2011年10月31日月曜日

2011.10.31 わが友に贈る

励ましの真髄は
話をよく聞くこと。
悩みを解決するまで
共に祈り、動くことだ。
個人指導の名手たれ!

御義口伝巻上 P709
文句の一に云く「如是とは信順の辞なり信は則ち所聞の理会し順は則ち師資の道成ず」と

◇今週のことば
さあ 創立の月だ。
満々たる生命力で
勇猛精進を!
新しい友をつくり
新しい時代を開こう!

2011年10月31日

◇希望の明日へ
信心の誉れとは、それぞれの立場で、正法の実証を示し、周囲に揺るぎない共感の輪を広げきっていくことにはかならない。たとえば芸術部員なら芸術の世界で"やっぱり、あの人は違う。さすがだ"といわれる人に。学術部員やドクター部員も同じである。また、社会人は社会人として、学生は学生として、壮年は壮年として、婦人は婦人として、"さすが信仰者は、本当にすばらしい"と、人々にいわれることである。

▽青年よ朝に勝て!一日の勝利の根本だ。朗々たる勤行と元気な挨拶で出発

2011年10月30日日曜日

2011.10.30 わが友に贈る

挑戦の人生は朗らか。
「断じて勝つ」と
決めて、祈って
勇んで行動だ!
張り切って進め!

檀越某御返事 P1295
御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり

◇希望の明日へ
真に富める人、それは"永遠なるもの"をもつ人である。その永遠なるものは、妙法であり、信心しかない。そのうえで、現実は現実である。社会は社会である。生活は生活である。学会員は決して敗北者になってはならない。ゆえに、永遠なるものの境涯の大地に立って、変化しゆく現実の生活を、勝利で飾っていただきたい。その現実の実証への努力が、また再び、永遠なる信心の領域での原動力となっていく。ここに信心即生活、仏法即社会という正しき歩みがある。

2011年10月29日土曜日

2011.10.29 わが友に贈る

全国各地で
青年の活躍が光る。
拡大の歴史を創れ!
君たちこそ
未来の輝く希望だ!

四条金吾殿御返事 P1143
一切衆生南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文あに自受法楽にあらずや

◇希望の明日へ
広宣流布のために苦労したことは、全部、永遠の大福運になる。生々世々、計り知れない大境涯の自分自身となることは、間違いない。ゆえに今世の真剣な修行が大切となる。日蓮大聖人は『一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』(P970)と仰せである。

2011年10月28日金曜日

2011.10.28 わが友に贈る

病魔に負けるな!
断じて健康になって
広布のために戦うのだ。
この使命感を燃やす時
無限の生命力が湧く!

四条金吾殿御返事 P1151
賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利衰毀誉称譏苦楽なり

◇希望の明日へ
広宣流布のために働いたことは、すべて自分の善根となる。広布の団体・創価学会のために行動したことは、すべて自身の福徳となる。仏法には、いっさい、無駄がない。因果の理法は絶対である。他の世界では"要領"が通用したとしても、仏法の世界では、陰の労苦、目に見えない一念が、そのまま結果となって現れる。ゆえに、だれが見ていようと、いまいと、勇んで行動することである。

▽リーダーは連絡・報告を迅速に。これが勝利の道。遅くては同志を守れぬ!

☆新人革 福光47
日蓮大聖人の仰せのままに、広宣流布を推進している、地涌の菩薩の集いが創価学会であります。ゆえに、学会活動以外に、現代における仏道修行はありません。
学会活動は、人びとに絶対的幸福への道を教え、人間の生命を変革し、社会の繁栄を築き、世界の平和を実現していく、唯一の直道です。それは、地味で、目立たぬ作業でありますが、仏の使いとしての行動であり、地涌の菩薩の聖業です。なればこそ、真剣に学会活動に励むならば、仏、菩薩の大生命が涌現し、自身の生命は浄化され、歓喜、福運に包まれていくんです

2011年10月27日木曜日

2011.10.27 わが友に贈る

新聞を手にした瞬間
伝わる真心の温もり。
配達員ありて広布あり!
どうか健康・無事故で。
周囲も最大の配慮を!

種種御振舞御書 P912
一丈のほりをこへぬもの十丈二十丈のほりをこうべきか

◇希望の明日へ
この御本尊の無限の仏力、法力も、信心なくしては発揮され得ない。この信力、行力を教え、一人一人の生命から引き出してきたのが創価学会である。ゆえに学会には真の功徳が充満している。

☆折々の指導No.014 勝利の太陽を昇らせよ〈後継のリーダーへ〉
「どれほど苦労して、創価学会の礎がつくられたか。それだけは、よく、わが生命に刻んでいくんだよ」
私は世界的な学会を築いた。恩師・戸田先生の苦労を、わが身の苦労として尽くしました。平和のために。広宣流布のために。
師匠に尽くす心を持ち続ける人は、偉い。それがなければ、いくら功成り名を遂げても偉くない。いつしか行き詰まるものだ」
どこまでも純粋な気持ちで、師匠を宣揚していくことが、結果的に勝利となる。
戸田先生から教わったことも、その一点だ。簡単なようだが、これが不変の真実だ
「戸田先生の事業が挫折した時、多くの人は逃げ去った。私は、ただ一人、先生をお守りし抜いた。
すべてを先生に捧げた。少しでも先生がお元気になればと、それだけを祈り、戦った。題目を、あげて、あげ抜いた」
「ようやく事態が上向きになった時、戸田先生は『大作! 太陽が昇った感じがする』とおっしやった。
一番、大変な時に戦うから偉いんだ。貧乏で立場のない人間が頑張るから偉いんだ。
人が何と言おうと、時代がどう変わろうが、師のために戦う。これだけは永遠に変わってはいけない。偉大な人間かどうかは、それで決まる

2011.10.26 わが友に贈る

会館や自宅など
戸締まりを厳重に。
火の元にも注意を。
絶対無事故こそ
第一の勝利なり!

椎地四郎殿御書 P1448
大難来りなば強盛の信心弥弥(いよいよ)悦びをなすべし

◇希望の明日へ
今、戦い切った人は功徳も大きい。"進まざるは退転""戦わざるは退転"−−これこそ戸田先生のモットーであった。戦った結果は、すべて心田−−自身の心の大地に、無量無辺の大福徳の種として植えられていく。三世永遠に輝く"心の財"が根づいていくのである。

▽英国の名門パッキンガム大学から名誉文学博士号。「池田博士は人間革命の模範」。副総長
▽一つの方針を定めたら、それを貫く意思力を持て−恩師。勝利の鍵は執念

2011年10月25日火曜日

2011.10.25 わが友に贈る

対話の相手が
耳を傾けなくても
心に種は植えられる。
必ず信頼が残る。
勇気凛々と語れ!

兄弟抄 P1083
各各随分に法華経を信ぜられつるゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金はやけば真金となる

◇希望の明日へ
信心があるかぎり、根本は、すべて良い方向へ、良い方向へと向かっているのである。いっさいの変化また変化が、すべて幸福へ成仏への動きとなる。そう確信し、何事も良い方向に、前向きにとって楽観していく。そして、さらに勇んで知恵を働かせ、道を開いていく−−そこに、いよいよ大福運がついてくる。いよいよ守られていく。功徳があふれんばかりにわきいずる。−−ここに、ひとつの信心の極意がある。長い目で見れば、信心強き人にはいっさいが功徳なのである。

▽「持たるる法だに第一ならば持つ人随って第一」。人間王者の誇りで前進!
▽頼る心があれば真の戦いはできぬ−恩師。リーダーは一人立て。拡大の先駆を

2011年10月24日月曜日

2011.10.24 わが友に贈る

新入会の友の誕生は
全同志の最高の喜び。
本当におめでとう!
信・行・学の実践で
共々に幸福の大道を!

乙御前御消息 P1219
軍には大将軍を魂とす大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり

◇今週のことば
青年の熱と力を
皆で糾合しよう!
若き地涌の陣列を
「二人・三人・百人と」
我らの大地に呼び出せ!
2011年10月24日

◇希望の明日へ
妙法の功力の基本は冥益である。祈った願いは、たとえ、すぐには目に見えなくても、必ず、結果が顕れてくる。地下水も、いつか地表に出る。植えられた種子は、春の"時"を待って、花を咲かせる。大樹も育つには一定の時間がかかる。仏法は道理である。ゆえに持続が大切である。

◎週末は風邪でダウン!ご迷惑をお掛けしましたm(__)m

2011年10月23日日曜日

2011.10.23 わが友に贈る

体験に勝る力はない。
生き生きと
功徳の喜びを語ろう!
仏法の哲理は
実証によって輝く!

