リーダーが率先して
友好へ打って出よ!
仏縁を広げゆく
勇気の一歩を!
上野殿御返事 P1554
『こうへのどの(故上野殿)をこそいろあるをとこと人は申せしに其の御子なればくれないのこきよしをつたへ給えるか、あいよりもあをく水よりもつめたき冰かなとありがたしありがたし』
◇希望の明日へ
壮年部の皆さまは、まだまだ若い。なかには年配の方もおられるが、今は平均寿命も大きく延びており、入信時の牧口先生の年齢からみれば、いよいよこれからである。意気盛んに、"さあ!これからだ"と、はつらつと広宣流布に前進していただきたい。そして"信心とはかくあるものだ""これが信仰者の生き方だ"というものを証明し、見事な人生の総仕上げをしていただきたい。
☆若き君へ 新時代の主役に語る 「大人になる」とは
大聖人は、満20歳の南条時光に、こう呼びかけられました。
『願くは我が弟子等・大願ををこせ』(P1561)と。
熱原の法難という、入信間もない農民信徒たちが迫害された大難の渦中、大聖人が信頼し、奮闘に期待を寄せられたのは勇敢な青年でした。
私の恩師・戸田城聖先生も、よく「南条時光を見習っていけ」と言われました。
時光は今で言えば"学会2世"です。亡くなった父の信仰を受け継ぎ、16歳で、自ら駿河国(現在の静岡県中央部)から身延の大聖人のもとへ馳せ参じています。
自発求道の青年でした。心に誓いが燃えていました。可愛い弟の不慮の死去に際しても、悲しみの母を支えました。自身の大病も厳然と乗り越え、仏法への確信を深めています。そして、日興上人と共に地域の中心的存在として、一生涯、戦い抜きました。
私か時光を偉いと思うのは、彼は少年時代の誓いを、大人になっても忘れなかった。そして、迫害に立ち向かい、矢面に立って、同志を守り、師匠をお守りし抜いたことです。
逆説的な言い方になるかもしれないが、若さ日の誓いを、生涯、忘れなかったからこそ、信念の「大人」になったとも言える。ここに、大聖人が示された「大願」に生き抜く人生の強さがあり、深さがあります。
大きな願いを立てるということは、それだけ大きな人生が開けるということです。広宣流布は、人類を幸福にし、世界を永遠に平和にしていこうとする、究極の大願なのです。