2012年2月29日水曜日

2012.02.29 わが友に贈る

勇気と希望を届ける
「無冠の友」に感謝!
雪道、凍結路に注意を。
焦らず無理せず安全に。
絶対無事故を祈る!

曾谷入道殿許御書
正像二千年には西より東に流る暮月の西空より始まるが如し末法五百年には東より西に入る朝日の東天より出ずるに似たり

◇希望の明日へ
いつの時代であれ、困難を前に敢然と立ち上がるのは、青年の使命である。学会にあっても、戸田先生のもと、青年が立ち、一歩も退かずに広布の戦野を切り開いていった。その意味であらゆる困難を乗り越えながら、広布の戦いをさらに進めていく使命と責任は、青年部こそが担っていることを、深く銘記していただきたい。
平2・6・26

☆勝利の人間学第2回 朗らかに仏法を語れ
・心の大地に幸福の種を
折伏は、勇気である。仏法の偉大さと信心の素晴らしさを、自信満々と語り抜いていくことだ。
日蓮大聖人は、『法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり』(P552)と仰せであられる。
自分の確信と体験を、伸び伸びと語ればいい。相手が聞いても聞かなくても、生命に幸福と希望の種を植えることになる。その種は、いっか必ず根を張り、芽を出し、花を咲かせる時が来るのだ。

・できなくても朗らかに
一人の人を折伏することが、どれほど大変なことか。妙法は「難信難解」とある通りです。だからこそ、これ以上に尊い、偉大な行動はない。
私も、なかなか、できなくて苦労した。でも、同志と「今、一人の人が入会せずども、幾百千万の人々が、我らを待っている」と励まし合いながら、悠々と対話を進めてきた。
折伏は、できても、できなくても朗らかにやりなさい。皆に最高の希望と勇気を贈る対話なのだから。
そもそも、人を救おうとして悩むなんて、すごいことではないか。
それ自体、地涌の菩薩の悩みであり、仏の悩みである。

御本尊を持たせることは、その人の家に大聖人を御案内することにも等しい。

・折伏は信用が残る
戸田先生は「折伏に方法などない。ただひたぶるに、御本尊を拝む以外にない」と言われていた。
折伏は「相手を幸せにしたい」どの祈りから始めるこどだ。その真心が伝わらないわけがない。心を打つのは心だ。心を動かすのも心だ。
真実を真心込めて語るからこそ、「信用」が残る。青年の一番の宝は「信用」だ。
折伏すればするほど、自他共に仏性が強くなり、永遠に崩れない生命の宝が積み上がるのだ。

2012年2月28日火曜日

2012.02.28 わが友に贈る

人材は褒めて伸ばせ。
一緒に動いて育てよ。
「やればできる!」
この歓喜と自信こそ
大いなる成長の力だ!

開目抄下 P236
若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり

◇希望の明日へ
青年部は、根本の仏道修行を通して、個性を磨き、何らかの分野で"第一"とたたえられるようなリーダーに成長していただきたい。「唱題第一」でも、「弘敦第一」でも「教学第一」でもよい。また、信心即生活のうえでも、それぞれ、社会にあって、さまざまな"第一"を獲得してもらいたい。ともかく、"これだけはだれにも負けない"と言いきれるだけの偉大な結果を示していかれるよう、念願してやまない。
平2・4・20

☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.004「学会は平和と幸福の大学校」
新しい人を伸ばす。
その鍵は、リーダーの思いやり、励まし、そして面倒を見ていく、この三つにあるといえよう。
仏法の根本は「慈悲」の精神である。
「あの人は、本気になって、自分のことを心配してくれた」「祈ってくれた」「大事にしてくれた」「涙して叱ってくれた」「優しかった」──だから、心に熱いものが込み上げる。生きる力がわいてくる。
あらゆる壁を越え、魂が魂を揺り動かす。それが社会を根底から変えていく。

今、全国各地で、青年部の弘教が、大変な勢いで進んでいる。
私は、うれしい。「ありがとう!」と最大に感謝し、讃えたい。
尊い偉業を残してくれている。すべてが自身の黄金の歴史になる。
女子部も、希望の大哲学を多くの人に広げている。
本当に、うれしい。広布に先駆する友を、皆で応援してあげてもらいたい。
恩師・戸田先生「創価学会は、校舎なき総合大学である」と言われた。
いわば、皆、平和と幸福をつくる「仏法カレッジ」の学生なのである。
皆、その人でなければ果たせない使命をもって生まれてきた。法華経に「衆生所遊楽(衆生が遊楽する所)」とある通り、幸福になるために生まれてきた。
どうか、一人も残らず、伸び伸びと、朗らかに、また、仲良く、わが人生の勝利のために、行学の二道を前進していっていただきたい。

2012年2月27日月曜日

2012.02.27 わが友に贈る

原点をもつ人生に
行き詰まりはない。
苦難に負けるな!
使命に生き抜け!
希望は わが心にある。

祈祷抄 P1352
行者は必ず不実なりとも智慧はをろかなりとも身は不浄なりとも戒徳は備へずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし

◇今週のことば
未来部の希望月間だ。
若き宝の生命に
皆で励ましを送ろう!
「二陣三陣」と
後継の人材の金波を!

2012年02月27日

◇希望の明日へ
若き時代の今こそ、広宣流布を成し遂げようとする責任をもち、必ず人を納得させ、戦いを勝利の方向へと進めていく。そうしたところに、磨きに磨き抜かれた知恵の涌現があることを自覚されたい。そして、どうか多くの友の心に染み入る表現力、説得性とともに、複雑な社会の中で、また現実生活の中で、みずみずしき知恵の波を起こしていただきたい。
平2・4・20

☆若き君へ 新時代の主役に語る 第2回 悩みと向き合う
−−若い女性の悩みで多いのは「人と比べて落ちこんでしまう」ことです。自分の容姿や性格など、「あの人はすごいけど、私はダメだ……」と自信が持てなくなってしまうのです。

池田名誉会長
それは男性も同じでしょう。男は見栄っ張りだから言わないだけです。
今、女子部の皆さんが学んでいる「一生成仏抄」には、『日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し』(P383)という譬喩があります。
自分自身の生命を離れて一生成仏の道を求めても、徒労に終わってしまうことを示されています。
大事なことは、人と比べて落ち込むのではなく、「よし自分も!」と発奮し、自らの心を明るく高めていくことです。
あの豪放聶落な戸田先生も、"若い頃は自分の卑屈さを直すために努力したものだ"と、率直に教えてくださいました。
そもそも「あの人はすごい」と、友人の長所を評価できること自体、偉い心根です。今度は、自分の良いところを自覚して大いに伸ばすんです。
『桜梅桃李の己己の当体を改めずして』(P784)と仰せのように、桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李の良さがある。背伸びなどしなくていい。ありのままの姿で、自分らしく思い切り、花を咲かせればいいんです。
ヒルティというスイスの哲人は語りました。
「すべての真の財宝は、われわれの力の中にあるものにあるのだから、嫉妬や羨望はおよそ意味をなさない」と。
大切な自分を卑下して心を暗くしては、絶対になりません。


──悪い出来事が重なると、「ついてない。運が悪い」などと、嘆いてしまうものですが……。

池田名誉会長
そういう時こそ、強気でいくんです。魔という働きは、こちらの命が「困ったな。まいったな」と弱気になると、どんどん付け込んでくる。
題目を朗々と唱え、「さあ、かかってこい」と迎え撃てば、必ず退散していくんです。
私は今、ドイツの世界的な学術機関ワイマール・ゲーテ協会顧問のオステン博士と対談を進めています(「人間ゲーテを語る」、月刊誌「潮」4月号から掲載)。
大文豪ゲーテも、若き日は恋に悩み、就職に悩み、仕事に悩みました。就職難や不安定な雇用などに悩み苦しむ今の青年世代と同じく、青春の課題に挑戦し、苦労したことは全く変わりません。
そして、病気に悩み、5人の子ども全員を自分より早く亡くすなど、家庭のことでも苦悩しました。
しかしゲーテは、何があっても「生き生きと」生きた。
生きて生きて、生き抜いて、大文豪は、悩みさえも創造の源泉として、あれほどの壮大な偉業を成し遂げました。
人間は、うんと悩みながらも、「生き生きと」生きられるのです。苦労の連続であっても、張り切って、今なすべきことに全力で取り組み、自分でなければできない、価値を創造していけるのです。
ゲーテは言います。
「快活さとまっすぐな心があれ 最終的にはうまくゆく」
いわんや、皆さんは妙法という最高の「絶対勝利の信仰」を持つことができた。
快活に生きることだ。真っすぐに生きることだ。青年ならば!


──池田先生は、『苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとな(唱)へゐ(居)させ給へ』(P1143)との御文を引かれ、題目に勝るものはないことを何度も教えてくださいました。

池田名誉会長
『苦をば苦とさとり』──なんと深い仰せでしょうか。生きている以上、苦しみは避けられないのだから、そう覚悟して、悩みを見下ろしていきなさいと励ましてくださっています。
いかなる現象も、信心の眼から見れば、自身の成長の因にしていける。そして、一つ一つ眼前の壁を打ち破りながら、境涯を開き、福運を積んでいけるのです。
『楽をば楽とひらき』とは、ありがたいな、うれしいなと喜びを見つけ、感謝していく心でもありましょう。
どんな状況でも、そこに喜びを見出せる人、感謝できる人は、幸福です。人生の「楽」を自他共に広げていけるからです。
青年は『苦楽ともに思い合せて』題目を唱えながら、何ものも恐れず、前進していくことです。
敬愛してやまない不屈の人権の獅子である、南アフリカのマンデラ元大統領も語っておられた。
「厳しい闘いが、私たちをはがね(鋼)のように強くしたのです」と。
わが創価の青年たちも、試練の闘争の中で、金剛不壊の生命を鍛え上げていただきたい。


──折伏していると、友人に「悩みがないから、信心する必要を感じない」と言われることがあります。「とりあえず今、生きていけるから悩む必要がない」と。
青年の意識調査を見てみると、2割近くが「悩みや心配事はない」と答えています。

池田名誉会長
しかし、ひとたび目を転ずれば、社会には、悩みや心配事が渦巻いています。その苦悩を見つめながら、青年らしく真摯に胸襟を開いて、対話を深めていってもらいたいのです。これが「立正安国論」で示された対話の実践だからです。
御書には、『今の乱れた世にあっては、これということがなくても仏道を求める心が起こることは当然である』(P1083、通解)と述べられ、社会の混乱を嘆く人々の姿が記されています。現代の様相にも通じます。
最も鋭敏であるべき青年が「今さえよければ」と安住しているようでは、未来は暗い。
だから折伏なんです。法華経では「動執生疑」という化導法が用いられています。それまでの執着を揺り動かして、より高い次元へとリードしていくことです。
青年に希望と勇気を贈るのは、青年です。
青年が青年に、哲学を、理想を、確信を語る。人間が持つ偉大な力を語り合う。これが折伏です。これこそ、人のためになり、自分のためになり、そして、共々に成長して、世の中に活力を溺らせていく、最も偉大な対話なのです。


──昨年末、先生が私たちに贈ってくださった一首があります。
「いやまして
 広布の山を
  登りゆけ
 自身の力は
  無限の仏力と」

いよいよ、無限の仏力を発揮しながら、各地での座談会や青年セミナー等を元気に進め、人材の連帯を大きく広げていきます。

池田名誉会長
うれしいね。皆、本当によく頑張ってくれている。
御義口伝には、『始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』(P788)と説かれています。
妙法を受持した青年の連帯こそ、この『歓喜の中の大歓喜』を躍動させながら、人類全体の悩みをも赫々と照らしゆく、希望と勇気の太陽なのです。
愛する君たちに、命をかけて広布大願に生き抜かれた恩師の師子吼を贈ります。
「私は天空に届くほど、広宣流布をしたいという大煩悩の炎を燃え上がらせている。
青年もかくあれ!」

2012.02.26 わが友に贈る

青年の使命とは
歴史を創ることだ。
行動を起こすことだ。
さあ今日も生き生きと
対話の道を進もう!