崇峻天皇御書 P1174
蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし

◇希望の明日へ
信心しているからといって、何も起こらないとはかぎらない。しかし、何があろうとも、微動だにすることはない。妙法は「生死不二」「煩悩即菩提」の法である。御本仏の仰せ通りの信心の人には、いっさいが功徳となり、歓喜となる。時とともに、"万事これでよかった"という所願満足の軌道に入っていくのである。

☆「青年よ国士たれ」 国士訓 (『大白蓮華』1954年10月号巻頭言)
われらは、宗教の浅深・善悪・邪正をどこまでも研究する。文献により、あるいは実態の調査により、日一日も怠ることはない。いかなる宗教が正しく、いかなる宗教が邪であるか、また、いかなる宗教が最高であり、いかなる宗教が低級であるかを、哲学的に討究する。
諸君よ、目を世界に転じたまえ。世界の列強国も、弱小国も、共に平和を望みながら、絶えず戦争の脅威におびやかされているではないか。一転して目を国内に向けよ。政治の貧困・経済の不安定・自然力の脅威、この国に、いずこに安処なるところがあるであろうか。「国に華洛の土地なし」とは、この日本の国のことである。隣人を見よ!道行く人を見よ!貧乏と病気とに悩んでいるではないか。
「不幸」よ!汝はいずこより来たり、いずこへ去らんとするか。目をあげて見るに、いま、国を憂い、大衆を憂うる者はわが国に幾人ぞ。国に人なきか、はたまた、利己の人のみ充満せるか。これを憂うて、吾人は叫ばざるをえない、日蓮大聖人の大獅子吼を!
我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず』(P232)
この大獅子吼は、われ三徳具備の仏として、日本民衆を苦悩の底より救いいださんとのご決意であられる。われらは、この大獅子吼の跡を紹継した良き大聖人の弟子なれば、また共に国士と任じて、現今の大苦悩に沈む民衆を救わなくてはならぬ。

青年よ一人立て!
二人は必ず立たん、
三人は また 続くであろう。

かくして、国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである。
青年は国の柱である。柱が腐っては国が保たない。諸君は重大な責任を感じなくてはならぬ。
青年は日本の眼目である。批判力猛しければなり。眼目破れてはいかにせん。国のゆくてを失うではないか。諸君は重大な使命を感じなくてはならぬ。
青年は日本の大船である。大船なればこそ、民衆は安心して青年をたよるのである。諸君らは重大な民衆の依頼を忘れてはならぬ。
諸君よ!

2011年10月22日土曜日

2011.10.22 わが友に贈る

友のために尽くす
創価の若人こそ
社会の光!
我らの青年大会へ
皆で祈りと励ましを!

妙法尼御前御返事 P1403
此の経の題目は習い読む事なくして大なる善根にて候

◇希望の明日へ
感謝の一念は、福徳を増す。文句の心は、福運を消す。周りをも、もやもやとした霧で包んでしまう。どうせ生きるならば、楽しく生きたい。同じく信心するならば、すっきりと、妙法の無限の功徳を受けきっていける信心でありたい。

☆「創価栄光の集い」への創立者のメッセージ
はつらつと躍動する「情熱の日」、誠におめでとう!
共に学び、共に鍛え、共に走り、共に舞い、共々に成長しゆく、わが学園生のスクラムを、私は何よりもうれしく頼もしく見守っております。
昨日(11日)、私の大切な友人であるブラジルの教育者など各界のリーダーたちも、わが学園生との出会いに心から感動されていました。
20世紀のブラジルを代表する、ギマランエス・ローザという大文豪は高らかに叫びました。
「見よ! 世の中に最も大事で、美しいものは何であろうか。それは、人間が同じ状態ではいないことである。未完成でありながら、常に向上していることである」というのであります。
君たちが元気いっぱいに、一日一日、前進し、向上してくれていることこそ、私の心に光る最高の誇りであります。そしてまた、学園生の成長こそが、世界を照らす限りない希望の光であります。
現実の生活には、なかなかうまくいかないこともあるでしょう。苦しいことや、つらいこと、くやしいことも、あるに違いない。
しかし、だからこそ、自分を強く、大きくできる。だからこそ、深く、価値ある青春を開くことができる。その原動力が、若き命に太陽のように輝く大情熱なのであります。

私が世界の知性との対話の中で、模範の大指導者として、光を当ててきた一人に、アメリカの人権の父キング博士がおります。 この博士の崇高な使命の闘争の大いなる原点は、どこにあったか。
それは、生まれ故郷のアトランタでの高校生時代にありました。
キング青年は、通学で使っていたバスで理不尽な人種差別を受けました。当時、バスの前の方の席は白人しか座ることが許されておらず、キング青年も無理やり後ろの席に追いやられるという屈辱を味わったのです。
その時のくやしさを、こう語っています。
「私は結局自分の体をバスの後方に持っていったが、いつでもバスに乗りながら心は前方の席に残しておいた。そして一人でつぶやいたものである。
『いつかきっと私は心のある所に体も置いてみせるぞ』と」
(梶原寿訳『マーティン・ルーサー・キング自伝』)──つまり、いつの日にか必ず、平等にして尊厳な人間の社会を絶対に築いてみせると固く決意したのです。
この若き日の不屈の大情熱のまま、キング青年は学びに学びました。自分が力をつけなければ、何も変えられないからです。
やがてキング青年は、私と妻も語らいを重ねたアメリカの人権の母ローザ・パークスさんだちと共に、「バス・ボイコット運動」を起こし、ついに不当な差別を撤廃させていったのであります。
私は戦後の荒れ果てた時代に、人生の師匠と仰ぐ戸田城聖先生とお会いし、その直後に「希望に燃えて」という詩を詠みました。

希望に燃えて
怒濤に向い
たとい貧しき
身なりとも
人が笑おが
あざけよが
じっとこらえて
今に見ろ

これが創価の負けじ魂です。
私は戸田先生の弟子として、この心意気で、ありとあらゆる迫害に立ち向かい、どんな悪口罵買にも怯まず、戦い続けてきました。そして、世界に「平和」と「文化」と「教育」の揺るぎない民衆の大連帯を築き上げてきたのです。
私が未来の一切を託す学園生の皆さんにも、幾多の試練が立ちはだかるでしょう。
しかし、どんな時も希望に燃えて、「じっとこらえて 今に見ろ」という負けじ魂で、朗らかに、また朗らかに、強く、また強く、学び抜いていっていただきたいのであります。
どれほど偉大な使命を持ち、どれほど巨大な可能性を秘めた皆さんであるか。
わが学園生は全員、私と一緒に大勝利の人生を作り、私と一緒に不滅の歴史を創りゆく宝の大人材なのです。

終わりに、私の師匠・戸田先生が乙女たちに薦めた小説『若草物語』で有名な、アメリカの作家オルコットの言葉を贈ります。
「今日からすぐ始めましょうよ」(村岡花子訳『八人のいとこ』)
「少しずつでも続ければ大した進歩になるんだよ」(村岡花子・佐川和子訳『花ざかりのローズ』)
どうか、勉学と親孝行を忘れずに、今日も努力の一歩を、挑戦の一歩を、忍耐の一歩を、自分らしく踏み出していってください。
最も愛する学園生の健康と無事故と大成長を、私は創立者として、これまでにもまして、祈りに祈ってまいります。
一人も残らず、正義と勇気の青春であれ!
一人も残らず、平和と栄光の指導者に育ちゆけ!
と、心の底から叫んで、私のメッセージといたします。
皆さん、お元気で!
大好きな皆さん、万歳!
皆さん方の尊き父母、万歳!
負けじ魂の大情熱光る、わが学園生、万歳! 万歳! 万歳!

2011年10月21日金曜日

2011.10.21 わが友に贈る

仏法は煩悩即菩提。
悩みがあるから
祈りが深まる!
大きく成長できる!
根本は勇気の信心だ。

開目抄 P203
願兼於業と申してつくりたくなき罪なれども父母等の地獄に堕ちて大苦をうくるを見てかたのごとく其の業を造つて願つて地獄に堕ちて苦に同じ苦に代れるを悦びとするがごとし

◇希望の明日へ
御本尊への祈りは、絶対に叶う。因果倶時(原因と結果が同時に一念に具わっていること)で、祈りきったときに、すでに根底では叶っているのである。ただ、表面的には、すぐに結果が表れないときが多々あるであろう。その場合も、必ず何らかの深い意味がある。そのことは長い目で見れば、後で必ずわかってくるものだ。また利益には、顕益(はっきりと顕れる利益)と冥益(知らずしらずのうちに受けている利益)があるが、末法は冥益が中心である。樹木でも、種を植えてすぐ"実"が欲lしいというのは道理に反する。大樹であるほど、育つのに時間もかかる。学会員は、生命に成仏の種子を植え、育てている方々である。時きたれば、必ずや、豊餞な実りの枝を広げていくことは間違いない。想像もしなかったような大満足の秋を迎える。これが冥益である。

