2013年4月4日木曜日

2013.04.03 わが友に贈る

一日のスタートは
誓願の祈りから。
白馬が駆けるような
朗々たる勤行・唱題で
大生命力を湧き出せ!
 
御講聞書 P825
『三類の強敵来る来るを以て現世安穏の記文顕れたり、法華の行者なる事疑無きなり、法華の行者はかかる大難に値うべしと見えたり、大難に値うを以て後生善処の成仏は決定せり是れ豈現世にして安穏なるに非ずや』

◇希望の明日へ
現実の人生は、悩みと苦しみが、多いものである。しかし、苦しみは苦しみの人生のまま、悲しみは悲しみの人生のまま、題目を唱えぬき、妙法に照らされていけば、福徳に満ちた自由自在の境涯を開いていける。仏の生命の軌道へと入っていけるのである。完全無欠の人間だけが、幸福になれるというのではない。また、悩みも迷いもない完全な人間がいるわけでもない。悩みは悩みのままに、苦しみは苦しみのままに、自在の幸福の境涯を築いていけるのが、大聖人の仏法であり、信心である。
平1・12・20

☆女性に贈ることば 四月三日
何かに縛られているように感じる時。すべてが受け身になっている時。なんとなく迷いが感じられる時。
そういう時ほど、一念を逆転させて「さあ、この道を貫こう!」と決めていくことだ。
その一念のなかに、真実の「春」が到来する。

☆今日のことば 四月三日
人間が人間として「豊かさ」をかみしめるのは、目先の簡便さなどではなく、自分自身が額に汗を流し、前精魂を傾けた労働にある時が多い。

☆100文字の幸福抄
一生を何に捧げるのか。
それによって人生の価値も深さも決まる。
その人の真実は
人生の最終章に結晶されるものである。
ごまかしはきかない。
善も悪も正も邪も、人間の晩年は鏡のごとく
その人の生鉦の軌跡を映し目す。

☆我らの勝利の大道No.101 春爛漫 金の舞
◇不撓不屈で咲け 勝利の花

君よ立て
 仏法勝負の
  信仰で
 この青春を
  いざ勝ちまくれ

この春、就職や進学など、新たな船出をする若き友に、私は「大航海時代」のポルトガルの大詩人カモンイスの言葉を贈りたい。
「なにごとも不可能事と思いなすな、/欲すれば則ち成る、というからだ」
どうか"青年の魂"ともいうべき旺盛なるチャレンジ精神、不屈の開拓精神を燃え上がらせて、朗らかに前進していただきたい。

ポルトガルでは、先日、SGIのリーダーたちが、本土から一千キロ以上離れた大西洋上に浮かぶアソーレス諸島を訪れ、喜び弾む報告を届けてくれた。
「三・一六」を記念する希望の会合が開かれ、さらにアソーレス諸島に地区が誕生。そして女子部の白蓮グループも結成され、「池田華陽会」の集いが賑やかに行われたというのである。
思えば、五十五年前(昭和三十三年)の三月十六日、恩師・戸田城聖先生は、式典の受付などの役員をしていた女子部の清々しい姿を、命に刻みつけるように見守られ、「ご苦労様! ありがとう!」と慈父の如く声をかけておられた。
今、健気な白蓮グループをはじめ"華陽"の姉妹たちが、日本はもとより全世界で、広宣流布の勝利の門を開いてくれていることを、わが師はどれほどお喜びであろうか。

◇真実は必ず勝つ!
不滅の意義を刻む、あの「三・一六」の広宣流布の記念式典の十日前、前年に起こった大阪事件の公判のため、私は関西にいた。
創価学会の躍進に危機感を抱いた権力の横暴により、私か無実の選挙違反容疑で逮捕・勾留された、全くの冤罪事件であった。
当時、検察が起訴すれば、有罪率は九十九パーセント以上といわれていた。法廷で無罪判決を収めることは難事中の難事であった。
しかし戸田先生は、私に「最後は勝つ。金は金だ。いくら泥にまみれさせようとも、その輝きは失せるものか。真実は必ず明らかになる」と、厳然と語ってくださった。
私は、ごの正義の師子王の弟子として、不二の関西の同志と共に、断固と戦い抜いていったのである。
「絶えずくりかえして戦いとられ、来る日も来る日も新しく戦いとられなければならない」とは、ドイツの作家ヘッセが、平和への闘争を述べた言葉だ。
人間の平等と尊厳を踏みにじる悪を放置すれば、民衆は不幸に陥ってしまう。だからこそ、断じて油断せずに堂々と真実を訴えていく以外にない。
私は約四年半の法廷闘争で無罪を勝ち取り、満天下に身の潔白を証明した。
人生には正念場がある。そこで一歩も退かず、戦い切った人が勝利者となる。あと一歩、もう一押しと追撃し抜いた人が、最後の栄冠を得るのだ。その究極の力が、正しき信仰である。
また今、「追撃の手をゆるめるな!」との恩師の遺訓を忘れず、教宣部の皆様方をはじめ、若き創価班・牙城会の友らが、敢然と我らの正義城を守り抜いてくれている。深く感謝したい。