御義口伝巻下 P781
法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり

◇希望の明日へ
青年とは"戦い"の異名である。捨て身の戦いなくして、青年部の"魂"はない。口ではない。格好でもない。要領でもない。信心である。広宣流布の全責任を自覚して、すべてを祈り、立案し、いっさいを行動で切り開いていく。それが青年部の伝統であり、学会精神である。
平2・3・27

☆若き君へ 新時代の主役に語る 第2回 悩みと向き合う
──東日本大震災より、まもなく1年になります。被災地では、青年たちがさまざまな困難や悩みを抱えながら一歩一歩、復興の先頭に立って奮闘しています。

池田名誉会長
よく、伺っています。本当に尊いことです。
私は毎日、亡くなられた方々の追善回向を懇ろに行わせていただいております。とともに、被災された皆様、復興支援に汗する方々の健康幸福、無事安穏、そして、前進勝利を祈っています。
日本は、国全体の行き詰まりが指摘されて久しい。では、それを転じゆく力は、どこにあるか?
その底力は、我らの東北にある! 「負げでたまっか」と立ち上がる一人一人の「人間革命」が、絶望から希望へ、苦悩から歓喜へ、一家を、地域を、一国を、未来を変えていく。それこそ、東北健児のスクラムです。
「恐れや悲観にわれわれの希望を挫かせてはならぬ、われわれの勇気をそがせてはならぬ」
これは、牧口先生の友人であった、東北出身の世界市民・新渡戸稲造博士の心意気でした。
今、東北青年部の不屈の貢献に、日本の識者からも、世界の知性からも、深い賞讃の声が寄せられ始めています。
やがて日本全国、いな全世界が、東北の友に感謝の大喝采を捧げる日がやってくるでしょう。
「広宣流布の総仕上げは東北健児の手で!」とは、私の願いであり、決意であり、確信です。
しかし激闘が続けば、疲れ果てることもある。体調が良くない時や気持ちが沈む時だってあるでしょう。今日できなかったことは、明日の元気な自分に託して、休める時は上手に休むことです。
戦いは長い。焦ることはありません。価値的に行動することです。時には、ゆったりと大空を仰ぎ、大きく深呼吸をしてもらいたい。また良き友と互いの健闘を労い、讃え合い、守り合うことです。
苦楽を共にするのが同志です。
東北の皆様方と、共に苦しみ、共に楽しみ、共々に勝ち栄える。これが、私の決心です。


──若い世代の話を聞くと、人間関係で悩んでいる人が多いです。職場や学校などで、周りの人と気が合わないとか、ぶつかってしまうとか……。

池田名誉会長
どんな悩みでも、本人にとっては、切実な悩みです。
信頼されて相談を受けた人は、誠実に親身になって応じていただきたい。またプライバシーは、絶対に厳守することです。問題によっては、より経験豊かな、信頼できる先輩に一緒に指導を受けるべきです。
まあ、どんな世界にも「あの人だけは……」と思うような苦手な人がいるものです。
私にも、ずいぶん意地悪な先輩がいました。
友人同士だって、いつもうまくいくわけではない。家庭の中でも悩む。学会の同志の間でも、気が合わない場合もある。
「四苦八苦」とは、もともと仏法の言葉です。「生老病死」という四つの根本の苦しみに、さらに四つの苦しみが挙げられています。その一つが「怨僧会苦(おんぞうえく)」です。嫌な人に出会い、僧たらしいと思う人とも一緒にやっていかねばならない苦しみです。
要するに「人間関係の悩み」は、誰でも生きる限り、必ず直面する。一生の課題です。ですから若い皆さんが、多少、人とうまくいかなくても、むしろ勉強だと思って、大きな心で悠々と乗り越えていけばいい。それが自身の成長の土台となるのです。
「怨僧会苦」が「四苦八苦」の一つであるということは、見方を変えれば、8分の1の苦しみに過ぎない。だから、人間関係の悩みに振り回されて、若い時代に成すべき勉学や研鎖を怠ってしまえば、損をします。
「人がどうあれ、周りがどうあれ、自分は学び鍛えて前進する」という毅然とした信念だけは、青年として手放してはなりません。


──今、インターネットやメールなどが悪用されて、青少年が事件に巻き込まれる場合があります。時代は濁り、悪い人間もたくさんいます。

池田名誉会長
その通りです。
御書には、『悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言(ことば)を巧にして愚癡の人の心を取って善心を破る』(P7)と喝破されています。
悪い人間に証かされて、自分の善なる心を破られてしまえば、こんな不幸なことはありません。
賢くならねばいけない。強くならねばいけない。正しき哲学と善き連帯が大事なのです。
「悪」は「悪」と鋭く見破って、近づけてはならない。愚かなお人好しでは、正義は貫けないし、善の世界を守ることもできません。これが大前提です。


──よく、わかりました。そのうえで、家族や友人など、身近な人間関係でも、難しい現実がさまざまにあります。

池田名誉会長
お互いに凡夫だからね。自分が人間ドラマの名優になるんです。
戸田先生のもと、女子部の「華陽会」で、『小公子』という小説を学んだことがあります。
主人公は、アメリカ生まれの快活な少年セドリック。父を亡くし、英国にいる貴族の祖父と一緒に暮らすことになった。高慢で偏屈だった祖父が、純粋で心優しい孫に感化され、温かな気持ちを持つように変わっていくという物語です。
祖父は皆から敬遠されていましたが、セドリックはその立派な人間性を疑いませんでした。そして、強い尊敬と愛情をもって、粘り強く、しかも明るく祖父と接していきました。その振る舞いが、氷のようだった祖父の心を、徐々に溶かしていったのです。
戸田先生は、「小公子(セドリック)が祖父を絶対に信頼したことが、意地悪な心を良くし、あらゆる状態を変えていったんだよ」と洞察されました。
心を変えるのは、心です。自分が変われば、必ず相手も変わります。御義口伝には『鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり』(P769)と仰せです。
相手の生命の「仏性」を信じて、心から尊敬していく。大切にしていく。その時は、かりに反発したとしても、実は相手の仏性も、こちらを礼拝し返しているのです。
人を軽んじる傲慢な人間は、結局、自分も軽んじられる。
人を尊敬し、その人から何かを学ぼうとする。そうすれば、人生は楽しく豊かになります。そして鏡に映すように、人からも尊敬され、最後は必ず勝つのです。


──なかなか思うようにいかない人間関係の中で、つい自信を無くしてしまうこともあります。

池田名誉会長
だから、祈るのです。祈りは、自分の強き深さ一念の力用で、周囲を調和させ、価値創造の働きへ変えゆく究極の力です。
また、相手のことを祈ることは、仏の振る舞いです。これほど尊く高い生命の位はありません。
戸田先生も、よく言われました。
「法華経には『魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る』と説かれる。どんな相手でも、自分の信心を強くしていけば、広宣流布という幸福と正義のために働く存在に変わっていきます。これは不思議なのです。ゆえに、祈れば勝ちだよ」と。
祈りには、どんな人間関係も、幸福の「仏縁」へ、勝利の「善知識」へと変える力があるのです。


──陰で悪口を言う人間などもいますが……。

池田名誉会長
悪口なんか怖がってはいけない。平然と見下ろしていくのです。どんな偉人だって、さんざん悪口を言われています。
日蓮大聖人は、御自身を迫害し抜いた権力者・平左衛門尉らのことを悠然と『日蓮が仏にならん第一のかたうど』(P917)とまで仰せです。
戸田先生は、この大境涯を偲ばれながら、「敵など、断じて恐れるな! 全部、自分自身を完成させ、仏にしてくれる、闇の烈風に過ぎない」と叫ばれました。
誰が何と言おうと、悩んでいる人のために、苦しんでいる人のために、断固として仏の使命を果たしていくのです。

2012.02.25 わが友に贈る

「臆病にては
叶うべからず」
人生は強気でいけ!
「さあ来い」と決めて
勇敢に祈り動け!

三三蔵祈雨事 P1468
日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず

◇希望の明日へ
青年は、若い時代に、存分に勉強してほしい。知性を磨いてほしい。そして、どこに行っても、哲学を、人生を、仏法を語っていける人になっていただきたい。私は、どんな人に会っても、どのような所に行っても、仏法を、生命を、人生を、世界を語りに語ってきた。今後も、一生涯、語り続けていく決心である。
平2・3・9

☆若き君へ 新時代の主役に語る 第2回 悩みと向き合う
──先月、掲載された第1回の「若き君へ」には、全国の多くの読者から反響が寄せられました。青年の世代はもちろん、壮年・婦人の方々にも、大きな喜びと感動が広がっています。
ある男子部員は「池田先生が私自身に語りかけてくれているように思い、感動しました」と綴っていました。
一人の女子部員からは「家族のことで悩んでいますが、まずは自分自身が成長することの大切さを教えてくださったのだと感じました。きょうから、ここから、私らしく前進していこうと決意ができました」と声が寄せられています。

池田名誉会長
皆さんが喜んでくれ、私もうれしい。
青年の喜びこそ、私の最大の喜びです。
私は幸福にも、青春時代、毎日毎朝のように、恩師・戸田城聖先生から直々に薫陶を頂くことができました。「戸田大学」での一対一の真剣勝負の訓練です。
できることならば、私も一人一人の青年と直接会って、皆の声に耳を傾け、語り合いたい。一緒に学び合っていきたい。そうした思いを込めて、私は日々、小説『新・人間革命』等を執筆しておりますし、この連載にも臨んでいます。


──読者から寄せられたメールには、仕事や職場の人間関係、自身の病気や家族の問題など、さまざまな悩みに直面しながらも、池田先生の励ましを胸に、信心根本に前進する決意が数多く綴られています。そこで、今回は「悩みと向き合う」とのテーマでお話を伺えればと思います。

