2012年2月6日月曜日

2012.02.06 わが友に贈る

広布の人生は
毎日が新出発!
朝の勤行・唱題こそ
勝利の原動力だ。
弾む命で進みゆけ!

御義口伝巻上 P750
末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり

◇今週のことば
創価青年セミナーは
春を呼ぶ希望の広場だ。
「我も唱え人に勧む」
はつらつと体験を語り
自他共に幸福の前進を!

2012年02月06日

◇希望の明日へ
婦人部は、ご主人が帰宅したら、笑顔で迎えてあげていただきたい。社会で戦うことは、想像以上に大変である。じつのところ、笑顔どころではないというのが、男性の本音かもしれない。そこで少なくとも、奥さまは、ご主人が帰宅したとたんに厳しい目を向けないことである。

☆わが教育者に贈る 青年から『共育』の新時代を
多くの大人が、残念ながら、いつしか学ぶことをやめ、成長を止めてしまう中で、学びの場、成長の場に身を置いて、自らを向上させていけることは、教育者の特権であるといっても過言ではありません。
アメリカの民衆詩人ホイットマンは、理想の教育に関連して自身の教育者観を語りました。
「初めは、良き導き手となって一歩一歩を先導し、ただ書籍から教えようとするのではなく、自分で考え行動できるように、その心の働きを磨き鼓舞してあげることである。そして"知を愛すること"を教え込むことだ」
ホイットマンは、教師としての経験もありました。たしかに、優れた授業は、一編の詩のように、若さ心を鼓舞してやまない芸術そのものです。
とはいえ、現実は厳しいでしょう。特に、いまだ経験の浅い青年教育者の皆さんには、失敗や試行錯誤もあるに違いない。
しかし、偉大な教育者であられた牧口先生も、若き日には授業で悪戦苦闘する、皆さんと同じ青年教育者の一人であったことを、思い起こしていただきたいのであります。
牧口先生は、北海道尋常師範学校(現・北海道教育大学)に学ぶ二十一歳の時、教員の欠員が出たため、急速、教生(教育実習生)として初めて教壇に立つことになりました。
牧口先生は、当時の心境を、率直に回想されています。
「生れて始めて教壇に上ったのであるから、その狼狽振りは思いやられる。それでもまあ子供等が云うことを聞いたものだ、と今でも冷や汗がでる」と。
この折、牧口青年が一番、苦労したのが、綴り方(作文)の授業です。十分な知識や経験もなく、教科書もない中で、知恵を絞りながら、懸命に教案の作成に取り組みました。
実は、この時、牧口先生が必死に考案した綴り方の指導方法は、子どもたちが自らの力で作文が書けるよう、段階的な誘導を目指した、きわめて優れたものだったのです。
のちに牧口先生は、この指導教案こそ、『創価教育学体系』の全編を貫く思想の中核になったと位置づけられています。
自ら「戦々恐々たる暗中模索の新米教師の初陣」と述べた、若き日の渾身の挑戦が、やがて創価教育学の土台となり、源泉となったのです。
「創価教育の父」が、青年教育者の皆さんに、「今の苦労は必ず未来に花開くよ」と、限りない励ましを危ってくれていることを忘れないでべださい。
いかなる道であれ、最初から名人、達人と言われる人などおりません。皆さんは若いのです。失敗を恐肌ず、明るく、たくましく、前へ前へ進んでいけばよいのです。
法華経を実践する根本の魂は、「勇猛精進」です。