人生勝利の要諦は
一日の出発の決意だ。
まず朝に勝て!
リズム正しい生活で
充実と成長の日々を!
阿仏房御書 P1304
『多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり』
◇希望の明日へ
何事も、恵まれた立場にいると、いつしか"勝負"の厳しさがなくなる。むしろ厳しい条件、環境にあったほうが、努力を重ね、上達していく。真剣であるし、結局は、恵まれた人よりも成長し、追い越していく。信心でいえば、厳しいところで戦うほど功徳をうけ、成仏へと境涯を大きく開くことができるのである。
平3・2・8
☆女性に贈ることば 四月九日
人間にとって、信用ほど大切なものはない。信用こそが最高の財産である。信用されない人は、いつしか、わびしい孤触の敗北者となっていく。
☆今日のことば 四月九日
経験を総括し、次の発明、発見をしていくことだ
それが新しい時代を構築する決め手である
☆学園抄第1回 桜の園
◇咲き薫れ! 不屈の心を胸に
大阪・交野は、春の色にあふれている。
日の光に輝く小川のそばで、ユキヤナギの白、タンポポやレンギョウの黄が風に揺れる。青い空の下、小高い山々は緑と茶の濃淡に覆われている。
多彩な表情のなか、ひときわ目立つ春色があった。「この道」と呼ばれる、河内磐船駅前からの長い道。このゆるやかな上り坂を歩くと、桜色に染まった一角が見えてくる。
関西創価学園だ。
先月30日、桜まつりが交野市の学園で行われた。
校門から一列に並んだ爛漫の桜が、枝をいっぱいに広げて来場者を包む。
「こんにちは!」
「整理」と書かれたブルーの腕章の生徒が、爽やかなあいさつで迎える。
桜まつりは、学園の春の風物詩。約600本の桜が広大なキャンパスを明るく照らす。彼岸桜から八重紅枝垂、染井吉野、山桜、そして松月、関山と、バトンを渡すように、約1ヵ月にわたり順に咲いていく。
毎年、多くの近隣住民が訪れ、校内のあちこちで思い思いに過ごす。オープンキャンパスを兼ねているため、学校見学で来た親子連れが、鮮やかな花を見上げ、顔をほころばせる。学園鼓笛隊や筝曲部の"青空歓迎演奏"の音色もキャンパスを彩った。
開花の春を特別な思いで迎える学園生がいる。「桜保存会」の生徒である。近年は主に"桜地図"とアルバムを作成している。
高校3年生になった新しい部長が語っていた。
「創立者は"厳しい冬を耐えてこそ桜は咲き薫る"と言われています。桜保存会の一人一人は、どんなことにも負けないで日々努力と勉強を重ね、学園の桜のように皆に希望を送る人材になっていこうよ−−そう先輩から励まされました」
学園生に代々伝わる精神。淵源は創価学園創立者・池田名誉会長にある。
◇"手作り"の名所
戦争を経験した少年時代を振り返り、創立者は、こう綴ったことがある。
「焼け野原に生き残って、けなげに咲く桜が、どれほど人々を励ましてくれたことか。桜は平和の象徴です。いつか、日本中の駅に桜の木を植えて、皆の心を晴れやかにしたい−−これが、少年の日に私が抱いた夢の一つでした」
一方、交野は、『新古今和歌集』に「またや見む交野のみ野の さくらがり 花の雪散る 春のあけぼの」との歌があるように、桜で有名な地だった。
1978年(昭和53年)4月。関西創価学園が前身の創価女子学園たった当時、創立者と教職員との懇談の席で、交野の歴史と自然が話題になった。
「桜の木を植えて、春には満開の祝いの花で、新入生たちを迎えたらどうだろうか」
「春は桜の名所にしよう」
創立者の提案を受け、学園に「桜同好会」(当時)が発足した。
創価女子学園が開校した73年(同48年)4月を前に、校内には、たくさんの桜が植えられた。しかし環境になじめず多くが枯れ、再び植樹が行われていた。
当初、桜同好会に集まった生徒は19人。教員とともに桜を守る取り組みが始まった。桜の生育を妨げたのは主に、幹に巻き付く葛だ。抜いても、また生えてくる。鍬を持って土を掘り、根を完全に取り除く。これが一苦労だった。
しかし、生徒たちは、いつも生き生きと野に向かった。悩みを抱えている生徒も、この地道な労作業を通して、皆と助け合い、友情を深め、元気になった。
植物を大切に育てる作業から、生命を慈しむ「平和の心」を学ぶ。
何より生徒たちには「学園を桜の名所にし、創立者にお応えしよう」との純真な思いがあふれていた。
桜で有名な奈良・吉野や東京・八王子の実験林に研究で赴いた。除草剤も活用し、桜に適した環境を整えていく。そして桜が開花した様子をアルバムに収め、創立者に届けた。
83年(同58年)3月。学園生と教員が"手作り"した桜の名所に、創立者が立った。
春本番へ、つぼみを膨らませつつある桜が並ぶ。創立者は、ゆっくり歩きながら一本一本の幹をなでるように触り、仰ぎ見た。
「頑張ったね。大きくなったね」
「すごいね。やっぱり桜はいいね」
創立者の言葉を伝え聞いた生徒たちに、笑顔が広がった。
今も校内には、自然公園が整備されている。交野市街を一望できる高台は、理想郷を表す「桃源郷」から名を取って「桜源郷」と名付けられた。春には万柔の桜が咲き、ウグイスが鳴く。「この道」から見える桜色の一角だ。春暖のひととき、創立者夫妻も足を運んだ。
かつて創立者は、卒業しゆく学園生に、次の言葉を贈った。
「厳しい冬の寒さに耐えに耐え、春来りなば爛漫と咲き誇り、学園生活に彩りをそえてくれた交野桜のごとくに、輝くばかりの笑顔で、かけがえのない人生を乗り越えていってほしい」