池田名誉会長
青春は、誰もが悩みとの戦いです。悩みのない青年など、いない。なかんずく、大いなる希望と使命に生きる魂には、苦悩も大きい。
悩むことは、強い向上心と責任感の表れです。人間の能力の一つともいえる。人のため、未来のために悩むのは、人間にしかできません。
私か対談した大歴史学者のトインビー博士も「悩みを通して智は来る」という古代ギリシャの蔵言を、大切にされていました。悩んでこそ、偉大な智慧が光る。
そもそも仏も、衆生のために「悩む人」です。
私たちの勤行の「自我蜀」の結びには、『毎自作是念 以何令衆生 得入無上道速成就仏身』とあります。簡潔に言えば、仏は常に、いかにして衆生を無上の道に入らせ、速やかに成仏させるかを、念じ続けているという意義になる。
どうすれば人々を救えるか。幸福にできるか。悩んで智慧を尽くし、行動を貫くのが「仏」です。


──今は、悩みを避けたい、また、真剣に悩む姿を見せるのは、カッコ悪いと考えるような風潮もあります。

池田名誉会長
それは誰だって、よけいな苦労はしたくない。好きこのんで悩む人はいません。
ただ、苦労もなく、悩みもなければ、それで幸せか。そうではないでしょう。幸福の実体は、生命の充実です。その本当の充実感とは、悩みに立ち向かい、苦労して勝ち越えていくなかでこそ、得られる。この喜びは、皆が大なり小なり実感しているはずです。
飛行機だって、翼に強い「向かい風」を受けることで、揚力という力を得て飛翔できる。若き日の苦難の烈風は、わが人生を大きく飛翔させてくれる力です。
人生には、想像も絶する試練の嵐が襲いかかることがあります。しかし、真っすぐに向き合う勇気があれば、断じて乗り越えられる。その究極の勇気が、信仰です。
戸田先生は、『巌窟王』の物語(『モンテークリスト伯』)を青年たちに読ませながら、勇気の真髄を教えてくださった。
嫉妬の悪人たちに陥れられ、無実の罪で牢獄に囚われた青年エドモン・ダンテスの心の動きを通して、先生は言われました。
「最初は、いつ牢獄から出られるかを問題にして、あくせくしていたが、やがて、一生出られないと分かってきた。
難を受け、牢獄に入った場合、たとえ出られなくともかまわない。一生涯、戦い通してみせると、死ぬまで覚悟することだ。そうすれば強い。必ず勝っていくのだ」

これは、戦争中、軍部政府による投獄を、牧口先生にお供して耐え抜いた、戸田先生ご自身の信念でした。この恩師の大闘争を思えば、どんな苦難にも耐えられるし、勝ち越えられないわけがないと、私は一念を定めてきました。
悩みがあることは、カッコ悪いことではない。むしろ悩みと向き合うことは、人間として誇り高いことです。ゆえに悩みを隠したり、取り繕ったりする必要はありません。青年に見栄などいらない。ありのままでいいんです。


──悩んでいるとネクラ(根が暗い)などと言われたりします。

池田名誉会長
だったら、明るく朗らかに悩めばいいんだよ。
私も青年時代、体が弱かった。貧しかった。時代は荒れ、悩みは尽きなかった。ただ私は、悲観や感傷には決して流されたくありませんでした。
何があっても、希望に燃えて朗らかに! 悩みがあればあるほど、歯を食いしばりながらも、笑顔で前進する──これが変毒為薬の妙法を持つ青年の特権です。
戸田先生は、事業が最悪の苦境に陥った時も、悠然と言われた。
「私は、かりに地獄に堕ちても平気だよ。なぜならば、地獄の衆生を折伏して、寂光土に変えてみせるからだ。信心とは、この確信だよ」
私は、この師子王に鍛えられました。だから何も恐れません。


──若き池田先生が、戸田先生から「人生は悩まねばならぬ。悩んではじめて信心もわかる、偉大な人になるのだ」と励まされたことは、小説『人間革命』第10巻で学びました。昭和31年の「大阪の戦い」の直前のことでした。

池田名誉会長
その通りです。
あの戦いは、誰もが勝利は不可能と見ていました。しかし、絶対に負けるわけにはいかない。私は一人、深い苦悩に身をさらしていました。その私の悩みを、師匠は全部、ご存じでした。
私は、悩んで悩んで、悩み抜きました。戸田先生の構想を実現するために、広宣流布の前進のために、愛する関西の友の幸福のために──何ができるのか。先生だったら今、どうされるのか。
祈りに祈り、一歩も退かず戦い抜いた。そして関西の同志と共に勝った。
「"まさか"が実現」です。それはそれは、壮絶な戦いだった。しかし、あれだけ悩んで戦い抜いたからこそ、病弱な私の生命から生き抜く力、勝ち抜く力を湧き立たせることができたともいえる。
御義口伝には、『一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり』(P790)とあります。
広布のために真剣に悩むことによって、わが身から仏の大生命力を出すことができるのです。


──仏法では「煩悩即菩提」と説かれますね。

池田名誉会長
日蓮大聖人は『煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり』(P710)と仰せです。
「煩悩」とは悩みの根源であり、「菩提」とは悟りのことです。悩みを消し去るのではなくて、逆にそれを「燃料」として燃やすことで悟りの智慧の炎が現れる。
大きな悩みが、自分を大きく成長させるのです。また、悩みがあるから、同じように苦しむ人の気持ちが分かる。その人たちのために、尽くしていくこともできる。
煩悩「即」菩提の「即」は、単純な「イコール」ではない。
即の一字は南無妙法蓮華経なり』(P732)と示されている通り、「即」の一宇は変革の原理です。
御本尊に強盛に題目を唱え、広布のために粘り強く行動していく時、一切の苦悩は自身を荘厳する財宝に変わる。悩みが深ければ深いほど、苦悩に沈む友の心を照らす希望の光源となるのです。
女子部国際部の優秀なリーダーたちが、自ら翻訳して届けてくれた手作りの蔵言集に、アメリカの詩人フランシス・ハーパーの一節が記されていました。
「暗闇の先には光がある。現在の苦悩を越えたところに歓喜がある」
私たちの信心は、あらゆる「苦悩」を「歓喜」へ、「マイナス」を「プラス」へと転じゆく無限の力を持っている。どんな悩みであっても、唱えた題目は、すべて、自身の福運となる。そして自分が成長し、光った分だけ、広宣流布は進むのです。

2012年2月24日金曜日

2012.02.24 わが友に贈る

信仰の輝きは
「人の振舞」に表れる。
さわやかな笑顔
すがすがしい挨拶で
信頼と友情を結べ!

最蓮房御返事 P1341
上に挙ぐる所の諸宗の人人は我こそ法華経の意を得て法華経を修行する者よと名乗り候へども予が如く弘長には伊豆の国に流され文永には佐渡嶋に流され或は竜口の頚の座等此の外種種の難数を知らず

◇希望の明日へ
地位もいらない。名誉も何の報酬も欲しない。そういう学会員こそが本当の信心を貫き、今日の学会を築いてこられたのである。いかなる虚名の人よりも、真実の"功労の人々"である。ゆえに、この草創の先輩を絶対に忘れてはならない。特に青年部は、ご両親への親孝行は当然として、こうした学会草創の功労の先輩に対しても"親孝行"する思いで、最大に大切にしていっていただきたい。
平1・8・20

☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.003「青年を育てた所が栄える」
戸田先生は、常々、言われていた。
「人一倍、後輩を育てなさい」
「青年が思う存分、働けるように応援する人間が偉いのだ」

育てるといっても、会合で話すだけではない。形式ではなく、大事なのは相手を思う心の深さだ。
後継の友を、弟・妹、また、わが子と思って、真心で接していくのです。
何があろうと、生涯、不退転の信心を貫いていけるように、たとえ一時は信仰から遠ざかることがあったとしても、必ずまた同志と共に進んでいけるように──この根本の一点を忘れてはならない。
一人ももれなく、功徳に満ちあふれ、大いなる信心の喜びをつかんでいけるよう、祈っていくのです。

青年を育てたところが栄える。後輩を伸ばした組織が発展する。リーダーは、一人一人が「よし、やろう!」と奮い立つような激励・指導をしていくことです。
いつも同じ話ではなく、新しい息吹が必要だ。皆が納得し、喜び勇んで、朗らかに進んでいけるよう、声をかけていく。苦闘している友に、希望の光を送っていくのです。
自分の心が明るくなれば、皆の心も明るくなる。
御義口伝には『喜とは自他共に喜ぶ事なり』『自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり』(P761)と仰せである。
自分も、人も、大歓喜の生命に包まれる。難を勝ち越え、人格も豊かに、必ず幸福になっていける。絶対勝利の人生を、共々に歩んでいきましよう!

2012年2月23日木曜日

2012.02.23 わが友に贈る

食生活の乱れや
睡眠不足に注意!
生活はリズム正しく
疲れをためない工夫を。
日々健康を勝ち取れ!

四条金吾女房御書 P1109
明かなる事日月にすぎんや浄き事蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり

◇希望の明日へ
口先だけの言葉は、何も心に響かないし、何も変革することはできない。その意味で、青年部は、大聖人の門下であり、私とともに戦おうと心に決めたのであれば、同じ一年であっても、最高に充実した青春を送り、最大に自己を発揮しゆく歴史をつくっていただきたい。そして最高に生きがいのある、価値ある日々の、自分自身の軌跡を絢欄と綴っていただきたい。
昭64・1・6

☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.002「新しい開拓へ「精神の糧」を」
真実ほど強いものはない。民衆の正義の声にかなうものはない。
それを広く伝え、永遠に残すのは、活字の力である。
戸田先生は、口ぐせのように言われていた。「私は聖教新聞を、日本中、世界中の人に読ませたい。それ自体が、仏縁を結ぶことになる」
戦後、戸田先生の事業が絶体絶命の苦境の中で、聖教新聞は構想された。先生は、折伏と聖教の拡大を、広宣流布の両輪と考えておられた。
その心を知る私は、来る日も来る日も、大勇猛心を奮い起こし、力の限り、書いて書いて書き続けてきた。先生の偉業を、わが命にかえても、後世に留めるために。
自らも聖教を配り、購読を推進してきた。
御書には『(法華経の)文字変じて又仏の御意となる』(P469)と仰せだ。
言葉には、人を救う力がある。
物や経済面だけではない。
苦しんでいる友に、心のエールを。未来の主役に、宝となる指標を。新しい開拓には精神の糧が必要だからだ。

私と妻は、無冠の友の健康と無事故を、毎日、真剣に祈っている。尊き新聞長の皆さん、通信員の方々、聖教を支えてくださる全ての皆様方に心から感謝を捧げたい。
今、聖教新聞を、平和を願う世界の友が楽しみにして読まれている。第一級の知性も注目している。
「聖教には幸福への道が書かれている。こんな新聞は他にはない」と恩師は言われた。この聖教と共に、希望の福光を、いやまして広げていこう!

2012年2月22日水曜日

2012.02.22 わが友に贈る

未来の一切を開く
ヤング・ミセスの友よ!
皆様の日々の奮闘こそ
永遠の勝利の土台だ。
幸福の太陽、万歳!