☆「創価栄光の集い」への創立者のメッセージ
晴れ晴れと「創価栄光の集い」、誠におめでとうございます!
私の心も、わが創大生、わが短大生と一緒です。尊き留学生をはじめ、皆さんの情熱あふれる演技も、英知光る展示や催しも、陰の労苦を惜しまぬ運営も、すべて生き生きと私の生命に映じております。
皆さんが体現している、この開かれた心と心の啓発、そして、この信頼と尊敬に基づく切磋琢磨の連帯にこそ、新たな「対話の文明」の黄金の光があると、私は声を大にして申し上げたいのであります。
ありがとう! 御苦労さま!
青年たちの躍動を温かく見守ってくださっている、日本を代表する経済界のトップの方々をはじめ、多くの来賓の皆様に、心から最大の感謝を申し上げます。激務のなか、本当にようこそ、お越しくださいました。
さらに、きょうは、中国とアメリカ、東洋と西洋を大きく結ばれる、世界的な知性であられるドゥ・ウェイミン博士を、わが創価大学の名誉博士としてお迎えすることができ、このうえない喜びであります。また、心からお祝い申し上げます。
思えば、私かドゥ博士と初めてお会いしたのは、16年前の1月26日、ハワイの東西センターでの私の講演の時でありました。
それは、あの阪神・淡路大震災の直後のことです。私自身、講演の前日ギリギリまで出発を延ばして日本に留まり、被災地への救援と激励を続けました。
この折、「平和と人間のための安全保障」をテーマとした私の講演の講評に立ってくださったのが、ドゥ博士なのであります。
その後、ドゥ博士と私か真剣な語らいを重ねて、対談集『対話の文明──平和の希望哲学を語る』を発刊したことは、ご存じの通りであります。
この対談での一つの重要な結論は何か。それは、「学ぶ文明、学ぶ人間は発展し成長する」。すなわち、「学びの心」こそが、人間と文明の勝ち栄えゆく原動力であるということであります。
どんなに栄えていても、傲り高ぶって、学ぶことを止めてしまえば、そこから、人生も社会も衰退せざるを得ません。
しかし、「学びの心」が太陽のように輝いていれば、決して行き詰まらない。必ず限りない成長と発展への活路を見いたしていけるのであります。
世界は、いやまして幾多の難題に直面しています。
だからこそ、恐れを知らず、疲れを知らぬ若き向学の君たちは「英知を磨くは何のため」との創大スピリットを胸中に響かせつつ、今こそ学んで学んで学び抜いて、人類の新たな価値の創造に挑んでいっていただきたいのであります。
本日、お迎えした各界のトップの方々も、若き日より、言うに言われぬ風雪を勝ち越えながら、崩れざる勝利の城を築き上げてこられた人生と社会の大英雄であられます。
ドゥ博士も、幼き日の乳母からの励ましを大切にされています。
それは、「苦労のなかの最大の苦労を耐えぬいた者のみが、人々を導く人になる」という教えです。これが、偉大な人生の真髄の哲学であります。
ゆえに、東北をはじめ、さまざまな試練に立ち向かう君たちも、「徹して強くあれ! 断じて負けるな!」と私は申し上げたい。
一番、苦悩と戦った人が、一番、苦悩する民衆の真の味方となれる。大恩ある父母をはじめ、より多くの人を幸せにすることができる。何ものにも揺るがぬ大指導者となれるのです。
さらにもう一点、崇高な師弟に生き抜いてこられたドゥ博士の叫びを、私はそのまま、わが最愛の弟子たる創大生・短大生に伝えさせていただきたい。
「師の真実は、不屈の弟子の努力と実践によって実現される」──と。
建設の槌音高き創大の新総合教育棟も、明後2013年には完成します。特色光る人間教育への取り組みも、一段と充実させていきます。私は創立者として、これからも一心不乱に、君たちの勝利の大道を開いていきます。
終わりに、近代建築の巨匠であるル・コルビュジエの言葉を申し上げ、私のメッセージといたします。
「今という時は建設のためにある」(吉阪隆正訳『建築をめぎして』)と。
さあ、短大開学30周年、そして、創大開学50周年へ、新たな大建設を開始しよう! 一緒に手を携えて、前進しよう!。
来賓の皆様に重ねて心より御礼を申し上げます。
わが創大生、万歳!。
わが短大生、万歳!

2011年10月20日木曜日

2011.10.20 わが友に贈る

「法華経を強いて
説き聞かすべし」
縁した一人一人に
正義と真実を語れ!
仏の使いの誇り高く。

四条金吾殿御返事 P1192
いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし、はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし

◇希望の明日へ
一番、苦労した人が、一番、幸福になる。これが妙法である。
一番、苦難と戦った人が、一番、境涯を開いていく。これが信心の大功徳である。

☆新時代第52回本部幹部会・中部総会でのメッセージ(3/3)
「仏になる道」とは、いかなる道か。今回の青年部教学試験1級で研鑽した「撰時抄」には、明快に仰せであります。
「日蓮が法華経を信じ姶めたことは、日本の国にとっては一滴の水、一粒の塵のようなものである。やがて、二人、三人、十人、百千万億人と、人々が法華経の題目を唱え伝えていくならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるであろう。仏になる道は、これよりほかに求めてはならない」(P288通解)と。
ゆえに、御本仏に直結する私たちが、一人また一人と、若き地涌の菩薩を呼び出していく。すなわち、わが「青年学会」を間断なく拡大していくことこそ、「仏になる道」なのであります。そして、それは人類を最高の幸福境涯へ高めゆく道であり、世界の平和の大海原を永遠に開きゆく道であります。
大聖人は弘安2年(1279年)の10月、門下一同に師子吼されました。
月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔だよりをうべし』(P1190)と。
この御聖訓通り、我らは月月・日日に強く、たゆまず前進し、あらゆる障魔を打ち破りながら、勝利勝利の歴史を打ち立てていくことを誓い合いたい。
共々に手を携えて、「この道」を朗らかに断固として勝ち進みましょう!
大中部、万歳!
世界の同志、万歳!
青年学会の拡大そして勝利、万歳!

どうか皆様、お元気で! 風邪などひかれませんように!

2011年10月19日水曜日

2011.10.19 わが友に贈る

真剣な朝の祈りから
一日の勝利を開け!
満々たる生命力が
一切の勝負を決する。
勢いある前進を

四条金吾殿御返事 P1183
いかにわろくともわろきよし人にも又上へも申させ給うべからず候、よきところよきところと申し給はば又かさねて給はらせ給うべし

◇希望の明日へ
広布の組織でまじめに学会活動をしきった人は、いざというときに必ず守られている。仮に病気になっても、軽くすみ、また命が助かっている。寿命を延ばしている。亡くなる場合でも、いったん良くなり、宿命転換の姿を示してから、安らかなすばらしい臨終を迎えておられる。また苦痛がない。法華経に説く「更賜寿命(さらに寿命を賜う)」という法理の一つの表れであろうか。そうした死は、福徳に満ちた、幸福な来世への荘厳なる出発である。また、後の一家、一族も守られていく。仏法の活動には、こうした厳たる大功徳が備わる。その意味で、今、健康なとき、また若いうちに、真剣に仏道修行に励みきっておくことだ。人生と仏法を甘く考え、要領よく手を抜いて、将来、悔いるようなことがあっては、あまりにも不幸である。ゆえに、あえて厳しく言っておきたい。

▽暑さ・寒さが転々とする季節。知恵と工夫で賢く体調管理。健康博士たれ

新時代第52回本部幹部会・中部総会でのメッセージ(2/3)
悩みのない生活など、ありません。苦労のない人生など、あり得ません。
一流の人ほど、見えないところで、人の何倍も悩み、苦労を重ねています。
どんな悩みや苦労があっても、絶対に負けない。その究極の力が信心です。
思えば、わが師・戸田先生は、健気な中部の弟子を励まして言われました。
「人間を不幸にする魔の働きに、断じて打ち勝つのだ。この信心は、試練を乗り越えられるだけではない。一つ一つの勝利を通して、揺るぎない人生の幸福の土台を築ける。より大勢の人を幸福にする力を持てる。そして、皆が永遠の福徳を積むことができる」と教えてくださったのであります。
ここに、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」という生命の大哲学があります。
この何よりも、生き甲斐と充実と誇りに満ちた人生の軌道を、私たちは、一人でも多くの青年に示しながら、一緒に晴れ晴れと進んでまいりたい。
戸田先生は胸を張って言い切られました。
「学会の青年部のたくましさ、この活力を吹き込まなければ、現代の青年層を本当に蘇らせることはできない」と。
その意味において、いよいよ日本中で開催される「創価青年大会」は、混迷の社会を根底から蘇生させゆく希望の挑戦といってよいでありましょう。
私も妻と共に真剣に祈っていきます。皆の団結で大成功させましょう!

