特に高齢の方々へは
転倒防止などの配慮を。
夜間は危険度も増加
無事故の声掛けを必ず。
四恩抄 P936
『日蓮はさせる妻子をも帯せず魚鳥をも服せず只法華経を弘めんとする失によりて妻子を帯せずして犯僧の名四海に満ち螻蟻をも殺さざれども悪名一天に弥れ』
◇希望の明日へ
学会の、どの地域を見ても、男性のリーダーが女性を大切にしているところは、全体が仲良く団結し前進している。励ましがあり、人間的な潤いがある。そもそも、現実の広布の戦いにおいて、何でもいちばん働いてくださっているのは、婦人部である。叱るなんて、恐れを知らない人々である。ともあれ、婦人、女性を大切にできる組織、また家庭には"進歩"がある。"楽しさ"と"大らかさ"ある。"和合"がある。ゆえに"功徳"がわくのである。
☆我らの勝利の大道No.66 師弟常勝の関西魂
巌窟王
三世に勝ち抜け
大関西
「関西魂」とは──
「負けじ魂」である。
「不屈の魂」である。
「師弟の魂」である。
「団結の魂」である。
「常勝の魂」である。
ゆえに、脈々と受け継がれている「関西魂」こそ、学会永遠の宝なのだ。
それは、50年前(昭和37年)の1月25日。厳寒の日々にあって、希望の扉を開くように柔らかな光が差し込む朝であった。忘れもしない「大阪事件」の無罪判決の日である。
「池田大作は無罪」──裁判長の凛然とした声は、今でも耳朶から消えない。
法廷から関西本部に戻る車中、銀色に輝く堂島川を見ながら、師を偲び、勝利の報告をした記憶は、昨日のことのように鮮明である。
「大阪事件」は昭和32年に起こった。創価学会という新たな民衆の平和勢力の台頭を阻もうと、国家権力が牙をむいたのだ。そして関西での大発展を指揮する私が標的となり、不当逮捕されたのである。
もとより、私に着せられた選挙違反容疑など全く事実無根である。だが、担当の弁護士は、私に言った。
「無実であっても、検察の主張を覆すことは難しい。有罪は覚悟してほしい」
日本では、検察が起訴した刑事事件の有罪率は99パーセント以上だと言われてきたとはいえ、あまりに情けない弱腰であった。
権力の横暴の前に、真実と正義が押しつぶされる。何の罪もなき人間が、闇に葬り去られる──そんな不当な壁、不条理の壁を、後世のために打ち破りゆく戦いでもあったのだ。
「無実の事で罰せられる以上の不正はまさしくない」──これは、18世紀フランスの言論の闘士ボルテールの憤怒であった。
彼は「人は正義を要求するときにきわめて強力」になると断言した。
戸田先生の最晩年、私が裁判のため大阪に行くことをご挨拶すると、力強く病床から語ってくださった。
「君は、私のため、学会のために、罪を一身に背負おうとしてくれた」
「裁判は容易ならざる戦いになるだろう。しかし、最後は勝つ。金は金だ。真実は必ず明らかになる」
先生の弟子として、断じて勝つ。絶対勝利の誓いを胸に、4年3カ月にわたる法廷での戦いに挑んだ。
初公判は、昭和32年の10月18日。大阪入りしたのは、前日である。
「関西の方々に、これからまた長い期間、お世話になりますので、ご挨拶を」と妻も同行した。この晩、4軒ほど同志のお宅を訪問させていただいた。
初公判の夜には、神戸大会に出席し、大兵庫の友と新たな前進勝利を約し合ったことも、誠に懐かしい。
無罪までの公判は実に84回。私の出廷は23回を数えた。
だが、この法廷闘争のための一回一回の関西訪問もまた、大好きな関西の同志と私が共に綴った黄金不滅の共戦譜となった。
さらにまた、この「大阪事件」の真実の歴史を、未来部時代に学んだことが契機となって、庶民を護り、正義を護り抜く力ある弁護士が多数、誕生していることも、嬉しい限りだ。