異体同心事 P1463
殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ、周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ

◇希望の明日へ
青年部に特に申し上げておきたいことは、どんなに高い立場になっても権威的になったり、威張るような倣慢な人間になってはならない、ということである。つねに、謙虚で誠実にして真心の言動の人は、やはり光っている。
昭63・12・10

☆我らの勝利の大道No.67 新時代の二月闘争
仏教を弘めん人は必ず時を知るべし』(P439)──日蓮大聖人が、この「教機時国抄」を著されたのは、弘長二年(一二六二年)の二月。七百五十年前であった。
今、世界には、さまざまな困難や課題を前にして、先行きの見えない茫漠とした不安が蔓延している。
このような「時」だからこそ、今回の「SGIの日」の記念提言で申し上げたように、「全ての人間に等しく備わる無限の可能性」を信じ抜く立正安国の対話が重要である。
そして「一人一人が互いの可能性を信じ、力を湧き立たせる中で、時代の閉塞感を打破していく」立正安国の連帯が不可欠なのだ。
思えば「立正安国論」は、大聖人が御入滅を前に、今の大田区にあった池上邸で弟子たちに講義なされた重書である。
私が戸田先生と初めてお会いした大田区の蒲田の座談会で、師が講義されていたのも、「立正安国論」であった。
六十年前の「二月闘争」は、この立正安国の対話と連帯を、奇しくもゆかりの大田から、庶民の力で巻き起こしていったのである。
そして今再び、同じ閏月の一日一日、わが愛弟子たちが新たな「二月闘争」を繰り広げてくれている。
今この時こそ、皆が青年の心で、青年と共に戦い、舞いゆく時である。
さあ、「立正安国」の大願を高らかに掲げ、「創価青年の新時代」を、愉快に勝ち開こうではないか!

天の時
 ついに来れり
  建設の
 地涌の勇者に
  旭日かがやけ

2012年2月21日火曜日

2012.02.21 わが友に贈る

会合に出られない
人にこそ励ましを!
皆が宝の人材だ。
真心と誠実の対話で
幸福の陣列を広げよ!


曾谷殿御返事 P1056
法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり

◇希望の明日へ
青年部が、情熱と力のかぎりを尽くして戦っていくことは、全部、自分のためであり、当然のことである。歴代会長に貫かれた"創立の一念"を、壮大なる未来へと受け継ぎ、広げ、目のさめるようなすばらしき広布図の建設を実現していくよう期待する。 昭63・11・18

☆我らの勝利の大道No.67 新時代の二月闘争
新しい力、すなわち庶民の力が台頭する時、「新しい時代」は開かれる。
一九八六年の二月、フィリピンでは「ピープル・パワー(民衆の力)革命」が起こった。別名は「二月革命」──この戦いにより、二十一年続いた独裁政権が打倒されたのである。
この劇的な無血革命で、フィリピン民主主義の新時代を開いた立役者の一人がラモス元大統領であった。本年も、真心の新年状をいただいた。
四度目の会見の折、私は率直にお尋ねした。
「革命は、なぜ成功したのでしょうか?」
元大統領は、鋭い眼差しで答えてくださった。
「民衆が、自分で自分を信じたからです。そして信仰があったからです」
「『自由のためならば死をも辞さない!』『どのような犠牲を払おうとも!』。そういう覚悟があったから、革命は成し遂げられたのです」
実は、この革命が成就するには、女性の力が大きかったといわれる。
独裁政権が倒れる直接のきっかけは、数十万人の群衆がマニラの「エドサ通り」に集結し、政権に抗議する"人間バリケード"をつくったことであった。
政権に反対すれば、命さえ奪われるかもしれない。そんな恐怖を前に、尻込みする夫や父、きょうだいや子どもたちを説得し、エドサ通りへ向かわせたのは、それぞれの家庭の無名の母たち、乙女たちであった。
それは、平和を願う信念強き女性たちが開いた勝利であったのだ。
学会にあっても、婦人部の確信の一言、春風の如き温かな一言が、どれほど友の心に響いていることか。
女子部の爽やかな笑顔が、どれほど同志に希望を送っていることか。

今、かのフィリピンをはじめ世界中で、創価の女性たちは、幸福勝利の対話を弾ませ、友情と平和のスクラムを広げてくれている。
ますます仲良く健やかに、素晴らしき人生を勝ち開いていかれることを、私と妻は祈る日々である。

2012年2月20日月曜日

2012.02.20 わが友に贈る

一回一回の会合を
時間厳守で価値的に!
事前の祈りと準備から
「さあ やろう!」との
勢いが生まれる。

四条金吾殿御返事 P1169
仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり

◇今週のことば
「冬は必ず春となる」
希望の大哲学を
生き生きと語れ!
「体験」が心に響く。
「確信」が心を動かす。

2012年02月20日

◇希望の明日へ
いかに巧妙に仕組まれた策謀や邪義をも、鋭く見破っていく智慧、そして、いかなる権威をも恐れずに、堂々と正義を叫びきっていく勇気−−この二つを兼ねそなえてこそ、本物といえる。もし、後継の門下に智慧と勇気がなければ、もはや法戦には勝てない。また信は智慧の源泉である。浅き信には、浅き智慧しかそなわらない。探き信があってこそ、探き智慧もかぎりなくわいてくる。ゆえに青年部は、何よりも信心の利剣を磨いてもらいたい。
昭63・7・19

☆我らの勝利の大道No.67 新時代の二月闘争
「二月闘争」では、東京はもちろん、多摩川を隔てた神奈川にも、広宣の炎は燃え上がり、中部、山梨、千葉へ、そして雪の東北・秋田にも拡大した。
これ以降も、希望の春の足音は一段と高鳴り、四国、九州など全国へ広がった。我らの行進は、やがて北海道の釧路などにも及んでいったのである。
当時、夫が信心に反対のなか、内職で家計を支えながら、折伏に奔走してくださった婦人もおられる。
ささやかな昼と夕兼用のおにぎりを持って、懸命に歩き回っておられた。なかなか思うように折伏が進まない時も、皆で朗らかに声を掛け合い、励まし合い、『いまだこりず候』(P1056)との一節を胸に不屈の前進を続けた。
この婦人は"「できない」と悩む前に「やってみせる」と決めて祈り戦う"という「二月闘争」で掴んだ精神で、三百世帯もの個人折伏を成し遂げてこられた。
嬉しいことに、九十二歳の今も宝寿会(多宝会)の一員として、かくしゃくと活躍。創価大学の通信教育部で学ばれたことも、大きな誇りとされている。
一緒に戦ってくださった同志のことは、一人も残らず、私の胸の奥に光り輝いている。亡くなられた方もおられる。しかし生死を超え、題目で結ばれている。また、お子さんやお孫さん方ともつながっている。
アメリカSGIのナガシマ理事長の母上も「二月闘争」のうねりの中で、蒲田支部の拠点であった白木家に来て入会を決意した草創の宝友であられた。
ナガシマ君は、先日も、懐かしいアラスカの同志が外気マイナス十三度という酷寒にも怯まず、元気いっぱい仲良く前進されている様子を報告してくれた。

2012年2月19日日曜日

2012.02.19 わが友に贈る

信心の歓喜を
ありのまま伝えよ!
勇気を湧き出して
仏法を語るなかに
無量の功徳が輝く!

百六箇抄 P856
法自ら弘まらず人法を弘むる故に人法ともに尊し

◇希望の明日へ
自分に安易な妥協を決して許きぬ、その純粋さと潔さこそ、まことの青春の心である。青年部は、現状に甘んじて、己の保身や安逸のみを考え、名利に走るようであってはならない。そこには広布に生きる使命の青春はない。
昭63・5・22

☆我らの勝利の大道No.67 新時代の二月闘争
「一人」を大切にすることから生まれる「団結」も、「二月闘争」の勝利の原動力であったといってよい。
日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候』(P1463)と仰せの通りである。
私は、皆が持ち昧を発揮し、尊敬し合って団結できるよう、人知れず心を砕き、指揮を執っていった。
とくに青年には、生活に根ざした体験を持つ壮年・婦人の先輩方と一緒に折伏に取り組むように訴えた。共に動き、共に走った。悩める友がいると聞けば、対話の輪ができた。抜苦与楽の座談会が毎日のように開かれたのである。
ある時、入信まもない婦人部の方が意を決して知人の折伏に行くということで、私か付き添ったことがあった。道すがら緊張のあまり、足もすくんでいる様子であった。
私は「学会歌を歌って、楽しく行きましょう!」と申し上げた。最初はか細い声であったが、何回も「同志の歌」を共に口ずさんでいくうちに、みるみる元気になっていった。
結局、その日の対話は実らなかった。しかし、それを機に発奮し、地方の友人たちへの折伏を次々に結実させていったのである。
この友人にも、あの知人にも語りたいと、支部中に「聞法下種」の歓喜の渦が巻き起こり、それが何百人に広がっていたか、もはや誰にもわからない。
そして二月を戦い切り、二百一世帯という未曽有の弘教になったのである。
一人ひとりが壁を破っていった。まさに新しい人が新しい力を出し、新しい団結で、新しい波を起こしてくれたのだ。

2012年2月18日土曜日

2012.02.18 わが友に贈る

仏法は「時」が大事だ。
今こそ語り抜け!
勇気を奮い起こせ!
満々たる生命力で
伝統の2月を勝とう!



寂日房御書 P903
同じはぢなれども今生のはぢはもののかずならずただ後生のはぢこそ大切なれ


◇希望の明日へ
両親へのかぎりない感謝と、報恩の人生を貫いていく。ここにも仏法を持つ信仰者としての大切な生き方があることを、私は特に後継の青年たちに申し上げておきたい。
昭63・4・16


☆我らの勝利の大道No.67 新時代の二月闘争
六十年前、「二月闘争」は、なぜ勝利できたのか。
それは、目の前の一人を徹して誠実に励ましてきたことに尽きる。
「広宣流布」は、一人の「人間革命」から始まる。
決意した一人が、一人を立たせる。その一人が、さらにまた、もう一人を奮い立たせていく。勇気は勇気を呼ぶ。この「一対一」の決意の連鎖こそが、拡大の鉄則である。
ゆえに、「誓いの一人」を多くつくっていくことが、爆発的な広布伸展の必要条件なのだ。
戸田先生と同じ二月十一日の生まれの発明王エジソンは語った。
「あらゆるものには輝くダイヤが隠されている。磨けば光る」と。
全員がダイヤの如き尊い人材である。同志は皆、信心の偉大さを証明する使命を持っているのだ。どれほど大切な方々か。
そう思えば、最前線で苦労している皆様を励まさずにいられなかった。
どうすれば皆が元気に戦えるか、思う存分に実力を発揮できるか、私は真剣に祈り、知恵を絞った。
当時の蒲田の支部幹部では、私が一番若かった。人を集めて偉ぶって指導しても、誰が信用するか。自分が足を運び、顔を合わせ、寒風の中を一緒に歩く以外にない。
一回の座談会、一軒の個人指導、一通の激励の手紙……すべてが私の主戦場と思って真剣に取り組んだ。
折伏が進まないメンバーがいれば、私自身の対話の姿を見せた。また私一人で話さず、同席した友にも、どんどん体験や教学の基本を語ってもらった。その中で、皆が自信と確信を深めていったのだ。
年上の同志の方々も、共に立ち上がってくださった。とりわけ、四十代の壮年の先輩方も勇んで奮い立たれ、ありかたく頼もしい限りであった。
皆、何らかの悩みを抱えながらも、折伏に打って出た。その勇気が、共に悩みを乗り越える雄々しき生命力を引き出していくのだ。
これまで周囲に信心の話などしたことがないという人も、まだ信心が浅くて何も語れないと尻込みしていた人も、矢も盾もたまらぬ息吹の中で、勇気の一歩を踏み出してくれた。

2012年2月17日金曜日

2012.02.17 わが友に贈る

火災が多発する時期!
暖房器具のまわりに
可燃物は置かない。
コンセントの埃も注意。
賢明な「前前の用心」を!