◎皆さん、体調管理はしっかりと! 風邪に注意を!

2011年10月18日火曜日

2011.10.18 わが友に贈る

「月月・日日に
つより給へ」
さあ勇躍前進!
栄光の創立記念日へ
勝利の自分史を綴れ!

顕仏未来記 P509
天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り華の盛なるを見て池の深きを知る」等云云、妙楽の云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云

◇希望の明日へ
妙法を受持し、広布のために型き抜いていく一日がどれほどすばらしいか。一日生きれば、どれほど功徳を積むことができるか。永遠に朽ちない福徳の貯金をしているようなものである。それが確信できれば、少々の労苦など、何でもない。豁然と、日々、太陽が胸中に昇ってくる。一日一日、自分の人生を大切にし、生命の黄金の日記帳をつづっていただきたい。

☆新時代第52回本部幹部会・中部総会でのメッセージ(1/3)
愛する一番星の大中部から、新しい青年学会の夜明けを告げゆく本部幹部会、誠におめでとうございます!
懐かしい中部の講堂を埋め尽くした同志の皆さんの勇気凛々たる大合唱が、私の胸に響いてきます。
とともに、わが地域の宝の青年をこの会場へ温かく送り出し、本日の会合の成功を祈りながら、それぞれの使命の天地で広宣流布に奔走してくださっている多くの友がおられます。
その顔も私の生命の鏡には神々しく映っております。特に婦人部の皆さん、いつもいつもありがとう!
19世紀のブラジルの大文豪ジョゼ・デ・アレンカールは叫びました。
「もし永久不変のダイヤモンドが存在するとすれば、それは母の心である。母の心は、闇が深ければ深いほど輝きを増すからである」
全くその通りであります。
「今日も元気で」の歌声も爽やかな中部、さらに、はるばるとお越しくださったブラジル、マレーシア、台湾をはじめ、全世界の偉大なる創価の母たちに、私は、あらためて感謝の最敬礼を捧げ、健康長寿と一家のご多幸を、心よりお祈り申し上げたいのであります。

2011年10月17日月曜日

2011.10.17 わが友に贈る

真心の会場ありて
地域広布は進む。
提供者に深く感謝!
家族、近隣に配慮し
皆で大切に!

御義口伝下 P762
悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり

◇今週のことば
我が支部こそ!
我が地区こそ!
復光の太陽である。
多くの友を招いて
幸の連帯を広げよう!

2011年10月17日

◇希望の明日へ
仏法の世界には、いっさい、無意味なことはない。もっとも大変なところで苦労した人に、もっとも功徳が薫る。もっとも地味な陰の努力に徹した人に、もっとも栄光が輝く。これが冥の照覧である。

☆随筆 我らの勝利の大道No.61 未来を開く青年大会(9/9)
「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」
戸田先生が発表された「青年訓」は、この鮮烈な言葉から始まっている。
発表から六十周年──。その言々句々は、今なお私の胸奥で輝き続けている。
「熱」とは、友を思い、友を救おうとする「熱誠」であり、広宣流布への「熱願」である。
「力」とは、信・行・学の実践でしか鍛えられない「行動力」であり、「突破力」である。

御書には、『各各なにをかなけ(歎)かせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まい(舞)をも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをど(踊)りぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をど(踊)りてこそい(出)で給いしか』(P1300)と仰せである。
私は関西で、この御文を深く拝しながら、若々しい「熱」と「力」を思う存分に結集し、皆で舞を舞うが如く、心伸びやかに、拡大の歴史を残した。
ともあれ、後継の青年部の諸君が、名実ともに世界の最前線で縦横無尽に指揮を執る時が到来した。
先駆の英雄・学生部よ、正義の旗を!
秀麗なる女子学生部は、勝利の青春を!
華陽の天女の女子部よ、使命の華と舞え!
そして、不二の若獅子たる男子部よ、断固として勝ちまくれ!。
私の後継者は、君たち一人ひとりだ。
創価青年学会の永遠の発展は、一に今の君たちの世代の奮闘にかかっている。
今再び、民衆の壮大なる平和と正義の連帯の拡大を宜しく頼む。断じて頼む。

厳とした
 勇気と正義の
  信念の
 青年部ありせば
  未来は盤石

2011年10月16日日曜日

2011.10.16 わが友に贈る

若い人たちの
挑戦と努力を応援!
共に動き 語り
褒め讃えていこう。
自信が力になる!


立正安国論 P31
汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か

◇希望の明日へ
愚痴も嘆きも恐れもない、晴れやかな、強気の信心、勇気の一念。そこにこそ、妙法の偉大な功力は涌現する。強くなければ、真の功徳は味わえない。私は、あらゆる障害に一歩も退かず、正法を守り、学会を守った。ゆえに御本尊から、偉大なる功徳を頂戴したのである。

☆随筆 我らの勝利の大道No.61 未来を開く青年大会(8/9)
折伏は「難事中の難事」である。なかなか、弘教が実らず、悩んでいる友もいるであろう。
私自身、本当に苦労した。試行錯誤の連続であった。若き日の日記に、こう記したこともある。
「(友への)折伏の手紙、全部送り返される。正法を求める人の少なきを悲しむ。戦いは、毎日激烈を極む。唯、勝つことを願い、前に前に進む以外の道なし」
「(同志と)共に、大森に折伏にゆく。自分の折伏の下手くそに全く困る」

一生懸命に話しても、なかなか相手に通じず、悲しく、悔しい思いをする。しかし、さらに祈り、学んで、次は対話を実らせていこうと努力する。
上手くいかなかった佗しさなど、すぐに忘れ去って「次は断じて勝つ」と、たくましく挑戦を開始する。
この「能忍(能く忍ぶ)」の心を持ったことが生命の勝利だ。そして必ず、わが決意の通り、一念の通りに花開いていくのが「一念三千」の法理である。
その不屈の根性を誰よりもわかってくださっていたのが、戸田先生であった。
師はよく言われた。
「人に聞かしているだけで、それは折伏であり、聞法下種になるのです。すぐ功徳は出る」
折伏は、実っても、実らなくても、功徳は厳然とある。自身の成長と人間革命に直結し、相手への仏縁と真実の友情が広がることは絶対に間違いない。
幾多の先輩が、その実証を示してきた。折伏の実践のなかで、自らも境涯革命し、家庭革命し、職場にあっても勝利の結果を出して、信頼を広げてきたのである。
ゆえに自分らしく、何があっても、朗らかに強く、身近な友から一人、また一人と、地道に誠実に語っていけばいいのだ。
「雄弁は、言葉を選ぶところにもあるが、同時にまた、話す人の声の調子にも、目にも、顔の様子にもある」──フランスの文人ラ・ロシュフーコーの蔵言である。
自信なさそうに語れば、いくら正しいことを言っても伝わらない。題目を朗々と唱え、満々たる生命力で対話していくことが、何よりも重要なのだ。

満天下
 創価の君らが
  立ちゆけば
 世紀の勝ち関
  天まで響かむ

2011年10月15日土曜日

2011.10.15 わが友に贈る

大目標を定めよ
日々の課題を明確に。
曖昧は空転の元だ!
栄光をつかむまで
弛まずに挑み抜け!

諸法実相抄 P1361
鳥と虫とはなけどもなみだをちず、日蓮はなかねどもなみだひまなし、此のなみだ世間の事には非ず但偏に法華経の故なり

◇希望の明日へ
自覚ある人は強い。不屈である。無限の知恵がわいてくる。そして確信ある人は強い。何物も恐れない。無量の力があふれてくる。無辺の福運に包まれていく。それが偉大なる御本仏の仏子としての、すばらしき功徳であり、栄誉なのである。

☆随筆 我らの勝利の大道No.61 未来を開く青年大会(7/9)
"人生の最大の楽しみ"とは何か。
百三十五年前に、福島で生まれた世界的な医学者・野口英世博士は述べた。
「貧苦の好友となりて彼等を救ふに在り」
目の前の悩める友と心を結び、同苦し、蘇生への道を共に歩んでいく。それこそ、最も充実した人生であると結論づけたのだ。
仏法哲学の実践は、その最先端といってよい。
野口博士の生家の近くには、今、我らの福島研修道場があり、尊き"福光"の宝城として、地域の方々からも広く親しまれている。
わが師は、折伏とは──
第一に、「自他共の幸福への最高手段」である。
第二に、「国土を隆昌させる一大秘訣」である。
そして第三に、「世界平和への最短距離」であると叫ばれた。

この宣言のままに、わが青年部は、今こそ勇気凛々と正義を語り、友と一生涯の幸福と平和の道を開いていってもらいたい。

2011年10月14日金曜日

2011.10.14 わが友に贈る

君よ大胆であれ!
何事も体当たりで
やってみることだ。
大いなる挑戦の心が
人生を大きく開く!

