行き詰まりはない。
苦難に負けるな!
使命に生き抜け!
希望は わが心にある。
祈祷抄 P1352
『行者は必ず不実なりとも智慧はをろかなりとも身は不浄なりとも戒徳は備へずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし』
◇今週のことば
未来部の希望月間だ。
若き宝の生命に
皆で励ましを送ろう!
「二陣三陣」と
後継の人材の金波を!
2012年02月27日
◇希望の明日へ
若き時代の今こそ、広宣流布を成し遂げようとする責任をもち、必ず人を納得させ、戦いを勝利の方向へと進めていく。そうしたところに、磨きに磨き抜かれた知恵の涌現があることを自覚されたい。そして、どうか多くの友の心に染み入る表現力、説得性とともに、複雑な社会の中で、また現実生活の中で、みずみずしき知恵の波を起こしていただきたい。
平2・4・20
☆若き君へ 新時代の主役に語る 第2回 悩みと向き合う
−−若い女性の悩みで多いのは「人と比べて落ちこんでしまう」ことです。自分の容姿や性格など、「あの人はすごいけど、私はダメだ……」と自信が持てなくなってしまうのです。
池田名誉会長
それは男性も同じでしょう。男は見栄っ張りだから言わないだけです。
今、女子部の皆さんが学んでいる「一生成仏抄」には、『日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し』(P383)という譬喩があります。
自分自身の生命を離れて一生成仏の道を求めても、徒労に終わってしまうことを示されています。
大事なことは、人と比べて落ち込むのではなく、「よし自分も!」と発奮し、自らの心を明るく高めていくことです。
あの豪放聶落な戸田先生も、"若い頃は自分の卑屈さを直すために努力したものだ"と、率直に教えてくださいました。
そもそも「あの人はすごい」と、友人の長所を評価できること自体、偉い心根です。今度は、自分の良いところを自覚して大いに伸ばすんです。
『桜梅桃李の己己の当体を改めずして』(P784)と仰せのように、桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李の良さがある。背伸びなどしなくていい。ありのままの姿で、自分らしく思い切り、花を咲かせればいいんです。
ヒルティというスイスの哲人は語りました。
「すべての真の財宝は、われわれの力の中にあるものにあるのだから、嫉妬や羨望はおよそ意味をなさない」と。
大切な自分を卑下して心を暗くしては、絶対になりません。
──悪い出来事が重なると、「ついてない。運が悪い」などと、嘆いてしまうものですが……。
池田名誉会長
そういう時こそ、強気でいくんです。魔という働きは、こちらの命が「困ったな。まいったな」と弱気になると、どんどん付け込んでくる。
題目を朗々と唱え、「さあ、かかってこい」と迎え撃てば、必ず退散していくんです。
私は今、ドイツの世界的な学術機関ワイマール・ゲーテ協会顧問のオステン博士と対談を進めています(「人間ゲーテを語る」、月刊誌「潮」4月号から掲載)。
大文豪ゲーテも、若き日は恋に悩み、就職に悩み、仕事に悩みました。就職難や不安定な雇用などに悩み苦しむ今の青年世代と同じく、青春の課題に挑戦し、苦労したことは全く変わりません。
そして、病気に悩み、5人の子ども全員を自分より早く亡くすなど、家庭のことでも苦悩しました。
しかしゲーテは、何があっても「生き生きと」生きた。
生きて生きて、生き抜いて、大文豪は、悩みさえも創造の源泉として、あれほどの壮大な偉業を成し遂げました。
人間は、うんと悩みながらも、「生き生きと」生きられるのです。苦労の連続であっても、張り切って、今なすべきことに全力で取り組み、自分でなければできない、価値を創造していけるのです。
ゲーテは言います。
「快活さとまっすぐな心があれ 最終的にはうまくゆく」
いわんや、皆さんは妙法という最高の「絶対勝利の信仰」を持つことができた。
快活に生きることだ。真っすぐに生きることだ。青年ならば!
──池田先生は、『苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとな(唱)へゐ(居)させ給へ』(P1143)との御文を引かれ、題目に勝るものはないことを何度も教えてくださいました。
池田名誉会長
『苦をば苦とさとり』──なんと深い仰せでしょうか。生きている以上、苦しみは避けられないのだから、そう覚悟して、悩みを見下ろしていきなさいと励ましてくださっています。
いかなる現象も、信心の眼から見れば、自身の成長の因にしていける。そして、一つ一つ眼前の壁を打ち破りながら、境涯を開き、福運を積んでいけるのです。
『楽をば楽とひらき』とは、ありがたいな、うれしいなと喜びを見つけ、感謝していく心でもありましょう。
どんな状況でも、そこに喜びを見出せる人、感謝できる人は、幸福です。人生の「楽」を自他共に広げていけるからです。
青年は『苦楽ともに思い合せて』題目を唱えながら、何ものも恐れず、前進していくことです。
敬愛してやまない不屈の人権の獅子である、南アフリカのマンデラ元大統領も語っておられた。
「厳しい闘いが、私たちをはがね(鋼)のように強くしたのです」と。
わが創価の青年たちも、試練の闘争の中で、金剛不壊の生命を鍛え上げていただきたい。
──折伏していると、友人に「悩みがないから、信心する必要を感じない」と言われることがあります。「とりあえず今、生きていけるから悩む必要がない」と。
青年の意識調査を見てみると、2割近くが「悩みや心配事はない」と答えています。
池田名誉会長
しかし、ひとたび目を転ずれば、社会には、悩みや心配事が渦巻いています。その苦悩を見つめながら、青年らしく真摯に胸襟を開いて、対話を深めていってもらいたいのです。これが「立正安国論」で示された対話の実践だからです。
御書には、『今の乱れた世にあっては、これということがなくても仏道を求める心が起こることは当然である』(P1083、通解)と述べられ、社会の混乱を嘆く人々の姿が記されています。現代の様相にも通じます。
最も鋭敏であるべき青年が「今さえよければ」と安住しているようでは、未来は暗い。
だから折伏なんです。法華経では「動執生疑」という化導法が用いられています。それまでの執着を揺り動かして、より高い次元へとリードしていくことです。
青年に希望と勇気を贈るのは、青年です。
青年が青年に、哲学を、理想を、確信を語る。人間が持つ偉大な力を語り合う。これが折伏です。これこそ、人のためになり、自分のためになり、そして、共々に成長して、世の中に活力を溺らせていく、最も偉大な対話なのです。
──昨年末、先生が私たちに贈ってくださった一首があります。
「いやまして
広布の山を
登りゆけ
自身の力は
無限の仏力と」
いよいよ、無限の仏力を発揮しながら、各地での座談会や青年セミナー等を元気に進め、人材の連帯を大きく広げていきます。
池田名誉会長
うれしいね。皆、本当によく頑張ってくれている。
御義口伝には、『始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』(P788)と説かれています。
妙法を受持した青年の連帯こそ、この『歓喜の中の大歓喜』を躍動させながら、人類全体の悩みをも赫々と照らしゆく、希望と勇気の太陽なのです。
愛する君たちに、命をかけて広布大願に生き抜かれた恩師の師子吼を贈ります。
「私は天空に届くほど、広宣流布をしたいという大煩悩の炎を燃え上がらせている。
青年もかくあれ!」