妙密上人御消息 P1237
人に食を施すに三の功徳あり一には命をつぎ二には色をまし三には力を授く

◇希望の明日へ
青年部が、これから二十年、三十年、後世の人に"あの人こそ"とうたわれる、立派な"広宣流布の闘士"として生き抜いてほしい。また、それが、ほかならぬ自分自身のためである。使命に生きる以上の幸福はない。広布に殉じ、妙法という永遠なる大法にのっとって、一生を、そして三世を常楽我浄の生命で楽しみきっていく。これ以外に真実の幸福はない。
昭63・4・16

☆我らの勝利の大道No.67 新時代の二月闘争
厳寒に
 耐え耐え大樹と
  育ちゆけ
 吹雪に嵐に
  若き行者は

「法華経」の法師品には明確に説かれている。
能く竊(ひそ)かに一人の為めにも、法華経の乃至一旬を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず』(創価学会版法華経P357)と。
仏法対話が実っても実らなくても、「如来の事」つまり「仏の仕事」を行った功徳は広大無辺である。
わが師・戸田城聖先生はわかりやすく言われた。
「この娑婆世界に、悩みのない人などいないのだ。
ゆえに、仏は人を励まさずにはおれない。救わずにはおれない。
これが折伏精神である」

友を思い、友の幸福を祈って語る。そこに自ずから仏の生命が脈打つのだ。
さらに、戸田先生はこうも語られた。
「人びとの悩みの中心を打開し、人びとが求めているものを、この信心で完璧に示していけるんだよ。
大事なのは、勇気と真心である。真心は必ず相手に伝わっていくのだ」
と。
この二月、戸田先生の故郷の北海道でも、伝統の「青年主張大会」が力強くスタートした。若い力が結集し、全道の二百を超える会場で開催される。
愛する郷土を活性化する連帯として、各界の識者からの期待も大きい。
大震災からの復興を進める東北の宮城県でも、創価青年大会を目標に、皆が一丸となって前進している。
戸田先生の生誕百十二周年のこの二月、後継の青年たちの健闘を、恩師もさぞかしお喜びであろう。

2012年2月16日木曜日

2012.02.16 わが友に贈る

「対話」が弾む!
「希望」が光る!
それが創価の座談会。
さあ勝利の春へ
仏縁を広げよう!

一生成仏抄 P383
妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり

◇希望の明日へ
青年部は二十一世紀の指導者である。何でも学ぼう、探究しようとの姿勢、謙虚さ、求道心が大事である。また知らない場合は「知りません。これから学びます」と素直に言えばよいのに、知ったふりをする。その二言が言えない人は、いつまでも成長がない。たとえ今は知らなくても、"これから学ぶ"ことが成長に通じていくのである。
昭63・3・28

☆我らの勝利の大道No.67 新時代の二月闘争
ともあれ、「何としても、戸田先生に喜んでもらいたい」との私の心に、皆が共に燃え立ってくれた。
「誰か」ではない。
「自分」がやるのだ!
「いつか」ではない。
「今」やるのだ!
「不可能」ではない。
「可能」にするのだ!

自然のうちに、一人ひとりの心が戸田先生の大願と合致して、「師弟」の命のギアが深く噛み合った。
師と共に広宣流布することを自ら願って出現したのが、地涌の菩薩だ。学会員は皆、偉大な菩薩である。
ひとたび使命を自覚するならば、必ず第一級の広布の闘士として、本領を発揮できないわけがない。
破れぬ壁など、断じてないのである。

こうして戦いに踏み出した蒲田支部の私たちは、一ヵ月の限界とされてきた百世帯を悠然と超え、さらには二百世帯という壁まで、突破したのだ。

創価の歴史に輝く「二月闘争」から六十周年──。
この佳節に、わが青年部は、みずみずしい息吹で、壮年・婦人と一体となって「創価青年セミナー」などを展開し、友情と確信の対話を大きく広げている。
女子部は、「三・一六」を記念し、新たなメンバーで「池田華陽会」第五期を発足すると伺った。
この意義深き佳節を自他共の成長と勝利で飾ろう!
一人ひとりの生涯の原点としよう!

その深く尊き志が、私は何よりも頼もしい。
壮年部、婦人部の皆様方も、私と同じ心で、青年学会の構築のために、わが地域の若さ友を懸命に育ててくださっている。これほど有り難いことはない。かの大音楽家モーツァル卜は、自ら作詞作曲して、友との絆を歌い上げた。
♪なんという喜びだ、
  気高い太陽よ、
 本当の友情に
   生きるとは

我らは、この世で何よりも誇り高き友情を広げていくのだ。学会歌の歌声も朗らかに!

師弟不二
 輝く伝統
  光りたり
 勝ちたり燃えたり
  我らの誇りと

2012年2月15日水曜日

2012.02.15 わが友に贈る

「副役職」の友こそ
広布前進の要!
一軒一軒の地道な
家庭訪問に皆が感謝!
黄金の人材城を共に!

日女御前御返事 P1243
是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり

◇希望の明日へ
妙法という"生命の大法"への殉教は、正義のなかの正義である。真実のなかの真実の生き方である。それは宇宙大の功徳に連なり、自身の内奥の宿命を転換する、成仏への大直道である。無量の先祖と、無量の子孫までも回向できる。ゆえに青年は断固として、信念の道を一生涯、貫き通してほしい。
昭63・3・12

☆我らの勝利の大道No.67 新時代の二月闘争
「二月闘争」の発火点。それは、第一線のリーダーが集った緊急組長会であった。私は、寒風を突いて参加してくれた百三十人の同志と心一つに誓い合った。
──二月は、日蓮大聖人の御聖誕の月であり、戸田先生の誕生の月でもある。
大聖人が御出現され、戸田先生が一人立たれたゆえに、私たちは妙法に巡りあうことができた。
その御恩返しのために、二月を折伏の美事な勝利をもって飾ろう!──
との一点であった。
「報恩」の一念に徹する時、人間は人間として、最も美しく、強くなれる。
いわんや仏法の世界で、報恩は一切の根幹である。
大聖人は、『かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり』(P903)と仰せである。
私たちは一人ひとりが、報恩の心で、この御聖訓の通りに決然と立ち上がった。ゆえに姿は凡夫であっても、心は大聖人に直結し、仏の勇気と智慧と慈悲が生き生きと流れ通い始めたのである。
皆、誇り高く頭を上げ、胸を張った。
当時、どんなに頑張っても一支部で「月に百世帯」ほどの折伏が限界だと、皆が思い込んでいた。
しかし、私たちは、今でいえば最前線のブロックに光を当て、「組で二世帯」という折伏目標を掲げた。
そして、私は具体的に
一、祈りから始めよう
一、近隣を大切にしよう
一、体験を語ろう

と呼びかけた。
──いずれも、私自身が実践してきたことである。
恩師の事業の絶体絶命の危機を、私は湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に』(P1132)祈り抜いて打開してきた。
また、自らが住む「青葉荘」というアパートの方々に爽やかな挨拶を心がけるとともに、折々に仏法対話も重ねていた。そうした友と、小さな一間の部屋で、一緒に勤行をしたことも懐かしい。
さらに私も、信心のおかけで病気を乗り越えた体験を大いに語ってきた──。

2012年2月14日火曜日

2012.02.14 わが友に贈る

学会歌と共に
声高らかに前進だ!
皆で歌えば元気が出る。
勇気と希望が湧き上がる。
心一つに壁を破れ!

千日尼御前御返事 P1316
一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる、法華経は師子王の如し一切の獣の頂きとす

◇希望の明日へ
男子部の本質は"鍛錬"である。ゆえにふざけはいけない。真剣勝負の心で、よき兄のごとくあってほしい。
昭63・2・28

☆我らの勝利の大道No.67 新時代の二月闘争
試練の冬を勝ち越えて、戸田先生が第二代会長に就任されたのは、昭和二十六年の五月三日であった。
その晴れの日、戸田先生は、生涯の願業として、七十五万世帯の本尊流布を大宣言なされた。
だが、折伏は難事中の難事である。なかなか、思うようには成果があがらないのが、現実であった。
「どうすれば、折伏が進むのだろうか」──当時のリーダーたちの率直な疑問であり、悩みでもあった。
その思いに答えるように戸田先生は言われた。
「組織をどう運営しようとか、組織をどう動かすとかいうことは、末の末である。組織を動かすのは、信仰に対する絶対の確信と情熱である。その信仰に対する確信と情熱を、組織のなかへ、エネルギーとしてみなぎらすことである」
策や方法ではない。信心の原点に立ち返ることだ。
確信と情熱で、行動を起こせ!
「法華経の兵法」で拡大の道を開け!