妙一尼御前御消息 P1253
法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる

◇希望の明日へ
信心の強い人を、厳然と守護する。これが諸天善神の約束である。ゆえに信心さえあれば、諸天の加護は間違いないのであり、何があっても恐れることや、悲しむ必要はない。朗々と題目を唱えながら確信ある信心で、人生の幸福を堂々と勝ち取っていただきたい。また、それを絶対に可能にしてくれるのが、信心である。

☆随筆 我らの勝利の大道No.61 未来を開く青年大会(6/9)
晴れ晴れと
 使命も深く
  哲学を
  平和の為に
  戦う尊貴を

先日の「青年部教学試験一級」では、多くの青年リーダーが真剣な研鎖の汗を流した。本当にご苦労様!
その尊き挑戦に、私は心からの大拍手を送りたい。
壮年部・婦人部の皆様をはじめ温かく応援してくださった先輩方にも、深く感謝申し上げます。

今回の試験範囲となった「開目抄」に仰せである。
我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず』(P232)
創価の三代の師弟が心肝に染めてきた最重要の御文である。
あの「国士訓」(青年よ国士たれ)でも、恩師・戸田先生は、この御文を拝し、こう師子吼された。
「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう。
かくして、国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」

発表された昭和二十九年当時、部員数は一万人ほどであった。十万人の陣列など夢のまた夢であった。
しかし、私はただ一人立った。師の言葉を全身で受け止め、一人また一人とメンバーを鼓舞していった。
そして、第三代会長就任の翌年──昭和三十六年の十一月五日、"精鋭十万"の勝利の大結集を、現実のものとしたのだ。
この時も、「教学」と「折伏」の両輪で大前進していた。
御書を開き、学んだ歓喜を語り、拡大のうねりを起こしていったのだ。
「行学の二道」──ここに学会の永遠の魂がある。
五十年の時を経て、今秋、「創価青年大会」が各地で行われる。私には、求道の心に燃え、生き生きと弘教の対話を広げゆく君たちの姿が、半世紀前の青年の群像と重なって見える。
まさに、広宣の闘士が集う創価青年大会は、二十一世紀の「若き地涌の菩薩の雲集」である。
会合を懸命に陰で支えてくれる運営のメンバーも多い。青年大会が無事故で開かれ、晴れ晴れとした意義深き"式典"とならんことを祈り、私は妻と共に、題目を送り続けている。

青春の
 鍛錬ありて
  一生の
 勝利と栄光
  君にぞ光らむ

2011年10月13日木曜日

2011.10.13 わが友に贈る

交通事故が多発!
会合の行き帰りなど
十分注意を!
強き祈りと警戒心で
一切の油断を排せ。

聖人御難事 P1190
各各師子王の心を取り出していかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず師子の子又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり

◇希望の明日へ
妙法の世界に連なることが、どれほどすばらしいことか。総じて、妙法のための労苦、広布のための悩みは、どんな小さなことであっても、かぎりない福徳となって、自身の生命を永遠に飾っていく。日蓮大聖人は『十方の諸天此れをしり給うべし』(P968)と仰せである。"信心の真心の行動は、全宇宙の諸天善神が、間違いなく照覧されている"と、御本仏はたしかに保証してくださっている。そして、あたかも小さなマッチの火が広大な草原に広がっていくように、妙法に連なる労苦は、宇宙大に広がりゆく大きな功徳に変わるのである。御本尊が、また諸天が全部、見ておられる。このことを確信すれば、凡知の人間による毀誉褒貶など、まったく問題ではない。

☆随筆 我らの勝利の大道No.61 未来を開く青年大会(5/9)
第三は、「電光石火のスピード」である。
戸田先生から任を受けた後、私は即座に山口県という土地の情報収集、そして日程の調整に動いた。
歴史は? 地理地勢は? 県民性は?
あらゆる情報を自ら調べ、布教への糸口を模索した。そして一回一回の訪問に、明確な課題を定めて、真剣勝負で挑んだのだ。
一回目で、現地の同志と心を一つに、闘争の火ぶたを切る。二回目で、拡大の突破口を開き、組織に勢いをつける。三回目で、拡大し抜く。そうやって勝利へ確実に布石した。
スピードは「リーダー率先」の証しでもある。リーダーに、魔を寄せつけぬ生命の気迫があるからこそ、スピードが生まれるのだ。
山口に滞在していない時も、私は悩んでいる友を思い浮かべ、電話や手紙で間断なく励ましを送った。
どうすれば、あの友を勇気づけられるか。この友の奮起を促すことができるか。時を逃さず、迅速に手を打ち、行動することだ。
大聖人は若き南条時光に『此の法華経を強く信じまいらせて余念なく一筋に信仰する者』を、釈迦・多宝をはじめ無量の仏菩薩や無数の諸天善神が『影の身にそふが如く守護する(P1528)と、厳然と約束してくださっている。
広宣流布の師弟の道を「一筋」に徹し抜く青年ほど、この世で強い無敵の存在はないのである。
ともあれ「決めて」「祈って」「行動する」──。
この勝利のリズムを、今、私の手づくりの中国方面をはじめ、日本全国さらに全世界の青年が生き生きと受け継いでくれている。
山口出身の青年詩人・中原中也は綴った。
「価値は努力の中にだけある」「行へよ! その中に全てがある」
君たちよ、正義と平和の大連帯を築け! わが愛弟子が繰り広げゆく、新たな広布の開拓闘争たる創価青年大会の有意義な大成功を、私は心から祈りたい。

永遠に
 功徳と名誉で
  飾りゆけ
 広宣流布への
  燦たる歴史を

2011年10月12日水曜日

2011.10.12 わが友に贈る

広布は総合力!
先輩は後輩と一緒に
呼吸を合わせていけ!
よく意見を聞いて
新しい活力を引き出せ。

立正安国論 P31
悦しきかな汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る

◇希望の明日へ
妙法の功徳には、祈りが直ちに利益となってあらわれる顕益と、最初ははっきりと目には見えないがしだいに福運を積み、大利益となってあらわれる冥益がある。たとえ祈りが直ちに叶わないように思える場合があっても、必ず、冥益によって、願いは叶っていくのである。

☆随筆 我らの勝利の大道No.61 未来を開く青年大会(4/9)
第二は、「祈りを合わせる」ことである。
一緒に戦ってくれる山口の同志は、ほとんどが新入会であった。派遣隊のメンバーも、全国各地から集ってきていた。病苦や経済苦など、自らの厳しい宿命と戦う友も多かった。
だからこそ、私は、この闘争に連なる方々が一人ももれなく、自他共に幸福の大境涯を開いていかれることを強盛に祈念した。機会を見つけては、共々に勤行し、唱題した。
多彩な同志の集まりの中で、どう団結していくか。
その要諦を、大聖人は、『自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして』(P1337)、一緒に題目を唱えていくことであると教えてくださっているのだ。
異体同心の「心」とは、「信心」である。
「広宣流布」という大願に心を合わせていくことである。そこに、個々人の「宿命転換」の願いも、全部、包含される。
深き同志愛で、苦楽を分かち合い、励まし合い、題目を送り合っていく──。明確なる広布の大目的に向かって、祈りを合わせた時、団結の力は、百倍、千倍、万倍にもなるのだ。

2011年10月11日火曜日

2011.10.11 わが友に贈る

新聞休刊日

生死一大事血脈抄 P1338
相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ

◇希望の明日へ
"あの先輩の指導を受ければ、病気も治り、功徳も大きい""指導を受けるのなら、その先輩でなければならない。この先輩ではだめだ"といった話があると聞いた。いうまでもなく、指導をだれに受けたかによって、功徳が異なることなど、絶対にあるわけがない。無量無辺の功徳をもたらし、福運を薫らせるのは、御本尊の仏力・法力である。決して指導する人間の力ではない。深き祈り、真撃な実践の人に、御本尊の功力は厳然と現れる。それは、一人一人の信心で決まるのである。

☆随筆 我らの勝利の大道No.61 未来を開く青年大会(3/9)
私は、この闘争で三つの点を重視した。
第一は、「勝利への揺るぎなき一念」である。
私が、この折伏闘争で、実際に山口を訪れることができたのは三度。のべ二十二日間という"短期決戦"である。恩師の事業と、学会の前進の一切を陰で支えながら、まさに時間との戦いであった。
加えて古参の幹部には、この開拓の戦いの意義を理解せず、なかなか協力してくれない人もいた。
お金もなかった。交通費も、わが家の電話債券を売って工面した。
しかし私は、勝利を断固として決意した。
「私は、広宣流布の拡大の師匠・戸田先生の直弟子である。ならば、拡大できないはずがないではないか!」──このように自らを奮い立たせ、戦いに臨んだ。負けてたまるか! 断じて勝ってみせる! と、戸田門下生の意地を燃え上がらせたのである。
「御義口伝」には、『一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり』(P790)と仰せである。
この日蓮大聖人の御指南のまま、「必ず勝つ」という師弟不二の一念で祈れば、無限の智慧が湧く。仏に等しい力が漲る。
そこから迸る確信の対話は、一人ひとりの生命を揺り動かし、仏性を呼び覚まさずにはおかないのだ。

2011年10月10日月曜日

2011.10.10 わが友に贈る

一人を大切に!
わが地区の隅々まで
激励の手を打て!
リーダーの大情熱に
同志は奮い立つ!

