生命尊厳の仏法を
時代は求めている!
創価の旗を高く掲げ
自信満々と語れ!
如説修行抄 P505
『諸天善神は天蓋を指し旛を上げて我等を守護して慥かに寂光の宝刹へ送り給うべきなり、あらうれしやあらうれしや』
◇希望の明日へ
婦人は、ときには夫に対しても毅然と意見を述べることが大事であろう。御書には妻を"弓"に、夫を"矢"に誓えられている。矢が飛んでいくのは弓の力による。同じように、夫が広布の道を走り抜いていけるか否かは、夫人の信心の力による。現にこれまで退転した幹部は大なり小なり、夫人の信心が弱かった場合が多い。
☆平成24年2月号大白蓮華巻頭言 「華陽の青春は朗らかなり」
勝利咲く
幸福のスクラム
女子部かな
尊き使命に
功徳溢れむ
「文明とは何か?」──この大きな問いに、アメリカ・ルネサンスの哲人エマソンは、きっぱりと答えた。
「それは、良き女性の力なり」と。
女性の声が朗らかに響き、女性の智慧が伸びやかに発揮される。そこにこそ、人類の文明の光はあるのだ。
ああ、若き華陽の乙女たちの乱舞は、何と大いなる希望であろうか!
今、私と妻の何より心弾む喜びは、日本中、世界中で、花の女子部が溌刺と躍動して、平和と幸福の連帯を広げてくれていることだ。
昨年二月に大地震に見舞われたニュージーランドでも、日本の東北と同じように、わが女子部の真剣な祈りと行動が、皆に勇気を贈っている。学会創立の日には、首都ウェリントンの国会議事堂で、オセアニアの華陽会の総会が清々しく開催された。
一昨年、震災に襲われた南米チリの女子部からも、友情の輪を大いに広げ、白蓮グループも鼓笛隊も倍増しましたとの便りを頂いている。
「女子部は教学で立て」とは、永遠の指針である。正しき仏法の明鏡を心に持った女性は、いかなる濁世にも惑わず、いかなる苦難にも負けない。友と研鐙し合いながら、価値ある青春を聡明に進んでいけるのだ。
女子部時代に学ぶ御書30編の一つ「一生成仏抄」には『妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり』(P383)と仰せである。
女子部の一人一人が、最も尊貴な仏であり、妙法蓮華の当体である。ゆえに、人と比べて自分を卑下して、クヨクヨする必要など、全くない。
現実は、思うようにいかないことや自信を無くすこともあるだろう。
しかし、目と耳と口の三重苦を乗り越えて、社会貢献を貫き通した、あのヘレンーケラーも綴っている。
「失敗は一生の充実を勝ち誇る勝利の証拠である」と。
いわんや、変毒為薬の妙法に生き抜く乙女は、どんな苦しみも、必ず楽しみに転じていくことができる。
恩師・戸田城聖先生は言われた。
「悩みのない人などいない。何でも祈りに変えるんだよ。祈りは、誰もが善と幸福へ向上していける究極の力だ。祈れば勝ちだよ」と。
信心強き女子部が、一人、快活に立ち上がれば、家庭も、職場も、地域も、明るい希望の活力が広がる。
私の妻も、あの六十年前の蒲田支部の「二月闘争」に、支部婦人部長である母を支えながら、女子部の班長として懸命に奔走した。
友人たちとの仏法対話に生き生きと励むとともに、実家での座談会に職場の上司を案内してもいる。お母さん方と集ってきた幼子たちも笑顔で迎え、学会家族の思い出を刻んだ。
大事なことは、勇気の一歩である。今、自分ができることから、一日一日、一つ一つ、挑戦していくことだ。そこに、どんな試練にも押しつぶされぬ無限の仏の力が湧き出でる。その積み重ねが一生の幸福の土台となる。これが華陽の青春である。
『自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり』(P761)
この歓喜の哲学を胸に、創価の乙女たちよ、互いに励まし合い、支え合いながら、勝利の春へ「心の財」を積みゆけ!
大舞台
舞いに舞いゆけ
朗らかに
私も見つめむ
祈り願いて