
東京・小平市の創価学園の校門を入ると、堂々たる総合教育棟が目に飛び込んでくる。その前には、68年(同43年)の開校当時から学園のシンボルとなっている時計塔が、空に向かって伸びやかに立つ。
「伝統」と「先進」が調和するキャンパス。先月31日、オープンキャンパスと桜まつりが開かれた。
役員の生徒が、来場者からの問い合わせに、はきはきと笑顔で応じる。その振る舞いに感銘を受け、受験を志す子どもたちも多い。
校内に、一本の枝垂桜がある。正面のプレートには「伊地知桜」の文字。日付は1992年(平成4年)3月16日。創価高校22期の卒業式の日である。
89年(同元年)4月、新入生のなかに、東京・豊島区から通う伊地知英麿君がいた。同年10月、彼は骨のがん「骨肉腫」の診断を受ける。年末、豊島区と練馬区合同の創価同窓の集いに、創立者が出席した。
記念撮影の場で、創立者夫妻は彼の姿を見つけると真つすぐ歩み寄った。
「元気そうじゃないか」
両手で、彼の頬。肩、腕、背中にやさしぐ触れる創立者。「病気は大丈夫?」との問いに、彼は胸を張って答えた。
「必ず勝って、先生にご報告します。僕、世界一の文学者になります!」
しかし翌年3月、右足大腿部を切断。松葉杖で通学した。肺への転移が見つかった後は、約1年の間に3度の切除手術を受ける。
同級生は回復を祈り、病院で飾ってもらおうと千羽鶴を折った。色違いの鶴で「伊地知ガンバレ」と文字を浮かび上がらせた。だが彼は病室に置かなかった。
「僕は、すぐに退院するから大丈夫だ」と。
創立者は揮毫を贈った。
「生涯希望
生涯勇気
生涯文学」
世界一の文学者を目指し、彼は病床で勉強を続けた。3年生の8月には、国語教員の研究室を訪問。自らが書こうとしている小説の構想を熱心に語った。
そうしたなか、創立者と99一期生の卒業記念撮影日が11月11日に決定。「伊地知君と参加を」。同級生の誰もが、そう願った。
八王子市の創価女子短期大学で行われた撮影会。創立者は、入院先から駆け付けた彼を見つけるやいなや、一直線に向かう。
「よく来たね」
「はい、どうもありがとうございます」
毅然と車椅子に座る彼の右手を、創立者は、がっちりと握った。
2週間後、彼は息を引き取った。最後まで「世界一の文学者に」という創立者との誓いに生き抜き、病魔と闘い抜いた。
創立者は、彼の姿を通し、こう記している。
「未来永遠の栄光に生きる者にとって、『絶望』の二字はありません。わが友は、断じて負けなかった。周囲に無限の『勇気』と『希望』と『決意』の炎を灯してくれた。不屈の青春の大叙事詩を綴ってくれたのです」
「私の胸には、今も、『先生! 僕、絶対に勝利します!』という彼の生命の叫びが、生き生きと、こだましています」
伊地知桜は、彼が大好きだった学園の大地に根を張り、この春も凛と花を咲かせた。
創立者はかつて、学園生に詠み贈った。
「日本一
学園みつめむ
桜かな」
今年も新入生が東西の学園の門をくぐる。早咲きの桜は、満開の時を越え、ピンクから新緑に衣替えをしながら皆を迎える。
花爛漫の春だけでなく、陽光に映える青葉の夏も、気品ある紅葉の秋も、寒風に耐え抜く落葉の冬も、桜は学園生を見守っている。
創立者とともに−−。