聖人御難事 P1190
月月日日につより給へすこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし

◇今週のことば
たゆまぬ行動のなかで
自身の境涯は開かれる。
「南無妙法蓮華経は
自行化他に亘るなり」
拡大へ 勇気の対話を!

2011年10月10日

◇希望の明日へ
一人一人の生命の「宝器(金剛宝器)」を、壊してはならない。せっかくの無量の福徳が、どんどん漏れていってしまうことになる。また器が清らかでなければ、たたえられた"幸福"と"歓喜"の深い味わいも、実感できない。「宝器」を内から壊したり、汚したりする大きな敵は、信心の"慢心"である。また"名利"の心であり、保身の"エゴ"である。これらによって、わが宝器に傷をつけ、妙法の永遠にして無上の功徳を失っていくことは、あまりにも残念なことである。慢心の人の生命は、器の口が閉じているようなもので、どんな温かい真心も、正しい道理も、素直に入っていかない。ゆえに感謝も成長もない。功徳も少ない。

☆随筆 我らの勝利の大道No.61 未来を開く青年大会(2/9)
わが師・戸田城聖先生は烈々と語られた。
「八畳一間から始まった松下村塾の吉田松陰の門下の手で、明治維新は達成された。学会も、中核の青年がいれば、いな、一人の本物の弟子がいれば、広宣流布は断じてできる」
歴史回天の舞台となった長州、すなわち山口県を、戸田先生は格別に注目されていた。この要衝で「広宣流布の拡大の旋風を起こせ」と、二十八歳の私に命ぜられたのである。それが「山口開拓闘争」である。
昭和三十一年──松陰が松下村塾で講義を始めた安政三年(一八五六年)から百周年に当たっていた。
この年、私は師匠の大誓願たる七十五万世帯の大法弘通の達成に向け、一潟千里で走り続けていた。五月には大阪支部で、一ヵ月に弘教一万一千百十一世帯という金字塔を成し遂げた。
九月初めの時点で、東京が十万、関西が六万という世帯に対し、山口県は四百三十世帯に過ぎなかった。
十月、そこに私は飛び込んだ。そして翌年一月には、約十倍の「四千七十三世帯」へと大飛躍を遂げることができたのである。

2011年10月9日日曜日

2011.10.09 わが友に贈る

さあ躍進の秋!
爽やかな声と笑顔で
地域に友好の輪を!
心豊かな交流こそ
人生の財と輝く!


四条金吾殿御返事 P1165
長き夜のあけとをき道をかへりたるがごとし

◇希望の明日へ
信心のために行動したことは、すべて自分自身の功徳、福運となって輝いていく。妙法の因果は厳然である。学会員は広布のために”働き”、法のため、悩める友のために”行動”している。それらの"行動""働き"は、すべて宿命転換に通じ、功徳となって自分自身に返ってくることを確信していきたい。

☆随筆 我らの勝利の大道No.61 未来を開く青年大会(1/9)
いざや勝て
 いざや勝ちゆけ
  偉大なる
 我らの青年
  諸天は讃えむ


戦う青春は朗らかだ。
どんな壁が立ちはだかろうと、勇敢なる青年の行く手を阻むことはできない。

「壁を破る」──これこそが、青年の特権である。
「できないことを心配するよりも、できることを考えるのだ」
これは先月二十五日に、世界中から惜しまれつつ逝去されたケニアのワンガリ・マータイ博士が、自らを鼓舞していた言葉である。
アフリカの大地に四千万本を超える木を植えた「グリーンベルト運動」──。この地球規模の大きな環境保護のうねりを生み出した活動は、心ない批判や中傷の連続であった。
「苦悩はつねに偉大なる事業の母」という蔵言が思い出される(情熱詩人バイロンの青春を評した言葉)。
苦しまずして、悩まずして、なんで偉業が成し遂げられようか。
博士は、自分でできることを考え、足元から一歩一歩、着実に運動を進めていった。その地道な積み重ねによって、幾多の壁を突き破り、新しい道を広々と切り開いていったのだ。
私と妻は六年前の二月、多くの青年たちと共に、マータイ博士を聖教新聞本社にお迎えした。実に聡明な笑顔の女性であった。
その折、青年たちへのメッセージを求めると、微笑みながら、こう語られた。
「未来は、ずっと先にあるわけではありません。『未来』は、『今』にあるのです。将来、実現したい何かがあるなら、今、そのために行動しなければなりません」
まさに、博士の崇高な信念そのものであった。
偉大な人とは、「今」を生き抜き、困難に耐えて「未来」を開く人である。そこに、不滅の生命の価値が光るのだ。

2011年10月8日土曜日

2011.10.08 わが友に贈る

我らが広布の道は
人類救済の聖業なり!
語り抜くことが
最高の仏道修行だ。
さあ自信満々と進め!

開目抄 P0231
過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ

◇希望の明日へ
"大慈大悲の菩薩"であっても、地獄に堕ちる罪−−これが"仏敵を供養する"罪である。反対に仏敵と戦えば、大罪の人でも"幸福"になる。

☆随筆 人間世紀の光No.103 伝統の「座談会」の思い出 (1/6)
希望に燃えて、日本列島の隅々で、「青年・躍進の年」の第一回の座談会が行われている。
座談会は、初代会長・牧口先生以来の学会の偉大な伝統である。
それは、「地域友好の広場」であり、「言論の自由の会座」であり、「民主主義の対話のモデル」である。
人間と人間が触れ合い、支え合う「理想の共和」の姿といってよい。
今、世界の知性も、創価の「座談会運動」に深く刮目する時代に入った。
このほど、アメリカの「平和研究の母」エリース・ボールディング博士と私の対談集『「平和の文化」の輝く世紀へ!』が完成した。
かつて博士は、日本で座談会に出席した思い出を、しみじみと語っておられた。
「私は、車座になって、座談会を行っていた婦人部の方々とお会いしました。
そこで私は、本当の人間の精神を感じたように思いました。
家族と過ごしているような温かさを感じたのです」

そして博士は、座談会に、「互いの顔が平等に見える」「互いの話をよく聞き、互いに知り合うことができる」「心を一つにして目的へと進むことができる」など、「平和の文化」の先端の在り方を見出されているのである。
また、私と対談集『社会と宗教』を発刊した、オックスフォード大学のブライアン・ウィルソン名誉教授も、座談会運動を絶讃されていた。
創価学会こそ、「非人間的な傾向が強まる現代社会において、新たな人間共同体を生み出している」と、高く評価してくださったのである。
さらに、私が親しく語りあったアメリカ実践哲学協会のルー・マリノフ会長も、こう語っておられる。
「信仰者同士の対話は、実に重要です。それによって、信徒は"羊"で、僧侶はそれを追う"羊飼いの犬"であるという、古い宗教の形式から離脱することができるからです。
実は、哲学者もまったく同じ視点からの実践を行います。すなわち、体験を共有することによって、より豊かな人間観を築く。そして、他人の話に耳を傾けることによって自分自身をより深く知る、という実践です」

牧口先生が提唱された「座談会」が、どれほど偉大な先見であったか。その意義は、時代とともに、いやまして深まっている。

2011年10月7日金曜日

2011.10.07 わが友に贈る

誰が見てなくとも
どこであろうとも
師弟の誓いを貫け!
陰徳の行動ありて
偉大な陽報が輝く!

佐渡御書 P957
強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し、これおごれるにはあらず正法を惜む心の強盛なるべし

◇希望の明日へ
大御本尊への信心の大道を、世界に開いた功徳は大きい。信心さえあれば、世界のどこにいても、大御本尊に通じていく。反対に、道をつくる苦労もせず、それどころか、道を閉ざし、破壊し、民衆のための大御本尊を、保身のための"道具"として私物化しようとする人間は、御本仏から、どれほどのお叱りがあるか想像もできない。

☆折々の指導No.013 広布こそ人生最大の思い出(各部の友に)
広宣流布のために、思う存分、戦うことだ。仏法という大哲学をもって、苦しみ悩む友を救うことは、人生最大の思い出となる。わが誉れの尊い歴史だ
「御本尊を授けることは、最高の善だ。善は実行しなければならない。善は必ず力を生み出す。日蓮大聖人は御本尊のことを『功徳聚(=功徳の集まり)』(P1244)と御指南されている。
御本尊を信じ、妙法を唱え弘めていくならば、わが身が、そのまま『功徳聚』となる。その福徳は一家を、地域を、社会をも包む」
誰が見ていようがいまいが、どんな時でも、自分自身に偽りのない戦いをしていくんだよ。
そして、陰で戦っている友、人知れず広布を支えてくださっている友を、リーダーは見つけて讃えることだ。
どんな目立たない仕事であれ、それを一生懸命、喜んでやる人間が、本当の指導者になる人なんだ
「生命が老いてはいけないよ。御聖訓に『年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし』(P1135)と仰せだ。
信心の年輪を重ねるほど、いよいよ若々しく! これが創価の生き方だ

2011年10月6日木曜日

2011.10.06 わが友に贈る

信心即生活なれば
職場で勝て!
地域で勝て!
家庭で勝て!
一切が仏道修行だ!


