2012年1月5日木曜日

2012.01.03 わが友に贈る

新聞休刊日

如説修行抄 P501
真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには三類の敵人決定せり

◇希望の明日へ
大聖人は"日蓮をうらんではなりません"と。退転した人々は、苦悩の境涯に堕ちてから「日蓮をうらむ」という性癖がある。このことを熟知されたうえでの仰せと拝される。退転したゆえの苦しみ。それは、生命の内奥では、想像を絶するほど寂しく、暗い、苦悶の境涯となる。もっていき場のない苦しみ、瞑り−−"生命の地獄"である。もっていき場がないゆえに、その苦しみを、大聖人にぶつけるのである。そうだとすれば、筋違いもはなはだしいが、この心理は、現在も共通する。学会はどすばらしい、温かな民衆の和合の団体は、絶対にない。この麗しい真心の世界にいられなくなり、学会から去っていった退転者、背信者らは、自ら落ち込んだやり場のない地獄の苦しみを、学会への"うらみ"に転化し、誹誘、中傷するのである。文字通り自業自得なのだが、自分が悪いとは絶対にいわない。

☆我らの勝利の大道No.65 輝け「青年学会」の旭日
従藍而青−−青は藍より出でて、而も藍より青し。
弟子は師匠以上に立派に育ちゆけとの意義である。
日蓮大聖人が南条時光の母に送られた御聖訓には、『法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし』(P1505)とも綴られている。
去年よりも今年、昨日よりも今日と、まず自分自身が、いよいよ生き生きと、いよいよ張り切って前進する−−これが、妙法流布のりーダーの証しである。
「たえず変化し、新しくなり、若返り、停滞しないようにするのが人間じゃないか」と、大文豪ゲーテは言い切った。"成長し続ける人"を「青年」と呼ぶのだ。
「もし人、年をとりたくなかったならばよろしく大いに鵬大なる理想をいだくべきである」−−本年、生誕百五十周年を迎える、東北の偉人・新渡戸稲造博士も、こう言っている。
広宣流布という最高無上の理想へ向け、一日一日の着実な成長が、何より大切である。その一歩一歩が、黄金の足跡と輝くのだ。
戸田先生は語られた。
「理想は天下国家を救うにあり、身近なものは足もとを固めていく−−こういう生活をする立派な青年であってほしい」