時光御返事 P1550
『此の時光が麦何ぞ変じて法華経の文字とならざらん、此の法華経の文字は釈迦仏となり給い時光が故親父の左右の御羽となりて霊山浄土へとび給へかけり給へ、かへりて時光が身をおほひはぐくみ給へ』
◇希望の明日へ
倣慢は臆病とセットになっている。そして謙虚さは勇気と表裏一体である。たとえだれに倣慢と思われようと、法を中心に生き、広宣流布を根本として生きる人は、つねに変わらない。いざという時は、いよいよ力が出る。反対に自分を中心にして、うまく泳いでいるだけの人は、正法の勢力が強く、自分に利用できるときには、そちらにつき、形勢が変わると敵方にさえついてしまう。
☆我らの勝利の大道No.65 輝け「青年学会」の旭日
「青年学会 拡大の年」が開幕した。何と瑞々しい、心躍るテーマであろうか。創価の師弟の精神を壮大に広げ、万代までも刻みゆく一年の出発だ。
広宣流布の実戦の中でこそ、人材は見出され、逸材は台頭してくる。原石の如き若き命を磨き、ダイヤの如く光り輝かせゆくのが、学会活動の偉大さである。
私は八十四歳を迎える。六十歳で「還暦」すなわち「年が還る」ことを踏まえれば、「第二の二十四歳」のスタートとなる。
六十年前の二月、二十四歳の私は、新たな広宣の拡大へ、奮然と打って出た。
当時、各支部では、月に百世帯の折伏が精一杯で、それが壁になっていた。
師・戸田城聖先生が宣言された七十五万世帯の達成への道のりは、あまりに遠い。誰かが壁を破らなければならなかったのだ。
御書には、『よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり』『師弟相違せばなに事も成べからず』(P900)と仰せである。
「師弟」という一点に徹し抜く時、いかなる壁も打ち破る力が生まれる。
「師恩にお応えしてみせる」「師匠に喜んでいただくのだ」−−私はこの一心で、蒲田支部の支部幹事として指揮を執り、一支部で月に二百一世帯という過去最高の弘教を成し遂げた。
皆、貧しく、誰もが多くの悩みを抱えていた。しかし、創価の師弟に連なり、崇高な地涌の菩薩と生まれ変わって、折伏行に邁進してくれたのである。功徳の花も爛漫と咲き薫った。
これが、全学会の前進の突破口を開いた、誉れの「二月闘争」である。まさに「青年学会拡大」の原点といってもよい。
私の心には今も"二十四歳の青年"の大情熱が燃え盛っている。青年と共に、青年の心で壁を破り、広布拡大に生き抜くのが、青年学会の永遠の伝統である。