強盛な信力・行力に
無限の仏力・法力が。
勝利の的を定めて
思い切って挑もう!
張り切って戦おう!
富木尼御前御返事 P976
『我れ等は仏に疑いなしとをぼせばなにのなげきか有るべき、きさきになりてもなにかせん天に生れてもようしなし、竜女があとをつぎ摩訶波舎波堤比丘尼のれちにつらなるべし、あらうれしあらうれし』
◇希望の明日へ
苦難のなかにも希望はある。いな苦難に鍛えられてこそ、初めて希望はその真実の強さを発揮する。"鍛え"なき希望は、単なる夢想にすぎない。大難の嵐にも、私はひとりすべてを耐え、ことごとく打ち勝った。私は、苦難を喜んでいた−−。望んでいたといってよい。それは何より、これによって若き後継の青年たちの信心が鍛えられ、成長することを期待したからである。そして、風雨をしのぎ、時をかせぎながら、一つまた一つ、青年の心に敷き不屈の"希望"を育んでいった。その営々たる陰の作業に気づいた人は少ない。世間の浅薄な眼にも、まったく映らなかったかもしれない。しかし、学会の庭、広布の庭で育った、青春の"希望の翼"は、やがて必ず、二十一世紀の大空を堂々と飛翔していってくれることを確信している。
昭63・1・9
☆池田大作 名言100選 文化交流
政治や経済だけの関係では、
どうしても力の論理、
利害の論理に流されてしまう。
文化の交流、教育の交流こそ、
人間と人間、民衆と民衆を揺るぎなく
結びつけていく普遍的、永続的な力となる。
☆我らの勝利の大道No.085「新しき熱と力を!」
◇「極限」への挑戦
このたび日本の「第五十四次南極地域観測隊」の夏隊員として、わが創価大学工学部の黒沢則夫教授が参加されることになった。
思えば、東北・秋田出身の白瀬矗(のぶ)中尉が、当初の北極踏破の夢を転じて、日本人の探検隊として初めて南極に挑み、南緯八〇度五分の地点(大和雪原と命名)まで進んだのは、一九一二年一月のことであった。
百瀬隊の偉業から百年に当たる本年、日本の観測隊は十一月に出発し、その後、オーストラリアから観測船「しらせ」で南極に向かう予定である。
実り多き観測を、私たちも心から祈りたい。
さて、昨年(二〇一一年)は、北欧ノルウェーのアムンゼン探検隊による、「南極点への人類初到達」(一九一一年十二月十四日)から百周年──。
このアムンゼンが最初に目指していたのも、実は「南極点」ではなく、正反対の「北極点」であった。
ところが、準備に取り組む最中に、アメリカの探検家による北極点到達のニュースが飛び込んできた。
それまで入念に計画を練り、多くの人びとの支援を仰さながら、準備を積み上げてきた"北極一番乗り"の目標が、一瞬にして消えてしまったのである。
だが、アムンゼンは右往左往も、意気消沈も、しなかった。即座に北から南へ、百八十度、方向を転じて、一段と戦う魂を燃え上がらせたのだ。
まず南極点を踏破し、しかるのち北極点を目指す──最終目的は同じだが、さらに遠大な計画に拡大したのである。
実際、彼は南極点到達の十五年後に、飛行船で北極海横断の探検に挑戦した。そして見事"南北両極点到達"の夢を実現している。
◎今日から「希望の明日へ」は"希望"です!