立正安国論 P26
予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ

◇希望の明日へ
大聖人の仰せのままに、信行に励み、広布に邁進する正しい信仰者に対して、憎しみの感情から、世間の事に寄せて悪口を言う。また、憎しみを抱いた行動をする場合には、その人がどのような幹部の立場であろうと、功徳がないばかりか、大罰を受けることになるのは必然である。

☆魯迅生誕130周年記念シンポジウム 池田名誉会長の祝辞
思えば、大教育者でもあられた魯迅先生は、自らの心血を注いで青年を育て、そして命を賭して、正義の旗を青年に託されました。
この魯迅先生の生涯を広く深く知らしめ、その獅子吼を若き世代の魂に打ち込まれゆく貴・上海魯迅記念館の使命は、あまりにも崇高であります。
私が創立した創価学園の代表も、貴記念館を訪問させていただき、その感銘をこう記しております。
「民衆を愛する心、悪を追及する正義の心を知りました。この感動を血肉に変えて、生涯の原点にしていきます」(高3男子)。さらに「魯迅先生か親孝行の人たったことや、中国人民を救いたい一心で正義の筆を執り続けたことに感動。中日友好、世界平和に尽くす人材に成長します」(高3女子)等とありました。
魯迅先生の魂が青年に与える啓発が、どれほど重要か。貴記念館の展示が持つ"教育の力"が、どれほど大きいか。
生誕130周年の佳節に当たり、私は改めて、王館長をはじめ、人類の遺産を受け継がれゆく上海魯迅記念館の皆様方の労苦に、満腔の敬意を捧げたいのであります。
そして、希望の宝城である貴記念館のますますのご発展を、心からお祈り申し上げるものであります。
魯迅先生は、人道主義が勝利を収める未来を鋭く展望しておられました。
私自身、永遠の教師たる魯迅先生にさらに学び、その息吹を世界の青年に伝えながら、真の人道主義の勝利のために、一段と尽力することを、ここに固くお誓い申し上げ、私の祝辞とさせていただきます。
諸先生方のご健勝を心からお祈り申し上げます。

謝謝!(中国語で「ありがとうございました」)

2011年10月5日水曜日

2011.10.05 わが友に贈る

激しい寒暖差に注意。
手洗い、うがいを励行し
体調管理を万全に!
生活リズムを整え
健康・快活の日々を!

可延定業書 P986
きわめてまけじたまし(不負魂)の人にて我がかたの事をば大事と申す人なり

◇希望の明日へ
仏法は厳しい。感傷や人情論ではなく、宇宙の法則であるからだ。大聖人の仰せ通りに正法を持ち、広宣流布しゆく学会は、仏意仏勅の団体である。その学会を利用し、傷つけようとする罪が、どれほど大きいか。また、広布の陣列を離れていった人々の末路が、いかにみじめなものであるか。始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず』(P290)との厳然たる"裁き"の御言葉は、これまでも真実であったし、これからも変わらない事実である。

☆魯迅生誕130周年記念シンポジウム 池田名誉会長の祝辞
魯迅先生は、民族を超えて心と心を通わせ、結合しゆく「連帯の哲学」を示し残してくださいました。
今回の大震災の被災地でもある宮城県の仙台市の友が大切な誇りとしている縁があります。それは、この地で結ばれた、魯迅青年と医学者・藤野厳九郎先生との師弟の絆であります。
魯迅先生は、一人の留学生である自分を真心込めて薫陶してくれた師匠の学恩を終生の宝とされました。
20余年の歳月を経て記された名作「藤野先生」には、「かれの写真だけは今でも北京のわが寓居の東の壁に、机のむかいに掛けてある。夜ごと仕事に倦んでなまけたくなるとき、顔をあげて灯のもとに色の黒い、痩せたかれの顔が、いまにも節をつけた口調で語り出しそうなのを見ると、たちまち良心がよびもどされ、勇気も加わる」(竹内好訳『魯迅文集2』ちくま文庫)と綴られております。
国家間の政治・経済次元の関係は、時とともに変化を免れないものでありましょう。しかし、教育・文化の次元で深く結ばれた人間の心の信義は揺らぎません。
私は、尊敬申し上げる周恩来総理とお会いした翌年の1975年、貴・中国からの(日中国交正常化後)最初の6人の国費留学生の方々を、わが創価大学にお迎え申し上げました。その私の心には、魯迅先生や周総理が喜んでくださるような青年交流、人間交流の道を開きたいとの強い願望があったのであります。
魯迅先生は「歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」(竹内好訳『魯迅文集1』ちくま文庫)と達観されました。その通り、賑やかな青年の往来の積み重ねによって、貴国との平和友好の道は大きく築かれました。この潮流は、もはや決してさえぎることはできません。
ありがたいことに、このたびの大震災にあっても、まさにその当日、貴国からは真っ先に支援の申し出を賜りました。2日後には初の緊急援助隊も駆け付けてくださいました。"文化大恩の国"からの真心に、皆が感涙しました。この場をお借りしまして、心から御礼申し上げます。

2011年10月4日火曜日

2011.10.04 わが友に贈る

リーダーは
常に研鑽だ。
人の心をつかみ
納得と決意を広げる
新鮮な話を!

開目抄下 P235
我並びに我が弟子諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ

◇希望の明日へ
学会は、日蓮大聖人の御遺命たる広宣流布の組織である。この尊い使命の団体を守り発展させゆく福徳は絶大である。反対に、学会の前進、すなわち広布の前進を妨げたり、学会員を苦しめる罪は、あまりにも大きい。大聖人が厳然と裁かれるであろう。

☆魯迅生誕130周年記念シンポジウム 池田名誉会長の祝辞
敬愛してやまぬ王錫栄館長はじめご列席の諸先生方。
大文豪・魯迅先生の生誕130周年記念大会の開催、誠におめでとうございます。上海魯迅記念館の隆々たるご盛栄に心からのお祝いを申し上げます。
新たな精神闘争に挑みゆく人にとって、それぞれに心の支えとする魯迅先生の言葉があるのではないでしょうか。私の胸にも、若き日より心に刻みつけてきた魯迅先生の叫びが変わることなく響き続けております。
「路とは何か。それは路のなかったところへ踏み作られたものだ。荊棘(いばら)ばかりのところに開拓してできたものだ」(竹内好訳『魯迅評論集』岩波新書)
1960年、32歳の若さで、創価学会の第3代会長に就任する直前に、私はこの「生命の路」の一文を日記に書き記して、自らの決意を固め、今日まで開拓の人生を歩んでまいりました。
その意味において、私の日々もまた、常に魯迅先生の勇気の魂と共にあったといっても過言ではありません。
いかなる暗黒の時代にあっても、魯迅先生は信念の言論の光を灯し続けました。苦難の鉄条網をも踏み越えて前進する中で、希望の活路を切り開いてこられました。
この魯迅文学を貫く、人類の不撓不屈の潜在力への信頼こそ、国を超え、時を超えて、試練と戦う青年を励ましてやまぬ、かけがえのない精神の宝ではないでしょうか。
魯迅先生が若き日に留学なされた、日本の東北地方でも、私のよく知る青年たちが、今年の3月の東日本大震災から、懸命に復興への尊き汗を流しております。その奮闘する青年たちの胸にも、「我々は必ず光明をかちとらねばなりません」(松枝茂夫・竹内好編『魯迅選集第13巻』岩波書店)という魯迅先生と同じ決意が脈打っていることを、私は確信してやみません。
希望がなければ、自分でつくればよい。前進する限り、希望はある──この魯迅先生の「希望の哲学」は、現代世界をいやまして赫々と照らしてくれているのであります。

2011年10月3日月曜日

2011.10.03 わが友に贈る

青年に仏法を語ろう!
若き人材を
見つけて育てよう!
わが地区から
新しき地涌の陳列!

顕仏未来記 P509
伝教大師云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり、天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」等云云

◇今週のことば
「法華の題目は
獅子の吼ゆるが如く」
妙法の音声は無敵の力だ。
生き生きと 朗々と
勤行・唱題で勝ち開け!