恩師は、そう明確に教えてくださったのだ。

師匠は、原理を示す。
弟子が為すべきは、具体的に行動に移すことだ。
私が男子部を代表し、全学会の総会で「青年の確信」を発表したことがある。弟子として、自ら突破口を開きたかったからだ。
「大聖人の御言葉を虚妄にするか、しないかは、ひとえに創価学会の力であり、私たち青年の力であります」
「あらゆる三類の強敵に打ち勝ち、世界の人びとの凝視の的となって、そして輝く闘争の完遂を期し、戸田先生のご期待に報いんことを固くお誓いして、青年の確信といたします」
登壇した私を、恩師が嬉しそうに見つめてくださったことも思い起こされる。
「報恩抄」の文段には、「一切の師の弟子を養育する、その志は大法をして弘宣することを得せしめんが為なり」と記されている。
師匠の願いは、弟子が縦横無尽に活躍し、広宣流布を推し進めることだ。
ゆえに弟子は、「若し法を伝えて衆生を利せば、畢竟、恩を報ずるなり」と結論されている。
正法を弘め抜いて、一人でも多くの友を、幸福の人生へ導いていくことこそが、師恩に報いる最極の道なのである。
私は戸田先生が喜んでくださる大折伏を心に期して、蒲田支部の「二月闘争」に突入していった。
昭和二十七年の厳冬、私は二十四歳であった。

2012年2月13日月曜日

2012.02.13 わが友に贈る

新聞休刊日

乙御前母御書 P1222
これまでながされ候いける事はさる事にて御心ざしのあらわるべきにやありけんとありがたくのみをぼへ候

◇希望の明日へ
青年部は、深き信行の実践とともに、つねに未来を志向し、自身の英知を磨きゆく作業を忘れないでほしい。
昭63・2・27

☆我らの勝利の大道No.67 新時代の二月闘争
御聖訓には『北国の習なれば冬は殊に風はげしく雪ふかし』(P1052)との一節がある。
日蓮大聖人の佐渡流罪の法難は、過酷な風雪との戦いでもあられた。
さらにまた、晩年を過ごされた身延の庵室も、しばしば大雪に見舞われている。とくに弘安元年(一二七八年)は、ことのほか、厳しい冬であった。
ふるきをきな(老)どもにと(問)ひ候へば八十・九十・一百になる者の物語り候は・すべて・いにしへ・これほどさむき事候はず』(P1098)
きんぺん一町のほどは・ゆき一丈二丈五尺等なり』(P1098)と、御手紙に記されている。
「一丈」とは、約三メートル。百歳に及ぶ古老たちも驚くほどの寒さであり、大雪であった。
大聖人御自身が、一年一年、厳冬を耐え忍ばれながら、令法久住の法戦を断行されていたのである。
冬は必ず春となる』(P1253)との仰せには、あまりにも深く、断固たる不屈の魂の響きが込められている。
大雪にも負けず、励まし合いながら、広宣流布のスクラムを組む雪国の友は、この御本仏の御心にまっすぐに連なっているのだ。
その福徳は、計り知れないことを、私は確信する。

大雪に
 さらに積もらむ
  功徳をば
 語りて暮らせや
  この世の使命と

◎本日から、希望の明日へは「男子部」への指針です!

2012年2月12日日曜日

2012.02.12 わが友に贈る

信心強き女子部が
一人いれば
希望の光が広がる!
悩める友の心を
励ましの春風で包め!

新池御書 P1443
無明の卵にしてあさましき身なれども南無妙法蓮華経の唱への母にあたためられまいらせて三十二相の觜出でて八十種好の鎧毛生そろひて実相真如の虚空にかけるべし

◇今週のことば
わが地域こそ、
「立正安国」の起点なり。
創価家族の座談に
新たな友を招いて
喜びと充実の陽光を!

2012年02月12日

◇希望の明日へ
婦人部にとって、学会活動と家庭のことを、両方とも立派にやっていくことは大変である。しかし大変ななかで、信心を根本に、懸命に努力し、仏道修行をやりきった人が勝利の人生となる。家庭を大切にすることは当然であるが、それだけでは利己主義になる。時間のないなかを、法のため、人のため、社会のために行動を続けてこそ、自分自身の人生も、最善の軌跡を歩むことになる。

☆我らの勝利の大道No.67 新時代の二月闘争
吹雪にも
 胸はり凛々しき
  無冠かな

厳寒のなか、広宣流布のために行動される友の奮闘を、私は最大に讃えたい。
なかんずく無冠の友の皆様方は、来る日も来る日も聖教新聞を配達くださり、心から感謝申し上げます。
どうか悪天候の折など、決して無理をせず、また焦らずに、健康第一、絶対無事故で、偉大な使命の遂行をよろしくお願いします。

先日(一月二十三日)、首都圏も夜から大雪が降り、久方ぶりに積もった。
翌朝、いまだ暗く凍てつく四時半頃から、創価学園の硬式野球部のグラウンドがある東大和市駅の駅前の道で、黙々と雪かきをする若人たちの姿があった。誓球寮で学び鍛える創価学園生たちである。
誰に言われたのでもない。いつも温かく応援してくださる地元の方々のお役に立てばと、自発的に早起きをして、管理者の方と一面の銀世界に打って出た。路面に硬く凍りついた雪も、日頃から鍛錬した力を揮って、はがしていった。そして、地域の方の出勤が本格的に始まる六時頃までに道を整えると、早朝の練習で一汗かいた如くに、ふだん通り学園へ登校していったのである。
あとから学園生たちの雪かきを知った近隣の皆様方も、感銘されていたと伺った。東大和市のホームページでも、他校のメンバーの除雪ボランティアの献身とともに紹介されている。
アフリカの環境の母ワンガリ・マータイ博士の言葉が蘇る。
「人間は、様々な問題を、地球規模の大きな次元でとらえてしまうと、無力感を覚えてしまうものです。
しかし、身近なところから行動を起こしていくことで、力を発揮していくことができるのです」

先般の雪の翌日、東京は晴天に恵まれた。
妻は以前に、雪深い北陸出身の友人から、「東京は雪が降っても、翌日は晴れることが多いから、いいですね」と聞いたことを、折にふれ、思い出すという。
私は妻と二人して、大雪が打ち続く日本をはじめ、世界の雪国の友のご苦労を偲び、無事安穏であられるようにと祈る日々である。

2012年2月11日土曜日

2012.02.11 わが友に贈る

未来部の君よ
何があっても負けるな。
今は「建設」の時だ!
忍耐と努力で
一生の土台を築け!

一生成仏抄 P383
仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり

◇希望の明日へ
子どもにとって、"母は最初の教師"という。婦人部の皆さまは、人一倍、多忙である。"人のために"行動している。その母の心が、子どもたちに通じたならば、それは一生を支える宝となるに違いない。母の心が伝わったならば、それは一生を導く光となるに違いない。

☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.001「妙法こそ絶対的幸福の道」
わが師・戸田城聖先生は叫ばれた。
「人材、人材の創価学会でいけ!」
人材をつくる最重要の道は折伏・弘教である。
折伏は、人を根本的に育てる。生命力を強くする。
そして真実の平和と文化の花咲く社会をつくる直道は、結局、妙法を弘めることだ。
いかなる善事よりも百千万億倍すごいと説かれている。
折伏をすることが、なぜ、すごいか。その友を永遠に仏にしていけるからである。何があろうと絶対に壊れない、幸福の人生を、共々に歩める。だから功徳も大きい。

妙法をどれだけ弘めたか。
その歴史は、後になるほど光る。

人生、いろいろな思い出があるが、折伏が何よりの金の思い出となる。積極的に行動し、交流することだ。それが折伏に通ずる。
御聖訓に『南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき』(P467)と仰せの通りだ。生命の法則に則った無上の行為であり、永遠不滅の思い出である。
折伏は大変だけれども、大成長の囚となる。苦しんだ分だけ、実は幸福なのである。
仏の使いは、折伏しかない。折伏をやっている人は、仏になる。その人は、仏法の、また学会の「宝の中の宝」だ。最高に尊い。折伏は本当にすごいことなのである。

2012年2月10日金曜日

2012.02.10 わが友に贈る

広布の伸展は
「長の一念」で決まる。
率先垂範の行動で
同志を鼓舞せよ!
団結の要たれ!

四条金吾殿女房御返事 P1135
一切の人はにくまばにくめ、釈迦仏多宝仏十方の諸仏乃至梵王帝釈日月等にだにもふびんとをもはれまいらせなばなにかくるしかるべき、法華経にだにもほめられたてまつりなばなにかくるしかるべき

◇希望の明日へ
現在の"母の信心"が、即"子どもの幸福"に、さらには"社会の平和"へと通じていることを確信していただきたい。そして、婦人部の皆さまは、ご一家の中のみでなく、学会の青年部、未来部を温かくはぐくんでくださっている。彼らの活躍、そして彼らの誉れは、全部、育てた婦人部の誉れであり、功績であり、福原である。

☆わが教育者に贈る 青年から『共育』の新時代を
大事なことは、一人で悩みを抱えないことです。先輩たちも、皆、悩んだのです。皆さんは、一人ではありません。孤独になって、悩みに押し潰されてはならない。乗り越えられない壁など、絶対にないのです。
何があっても、頭を上げ、胸を張って、強く朗らかに生きることです。自分のために! そして、愛する子どもたちのために!
私は、宮城県の被災地で奮闘する一人の女性教育者の話を伺いました。彼女が勤務する中学校は、津波で甚大な被害を受け、大切な教え子も犠牲になりました。
いったい、どうすればいいのか──悲嘆に暮れ、呆然とする彼女を支えてくれたのは、母校の創価大学・関西創価高校の旧友たちの励ましでした。日本中、さらに世界からも真心のエールが連日、届きました。
懐かしい友の声に触れ、自身の胸のうちを聞いてもらうと心が落ち着き、勇気がわいてくるのを感じたそうです。「子どもたちのために、自分がまず立ち上がろう!」と。
今、その彼女に続き、生徒たちもまた深い悲しみから立ち上がって、成長しているといいます。
デューイ博士は語っています。
「一人の人間が、或は、一群の人々がなし遂げたことが、それに続く人々にとっての、足場となり、出発点となる」
わが教育本部の方々が、地道にして誠実な努力によって開いてこられた前進の歩みは、現代の暗き世相に大いなる希望を贈り、未来を開く不滅の足跡となるに違いありません。
若さ皆さん方は、この麗しき人間教育の連帯の輪を、さらに大きく広げながら、スクラムを組んで勇気凛々と進んでいっていただきたい。
デューイ博士の名著『民主主義と教育』では、次のような視点が示されています。
「社会的観点から見れば、依存性は弱さよりむしろ力を意味するのであり、それは相互依存を伴うのである」
相互の関係性の中で人間の成長をとらえていたデューイ博士は、個人が自立して人から頼りにされることを重視していました。さらに、人を頼りにすることも「弱さ」ではない。むしろ独善を排して連帯を強める「力」であると考えたのです。
支え合い、励まし合って生きるのが、人間です。そこに人間性の源泉もあります。
御書には『されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつ(温)きつめ(寒)だきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせち(大切)なり』(P1468)と説かれております。
また、『麻の中のよもぎ(蓬)・つつ(筒)の中のくちなは(蛇)・よ(善)き人にむつ(睦)ぶもの・なにとなけれども心も・ふるまひ(振舞)も・言も・なを(直)しくなるなり』(P1591)と仰せです。
この世の希望であり、未来の宝である子どもたちのために悩む──何と尊く誇り高い悩みでありましょう。それ自体が、地涌の菩薩の悩みであります。「煩悩即菩提」の法理に照らし、悩みは智慧に変わります。子どもたちや、その家庭の幸福と安穏を祈ることは、仏の祈りであります。
ゆえに、青年教育者の皆さんに、きょうも、希望あれ! 勇気あれ! 連帯あれ! 成長あれ! そして、皆さんこそ混迷の時代を照らす「教育の世紀の太陽」であれ! と願ってやまないのです。

2012年2月9日木曜日

2012.02.09 わが友に贈る

人の前を灯せば
わが前も明るくなる。
「一人」と会い
「一人」を励ませ!
それが広宣流布だ!

