うがい、手洗い、
マスク着用で予防せよ。
室内の換気も大切だ。
賢く健康第一で前進!
当体義抄 P512
『所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり、正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業苦の三道法身般若解脱の三徳と転じて三観三諦即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり』
◇希望の明日へ
壮年部に対しては尊敬と感謝の念で接していただきたい。壮年は社会での仕事も大変である。あらゆる面で責任も重く、気苦労も多い。体も若いころのようには動かない。そうしたなか、一般社会では、多くの壮年が理想もなく、ただ現実に埋没して生きている場合があまりにも多い。それにもかかわらず、壮年部の皆さまは、日々広宣流布のために活躍してくださっている。人類のため、大切な仏子のために、祈り、考え、行動しておられる。まことに尊く、ありがたい存在である。心から尊敬し、感謝していくべきである。仏法の目から見れば、世間のいわゆる有名人等よりも、比較にならないほど偉大な方々である。また、人間としても尊極の生き方をしておられる。
☆若き君へ 新時代の主役に語る 「大人になる」とは
青年が、今、どんな希望を抱いて戦っていくのかで、未来は決まります。
『未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』(P231)です。
戸田先生は「青年は望みが大きすぎるくらいで、ちょうどよいのだ。この人生で実現できるのは自分の考えの何分の一かだ。初めから望みが小さいようでは何もできないで終わる」と言われました。ですから、自分らしく伸び伸びと希望を広げてください。
そもそも、恩師ご自身が、大いなる希望に生き切られたからこそ、あの偉大な戸田先生になったのだと私は思います。
恩師は20歳の時の日記に、「国家の人材」「世界の指導者」としての大任を授かるように、心身を鍛錬し、その大任を果たせるように自己を磨かずにはおかないとの決意を記されています。そして「今日の人のそしり、笑い、眼中になし。最後の目的を達せんのみ」と。牧口先生と師弟の出会いを刻んで間もなくのことです。
どんな時にも、希望を満々と漲らせた先生でした。そして、誰よりも努力された先生でした。
大いなる希望があれば、どんな苦労も耐えられる。どんな努力も惜しくありません。自分の胸中にあって、自分を励まし続けてくれる宝、それが希望です。
戸田先生は、牧口先生の弟子として広宣流布の大願に生き抜くことを決められました。その時、それまでの苦労も全部、生きてきたと言われています。そして、民衆に限りない希望と勇気を送っていかれたのです。
私たちには「絶対勝利の信心」があります。この信心を根本に、広宣流布という平和と全人類の幸福を目指す「大願」に向かって進む時、自分の希望も必ず叶う。
たとえ、願った通りにならなかった場合でも、その人にとって一番いい方向に進むことができるのです。長い目で見れば、それを必ず確信できます。