2011年10月03日

◇希望の明日へ
潔く信心を貫き通した福徳は、あとになればなるほど無限に広がっていく。反対に、退転の人生は、時がたてばたつはど、苦しみの墳淋となり、末代にまで汚名を残す。これが大聖人の仏法の厳たる法理である。

☆質問13 私は「優しい人」になりたいのですが...

いちばん「人間らしい」人格をつくれ
優しい人は「強い人」。その人こそ「優れた人間」

優しさとは「心」の問題です。「心」は見えない。また「心」はじつに微妙で、デリケートなものです。
だから「優しさとは何か」と言われて、一ロで答えられる人はいないのではないだろうか。それくらい大きな問題です。それは「人間とは何か」という問題と一体なんです。
ある人が言っていたが、「優」しいという字は、人偏に憂うと書く。「人を憂う」—人の悲しさ、苦しさ、さびしさを思いやる心が「優しさ」でしょう。
この字はまた優秀の「優」という字です。「優しい」人、人の心がわかる人が、人として「優秀な人」です。「優れた」人なんです。それが本当の「優等生」です。
優しさとは、人間としていちばん人間らしい生き方であり、人格なのです。

優しさは、悪に対しても強い。仏法では、「怒り」は善にも悪にも通ずると説いている。善のための怒りは必要なことです。自分の感情だけで怒るのは畜生の心です。人間は偉大であるほど、その愛も大きい。愛が大きいから強いのです。優しいのです。
「性格が優しい」イコール「優しい」ではない。不正に対して戦わない、いざという時に力がないのは、「弱い」ことにすぎない。

優しさとは、損・得を度外視した友情です。
人が苦しんでいれば、苦しんでいるほど、その人に愛情を持つ。「立ち上がらせてあげよう」という勇気の心を与える。
人の不幸を、不幸として見つめつつ、苦しみをわかろうとする。分かちあおうとする。そのなかで、自分も成長していく。相手も強くなっていく。
優しさとは、よい意味での"励ましの道場"です。
大切なことは、相手に同情する──あわれむ──ということではなくて、「わかってあげる」ということです。「理解」することです。人間は、自分のことを「わかってくれている人がいる」、それだけで生きる力がわいてくるものです。

人間は、たいていの人が、心の中に「優しさ」をもっている。
しかし、大きくなるにつれて、自分が傷つくのを恐れたりして、優しさを胸の中に埋めたままにしていると、やがて本当に冷たい人間になってしまうのです。
そして、「自分中心」だと、周囲が全部、敵に見えてしまう。そこで、ますます自分を鎧で包む。権威の鎧とか、名声や地位の鎧とか、冷たさの鎧とか、「いばり」の鎧とか──。
それでは「人間性」ではなくて「動物性」になってしまう。

「自分が人間として向上していこう」という姿勢の心は、優秀な心であり、それ自体、優しさに通じる。
ゆえに「21世紀の主役」の諸君は、"強く""優しい"人間へと、自分自身を鍛え上げてほしいのです。
(『青春対話1』から)

2011年10月2日日曜日

2011.10.02 わが友に贈る

一人ために
祈り語り励まし
何度も足を運んでいく。
地道な労作業ありて
広宣流布は進む!

諸法実相抄 P1360
いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか

◇希望の明日へ
仏法の賞罰は、まことに厳しい。たとえ、仮に世法や正法を欺き、その追及から逃れることができても、仏法律だけは、だれ人もごまかすことはできない。

☆折々の指導No.013 広布こそ人生最大の思い出〈各部の友に〉
広宣流布のために、思う存分、戦うことだ。仏法という大哲学をもって、苦しみ悩む友を救うことは、人生最大の思い出となる。わが誉れの尊い歴史だ
「御本尊を授けることは、最高の善だ。善は実行しなければならない。善は必ず力を生み出す。日蓮大聖人は御本尊のことを『功徳聚(=功徳の集まり)』と御指南されている
(P1244)。
御本尊を信じ、妙法を唱え弘めていくならば、わが身が、そのまま『功徳聚』となる。その福徳は一家を、地域を、社会をも包む
誰が見ていようがいまいが、どんな時でも、自分自身に偽りのない戦いをしていくんだよ。
そして、陰で戦っている友、人知れず広布を支えてくださっている友を、リーダーは見つけて讃えることだ。
どんな目立たない仕事であれ、それを一生懸命、喜んでやる人間が、本当の指導者になる人なんだ

「生命が老いてはいけないよ。御聖訓に『年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし』(P1135)と仰せだ。
信心の年輪を重ねるほど、いよいよ若々しく! これが創価の生き方だ」

2011年10月1日土曜日

2011.10.01 わが友に贈る

さあ 実りの10月!
勝利のドラマは
今 ここから始まる!
いよいよの心で
創価の新時代を開け!


日眼女造立釈迦仏供養事 P1187
譬えば頭をふればかみゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉ればゆるがぬ草木やあるべきさわがぬ水やあるべき

◇希望の明日へ
学会は、これまで、どれほど嘲笑と迫害の嵐にあってきたことか。しかし、それらの烈風を前進への追い風として、今日の未曾有の発展を成し遂げてきた。この事実こそ、学会の信心、広布の実践が正しかったことの確かなる証左である。そして、われわれを軽蔑し、非難して、退転していった卑劣な輩は、仏法の厳しき因果を証明するごとく、あわれな人生の末路となっているのである。

☆随筆 人間世紀の光 No.052「君よ 青春の無限の力を!」
あの巨大な両国の国技館(後に日大講堂)で、記念の本部総会を大成功に終えると、すぐさま、待ちに待った青年部の体育大会であった。
広宣流布に飛翔していく生き生きとした青年たちの、初のこの体育大会には、当初、理事らの先輩幹部は、皆、反対であった。
信心と何の関係があるのかというのである。
その時に、戸田先生は、「大作と俺が考えている意義ある大会だ。一回、やらせてみたらどうか。後になって、非難するなら非難せよ」と厳然と言われ、許可してくださった。
そして青年の躍動を、心待ちに楽しみにしてくださったのである。
将来、敗北していく学会になるか、勝利を勝ち取り続けていく学会になるか。
それは、青年たちの自覚と成長しかない。

私は、戸田先生の心が太陽の如く輝いて見えた。
当時の先輩は、威張りくさって青年を見下し、戸田先生があまりにも青年を大事にするがゆえに嫉妬して、学会の将来を考える賢明さがなかったのだ。
初の私たちの「世紀の祭典」は、世田谷の日大グラウンドをお借りして開催した。
まさしく「新しき世紀」を創りゆく、青年の熱と力が沸騰していた。
戸田先生をはじめ、来賓として参加した方々も、心から拍手を送り、感嘆し、期待を寄せてくださった。
はつらつたる青年の闘志!
乙女たちの輝く清き瞳!

若人の生命が放射するまばゆい光こそ、見る人を刮目せしむる偉大な覚醒なのだ!偉大な折伏なのだ!
日々、新たな歴史を開く喜びに燃えた、あの五十年前の青春の勝利劇は、今や、世界中に広がる青年と青年、乙女と乙女の大連帯となった。

さあ青年よ、断じて勝て!
本門のわが弟子よ、広宣流布の偉大な門を開きゆけ!
ドイツの若き詩人ヘルダーリンは、その詩で、「わが青春の雲のなかからたくましく偉大な行為はほとばしる」と力強く詠い上げた。
あの誓い合った若き友を忘れるな!
我らの高貴な魂は、「無限の苦痛」を「無限の歓喜」に変えてゆく哲学を持っているからだ。
あの永遠なる厳粛な正義の道を歩め!
君のあの若々しき、創造の無限の力を!
強き生命力を!
正しき青春の法則を!
光り輝く躍動美の君の振る舞い! 確固たる信念に満ちた、英雄の奮闘よ!

断じて負けない。
たまには負けても、悠然と起き出して、また勝つために進む。
ともあれ、究極の人生の勝利と、最後の生命の栄光を誇り高く勝ち取るのは、晴れやかな心気高い我らなのだ。
あの野獣の群れのように振る舞う卑怯卑劣な奴らには、断じて屈するな! 断じて勝つのだ!
これが、真実の人間の王者なのだ。
庶民は、最高の宝だ。そこには、虚栄心など微塵もない。名誉など何も欲しない。ひたぶるに、一生を生き抜いていく。そして、自分に見合った満足を心から味わいながら、皆に希望を贈っていくのだ。
仏法には、何一つ、失われるものはない。すべての行動が、すべての誓いが、最後は幸福と勝利へと結実していくからだ。
君よ、動ずるな!
君よ、恐れるな!
そして、君よ、大胆不敵に人生を生き抜き給え!

それが、青年の若き英雄の実像であるからだ。

二〇〇四年十月十九日 学会本部・師弟会館にて