如説修行抄 P504
法華経独り成仏の法なりと音も惜まずよばはり給いて諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ

◇希望の明日へ
仏法では、正法を信ずる"母の労苦"は、すべて"子の福徳""子の誉れ"となると説かれている。いわんや婦人部の労苦は"正法流布の労苦"である。その大功徳が、お子さま方を包まないはずがない。

☆わが教育者に贈る 青年から『共育』の新時代を
女子部が学ぶ御書三十編の一つ「一生成仏抄」に、こう仰せであります。一月度の座談会でも研鎖した一節です。
只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈(おこた)らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』(P384)
日々、妙法を朗々と唱えゆくことは、わが生命を明鏡の如く磨き上げていく力です。毎日、太陽が新鮮な陽光を放ちゆくように、信仰は、どんなに厳しい試練の時にも、決して負けない「生命の輝き」を発していく究極の光源なのであります。
とともに、心がけていきたいことは、身近な存在である経験豊富な先輩をはじめ、良き教育者から学ぶことでしょう。
若さ日の牧口先生か、綴り方の授業に挑戦した際、当時の北海道尋常師範学校附属小学校の主事(現在の校長職)であった岩谷英太郎先生が、高く評価してくれました。牧口先生の教案は、"子どもが作文の出来ない原因を巧みに見抜いている。これは、他のあらゆる学科にも通じる"とほめてくれたのです。
それが、大きな励みになったことを、牧口先生は終生深く感謝されていました。
かのデューイ博士も、シカゴ大学の実験学校(付属小学校)などで、現場の先生たちと苦楽を分かち合い、共に学び合った。その中で、大きな啓発を受け、自らの教育哲学を鍛え、発展させていったのです。だから深かった。
昨今、教育現場は多忙を極め、職場の上司や同僚に相談したくても、互いに時間に追われて相談できず、孤立してしまう場合も少なくないと伺っています。その意味で、教育本部の先輩・同志は、何ものにも勝る、ありかたい存在です。
長年、教育本部の皆様が債み重ねてこられた教育実践記録は五万事例を突破しました。さらに月刊誌「灯台」に連載されている実践記録集「『教育の世紀』の若き太陽」も教育界から注目されています。その一つ一つに、教育現場の生きた知恵が光り、困難を勝ち越えた尊いドラマが結晶しています。
こうした先輩方の実証は、青年教育者の皆さんにとって得難い手本であり、励ましです。ぜひとも学んでいただきたい。
また信頼できる「教育名誉会」(退職教育者の集い)の大先輩もおられます。遠慮なく相談していただきたいのであります。

2012年2月8日水曜日

2012.02.08 わが友に贈る

仏法は「今」を勝ち
「未来」を開く哲学だ。
使命の舞台で
さあ挑戦の一歩を!
人間革命の劇を綴れ!

松野殿御返事 P1383
「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」の道理なれば仏の如く互に敬うべし

◇希望の明日へ
母は、青年を育てる。青年の活躍は、母の功績である。
母は壮年を支える。壮年の活躍は、母の力の証明である。

☆わが教育者に贈る 青年から『共育』の新時代を
私は、牧口先生・戸田先生が敬愛してやまなかったアメリカの教育哲学者ジョン・デューイ博士をめぐって、デューイ協会の会長を務められた二人の碩学、ラリー・ピックマン博士とジム・ガリソン博士と有意義な語らいを重ねてきました。
デューイ博士の教育哲学の中心は、「成長」であります。
お二人との鼎談では、その「成長」とは、人と人との関係を通し、社会の中で磨き深められていくものであり、個人の成長は自ずと他者の成長、社会の成長にも寄与するものであることを語り合いました。
一人の「個人の成長」が「他者の成長」を促し、周囲や社会の成長をも促していく──まさに、偉大なる「人間革命」の原理です。 ゆえに、教師自身が成長すれば、子どもたちも必ず成長します。また、教師自身が成長するためには、子どもたちの成長に学ぶことです。
教育は「共育」──教師も生徒も共に育って、成長していくことなのです。
自身も大教育者として、多くの青年を育ててこられたガリソン博士は、こう語られていました。
「教師は、生徒たち一人一人を観察し、実験を試み、省察して、彼らのことを学びながら、あくまでも思いやりのある、深い共感を最も大切にしなければなりません。
よき教師は、生徒だちと一緒に学ぶことを、また生徒たちについて学ぶことを、大いに楽しむものです」

「子どもだちから学ぼう」「一緒に成長しよう」とすることは、一人一人の人格を最大に尊重することになる。その心は、必ず伝わります。
「子どもを尊重せよ」
「子どもの考え方にたいして、その仲間であり、子どものもつ友情にたいして、友であれ」

これは、アメリカ・ルネサンスの哲人エマソンの呼びかけでした。
一人の人間として、大切な友として、子どもたちに接する時、その子が自分でも気づいていない長所まで如実に見えてきます。 教師の信頼と期待にあふれた一言一言こそ、子どもたちを大きな自信と安心感で包み、その可能性を伸びやかに開花させていく力となるでしょう。
いわんや皆さんは、自他共の生命を最高に光り輝かせていける大哲学を持っています。

2012年2月7日火曜日

2012.02.07 わが友に贈る

気高き壮年の陣列が
我らの地域に厳然と!
「王城会」をはじめ
会館厳護に徹する
生涯青春の友に感謝!

白米一俵御書 P1596
凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり

◇希望の明日へ
学会の婦人部は、世界一の婦人平和団体である。その根底は、仏法を基調とした、哲学と平和と人類の幸福のための運動である。史上かつてない、この一大婦人運動は、世界の婦人運動史に永遠に輝きゆくことは間違いない。ともあれ学会の婦人部は、日蓮大聖人の仏法史上、最高の広宣流布史を綴ってこられた。そして、この栄光の学会婦人部とともに、尊き使命の一生を飾っていただきたい。その人が幸福にならないはずがない。そのご一家が繁栄しないはずがない。

☆わが教育者に贈る 青年から『共育』の新時代を
社会事業の中で子どもの教育に携わった、アメリカの人権の母エレノア・ルーズベルトも語っています。
「人生に勇敢に真正面から取り組む人は、経験とともに成長するものです。人格は、このようにして築かれていくのです」と。
教育者自身が常に前向きに創意工夫を続けている息吹は、そのまま子どもや生徒たちの心を勇気づけ、無言のうちに励ましとなるものです。
自分が努力し苦労している命には、人の努力や苦労も、鏡の如く映し出されます。わが生命の鏡を研ぎ澄まして、子どもたちの頑張りを見逃さず、ほめてあげられる教育者でありたいものです。
子どもたちは、一生懸命に努力したことをほめられたり、喜ばれたりすることが、何よりも嬉しいものです。その時、子どもは幸福を実感するともいえましょう。
被災地の子どもたちも、自分たちの笑顔によって、皆が元気を取り戻す姿を見ることが嬉しい。だからこそ、つらくとも笑顔を見せてくれる。何と、いじらしいことでしょうか。
御書にも「ほめること」が持つ力について、「金はやけば弥色まさり剣(つるぎ)はとげば弥利くなる」(1241ページ)と譬えられています。
子どもたちの生命に具わる、黄金のような善性も、宝剣のような才能も、大いにほめて伸ばしていきたい。
その子ならではの「よい点」や「頑張っていること」を見つけ出して、時に応じて真心こめて讃えていただきたいのです。

2012年2月6日月曜日

2012.02.06 わが友に贈る

広布の人生は
毎日が新出発!
朝の勤行・唱題こそ
勝利の原動力だ。
弾む命で進みゆけ!

御義口伝巻上 P750
末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり

◇今週のことば
創価青年セミナーは
春を呼ぶ希望の広場だ。
「我も唱え人に勧む」
はつらつと体験を語り
自他共に幸福の前進を!

2012年02月06日

◇希望の明日へ
婦人部は、ご主人が帰宅したら、笑顔で迎えてあげていただきたい。社会で戦うことは、想像以上に大変である。じつのところ、笑顔どころではないというのが、男性の本音かもしれない。そこで少なくとも、奥さまは、ご主人が帰宅したとたんに厳しい目を向けないことである。

☆わが教育者に贈る 青年から『共育』の新時代を
多くの大人が、残念ながら、いつしか学ぶことをやめ、成長を止めてしまう中で、学びの場、成長の場に身を置いて、自らを向上させていけることは、教育者の特権であるといっても過言ではありません。
アメリカの民衆詩人ホイットマンは、理想の教育に関連して自身の教育者観を語りました。
「初めは、良き導き手となって一歩一歩を先導し、ただ書籍から教えようとするのではなく、自分で考え行動できるように、その心の働きを磨き鼓舞してあげることである。そして"知を愛すること"を教え込むことだ」
ホイットマンは、教師としての経験もありました。たしかに、優れた授業は、一編の詩のように、若さ心を鼓舞してやまない芸術そのものです。
とはいえ、現実は厳しいでしょう。特に、いまだ経験の浅い青年教育者の皆さんには、失敗や試行錯誤もあるに違いない。
しかし、偉大な教育者であられた牧口先生も、若き日には授業で悪戦苦闘する、皆さんと同じ青年教育者の一人であったことを、思い起こしていただきたいのであります。
牧口先生は、北海道尋常師範学校(現・北海道教育大学)に学ぶ二十一歳の時、教員の欠員が出たため、急速、教生(教育実習生)として初めて教壇に立つことになりました。
牧口先生は、当時の心境を、率直に回想されています。
「生れて始めて教壇に上ったのであるから、その狼狽振りは思いやられる。それでもまあ子供等が云うことを聞いたものだ、と今でも冷や汗がでる」と。
この折、牧口青年が一番、苦労したのが、綴り方(作文)の授業です。十分な知識や経験もなく、教科書もない中で、知恵を絞りながら、懸命に教案の作成に取り組みました。
実は、この時、牧口先生が必死に考案した綴り方の指導方法は、子どもたちが自らの力で作文が書けるよう、段階的な誘導を目指した、きわめて優れたものだったのです。
のちに牧口先生は、この指導教案こそ、『創価教育学体系』の全編を貫く思想の中核になったと位置づけられています。
自ら「戦々恐々たる暗中模索の新米教師の初陣」と述べた、若き日の渾身の挑戦が、やがて創価教育学の土台となり、源泉となったのです。
「創価教育の父」が、青年教育者の皆さんに、「今の苦労は必ず未来に花開くよ」と、限りない励ましを危ってくれていることを忘れないでべださい。
いかなる道であれ、最初から名人、達人と言われる人などおりません。皆さんは若いのです。失敗を恐肌ず、明るく、たくましく、前へ前へ進んでいけばよいのです。
法華経を実践する根本の魂は、「勇猛精進」です。

2012年2月5日日曜日

2012.02.05 わが友に贈る

正義を恐れなく
語り抜く人が
人生の一切に勝つ!
友のため自身のため
勇気の師子吼を放て!

一生成仏抄 P383
若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し

◇希望の明日へ
婦人部は、ある意味で、もっとも世間の法に通じた方々であられる。そのうえで、絶えず学ぶことを忘れずに、自分らしく、豊かな"心の世界"を広げていっていただきたい。そうした着実な"向上の姿"は、そのまま無言にして雄弁なる弘法の実践につながっていくに違いない。

☆わが教育者に贈る 青年から『共育』の新時代を
わが教育本部は、今、人間教育者モットーを掲げ、力強く前進しています。
一、「子どもの幸福」第一の教育者たれ!
一、人間革命の道を勝ち開く教育者たれ!
一、ベ生命の輝きで実証示す教育者たれ!

