「陰徳あれば陽報あり」
広布のための行動は
全てが黄金の功徳に。
自他共の幸福へ
きょうも快活に前進!
御義口伝巻下 P769
『不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり』
◇希望の明日へ
何があっても御本尊から離れてはいけない。信心の歩みを止めてはいけない。人生の途上には、さまざまな苦難がある。行き詰まりもある。そのときにこそ信心の心を強め、唱題に励んでいただきたい。宿命の山を登りきると、それまでは辛くとも、次は視界がパーッと開けていくものである。信心は、その繰り返しのようなものである。その究極として、永遠に崩れない絶対的幸福境涯につながっていく。ともかく、信心の根を、強く、深く、張っておくことだ。根さえ張っておれば、たとえ風雪の時があったとしても、太陽の光が輝き、水が与えられれば、必ず、しだいしだいに大樹へと育っていく。信心と人生の歩みも、また同じである。
平1・5・28
☆女性に贈ることば 四月二日
恩師・戸田先生は、「恩を返すのが最上の人間だ」と言われた。
報恩の人生は美しい。お世話になった人に恩返しをしていこうという心が、一番、自分を成長させる。限りない向上のエネルギーとなっていく。
報恩の人こそ、人生の勝利者である。
☆今日のことば 四月二日
自分の道は誰にも頼らず、自分で決めることだ。どんな苦難にもくじけない、強い自己の建設のみが、新しい自己の革命となるのである。
☆100文字の幸福抄
誰人も死は避けられない。
その死を自覚し直視することから
真の哲学の探究が始まる。
よき一生を悔いなく生ききった人に
死の恐怖はない。
人のために尽くしてきた尊き一生は、
人々からの感謝と敬愛に報われる。
☆大白蓮華巻頭言 4月号「友から友へ! 歓喜の声を」
「勇気ある一歩を、まず踏み出すことです。そして、一歩一歩と前に進み続けることです。そこに、おのずと道は開かれていきます」
私たちの大切な友人である、アメリカの行動する未来学者ヘンダーソン博士は、こう微笑まれる。
うしろを振り向いても、何も生まれない。
だまって座していても、何も変わらない。
快活に動きを起こせば、そこから希望が動き出す。
勇敢に声をあげれば、そこから力が極っていく。
わが尊き同志は、友のため、地域のため、社会のため、快活に打って出て、明るく励まし合いながら、「立正安国」の対話を粘り強く重ねてくれている。
なんと気高く、力強い民衆の大連帯であろうか。
建長五年(二一五三年)の四月二十八日、全人類の生命を照らし晴らす大音声が轟きわたった。
日蓮大聖人が、故郷の安房の国から末法万年尽未来際へ放たれた「立宗宣言」の第一声であられる。
大聖人は生涯、大難を覚悟され、正法正義を語られた。
報恩抄には、その御心を『今度命をおしむならば・いつの世にか仏になるべき、又何なる世にか父母・師匠をも・すくひ奉るべきと・ひとへに・をもひ切りて申し始め』(P321)とも明かされている。
私たちが広宣流布の闘争に挑みゆくことは、御本仏の立宗以来の不惜の大精神に直結している。労苦は多い。多忙な日々でもある。しかし、すべてが一生成仏の道であり、最高無上の報恩と孝養を果たす道なのだ。
師子 吼ゆる
正義の叫びか
君が声
友を救わむ
社会を照らさむ
思えば、立宗宣言の聴衆は、決して大人数ではなかった。『少少の大衆に』(P894)と明確に記されている。
私たちの座談会をはじめ、身近な一人一人と仏縁を結び広げていく、少人数の「草の根」の語らいも、この大聖人の法座に真っ直ぐに連なっているのだ。
わが師・戸田城聖先生は教えてくださった。
「広宣流布の大願に思い切って戦う我らの命には、大聖人と同じ力と福徳、同じ大歓喜が湧現する。
信心とは金剛の勇気である。一人の勇気ある信心から、一切の勝利が必ず開かれていくのだ!」
この確信、この誇り、この喜びこそ、我らの変わらざる学会精神である。四月から五月へ、我らは、いやまして頑健なる大生命力を光らせていくのだ。
昭和三十五年の四月二十八日、第三代会長就任を前に、私は縁深き文京支部の同志たちと語り合った。
「さあ、日本中、そして世界へ、いよいよ新たな前進また前進だ! 一生涯、一緒に戦い勝とう!」
この決意のまま、やがて豊島支部の初代支部長となった友は、大病や倒産を勝ち越えた喜びを語り抜き、妙法に生きる人間の勇気の力を証明するのだと、日本一の支部の大拡大を三ヵ月連続で成し遂げてくれた。
御聖訓には、友から友への波動を『随喜する声を聞いて随喜し』(P1199)とも仰せである。
今日も一歩前へ! 「歓喜の中の大歓喜」の題目の音律を響かせ、あの友この友と希望の対話を広げながら、立宗七百六十周年を勝利の大行進で飾ろう!