牧口先生・戸田先生が体現された創価教育の精神は、ここに脈々と躍動しています。
第一項目の「幸福」とは、人から与えられるものではありません。
地位や財産を手にしても、それで幸福とは限らない。また、今、幸福のようであっても、それがいつまで続くかわからないのが現実です。真の幸福は、どのような境遇にあったとしても、「今から」「ここから」、自分で創り出していくものです。
牧口先生は「子どもの幸福」を「価値創造の能力を涵養するにあり」と示されました。つまり、子ども自身に「如何なる方面にでも活路を開拓して進行することの出来る能力を持たせんとする」ことです。
自身の関わる子どもたち一人一人から、日々、この「幸福を創る力」すなわち「価値創造の力」を引き出していく教育の営みは、何と誇り高さ挑戦でありましょうか。
それはモットーの第二項目にあるように、教育者自身の「人間革命の道」でもあります。そして、第三項目にある通り、わが「生命の輝き」を生き生きと放ちながら、子どもだちと共に学び、共々に成長し続けていくことでありましょう。
牧口先生は述べられました。
「教授の目的は興味にあり。智識そのものを授けるよりは、これより生ずる愉快と奮励にあり」
はじけるような学ぶ喜び、わくわくするような探求の楽しさを、子どもたちと分かち合う。そして新しい世界を広げながら、知恵と創造性を育んでいく学習の在り方が促されております。

2012年2月4日土曜日

2012.02.04 わが友に贈る

新会員の成長を
皆で祈ろう。
励まし、讃えよう!
全員が宝の人だ。
広布の希望だ!


弥源太殿御返事 P1227
只一心に信心おはして霊山を期し給へ

◇希望の明日へ
長い人生行路、生活の行路において、"自ら勝ち取った幸福"だけが、真実の幸福である。与えられた幸福は、もろい。人の不幸のうえにつくった幸福には、陰りがともなう。結婚したから幸福か−−。そんなに簡単なら苦労はしない。結婚したゆえに不幸な人、一生、後悔する人は、たくさんいる。家を建てたから、社長になったから、代議士になったから幸福か−−。そんなものでは決まらない。婦人部は、もっと深い幸福を、絶対に崩れない幸福をつかみ取ってほしい。これを胸中に開くのが妙法の信心である。

☆わが教育者に贈る 青年から『共育』の新時代を
──宝の中の宝である子どもたちの生命を、絶対に守り抜くのだ。子どもたちを、断じて不幸にしてなるものか。子どもたちの幸福こそを第一義とするのだ──。
まさしく、乱世の真っ只中で、この師子吼をもって、創価教育は誕生したのであります。
昨年三月の東日本大震災によって、あまりにも多くの尊き命が奪われました。御家族の悲しみは、いかばかりか。私は、毎日、懇ろに追善回向の題目を送らせていただいております。
言語に絶する悲劇の中から、後世への教訓を留めることが、失われたかけがえのない命に報いることになるならば、「釜石の奇跡」と呼ばれる事例は、その一つでありましょう。教育界にも大切な大切な教訓を残してくれました。
岩手県釜石市では、津波によって多くの犠牲者が出ました。
この耐え難い被害に遭いながら、市内の小・中学校のほとんどの児童・生徒が、津波から逃れることができたのです。
これは、学校にいた児童・生徒はもちろん、下校していた子どもたちも、多くが自分自身で判断して高台に避難したことによるものです。ここ数年、繰り返し行われてきた「防災教育」の賜でした。
自らの力で自分たちの大切な命を守り、何かあっても互いに信じ、助け合いながら生き抜いていく──この「人間への信頼」「自立の心」を育むところに、人間教育の根幹があるといえましょう。
教育とは、大人が考える以上に子どもたちの心を錬磨していくものであると、「釜石の奇跡」は、あらためて気づかせてくれました。
さらに今、復興へ刻苦奮闘されている被災地の方々の励みとなっているのもまた、健気な子どもたちの明るい姿であると伺っております。
もとより、大震災が子どもたちにもたらした衝撃は、言い尽くせないでしょう。
しかし、それでもなお、子どもたちは太陽の心を輝かせて、家庭に地域に、希望を贈ってくれています。
「被災地の学校に、再び子どもたちの笑顔が戻り、楽しく賑やかな快活な声が響いている。その平凡な日常が、実は何よりも尊く、何よりも素晴らしいことであると、心新たに感動しました」
こう東北の教育者の方が、語っておられました。
子どもたちを慈しんでやまなかったインドの非暴力の英雄マハトマ・ガンヅーは、明言しております。
「もし私たちが、本当に世界の平和を実現したいと願うなら、それは子どもだちから始めなければならない」
「内なる灯火が輝くとき、それは全世界を照らす」
というのです。
子どもたちの幸福の「内なる灯火」を一人一人、今日も明日も、ともしながら、世界の平和へ、希望の光を広げていく炎こそ、教育本部の皆様方の熱情でありましょう。

2012年2月3日金曜日

2012.02.03 わが友に贈る

大雪の対策を万全に!
落雪や転倒はじめ
車の運転にも注意せよ。
決して無理をせず
無事故・安全第一で!

御義口伝巻下 P790
一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり

◇希望の明日へ
学会員は、「広宣流布」という最高に尊く、高貴な偉業を進めている仏子である。「仏の子」であり、「仏の使い」である。その尊貴なる「広宣の母」である婦人部を、十方の仏・菩薩、また諸天善神が守護しないわけがない。どうか、この一点を深く深く確信して、進んでいただきたい。

☆わが教育者に贈る 青年から『共育』の新時代を
「無上宝珠」──『創価教育学体系』では、子どもたちの生命が、この最大の尊称で呼ばれております。
子どもたちの生命こそが、何ものにもかえ難い尊極の宝である。その生命に関わるがゆえに、教育こそが「人生の最高にして至難の技術であり、芸術である」と、厳粛に宣言されているのであります。
牧口先生と若き戸田先生との師弟の結実である『創価教育学体系』が発刊されたのは、一九三〇年(昭和五年)の十一月十八日です。
それは、関東大震災から七年後でした。さらに前年から世界恐慌の嵐が吹き荒れ、直前には日本の首相が国粋主義者から狙撃されるという騒然とした時代でありました。
そうした渦中に、「一千万の児童や生徒が修羅の巷に喘いでいる現代の悩みを、次代に持ち越させたくない」との断固たる決心をもって出版されたのであります。

2012年2月2日木曜日

2012.02.02 わが友に贈る

「意が声とあらはる」
友の幸福を
真剣に祈り抜くのだ!
誠心誠意の声は
必ず相手の心に響く。

異体同心事 P1463
異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なしと申す事は外典三千余巻に定りて候

◇希望の明日へ
広布の組織にあっても、言うべきことは、はっきりと言っていくことである。仏法は、権威やリーダーに盲従するだけの"お人よし"をつくるものではない。"賢人"をつくるものである。婦人部の方々は、正しい仏法の正しい実践を学び、男性のリーダーで道理に反したことがあれば、「正しい方向は、こちらですよ」「正しい基準は、ここにあります」と、明快に主張していただきたい。大聖人は、男は矢、女は弓と仰せである。失は、弓が向けた方向通りに進んでいく。

☆わが教育者に贈る 青年から『共育』の新時代を
厳しい寒さが続いております。各地で大雪の被害が甚大になり、雪の事故も起きていると伺っています。心よりお見舞い申し上げます。
また、こうした中、子どもたちの無事安全を、わが子以上に心配してくださっている教育本部の皆様方のご苦労が思われてなりません。

「『人間性を形成する』──これこそはわれわれの世紀の誉れだ」
ドイツの大文豪ゲーテが若さ日に師と仰いだ、文学界の指導者ヘルダーの叫びです。
教育は、人から人へ、人間性の真髄を生命深く育み、伝えゆく聖業です。
教育は、たゆまずに人間を創り、文化を創り、平和を創る力です。
教育は、人生の黄金の柱、社会の黄金の柱、未来の黄金の柱です。

学会は「創価教育学会」として、この教育から出発しました。いな、私たちは永遠に「人間教育」を起点とします。
初代・牧口常三郎先生も、教育者でした。
第二代・戸田城聖先生も、教育者でした。
そして、第三代の私も、教育こそ人生の総仕上げの事業と定めてきました。
牧口・戸田両先生の悲願であった、創価学園・創価大学、また、世界各地の創価幼稚園、さらにアメリカ創価大学を創立し、師の構想の通り、社会に人類に貢献しゆく英才を育成してまいりました。
この三代にわたる大情熱を直接に受け継いで、最前線の現場で献身してくださっているのが、敬愛する教育本部の皆様方なのです。
日夜、子どもたちのため、どれほど真剣に祈り、悩み、努力を重ねておられることか。人間教育の不二の盟友である皆様方のことは、私の胸奥から離れたことはありません。
とりわけ、教育の危機が憂慮される現代にあって、幾多の難問に直面しながら、懸命に力闘されている、誉れの青年教育者の友に、私は少しでもエールを送りたいと常に思ってきました。
これまでも折々に、教育への提言を発表してきました。今回は、青年教育者の方々と、わが創価大学のキャンパスで語り合うような思いで、教育に関する所感を綴らせていただきます。

2012年2月1日水曜日

2012.02.01 わが友に贈る

壁を破る力は
勇気だ!忍耐だ!
「私は勝った」と
胸を張って叫べる
黄金の一日一日を!

同生同名御書 P1114
石を珠といへども珠とならず珠を石といへども石とならず

◇希望の明日へ
一家においても、広布においても、婦人の存在と活躍が、いかに大きく大切であるか。婦人が"一家の太陽"として、朝から元気に働き、家族や地域のために活動する一家は、おのずと夫や子どもも生き生きとしている。また正義のために祈り、戦う婦人部が盤石であれば、学会は盤石である。

☆折々の指導No.20 師弟で勝利の土台を築け(後継の友へ)
今までの100倍、力を出そう! それくらいの気概を持たなければいけない。どんなに厳しい状況であっても、その中で悪と戦い、善を伸ばしていくことだ。
いくら才能があっても、広布のため、学会のため、師匠のために戦う心が燃えていなければ、勝利の道を開くことはできない。
師弟──この一点があるかどうか。すべては、これで決まる。
心に師弟があれば、人を見下したり、増上慢になりはしない」
「嵐の中で、勝利の土台を築くのだ。
皆を救いたい。守りたい。励ましたい。その強い一念をもって戦い抜いていけば、それがそのまま永遠の歴史になっていく。
たとえば、話は下手でも、真剣勝負で広布へ戦う。どんなところでも、真面目に誠実に戦う。その人が学会っ子であり、大事な人材なんだ。
自分の力を振り絞るのだ。必死で祈り、戦えば、力は無限に湧いてくる